【文化】 日本最初の都市? 「邪馬台国」畿内説の最有力地、纒向遺跡中枢地区を発掘へ…奈良県桜井市
1 :
ランボルギーニちゃんφ ★:
★「邪馬台国」畿内説の最有力地、纒向遺跡中枢地区を発掘へ
邪馬台国畿内説での最有力候補地、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡
(3〜4世紀)について、市教委は新年度から、初めて中枢地区の本格的な
発掘調査を進める。
「日本最初の都市」と称される遺跡の実態解明につながる成果が得られると
期待されている。
纒向遺跡は、東西約2キロ、南北約1・5キロ。邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の
墓説がある箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半)もある。
県や市による調査は1971年に始まり、現在まで153回行われたが、
住宅開発などに伴う緊急調査が85%の130回を占め、調査が終わったのは全体の5%程度。
遺跡の中枢は時期によって異なり、3世紀前半は、祭殿とみられる建物跡などが
近くで見つかった太田地区、同後半には、朝鮮半島の影響を受けた土器や絹製の
袋などが出土した巻野内地区に移ったとみられている。市教委は両地区の発掘を
長期的な計画で順次、進めていく。
同遺跡の調査では、東海や瀬戸内など他地域の土器が出土量全体の2割以上を占め、
全国各地との交流があったことが知られているほか、板で護岸した幅5メートルの溝など、
大規模な土木工事が行われていたことも判明している。
文化庁記念物課は「本格的な調査が進めば、大きな成果が得られる可能性がある。
史跡指定をして遺跡を保存するためにも、早急に実態解明を進めてほしい」とする。
讀賣新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080109i505.htm
あっそ
架空の国でしょ
4 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:35:53 ID:gtNOCbPE0
「畿内の」最有力地かぁ
まぁ九州であるにせよ畿内であるにせよ、確定する事は当分なさそうだがね
発掘作業自体には価値があるだろう
頑張りたまへ
またゴッドハンドか
6 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:36:15 ID:1GmsoztS0
邪馬台国
↑
これなんて読むの?
関西こそが日本の首都
関東は西の残りカス
親魏倭王の金印が出たら教えてね
どうせまた韓国が起源を主張・・・いやもうしてるか
10 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:37:52 ID:e85l9osn0
やっべwwwwwwww
九州説派がんばれwwww
11 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:38:23 ID:e/FNX/aHO
じゃまたいこく
12 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:39:16 ID:2bt4V/4t0
邪馬台国の有力候補地は韓国ニダ
邪馬台国なかった説 は学会じゃ無視なの?(´・ω・`)
14 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:41:38 ID:e85l9osn0
なんか東南アジア説。沖縄説もあるんだよな、確か
15 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:43:05 ID:RIA135WIO
16 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:43:20 ID:e/FNX/aHO
日本史板の邪馬台国スレは罵りあいばっかでいかん
箸墓を発掘しないかな〜
17 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:44:09 ID:aagICBU10
18 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:46:01 ID:lT4TEo7y0
邪馬台国はジャマイカ説は?
確かに重要なことではあるんだが、邪馬台国がどっちにあったかなんてことだけにリソースを注ぎ杉
何年ちんたらやってんだよ
20 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:46:33 ID:0nQR2/M00
巻向からは、中国との交流の痕跡がほとんどない。
邪馬台国は中国との交流が盛んで、印綬ももらって
おり、畿内ではない。
畿内ではないことの確認作業と思われる。
21 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:47:37 ID:X9dQHmj+0
ハニワ原人やっつけろ(・∀・)
ビールドベースの(バンババンッ!)
まもりはか〜たい(バンババンッ!)
