【皇室】「雅子さまはパリス・ヒルトンのようなセレブ生活を夢見ていたのでは」英タイムズ紙に「日本人」から反発コメント★7

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947名無しさん@八周年
>>912続き
1981〜1985年:ハーバード大学時代、プリンセス候補だと友人に漏らす。
1984年:皇太子、プライベートのヨーロッパ旅行。
仏独国境に近いコルマールという都市を訪問。(ここまでは週刊誌にも記載有り)
それに女性を伴っていた。皇太子が泊まったブリストル・ホテルのオーナーであり
コルマール市の副市長のリエム氏は「黒髪で魅力的な瞳の女性」と言っていた。
試しに写真を10数枚見せたら、パッと雅子さんを指差した。
『皇室・家族論』芹沢俊介著 洋泉社発行 112ページより
『小和田家の娘』現代(93年3月号)岩瀬達哉


1986年10月:外交官試験合格。NHKに出演して全国に顔を売る。
1986年10月:写真週刊誌「FOCUS」10/17号で父娘2代の外交官誕生としてグラビアを飾る。           
     ※なお、同号にはなぜかトップに浩宮の記事も併せて掲載されている。
10月16日:スペイン・エレナ王女歓迎の茶会に飛び入りで無理やり出席、浩宮と顔合わせ           
※タイプ打ちされた、そのパーティーの出席者名簿に、手書きで
書き加えられていたのが、雅子さんであった」(『小和田雅子さん素顔の29年』より)

1986年11月:日英協会のパーティに出席、浩宮と顔合わせ
1986年12月:東宮御所の年越しパーティーに出席、浩宮と顔合わせ
1987年 1月:再び日英協会のパーティーに出席、浩宮と顔合わせ
(おさらくこの頃から、>>904>>912のような接待を断続的に1988年留学前まで受けてたと思われる。
つまり皇太子妃候補としてルンルンで嫌がってなぞいなかったわけだ。)

948名無しさん@八周年:2008/02/09(土) 21:04:54 ID:HB/e6+ItO
>>947続き
1987年 4月:外務省入省
1987年 4月:高円宮邸で浩宮と歓談

1987年10月24日:浩宮、学友(賀陽氏)と一緒に御所に雅子さんを招き夕食を共にする
1987年12月20日:雑誌記者たちに対する雅子の指差し恫喝事件勃発
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20071109095955.jpg
(下にあるように不適格の烙印を押され、逆切れしていた。)
1987年暮れ〜88年早々:
この頃、昭和天皇、他皇族、宮内庁から水俣病やその他の理由で
雅子さんはちょっと、と反対される。富田宮内庁長官の説得により
浩宮、一旦あきらめる→雅子、お后候補からはずれる
※この時期、秋篠宮両殿下を中傷する都市伝説が医療関係者・報道関係者に聞いた、
業界では常識だという形を取って流布。
秋篠宮両殿下は1985年〜出会い、1989年9月皇室会議、1990年6月結婚。

1988年9月:雅子、英国・外務省からオックスフォード大学に国費留学
1989年1月:雅子との結婚に反対していた昭和天皇崩御
1989年9月:留学先の英国で日本のテレビ局の取材を受け、「私には関係ないと思っております」
1990年6月:オックスフォードから外務省留学同期7人のうち、ただ1人修士を取れず帰国。
北米局北米二課に配属
8月16日:東京・五番町の柳谷謙介・元外務次官宅で再会
※この再会劇は、外務省(=小和田の父)の肝いりによるもの。
10月3日:外務省による隠密ワゴン車作戦