1 :
ドゥードゥーホーミーφ ★:
古代史講演会「卑(ひ)弥(み)呼(こ)と邪(や)馬(ま)壱(い)国(こく)は
消されていた〜卑弥呼の国は大分市〜」(大分合同新聞主催)が十七日、
大分市のNHK大分放送局スタジオホール・キャンバスであり、約百八十人が集まった。
講師は埼玉県さいたま市の眼科医で「卑弥呼と邪馬壱国は消されていた」の著者、大野佑司さん。
中国の歴史書「魏志倭人伝」には邪(や)馬(ま)台(たい)国(こく)のことを邪馬壱国と書いており、
「歴史書にある位置や方角を丁寧にたどっていくと、邪馬壱国は大分市以外にありえない」と説明。
「古事記などの編集者が歴史から消し去ったため、幻の国になってしまった」と持論を展開した。
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2008_121117435635.html
2 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:40:45 ID:xVp8ou8Y0
2Get♪
3 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:41:36 ID:30ph1Z1F0
韓国だろ
4 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:42:02 ID:QKgn1FUb0
5
5 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:42:30 ID:Y275od5sO
韓国にあったってアポジが言ってた。
6 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:42:35 ID:DwnTdsQw0
7 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:42:40 ID:UQqUiNqnO
眼科医かよ
8 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:42:49 ID:DImhvmRY0
卑弥呼は在日ニダ
9 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:42:54 ID:LBRJTqIu0
また街角歴史学者の珍説かw
10 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:43:03 ID:Ke+H4/aA0
>講師は埼玉県さいたま市の眼科医で
さいたまの時点ですごく胡散臭い
これで本が売れるといいですね。
>>3 邪魔大国きたあああああああああああああああああああああ
九州の可能性はあるけど、どうせ特定はできんから
14 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:43:24 ID:FbyaOyV90
高天原は間違いなく韓国
15 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:44:07 ID:UJzZG8qc0
人は信じたいことを信じる
沢山の説の中から信じたいことだけを無意識に選別する
都合の悪い説は切り捨て
歴史問題は往々にしてこのような人間の性質が『事実』を歪めてゆくもの
道路族議員を多く輩出している地域には
絶対に観光で金銭投下しては
ならない
17 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:44:10 ID:b7GwMqS/0
邪魔台国
18 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:44:16 ID:24ORpeV90
,'⌒∞- ,,
///_ノハヽ) ))) キャハハハ
∂^∇^)/
ノ)___)
//> >
19 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:44:41 ID:Aucti8T60
大分市民だけど質問ある?
耶馬溪かえ
21 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:44:57 ID:O5wYkxSS0
701 名前:名無しでよか?[] 投稿日:2008/05/16(金) 15:17:24 ID:L.QvRnhI [ i60-42-2-153.s02.a044.ap.plala.or.jp ]
本日12時40分頃 大分銀行本店前の横断歩道橋より
30歳代女性が落下 事故か自殺か不明
22 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:45:11 ID:12OhWRV/0
くまそが鹿児島なら邪馬台国が北九州じゃないとおかしいな
ハニワ幻人めえぇ〜!
25 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:45:49 ID:FY4pSCr40
おしい、宮崎県の日向だろ。
何下にジークスレ。
27 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:46:01 ID:vrnq7d5t0
宇佐じゃなかったのか
滝尾百穴とか、神秘的。
ただ、あの辺B多いから怖い
30 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:46:51 ID:0gFZXUwv0
また韓国の起源スレかよ
31 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:46:53 ID:xuu0hLsh0
徳島だろw
32 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:47:01 ID:/ryQ8gYdO
佐賀じゃなかったのか
33 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:47:05 ID:XLEw7RwXO
やまたいこくは福岡ですよ。
34 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:47:17 ID:Tgw861oF0
宇佐説を支持しているんで、大分説には賛成するが、大分市じゃねーだろw
でもそんな俺は奈良県民
35 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:47:25 ID:o+y0uY/j0
歴史なんてのは後世の権力者が作るものだよ。。。
卑弥呼にはよく世話になった
37 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:47:45 ID:hM5A5TuJ0
この前テレビで徳島だってやってたじゃまいか
よだきい
39 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:47:55 ID:t1Dn36uZO
どーでもいいだろ。
いまさら・・・。
卑弥呼には感謝してる
41 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:48:33 ID:2UoztRJpO
42 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:48:37 ID:QRASp1Kc0
43 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:49:07 ID:z8lICLhq0
邪馬壱国はやまいこくではなくてジャマイカと読む
44 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:50:11 ID:ZQeU/gqFO
確か耶馬渓って地名あったな
45 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:50:12 ID:OXwcjKu70
古代から統制されたり支配されるのが好きな県民>合掌
え?学会じゃ東大閥と九州以外は畿内説で固まってるはずだが…
ちなみに
九州(東大閥):畿内(京大閥)
こんな構図だった気がする。
定説的には畿内
>>22 「壱」と表記する説もあるんじゃなかったけ?
48 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:50:54 ID:AUl7aqov0
卑しい弥生人めと呼ぶ人だから、縄文系だろ
「歴史書にある位置や方角を丁寧にたどっていくと、邪馬壱国は徳島以外にありえない」
夕張と言うことにしておけば、財政再建できるぞ
で?
高速道路でも作ってほしいのか?
52 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:53:21 ID:X2oYXGFC0
普通に九州だろ
近畿(笑)
53 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:53:33 ID:8MEVS9/U0
>>44 「やばけい」ですか
「うらやばけい」ですか
「ほんやばけい」ですか
54 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:53:50 ID:/O6Ze37jO
もう諦めろよ
55 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:53:58 ID:raQPuwA40
アカデでは邪馬台国=大和説が主流らしいが。九州説は観光目当ての市民が唱える説だと
日本史板にあった。
56 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:54:01 ID:+TYEuaox0
だいぶ"市"だった? 多分"市"だったの間違いだろ。
57 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:54:02 ID:Tgw861oF0
>>47 そもそもが当て字なんだから、日本側から見たら、どうでもいい話なんだけどね
中国側から見たら、我々がそう記述した以上、それが正式名称だという理屈なんだろうけど
>46
畿内説唱えてるの、京大閥だけなんじゃ?
>>58 あれ?そうだっけ
ウチ関西圏だから組織がそうなってんのかな
62 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:58:11 ID:Tzs7uX6n0
まあ、大分市ならレイライン上にある市だし
何かいわくがあってもおかしくない。
64 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 14:59:45 ID:12OhWRV/0
>>57 壱と臺では読みも意味もまったく違うんだけど・・・
>61
せっかくだから該当スレいってきた
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1206538053/ 結論は出そうにないね
-----
556 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/05/16(金) 11:14:51
>>554 畿内説も、昔は古墳時代は4C始め頃からとしていたのだが、古墳時代の直前まで
北部九州の方が畿内より栄えていたことが考古学的にはっきりしたので、15年位
前から畿内説は、古墳時代の開始を200年頃からと変更した。
畿内説はこれに合わせて出土物を(鏡)を古く見る必要が出てきた。
画文帯はほとんどが古墳から出土するため、以前は4C初めころから日本で流通して
いたとされていたが、中国(呉)で200年頃から流通していたので、同時に日本でも
流通していたと変更した(岡村)。
画文帯は三角縁の出る古墳より古い時期の古墳から出土するので、三角縁を
239年に魏からもらったとする考えでは、画文帯をそれ以前とする必要もあった。
まあ、泥縄式の議論だわな。
今は徳島説が主流になったんだろ?
いろんな遺跡が見つかって
マジで?ちょっと金印探してくるわ
68 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:01:10 ID:1WNZ9fh+0
耶馬溪の名付け親は安芸の国の漢学者頼山陽だ
宇佐神社に祭られているのは安芸の宮島の市杵嶋姫
よって今年はカプ優勝
69 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:01:26 ID:056j38I+0
邪馬台はヤマトと発音する。タイでもイチでもない。中国人に聞いてみて。
70 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:02:14 ID:eIHCdY0+0
卑弥呼という仰々しい名前に負けない、
すばらしい子だった
ルックス、ボディ、プレイ、完璧だった
今でも使える
71 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:02:32 ID:BHr4+qAX0
またキャノンか
72 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 15:03:05 ID:i6eLdaDp0
たぶん邪馬台国は発見できないと思う、大和政権が邪馬台国を痕跡も
残らないように徹底的に破壊しただろうからね、ヤマトの称号を
受け継いだ大和政権にとって邪馬台国は存在してはならない物
だったのだろうから。
73 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:03:13 ID:hyVULt+V0
工工エエエ(´Д`;)エエエ工工
74 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:03:22 ID:LeM7uVIP0
眼科医(笑)
>>古事記などの編集者が歴史から消し去ったため
チョンがヒデヨシが奪い壊したとほざいているのと変わらんなw
天皇と皇室がインチキとバレるので卑弥呼の話はタブー
76 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:04:19 ID:ukCsyB8Z0
AVか
77 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:04:40 ID:1WNZ9fh+0
その眼科医に蕎麦食わせてみてくれ
>>65 おお、サンクス
俺も専攻じゃないから調査で時代がずれた位しか把握してないんだよね。
最近朝鮮人が日本酒起源主張ウザイからそっち手を着けようかと
79 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:04:51 ID:zre3rTHn0
卑弥呼はロリっ娘だった
80 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:04:53 ID:OXwcjKu70
>>63 魏の人間だろ、日本の発音を適当に漢字に当てはめただけ
「卑(ひ)弥(み)呼(こ)と邪(や)馬(ま)壱(い)国(こく)は 消されていた
〜卑弥呼の国は大分市〜」
アホ丸出しwww
ドラえもんで、タイムマシンの開発により邪馬台国論争に決着がついたというネタがあったな。
未来のニュースかライブラリーだったか忘れたけど。
84 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:05:31 ID:hyVULt+V0
ねえねえ。イザナミは ? イザナミはどこにいたの ?
85 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:06:05 ID:12OhWRV/0
86 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:06:13 ID:T/ozUyST0
古田のパクリ?
卑弥呼が上表文を渡したことも知らない無知のレスは馬鹿丸出しだな
88 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:07:16 ID:pfW/b1HLO
名前的に卑弥呼より弥生の方が萌える。異論は受け付けない
89 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:07:22 ID:LBRJTqIu0
魏志倭人伝の位置や方角だと、太平洋に出ちまうんじゃなかったっけ?
90 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:07:37 ID:h/hKvbtE0
っていうかどこでもいいじゃん。
ウリ大国の間違いニダ。
92 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:07:52 ID:TCUy9G8Q0
新井白石の「北九州酋長が大和を僭称した」説が正解。
93 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:07:55 ID:hyVULt+V0
大分の場所がわかる人 15%
94 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:08:54 ID:Aucti8T60
某
95 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:08:58 ID:eyXpWi07O
>>89 俺もそう記憶してる
この眼科医はキバヤシだ
96 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:09:17 ID:AUl7aqov0
当時の半島南部を支配していたのは倭人だろ
97 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:10:27 ID:+002i93N0
卑弥呼って萌えで国と治めてたんだろ?
禁断の秘巫女?
99 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:10:47 ID:WXrJ2Gir0
当時の2ちゃんの記録とか残ってないの?
101 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:11:09 ID:hyVULt+V0
豆知識
中国人が ○○アルよ。と語尾にアルよと付ける様になったのは
中国人が戦後に日本で商売をする時、「牛肉ありますよ。」「卵ありますよ。」
と、○○ありますよって言うところを○○あるよって言ったのが最初。
実際の中国人は○○アルよ、とは言わない。
103 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:11:43 ID:OhjHpCeP0
縄文人は数万年前にアフリカから海岸沿いに渡ってきた人類。
日本人の遺伝子の10%に相当する。
現在の日本人の遺伝子の90%は約2300年前に韓国からわたってきたモンゴロイド。
沖縄だと縄文人型の遺伝子が55%いる。
古事記とか無しで最初の天皇を探そうと歴史の本を開いたら
全然いなかったんですけどもしかして卑弥呼?
105 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:12:22 ID:zfQ25eyUO
広東語で日本はヤップンだよ。
やまと、やもと、ヤップンで関係ありそうだよ。
Jはヤ行だから、ヤップンがヤポン、ジャパンになったかもよ。
日をカと読んだとしたら、家はジエだから日もジエかもしれないけど。
>>81 だろうねぇ。
日本の発音を、大陸人の耳で聞いて、それにあてがった漢字表記。
そもそも当てにならない(´・ω・`)
108 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:13:00 ID:2sn7ZhPA0
東北だよ、東北
109 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:13:14 ID:XIq67CHh0
110 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:14:03 ID:12OhWRV/0
111 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:14:08 ID:BpleXOmy0
ひみこってさ、神秘性・カリスマ性持たせるため幼き頃から頭を型にはめて、ルチ将軍みたいな頭の形してたんでしょ?
112 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:14:30 ID:sp+uXbk0O
徳島県ってTVで検証やってたばかりじゃね!?
113 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:14:44 ID:h/hKvbtE0
学者でもはっきりわからんことが2ちゃんで答えが出るわけがない。
みんなで拙い知識自慢ごっこをしているだけ。
114 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 15:14:49 ID:i6eLdaDp0
魏志倭人伝によると、邪馬台国と狗奴国という二つの国が存在していて、
しかも両国は互いに仲が悪く争っていたとある、しかも邪馬台国は
狗奴国との戦いに苦戦したともあるから、狗奴国は邪馬台国に匹敵
するほどの大国であったはずだ、そして、この時代には大国が存在
していたとみられる場所は北九州と畿内の二か所だけだから、北九州と
畿内のどちらかが邪馬台国でどちらかが狗奴国であったはずだ、
もし狗奴国が北九州で畿内が邪馬台国であったなら、北九州の狗奴国は
当然畿内の邪馬台国の使者が大陸との間を行き来するのを妨害したはず
だから、北九州が狗奴国で畿内が邪馬台国という位置関係では矛盾が
生じてしまうから、北九州が邪馬台国で畿内が狗奴国だったのだと思う。
こういうときの霊能者なんじゃねーの?w
まぁ本物なら、歴史の謎なんてありえないがwww
未解決もないわな
お!いたっ!
117 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:16:09 ID:WlppxU2MO
なんだこの記事の書き方は
読み手をなめてんのか
>>115 徳川埋蔵金みたいにでっかい穴を開けるんですね
>>1 > 「歴史書にある位置や方角を丁寧にたどっていくと、邪馬壱国は大分市以外にありえない」と説明。
wwwwwwwwwwww
120 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:17:17 ID:12OhWRV/0
>>106 おまいの言ってることをまとめると
魏志倭人伝は魏の人間が日本人に聞いた話を漢字で書いた書物
ということになるけど、そういうことでよろしいか?
121 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:17:18 ID:0r3eEJNN0
あれ?
四国って話じゃなかったっけ?
122 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:17:29 ID:1WNZ9fh+0
トーホグの八幡平だって鯨統一郎先生が言ってた
123 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:17:53 ID:eIHCdY0+0
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124 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:18:24 ID:W7K3AiG50
大分合同新聞w
眼科医w
125 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:18:26 ID:BpleXOmy0
>>103 鹿児島の隼人族・熊襲族は、黒潮に乗ってきたムー大陸の子孫
・俊敏な動きをするから、隼人族
・熊をも倒すから熊襲族
当時の大和芋民族が恐れをなして、こう呼んだ。だから闘って倒せないと悟ったヤマトイモタケルは、卑怯にも女装して熊襲族の首長を油断させて倒した。
126 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:18:36 ID:De5IYxsW0
うっとりと耳を傾ける地元の愚民どもが目に浮かぶw
127 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:18:38 ID:kRPvWMozO
ヒミカ
倭人伝を熟読してみると放射状には書いてないのである。
また宇佐説や九州の内陸や東岸、瀬戸内海方面に邪馬台国を
こじつけようとする人のために、都合よくは書かれていない。
お目あての場所に邪馬台国を持ってゆくために、
わざとそらとぼけて倭人伝を読まれるのか、まげて解釈されるのか、
奇々怪々の説が多い。
たとえば伊都国から先の記事を、
東南・奴国→東行・不弥国→南・投馬国→南・邪馬台国
といったふうに解釈するに至っては、どこをどう押せば
こんな解釈が生まれるのか、
おそらくこれは、誰かの読み下し文だけを読んで漢文が読めない人であろう。
原則として漢文は白文で読まなければならない。
奴国や不弥国は、先の「東南に陸行して五百里伊都国に到る」と同じ筆法で、
「東南百里にして奴国に至る」とも「東行百里にして不弥国に至る」とも書いてはないのである。
ここが非常に重要なところで、「東南至奴国」に対し、「東方至不弥国」ではなく、わざわざ「東行」と、
「東行すれば」の意味をこめて書かれているからである。
この部分は「東南の奴国に至るには百里」「東行すれば不弥国に至る百里」
と読めば理解し易い。
この二国を経由して投馬国へ行くのではなく、あくまで次の
「南至投馬国」「南至邪馬台国」を前提として伊都国から東南に奴国、
東方に不弥国、そして単純に南へ行けば投馬国があり、同じように邪馬台国がある
と書かれているのである。
だから奴国や不弥国へは陸行とも水行とも記されていない。
単に両国の位置と概略を示しているにすぎない。そうなると投馬国や邪馬台国へは
現在の陸地を博多湾からどうして水行できるのかということになるが、実はそれができるのである。
129 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:20:02 ID:hyVULt+V0
卑弥呼ってどっちのタイプ ?
A 細木数子みたいに、自分に逆らう人間に対して「地獄に落ちるわよ」って脅かして逆らえないようにする太ったおばちゃん的な権力保持者
B 美人でスタイル抜群。多くの男たちが、この子の為なら死んでも良いって言うぐらいな圧倒的な可愛さと萌え属性を持ったアイドル的な存在
130 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:20:06 ID:ScOzMKL70
邪馬台国か・・
おれまだ生まれてないや
131 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:20:29 ID:h/hKvbtE0
この人・・・・大分から選挙に出ようとしてんじゃないの。
132 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:20:40 ID:G/QLOl+5O
文字も使えない馬鹿大国だろ
133 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:20:43 ID:eyXpWi07O
>>114 海流的に北九州と大陸往復はきつくないか?
半島はギの領土だったっけな
134 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:21:40 ID:iwlYj8r80
大分にだ
135 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:21:59 ID:BNGH6S7f0
魏志倭人伝で辿ると九州のどっかだろ?遺跡があるかどうかは別にして。
>>130 君が産まれる少し前まであったんだよ
第二次世界大戦のアメリカの空爆さえなかったら・・・><
137 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:22:48 ID:ScOzMKL70
高千穂も近いし大分かもな
で高千穂って何時からあるんだ?
138 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:22:52 ID:h/hKvbtE0
今は魏のことより被災した蜀の心配をするべき。
139 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:23:25 ID:hyU/eTB/O
高校の時の日本史教師は近畿で断定してた
その人歴史ヲタだったけど、卑弥呼に関してはなぜか
「頭のイカレタおばはん。弟と称する人物がそこら辺で見つけてきた傀儡」
と史料・考古学無問題の超現実主義的解釈
140 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:23:37 ID:7RWmPc5F0
古事記などの編集者が歴史から消し去ったため、
>>129 巫女の言葉は神の言葉なので誰も逆らわなかったと思われる
当時の平均寿命は短かったので、美人かどうかは分からないがとりあえず若かったはず
142 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:24:18 ID:KvbwlFod0
>>110 吉野が里だと思う。ヒミカチャン人形売っていたよ。卑弥呼そっくり。
ちょうど孔明死んですぐだし、玄関口確保か
ヤマト国の副官に「ミマカキ」とか「イキマ」とか出てくるのはどう見ても「祟神天皇
(ミマキイリヒコ)」とその子の「垂仁天皇(イクメイリヒコ)」。
アホな当時の支那人が祭神・アマテラスを実在の女王と勘違いしたのが混乱の
始まり。
145 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:25:40 ID:12OhWRV/0
>>142 実際に吉野ケ里遺跡を行って見たことある?
どう感じた?
146 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:25:53 ID:7RWmPc5F0
だから真に必要な道路は建設するべき
147 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:26:18 ID:RkUzl7mK0
邪馬台国は徳島県です。
148 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:26:44 ID:afRUtODEO
うちのオヤジは卑弥呼はギリシャ人と言い張る
日本の皇室は2660年の歴史があるという噂だが
卑弥呼の時代に天皇は何をやっていたのか
天皇と皇室はウソつき
150 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:27:44 ID:ScOzMKL70
吉野ケ里うんこくせ〜
屋根とか壁はうんこで出来てるんだろ
ありゃ、ただの部落だろ
151 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:27:56 ID:1WNZ9fh+0
>>148 親父に教えてやれ卑弥呼はシュメール人だと
152 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:28:21 ID:UUgOInv50
ヒミカチャンの一族全滅だー
153 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:28:39 ID:hyVULt+V0
卑弥呼 175年-248年
諸葛孔明 181年-234年
つまり、卑弥呼は諸葛孔明よりも 6歳お姉さん
154 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:29:29 ID:8WRCCXy20
だいぶ市ってどこよ。
興味が沸いたら調べてみて
歴史はやりだすと楽しいよ
156 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:30:24 ID:qDsWFDr/0
滑って転んで大分市
157 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:30:37 ID:CihmeoRf0
眼科医が言うんならしょうがないな…
158 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:30:49 ID:h/hKvbtE0
っていうか、「卑」なんて文字が入ってる名前で呼ばれる奴なんて碌なもんじゃねー。
159 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:31:18 ID:T/spx4uwO
天照大神が居た高天原は高千穂でほぼ確定みたいだね。
で、東方に追放された素戔嗚尊が出雲で八股大蛇退治をやって、三種の神器を天照大神に送った。
で、神武天皇が高天原(高千穂)から天孫降臨で九州に降り立ち、東征を行い近畿地方を征服して大和王権を建てた。
161 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:31:26 ID:TDvOP1sWO
>147
徳島というか四国は邪馬台国よりはアークなんたらだろ?
剣山・カゴメ・つちのこ がキーワードらしいぜ
162 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:31:29 ID:Aucti8T60
ほほう
163 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:32:01 ID:wKa0l4YhO
何で女王なのに、卑なんて漢字を付けたんだろう
164 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:32:14 ID:qOsiWYrq0
宇佐いうな!
>>158 邪魔な国の卑しい女
邪馬台国の卑弥呼
中国が漢字当ててるんだけどねー
とにかく1800年前は卑弥呼が日本を仕切ってた
一体、天皇家ってのはいつ日本を奪ったんだ?
167 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:32:49 ID:12OhWRV/0
>>158 漢字の現代の意味は後付けだよ。
三国志の登場人物なんか酷いもんだよ。
168 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:32:54 ID:57PHP5vFO
昔から思っておったが海路だとほぼ真っ直ぐに進めるが陸路だと河や山や谷で
迂回せにゃならん道もあるだろう。
だから陸行○日なんて解釈はいくらでも出来る。
何故学者先生達は男塾の1話みたいな解釈で場所を特定しようと言うのか。
卑弥呼とかってフィクションじゃないのか?