24 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:49:16 ID:e85l9osn0
25 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:50:02 ID:J97NyzRS0
魏誌倭人の条の複雑な行程にもあるとおり、九州説には無理がありすぎる。
27 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:50:22 ID:wgS6n3sA0
>>8 そこで見つかっても親魏倭王の金印は九州の邪馬台国が東遷するときに
持って行ったと言われるのかヲチ
28 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:51:31 ID:gtNOCbPE0
>>19 言うほどリソース食ってるわけでもないだろ
ちなみにこの論争には、こういう主題があるようだ
>畿内説に立てば、3世紀の日本に少なくとも大和から大陸に至る交通路を確保できた勢力が
>存在したことになり、大和を中心とした西日本全域に大きな影響力を持つ勢力、即ち大和王権が
>この時期既に成立していたとの見方ができる。
>一方の九州説の立場を取ると、邪馬台国は九州の地方王権に過ぎないことになり、3世紀に
>大和王権が存在していたかどうか疑わしくなる。邪馬台国の位置を巡る論争は、日本国家の
>成立を解き明かす上でも重要な位置を占めている。
別に現皇室が大和朝廷の直系の末裔ってわけでもないだろうけどな
ひょっとしたら、邪馬台国はその系譜に連なるかもしれん、ってことだ
29 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:51:51 ID:t91+LGQvO
スパロボの影響力は凄いなあ、と思う
30 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:53:01 ID:pdv0pFCm0
九州か畿内かなんてより、
中国の使いは実は邪馬台国には辿り着けないで伝聞で書いた説
の方に興味があるなw
31 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:53:09 ID:7QJiCfc0O
出雲ってどうなの?
オレの故郷なんだが
33 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:53:32 ID:nkqQ+pOm0
>>19 考古学者が、関心と予算と引っ張ってくるツールに利用しているだけだよ。
別にリソースは喰ってない。
34 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:54:07 ID:QBqnJoWs0
神の腕を持つ男の出番か?
邪馬台国イクナイ説?
天皇家の祖先は渡来人?
37 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:55:12 ID:+hSxi1680
>>31 魏志倭人伝に出雲の記述がないのは不思議だな
38 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:56:59 ID:ZhWyUtew0
邪馬台 って、もろに偏向的表記だもんな。
>>36 おそらく任那地方にある有力国のひとつの君王家じゃなかったかと。
って井沢元彦が
畿内説が確実視されれば、
邪馬台国→神武天皇(仁徳?継体?)が打倒→大和朝廷
て事になるんかね
41 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:59:43 ID:Iu7Vx89S0
>>39 その時代は半島と日本が分かれる前だろ。
渡来人という扱いになるの?
42 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 16:59:45 ID:+MpeVn1X0
形跡があればいいんだけどな。
クリムゾンスレ
44 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:01:51 ID:I63xCLHE0
マキムク
45 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:04:53 ID:A1qC8JtK0
やま っていうとこからして、やまぐちだろ。
邪馬口。
ハニワ幻人め!死ねぇ
47 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:08:34 ID:7stU/YjX0
タイ っていうとこからして、博多だろ
なんかのコキペで稲作は日本から朝鮮半島に伝わったとかいう説があるんだろ?
これが事実ならマジやベーよな 古代の文化とか移民とか根本的に
49 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:11:06 ID:M8LLVc/A0
九州説オワタ\(^o^)/
50 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:16:00 ID:A1qC8JtK0
『三国志(魏志倭人伝)』の版本には、すべて「邪馬壹國」または「邪馬一國」(日本語読みはともに「やまいちこく」)と書かれている。
やまいち→やまぐち
>>48 たいがい古代文化は南伝説(江南地方から)と北伝説(半島から)に分かれるね
そういや、苗字と名前繋げてヒミコと呼べるやつが居たな。親は洒落のつもりだったのか
53 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:17:05 ID:Iu7Vx89S0
×やまぐち
○長州
ハニワ原人め、死ねぇ!! ネタはまだ出てませんか
55 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:23:59 ID:AWo6hW3c0
纒向どんだけ掘ってんだよw
57 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:25:00 ID:bgknBsqh0
邪馬台国の起源は、朝鮮半島だろ?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
畿内派(笑)
59 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:46:32 ID:M8LLVc/A0
そもそも江戸時代中頃までは
邪馬台国=ヤマト国=大和朝廷(畿内説)
は常識だった。
が、大和朝廷が魏に朝貢するはずがない!とかで
新井白石か誰かが無理矢理考え出したのが九州説。
結論:九州説はクソ
60 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:50:13 ID:/9qj/go20
学会が九州説と畿内説に分かれている以上、永久に結論が出んような気がする
のは俺だけか?
