【自衛隊】陸自第5普通科連隊が悪天候の中、八甲田演習を決行
なんだ8時間で終わりか 野営しろよ
>>328 それはただの影なんだって。
おまいが撮影しても撮れるぞ。
餃子ネタに絡めたり、こんな訓練無駄って言ってる奴らは
間違いなく ゆとり
餃子は全く関係ないし、この過去40年間の現代戦でも核が使われず
最後の最後はマンパワー=兵士の士気とモチベーションと体力
で決着ついてるだろうが
342 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 03:23:36 ID:HDoByM0v0
橋本忍三部作
砂の器
八甲田山
幻の湖
よほど八甲田山の撮影が過酷だったのか
巨匠の頭の中が…
343 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 04:01:05 ID:guimFFYn0
344 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 04:15:40 ID:CN66OM3z0
>>342 東宝がOK出した事の方が・・・
しかも50周年記念作品って。
無茶しやがって・・・(違
>>343 くぼ地みたいなところに落ちちゃって、底にガスがたまってて
落ちた隊員と助けに行った隊員が酸欠で死んじゃったんだよな
347 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 08:09:11 ID:4iZtuZta0
露助には極寒零下数十度の中で戦う能力あるのか?
348 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 08:39:05 ID:J8zlWb/JO
天皇万歳、戦地で花を散らせ推奨時代に、国内訓練中の遭難事故で亡くなった隊員は、恥ずかしくて成仏出来ないだろうな。
後世で『英雄』『美化』扱いすればするほど、亡くなった隊員は辛くなると思うが…
実際は、映画とかなり違ったみたいだな・・・
弘前隊を案内した三本木の7名
弘前三十一聯隊雪中行軍隊の最難関・八甲田山系を増沢から大峠まで二日間、不眠不休で命懸けで案内した。
しかし福島隊長以下弘前隊は、別れ際に誰一人「有難う」「ご苦労さん」という労いの言葉もかけず、彼らを豪雪の山中に見捨てて行った・・・(沢内鉄太郎氏の孫・鉄男氏:談)
彼等は弘前隊が去った後、自力で大深内村(現:十和田市柏地区)に戻った。
しかし中には凍傷にかかり、廃人同様にして、若くして亡くなった方もいた。
彼等7名は、29年経った昭和5年まで福島大尉の「コノ二日間ノ事ハ絶対口外スベカラズ」という言いつけを守っていたが、
沢内吉助氏がふとした事でこの二日間の事(弘前隊を案内した事、青森隊の遺体発見の事等)を知人に話した。
http://toshibos-museum.com/hakkouda_7yuushi.htm
350 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 09:47:21 ID:8vmFSM9g0
映画の撮影中、下っ端エキストラには暖房もない寒空に放置されていてマジで
「死ぬかと思った」そうだ。(大竹まこと談)
錯乱して裸になって死ぬ役の俳優さんは今どうしてるかしら?
早くPKF仕様の義体をよこしやがれですぅ
353 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 10:01:17 ID:2u4Ndr/v0
八甲田は大臣も行くべきだろ、官庁の全職員も行かせるべき
大臣は超強行に反対するぞ、無理やり3日歩かせろ、暖房なしで
>>347 映画「ひまわり」での雪上戦闘シーンのロシアは超強そうだった。
イタリア人が寒さに弱い事もあるだろうが。
355 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 10:08:42 ID:Y6sWd2kj0
しかし八甲田からは学ぶべき教訓は沢山あったけど、結局、未だに活かされていないわけで(´・ω・`)
356 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 10:21:39 ID:67eWXSHvO
>>335 無理に温泉に辿り着こうとして、途中で完全に方向を見失ったんじゃなかった?おまけに、露営用具を無くして。
諦めて後退しようとするも時既に遅しで、最悪な状況に。
>>311 遭難したスノーボーダーが廃校を燃やして暖を取ったと言うニュースで、映画「聖職の碑」を思い出した。
映画ではDQNが山小屋を燃やしたせいでエライ事になるのだが。