>>158 おいおい、倭はどうする。
元来、中華思想で周辺には野蛮人しかいないとの感覚から卑下する言葉を当てた。
171 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:33:19 ID:AUl7aqov0
卑弥呼はアルバカーキの高校時代チアリーダーをやっていた
これ豆知識な
邪馬台国が古朝鮮であることは疑いない
174 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:33:50 ID:7RWmPc5F0
「卑弥呼、なんで魏なんだ」
175 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:33:58 ID:0JnuLASZ0
よだきーにだ
176 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:34:04 ID:Tp/3i2Hy0
別府の中国人密度にビックリ☆
日本人は日田に来い。日本人ばっかだw
177 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:34:13 ID:hyVULt+V0
>>163 ひみこ
日巫女(ひみこ)
日御子(ひみこ)
姫御子(ひめみこ)
日女子(ひめこ)
178 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:34:39 ID:FY4pSCr40
179 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:34:41 ID:ScOzMKL70
天皇家が朝鮮から来て
日本の歴史を抹消したからわからん
もっともっと奥深い歴史があったんだがな
基本的に中華秩序的に、東夷のヒミコとかに字を当てる場合、ほぼ確実に卑しい意味を込められた字を当てる。
虫偏とか
181 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 15:35:13 ID:i6eLdaDp0
>>133 まあ、魏志倭人伝の記述では帯方郡から北九州までの行程がきちんと
書かれているから、なんとか行き来していたんでしょうねぇ。
182 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:35:20 ID:qDsWFDr/0
U・S・A!U・S・A!
183 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:35:32 ID:5B8iwme/0
そんなアホな〜
いくら耶馬渓の耶馬が残っておろうとそりゃ〜ないよ
宮崎の高千穂に決まっとろうが〜
184 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:35:36 ID:CihmeoRf0
高天原は韓国にあるよw
いじめっこはいてこましたんねん
188 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:36:19 ID:Nd9KokGU0
ヒミコの父親の名前は幻龍斎。
豆知識な。
189 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:37:01 ID:Aucti8T60
ひみこかわいいよひみこ
190 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:37:17 ID:hyVULt+V0
>>163 ネット上でこんなカキコが・・・
>のんきさん
> ここだけの話なんですが、うちのおばあちゃんが卑弥呼のことをよ〜く知っていました。
> なぜ「卑」の字が使われたかも。でもおばあちゃんの遺言で他言してはいけないことになっているんです。
> ほんとは知ってるんだけど言えないの、祟りがあるから。
このお婆ちゃん、テラ凄すぎwww
191 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:37:21 ID:KvbwlFod0
>>145 今年の二月に行ってきましたよ。長年の念願が叶って。
想像以上に壮大で、中には宮殿まであって、その3階に卑弥呼の人形が置いてありましたよ。
背振山地を背にして、前方に筑後平野が広がっており、地形的にも気候的にも、大国であることは間違いない。
ここが倭国の中心であっても、ちっともおかしくないと思いました。
余談ですが、ヒミカチャン人形も買ってきました。
192 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:37:31 ID:BpleXOmy0
この時代のおなごは生理の時はどうしてた?
ナプキンやタンポンはまだしも、紙もなかった時代だろうに。
193 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:37:51 ID:Jh+2pWGd0
194 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:38:14 ID:h/hKvbtE0
ヤマタノオロチ、何で股は七つなのに八股なの?
196 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:38:52 ID:qOsiWYrq0
>>192 血が流れるから女は不浄とされたのじゃ……つまり流しッぱなしちゅうこっちゃ
>>184 韓国じゃなくて、朝鮮半島ね。そうかもしれん。
しかし当時、日本語を話す集団は、
朝鮮半島含む日本海沿岸に散在していたのではないか?
そういう事を言い出すと、
朝鮮民族は、大和民族の故地を侵略したもの。
任那地域は日本固有の領土で日本に返還すべき。
という主張も成り立つわけだが。
198 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:39:15 ID:G/QLOl+5O
宮内庁が古墳の調査をなかなか認めないのが怪しい(;¬_¬)
199 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:39:15 ID:QUlpi0Wc0
それじゃ箸墓古墳は卑弥呼の墓じゃないし
邪馬台国はヤマト政権の前身じゃないって言うのかよ
247年
邪馬台国から使者。
魏は、張政を邪馬台国に派遣
248年
卑弥呼死去。内乱になり、1000人以上が死ぬ。
13歳の台与を立てておさまる。
張政は台与に対し、”檄をもって告諭す”
266年
張政帰国。一緒に台与の使者も同行
張政は邪馬台国に20年滞在して、
卑弥呼→内乱→台与の
ちょうど移行期を見ていたことになる
ミマナ日本府とか何で教科書からなくなったんだろ
202 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:40:48 ID:kq6N52Zb0
周辺諸国条項w
203 :
125:2008/05/19(月) 15:40:53 ID:BpleXOmy0
>>178 卑弥呼は、黒潮に乗ってきたムー大陸の子孫
204 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:41:02 ID:KwR/ubbu0
西都にある西都原古墳の蓋が開かれたとき真実が分かるんだろうよ。
宮内庁の渋りの理由は過去に実例あったハズ
206 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:42:54 ID:Ytr1ShXZ0
面白かっこいいゼ!
207 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:43:19 ID:h/hKvbtE0
卑弥呼について確定していることは、彼女がオーブを隠し持っていたということだけ。
「邪馬台国」は豊後国だった (1980年) [古書]
209 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:43:52 ID:OrPJpDs90
火巫女は鹿児島だと思う、日は桜島。だから卑弥呼。
210 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:44:29 ID:AZ4osTvNO
べつに何処でもいいジャマイカ、
とりあえず青森でいいや
212 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:45:47 ID:G/QLOl+5O
宮内庁ていらなくね?
天皇家が2660年間日本を支配してきたというのを宮内庁は否定してほしいな
最初は武力で相手を殺して日本を奪いましたと言ってくれたら
古代史の研究もやりやすくなるだろうに
214 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:45:55 ID:b9xMHaxM0
あの時代に卑弥呼が日本を仕切ってたんじゃなくて、邪馬台国と同時期に大和朝廷
の元になる国が畿内にあったり、出雲には出雲国があったりで、それぞれ小国が
集まった連合体勢でしのぎを削っていたと考えるのが自然だと思う。
その後、畿内の大和国が勢力を増して、出雲や九州の邪馬台国連合を制服か吸収
したんだろ。
215 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:45:55 ID:jkResFW6O
短里で計算しても大分にはならなくない?
>>210 卑弥呼とキリストの夢のコラボレーションですね
わかります
217 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:47:02 ID:h/hKvbtE0
っていうか本当に卑弥呼なるものが存在したのかどうか。
218 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:47:51 ID:oIAeLBqI0
大分あたりにあったってのは松本清張が何かの短編の中で
すでに書いてなかったっけ?
>>210 いくらなんでも邪馬壱国をジャマイカと読むのは無理じゃね
220 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:48:20 ID:aBGFp/CZ0
大分は豊の国だからな。豊=台与と考えて、邪馬台国は大分だと思うよ
ただ大分市はないな。宇佐あたりだろうな。だいたいあんな糞田舎になんで宇佐八幡
があるのか。おそらく宇佐八幡=卑弥呼の墓だろう
221 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:49:21 ID:Aucti8T60
わさだタウンですねわかります
地域はともかく、邪馬台国は山間の小盆地のようなところにあったはず。
当時の照葉林農業では、大規模な平野をコントロールする能力はない。
223 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:49:42 ID:Xs4UZY1t0
TVで四国だって、いってたよ。
天皇関係は倭の五王とか神功皇后の遠征とかめんどくさいナリよキテレツ
225 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:49:47 ID:12OhWRV/0
>>191 東に対する備えは強固なものを感じさせるけど、
西に対してはほとんど無防備のイメージだよね。
しかも北側に亀棺が大量出土。お墓だね。
矢の刺さったままの遺体が数多く出てる。
つまり吉野ヶ里は東に敵勢力を持つ戦闘集落ではないかと。
国の指導者がそこに住んでいる「本国」とはとても考えられない。
吉野ヶ里が邪馬台国の出先集落とすると本国の邪馬台国は当然
吉野ヶ里より西側に位置しないと変だな。
だから吉野ヶ里は邪馬台国ではないと思うわけよ、おれは。
逆に、邪馬台国と敵対していた国とするほうが自然だろ。
226 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:50:21 ID:71fhhz0CO
みんな忘れてないか、アダルトのひみこを
227 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:50:50 ID:2sn7ZhPA0
「さいたま市の眼科医」が歴史を語るのか。
229 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:51:12 ID:BNGH6S7f0
海底遺跡のやつがそうじゃね?
八幡が流行ったのはもっと後じゃね?後三条とか
231 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:52:34 ID:BQFndihj0
まあ、最近の学説で一番有力なのは、沖縄説だったよね。
232 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:52:48 ID:qOsiWYrq0
>>220 台与じゃなくて壱与だという説もあるな。
ならば壱与=伊予で、邪馬台国を愛媛だと考えてもいいよなw
233 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:52:50 ID:jmdAoA8k0
とりあえず 「卑弥呼」 はやめれ、蔑称の当て字だぞ。
「日巫女」 とか、ちゃんと改めるべき。
埼玉の日本王国は
235 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 15:53:01 ID:i6eLdaDp0
そして、畿内にあった狗奴国は北九州にあった邪馬台国を滅ぼして、
その後、狗奴国は邪馬台国から大和の称号を奪って大和と名乗る
ようになったのだと思います、そもそも大和という名前は大きな和
という字を見れば分かるように和国を束ねるというような意味であり、
とてつもなく尊大な名前であって、普通の国名とは思えません、
たぶん大和という名前は皇帝のような称号だったのだろうと思います、
つまり、邪馬台国が初代大和であり、その後に邪馬台国を滅ぼした
狗奴国が邪馬台国から大和の称号を奪って大和と名乗るようになった
のだと思います、それから、大和という字をどうしてヤマトと
読むようになったのかというと、初代大和がヤマトという名前の国
だったため、大和という称号をヤマトと読むようになったのだと
思います。
236 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:53:38 ID:1YWwWoZ5O
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。
南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…
どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。
邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国のの様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。
海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
237 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:53:44 ID:5LgRMA+nO
卑弥呼じゃなくて卑奴呼というヌコがいたんだろ、大板に。
238 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:53:44 ID:Aucti8T60
お前ら大分に嫉妬しすぎ
佐賀じゃなかったの
240 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:54:15 ID:hyVULt+V0
2000年前に、日本で卑弥呼率いる邪馬壱国対ニニギ(天皇家)率いる大和帝国の壮烈なる戦いが日本であったと言う事ですね。
卑弥呼の武器は鬼道
ニニギの武器は光学兵器(三種の神器)
その時の戦いで、琵琶湖が出来たと言われる古代の戦争ですね。
241 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:54:18 ID:G/QLOl+5O
俺真実知ってるけど教えない
佐賀県民だから佐賀に邪馬台国があると信じて疑わなかったのだがまほろちゃんを知ってなんかどうでもよくなった
243 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:54:29 ID:MhKHoEzM0
244 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:56:50 ID:jmdAoA8k0
倭人伝 → 日本伝
邪馬台国 → 大和国(日本国) ※やまたい → やまと
卑弥呼 → 日巫女(日の巫女)
蔑称をそのまま使い続けるのはよろしくない。
>>228 歴史学者は、学閥としがらみで変な研究ができない。異説なんて立ち上げたら
破門だ。だから新説っていうのは、いつも専門外の人が立てる。
246 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:57:39 ID:PJAs3SgIO
で、っていう。
247 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:58:47 ID:pQ29mVC80
>卑(ひ)弥(み)呼(こ)と邪(や)馬(ま)壱(い)国(こく)
なんか面白かったw
248 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:58:50 ID:DGokpBRS0
甘木市だと思うが‥‥
249 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:59:05 ID:12OhWRV/0
>>243 山門も山戸も違う。
山門はお寺があるところの地名。お城からお寺を見て数キロ手前を山門と呼んだりする。
山戸は市場。戸は市場のこと。
いや、俺の勝手な説だけどw
>>245 学閥はマジで学問を腐らせる
超同意だが大分はTom的にBカップ
251 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:00:19 ID:aBGFp/CZ0
狗奴国は邪馬台国の南なんだから、どう考えても熊本だろう
菊地彦なんてそのまんまじゃないか
252 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:00:28 ID:MhKHoEzM0
ヤマタイ国は
山の大きな国だったりして。
八岐伊国
253 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:01:01 ID:+o6gztKy0
>>213 大陸の歴史のように攻め込んで虐殺したのであればそれと同じように大量の骨が遺跡から
でてきてもいいし、また、言語や文化が完全に入れ替わるはずで、どこから来た言語かわかるはずなんだけど
そういうのないでしょ。融合し新しい文化に発展していったんだよ。独特な古墳にしろどでかい銅鐸にしろ。
隣の国みたいに古代史に圧力かかってるわけじゃないでしょ。
254 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:01:07 ID:1YWwWoZ5O
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。
邪馬台国畿内説を成立させるならば
1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした
2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた
3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた
4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた
5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った
このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。
重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
255 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:01:09 ID:G/QLOl+5O
俺小学生の頃から歴史が好きで
よく古墳巡りとかしてたんだ
時効だから言うけどよく掘ってたよ
そこで見つけたんだよ卑弥呼の墓の証拠。
256 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 16:01:34 ID:i6eLdaDp0
>>243 たぶんそのような名前だったと私も思います、大和という字はどう見ても
ヤマトとは読めませんから、たぶん狗奴国が大和という称号を邪馬台国
から奪った時に大和という称号をヤマトという初代の大和の国名で
呼ぶようになってしまったのだろうと思います。
257 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:01:47 ID:27T+KZZV0
昔の国のことでケンカばっかしやがって!
・・・ここは間をとって長崎県だということにしないか?
→狗邪韓国 東行・南行。水行7000余里。
→対馬国 水行1000余里。
→一大国 南へ「瀚海」を渡る。水行1000余里。
→末廬国 海を渡る。水行1000余里。
→伊都国 東南へ陸行500里。
→奴国 東南へ陸行100里。
→不弥国 東へ陸行100里。
→投馬国 南へ水行20日。
→邪馬台国 南へ水行10日、陸行1月
不弥国までは、距離だったのに、そのあと
急に日数になってる
259 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:03:18 ID:MhKHoEzM0
>>249 それは後世、仏教徒を門徒とか呼んだってことでそ。
(それも真宗限定?)
俺は邪馬台国は暗黒ひも宇宙にあると思う
誰かタイムマシン作れよ
歴史問題が全て解決するぞ
新たな火種になるだろうけど
262 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:04:14 ID:0CMbLP2W0
加羅
↓
佐賀
↓
大分
↓
宮崎
↓
徳島
↓
奈良
の東遷説が正しい
異論は認めません
263 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:04:32 ID:G/QLOl+5O
俺が死ぬ前には発表するから待っててね。
264 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:05:44 ID:FpfMk38bO
>>254 全て疑いと否定をしだしたら、
どこまで邪馬台国になるわな。
ここまでDMC無し
もう邪馬台国論争って田舎の学者どもの誘致合戦みたいになってるから
九州・近畿出身者の学説ってのは一切信用ならんね。
267 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:06:00 ID:MhKHoEzM0
>>256 もともと「やまと」は「倭」表記。
時代が下るにしたがって、「倭」→「和」→「大和」
どの漢字をあてようと、「やまと」は「やまと」。
ただ最初の、シナから当てられた当て字が「卑しい字義」を持ってたのに気づいて変えたんだべ。
268 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:06:08 ID:hyVULt+V0
スレとはまったく関係ないが、
大分に雄城神社というのがある。
そこに祭られているのは、政治的な功績はないので歴史の表舞台にこそあまり出てこないが
日本史上最強であろう源為朝。
2mをゆうに超える身長に八人張りの強弓を操る。
その威力は1人を貫通させて後ろの者の袖に突き刺さったり、大船を一本の矢で沈めてしまうほど。
あの平清盛も戦慄して戦いを避けたという。
俺はそいつに迂闊に背後を見せて闇討ちよろしく後頭部を射られた、といっても信じるやつはいるまい。
270 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:07:54 ID:0CMbLP2W0
いや、ごめん、嘘
徳島→奈良説が一番正しい
国東の宇佐って推理小説でいってたな
また嘘吐きさいたマンか
273 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:10:19 ID:aBGFp/CZ0
>>258 投馬国・・・佐賀市、吉野ヶ里あたり。糸島から方角的に南だし、水行なら長崎の方を
通れば20日ぐらいかかる
邪馬台国・・・宇佐あたり。そこから筑後川を10日ほど上り、山奥深い耶馬溪を1月かけて
歩けば、女王国である宇佐に辿りつく。方角的にも糸島から南と言えば南
274 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:11:26 ID:tmm+sU4/0
ヤマタイとヤマタノオロチは関係無い?
邪馬台国が出雲にあったとか
"サイの金玉→ゴールデン埼玉"ってのあったね。
宇佐説って卑弥呼=神功皇后とかいうやつ?
>>269 鎮西八郎為朝は昔は有名だったよ
ウルトラマンとか仮面ライダーが出てくる前は
子供たちのヒーローは鎮西八郎為朝とかだったんだから
わが東池袋こそ卑弥呼の国にきまっている
神功皇后なら仲哀天皇の立場は…
>>276 つーか日本書紀の編纂者たちは支那正史に出てくる卑弥呼は神功皇后だと
思い込んでいた。
282 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:14:19 ID:MhKHoEzM0
日本書紀編纂は、舎人皇子監修だっけ?
でも書いたのは確か帰化人の官僚だったキガスんだけど。
古事記は、稗田阿礼の暗謡と太安万呂の筆記
邪馬台をヤマタイと読んで台与をトヨと読むのは何故?
284 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:16:03 ID:SMiddNWTO
日御子が治めてたのだから大和国に決まってんじゃん。
倭人伝にあるとおり、後継者が、外宮の祭神トヨ受姫神だよ。
日御子が今の天照大神である以外に何の比定が有り得るのだ。
285 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:16:04 ID:LnIeeLBf0
大分以外の人間が主張するなら信じてやるよw
286 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:16:14 ID:8koGmO/y0
大分県民の俺だが、別に邪馬台国なんかいらんぞ。
誰が旗振ってるかは知らんが、そんな物は福岡あたりにあげとけ。
287 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:16:16 ID:12OhWRV/0
>>277 あー、ウチの家系図の始まりは源為朝になってる。
阿蘇氏の娘との間にできた子がオレの祖先だって。
流刑地からどうやって脱出したのかは知らん。
神功皇后の頃の半島は、新羅だの百済だのの時代。
邪馬台国の頃は、馬韓、弁韓、辰韓だから年代が違う
290 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:17:35 ID:2agE0ELC0
>>273 投馬は「つま」と読んで、西都市の都万神社をあててる学者もいたような。
291 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 16:18:35 ID:i6eLdaDp0
>>251 魏志倭人伝の邪馬台国の位置についての記述には様々な矛盾がある
のだから、狗奴国が南にあるという記述も疑うべきです、たぶん
邪馬台国が北九州にあって、狗奴国は畿内だったと思いますよ、
それと、大和政権が大和と名乗っているのを見れば分かるように、
畿内にあった狗奴国は元々倭国の一部だったのだろうと思います、
少し前に倭国大乱があったそうですから、狗奴国とはその倭国大乱
の時に争いに敗れて北九州の地から追われて畿内に落ち延びて
いった一族が作った国だったのだろうと思います、邪馬台国と狗奴国
の仲が悪かったのも、狗奴国が倭国大乱の時に争いに敗れて北九州
の地を追われた事を恨んでいたからだと思います。
292 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:18:48 ID:7RWmPc5F0
>>288 おれ全然わかんないけど、こういう研究は日本よりも中国のほうが研究進んでるんじゃないの?
>>277 うちの町の昔話に八郎為朝出てくるよ
なんかおろちがいたから美女で釣って弓で射たんだってさ
294 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:20:41 ID:yvFLh9q70
あれ?
韓半島じゃなかったのか??????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????
女性は、家畜以下だったという突っ込みは、無しでw
295 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 16:21:37 ID:i6eLdaDp0
>>267 井沢元彦さんも、大和はヤマトと読めないという事を指摘していますよ。
敵の狗奴国の男王の名前が卑弥弓呼
って、卑弥呼とそっくりなのはどうなのよ
(狗古智卑狗を王と勘違いしてる人も多いがそっちは狗奴国の官)
俺は大分県民だが、邪馬台国なんてものはいらないからガソリンを値下げして下さい
298 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:22:55 ID:V2vDV1gi0
徳島だろJK
300 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:23:25 ID:+o6gztKy0
>>291 狗奴は遊牧民なのでスッテプ地帯がないと興味を示さないはずですよ。
力も発揮できない。今の朝鮮北部が限界だとおもうよ。
301 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:23:44 ID:SMiddNWTO
>287
それは出自のはっきりしない、胡散臭い血筋の奴が、
成り上がって家系図を作るようになった時の、典型パターンだよ。
流れのヤクザ者に孕まされたとか、確認しようにも追跡できない所に、
適当な貴種をくっつけるのだよ。否定するのも不可能になる。
そういう家系図を持ってる人は、「ここから先は正体不明のヤクザ者で辿れない」と思わねば駄目。
そんなん自慢してると、本当の血筋の正しい人に笑われて、いつかショボーン(´・ω・`)とする。
302 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:24:15 ID:FY4pSCr40
>>258 そこが問題。
放射説なら伊都国(奴国)から邪馬台国までなら南へ水行10日、投馬国までなら南へ水行20日。
呉が倭国に接触しようとしている中、使者は倭国の30カ国を魏の味方にしなければならない。
当然、通過地の豪族にも顔つなぎしながら邪馬台国に向かうことになる。
通いなれた者が最大速度で移動すれば3日もあればいけるところを実際には使者が10日かかったとき、魏王に対して「おそらく3日でいける」と報告するか「10日かかった」と報告するかということ。
しかも魏志倭人伝には倭国の状況の詳細な報告が載っている。
あれは1月は踏査しないと書けないはずで帰りは陸路を1月。
穴門豊浦宮(あなと の とゆら の みや) 仲哀天皇二年九月
<山口県下関豊浦村 忌宮神社・伝豊浦宮址>
>>301 天皇家が成り上がったときに作ったのが、古事記と日本書紀だろ
305 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:26:36 ID:MhKHoEzM0
>>295 だって当て字だもん。
シナ人製当て字の「倭」だって、どう読んでも「やまと」なんて読めないでそ。
306 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:27:16 ID:RGFlK95w0
>>288 後代「台」とみんな書いてるから、その前からも「台」にきまってんじゃんw
↑
こんなのに納得しちゃうんだ
>それも『倭人伝』のみに
>「春秋の筆法」と同じく、真実を隠約のうちにまぎらかす、韜晦の筆法が認められる
「倭人伝のみ」真実をごまかしているように見えるのは読んでる奴にとって不都合だから、というのが正常な人間の思考
307 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:27:46 ID:+o6gztKy0
308 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:28:09 ID:12OhWRV/0
>>301 そんなことはわかってるよ。
だって途中何回も(○○代略)って書かれてるんだぜw
はっきりしてるのは明治以降だし。
親戚一同だれもありがたがってないしwww
近衛姓とかでもない限り妙な血統自慢は止めた方が身の為w
「卑弥呼」じゃなくて「秘巫女」だったらもうちょい歴史に興味が持てたかもしれん。
意味的にはこっちのほうが合ってるだろ。
311 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:28:35 ID:zEV1tXJ90
ここには卑弥呼にお世話になった香具師が多いのではないか。
312 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:28:36 ID:6X7JwVfR0
おれ中国人だけど邪馬台国の発音は主流の北京語で「シェマタァイ」
で全然ヤマトじゃないんだよね。
問題は中国は地域が広くて言葉の地方弁もハンパない、言語的には
政変による移転で北京語より南部広東語のほうが古中国語に近いらしく
広東語は「チェマトォイ」でこっちも全然ヤマトじゃないんだよね。
313 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:29:55 ID:Oidzf5+J0
>>47 「壱」は誤植じゃね?と誰だったかが注釈入れてるはず
裴松之だっけ
314 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:29:57 ID:lNYDTTR60
流石眼科医だ
目の付け所が眉の下だぜ
>>194 本当は9脚のオロチ=つまり九尾のキツネ
というのが俺の妄想。
316 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:30:22 ID:d/Yryy6S0
>>197 :名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 15:39:05 ID:5gbj2SA30
>>184 韓国じゃなくて、朝鮮半島ね。
朝鮮半島ではなくて、東シナ半島ね。これが正しい。
317 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:30:42 ID:bteu6lQPO
卑弥呼より飯島愛にお世話になりました
318 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:31:10 ID:WXrJ2Gir0
つまり、卑弥呼は別府温泉に浸かってだんご汁で一杯やってたと。
>>312 「日曜特集・新世界紀行」で
古代中国語の研究家(中国人)に
なんと読むか確かめてたよ
320 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:31:30 ID:0CMbLP2W0
>>258 だから、それは、徳島に邪馬台国があって、
→狗邪韓国 東行・南行。水行7000余里。【朝鮮半島南部】
→対馬国 水行1000余里。 【対馬】
→一大国 南へ「瀚海」を渡る。水行1000余里。【壱岐】
→末廬国 海を渡る。水行1000余里。 【佐賀】
→伊都国 東南へ陸行500里。 【福岡】
→奴国 東南へ陸行100里。 【福岡】
→不弥国 東へ陸行100里。 【福岡】
→投馬国 南へ水行20日。 【大分・宮崎あたり】
→邪馬台国 南へ水行10日、陸行1月 【四国上陸、徳島へ】
といった感じで、地形に沿って海を下ってたから、
方向感覚と距離感覚が麻痺して、そういう記述しか
できなくなったわけだ。
321 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:32:14 ID:pXpe+VvKO
まぁ宇佐辺り掘り返して見れば判る筈なんだけど。
322 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:32:40 ID:WspzyUKY0
まあ、当時に倭人伝に記載されている程度の人口を有し、且つその人口を
支えれる食料を自給出来て、多少海外との交流が出来る状況の場所である。
そして、その時代の古墳を有する事・・
もう、宮崎の西都だけだろ?