61 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:57:10 ID:woiPw61y0
そもそも邪馬台国なんて存在しない
箸墓はヤマトトトヨモモソヒメじゃないの。
63 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 17:58:40 ID:zQqk+bVm0
アマテラスさんは宮崎かどっかじゃないの?
64 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:02:48 ID:+yAMGQMe0
こういう下らん事に金を使うから
奈良は発展しない。
考古学ヲタからの募金で活動しろ
ダニのえさにもならん下らん事に税金を使うな!
>>59 それもあるけど、
東大の学者が京大の畿内説に対抗して、
九州説を押したのが間違いのもと。
東大文学部出の俺様が言うんだから間違いない。
66 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:06:26 ID:r/lrcsEe0
邪馬台国みたいな有力な国家が九州にあった方が神武東征がドラマチックになるから
九州説かなぁ
物部王朝の邪馬台国も捨て難いが
67 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:06:45 ID:XIHiDPG50
チンチンがマキムクしてきた
68 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:44:06 ID:dT6QmKNK0
学会では長野県説が有力
69 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:45:33 ID:C5HAWnsh0
何の学会?
( ‘д‘)y-~~<奈良盆地の南半分がクナで北半分がヤマタイであるので邪馬台国は奈良市周辺から京田辺市あたりまでを掘らない限り出ない
72 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:54:53 ID:0ZgSQtuv0
そろそろ、ユダヤ系の遺物が出土して、全世界に衝撃を与えるだろう。
73 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:57:49 ID:I1Jw3mfR0
畿内からは、卑弥呼が魏に使いを送った年の年号が漢字で書かれた銅鏡が発掘
されてるから、中国とのつながりはあったし、年号も偶然にしてはありえない。
74 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 18:58:23 ID:wODDuSGv0
>>60 文字資料で証明できない限り結論は出ない…
けど、全国を代表する政権が巻向に拠点を置いてたのを否定するのはもはや困難
75 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/09(水) 19:00:28 ID:iI9+U5yz0
邪馬台国は九州・甘木
卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
,.'´,^!´ヽ
i卅-◎》
川^ヮ^ノ! <これ、豆知識です
巛(づ○つ
./_,バ)
ん,__!_リ
76 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:05:46 ID:G+oWK6Eg0
メキニメキニヌダラダラ〜メキニメキニヌダラダラ〜。
今こそわらわの邪魔大王国、復活の時ぞ!!
ミマシ!イキマ!アマソ!ハニワ幻人を率い、日本を転覆するのだ!!
邪魔立てする者は容赦なく捻り潰せ!!
わらわこそが日本の真の支配者なるぞ!!2ちゃんねらーどもよ!!
偉大なる女王ヒミカにひれ伏せ!!