358 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 10:25:54 ID:rEzM6rri0
>>350 うおおお、なんか影が整然と並んで行進してるw
359 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 10:26:10 ID:gpr59Lid0
自衛隊員は馬鹿だから八甲田山の昔話なんか知らないよ。
360 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 10:36:06 ID:67eWXSHvO
>>322 俺の通ってた中学と高校は第五連隊の跡に建ってるよ。
すげー怖い。
確か、中学か高校かどっちかは第五連隊の兵舎をそのまま転用して使ってたみたい。
高校の校舎は昭和30年代築だから、その前の校舎が怪しい。青森空襲で焼けて移転してきたって話だから、建て替える時間も余裕も無かったろうし。
ただ、一番薄気味悪かったのが、中学の正門。俺、正門脇の柔道場に一年間いたよ。なんか、すごい古い建物だった。斎藤仁がそこで練習してたらしいんだが。
その中学正門の向かいに陸軍病院があったそうな。
旧軍の重くて凍る毛皮やフェルトの防寒具に比べれば
自衛隊は防水軽量のウィンドブレーカーやジャケットを着ていますから
段違いでしょう
もっとも山ヤのゴアテックスなどの最新衣料に比べればかなり貧弱ですが
帰路だ!帰路が見つかったぞ(3回目)
あ゛お゛も゛り゛わ゛ん゛た゛・・・
364 :
名無しさん@八周年:2008/02/14(木) 21:34:47 ID:RXV1y7aG0
中国で大雪だっていうしな。
訓練はしっかりしとかないと。
GPSって太陽が荒れて電離層がわやになってる時でもちゃんと動作するのか?
それと関係があるのか知らないけど、
うちの電波時計は時々めちゃくちゃな時間を表示していることがある。
微妙なズレでは無く、明快なズレだから支障は無いが
367 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 12:14:42 ID:hKXS1bB/O
八甲田イオード
368 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 16:07:52 ID:7GPGrTfBO
あ
369 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 16:28:50 ID:LZWdH6ya0
友人の元自衛官から聞いた話。
十年ちょい前の春先こと。
アメリカのロッキー山脈のあたりで陸自と米陸軍の合同演習がありました。「この場所からこの場所まで移動しろ」っての。同じ演習だけど、陸自と米軍は別経路で集合地点まで向かいます、徒歩で。
……演習が開始したら数十年ぶりの大寒波で大雪・吹雪!レスキューを飛ばそうにもそれすら出来ない悪天候!米陸軍側には死者まで出る大騒ぎ!!
「……はたして自衛隊は大丈夫だろうか……」
米陸軍のレスキューは集合地点に向かった。そこで、米陸軍の見たものは……
……そんな事故があったとはつゆ知らず雪合戦をしてのんきに遊ぶ自衛隊の姿でした……
まあ、米陸軍が個人では水や食料等の補給物資をあまり持たないで、輸送にはヘリを活用してたしてたとか、陸自が使い捨てカイロ持っていってたとか原因はいろいろあるらしいんだそうですが、でも米軍に
「自衛隊すげぇタフだ!」
と思わせたのは本当だそうな。
370 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:08:42 ID:dNMFF2K20
>>354 酷寒零下数十度においても尚戦うことのできる露軍に拮抗するには、わが軍も
露軍と同等以上の装備が必要である。
371 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:15:32 ID:mD2FooE5O
毎年スキーで遭難する馬鹿がいるからな
レスキューの意味も兼ねてこういう訓練も必要かもね
372 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:27:03 ID:QUl7y1q80
焼いた餅を新聞紙に来るんで懐に入れると良いんだっけ?
373 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:29:40 ID:BzOAT7EY0
ボンクラ自衛隊は夏でも八甲田で全滅して殉職者出すのに冬場にやるなよ
民間人まで巻き添えにするつもりか?