323 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:32:43 ID:7RWmPc5F0
あいまいな書き方をした中国人が悪いんだよ。
子孫を問い詰めに行こうぜ。
ねえよ馬鹿、と大分市民がばっさり
>>306 ああそうなの? 別にいいけどw
なんか説明の整合性が取れてたなと思っただけだよ
漢字の部分のね
326 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:33:50 ID:OmgkGh45O
ほー。ハイキングウォーキングの
Q太郎に聞けばいいじゃん。
あの人、タイムカプセルに入ってて
最近になって出て来たはずなんよ。
327 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:34:06 ID:SMiddNWTO
天皇家だって、古代を辿れば、何だか分からない地方豪族だったに違いないが、
その、何だか分からない先に、神様を繋いでいる。
家系というのは、そこから先を大切にしてることしか誇れない。
出自そのものは、秀吉や家康がやったように、自由に付けかえられる。
誰だか分からないヤクザ者の所を放浪の貴種に付けかえるだけだから。
だから、そこを自慢したらいかん。そこから下、一族の責任で正しく守ってきた部分は自慢となるが。
陳寿は大海を航海するときは必ず「海を渡る」と表現していて、
「水行」とは表現していない。
つまり水行とは岸の近くの海または川を行くという意味で使われているのである。
それではいまの佐賀市あたりから南に「水行十日」(約100キロメートル)下るとどこに着くか。
私の推測地は熊本県の八代である。
その八代に流れ込んでいる球磨川をさかのぼると人吉盆地に入る。
人吉から湯山峠を越えて西米良を通り、さらに一ツ瀬川を下ると
宮崎県の西都市に出ることができる。
この道は古代人が熊本県から宮崎県に歩いていける唯一の道であった。
これ以外の道は山また山、道なき道でで古代人には通行することはできなかっただろう。
八代から西都まで約150キロメートル近くあり、
険しい山々を越す道は優に「陸行一月」はかかったものと考えられる。
こうして考えていくと、答えはただ一つ。
女王卑弥呼の住む都、邪馬台国は宮崎県の西都市にあったのである。
329 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:34:48 ID:6X7JwVfR0
日本語だって同じ文字でも時代によって発音変わるだろ?
文字の発音的にはまったく意味ないのにいつまで言ってるんだろうね
いろいろ飾りつけちゃ他所を悪く言って悦に入ってるが
所詮日本人は韓国人と糞みそいっしょだからこじつけるのがすきでやめられないんだろうね
昔ムーであったな。方角がどーたらこーたら。
331 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:35:26 ID:0CMbLP2W0
>>258 だから、それは、徳島に邪馬台国があって、
→狗邪韓国 東行・南行。水行7000余里。【朝鮮半島南部】
→対馬国 水行1000余里。 【対馬】
→一大国 南へ「瀚海」を渡る。水行1000余里。【壱岐】
→末廬国 海を渡る。水行1000余里。 【佐賀】
→伊都国 東南へ陸行500里。 【福岡】
→奴国 東南へ陸行100里。 【福岡】
→不弥国 東へ陸行100里。 【福岡】
→投馬国 南へ水行20日。 【大分】
→邪馬台国 南へ水行10日、陸行1月 【四国上陸、徳島へ】
といった感じで、地形に沿って海を下ってたから、
方向感覚と距離感覚が麻痺して、そういう記述しか
できなくなったわけだ。
332 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 16:35:35 ID:i6eLdaDp0
333 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:36:58 ID:S+JbwS57O
地理的利便性から考えたら 半島に近いから あながち否定は出来ないよね。
334 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:37:09 ID:7sY/C6mW0
歴史詳しくないんだけど
邪馬台国=大和朝廷の起源というのは
通説なの?
335 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:37:58 ID:bteu6lQPO
すべってころんで おおいたけん〜
336 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:38:21 ID:bYP0uYS30
「やまいち」ってもつ焼きの店か。
337 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:39:03 ID:KvbwlFod0
>>225 2泊3日のパック旅行の二日目が自由行動だったので、別府の宿から朝一で、大分から久大線経由で行きました。
途中湯布院辺りからは吹雪の中でしたが、福岡県側の平野に出ると天気も打って変わり、また筑後川を挟んだ広大な平野は、
いかにも温暖で、肥沃で大国の条件を満たすにふさわしい地域ではないかと思いました。この平野全体が邪馬台国なら納得です。
338 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:39:47 ID:RGFlK95w0
>>334 江戸時代の国学者にまで遡る由緒正しい痛説です
>>329 成功した人間に集る知らない親戚みたいだなw
>又渡一海千餘里至末盧國(略)
>東南陸行五百里到伊都國(略)
また、千余里程海を渡ると末盧國に着く。(略)
陸に上がって東南の方に五百里ほど行くと伊都国に着く。(略)
>自女王國以北特置一大率儉察諸國
>諸國畏憚之
>常治伊都國於國中有如刺史
>王遣使詣京都帯方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津捜露傅送文書賜遣之物詣女王不得差錯
女王国より北には、一大率という指令官を置いて、諸国を監視させている。
諸国は指令館を大変恐れけむたがっている。一大率は伊都国にいるが、
国中に監視員を派遣していろいろ報告させている。王の使いが魏の都、
洛陽や帯方郡や韓国から帰還した時、また、郡の使節が倭国へ行く時は
みな津で文書とか送り物とかを点検し、不足や食い違いがないようにして
から女王のもとに運ばせる。
という事で、壱岐対馬を渡って末慮国に至り、地上に上がって最初の国で
ある伊都国は、明らかに九州。そして、伊都国は邪馬台国の北にあると
言っているんだから、邪馬台国も九州。どうやったら近畿に持っていける
というのだろう。
今の朝鮮人と日本人はDNA的に別人種だろYAPだかなんだかで
古代の半島人と今のは別種
342 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:40:57 ID:SMiddNWTO
安徳天皇陵を勝手に作ってる徳島が何を言っても信用なし!
徳島には何にもなし!
何か本当に由緒正しい物が有れば、それを誇るはず。
不都合なことは、なんでもかんでも狸のせいにするしぃ。
343 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:41:07 ID:OrPJpDs90
距離は間違っても水上で方角を間違うことはないな。
よって畿内説は信じない。
ひみこはやらしいふぇらをしたよ
>>341 その日本人は誰の事?
天皇のDNAを日本人のDNAと言うのか?
>>340 海路についての記載がないんだよ。
また、当時の遺跡として、中央集権的な色を見せていたのが出雲なんだよ。
347 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:42:56 ID:RGFlK95w0
>>340 >どうやったら近畿に持っていけるというのだろう。
劣等シナ人の書いたものなど信用できない、俺様の妄想のほうが正しいに決まっている、でおk
348 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:42:58 ID:FD1vq+gZ0
邪馬台国は日本人の心の中にあります
349 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:43:22 ID:FY4pSCr40
壱じゃなくて臺
倭人のルーツは、商蓋国すなわち曲阜の南にあり、泰山付近から山東半島の南部
そこに「瑯邪臺」がある。
ttp://www.yasue.cc/san_hoi_ging15.html 瑯邪臺は東の海から昇る太陽を祀る場所で「邪」といえばそれは「瑯邪」を指す。
倭人が日本列島に移り住み新たに建てたのがおそらく「邪馬臺」。
また「臺与」が「トヨ」なら「邪馬臺」は当然「ヤマト」と読む。
350 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:43:28 ID:aBGFp/CZ0
魏志倭人伝によれば
帯方郡から女王國までの12000里だぞ
帯方郡から伊都国までで既に10500里
残り1500里
これでどうして近畿なんだ?どう考えても九州。それも北部九州しかありえない
べろんべろんになめまわしてたよd0u0
352 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:44:00 ID:bteu6lQPO
末盧国は長崎の松浦かいな
353 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:44:08 ID:MhKHoEzM0
穴門(あなと)仲哀天皇二年九月
水門(みなと)仲哀天皇八年正月
○○(やまと)
もうどこでもいいよ
邪馬台国はみんなの心の中にあるんだよ
355 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:45:15 ID:RGFlK95w0
>>350 >これでどうして近畿なんだ?
劣等シナ人の書いたものなど信用できない、俺様の妄想のほうが正しいに決まっている、でおk
>>345 なんで天皇がでてくんだ?
そんなに好きなん?
357 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:45:27 ID:sVQKR8cZ0
徳島という説(テレビより)
ウィキによると徳島も近畿地方で扱ってるものがあるので
近畿地方に邪馬台国があってもおかしくないw
358 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:45:37 ID:Xr3Md+i/O
ヤマタイ国が訛ってヤマトになったんだろ?
こんな事にも気付かないのか?
359 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:46:13 ID:HkqJqzDp0
まだ国内の学説ですらまとまっていないということは韓国起源説もありえるわけか
太古から影響受けてきたお前ら涙目wwwwwww
>>356 天皇は日本の象徴なんだろ
つまり天皇のDNAこそが日本人のDNAなんだろ
361 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:47:12 ID:/WungQkx0
* (⌒⌒) *
* !i!i +
⊂⊃ n /~~\ n ⊂⊃
+ (ヨ/*^ω^*\E) 山たい
..............Y傘傘::::傘傘Y...............
362 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:47:29 ID:0CMbLP2W0
>>334 通説だね。
既に九州を押さえていた四国勢力が、
奈良に進出して、出雲勢力を征服、
「国譲り」完成。
>>346 >女王國東渡海千餘里復有國皆倭種
女王国から東へ千里ほど海を渡って行くと、また国がある。
こちらが出雲とか吉備、畿内方面を指しているのでは?
364 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:47:35 ID:ma8gke3n0
>>160 日本文化の源泉を感じる事ができて面白いね。
当時の彼等たちの全てにおける時間軸の概念って
どんな感じだったんだろうねエ。
例えば80,90歳生きとるとか書いてるけど、
1年365日としての年齢なのかとかね。
まあ、魏志倭人伝を書いたエロイ人も、
蛮国だから適当で良いかという感じで書いたモンだろ。
なんか疲れが滲みでている文書だとオモタw
畿内だよ。鹿男あをによしでやってたもん
366 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:47:59 ID:12OhWRV/0
>>337 オレも筑後説なのよ。
筑後平野は筑後川、矢部川の2本の川に後ろに山、
前面に有明海と防御にも適してるし、食うに困らない場所。
食うに困らないということは当時としては最も重要な要素。
なぜなら幼児の死亡率が下がり人口が増えるから。
人口が増えると生産性も上がり、軍も強くなる。
邪馬台国かどうかはわからないけど、強い国があったことは間違いない。
その国が目と鼻の先の吉野ヶ里と敵対してたと思われる。
邪馬台国が魏志倭人伝に載ってから、およそ1世紀、倭国の歴史は空白のまま
次に倭国が中国史に登場するときには、既に大和朝廷の形ができあがってる
この一世紀に何があったのか、知る方法はないんだろうな・・・
大分は吉四六さんと、下町のナポレオンだけでいいじゃん、贅沢言うなよ。
と思う元大分県民w
369 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:50:28 ID:0CMbLP2W0
>>367 遺物から分かる。
徳島に古い古墳が集中していて、
それが奈良に移り、周辺に拡大している。
つまり、四国勢力が、近畿を乗っ取り、
全国を平定した。
古代の天皇のDNAサンプルあるならその言も多少理解できるが
その天皇執着は妄執に近いな
371 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 16:51:16 ID:i6eLdaDp0
>>350 少なくとも、邪馬台国の使者が北九州の地を訪れているのだから、
北九州は邪馬台国の領土の一部だったはずだし、もし邪馬台国が
畿内にあったのだとすると、邪馬台国とは北九州から畿内に至る
までの広大な地を傘下に治めていた巨大な帝国だったという事になる、
そうなると、それほどまでに巨大な帝国だった邪馬台国と争って
邪馬台国を苦戦させた狗奴国もまた、邪馬台国に匹敵するほどの
巨大な大国だったはずだが、当時の日本では畿内よりも東方に
そのような巨大な帝国が存在した形跡は無いから、邪馬台国が
北九州で狗奴国が畿内だったと見るのが正しい。
372 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:51:22 ID:OA8OMQj10
はいはいモナカモナカ
>>370 じゃあ、お前のいう日本人のDNAって誰のDNAだよ
お前のいう日本人のDNAと天皇のDNAが異なる場合もあるんだな
>>367 大化の改新のとき、蘇我邸と一緒に焼失した
と言われる天皇記など、古事記より古い書物が
見つかれば
375 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:53:28 ID:SMiddNWTO
いや、当時の支那人にとって、日本と朝鮮と山東省あたりの区別も、
位置関係も、定かではなく、そもそも大して興味なかったろう。
だから日本を朝鮮だと思って、記載を調整したかもしらん。
ならば、ヤマタイが日本列島にあるという前提で、しかも記載に最も近い所を探せば、
それは朝鮮の隣、北九州に思えて当然だがな。
しかし、ならば無理して日本列島に有ると思わず、朝鮮だと思ったって良いではないか。
行き方については、全く信用が置けないと思って見れば、ごく普通に大和だろう。
>>369 淡路島は阿波路(徳島ヘ至る路)島だから四国に源流があったら、大八島国みたいな
きわめて古い神話に淡路って記述は出て来ないと思う。
377 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:55:12 ID:sWcS1Vp40
久しぶりに雷火が読みたくなったw
そもそも前提としとる時代が違うからね
まだ貝ひろたりしてた時代だから
そっちはかなり後の時代を言うてる。
すげえ関係ないが
大分駅近くの地鶏ラーメン食いたい
卑弥呼の時代っていわゆる弥生時代でしょ
原始人みたいな日本人がいきなり発展するのは
インディアンを征服して他所から進歩した人が移住してきたと考えるのが普通だよな
381 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:57:38 ID:FY4pSCr40
そもそも大和朝廷は、神武天皇ことイワレヒコが宮崎県の日向海岸から出発して近畿に建てたもの。(本当はイワレヒコは近畿に移っただけで、大和朝廷ができるまでに10代近くかかっている)
近畿説の根拠は「魏の鏡がたくさん出土していること」だが、それが本当にヤマトのシンボルなら九州から近畿にごっそり持っていくはず。
大和朝廷が近畿であるのは誰も疑っていないが、邪馬台国が近畿にあったなど考えられない。
(俺も大阪なんで最初近畿説だったが、調べるほどありえないのが解かる)
382 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:57:43 ID:QYA36Ltb0
ここかよw
いらんがなそんなもんw
383 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:58:20 ID:6pb+WEG20
よくわからんが俺の中ではイヨ(トヨ?)のほうが萌える
384 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 16:59:17 ID:12OhWRV/0
>>377 あの人間と猿のあいのこみたいなのスゲー気持ち悪いよな。
読んでて怖かったー。
今のCG技術なら映画化できると思う。
その征服者はどう進歩してきたか考えたらそれはおかしいと気づく
祖国を追われて長い航海の果てに四国に辿り着いた古代ドナリエラ人が四国人と力を合わせて日本の基礎を作り上げた。もはや常識の域かと
書いた人に聞きに言ったら「知るかよそんなクソ田舎」って
言い返されて終わりなんでしょうか?わかりたいです。
>>383 台与は「とよ」と読むのに、
邪馬台国はなぜ「やまとこく」と読まないの?
昔から不思議だった
>>385 世界史と日本史を比べると悲劇的に日本は原始人なんだよ
それがいきなり発展した
優れた人間が日本に引っ越してきたとしか考えられない
390 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:01:19 ID:0CMbLP2W0
当時の状況としては、
中国(出雲)勢力
vs
九州・四国勢力
vs
九州南部勢力
の3重構造だった。
そこを、四国勢力が奈良を拠点に
出雲を落として平定。これが結論。
世界史と比べるならポリスあたりと被るじゃん
392 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:02:15 ID:T/spx4uwO
>>381 その前に、大和朝廷と邪馬台国は繋がりがないわけだが・・・
393 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:02:18 ID:LcM8Dhxp0
>「古事記などの編集者が歴史から消し去ったため、幻の国になってしまった」
ちょっと待て
古事記を作った太安万侶や稗田阿礼は、500年も前にあった1地方国の存在を知っていたのか?
394 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:02:48 ID:RGFlK95w0
>>381 >近畿説の根拠は「魏の鏡がたくさん出土していること」
しかし考古学的現実は
「魏の時代かもしれない」年号がある「日本にしか出土しない」鏡が
なぜか「古墳時代」から大量に出土する
ということでしかない
>>393 都合が悪くなると「陰謀で消された」というのは定番ですから
卑弥呼の300年前にシーザーが暴れてたんだから
その300年後に卑弥呼って
悲劇的だろ
397 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:04:59 ID:rv7wr0oXO
大分市って・・・どんだけ商業国家なんだよ。
住居とか田畑はどうしたんだよ
>自女三國以北其戸敷道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
女王国より北にある国々の、その戸数や道のりは簡単に記載できるが、
それ以外の国はとても遠くにあるため詳しく調べることは出来ない。
>次有斯馬國次有己百支國次有伊邪國次有都國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國
>次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國
>次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有鳥奴國次有奴國
>此女王境界所盡
次に斯馬国(しま)がある。次に已百支国(いはき)がある。次に伊邪国
(いや)がある。次に都支国(とき)がある。次に弥奴国(みな)がある。
次に好古都国(ここと)がある。次に不呼国(ふこ)がある。次に姐奴国
(そな)がある。次に対蘇国(つそ)がある。次に蘇奴国(そな)がある。
次に呼邑国(こお)がある。次に華奴蘇奴国(かなそな)がある。次に鬼
国(き)がある。次に為吾国(いご)がある。次に鬼奴国(きな)がある。
次に邪馬国(やま)がある。次に躬臣国(くじ)がある。次に巴利(はり)
国がある。次に支惟国(きい)がある。次に鳥奴国(うな)がある。次に
奴国(な)がある。
ここが、女王国の境となる所である。
>其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王
その南に狗奴国がある。男子を王としていて、狗古智卑狗(くこちひく)という官がいる。
女王国には属していない。
ここの読み方が微妙だけど、「北は今まで道のりを書いたでよ、次は南の
番だけど、正直女王国の向こうには行っていないし、これ以上は面倒なので、
国名だけ書くよ」という事で、「女王国の南の境まで書いた」のが2回目に
出てくる「奴国」。
その南に狗奴國があるので、こちらが日向の地かなと思ったりする。
399 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:05:11 ID:aBGFp/CZ0
福岡・佐賀・長崎・大分の邪馬台国連合
熊本・鹿児島の狗奴国
この2大勢力がけんかばかりしてた
宮崎の勢力は中立の立場をとっていた
やがてこの宮崎の勢力が四国や畿内の勢力と手を結び、邪馬台国連合、狗奴国を
滅ぼしたんじゃないかな。だからやたらと宮崎は天孫降臨の地だとかなんだと
祭り上げられてる
もし邪馬台国が続いていたなら、ずっと
中国に使者を送ってたはず。
こちらの貢物より何倍も豪華なおみやげもくれるんだし。
それが台代が西晋に使者を送ったのを最後に
音沙汰がなくなったということは、滅んだと考えるのが妥当
401 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:05:36 ID:FY4pSCr40
縄文人は、頑丈なくり貫き船を組み合わせ、30m級の双胴船をあやつり、江南や東南アジア、太平洋諸島からアメリカ西岸まで交易していたという。
山東半島の大シ文文化は最初紅陶文化で後に黒陶文化に移るがもともと黒陶を作っていたのは縄文人。
402 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:05:38 ID:0CMbLP2W0
>>390 完璧だな。
遺物の分布、神話の構成とも符合し、申し分ない。
403 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:07:37 ID:+o6gztKy0
>>393 その辺はたかが500年と思った方がいいかもよ。中臣鎌足以降のつじつま合わせに
かなり強引な編纂があったんじゃないかって関佑二がめっちゃ書いてる。
404 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 17:08:15 ID:i6eLdaDp0
>>381 東征神話はやはり疑わしいと思う、そもそも大陸との交易の便利さを
考えれば、畿内よりも北九州の方が有利だから、自分から自発的に
北九州の地を捨てて畿内に行くとは思えないから、大和政権は自発的に
畿内に行ったのではなく、倭国大乱の時に争いに敗れて畿内に
落ち延びていったのだと思う、ただ、争いに敗れて畿内に落ち延びた
事はやはり不名誉な事だから、畿内に良い土地を見つけたから征服
したんだという事にしたのではないかと思います。
>>371 ど素人だが、つまり邪馬台国は福岡にあった
これで、よかとか?