77 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:09:54 ID:d1iVkLeD0
まあ、いまさら何が出てきたってお互い譲らないだろうがw
78 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:13:55 ID:JYnkYx310
安心院でしょう。卑弥呼の墓があるよ。
79 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:16:23 ID:G1+vYPeQO
じゃ……邪馬台国
80 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:18:35 ID:hZKpZrMj0
邪馬台国なんて都市伝説だよ
81 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:19:06 ID:e85l9osn0
漢民族の文献に載っている僻地の異民族に関する記述を
丸々信じる歴史家は中国史とか興味ないのだろうね。
83 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:26:09 ID:I1Jw3mfR0
>>77 考古学者の間では邪馬台国=マキムク説は定説。
九州説を唱えてる人は素人ばかり。
だいたい、九州説は合致する遺跡自体ない。
84 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:29:02 ID:s89bGXoO0
最初の一鍬目は陛下でおながい。
85 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:30:14 ID:bA1j6NVf0
宇佐なら魏の使いは邪馬台国に行ってる。
86 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:33:16 ID:eUMQIrfLO
大阪市東成区の女の神様を祀ってるとある神社は『卑弥呼である』と言ってた大学の教授が居たとか居ないとか…(;´д`)
>83
嘘吐き、乙。
88 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:39:31 ID:wODDuSGv0
89 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:39:46 ID:JYnkYx310
皇學館は伊勢と安心院にあったんだって。今は伊勢だけ。
90 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:40:10 ID:sNnhtndq0
邪馬台国九州論者が沸いてきそうだな
91 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:42:11 ID:mrjlb1ND0
九州説じゃない方が日本のためってか
92 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:43:12 ID:C+v0Y8n50
い・・・卑弥呼
そもそも邪馬臺(台)国じゃなく邪馬壹国なんだが
学会では畿内説を採らないと研究費が下りない仕組みになってるので仕方なく畿内説にしてます。
九州説を唱える人が作家だったり元教師だったりするのはそういう背景があるのです。
95 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:51:22 ID:tJOkgWKz0
戦後の乱開発の時は、古墳が出てきても副葬品はみんな捨てて、
古墳自体もブルドーザーで磨り潰しちゃったんでしょ?
その中にもし卑弥呼の古墳があったら…。
96 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:51:50 ID:m+Vf2x4HO
97 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/09(水) 19:53:15 ID:iI9+U5yz0
安本美典という学者は、邪馬台国東遷説。
九州にあった邪馬台国が東遷して、大和朝廷になったという説。
卑弥呼は天照大御神。
記紀に書かれた天皇が、すべて実在の人間と仮定すれば、天照大御神は卑弥呼の時代の人であると主張してる。
古代中国の皇帝の平均在位年数をもとに、天皇の在位年数を推定して、神武天皇や天照大御神が実在したと思われる年代を推定している。
98 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:53:31 ID:tp4YTDPS0 BE:236451252-2BP(450)
卑弥呼は法子のイメージがする。
そもそも九州説は候補地の特定すらできてないので発掘ができないw
予算がおりるわけがないwww
三輪山は山全体が禁足地なんだよな。
あちらも掘ればいろいろなものが出るのではないか。
101 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:57:51 ID:e85l9osn0
>>94 なんという大人の事情。こりゃますます宇佐だな
102 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 19:58:57 ID:N0nrn5fx0
日本書紀によれば、巻向には、
第十一代垂仁天皇の巻向珠城宮(まきむくたまきのみや)
第十二代景行天皇の巻向日代宮(まきむくひしろのみや)
があったとされている。
遺跡と文献が一致!!!
103 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:00:23 ID:JYnkYx310
最強宇佐海軍航空隊は神風特別攻撃隊第一八幡護皇隊だったらしいです。
104 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:03:42 ID:hNHd8gFgO
>>95 そうだよ日本の土建屋は(特に中小企業)は古墳が出るとユンボで潰すよ。工事がストップするからね
105 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:04:05 ID:NpepXIw80
>>94 九州説がどう見ても説得的だよね
誰だっけ?
数理的に証明してる人
あの人の議論がどう見ても正しい
立花隆も支持してたね
106 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:05:19 ID:ecrkKM+V0
九州説を唱えているのは在日朝鮮人が主流という事実
107 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:05:44 ID:b398Q1qr0
ヤマ:インドの死神。スーリヤの息子,ヤミーの兄。死の国の王。地獄の裁判官。
死者の国を治める管理者である。野牛にまたがり,索縄と棍棒をもち,4つの眼をもつ2頭の犬を連れる。
ヤミーとともに人類の祖ともされ,最初の死者であるという。
仏教における閻魔。
108 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:10:49 ID:k80lczxGO
今に見ていろハニワ幻人、全滅だ!