北海道の第二師団と第七師団にくりゃ別に驚くことではないが・・・
375 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:33:42 ID:BzOAT7EY0
日本陸軍は冬の八甲田で迷走して死傷者をいっぱい出した
一方、米軍は冬の八甲田で遭難しても平気で単独下山した(複数回)
さらに、自衛隊は夏の八甲田で演習中、火山ガスで部隊が全滅して全員殉職した
376 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:34:29 ID:c3sFMgUjO
意外と知られてないが、自衛隊の雪中能力は極めてたかい、まあ冷戦の時にガチでソ連とやろうとしてたしね…
377 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:34:37 ID:dWTpFFQd0
倉持が立ち止まった直後、彼は斎藤伍長の軽い叫び声を聞いた。
あっというようにも、おっというようにも聞こえた。
斎藤伍長は蒼白な顔をして立っていた。彼の足下に紐の切れた雑のうが落ちていた。
「善治郎は死んだ」
と斎藤伍長が言った。
「なにっ、誰が死んだ?」
「弟の善治郎が唯今死にました」
斎藤伍長は紐の切れた雑のうを拾い上げようともせずに言った。
「善治郎というのはどこにいるのだ」
「五連隊の神田大尉の従卒であります」
倉持見習士官は、五連隊の雪中行軍の指揮官が神田大尉になるだろうということを聞いていた。
その神田大尉の従卒が死んだということは重大な意味があった。
「きさまの思い過ごしだぞ。なんだ。雑のうの紐がきれたことぐらいでへんに気を廻すな。
こんなことはよくあることだ。」
しかしそんなことはよくあることではなかった。珍しいことであった。
378 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:36:20 ID:QZ9IRDbq0
夏でも死ぬのに冬の八甲田とはなめすぎ
379 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:40:23 ID:v/pjav+B0
380 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:41:15 ID:us3rpja10
八甲田山の麓まではバスですか?
381 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:43:28 ID:M+NXIQPA0
あれ?PM5時以降の救助任務を放棄しようとした自衛隊が
何を考え違いをしてるんだ? 狂ったか?
382 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:46:59 ID:dWTpFFQd0
「お話し中ではありますが・・・」
将校の作戦会議の輪を更に取巻くようにできていた下士官の輪の中から長身の下士官が進み出て、
山田少佐に向かって挙手の礼をすると、
「ただいま永野医官殿は進軍は不可能だと言われましたが、不可能を可能にするのが日本の軍隊
ではないでしょうか、われわれ下士官は予定どおり田代へ向かって進軍することを望んでおります」
その発言と同時に下士官の輪がざわめいた。そうだ、そのとおりだという声がした。
更に、二、三名の下士官が進み出る気配を示した。
山田少佐は、容易ならぬ状態を見て取ると、突然軍刀を抜き、吹雪に向かって、
「前進!」
と怒鳴った。それはまことに異様な風景であった。
神田大尉は顔色を変えた。永野軍医は、はっきりと怒りを顔に現した。
だがすべては終わった。
結論が出たのである。
前進の命令が発せられたのであった。
383 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 19:51:42 ID:pAuob1ii0
八甲田山のガイドライン
・青森第5連隊が雪中行軍したらほぼ全滅した
・夏の八甲田なら大丈夫だろうと自衛隊が分け入ったら火山ガスで多数の殉職者が出た
・米兵だと吹雪で遭難してもスキー用の軽装備で普通に下山できた
こりゃまたずいぶん気合入ってますなあ
山田甲八
神田大尉は?神田大尉は居たの?
387 :
名無しさん@八周年:2008/02/16(土) 20:08:08 ID:dWTpFFQd0
衛兵が立っていたと思われるあたりから八甲田山がよく見えた。美しい大きな山であった。
この営門にまつわる怪談がある。
雪中行軍隊が遭難した直後には、しばしば亡霊の足音が聞こえて、衛兵を恐怖のどん底に
たたき込んでしまったという。あまりに騒ぎが大きくなったので、一夜、連隊長は衛兵詰所に来て亡霊を待った。
明け方近くなって、衛兵が顔色を変えて走って来て亡霊が近づいて来たことを告げた。
連隊長は営門に立った。確かに、田茂木野方面から、近づいて来る部隊の足音を聞いた。
連隊長は声を張り上げて怒鳴った。
「雪中行軍隊の亡霊たちよ、よっく聞け、お前らの死は無駄ではなかった。お前らの死によって、
厳寒期の軍装は大改革されることになったぞ。お前達は戦死者と同様に扱われ、靖国神社に
合祀されることになったのだ。迷うな、心安くして眠れ。二度とこの屯営に現れることはこの連隊長が
許さないぞ」
そして連隊長は軍刀を抜いて、
「青森歩兵第五連隊雪中行軍隊、廻れ右前へ進め!」
と号令を掛けた。足音は次第に遠ざかって行った。爾来一度も亡霊の足音は聞こえなかったそうである。
「八甲田山、死の彷徨」 新田次郎
388 :
名無しさん@八周年:
>>383 おまえみたいに、数の概念が「1つ、2つ、たくさん」な奴には判らぬだろうが
死者は3人な。