卑弥呼も九州弁でよかとか?
407 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:10:11 ID:SMiddNWTO
ヤマタイが何処に有ったかという本質的な問いは存在せず、
なぜ日本人は、まるでケネディ大統領暗殺の主犯を探すがごとく、
ヤマタイは大和と別の、未だ隠された秘密存在だと思いたがるのか、
ただその集団心理の不思議さに対する疑問が有るだけなのだよ。
大昔の又聞きなんか、細かい所がボロボロ間違って矛盾が有って当然。
そんなもん、ざっくり合ってたら良しとするしかないわな。
408 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:11:13 ID:LcM8Dhxp0
>>395 結局、陰謀論ぽいものでセンセーショナルに盛り上げてるだけか・・・
現在に記録こそ残ってないけど、他にもクニはいっぱいあったろうに。卑弥呼だけ消したとか意味分からん
つーか腐るほど固有名詞が出てくる記紀の記述はほとんど嘘と決め付け、
伝聞の伝聞のようないい加減な支那正史を一字一句残らずありがたく嘗め
回す日本人が情け無い。
410 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:11:38 ID:pXpe+VvKO
中国は黄河あるから日本の瀬戸内なんか河感覚かも知れん…
ここまでドラクエ3の話はなし
412 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:12:39 ID:MhKHoEzM0
>>380 水田作ってたのは大分前だよ。紀元前何世紀とか。
弥生時代だの縄文時代だのって、単に土器の形式で分けただけだけど
弥生時代って大概稲作やってた頃でしょ。
稲作を遣り出すと貯蓄とかしだすし
いわゆる原始人な生活なんてしてなかったんじゃないの。
今時魏志倭人伝一本で九州説とかw
歴史から消されていたというよりは残るほど大きな国ではなかったというところだろうな。
>>409 だって魏志倭人伝は「記録」だけど、記紀は「神話」だからしょうがないよ
415 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:14:54 ID:FAQIx8XL0
京都郡ってのも不思議な地名だよなぁ
416 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:15:23 ID:xcANV3fn0
ん?徳島と聞いたが違うのか
魏志倭人伝の邪馬台国への行程が複雑に見え、読み方が分かれるのは、遠い近畿
にあったことが原因かもしれない。
九州の地にあるなら行程表現ももっと簡単だったと思う。
そんなオレは九州説なんだが?
418 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:15:30 ID:gp166IjY0
日巫女=天皇
男子は大小関係なくみんな髭面、イレズミをしている。
海に潜って魚や貝を取り、イレズミは身を守るおまじないでもある。
国によってイレズミが異なる。右だったり左だったり、
大きかったり小さかったり身分の違いもある。
その風俗、淫らではなく、男子は皆もとどりのままで冠の代わりに
木綿を頭にかけて、服は幅の広い布を巻きつけるだけで縫ってはいない。
女子は髪を結い、一枚の布の真中に穴をあけて頭を通して着ている。
稲やカラムシを植え、蚕を飼い糸を紡ぎ、カラムシの布や絹木綿を作っている。
牛、馬、虎、豹、羊、カササギ等はいない。
倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。
家はあり父母と兄弟は寝るところが違う。
朱丹を体に塗っている。食事は高盃に盛って手で食べている。
集会などの会合の席順は父子男女の別は無い。皆良く酒を飲む。
身分の高い人を敬うときには拍手をし、これが最敬礼になっている。
倭人は長寿で、100歳から8、90歳まで生きる。
そして身分の高い人は妻を4,5人持ち、庶民でも二,三人は居る。
婦人は淫らではなく、嫉妬もしない。
盗みなども無く、訴訟も少ない。法を犯した者は、軽い者は妻子を没収。
重い者はその御家断絶。親族にも及ぶ。
身分の低い人が高い人と道で出会ったときには、後ずさりして草の中に入り、
何かを伝えたいときにはうずくまったりひざまづいたりして、
両手を地に付けて物を言う。返答は”アイ”と言う。承諾した事のようだ。
420 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:16:07 ID:FY4pSCr40
>>404 近畿にはすでに大豪族連合があった模様。
イワレヒコは北九州や出雲も顔つなぎしつつ近畿に婿入りしにいっただけ。
(ひょっとすると殺された兄貴が本命だったかもしれない)
しかも九州でイワレヒコを支えていた「ニギハヤヒ」やサルタヒコの妻で有能な「アメノウズメ」らが先発して近畿に入りし婿入りのお膳立てをしたよう
421 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:16:09 ID:0CMbLP2W0
>>404 だから、それは九州・四国勢力内の内ゲバなんだって。
古代韓国に対して、倭国が強かったのと同様、
辺境勢力の方がいつの時代も強いんだよ。
だから、中心勢力が東の方、東の方へと重心を
移していく。東の方へ広がっていく。
卑弥呼(邪馬台国)の時点で、既に中心勢力は四国だった。
それが近畿に移り、中国勢力(出雲)を征服して(国譲り)、
ヤマト朝廷が完成したんだよ。
422 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:16:19 ID:X79vUK3a0
眼科医がなに講釈垂れてんだか
423 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:16:30 ID:stgXOa1K0
大分うさんくさい
これだけいいに来ました
424 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:17:36 ID:qqjSBV0v0
そういや卑弥呼って今なにしてんだろ・・・・
>>412 邪馬台国の主要な食糧は水稲でも陸稲でも大麦でも小麦でもない。
>>424 俺のディスプレイの中で敵将をいてこましてるよ
427 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:18:51 ID:grZPEj1G0
428 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:19:36 ID:dB1ee4SR0
>>103 2300年前には韓国は存在していないからwww
弥生人の多くは中国南部から渡ってきたんだろうよ
稲と共に
429 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:20:02 ID:aBGFp/CZ0
>>419 馬もいないし、はだしで生活してる
ということは移動手段は歩くか船かだな
伊都国からいかだで10日。はだしでとぼとぼ1月歩いて、畿内まで辿りつくのだろうか?
430 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:20:17 ID:4J1GfZNIO
邪馬台国の時代に畿内にはすでに大きな集落や古墳も出るのだが。
纏向遺跡について調べてから九州説とか言ってみろよ。
支那人が書いた伝聞記録しか九州説の根拠無いんだからさ。
弥生時代と一言で言っても、紀元前10世紀から3世紀までの千数百年
あるわけで、その間に水稲の集落ができて、人口増えて、そのうち首長が
偉くなって、首長霊祭祀になって、戦争おっぱじめて、小さい集落がどん
どん集約され、今で言う市町村単位くらいの規模になっていても、おかしく
は無いと思われ。
というか、奴国王が金印をもらったのは、弥生時代で、弥生時代は原始国家
形成の時代と考えるべきかなと。
で、古墳時代の神話しか残ってない時代が、統一国家への時代。
432 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:22:08 ID:6X7JwVfR0
残念だけど
>>160のサイト一行目から間違えてるんだよね
>>倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑
>>和訳:倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で成り立っていて、
となっているが、山を頼りに国・村を作っていると書いてるあるわけで
山の多い島とは直接書いてないんだよね。
目立った村が山を中心に成立してるとも考えられるわけで、山の多い島と言い切るのとは大分意味が違うな
433 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:22:09 ID:12OhWRV/0
>>430 古墳が流行った時代って卑弥呼の時代よりずっと後だろ?
徳島か大分か・・・そんな論争があるが実際は2箇所とも邪馬台国という事実。
435 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:23:40 ID:1CPgXnxz0
愛媛にしてよ
436 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:24:18 ID:MhKHoEzM0
>>404 大陸よりも日本の中の方が、農業しやすい。農業ができる地を持つ方が、豊かになる。
交易で栄えるならば、瀬戸内海を制してしまえば北九州とも大陸とも交易できる。
高千穂・日向あたりにいた頃の神話って、北九州あたりの神様の子と婚姻関係結んで無かったかな。
天孫降臨から東征神話までは、殆ど戦の神話が無かった気がする。
437 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:25:56 ID:LBRJTqIu0
難しく考えすぎだ。邪馬壱国を音読みするとジャマイコク。
すなわち今のジャマイカのことだ。俺らとは関係ねー
>>430 いや。だから、それは大和王権の始まりの姿だと考えるべきであって、
邪馬台国は別の国だと考えればよいわけで。
古墳時代の空白の200年をどう埋めるのかという話だよ。
邪馬台国が大和王権になったのか、それとも邪馬台国は滅びて、卑弥呼
の時代には「その他」扱いされていた別の勢力が大和王権を作ったのか。
439 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:27:06 ID:MhKHoEzM0
>>425 知らんがな(´・ω・`)
ヤマタイ国の話として書いたわけじゃないし。
440 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:27:14 ID:4J1GfZNIO
>>433 最初の大型古墳である箸墓古墳は三世紀ごろ。
この時代の年代特定は百年くらい誤差があるがだいたい卑弥呼の時代からやや後くらいだよ。
畝傍山古墳のように大型でも前方後円墳でもないものならもっと古いものもある。
宮内庁が調査させてくれんが。
441 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:29:39 ID:+o6gztKy0
国ゆずりがいつなんだろうね。当時いくつ勢力があったのか。
442 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:31:13 ID:4J1GfZNIO
>>438 二百年も開いてないよ。
墓古墳の推定年代はAD280年前後100年
纏向遺跡に人が住みだしたのが二世紀終盤と言われる。
ちょうど卑弥呼の時代と被るんだよ。
443 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:31:44 ID:12OhWRV/0
>>440 だから古墳があるないを邪馬台国の場所特定に依拠させるもんじゃないと思うんだが?
444 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:33:48 ID:kYhANn+/0
国としてはヤマト一本でええんちゃう?
やばいくにと読ませるんだろう?
畿内にあったとする証拠の方が相当あるからもういい。
447 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:39:12 ID:9+m0BNpNO
倭国と日本国は実は違う国だったんだ
おまえら知ってた?
448 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:40:12 ID:6X7JwVfR0
>>398 >其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王
>その南に狗奴国がある。男子を王としていて、狗古智卑狗(くこちひく)という官がいる。
ここも意味が間違ってるな。「狗」って犬のことだから見下してるのか(犬信仰?)犬よばわりなんだよな
女王と対比して「狗古智」という卑しい犬(国王)は女王に服従してないと言ってるわけ。
↑はマジレスだが。糞日本人ならなんとなく萌えて満足だろ
449 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 17:42:03 ID:i6eLdaDp0
>>436 農業なら筑紫平野がある、わざわざ畿内に行く理由が分からない、
それに畿内は北九州で争いに敗れた一族が落ち延びるのにちょうどいい
場所だと思う。
邪馬台国なんて最初からなかったんや!
全部中国の捏造やったんや!
451 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:45:48 ID:aBGFp/CZ0
纏向遺跡って近畿説にとって唯一の希望の光だよな
452 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:46:21 ID:4J1GfZNIO
>>443 魏国に金印を贈らせる程の外交力のある国が
九州一地方だけの勢力しか持ち得なかったとは思えません。
453 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:48:33 ID:X2wqrWlhO
邪馬台国も蓬莱島もZIPANGも実は韓半島ですね わかります。
「青青の時代」 山岸涼子
南の島に流れ着き育った0歳の少女・壱与のもとへ、ある日伊都国から狗智日子(クチヒコ)がやってきて・・・
「雷火」 藤原カムイ
邪馬台国乗っ取りの陰謀を企て、卑弥呼を暗殺した魏の使者張政が、
十三歳の少女の壱与を新女王にまつりあげようと・・・
「ナムジ」 安彦良和
出雲に流れ着いたナムジ(大国主)はスサノオの娘を妻にする。スサノオは九州へ軍を進めるが
邪馬台(ヤマト)国のヒミコに心を奪われ・・・
455 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:51:14 ID:8bncOzJS0
邪魔な大国と言えばシナしかないと
456 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:51:28 ID:6X7JwVfR0
朝鮮半島はモンゴル・元の支配下なんだから
版図でZIPANGは朝鮮じゃないのはわかるだろいくらなんでも
マルコポーロ的に考えて・・・
457 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:51:40 ID:MhKHoEzM0
>>449 平野なら、色んな所にある。
一番日本を統治するのに便利な場所が奈良だった、というのが神話に書いてある東征の理由。
東征が成功したのは、ひょっとすると筑紫平野有する九州が豊かだったからかもね。
459 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:52:56 ID:0CMbLP2W0
何度も書くけど、
1. 中国(出雲)勢力
2. 北九州-四国勢力(中心勢力東進)
3. 南九州勢力
この3重構造で見るべきなんだって。
で、「国譲り」や「ヤマトタケル」神話に表れているように、
2が1や3、更には東方も征服して、大和朝廷になったの。
460 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:53:03 ID:spTWmOIV0
おまいら、漫画の読みすぎ。
俺的には、半回転した日本列島の畿内にあった説がいちばん面白
462 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:55:25 ID:6X7JwVfR0
ここは中国コンプレックス抱えたファッキングジャップが多いスレでつね
463 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:55:59 ID:12OhWRV/0
>>452 >魏国に金印を贈らせる程の外交力のある国
そんなこと知らんかった・・・
恥ずかしながらソースをいただけまいか?
464 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:56:06 ID:T6x4Qzi30
奈良は無いとは思う
465 :
踊るガニメデ星人:2008/05/19(月) 17:56:36 ID:i6eLdaDp0
>>457 たしかに、筑紫平野は今でも米の産地ですしね、当時もきっと
豊かな水田だったと思います。
この間テレビで徳島だと言ってたんだけど
大分なの?
九州だと魏志倭人伝に記載されている経路の日数計算があわないから違うんじゃないの
467 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:57:11 ID:4NsIoGH30
日に向かうという意味で 卑(ひ)弥(む)呼(か)
と読む。当て字は「日(ひ)向)むか)が正しい。
やまとの国で 邪(や)馬(ま)台(と)の国(くに)
と読む。当て字は「大和」
東に遷都していったので最初は大分あたりにあったことは確かでいいじゃない。。
468 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:57:13 ID:P9gyIvg60
469 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:58:51 ID:ycBO9/gG0
御弥呼じゃなくてよかったな。
470 :
天竺徳兵衛:2008/05/19(月) 17:59:22 ID:4o60gQTU0
ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語の
‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう。邪馬臺国(ヤマト国)
は、やはり近畿の大和朝廷のことをいうのが道理ではないか。
大和朝廷の祖は神武天皇。神武天皇はソロモン王の部将の一人。
その部将がインド南部のタミール人等とともに船で日本に来た。神武の東征
である。
だから日本人の支配的先祖はユダヤ人。
471 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 17:59:49 ID:12OhWRV/0
あーーー
>>463は勘違いです。
魏国に金印を贈ったと読んでしまってた。
すみません。orz
要は魏の属国になりますってことの証だから、
魏も金印乱発してたんじゃないの?
472 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:00:12 ID:P9gyIvg60
1. 中国(出雲)勢力 【辰韓/新羅系】
2. 北九州-四国勢力(中心勢力東進) 【加羅/馬韓系】
3. 南九州勢力 【隼人系】
こんな感じかな?
473 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:00:25 ID:Sug9ups30
>>390 それで正解だと思うけど、
紀元前の話な。
邪馬台国の頃は、大和がすべて平定した後のこと。
クマソ=クナ国は、九州南部勢力の残党。
474 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:03:07 ID:IsipzgxE0
とりあえず宇佐八幡を大々的に掘り返して調査しろ
話はそれからだ
475 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:05:24 ID:CakwoRLi0
邪馬台国は台湾あたりではないか
>>442 信頼にたる文献資料の空白期間だよ。
考古学的には、纏向と吉野ヶ里とあと出雲の3箇所は三大勢力で良いの
ではないかな。今後まだ増えるかも知らんけど。
俺は、魏の連中は邪馬台国が倭国の中心だと思って帰ってしまったけど、
邪馬台国側の情報隠蔽があったと思っている。偽僭説に近いけど、まあ
畿内側が名前を乗っ取った可能性もあるわけで。
で、神功皇后に滅ぼされた山門の女酋長が台与かなと。
478 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:09:02 ID:Sug9ups30
>>390 邪馬台国問題は、「四国勢力が奈良に拠点を移した」その時代はいつか?ってこと。
これは、邪馬台国の頃より前なんだよ。
唐子・鍵遺跡がすでに卑弥呼の時代より前から存在してるからな。
そして、卑弥呼が死んだ後に、四国勢力が奈良に拠点を移した特別な証拠は無いし、
もちろん、九州勢力が奈良に拠点を移した証拠は無い。
よって、神武東征神話が事実としても、紀元前の話で、
邪馬台国は大和にあったということになる。
479 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:09:41 ID:MhKHoEzM0
日本は騎馬民族の国じゃないので
勢力下に収まっても、種無しにされて滅ぼされるとかいうのではないから
豊かな土地には豊かな豪族がいつも居る
婚姻関係で仲を保とうとするし、その方法で安定を図ろうとする
戦はいつも、最後の手段
>>477 当時から朝鮮半島は中国の植民地だったんだね
>>463 >汝爲親魏倭王假金印紫綬装
魏志倭人伝より
482 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:12:32 ID:4J1GfZNIO
>>463 ソースも何も親魏倭王印は邪馬台国論争の重要なポイントなんだが。
ぶっちゃけこれの現物が出てくりゃこの論争が終わるくらいに重要。
483 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:12:51 ID:IV1SSi8E0
ヤマトは、中国にとっては、辺境地でありながら、従順で便利な国だった。
だから金印もくれたし、倭(従順)という文字を与えたのだと思う
阿蘇家とか出雲大社の家とかって
確か神話の時代まで先祖が辿れるとかいう話があったような。
多重構造には賛成ですね。
3が原日本人ですな、のちに蝦夷だの隼人だの呼ばれる南方系でしょうか。
次に1が入ってきて、これは弥生人かもしれません。
最後に2(百済系?)が進出と。
486 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:14:00 ID:EqAAPjXxO
邪馬台国の国は蝦夷民族の国だよ東北にあったんだよ
487 :
1000レスを目指す男:2008/05/19(月) 18:14:03 ID:yiiqDtkX0
でも、そんな昔に日本人が住んでいたとは限らないよね。
488 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:14:29 ID:/Z7DjQLU0
学校で卑弥呼がヤマトトトヒモモソヒメノミコトっていう説がある
って聞いたんだが、伝説の類なのか??それともガセ??
490 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:14:54 ID:4J1GfZNIO
>>471 金印は乱発なんかしとらんよ。
越南(ベトナム)は銀印だったし朝鮮は銅印だしな。
491 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:16:16 ID:LBRJTqIu0
492 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:18:57 ID:MhKHoEzM0
原日本人とか言ってるヤツって弥生時代とかいうのが
どうやって言われだしたかすら考えたことも無い人間ぽくて
ちょっと触りたくない。
493 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:19:23 ID:OBQCtd0M0
やっぱりか。さすがに俺を排出した町だけのことはあるな。
494 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:19:38 ID:Sug9ups30
>>488 卑弥呼がヤマトトトヒモモソヒメノミコトで正解。
奈良にある箸墓古墳な。
日本書紀とかが、女性の墓と明記してるのは、箸墓古墳だけなんだよ。
他の古墳は全部、男の天皇の墓だと伝えている。
考古学的には、古い古墳に女性の埋葬例が多い。
古墳に埋葬されるほどの女性は、もちろん、女王並みの権力をもってたはずだね。
箸墓古墳と同時期の古墳で、箸墓古墳に匹敵するほど巨大な古墳はどこにもない。
>>484 出雲大社の家は、国造家だから、どちらかというと、
出雲平定後の氏族じゃないかと。
遡れても7世紀くらいじゃね?
たしか90代くらいだったし。
それでも驚異的だが。
496 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:20:40 ID:IuF9QOO/O
>>490 当時としては破格の待遇だったんだよな。
陸続きの国でなかったことで、海神の加護を受けている民族だと認識されたかららしい。
海を渡って親善にくるなんて、大陸の人には途方もないことに感じられたようだ。
迷信が政治を支配する時代だったからな。
497 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:21:02 ID:4J1GfZNIO
>>488 倭途途日母母襲比売命は箸墓古墳の主であり
大吉備津彦命こと桃太郎の姉です。
纏向時代の大和の巫女であり実力者ですな。
卑弥呼ではないかと最も有力視されている人です。
>>488 ヒミコが実在するて前提なら、その人物が一番可能性が高い。
499 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:23:43 ID:/Z7DjQLU0
>>494 なるほど。
確か、ヤマトトトヒモモソヒメノミコトは陰部に箸突いちまって死んじゃった
んだよなぁ。話を聞いたとき、想像したら痛そうで一人
で悶えてたのを覚えてる。
501 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:24:44 ID:dqOnYgnU0
卑弥呼が萌えキャラロリ美少女だったとはな・・・
502 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:24:56 ID:Sug9ups30
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメノミコトがどういう人かというと、
三輪山の大物主と婚姻した(祭祀した)ことで有名。
大物主は、出雲のスサノオ・大国主系列の神だよ。
つまり、日本神話の中心的人物でもあるということ。
このあと、大和王権はアマテラスを祭祀し続けるが、
出雲系の神と関係を持ったのはこれが最後。
以後、他の神とも何の関係も持たない。
つまり、箸墓古墳が出来てから、大和に他の勢力が入ってきて支配したという事実は無いってこと。
昔のムー大陸の事だろ?
日本は関係ねー
あ、原日本人って表記が違うなら縄文人でも先住民族でもいいよ。
505 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:26:25 ID:+o6gztKy0
>>484,495
出雲系はめっちゃややこしい。建前的には天孫族より長いってことになってたんじゃなかったっけ。
なんせ、国ゆずり以前の主だから。未だに数千年前の話であそことあそこがマジで仲良くないとか、
そんなことを地元史家が書いてたのがあった。天孫系にのっとられたとか、兄弟どうしで
喧嘩して2家系に分離して今に至るとか、仏教に汚染されたとか、御霊の継承なのでそれで
いいのだとか、その千年以上続く儀式自体が天孫家のトリックだとか、
本当の出雲の相続家系は表に出ない家系だとか、などなど。
縄文も弥生も土器の形式の名前
507 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:27:06 ID:IuF9QOO/O
我々はどこまで過去を辿れるのかねえ。
金印にしてもそこらへんの住宅地を掘り返す訳にはいかんから、ずっと埋まったままかもしれんなあ。
508 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:29:33 ID:OBQCtd0M0
>>466 おお、徳島なのか。
さすが、俺が今住んでいる町だけのことはあるな。
卑弥呼てAVの?
>>488 邪馬台国畿内説をとった時に、箸墓がヤマトトトヒモモソヒメだと都合が
悪いので、とりあえず卑弥呼に比定したんじゃね?
