【論説】「先生、いいですか」と少女たちは叫んだ…「抜くのではない!抜くな」と教師は叫んだ

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1諸君、帰ってきたで?φ ★
 沖縄戦で生徒たちの集団自決を止めた教師がいた。

 仲宗根政善先生はひめゆり部隊の女子生徒12人と沖縄本島南端に追い詰められた。少女たちは車座になり、
3個の手投げ弾の栓を抜こうとし「先生、いいですか」と叫んだ。先生はとっさに「抜くのではない! 抜くな」と
叫び返し、少女たちは従った(琉球新報社「ひめゆりと生きて・仲宗根政善日記」)。

 戦後、先生は琉球方言研究の第一人者となる一方、ひめゆりの記録や資料館づくりに打ち込んだ。残された
日記は犠牲者への思いと教師としての自責が繰り返される。こんな一節もある。「日本の教師にして、あるいは
世界の教師で一九四名の教え子たちを死地に追いやったのは、今では私一人だけであろう」

 男子生徒の鉄血勤皇隊と共にあった沖縄師範の野田貞雄校長も、同じころ「勇気を奮い起こして生を全うせよ」
と諭し、解散した。この無駄死にをするなという訓示を残して彼は帰らぬ人となる。

 生徒の一人だった大田昌秀隊員(後の県知事)は、戦後、遺族を訪ねた。夫人は「主人が至らぬゆえに、
多くの若い生徒さんたちを道連れにして申し訳ありません」と手をつき、涙を落とした。

 そうではない、と大田元知事は「沖縄のこころ」(岩波新書)に感謝を込めてこう書いている。「先生の一言で、
何十人かの若者たちが、『生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず』といった禁忌をのりこえて生を全うすること
ができた」

 63年前の今日は、沖縄本島に米軍が上陸し「あらゆる地獄を集めた」といわれた地上戦が始まった日である。

ソース(毎日新聞、発信箱・玉木研二氏) http://mainichi.pheedo.jp/click.phdo?i=624a7aa6ccf0d8c71345d9ba2e2e58de