【コラム】「日本に一種の情報封鎖システムある」「『スポーツと政治は別』発言、過去に政治的理由でボイコット続けた国から出るとは」

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1ぽこたん( ・∀・ )φ ★
もう一つの「聖火リレー」
http://beijing2008.nikkansports.com/news/column/20080428.html

ロンドンから始まった中国国外での聖火リレーが終わろうとしている。日本、韓国、北朝鮮を経由して聖火はベトナムに飛んだ。
「妨害」が相次ぎ、中国ではフランス製品の不買運動やCNNへの抗議活動も起きている。リレーを巡る中国人とチベット支持派の
間で小競り合いも起き、日本や韓国では多くの負傷者も出た。

平和の祭典、スポーツの祭典である五輪の聖火リレーが、なぜこんな混乱と無秩序をもたらしているのであろうか? 
長野市の実行委員会のメンバーは世界各地での「妨害」活動について「迷惑な話だ」と憤慨し、聖火リレー中に物が投げ込まれた
萩本欽一氏は「長野のおばちゃんとハイタッチをしたかったのに」と「妨害」活動を暗に批判した。「平和の祭典」らしからぬ
暴力的な「妨害」に、このような批判も当然あるだろう。日本メディアのほとんどはそういう論調で報道していた。

しかし、冷静に考えれば、なぜ、このような「妨害」活動が起きたのか、ということに疑問を持つ人もいるはずだ。
昨年は※ダルフール問題(注1)で北京五輪をボイコットすべきだという声が欧米で挙がっていた。女優のミア・ファーローが
先頭に立ち、スティーブン・スピルバーグ監督も開会式の総合演出の座を辞した。
 そして、今年3月14日にチベットで「暴動」が起きたことが伝えられると、一気にチベットへの関心が高まり、それと
比例するように北京五輪への批判の声が世界中で高まって行った。
 事態を客観的に捉えようとすれば、なぜ、北京五輪に対してこんなにスポーツ以外のものから、つまり政治の領域から
次から次へと非難の大合唱が湧き起こるのか、原因を知りたくなるだろう。と同時に、スポーツは政治と別のものなのだから、
政治的批判はナンセンスだという声も出てくる。

>>2-20あたりに続く