いくつもある説の一つだよ。
>>505 うむ。なんか、「俺たちの祖先の国が乗っ取られたんだ!」って言う人が
いるみたいだね<真の相続家
ま、オレのじっちゃんが郷土史家やってたが、
臨終間際に言った言葉は、
「つまるとろ…、言ったもん勝ちの世界だーな」。
512 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:31:21 ID:Sug9ups30
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメノミコトの墓の
箸墓古墳は、初期の巨大前方後円墳。
この、前方後円墳の形式の祭祀は、テレビでもやってたように四国が起源と言われる。
テレビではセンセーショナルに邪馬台国四国説を唱えてるけど、
実際は、四国から王権が大和に移って、魏から邪馬台国と呼ばれたのが正解。
>>508 徳島はユダヤ人に支配されていたという内容だったよ
普通に大和だろ。 九州に邪馬台国があったとして西から他国に侵略を
受けたって記述をどこかで見かけた事があるが九州だとどこから攻められたんだ?
515 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:36:16 ID:/95aRGU+0
標高の低い地域での稲作てのは技術的に難しいから
広い平野部での水田開発は後年、半島からの農奴を導入して開墾した地域が多いだろ
邪馬台国は海の近い中山間地で水田開発の可能な地域だと思うな
516 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:36:21 ID:+o6gztKy0
>>510 うん、司馬遼太郎の先輩だったかが地元神職出で詳細を一子相伝していたとかなんとか。
で、話題になって非情にややこしいことになってのでご子息はどっかに引っ越したとかなんとか。
>>514 佐賀なら長崎から侵略をうけ
大分なら熊本から侵略をうけ
北九州なら佐賀から侵略をうけたんだな
>>449 台風なんかの天災で徐々に離れていったとか。
519 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:37:04 ID:MhKHoEzM0
520 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:37:15 ID:Sug9ups30
あとね、大国主は、出雲の神じゃないよ?
みんな誤解してるけど、
天津系の神官が、大国主を祭るために、出雲に社を作っただけだから。
もともとは、大国主は、丹波の一宮の出雲大神宮の神様だよ。
ググって調べてごらん。
大国主は、丹波の出雲大神宮から、島根に移されたわけ。
それより前の島根の神社は「杵築神社」とよばれてて、「出雲大社」では無かったんだよ。
おそらく、島根〜丹波の広域を支配していた神が、大国主。
そして銅鐸祭祀と一致する。
>>490 いわゆる近攻遠交政策のあらわれかと
金印を貰ってる国は他には中央アジアのに近い国も同様に
授かっていたそうですよ。
>>514 西じゃなくて、南の狗奴国と戦争状態
畿内説だと熊野?
熊野は南朝がこもったように、引きこもるならいいが
戦争するような国力はもてないんじゃね
523 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:39:33 ID:YqBhl0jJO
524 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:39:41 ID:4O78K4Qt0
徳島というのが今は主流らしいよ 卑弥呼の本拠地
525 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:40:37 ID:6X7JwVfR0
倭は別に従順って意味じゃないぞ
出来損ない、障害者って意味だからおとなしいかもな
実際HENTAIな国民ばっかりだし
526 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:40:58 ID:Ah+U6SkM0
おらも宇佐だと思う。
何で和気清麻呂が宇佐に
お伺いを立てに行ったのか?
527 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/05/19(月) 18:41:00 ID:xpCpVZDS0
(o^-’)b 卑弥呼は天照大御神。邪馬台国は九州。宇佐神宮は卑弥呼(天照大御神)のお墓の上に建ってます。
528 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:41:19 ID:+o6gztKy0
>>519 大国主命を先祖に持つと主張してるんだからそれでいいよ。
529 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:41:19 ID:byYSzrn20
>>524 徳島は人間が酷いらしいな
淡路島は徳島藩だったが、あまりに滅茶苦茶なので泣きついて、廃藩置県で兵庫に
戦前に、徳島の剣山に聖櫃が埋まってるとか言って掘り返して逮捕されたヤツら居ただろ。
531 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:41:53 ID:Ezqnah7MO
どこでもいいよ
532 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:42:17 ID:Sug9ups30
>>522 熊野をバカにしちゃいけないよ。
神武が大和に攻め入るとき、通ったルートがその熊野だろ。
大和から見たら、熊野は強敵だったってことだよ。
533 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:43:59 ID:+o6gztKy0
>>520 出雲自体が追いやられた場所だとかなんとかでしょ。契約の地。
534 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:44:02 ID:MhKHoEzM0
>>528 大国主はスサノオの子孫の神様
出雲国造の祖のアメノホノヒは、アマテラスとスサノヲのウケイで生まれた子
535 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:44:35 ID:4O78K4Qt0
魏志倭人伝の記述に符号する水銀の山が有り、
古墳群の年代が合うのは徳島だけだし
吉備だの四国だの、たくさんあるよね。
537 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:44:53 ID:7lAM5sjl0
卑弥呼なんて実在しない
538 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:45:19 ID:YqBhl0jJO
俺ん家の畑、毎年縄文土器のかけらが出る。
教育委員会が掘らせろて五月蝿い
あ゛ーっ
539 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:45:55 ID:/95aRGU+0
縄文人は結構戦争好きだったらしいしな
それに縄文人と弥生人の平均身長は1〜2cmしか違わない
戦前と戦後の日本人の平均身長が10cm近く伸びたのに比べれば誤差みたいなもんでしょ
540 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:46:34 ID:MhKHoEzM0
契約の地???
出雲はスサノオがたまたま降り立った地
541 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:46:53 ID:xTFqHzzWO
宇佐八幡の下には何かある
542 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:47:35 ID:+o6gztKy0
>>534 記紀はぜんぶくっつけた話になっているんだから、必ずしも全ての風土記が同じじゃないよ。
全部兄弟か親族になってるからそこの民をうなずかせられるんだよ。仏教や神道ではよくやる方法。
544 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:48:33 ID:aBGFp/CZ0
邪馬台国近畿説なら、近畿から九州までを治めた強国なのに、たかが熊野に苦戦し
魏に泣きついたのか。考えられないな。熊野が強かったといっても、邪馬台国弱すぎだろ
>>543 卑弥呼といえばひみこみこみこひみこみこだろうて
546 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:49:40 ID:wm6cCuo90
卑弥呼は俺が育てた
わずか1800年前の事すら分からない歴史の浅い日本
その後に、いきなり進んだ文明の人が引っ越してきて国を作ってしまったんだろう
548 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:50:55 ID:MhKHoEzM0
>>542 くっつけた話になっているのは古事記の方で
日本書紀は異説があれば併記して載せている。
その上、繋がりが分からないものは分からないと書いてたりもするし。
あと古事記、日本書紀に載っていないけれど独自の説があるものといえば
物部氏、海部氏の先祖かな
549 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:51:15 ID:4O78K4Qt0
大体、金印の出土そのものが異常に怪しいんだがw
550 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:53:48 ID:hAeyAomGO
大神(おおみわ)の子孫です。うちの姪が卑弥呼に似てる様な気がします。
なので、卑弥呼は大物主の妻である倭迹迹日百襲姫で決まりでしょう。
韓国だろ?
552 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:55:38 ID:/5U8b7ma0
卑弥呼=日巫女
邪馬台国=大和国
じゃないの?
553 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:56:13 ID:Sug9ups30
>>544 武力で近畿から九州までを治めた強国とは、考古学者は誰も思ってないよ。
経済圏の拡大によって支配が広まったというのが通説。
遺跡でも、実際に大規模な戦闘があった証拠はないよ。
戦闘の跡があるのは九州だけ。
畿内では柵や堀をつくったりして牽制してるけど、
首の無い遺体や、骨に鏃のささった遺体とかは出ていない。
実際は、平和裏に大和が発展していった証なんだよ。
インディアンが住んでました
いきなり西洋人が引っ越してきて国を作りましたと
アメリカ建国ぐらいに
唐突な
過去との連続性の全くない建国が
1700年前ぐらいにあったとしてもおかしくない
何があったかわからないよ
卑弥呼のいた230年ぐらいに歴史書すらなく
弥生時代とかぶっこいてた原始人の日本人が
いきなり文化的な生活を始める変化は
インディアンから西洋人にバトンタッチして
歴史に連続性がない建国劇みたいなもんだろ
555 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:56:43 ID:/95aRGU+0
矢部川上流の八女市だな
地形は方位も大阪湾や東京湾にソックリだし
卑弥呼が熊襲の女王だとすると大和政権が公にしたくない理由も解る
ちなみに邪馬台国を日本を治めてた国と考えるからおかしくなるんであって
大和には既に大和王朝に連なる国が既にあってここが大きな勢力をもっており
邪馬台国は九州の北部の一角に領土を持つ小国だった可能性もあるけどな。
卑弥呼=日本を治めてたって思考が邪馬台国があった場所は昔の日本の中心だった
って論争にすり替わってるんじゃないかね。
まーどでもいいが
558 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 18:59:51 ID:Es1XFtZv0
別に、卑とか邪とか悪意のある当て字をされてる国がどこにあってもかまへんで〜
>>554 アポリジニが住んでいました
いきなりイギリス人がイギリス人囚人を送り込んできました
その囚人の子孫が今のオーストラリア人です
というような感じなんだね
560 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:00:11 ID:S8D+4a1aO
卑弥呼の時は近畿って事で邪馬台国は九州が起源ということでOK?
561 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:00:58 ID:rMtm2Gp+0
箸墓を掘れば金印がでるのになw
562 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:01:53 ID:+G0dX4e4O
三角縁神獣鏡も結構謎だよな。
たしか中国では2、3世紀の招興近辺でしか出土しないんだっけ?
563 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:01:57 ID:MhKHoEzM0
風土記編纂を命じた主体と
記紀編纂を命じた主体が同じ大和朝廷であるとは
誰も突っ込まないんだね・・・・・・・・・・
アヒャ
ちなみに物部の先祖ってニギハヤヒね。
ニギハヤヒはこれまたオシホミミの兄弟であるアメノホノアカリの子孫だって主張を
平安時代の誰かが書き残してた筈。
こちらは朝廷が記させたものじゃないよ。そこに記してある真偽のことはまた別として。
564 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:02:39 ID:Sug9ups30
>>556 いい視点だね。
畿内に「大和王権」があったのは事実としても、
九州に「邪馬台国」があった可能性はあるよ。
実際に日本書紀では、大和は九州を平定しに行ってことになってる。
九州が大和に服属したのは、邪馬台国の頃より後ってことになってるんだよ。
だから、考古学と伝承をセットでかんがえると、
九州=邪馬台国
畿内=大和王権
で、
その後、機内が九州を平定したという歴史が見えてくるわけ。
565 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:03:36 ID:TNOxAojC0
>講師は埼玉県さいたま市の眼科医
何と言うか・・もう・・・
566 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:03:50 ID:TXwlO/300
/\___/\
/ / ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < まーた始まった
| ,;‐=‐ヽ .:::::| \_______
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
まさか耶馬溪からヒントを得たとか言うんじゃあるまいな。
魏志倭人伝のアナグラムを解読すると邪馬台国は現在の大分市だという事はすでに明らかになっている。
矛盾点があるのはノイズを除去していないから。
ノイズが発生した理由は二つの異なる国の位置を一つの文書に残したため。
実は魏志倭人伝をそのまま解読すると当時存在し、邪馬台国とも交流があった大国「ムー」の位置が
記されていることは意外と知られていない。
なぜこのような暗号を用いて2国の場所を記したかというとこの文書により二国の場所が特定される事を恐れたため。
そう、魏志倭人伝を書いたのも実は当時中国にも多数移住していたムーの民の一人だったから。
ちなみに日本に邪馬台国の正確な資料が残っていないのは今の日本人が邪馬台国以前の日本とルーツが違うため。
これを知ると日本中に大混乱が起こるため明らかにされていないが実はムー大陸崩壊と同時にムーの民のほとんどが
日本に移住し当時の日本人は北方に追いやられた。
これが今日のアイヌ人であり現在日本人と呼ばれている我々は本当はムーの民、ムーミンだったんだよ。
569 :
203:2008/05/19(月) 19:05:07 ID:BpleXOmy0
>>227 そうです。ムー大陸が存在しないと、私の説は崩壊します。
古代の日本て数千とかの単位で
村一つが引っ越してくるような外国人のダイナミックの流入が盛んにあったと聞いたぞ
古代日本は移民の国だったんだろ
アメリカ建国と変わらんのじゃないか
昔、卑弥呼っていうAV女優がいたんだが知ってるか?
572 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:08:18 ID:Sug9ups30
箸墓古墳ができた頃のこととして、日本書紀が伝えてるのは、
大和の王様が、出雲の神宝を見たいからと供出させるんだけど、
出雲は九州に泣きついて拒んでるんだよ。
だから、九州〜出雲と畿内が別のクニだったということは、考えられなくもないよ。
九州と出雲の関係は、スサノヲつながりで深いんだよ。
九州と朝鮮を結ぶ海路を守る三女神は、スサノヲの娘だし。
>>569の説は多分あってると思う。
証拠が多数あるからね。
台湾には海の中に人口建造物が眠っているし
ウナギはムー大陸があった場所に毎回産卵しに向かっている。
最近では、サメもムー大陸近辺で産卵をしている説が浮上している。
つまり、もうムー大陸の存在は認めるべきレベルまできている。
ムー大陸の時代は1万年前なんだろう?
575 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:11:59 ID:TXwlO/300
邪馬台国はマキムク遺跡だよ。
藤原先生が言ってた。
内緒の話らしいけど、藤原京、難波宮、平安京は
地震を起すナマズの尻尾を押さえている場所なんだ。
だからね、邪馬台国はマキムク遺跡なんだな。
黒塚古墳博物館の三角縁神獣鏡が重要なんだよな。
藤原先生が言ってた。
576 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:12:13 ID:2TUu+1HNO
大分市ってマジ?
教えて!2ちゃんのエロい人!
577 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:14:54 ID:TXwlO/300
>>570 そんな話はムーか民明書房でお願いします。
はっきり言って、そんな説はどこにもございません。
その時代には、メイフラワー号はありません。
邪馬台国は韓国です
579 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:18:54 ID:/95aRGU+0
大分なら徳島の方がまだマシ
580 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:21:36 ID:IKuAk7skO
邪馬台国は徳島
581 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:22:23 ID:2XrGI3HbO
>>576 大分の宇佐神宮説は、前から有力と言われていた。
582 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:26:00 ID:TZBqJ13uO
テレビ東京で最近やってる歴史番組では
それっぽい根拠だして徳島っていってたな
まあとっとと決着してもらった方が
受験生は覚えることが少なくて済むと
つーか素人じゃいろいろ証拠出されたところで
さっぱり分からんけどな
要は自称専門家どもが言いたい放題なんだよな
583 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:28:14 ID:Sug9ups30
邪馬台国は徳島っていう説は、いかにも日本人的なんだな。
九州にしろ畿内にしろ、地域ぐるみで邪馬台国を誘致(?)してる相手を傷つけたくまいという、
でも、歴史の事実は公表していかないといけないという、
そのジレンマで四国説が生まれてきたようなもの。
実際は畿内で王権が生まれてることはわかってるんだけど、
イコール邪馬台国だと主張すると、まだまだカドが立つってことなんだな。
四国ってことにすれば、みんな納得してくれるってことか。
もうさ、大分でも佐賀でも徳島でも畿内でもいいような気がしてきた。
邪馬台国は4つあったってことでいいじゃない。
そのほうが全ての県民が喜ぶからさ。
みんなが幸せになるウソならついてもいいと思うよ。
特定されない方がミステリアスでいいじゃないか。
どうせ場所がわかっても卑弥呼まんじゅうとかくだらない土産物を作るだけだろ。
586 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:34:21 ID:1YWwWoZ5O
漢王朝による周辺諸国ランキング
日本…金印
ベトナム…銀印
朝鮮…銅印
587 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:34:37 ID:MhKHoEzM0
わたすにはそもそも、ヤマタイ国を「歴史的事実としての在り処」であるという前提に立って
熱心に追求する感覚が分からなかったりする。
説話は寓話、フィクション。ヤマタイ国も、一種のファンタジーだと。
神話やその土地の神様の縁起というフィクションは
少なくとも、当時の人々にとってはアイデンティティのようなものだったろうから無視できないけれど、
「ヤマタイ国」は根っこの張っていないファンタジーだから、あんまり興味をそそられない。
588 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:34:51 ID:Sug9ups30
テレビでは忌部のことも扱ってたけど、
これには正直びっくりした。
忌部と言われても、一般の視聴者にはなんだかわからんだろうけど、
古代天皇家の祭祀の重要な位置を占めてたのが忌部で、
その忌部の本拠地が四国であるということは、
古代天皇家の祭祀は四国から始まったことの根拠になる。
忌部をいろいろ調べると、動かしがたい事実が山ほど見えてくるんだけど、
テレビで簡単に紹介するのは無理があるかもね。
そーいや、昔大分川の中州で土器拾って遊んでたなぁ・・・
でも邪馬台国はなかったと思う
>>582 みのもんたは徳島はユダヤ人だと言ってるだけじゃん
591 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:36:21 ID:eWEFEomC0
邪馬台国かどうかは知らんが、大分の宇佐の近所には
古代からなんかはあったに違いない。
平野に広さと山地との距離が絶妙のバランスになってて
海からのアクセスもしやすい。
邪馬台国の時代になんかがあったと言われれば
納得する。
そもそも既に大和に王朝があったのが真相ぽいけどな。邪馬台国じゃない王朝
魏があの時代日本の事や地理など詳細に知ってる訳がないので
小国の邪馬台国が助け得る為に魏へ倭を治めてる国ですって申告して
どんな規模の国だ?と問われて誇大したんじゃねえの?w
そもそも魏はあの時代隣国以外に興味なんて全く無かっただろうし。
593 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:39:55 ID:Z4bPh/G10
594 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:40:53 ID:Sug9ups30
古代史はしらなくても、
アマテラス大神の岩戸隠れは知ってるだろう。
その祭祀をしてたのが忌部。
裸踊りをしたウズメも忌部の関係者。
岩戸をあけた神は、紀伊の神と同属。
つまり、アマテラス大神の岩戸隠れ神話は、四国の神話だったってこと。
日本を生んだ最初の神イザナギ・イザナミも、本州や九州より先に四国を生んでたはず。
>>586 なんで南北朝時代には逆転されてしまったの?
596 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:44:07 ID:eWEFEomC0
>>593 瀬戸内海の海上交通って
かなり行われていたと思うんだわ
だから九州北部と徳島ってたぶん交流あったろうな。
どっちの人がどっちを開発したかはよくわからんが。
597 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:44:47 ID:2XrGI3HbO
宇佐神宮は、第1 応神 第2 比売大神で、比売大神が最初に降りた場所とされる。
実質比売大神の神宮なんだわ。
598 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:45:22 ID:6X7JwVfR0
>汝爲親魏倭王假金印紫綬装
「假」金印 = ニセ、メッキの
一番ランク低いかもな。
>>586 プギャー
佐賀じゃねーのか
なら興味ない
大和に王朝があって海路 瀬戸内海を使ってたなら四国や徳島に領土を持つ
有力な豪族なんかが居たと考えれば古墳は説明が簡単につくけどな。
王朝の真似をして地元に古墳や宮殿を建てる豪族が居ても不思議じゃない。
601 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:47:37 ID:MhKHoEzM0
>>594 あれ、ほんとだ。
「淡道の穂の峻別島」。
「伊豫の二名島」。
愛比売、飯依比古
未だに実在したと思ってる奴が居ることに驚き
603 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:50:04 ID:Sug9ups30
>>597 でも、日本神話では、宇佐を開拓したのは日向の神武天皇な。
もっと詳しくいえば、追随した中臣の祖神。
中臣といえば、後の藤原氏で、忌部とともに天皇家の祭祀をしてた氏族。
で、中臣と忌部の力関係がどうだったかというと、
古代では忌部の力(四国)が強く、そのあと中臣(宇佐)が強くなった。
604 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:51:27 ID:QPkSl4od0
卑弥呼はHIMEMIKO 姫巫女 もしくは HIMIKO 日巫女 であったと思われる。
そもそもアマテラスなんたらとかって神話の話を大層にしてる奴がいるが
弥生時代ってそんな幼稚な文明だったのかね。
中国や朝鮮のあの時代とのギャップが凄まじいほど幼稚な歴史なんだが
単に記述に残ってないだけで神話が実歴史と考えるのは無理があるぜ。
猿女君が忌部なのかな
>>605 アメリカのインディアンも幼稚だろ
幼稚だから簡単に征服された
>>607 半島や中国辺りから日本へ移って暮らしてた人間が相当居たとする
記述もあるのだが隔離された地のアメリカ大陸とは事情が違うと思うぞ。
そもそも日本の文化は半島から伝わって来たものが殆どな訳だがその時代
もう中国じゃ渡れる大型船とか普通にあったぞ
609 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:57:03 ID:Sug9ups30
>>606 どちらも、タカミムスビ系の氏族だよ。
タカミムスビは、中つ国の平定をアマテラスに命令した神。
古語拾遺で、忌部や猿女君が祭祀の権利を中臣に奪われてることを嘆いている。
それはつまり、古代では、忌部や猿女君のほうが力が強かったってこと。
そういや、塩土老翁?も謎な神様。
瀬戸内海の神様?
611 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:58:37 ID:eWEFEomC0
そういえば恋空が宇佐で撮影されたというレスをどっかで見た。
アメリカなんてコロンブスが発見する
つい最近まで幼稚な原始人だったんだよ
日本の弥生時代も幼稚な原始人だったんだよ
でもすぐ近くに国があるから
あっという間に上陸してきた朝鮮人と中国人によって征服された
だからアメリカ建国と同じで
1700年前だか知らないけど
そこらへんで日本が建国されたのかも知れない
卑弥呼ってのは滅ぼされたインディアンの酋長かも知れん
歴史の連続は全くないかも知れん
卑弥呼の時代に幼稚な島が転がってたらボコボコにされるに決まってるからな
613 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 19:59:50 ID:QUlpi0WcO
いずれにせよ卑弥呼は巫女なわけで、
宇佐八幡宮の巫女なのか大和の三輪山の巫女なのか・・。
で、宇佐八幡宮の初代宮司は大神比義。
宇佐八幡と三輪山が同じ一族で繋がってる。
この辺りはどうなの?
>>609 猿女は祖が分かるけど、忌部の祖が誰だったかなと。
同系統なんだね。
神教、神道の神話を日本の歴史として考えるから変な事になると思われ。
>埼玉県さいたま市の眼科医
ワロス
九州のどこかなのは確か
ソースは鋼鉄ジーグ
日本は幼稚な弥生人で
すぐ近くに朝鮮や中国がある
相手にその気があるのなら
あっという間に征服されるに決まってるよ
卑弥呼でーすと言ってたら
三国志の豪傑が攻めてくるんだから勝てるわけがない
吉野ヶ里レベルが邪馬台国だとは思いたくない
621 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:05:43 ID:2XrGI3HbO
>>603 宇佐は天皇家にとって、大切な神宮であったのは歴史的な事実でしょ。
日本書紀には、多くの記載があるよね。
ここからは、俺の想像だけど古代日本人は、神格化するほどの人物に
必ず神社神宮を設けているよな?
後に、天照になった人物に、それがないのは不自然な気がするんよ。
622 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:06:50 ID:Sug9ups30
アマテラス−ニニギ(天孫)−神武天皇(日向〜大和)
タカミムスビ(中つ国平定を命令する)−天太玉命−猿女君・忌部(四国で天皇の祭祀)
天児屋根(岩戸で祝詞をあげる)−(神武と宇佐を開拓)−中臣−藤原氏(天皇の祭祀)
こうしてみると、神話の舞台が瀬戸内海で起きてることがわかるだろ?