文献上は九州で確定的です。
携帯だからコピペできないけど、「邪馬台国から東に海を渡って一千里(但し当時の単位)のところにも大きな国があって、そこにも倭人が住んでいる」という描写があります。
これが九州説を決定的にしています。
これを覆すには、関東に巻向級の大きな遺跡と高度な文化があったことを証明しなければなりません。
110 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:18:17 ID:/LItYZ7j0
邪馬台国は名古屋。
111 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:20:56 ID:40lFsgjI0
>>109 じゃあ、その文献の、「東」とか「千里」とかの方位・距離が
100%合ってるって証拠もついでに出してくれないと
112 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:21:49 ID:1KWv0vhx0
奈良はねーだろwww
113 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:24:29 ID:aQne/mH1O
千島列島だろ。
114 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:26:13 ID:NpepXIw80
そうそう
安本美典だったっけね?
あの人の九州説がもっとも合理的で説得的なのにね
九州北部にある地名が全部奈良盆地にもあって
九州から奈良へ大和=邪馬台国が移動した
神武東征がそれだっていうね
115 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:28:16 ID:a9UA/+1b0
九州だろうな。
開発がすすめば遺跡も出てくるよ。
開発がすすめばだけど。
116 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:28:26 ID:9Km6OdWf0
117 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:29:17 ID:r4YfBIzI0
間を取って広島辺りでいいじゃん
>>111 魏志倭人伝を読んでみてください。
おおよその距離はわかります。
方角に関しては畿内説のように東を南と読み替えるようなことはしません。
大陸から海を渡って来れるだけの航海技術があるのに、最も肝心な方角を見誤ることはまず考えられません。
北極星の方向と高さが分かれば簡単に出ます。
119 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/09(水) 20:30:51 ID:iI9+U5yz0
纒向は神武天皇と戦った連中の遺跡。
神武天皇が東遷してきたとき、難波への上陸を阻止した連中。
また最近は、遺跡の年代推定がズサンだという批判もある。
纒向が卑弥呼の時代の遺跡かどうかは、今後も議論が必要。
120 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:31:42 ID:KC4rP5OQO
121 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:32:36 ID:40lFsgjI0
>>99 発掘なんて年中やってるよ。
そんな広大な都市があるなら、どこかで必ず引っかかってるよ。
122 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:34:33 ID:hHMhJhx3O
超能力オカルト漫画家が、文献に沿ってヤマタイ国を探すと海に出てしまうが、
九州全体を90度回転させると文献と合致すると描いていて腰を抜かした
あれは説得力あったなあ
123 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/09(水) 20:35:00 ID:iI9+U5yz0
>>116 ┐(´ー`)┌ 天照大御神は九州の人。その子孫の神武天皇が東遷して、大和朝廷の基礎を作った。
ちなみに安本美典は、東遷の時期を4世紀頃としている。
124 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:35:24 ID:9Km6OdWf0
呉が越に滅ぼされ呉の遺臣たちは海へ漕ぎ出した。
黒潮に乗って九州四国畿内遠くは東北までたどり着いた。
そこでそれぞれが村を作り国家を築き上げた。
その一部が畿内の邪馬台国。
元々呉の遺臣なので中国大陸の国家との交渉はうまくいっていた。
しかし九州上陸組の中から力を持ったリーダーが出現した。
神武帝。
東へ攻め上り当時最も栄えていた邪馬台国へと侵攻し途中アシナガヒコ将軍の軍勢に苦しめられたが最終的に勝利し邪馬台国を手に入れた。
コレが大和朝廷の始まりである。
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1189507021/
魏史とか読むまでもなく、どうでも良いし。
個人的には、日神子という以上は内宮のアマテラスで、
トヨという以上は、外宮のトヨウケだろうと思うが、
所詮は外国人が書いた聞きかじり、
マルコポーロの東方見聞録をクソマジメに研究するより意味が薄い。
126 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:36:46 ID:JYnkYx310
最後まで天皇をお守りした陸軍大臣阿南惟幾は豊後の人
127 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:38:04 ID:zOPCbB8HO
いやいや沖縄だろww
128 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:39:13 ID:F8qqvxU40
邪馬台国論争は、当時の倭の勢力範囲とか、
天皇家の由来の問題に関わってくるから、
政治的思惑が絡みやすいな。
129 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:39:27 ID:pEGFAfdU0
学者連中の争いで奈良大勝利という結果が出てるというのにお前らときたら・・・
そういえばゴッドハンドの人ってなにしてんの?
