平成7年1月17日午前5時46分。当時、小学3年生だった陸上自衛隊第3特殊武器防護隊所属の
安藤良平陸士長(22)=兵庫県伊丹市=は、神戸市兵庫区中道通で被災した。
自宅のあった3階建てのマンションは全壊。中道地区は倒壊家屋が多く、犠牲者は70人以上に及んだ。
3階の一室に家族4人で住んでいた安藤さんは、崩れ落ちたがれきの下敷きになった。けがはなかったが、
倒れかかったタンスと壁の隙(すき)間に入り込み、救助されたのは発生から半日以上経った午後6時前。
避難所となった近くの小学校で、父親の政弘さん(52)に抱きかかえられていたとき、ようやく意識が戻った。
地域住民らが身を寄せ合う真冬の小学校。ビニールシートと木材で校庭に建てられた仮の住まいで約3カ月間、
避難生活を送った。 その間、相手をしてくれたのは、避難所を毎日訪れる若い自衛隊員だった。
隊員はときに遊び相手になり、話し相手になってくれた。来るのは昼過ぎの給水時間。生活再建の
悩みなどで重苦しい雰囲気の避難所で、隊員は優しく、頼もしい「お兄ちゃん役」だった。
そんな自衛隊員が「命の恩人」だと知ったのは、約2年後の小学5年生のころ。
半日以上も意識が戻らなかった息子を心配してか、震災のことをほとんど語らなかった父が教えてくれた。
(中略)
地元の高校を卒業後に入隊。訓練は想像以上に厳しかったが、「人を助ける人間になるには必要」と言い聞かせた。
配属先は、放射能汚染や洪水災害後の防疫、消毒作業などを行う化学科を希望。危険な仕事だが、
困った人を真っ先に助ける職種に思えたからだ。
今春で自衛隊員になって丸4年になる。各地で地震、水害が頻発するが、災害現場への出動経験はまだない。
それでも日々の訓練を通し、1人の被災者を救助することでさえ難しいことを知った。
(中略)
震災から間もなく13年。うれしい知らせも届いた。救出してくれた隊員が見つかり、16日午後、自宅跡地で
再会するという。そのとき、こう伝えたいと思っている。
「あなたと同じ自衛官になりました」
(後略)
*+*+ 産経ニュース 2008/01/11[22:04] +*+*
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