624 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:08:40 ID:ta25hmnfO
>>608 米の遺伝子調べて稲作の伝来ルートは既に解明されたよ
大陸の苗族辺りから日本にきて半島へは日本と大陸から稲作技術が伝わったらしい
大陸と日本の記録にも合致するしね
625 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:09:14 ID:Sug9ups30
>>621 >後に、天照になった人物に、それがないのは不自然な気がするんよ。
伊勢神宮は?
あれも、もとは大和で祭られてた太陽神を移したものだけど。
626 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:11:54 ID:eWEFEomC0
>>621 現在宇佐神宮とされているところは、実際に行ってみると
拍子抜けするほど小さくてしょぼく見える。
でも周辺を歩き回ってみると宇佐神宮を取り囲む
山や拠点などに普通には知られてないだろうものや
いろんな跡があるのがわかる。
いかにも昔なにかがあったような雰囲気ではある。
で、それが現代では大げさに騒がれないように隠されているようにも思える。
627 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:15:55 ID:81U6djFZ0
>>1 解明されてなかった事に驚きだ
全て奈良の話だと思ってた。
628 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:17:24 ID:Sug9ups30
神話の舞台が瀬戸内海で、
瀬戸内海といえば、考古学的には高地性集落が作られていたところ。
氏族の伝承からも、日本神話を神話で片付けることはできないよ。
あと、宇佐と大和をつなぐ伝承が一つある。
アカルヒメという朝鮮から来た姫が、
宇佐の姫島と、大和で祭られている。
宇佐には、いろいろ伝承があって、宇佐神宮があるからと一概に邪馬台国と決めることはできないよ。
629 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:19:32 ID:aLEgJTFM0
>>541 若宮があるところから上の地質調査やれば分かりそうだけどな。
なにか出てきたら困るからやらないだろうけど。
>>627 つーか当の支那人もそう思ってるんだけどな。
「邪靡堆に都す。則ち魏志の所謂る邪馬臺なる者也」『隋書』(633年)
631 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:20:04 ID:FY4pSCr40
>>625 伊勢神宮は「太一」(たいいつ)を祀っている。
太一は秦一であり本来は泰山で「天帝」すなわち「天皇大帝」を祀っていたもの。
世界中で伊勢神宮だけが太一を祀っているし、おそらくはもとから祀っていた種族の末裔。
つまり天皇の本当のルーツは「本物の天帝」かその一族だと考えられる。
(そうでなければ恐れ多くて天皇などと名乗れるはずが無いし、古来からの日本的発想に合致しない)
そして唐でさえ日本が天皇を名乗ってもそれを否定しなかった。
ちなみに皇帝は泰山に昇り封禅の儀式をし「天帝に報告」して初めて皇帝になれるもの。
632 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:20:36 ID:eWEFEomC0
>>628 うむ。
しかし、宇佐平野や中津平野が山一つこえたところにある状況で
今の大分市のあるあたりが邪馬台国ってのはムリがある気がする。
633 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:20:40 ID:Sug9ups30
宇佐には渡来人の「秦王国」があったとされる。
宇佐神宮も渡来人の八幡の神だよね。
すると、邪馬台国が宇佐にあると思うのは、無理があるんじゃないの?
と思うけど、そのへんどうなんだろう?
>>605 実際の歴史や伝承が、神話に変化したってことも考えられるだろ。
天岩戸のエピソードは、どうみても皆既日食の神話的表現としか思えんし、
出雲の国譲りは、大和朝廷につながる勢力と出雲が戦争して、
出雲が屈服したって史実を表してるんだろうし。
ノアの大洪水だって、神話だと思ってたら、
(いや、キリスト・ユダヤ教徒はそう思ってなかったか?)
バビロニアの粘土板に記録されてたんでしょ。
>>628 徳島はユダヤ王国だったという説は?
前駐日イスラエル大使が
徳島はユダヤ王国だったと断言してるんだけど
>>608 いやいや。半島由来より、多分中国南部直ルートの方が濃いかも知れん。
水稲耕作は、気候の関係で明らかに中国南方直ルート。
鉄は半島で、こちらは交易関係。出先機関が任那にあった。
それと、仏教にしろ何にしろ、半島は経由しただけでしょ。
東京から大阪に出張した人は、「俺は名古屋から来た」とは言わないでしょ。
>>621 伊勢神宮とか言い出すと、話がこじれるかなw
こんなスレにもホロン部がきてんのなw
638 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:25:57 ID:48euAfym0
邪:シャーマニズムの祭政一致の
馬:馬のいななきがそこら中に聞こえる馬の
台:大きな墳墓がたくさんある
国
であることは、想像できるな。
大陸から色々伝わって来たって事は中国の文明も相当流れてきてたって
事の証明になるだろ。
あの時代 中国の文明レベルは言わずもがなだから大和にあった王朝が
日本人が思ってる以上の文明だった可能性は高いぜ。
>>628 君の持っている記紀や風土記には、大和王権が邪馬台国になったと書いてあるの?
>>634 そういう事を言い出すと、南方モンゴロイドの共通神話の話になっちゃうぞと。
642 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:29:44 ID:Sug9ups30
>>635 さすがに、そこまで考察するのはどうかと思うが・・・
シルクロードを通って、ユダヤ人が来てた可能性までは否定はしないけどね。
神社とユダヤの祭祀が似てるのは事実みたいだし。
祇園祭りの例もあるし。
ただ、祭祀形態がいつ定まったかにもよると思うよ?
7世紀になって、渡来人の往来が増えてから、ユダヤ教の作法を神道が模倣したのかもしれん。
その方が可能性は高いと思うが。
>>634 日神と月神の下に邪星が居て(必ず三兄弟)、その邪星の悪行のせいで日食と月食が
起こるという日食説明神話が東南アジアにも多いそうだが、稲作とともに日本に持ち込まれた
可能性が高い。
644 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:30:54 ID:eWEFEomC0
>>640 サイクロンが来たとか、大地震がきた後に海が山に向かってきたとか
向かい側の山が噴火してくずれたらこっちに津波がきてえらいめにあったとか
普通に伝承で聞いたら神話にしか思えんかもな
徳島に住んでる謎の一族って何だっけ?
山奥のボロ屋に住んでるけど
皇室の儀式にはその一族がいないとできないの
今の天皇が即位するときとか
徳島から皇居まで出かけていって儀式をする謎の一族
神話は実際あったと思われる事にかなりの創造を加えてぽいからどこまでが
真実なのかって疑問がある。
647 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:34:38 ID:aLEgJTFM0
>>638 馬の骨が出てくるのは5世紀くらいからじゃね?
イザナギとイザナミもあれは兄妹(最初に生まれたのが奇形児・蛭子、近親相姦の
禁忌)で、あれは全世界に見られる洪水神話の痕跡だと思う。
649 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:35:39 ID:kcPHGovM0
やまと国がなんで糞九州なんだよ
650 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:35:48 ID:48euAfym0
馬と鉄器はペア
651 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:37:59 ID:eWEFEomC0
宇佐神宮があるんだし大分なんじゃね。
あそこの祭神は卑弥呼なんだろ?
とにかく徳島には秦氏が大量に住んでいて
秦氏はシルクロードを渡ってやってきたユダヤ人集団で
徳島には天皇の即位の礼になると
皇室から呼び出されて儀式を行う謎の一族が住んでると
みのもんたが放送しまくってる
使節団は邪馬台国に行くことが目的だったわけで、
距離を知りたかったわけじゃない。
測量しながらだと、時間もかかるし、当時の技術でどこまでできるか疑問。
だから、歩いた時間で大雑把に見積もっただけだと思うのよね。
何より、魏志倭人伝の著者はあの
数字をごまかすことにおいては数々の実績がある中国人。
一方、方角は星を見れば簡単に分かるし、
当時の中国は天体の知識はかなりあったと思われる。
それを踏まえると、九州説の方がありそうなきがする。
素人考えだけど。。。
655 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:40:21 ID:Sug9ups30
>>653 こらこら。デタラメを言うな。
徳島にいるのは「忌部」
秦氏がいるのは、宇佐。
宇佐は渡来人の開拓した地だから、宇佐を邪馬台国と考えるのは困りものだと思う。
656 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:40:46 ID:kcPHGovM0
九州にはやまと村はあっても、やまとの国はない
657 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:42:14 ID:s9gyKQsK0
徳島以外にも邪馬台国の比定地が有ったのか。
>>655 みのもんたは徳島に秦氏が大量に住んでいると言ってるよ
町の看板が全部、秦さんだった
659 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:42:28 ID:2SBZaU6d0
大分説には重大な欠点がある
魏志倭人伝に記述がある水銀鉱山が大分には無い。
660 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:44:11 ID:O+xyBcgl0
北部九州は稲作に適してたから定着して大陸との交流も盛んだったんだろ
しかし南九州は稲作の敵地が少なかったから、本州へ移動して大和政権の元になったんだろ
そのうち大和政権が北部九州の先進地域を武力で吸収したんだろ
その北部九州の一派が葛城氏や曽我氏の流れで邪馬台国の系統だろ
662 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:45:15 ID:V1B0PLyW0
パンツまだつかまっていなかったのか
しかしなんであんなとこに八幡宮のなかでも
一番格上の宇佐八幡があんなとこにあるんだろう
663 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:45:47 ID:Sug9ups30
>>659 古代の水銀鉱山どこにあったっけ?
たしか、山陰か近畿のどこかだったと思ったけど。
664 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:46:49 ID:EOHMLrQO0
宇佐は八幡神です
たぶん大分じゃない
魏志倭人伝ってさ中国の書だし そもそもこれって魏つまり中国が倭の国
日本を属国に置いてたって事を言いたいだけの話だろ?
そこに出てくる卑弥呼や邪馬台国って実際は存在してたのかって疑問もあり
単純に大和王朝や日本の各地の小国と交遊があり金印や銅鏡なんかを送って
たりしてたのを誇張して筆者が創造した可能性もゼロではないんだよな?
お告げで国を支配してたとか 東方の神秘の国倭の邪馬台国
フィクションで書いたんじゃねえの?ww
邪馬台国は岩手の八幡平だよ。
大和あたりには伊都国があった。
たんねんに追っていけばそういう結論になる。
667 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:47:06 ID:OrPJpDs90
邪馬台国は佐賀。これで決まり!
「歴史書にある位置や方角を丁寧にたどっていくと、邪馬壱国は〜にありえない」
〜にはお好きな地名を入れてください。
669 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:48:35 ID:eWEFEomC0
>>659 いや、たしか大分の近所には辰砂の産地があったはず。
どこだか忘れたが。
672 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:51:56 ID:V1B0PLyW0
>>665 まぁあの当時の東アジア情勢を鑑みるに
魏は呉と倭人が組まれるとやばかったからな
まぁくな国と邪馬台国が魏と呉の代理戦争をやっていたかもな
674 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:52:50 ID:Sug9ups30
675 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:53:08 ID:trxaS8NO0
なんで邪馬台国だけこんなに人気なんだ?
邪馬台国=大和国
これに疑いを持つ香具師は数学を勉強しる!
677 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:54:03 ID:CzM2CxVFO
678 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:55:01 ID:96pSF9haO
歴史書を辿るとムー大陸の存在が確定されるとかにはならないの?
679 :
北海道アイヌ枚方市 :2008/05/19(月) 20:55:39 ID:Y3juwCk50
大分かぁ?
KCOが卑弥呼になれば認めるよ。
680 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:55:43 ID:V1B0PLyW0
>>678 ムー アトランティス レムリア
ああすばらしき超古代文明
681 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:56:53 ID:eWEFEomC0
>>680 大分の別府湾には島が一夜にして沈んだ伝説がある。
温泉大国の大分なら水銀は出そうだな。
ラクテンチの場所とか金を採掘しちゃいなよw
土偶は宇宙人を似せて作られたとかと一緒の話になってくるなw
684 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:57:18 ID:SPzB0bHs0
このスレで、まだ阿波風土記への言及がありませんね。
685 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:58:04 ID:QbfWiuU6O
686 :
北海道アイヌ枚方市 :2008/05/19(月) 20:58:37 ID:Y3juwCk50
この間、桜の季節に大分に旅行で行ったんだけどさぁ。
朝食でチョコット出してくれた海苔の佃煮が、旨かったよ。
今までに無い「のりの佃煮」の味だったなぁ。
海草というか?
潮の香りというか? 原料が「生のり」だったのかな?
687 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 20:59:21 ID:ZhSNlkau0
卑弥呼がいたかは箸墓から1000人の処女の恥骨が出れば証明できる。
金印はC14でガセだとわかっている
>>672 おもしろい発想だけど
帯方郡の記録を見るに
邪馬台国を維持したがってたのは
帯方で中央はあまり関心がなかったみたいだよ。
魏志倭人伝どおりに航海すると鹿児島湾まで出ちゃうんだよね
おいらとしては、船の舳先は南に向いていたけど西へ流された、という説を取る。
あるいは、魏の連中がわざと間違った位置に設定しておいて日本という国の
神秘性を出そうとしたのかもしれん
(「こんな辺境の連中と親交のある俺たち魏はすごいんだぜ!」ってなプロパガンダ)
当時は
九州:邪馬台国、畿内:後の大和、出雲の3つの勢力があった
最大の国力を持っていたのは畿内だが
九州は東シナ海に展開できる海軍があったから魏が金印を与えた
九州が対馬海峡と関門海峡を封鎖したせいで大陸と交易できなくなったので
畿内と出雲が組んで九州を滅ぼし、出雲が新たなヤマトになった
のちに畿内と出雲(ヤマト)が対立して、出雲も九州で滅ぼされた
九州で滅ぼされた国が二つあったのがキーポイントだろう
691 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:01:18 ID:ZJLQTir/0
卑弥子のAVのお世話になった奴いるだろ?
692 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:01:24 ID:ZhSNlkau0
GPSナビに魏志倭人伝の航路を入れて航海して見ればいい。
当時の海流はいまよりはやかった
693 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:01:43 ID:aBGFp/CZ0
694 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:02:58 ID:MY5vjKGN0
良いことを思いついた。将来タイムマシンが発明されるかもしれないのでそれを
期待して「子孫へ、邪馬台国の所在地がどうしても知りたい、これは単に個人的な
興味によるものでそれによって利益を得ようとか発表して名誉を得ようと考えての
ことではない。決して答えは他人に漏らさないから私にその所在地を教えてくれ
。現在の住所と日付と名前」と石に彫り代々伝えてくれと遺言する。
実は石屋なんで昨日早速石板に彫って机の中に入れておいた。
いつが子供ができたら渡して子孫に伝えてくれって言う予定で。
ところがさっき机の引き出しを見たらもう一枚全く同じ石板があって
俺が彫ったのと同じ文の下にものすごく細い字が書いてあった。
いや正確には彫ってあった0.1mm位の太さで深さは石版を突き抜けないぎりぎりで、
まあそんなことより書かれていた内容は
天空の城ラピュタだな。
恐らく大和と出雲に勢力があったのは確かだろうが九州に関しては
あったとするなら邪馬台国や南にもクナ国など何種類かの小国があったのでは
ないかと思われ。
それを3つの勢力と括るのはどうかと思うがな。
697 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:06:37 ID:SPzB0bHs0
>693
四国・徳島の若杉山遺跡では丹(水銀)の形跡があるそうですね。
採掘か精製か加工か流通か交易拠点か。
四国出身の空海は、佐伯という家系ですよね。
空海が、四国に八十八箇所の札所をつくった意図は、
古代日本の由来や国家成立経緯と密接に関連するのかな。
698 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:07:45 ID:ScOzMKL70
邪馬台国の前の時代はアンデス分明だったんだぜ
太平洋の真ん中にでっかいムー大陸があってな
アメリカ大陸と行き来もしていた
そのムー文明の時の日本人は
位が高くってな
神をつかさどる身分だった
まぁ、いわいる王族だな
それで世界を支配していた
日本人がな
南米あたりの民族も同族だぜ
>>672 呉は台湾とか沖縄に人狩りしにいってたぐらいだから、
もう少しすれば九州まで手を伸ばしてたかもね。
>>696 邪馬台国が東北都市連合と考えれば、すべて解決する。
大和、てか亀岡あたりに伊都国があったんだろう。
勢力の対立は、狗奴国(瀬戸内海の都市連合)とだろう
701 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:17:21 ID:V1B0PLyW0
⊂⊃ /~~\ ./~~~\
⊂⊃ /~~\ ⊂⊃ / \/~~\/ ⊂⊃..\
.....,,,,傘傘傘::::::::傘傘傘.................,,,,傘傘傘::::::::傘傘傘:::::..\:::::::::::::::::::::傘傘
,,,,, ,,,,
,,,, 傘 ...,,,,,---''''''""""" ̄ ̄ ̄ ̄""""""''''''''-----
,,,, 傘 ( 傘傘 ̄ ̄ ̄""""'''''''''''''"""" ̄ ̄
-----,,,,_ 傘 """''''''== )傘 ,,,, ,,,,,
'-----ニニニニ''''''''''-------'''''""´ ノ ,,,,, ,,,,,,
,,,,, ,,,,,,  ̄"""'''''''-----'''''"傘傘 ,,,, ,,,,
>>701 縄文期から寒冷化にしたがって稲作地を求めて南下してきた
と考えた方が合理的だと思う。
704 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:21:05 ID:IKuAk7skO
>>653 kwsk
俺、徳島在住なんだが名字がアレで…先祖はユダヤ人なわけ?
705 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:21:11 ID:ScOzMKL70
ムー大陸沈んだから
今の日本は国土がちっちゃくなったけど
浮上してくれば
本当の日本人の過去がわかるだろう
また目覚める
天空に浮かぶ大大大陸こそ
日本人の故郷なのだ
沈んでからは繁栄の記憶も失い
孤独感も味わってきたが
密かに真実が書かれた歴史書が受け継がれているので
俺んちで
ガハハはハハハ
706 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:21:41 ID:Sug9ups30
>>700 亀岡あたりに伊都国ってのは無理だろさすがに。
でも、「一大率」ってあるじゃない?
「女王国より以北には、特に一大率という役職を置いて諸国を検察させている」
大和の北には「率川宮」(開化天皇の都)ってのがあったんだぜ。
時代的に邪馬台国と符号。
「率」を地名にもつ場所は日本でここだけじゃないか?
707 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:21:51 ID:SPzB0bHs0
大分県の佐伯と呼ばれる地域は、四国とすぐ近くの海沿いですね。
佐伯氏は、古代日本の有力氏族か。
708 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:22:13 ID:iDhZcTSt0
邪:ヤと読んではいけない。「ジャ」か「サ」
馬:マと読んではいけない。「バ」と読む。
台:タイじゃない。「イ」が正解。
以上のことを踏まえて、邪馬台は「サバイ」と読むのが正しい。
すなわち、今の福井県鯖江市だ。
というトンデモを昔聞いた。
709 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:22:41 ID:V1B0PLyW0
青森を基点に円を描くと面白いんだよな
>>700 末盧国・・・佐賀県唐津市松浦
伊都国・・・福岡県糸島郡
これはほぼ確定してる
狗奴はたぶん「毛野」だな。祟神天皇(ミマキ)第一皇子の豊城入彦命(上毛野氏
下毛野氏の祖)が毛野に左遷されて異母弟の垂仁天皇(イクメ)と多少揉めたんだろう。
それを当時の支那人が大げさに書いたんだよ。
712 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:25:17 ID:ZhSNlkau0
大陸との交易品が出ないとだめ
怪獣葡萄鏡はにせもの
713 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:26:26 ID:9ExTldDe0
>>703 なるほど、気候変化に伴って南下したというのは面白いな。
八幡平説そのものは鯨統一郎のヨタ話だろうがw
715 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:27:28 ID:W7ezjdm50
何この古代史の首都移転問題wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>706 自女王国以北〜だよ。伊都を基点に書いてるんだから
伊都から北ってことじゃないかな。確か常に伊都國に治すってあったと思う。
だからむしろ君が書いてるのは大和に伊都国があったってことじゃないの。
717 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:30:16 ID:39Wvp3+N0
金印の「漢倭奴国王」を「漢のイト国の王」と読んだ人がいた。
伊都国はやはり福岡県の糸島郡近辺(博多にも近い)だと思う。
718 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:32:08 ID:GaJ05cxq0
719 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:33:26 ID:SPzB0bHs0
720 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:33:34 ID:lKBqvEe10
それでホントはどこにあるの?
721 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:33:57 ID:Sug9ups30
>>716 というか、「率(いさ)」という役所が全国にあったんじゃないかな?
宇佐や伊勢も「率(いさ)」の転かもしれないよ?
その中の一つの「大率」が九州にあったんだろう。
まあ、おもいつきだ。忘れてくれ。
722 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:35:20 ID:ZhSNlkau0
漢倭奴国王
漢の倭人奴隷の国王
卑弥呼は人買いだった
奴隷を大陸に送っていた。
邪馬台国はヤマト・・・古代アイヌ語の語源
723 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:35:55 ID:O+xyBcgl0
こっちから出向いてさらって来たのか自分の意思で来たのかいらないが
一日10人の人間が大陸から流れ込んだとしても100年間で約30万人
当時の日本の人口から考えたらかなりの人数だな
>>714 与太っていうかあれは変質的な九州説者への皮肉だろうなw
でも検討してもいい仮説だと思うよ。
ようは末盧国の位置だな。そこを九州だと言い張ってるのはもう変質的だから。
725 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:37:07 ID:7HNLKhpA0
めんどくさいから、東京でいいよ
726 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:38:32 ID:o+J3Cc1r0
所詮、さいたま星人のタワゴトだろ
727 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:39:14 ID:Ckwo1twp0
ださいたま
730 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:42:02 ID:SPzB0bHs0
731 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:42:19 ID:ScOzMKL70
金印は志賀島で見つかったんだろ
邪馬台国は福岡だろ
金印貰ったのは倭と大月氏だけ、とかそんな話だろ、所詮。
>>724 まあ、東北にあってもおかしくはない気もするが、
「八幡」だからってのはないよな。
そんでもって壱岐経由なのは確定なんだから、末盧はやっぱり
北部九州な気がするなぁ。
734 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:45:56 ID:LBVBUhZ90
>>699 いや実際来ていたという気もする。
吉野ヶ里遺跡は明らかに海側に防御線を敷いている。
たまたま公孫氏に朝貢に行ったが既に亡んでて、そのまま魏に行った
ところ呉と敵同士ということがわかって庇護に入ったんだろうね。三国
とも外への拡大に忙しい時期だったわけで。
そして軍事顧問団の派遣となった。辻褄はあう。
735 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:46:23 ID:Sug9ups30
>>731 それ、卑弥呼がもらった金印とは違うよ。
737 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:47:15 ID:ta25hmnfO
そういや忌部って苗字の女の子がいたな
氏=苗字の本物の忌部さんなんだろうか…
738 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:47:52 ID:ScOzMKL70
吉野ヶ里は海から遠すぎる
ただの部族の集落だろ
>>141 魏志倭人伝読んだことないなw
要約すると
「邪馬台国人は超長生きだぜwwww
70歳とか80歳がゴロゴロいやがるwww
マジやべぇえええええええぇっぇぇlww」
て書いてある。
740 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:49:00 ID:Ckwo1twp0
741 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:49:11 ID:exrYfCFxO
◎徳島
○大阪
△佐賀
×大分
742 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:49:44 ID:FY4pSCr40
>>672 呉の文献によると、呉が滅びた年に魏の侵攻を阻止するために集結した1万隻の艦隊がどこかに逃亡したとある。
どこかといってもチャイナで無くて船で逃げるなら日本か朝鮮半島になる。
そして、邪馬台国の台与から魏(晋)への使者がぷっつりと途絶えてた。
呉の艦隊が日本にやってきたなら当然魏への連絡は途絶えたはず。
邪馬台国って日本中にばら撒かれてるんですね
744 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:51:09 ID:ScOzMKL70
で、熊本説でいんじゃね?