131 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:42:49 ID:JYnkYx310
経団連も暴力団もボスは豊後の人
132 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:44:30 ID:A1qC8JtK0
やまいち国→やまぐち
そのまんまやんw
>>128 そうそう
だからここのウヨちゃんたちは畿内説を嫌ってるんだよ。
134 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:48:28 ID:9Km6OdWf0
九州は鉄器の技術が邪馬台国よりも進んでたんだよ。
だから戦には強かった。
だけど魏志にはそのような描写は無い。
しかし魏の皇帝より下賜された品物を短時間でソックリそのままコピーできる文明の高さは邪馬台国にあった。
神武帝がなぜわざわざ畿内を目指されたのか。
それはこの文明を欲したからに他ならない。
135 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:48:47 ID:a9UA/+1b0
「ヤマタイ」だとすると九州だろう。
「○○たい」は九州弁
箸でマンコを突くってどういう暗喩なんだろ・・・
>>125 そもそも魏志倭人伝がなければ邪馬台国の存在すら闇の中だったというのに…
私は東遷説ではなく、王朝説を支持します。
つまり、同時期に二つの大きな国があったと考えています。
一つが九州の邪馬台国、もう一方が畿内の大和朝廷(の原型)。
巻向を掘って、さらに時代を遡らせようとすればするほど、王朝説が正しいことになります。
138 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:58:33 ID:9Km6OdWf0
>>137 それだと九州から邪馬台国の証拠が出ないと整合性がアレですよね?
邪馬台国=大和朝廷なら畿内から多くの証拠が出土していますし無理が無いかと。
どちらにしても日本人は呉の国からの移民でありさらに遡れば周王朝に行き着きます。
邪馬台国というクニがどこにあっても同じ呉の民なのですからこの論争自体にあまり意味が無いように思いますけどね。
私は邪馬台国は最初から畿内に存在し、九州出身の神武帝が邪馬台国を引継ぎ大和朝廷を興されたと考えます。
融合説ですね。
139 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 20:58:37 ID:2qtbeN9g0
>>37 出雲という名前もも出雲の神話も
奈良県櫻井市の出雲(相撲のルーツの野見宿禰で有名)のお話だよ
なぜ出雲に伝わるすべてを
辺鄙な島根に移してしまわなければならなかったのか?
それは多分に大和朝廷が征服された先住国家がここにあったっと思われ
今回の邪馬台国の遺跡発掘場所もこの近くだし
あらたな発見も期待できる
140 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:03:49 ID:/LItYZ7j0
>>135 そうだな。九州にはマルタイラーメンもあるしな。
星野ユキノブさんの<やまたいか>
オモシろかったぁなぁ〜・・・
>>138 マキムクの遺跡から出る遺物って九州や大和でなく吉備の要素があるよね。
なんでだろうね。
どこにあっても同じ呉の民ってのは何なんだろうね。
マキムクの遺跡が出来たすぐ後に前方後円墳が全国に広まったが、
その前って地方ごとにけっこう独自の文化を持ってたよね。
>>133 むしろウヨは畿内説支持
サヨは九州説支持
144 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:08:36 ID:a9UA/+1b0
たしかにマキムク遺跡は中国臭がしないんだよな。
145 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:09:13 ID:ujtEfVWL0
九州=HD DVD
畿内=BD
146 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:11:26 ID:JPW2F7Lp0
邪馬台国 → 大和国
卑弥呼 → 日皇子又は日巫女 って本当?
147 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:15:21 ID:1rjmHurf0
すごいな。
いまだに30年前の邪馬台国論争の知識だけで
しゃべってる奴がいるな。文献からだけで。
ここ30年の発掘からの知見をすこしは加えて考えたら
どうかと思うがな。
>>138 ん?
