四十三人が犠牲になった一九九一年六月三日の雲仙・普賢岳大火砕流惨事の被災地、
長崎県島原市で、復興業務を担当してきた市の「災害対策課」が、七月一日から「生活
安全課」に名称変更することになった。
市は三月定例市議会に関係議案を提出する。議決されれば、九〇年十一月の普賢岳
噴火から約十七年半で、同市の機構から「災害」の文字が消える。
市によると、普賢岳の噴火後、被災住民らの相談窓口を一元化するため組織した企画課
被災対策班と、市民課防災係を統合して九二年に「災害復興課」が発足。九九年に同課と
防災課が統合され、「災害対策課」になった。
これまで、被災者への物資の供給や集団移転、市義援金基金の運用、警戒区域設定の
事務、防災行政無線の発信などを担ってきた。同課が担当し昨年十一月、火山研究者や
防災関係者らを集めて開催した「火山都市国際会議島原大会」を復興の一区切りとし、
名称を改めることにしたという。
普賢岳災害は九六年に終息するまで約五年七カ月に及ぶ長期災害だった。吉岡市長は
「防災対策も順調に進み、復興にようやく目鼻がついた。日常的な取り組みの中での市民
生活の安全確保を今後もしっかりやっていく」と話した。
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20080227/04.shtml http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20080227/04.jpg