阿蘇に近いし
745 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:51:21 ID:4ZHEFGg20
材料物性だろw
>>742 呉からカッパがたくさん渡ってきて
川べりに住み着いた。
(熊本県八代のカッパ伝説)
747 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:51:35 ID:O+xyBcgl0
そもそも大陸と地続きの時から朝鮮人と同じ種類の縄文人がいた訳だから
そいつらが南洋系の縄文人に山奥に追い込まれて、原始人みたいな暮らしをしてたのかもわからん
それで骨が見つからないんだろ、弥生の時代に稲作の農奴にされてて爆発的に増えたのかもな
748 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:52:36 ID:bteu6lQPO
古墳を掘りまくって親魏倭王の金印が出たところが
邪馬台国のあったとこ、でいいだろ
古墳掘らせろよ宮内庁
749 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:52:42 ID:ZhSNlkau0
広開土王と「倭の五王」―讃・珍・済・興・武の驚くべき正体 (単行本)
小林 惠子 (著)
天才の血が流れる大分の可能性が高いな。
751 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:53:44 ID:SPzB0bHs0
>>733 確定してないんじゃないかな。
一大から末盧までわずか10kmあまりを千里なんてのはちょっとね。
そんな中継点を取る必要はないだろ。
まだ一大が博多湾近辺だと言うのならわかるよ。
でそこから海を渡ってというのなら松江、鳥取あたりのほうが想像しやすい。
753 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:54:54 ID:48euAfym0
754 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:56:56 ID:iDhZcTSt0
おまえら、魏志倭人伝の日数が本当だと思ってる?
ありゃ、出張旅費稼ぐために水増ししてるんだよ。
壱岐までの距離見れば分るやんか。
だから、壱岐以降の距離・日数も何分の一かにしなけりゃ
ダメなんよ。
水行10日陸行30日も水30日も1/5くらいが適当だろ。
そしたら、邪馬台国は水行2日陸行6日、投馬国は水行6日だ。
九州以外にないだろ。
あと、投馬は殺馬(サツマ=薩摩)の誤記な。
755 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:57:55 ID:HQc8Woj90
つーか、ウチの倉には銅鐸が有る訳だが・・・・
今更、出せないんだよねwマジで・・・
>>752 当時一里は数百M
千里は距離が長いことの比喩
757 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:58:43 ID:bteu6lQPO
>>742 呉が滅ぶ前に魏は滅んで晋になってる訳だが
一万隻とかいう話も聞いたことない
人口不足に悩んでた呉の孫権が
人さらいの為、海の向こうにあるイ州と亶州に将軍を派遣した
て話ならあるが
>>756 だから壱岐島から九州北岸なんて10kmかそこらでしょ。
へたしたらすぐ対岸がみえるよ。表現としてまずおかしい。
759 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 21:59:52 ID:zNBiTQYD0
こんなもんニュースでもなんでもないだろ!
歴史なんてウソで塗り固められてる
761 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:00:38 ID:pd1fE0eQO
卑弥呼は池袋出身だよ。
ピアノが巧い。
762 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:03:41 ID:bteu6lQPO
壱岐と九州って五十キロは離れてるが
763 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:05:09 ID:ScOzMKL70
おまいら日本にあったと考えすぎ
正解はチェジュ島
小日本が
764 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:05:15 ID:GBYNXxz10
もう宮崎でいいよ
765 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:05:42 ID:SPzB0bHs0
徳島には、神山神領という地名がある。
名称が普通じゃない。
古代有力氏族佐伯氏につらなる空海によって
四国には、八十八箇所の札所が設置されている。
鶴亀山(今は剣山と呼ばれる)を御神体とする栗枝渡(栗須戸=クリスト)神社が徳島にはある。
徳島の白人神社近くには、古代ユダヤの祭祀に用いる祭壇に似た遺跡があり、
エリヤフ・コーヘン前駐日イスラエル大使も視察に訪れているようだ。
近年になって、徳島から大量の初期の古墳群の存在が確認されているという。
徳川幕府や水戸光圀も、阿波(徳島)を調査していたという。
阿波風土記とそれの研究書はそれぞれ禁書扱いされたとの噂がある。
いろいろと、妙ですね。
766 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:06:59 ID:LBVBUhZ90
724 名前: 名無しさん@八周年 [sage] 投稿日: 2008/05/19(月) 21:36:02 ID:Z+QmlE9G0
>>714 与太っていうかあれは変質的な九州説者への皮肉だろうなw
でも検討してもいい仮説だと思うよ。
ようは末盧国の位置だな。そこを九州だと言い張ってるのはもう変質的だから。
↑こういう二言目には変質者とか狂人とかいうクズが奈良説にはいっぱいいる。しかも学者様にw
767 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:07:15 ID:7H6kIMPr0
まあ関西だけは有り得ないな
768 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:08:22 ID:DIBpRUyn0
やべー
佐賀涙目w
769 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:11:13 ID:bteu6lQPO
壱岐と九州、最短距離なら二十キロだった
やっぱりオープン市か
東大閥は九州説
京大閥は畿内説
772 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:14:06 ID:us1RgAyxO
だ、だいぶ
773 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:14:52 ID:cqAsAJDtO
支那の資料は数値が適当
現代の情報すら信用できない中国なのに。
そんな大昔の話。まじめに議論するのがおかしい。
で、なんで眼科医なんだよ。
776 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:22:17 ID:V1B0PLyW0
卑弥呼は
火の巫女なのか日の巫女かはっきり汁
千年二千年も前なら発音もだいぶ違うし
778 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:24:51 ID:45/KyHgn0
耶馬渓って言うところが大分と福岡の両県の中心にあるんだけど
そこが邪馬台国だと思う。
779 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:26:32 ID:SPzB0bHs0
和銅6年(713年)、元明天皇の命によって、阿波という表記になったという。
阿波つまり初めの波とは、どういう意味なのだろう。
大陸から渡来してきた人々の最初に拠点とした場所、という意味なのだろうか。
阿波国という名称が天皇の命による律令制によって、ずっと続いていたのに、
徳川幕府による治世となってから、阿波国(徳島県)と淡路国(兵庫県淡路島)を
徳島藩と呼ぶようになった。徳川から一字をとって。
不思議です。
780 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:32:03 ID:Nu0giUL90
>>779 好字2文字を以って地名とする前は
粟長の国
ってかいてあるぞ
>>752 500里だよ。
つか、朝鮮半島−対馬、対馬−壱岐、壱岐−松浦(末盧国)を
1000里って書いているんだから、末盧国−伊都国が500里
でも、ぜんぜん問題ナッシングだよ。八女あたりで十分。日田だと
遠いくらい。
782 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:33:06 ID:bteu6lQPO
>>775 まぁ対馬から壱岐の距離の記述もおかしいし
距離はあんま当てにならないかも
>>777 大分の耶馬溪は、江戸時代に頼山陽が命名
だから邪馬台国とはかんけーねー
783 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:36:31 ID:SPzB0bHs0
784 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:36:35 ID:bteu6lQPO
この頃の関東や東北ってどんな状態だったんだろうな
786 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:39:51 ID:dJyPE4w80
>778の言うように耶馬渓には意味があるかも。
そういえば20年前に大分県に行ったら「卑弥呼神社」があったので
エッっと思ったことがあったな。
それに大分県の宇佐神宮は全国の八幡神社の総本山だっていうしね。
787 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:40:16 ID:Btm7KVKW0
ひみこ=日神子(日巫女)がほんと。豆知識な。
788 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:41:47 ID:SPzB0bHs0
四国を調査していたとも噂される徳川幕府は、
なぜ阿波を徳島と名を改めさせたのでしょうか。
>>779 阿波は別名(オホゲツヒメ、大宜都比売)だから間違いなく"粟"が名前の由来。
790 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:45:24 ID:KcY8H2h80
耶馬溪って
江戸時代に来山陽がつけた名前
791 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:45:46 ID:FY4pSCr40
792 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:46:57 ID:Btm7KVKW0
ちなみに、男の名前
○○彦 = ○○日子 がほんと。豆知識な
793 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:47:23 ID:jJhoREEl0
>
>>778 耶馬溪って超秘境じゃん・・・
紅葉とか、山女とかで有名だったかな?
794 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:47:58 ID:SPzB0bHs0
>765
>エリヤフ・コーヘン前駐日イスラエル大使
エリ・エリヤフ・コーヘン氏かも。
ファースト・ネーム間違えてしまったようです。
コーヘンだから、レビ族・祭司の家系の方ですね。
795 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:50:06 ID:miY1lAXuO
ちょーヤバ系じゃね?
中国の話信じる奴いないだろ
797 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:51:35 ID:KcY8H2h80
>>787 ひみこ = 日御子って可能性だってある
彦 = 日子だし
姫 = 日女だから
798 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:52:55 ID:mvt/zsk00
俺大分の民だけどとっとと高架工事終わらせろksg
799 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:53:14 ID:FY4pSCr40
>>796 殷や夏の時代に遡っても古代王朝のほうがまだ記録は信じられる。
(嘘つくと本当に神様に罰を当てられると思っていたかも。)
大分は豊の国→台与の国
宮崎は日向(ひゅうが)→ひむく→卑弥呼の国
これ極秘情報な
うむ、阿波か。大麻比古神社といえば麻なので
阿波の忌部氏の先祖の天日鷲命は製紙業の神様なのだ。
この神さまが安房経由でずんどこ関東にやってきて東京台東区は
製紙・出版業界なもんで鷲(おおとり)神社だ。「らき☆すた」の鷲宮神社も
ここんちのチェーンだ。
なにを言いたいのかよくわからんが、邪馬台国とは関係ないんじゃないか。たぶん。
802 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:54:35 ID:HQc8Woj90
つーか、九州はないわ
803 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:55:16 ID:bjYxr8JnO
36歳童貞の俺の推察では、
ヤマタイコク=ヤマトコク
よって近畿説を支持する。
804 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:55:47 ID:Sug9ups30
>>800 そんな語呂合わせは日本中でできるぞ。
四国の場合
粟国(アハ)→イハレヒコ(神武天皇)
長国(ナガ)→ニギ・ニギハヤヒ
これ極秘情報な
805 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 22:56:17 ID:YY7lG4Zf0
卑弥呼自体居たかどうかは謎だろ。60数年前の事も分からないのに。
807 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:00:01 ID:V1B0PLyW0
卑弥呼は日本初のおねぇ系
だから表にでてくることはなかった
808 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:00:47 ID:t5dOJboz0
なんでも言ったもんがちだな
愛知県に決まっているだろ。
常考。
言語学とかをちょっとでも理解してるのかな
その上でこじつけてんのかな
奈良県桜井市でしょ。
812 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:06:24 ID:SPzB0bHs0
>801
つながりますね。
古代において文字情報を残すのは、統治者側に属す権能だったのでしょうね。
航海術を持った人々を海人族というのでしょうか。
千葉の安房(あわ)周辺には、四国・近畿と似た地名が多くあるのでしたっけ。
それにしても、鳥つながりなのですね。
つまり、秦氏関連ですか。
鷲宮神社は関東最古とか。由緒あるんですね。
鷲宮神社のある埼玉県で今、日経グループのテレビ東京が
埼玉古墳群の調査をしているようですね。
かなり古い時期の古墳群で、川を利用して関東一円で交易し栄えていたのではないか、とか。
813 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:07:37 ID:4HTdZ7z2O
今に見ていろ邪馬台王国、全滅、だ!
マルタイ国
815 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:10:37 ID:mvt/zsk00
(●)<まぁもうすぐ南日本及び四国島連合王国として独立して核保有するけどな
816 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:11:35 ID:Sug9ups30
>>812 秦氏と、忌部は関係ないっつの!
忌部は四国
秦氏は宇佐
阿波の忌部が安房を開拓したのは本当。
817 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:11:54 ID:SPzB0bHs0
阿波に、神山神領と呼ばれる場所があるのは、
いったい、何を意味しているのでしょうか?
何故、徳川幕府は阿波を徳島に名を変えさせたのでしょうか。
818 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:14:01 ID:Sug9ups30
ちなみに、茨城の鹿島神宮は、忌部と祭祀をしてた中臣が置いたみたいね。
819 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:16:34 ID:bteu6lQPO
>>791 調べたけどわからなかった。正史ちゃんと読むか・・・。
820 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:16:59 ID:SPzB0bHs0
>816
>秦氏と、忌部は関係ないっつの!
門外漢なので、正確な事実や知識を知りません。
間違いがありましたら、すみません。ご容赦ください。
大分は筑紫と村山の出身県。この意味わかりますね。
寝言は寝て言え。
822 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:19:51 ID:Sug9ups30
>>817 >何故、徳川幕府は阿波を徳島に名を変えさせたのでしょうか。
もし、関係があるとしたら、
徳川幕府がなぜ葵紋を採用したのか調べる必要があるかもな。
葵は、「あふひ」といって、粟「あは」とかけて歌われたりするな。
>>816 だから徳島に秦氏がいっぱい住んでるんだよ
徳島には秦氏が作った神社もある
824 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:20:25 ID:wj3g1rnBO
ハニワ幻人マダー?
825 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:20:32 ID:Jfmbe19W0
>>823 織物の秦氏と製紙の忌部氏との間には2000年来の確執があったのだ。
そして時は流れて20世紀後半、さらにややこしい事態が出現した。
紙オムツと不織布の出現である。
827 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:24:00 ID:vmsjDWB20
日巫女(ひみこ)
日御子(ひみこ)
姫御子(ひめみこ)
日女子(ひめこ)
御芽子(おめこ)
>>817 関が原後、旧領を復した蜂須賀氏が喜んで"徳"付けたんじゃないか?
830 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:28:41 ID:SPzB0bHs0
>822
>葵は、「あふひ」といって、粟「あは」とかけて歌われたりするな。
興味深い貴重なお話ありがとうございます。
初めて知りました。面白いですね。
>822
>徳川幕府がなぜ葵紋を採用したのか調べる必要があるかもな。
宮中祭祀に与る忌部氏か鴨氏の紋が葵だと聞いたことがあります。
また徳川家康の出自について賀茂氏(加茂氏)につながるとの説があるとも。
京都の、下鴨神社・上賀茂神社では、葵祭りが行われますよね。
家康は賀茂氏とのつながりを誰かにアピールする意思があったのでしょうか。
831 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:30:31 ID:wsaVPkFk0
「邪馬台国へようこそ」とかいう看板でも出てくれば特定できるんだけどねぇ。
832 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:34:57 ID:nn1g8e2n0
>>831 そんなこと言うと、観光客目当てのあほな自治体が
そこらじゅうで「邪馬台国へようこそ」という看板を立てるぞ。
833 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:35:07 ID:4b10ZZdq0
>>194 遅レスだが、八岐大蛇は八つの山にまたがるほど大きな大蛇であって、八つの頭があるって意味じゃないよ?
それはアニメかゲームの影響を受けすぎ。
現実問題として邪馬台国が近畿なら、大和王権と併存していたことになるが、それはちょっと考えづらい。
邪馬台国は九州にあって、大和朝廷が近畿にあった。
大和朝廷は漢帝に朝貢をやっていなかったが、邪馬台国は漢帝に朝貢をやっていた。
結果、漢は邪馬台国を倭の統治者と見なしたってとこじゃね?
だけど、漢が滅んで後ろ盾を失った邪馬台国は、大和王権に征伐、併合された。
834 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:37:11 ID:bteu6lQPO
親魏倭王の金印を見つければ、全て解決
835 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:37:40 ID:Sug9ups30
836 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:38:35 ID:SPzB0bHs0
>>816 徳島の美馬市という所に秦氏が住んでるんだよ
秦病院
(株)秦建材?
秦電気商会
秦眼科
なんでアンタが現実を見ないで必死に否定してるのか意味が分からん
確かに徳島といえば大麻比古神社が有名だけど、なぜか阿波國に一宮は4つある。
てか地元の人間もあまり知らないが、一宮神社、上一宮大粟神社、天石門別八倉比売神社、大麻比古神社の4つで、
大麻比古以外はすべて「オオヒルメ」「オオゲツヒメ」を祭ってる。両方とも天照大神の別名とされている神であり、
大麻比古の祭神の太玉命は天岩戸の際、注連縄で岩戸に封をして天照大神が隠れない様にした神様であり、4つの神社の位置を見てもまるで大麻比古神社が他の三社を守る様に鎮座している。
ちなみに一番位が高いのは天石門別八倉比売神社で、社の奥には謎の五角形の石櫃がある。
http://m.pic.to/sj6jt
一応大分に去年までずっと住んでたがこんな説唱えるやつ初めて見たw
840 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:41:21 ID:P2ZqYM0xO
こういうのって大分県民が一番関心無さそう
内緒だけど
実は長野。
842 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:43:27 ID:Sug9ups30
>>837 だからぁ。
秦さんが四国に多くいても、氏族的に忌部とは関係ないんだってば。
843 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:43:38 ID:bteu6lQPO
蜂須賀の本籍は美濃の土豪でそ
秀吉に封じられて阿波の大名になったわけで
家来連中も、美濃にいた頃の仲間がいたりする
土地の改名をしたとしたら、秀吉政権下での事では
他にも蒲生氏郷や加藤清正やら、秀吉政権下で
土地の改名をした大名は多いし
844 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:43:48 ID:FNBegDUmO
845 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:44:23 ID:rGhQj55k0
邪馬台国が鹿児島でないことは確かだと思う。
なぜなら、中国の使節が鹿児島に来たら、必ず桜島のことを書くと思うから。
(煙を吐く島があるとか)
質問です
大分県ってどこにあるの?
847 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:45:00 ID:O+xyBcgl0
大分てのは九州て言うより瀬戸内圏だからな、四国とのつながりが深いんだろ
848 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:45:06 ID:XTZSPiLQ0
>>14 マジレス沖縄〜奄美だよ。
鹿児島に上陸したってことは。
卑弥呼は国分太一に見えたw
851 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:45:18 ID:LBVBUhZ90
呉の艦隊が行き場を失って日本に来たというのは面白いな。
日本語の漢字は呉音。そして、一時国交普通になった以後、ずっと
南朝に朝貢している。稲作文化にしても、精神的結びつきが深かっ
たのは間違いない。
邪馬台国を征服などした呉由来の征服者が大分に遷都し、更に東
進したのが応神王朝ではないかな。そこで実質神武朝も滅ぼして、
後継を名乗った。以後卑弥呼を祀りながら遠ざけ、本貫の宇佐で神
仏混淆の仏教が広がると最終的に伊勢にまで追いやって宗旨替え。
どっちにもあったって結論は無理なのか?
>>837 おまえひょっとして「ハタおじさん」か?
>>842 でも、その徳島県美馬市の秦氏さんたちは神社も作ってるんだよ
855 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:47:12 ID:BLDNrUzg0
856 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:48:11 ID:dnMb0JEU0
>講師は埼玉県さいたま市の眼科医
国が捩じ曲げ、地域の金持ちがさらに捩曲げる。
ルルル、歴史。
857 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:49:35 ID:bteu6lQPO
大分は戦国の頃の話の方がいいな
邪馬台国は佐賀か宮崎にやるよ
>>829 その景行天皇が日田で会ったのが比佐津媛。
景行天皇「名前は?」
比佐津媛「ひさつ でございます」
景行天皇「え? ひたつ?」
↓
日田
風土記の著者は鼻くそほじりながら書いてたに違いないw
と思わせつつ、実は媛こそが卑弥呼であったという驚愕の事実を
オブラートにくるんで書き残したのであった。 なんちて
859 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:50:47 ID:CB3sV8J80
古田説だろこれ
860 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:51:38 ID:O+xyBcgl0
大友宗麟は若い女を海外に売り飛ばしますた
大分には本当に何もないからなあ。
あるのは農家の集団お見合いぐらいだろ。
862 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:52:33 ID:SPzB0bHs0
863 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:53:05 ID:loL79sh80
淡路島で良いじゃん
864 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:53:52 ID:FNBegDUmO
大分県民は郷土愛がないからな。都会に憧れて痛いカッコしてる奴が多い
865 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:54:23 ID:bteu6lQPO
宗麟はバカな時はとことんバカだからしょうがない
出来るときは出来るけど
866 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:57:25 ID:bQa50Ran0
ひみこ→ひめこ→えひめ 愛媛県だろw
867 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:57:33 ID:bteu6lQPO
典型的な大分県民はクラウザーさんという事ですね
分かります
868 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:58:26 ID:LBVBUhZ90
まだ畿内もおさまらない当時に景行天皇が九州くんだりまで出張って
一周するなんてのも変な話だよな。
道後温泉にはるばるウマヤドが行ったってのもだが。
869 :
名無しさん@八周年:2008/05/19(月) 23:58:28 ID:G/QLOl+5O
>>834 俺持ってるけど死ぬ前に発表するから待ってて。
>>781 それは違うよ。へんな煽りならやめてよ
また海を渡ること千余里、でしょ。
一大から末盧までは
871 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:00:18 ID:k58TLe+y0
さすが九州、半島に近いだけあってなんでも自分達のものにしたがるのな
872 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:01:25 ID:QFMCqULD0
邪馬台国は古代の人が書いた
壮大な歴史小説だよ
>>868 息子のヤマトタケルもあちこち行ってるよね。
よっぽど家が居心地わるかったのかw
874 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:05:11 ID:dPLFPtnSO
畿内の方が遺跡が充実してるもんな
九州は、でかいのもあるがちと少ない。七万戸といえばかなりでかい
九州だと、そこまででかい集落ができるかどーか
>>873 調べてみたら、景行天皇の奥さんは岡山県民(播磨稲日大郎姫)だった。
いや、だからどうこう言うつもりはないけどw
876 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:05:56 ID:SHDHaU2i0
忌部氏は、古代ユダヤ教、
秦氏は、原始キリスト教・古代東方キリスト教
との親和性がそれぞれ強く、
接近したり反発したりといった確執が歴史的にあるのでしょうか。
877 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:07:35 ID:6Kl+45A9O
878 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:07:39 ID:MNir4DPS0
京都にある月読神社は壱岐(長崎県)からの分霊だ。
松浦はもとマツロ国と言った。
880 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:09:37 ID:ipAAEySOO
大分のざびえるはうまい。
881 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:12:17 ID:SHDHaU2i0
>875
>景行天皇の奥さんは岡山県民(播磨稲日大郎姫)
景という字は、光という意味があるのでしたっけ。
ネストリオス派によって唐にキリスト教が伝わった時、景教と呼ばれたんですよね。
岡山県、秦氏とゆかりのある土地ですよね。
>875
>いや、だからどうこう言うつもりはないけどw
やはり秦氏によって、原始キリスト教あるいは景教(古代東方キリスト教)が伝わったということでしょうか。
883 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:14:15 ID:LBFhrfLO0
「だんご汁(だご汁)」は認めるが、「やせうま」は認めない。
「関鯖」は認めるが、「城下カレイ」は認めない。
「血の池地獄」は認めるが、「かまど地獄」は認めない。
「大分の風俗嬢のサービス」は認めない。
以上、大分の負け。
邪馬台国が大分であったことは、以上の理由により、理論上不可能だ。
884 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:14:32 ID:KM0ljpso0
>>833 「彼の目は赤かがちの如くして身一つに八頭八尾あり
亦其の身に蘿及檜椙ひ其の長谿八谷峡八尾に渡りて
其の腹を見れば悉に常に血爛れたり」−古事記
頭と尾が八つ
古事記の作者は多分アニメやゲームの影響を受けてないと思う
885 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:15:12 ID:SHDHaU2i0
>877
>埼玉の奴が勝手に言ってるだけだが。
今、>1を読み返したのですが、本当ですね(笑)
>1
>講師は埼玉県さいたま市の眼科医
>>878 大阪の住吉大社も、もとは壱岐か博多だった気が
>>782 >距離はあんま当てにならないかも
あてにならないというなら、それよりも重視したであろう
文章の情緒があってないということだよ。
かりに対馬の北岸から考えても九州北岸までたかだか100km
それを2つにわけて千余里を繰り返すのはおかしいでしょ。
888 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:17:09 ID:FNQwmABB0
889 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:18:18 ID:om9fTpof0
魏志倭人伝は247年にトヨ就任までかかれている
ところで290年には応仁天皇就任だ
応神天皇といえば世界第二位の巨大墳墓(第一位は仁徳天皇稜)を作れるほどの大権力者
実際言ってみればわかるが、そこいらの田舎豪族では絶対つくれない巨大さである
邪馬台国がちまちまとした弥生時代の小国家ならば
それから50年の間に大慌てで大和政権を築き上げなければならない
そんなに歴史は急に変わらないから、この仮定はどうにも無理がある
すなわち、邪馬台国の時代にはすでに大和朝廷はないといけない。
>>881 ある日、宮の2階から都の様子を眺めたら、
民のカマドから煙が上がっていなかったので、
「景気よく行こう!」と拡大政策をとったので、景行。
秦氏のことは忘れよう。
…と言いつつ思い出したが、さっきから出ている日田は「畑」姓の
ルーツなのだ。ムツゴロウの畑正憲さんもこの一族。
891 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:23:48 ID:SHDHaU2i0
>890
>都の様子を眺めたら、
>民のカマドから煙が上がっていなかったので
仁徳天皇・・?
892 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:24:37 ID:8FwWA1XY0
>>889 そこで昔は、九州の邪馬台国が畿内に遷都したという説がもてはやされたわけだが。
いまとなっては恥ずかしくて誰も唱えなくなった。
九州に邪馬台国があったとしても、機内の大和朝廷に併合されたと見るしかない。
とりあえず、東遷説が死亡してくれて嬉しいよ。
これでやっとまともな古代史論議ができる。
ぶっちゃけ何県でも良いんじゃね?
日本人の始祖には変わりないし…
>>845 桜島のことが書かれていたと思う。あやふやな記憶だが。
896 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:32:30 ID:8FwWA1XY0
897 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:32:57 ID:SHDHaU2i0
>>895 実際の記述はないけど、なんとなく指宿で砂蒸風呂とか入ってるっぽい
雰囲気はあるよな、「倭人伝」。
変わった人が戦前に一時期流行った説を流布してるようですが
秦さんの本拠地となったのは京都の深草ですよ。お狐さんです。
そうか?
卑弥呼+台与=天照 応仁=神武 とするのは一般的。
となれば。。。。。
901 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:42:51 ID:dPLFPtnSO
>>887 だから里を短里なるもので考えよう、つう人もいるらしいな
晋の時代に作られた、三都の賦に使われている里などを参考にして、らしいが
902 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:44:15 ID:SHDHaU2i0
>>900 どこが一般的だよw
神武と一緒にしちゃえ説があるのは崇神天皇だお。
904 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 00:55:36 ID:Ce1f+kxR0
>>892 確かに単純な東遷なんて当時の事情では考えられないけど、
誰かが上の方で言ってた、呉の残存艦隊が征服して王朝樹立ないし
簒奪、それが応神朝というならどうよ?1万隻は誇張丸出しにしても、
呉の戦力なら魏はともかく朝鮮半島南部への侵略は簡単だろうし、
国内も同様だっただろう。先進地域の優秀な鉄器と兵士の数、その
後押しによる征服ならならあの無駄にでかい応神陵もあり得る。
邪馬台国の論争は皆最初に結論あり気で、そこに向かって議論するため
途中に矛盾が生じるとつじつまを合わせようとし大変に無理が生じる。
お稲荷さんは穀物の神様の総称だそうですが、お狐さんと言えば安倍晴明です。
安倍晴明は陰陽師ですが、同業のお友達になら賀茂さんは居ます。
賀茂さんといえば儒学だったりもします。いずれも京都でご活躍。
908 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:06:20 ID:IOmfTG400
応神東征説も、いまとなっては痛々しいな・・・
邪馬台国は岩手県の八幡平だって聞いたけど
910 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:09:35 ID:SHDHaU2i0
エルサレム、長安、平安京
いずれも、同一の意味ですか。
建設年代はシルクロードの西から東へ。
ちなみに古代は、帰化人であろうとも神社を構えたりはしておったようです。
亡国の末こちらに居を移し、やがて亡くなった王を祀ってあげたりもしておりましたよ。
わが国は八百万の神の居ます国、外来の神も大事にしてましたから。
天之日矛から逃げ出してこちらに移ったという外来の神も祀っております。
912 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:14:15 ID:IloIPhSHO
てかあちこちに卑弥呼の伝説があるってことは
大きな都市をぐるぐる移動してたんでないかぁ?
>>911しかしながら分け隔てなくというわけでは勿論ありませんで
記録は記録として取ってある。聞き分けの無い人は、特に近代以降
それを都合の良い様に取捨選択なさる傾向があるようです。
邪馬台国はそのままヤマト国で近畿だろ普通に考えて、
915 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:22:52 ID:IOmfTG400
>>912 いやいや、卑弥呼の伝説なんてないから。
歴史家があれこれ言ってるだけ。
それと、卑弥呼と同一視されるアマテラスも、意外に祭られてるところが少ない。
多くの神社は国津神ばっかりだよ。
アマテラスを祭ってるのは、律令時代以降の神社と思っていい。
>>915 アマテラスってのは、統一国家のための一神教もどきのハイテク神様だからねえ。
917 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:29:16 ID:ctAIy4it0
邪馬台国という中国人の表記がいかん。やまとん と聞こえたんだろう。
沖縄では和人をやまとんチューと言ってるようだしな
天照大御神は太陽の神様で
怒るととてつもなく怖いけれど、心底驚かされると篭ってしまう神様ですよ。
919 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:31:35 ID:SHDHaU2i0
墨家の思想は日本に入ってきたことないのかな。
たとえば、徐福の一行とともに、とか。
920 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:32:00 ID:TYqNf8mW0
こういうのを、地域活性化的な目論見で利用するのが気に入らない。
そのうち、卑弥呼が確定申告し始めたり特産物のキャラになったりするぞ。
921 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:33:17 ID:IOmfTG400
ハイテク化の神様といえば思金神・・・
といっても諸々の神たちが居なければ力が発揮できませんが
923 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:34:01 ID:dPLFPtnSO
>>919 墨家の謎の消滅=日本へお引っ越し説?
だったら、さすがに文字を残すんでないの?
革離こそは万能男ですね。
926 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:37:18 ID:X/A5Gzoe0
>講師は埼玉県さいたま市の眼科医
理系は歴史学者より優秀だ。
927 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:37:44 ID:dPLFPtnSO
墨攻は漫画と原作で内容ががらっと違う。特に後半
928 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:40:00 ID:SHDHaU2i0
墨子の、兼愛、非攻、それに自衛のための戦力保持という考え方は
旧約聖書を重んじる人たちなら構築しうるスタイルにおもえる。
百家争鳴の時代に儒家と張り合うほど隆盛を誇っていたと伝えられるのに
秦が中国統一後、消えてるのは妙だ。
東方へ不老不死の薬を探しへ旅立った徐福一行と墨家集団に何か接点や交流はあったのかなあ。
929 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:43:17 ID:h933BxfB0
そもそも魏志倭人伝は敵国中国で書かれた歴史書
そんな国に正確な地図を送るはずがない。
魏志倭人伝の地図をたどると、その先は九州ではなく海
邪馬台国も卑弥呼も明らかに中国が日本を蔑視した呼称
チョンやシナと一緒だ。
つまり邪馬台国ではなく大和国(大和地方)と考えるのが妥当。
今も昔も中国は敵国
930 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:43:27 ID:iObGepOeO
世界からみたらかなり小さい国なんだから
どこでも一緒だよ
邪馬台国自体が架空の国で、畿内のも北九州のも別の国家だったっつー説は?
酒見賢一さんは面白い。
でも漫画はよく知りません。映画は原作が漫画の方だったそうですね。
933 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:46:01 ID:SHDHaU2i0
>923
以前、小説の方の墨攻読みました。面白いですね。
墨子の出自には諸説あるようですね。
下層階級説はちょっと違うのでは、という印象もちます。
>924
日本は昔、焚書があったようですし。
また、神代文字という特殊な記録もあるようですし。
記録、どうなんでしょう。
渡来、ありえる気がするんです。
何も根拠ありません(笑)
落書きでごめんなさい。
やっぱり戦前の方だ・・・
935 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:50:55 ID:SHDHaU2i0
>934
昔、日ユ同祖論が論じられたことを念頭に置かれているのですか。
936 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:51:00 ID:dPLFPtnSO
墨子は色々謎の多い集団
義侠を売りとし、兼愛を唱え
なんかピタゴラスの定理まで知っていたとか
神代文字も戦前に流行りましたね。
最初は篤胤さんだったのかな。記憶が不確かですが。
ちなみに戦前はゆーふぉーのようなものとか、千里眼とかも人気でしたね。
938 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:56:50 ID:dPLFPtnSO
>>934 下層階級だと字を読み書きできないだろうし
組織の構成や、知識を蓄えるような事はできないと思うのです
なんで墨の名が示すように、罪を得て刺青を受けた
それなりの階級の人が始めたんでは、なんて思ったりするのです
939 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:57:11 ID:WoBaF/4E0
古事記の編纂もあやしい。
広開土王の系図をパクった?
940 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:59:00 ID:SHDHaU2i0
もし、四国に注目させないために、
東大と京大の学閥にそれぞれ、近畿説と九州説を研究するように
誘導した人々とその構想を練った人々がいるのなら、一流の仕事ですね。
謀らずも、そうなったのなら、それもまた美しい。
四国に大切な機密があるのなら。
植物のように、秘密にも明らかになるべき時というのがあるものなのかなあ。
>墨子
その名の通り、黒かったんじゃないの。
ユダヤかどうか知らないけど。
ていうか渡ってきたならシュメールだな。アブラハム
942 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 01:59:32 ID:dPLFPtnSO
アンカーミスったorz
墨子が儒家を嫌った理由の方に興味津々です
944 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:08:29 ID:SHDHaU2i0
>941
写本作成したり、書物をよく読んでいると墨汁で黒く汚れたりしたかも。
>937
神代文字って、何でしょうね。
ある時期、いろんな古文書をネタに一攫千金をたくらむ人や
宗教を興す人などいたのは、社会的には損害だったろうとおもいます。
後代に捏造された文書でない場合は、その史料の存在は
歴史の何かを証言しているのでしょうね。
専門家に期待します。
語呂合わせの類と一緒で、ネタ扱いで十分でしょ
946 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:14:26 ID:3ufQdCB7O
卑弥呼は
ギリシャから伝わってきた人たちの子孫
日をあがめる宗教と銀髪と特殊な色の瞳で
あったことから一目瞭然
「神代文字」はわが国に文字が無かったことのコンプレックスの現れでしょう。
万葉仮名から平仮名への変遷を辿って見える先人の工夫の軌跡を見ると
そんなもの感じる必要は無いだろうにと、思うんですけどね。
口頭伝承というものも絆を深めるという意味で、価値のあった尊いものだったでしょうに
そういうものを見ないで無いものねだりはどうかと思います。
948 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:16:08 ID:VbWy/D63O
これは、歯がいたくなったら考古学者にみてもらわなくては。
949 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:17:22 ID:UUyccU9c0
日の御子
950 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:23:51 ID:SHDHaU2i0
本当に秘伝とされるものは、案外文字にせず口伝で残すというのは実際あるのでしょうね。
ただ、文字資料もあったのではないでしょうか。
聖徳太子の頃、史料が燃えて失われたと言います。
その時代から何世代遡れるのか分かりませんが。
仮に神代文字といわれる史料の多くが偽者だった場合も、
それらが何かのモノや伝聞情報をもとに真似た贋作だったとしたら、
オリジナルともいえる文字文化の存在を指し示すことになるのかもしれませんよね。
単なる仮説に過ぎませんが。
つまり、偽ブランド商品が存在するのは、
それらが模倣する商品の存在を暗示している可能性があるとも言えるのでは。
951 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:26:21 ID:SHDHaU2i0
日本には漢字があるのに、
ひらがな、カタカナという文字がうまれたというのは不思議です。
>>950 それはあったでしょ。
占い(天文)や交易には、文字と言うより記号が必要なはずだから。
いろいろ工夫がなされたと考えても不思議じゃない。
ただ、人の心理を書くようなものとは違った発展をしたはず。
漢字は汎用的に使える記号、かつ有用なライブラリ(過去記録)が
揃っていたからそちらに移行していったんだろう。
necのパソコンがibm互換に移行していったのと同じだ。
贋作というものは、夢想を模しても作られるもので、例えばいわゆるSFの類がそうではないですか。
書物が燃えたのは、太子とその子らが死んだ後ではありませんでしたかね。
残っているもので私が知っているのは上宮記(但し逸文)程度です。
平仮名、片仮名が生まれたのは、漢字だけだと大和言葉が書き難いからでしょう
955 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:37:57 ID:SHDHaU2i0
私も贋作とか、人を騙すためのモノは好きじゃありません。
相応しい時に、ふさわしいかたちで、日本人と世界の人が
励まされるような、隠されていた事実が明らかになったら嬉しいです。
いつか、そんな日が来たらいいな。
聖徳太子の頃じゃなくて、乙巳の変な。
天皇記・国記は基本漢文でしょ。
帰化人が実際の編纂にあたっていたわけだし。
つか、漢文は相当古くから使っていたんじゃないかな。
つか、仮説すぎて、そこまで言ったら、想像で何でも言えるレベルw
話の贋作は、悪意さえなければ、夢を語るものですから
あくまで物語としてならば楽しいものです。
959 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:47:28 ID:Km6GKp3d0
真実を詳しく知りたい人は、
手塚治虫「火の鳥 黎明編」を読まれたい。
そこには、邪馬台国がどのような国で、
どのように滅びたかがまるで観てきたかのように描かれているから。
>>312 >>105だけど、日本では家=ジエをヤと読むから、この読みはその時代の大陸に
存在するよね
であれば、ジエ=邪をヤと読むのも不自然でないよなー
不思議と日はヤと読まないんだよなー
広東語ではヤなのに
空想を働かせて推測するのは面白いけど、どうせやるんならわかっている
こととの整合性をとるべきだと思うよ。
まして、神代文字とか竹内文書とか日ユ同祖論(天津教)とか、明らかに
怪しい奴だけ選んで、そいつらと無理やり整合性をとることはない。
そんな事をしたら「ムー」信者と思われるだけだw
962 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 02:58:47 ID:KpJ6hSWc0
宮崎に日南というところがあってな・・・そこにウド神宮というのがあるんだが
あそこの丘陵にほんとは誰がねむってるのか 神武天皇の父といわれてるが、ほんとのとこ
どうなんだろう
963 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 03:32:03 ID:qNJCfOdR0
邪馬台国は吉野ヶ里移籍の佐賀だろ。
北九州の勢力だから朝鮮半島南部まで支配してても全然違和感が無い。
中国の史書には朝鮮半島南部支配書いているジャン。
大分って熊襲じゃないのか?
964 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 03:35:35 ID:5XJDiqSi0
しいたけ栽培とIC工場って感じ
965 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 03:36:10 ID:DoUhB1C+P
大分県みんじゃああああああああああああああああああああああ
966 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 03:39:53 ID:+254z1qa0
沖縄や鳥島まで”日本語”圏(ひどく訛っているけど)って事を考えれば、
日本人は南方から北上してきて列島・諸島を覆い、朝鮮半島南部まで進出した、
そのあと本土を中心に弥生系の混血が生じた。
朝鮮が日本領だったのはそういう民族的な流れがあるんじゃないの?
967 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 03:40:34 ID:heWLIMoq0
卑弥呼の弟が史記の古代天皇
シナの役人が斎王である日巫女を、いっちゃん偉いと勘違いしただけ。
邪馬台国は大阪周辺にありました。
と、いう事なので、他地域の香具師等は諦めると良い。
邪馬台国は徳島にあった国で
そこから大阪、奈良へと移っていた
ってテレビ東京が言ってた
970 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 04:02:22 ID:UatB/Rys0
鹿男では奈良だったな。
971 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 06:19:02 ID:FTXAQm560
だから足摺岬にストーンサークルがあるのか
972 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 06:20:46 ID:WoBaF/4E0
日御子=ひるのみこ=蛭 蛭の多い場所にいた
973 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 06:39:58 ID:WoBaF/4E0
刺青だからアイヌだよ。呪術はアイヌの儀式。
なんか三種の神器が揃って出土するのって九州だけらしいね。
威までも神社では真ん中に鏡置いてるけど、やっぱり「日の巫女」じゃ
ねえの。農業技術を伝えたか確立したか、それとも気候を予言したか。
975 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 06:45:15 ID:ZXUL63530
先住民族の王国と移民後発組の皇室が繋がってるわけがないだろ。
他民族の歴史を自分達の歴史だと思い込んでる馬鹿が多い。
縄文文化も邪馬台国も先住民族のアイヌの歴史だ。
アイヌは列島全域に部族毎に分かれて定住していた。
魏志倭人伝でいう倭人とは現在のアイヌの先祖ことだ。
我々の先祖が移民元に列島の占有権を裏付けて正当性を示すため、
歴史を繋げちまっただけのことだ。
後発移民達と土地の奪い合いになるからだよ。
つまりそうした方が占領統治がし易かったからだ。
日本列島は大陸のニューフロンティアだったのだよ。ヨーロッパから
北米に移り住んだアングロサクソンのようなものだ。
邪馬台国にロマンというのも有りだが、思い込みも
あまりに深いと失笑ものになる。
宇佐には神がいる気がするわ
977 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 07:07:58 ID:ZpfUH5fo0
宇佐神宮は日本の神社で最も格が高いらしいね。
アマテラスを僻地に封じ込めた、皇族にも禁足地の伊勢神宮
を除けば。
行ったとき、いきなり鳥居の前に「皇族下乗」って立て札があっ
たのがワロタw 偉そうでwww
978 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 07:16:15 ID:mHH15JmU0
伊勢神宮より下なら最も格が高くはないんじゃない?
979 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 07:34:28 ID:Z/32CHN20
>>904 日本人は呉越人である、との説があるよ。
あの呉越同舟の呉越人さ。
古代に遡れば雲南、ベトナムやタイも同族だそうな。
>>979 呉の人と越の人は、舟から降りるとケンカするぞ。
981 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 08:04:51 ID:UWwIDKCRO
邪魔大王国、全滅だ!
982 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 08:06:34 ID:kG7Hns8zO
下記の空欄を埋めよ
滑って転んで○○県
983 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 08:07:06 ID:Z/32CHN20
>>980 ものすごく仲の悪い兄弟みたいなもので、何度も戦った。
ちなみに越後だの、なんとか越し村だの、日本海側の越の付く地名は
越人の来た足跡なんだそうな。
984 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 08:09:54 ID:bBkqIjJ3O
大阪に有ったのだが千里ニュータウン作る時に邪魔だから壊したのだよ。
文部省にバレるとヤバいから、ヤクザ総動員して重機で3日で潰した。
俺の知り合いの友達が現場で働いてたから間違いない。
金印も拾ってたよ。
>>979 日本人とベトナム人の勤勉さと手先の器用さは似てるというよね
986 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 08:16:16 ID:247UbzIo0
名も知られてない、たかが埼玉の医者ごときの講演会のスレが1000まで行くとはな
日本人は邪馬台国大好きだなw
この目医者のオッサン、喜んでスレ覗いたら自分の話が一つも出て来てないから
ガッカリしてそうだな。
988 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 08:31:42 ID:P7pD8XBB0
宇佐神宮はどこから見ても渡来系の神社なのに、
邪馬台国とは片腹痛いわ。
989 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 12:01:06 ID:MHmorByP0
U・S・A!U・S・A!
991 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 15:36:20 ID:pzarBTmd0
呉の艦隊が来たと言われているのが呉の滅亡の前年の279年で13年後。
晋が日本の呉の存在に気付いて攻めてくる前に大急ぎで体制を整えなければならない。
九州では取り囲まれたら終わりなので日本の地形を利用してもっと東に本拠地を移転するはず。
ただそれは邪馬台国ではなく、邪馬台国をベースにいわば江南種族の呉がアレンジしたものであるし
三国時代の呉の前にはすでに、
1)山東半島南部の倭人その他の東夷(殷代末(紀元前1046年頃 殷の東方侵攻)から周代初(紀元前1021年頃 成王即位))
2)春秋時代の呉(紀元前473年 越により滅亡)
3)春秋時代の越(紀元前334年 楚により滅亡)
4)春秋時代の斉( 紀元前386年 秦により滅亡)
5)春秋時代の楚( 紀元前223年 秦により滅亡)
などが日本に来ている痕跡があり、大和朝廷や周辺国は「これらの寄り合い所帯」の模様。
(さらに後には「秦」や「前漢」・「後漢」も滅亡後、応神天皇代以降に日本に帰化し融合しており、日本は東アジアの名だたる古代王朝(殷以外)の正統な後継者でもある。ちなみに殷の正統な後継は遼西の箕氏朝鮮すなわち朝鮮人)
992 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 15:43:31 ID:pzarBTmd0
993 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 15:49:00 ID:68RISppY0
うおーお
994 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 15:50:03 ID:+ZfTLd/N0
まぁ、、いいだろう。
大分は陸の孤島だから、神話の一つも欲しいわな
1000なら卑弥呼の国は韓国
996 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 15:54:39 ID:V9VuDGLV0
マキムク遺跡に決まってるだろ。
997 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 15:55:48 ID:68RISppY0
ネ申..._〆(゚▽゚*)の国大分
998 :
名無しさん@八周年:2008/05/20(火) 15:58:17 ID:K5NWYkmH0
大分人が日本を支配している
大分人が1000げっと
せんまさお
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。