畿内からは邪馬台国を直接的に裏付ける証拠は一切出ていないはずですが。
(ていうか九州もそうですけど)
鏡に至ってはあの体たらくですし。
今の考古学者がやっているのは、畿内から出てくるものが卑弥呼の時代のもので、それが文献の表現に近いものであることを証明すること。
そしてそうすればするほど、九州王朝説が(前述)。
まあ、九州の候補地が広すぎて、探索するには畿内を掘るよりも何倍もカネがかかるし、
ピンポイントで当たりをつけても、神社だったり宮内庁の許可が下りなかったりと、前途多難です。
ていうか、日本史板行きませんか?
携帯から書くの疲れるよ〜
149 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:15:27 ID:D9bxHMgx0
>>141 ああ。ちょっと力入りすぎって感じもしたけど、絵も上手すぎだしw
どっちにしても、三角縁神獣鏡が出てくるたびに邪馬台国って報道は
やめてくれ。推定埋蔵量数万枚って言うのに。古代史学者って馬鹿なの?
150 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:18:50 ID:M4b+Hm5G0
>>147 知見を生かした話が聞きたいと愚民が申しております
151 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:19:10 ID:9Km6OdWf0
>>142 紀元前500年頃、日本では平和だった縄文時代から激しい戦乱虐殺の跡が見られるようになりました。
紀元前500年頃といえば呉が越に滅ぼされた年代です。
呉の遺臣が前後して日本列島に移住してきたようでその際に縄文人と激しい摩擦があったようです。
高知県居徳遺跡をご存知でしょうか?
紀元前500年前後のこの縄文遺跡群(人骨の特徴から縄文人と推定される)からは金属武器によって殺傷された人骨が出土したことで有名です。
例えば出土した成人女性の大腿骨からは金属の鏃で貫かれ根元から金属の武器で一太刀で切断されている。
縄文時代には金属は存在せずこれは外部からの侵略を意味する大きな発見でありました。
特にこの凄まじい殺傷の後は殷の滅亡後から春秋戦国時代の遺跡から多数発見されるように大陸での激しい虐殺跡と同じです。
要するに縄文人の集落に大陸から渡ってきた集団が攻撃を仕掛けた証拠が発掘されたわけです。
他にも春秋戦国時代の遺跡から多数発見される木胎漆器がこの居徳遺跡から発掘されています。
我々日本人の祖先がたどった苦難の歴史が偲ばれます。
152 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:23:12 ID:a9UA/+1b0
三角縁は偽装の原点。
153 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:24:26 ID:39ssA8jx0
冷静に考えたら九州以外有り得ないのが分かる。
大陸の進んだ文明を受け入れ易いのは大陸側にある九州だからだ
>>151 殺戮や戦争のあとが増え始めるのは弥生中期ぐらいからだと思うが、
それまでの500年ほどの間はずっと平和だったのかな。
呉から来た人達はそれまでの間何してたんだろう。
先史時代の日本列島に来た人々というと山東半島やら新疆出身の集団すらいるそうだが、
全員が100%呉出身だってどこの誰から教わったんだろう。
155 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:30:38 ID:9Km6OdWf0
>>153 基本的にその手の九州説の方は邪馬台国及び倭国を過小評価してますね。
九州説は九州周辺で完結してしまいますが、畿内説だと邪馬台国の勢力範囲が少なくもと畿内から中国四国九州までの広範囲になります。
>>136 産褥とか?
箸墓の伝承を聞いた時は、天照大御神の機織女だかが
スサノオが生皮剥いで投げ込んだ馬にびっくりして
樋でホト突いて死んだって記述を思い出した。
関東者だけど、巻向のあたりはのどかでいいねぇ。
山辺の道とかのんびり歩いてると和む。
157 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:36:21 ID:D9bxHMgx0
>畿内説だと邪馬台国の勢力範囲が少なくもと畿内から中国四国九州までの広範囲になります。
だからそれからして既に無理があると言われてるんだろ?
当時の発達段階や生産力でそんな広範囲な統一国家があったなんてのっぺりしすぎて気持ち悪い。
つか近畿説って近年下火じゃん。
159 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:39:04 ID:a9UA/+1b0
畿内説は男のロマン
160 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:40:22 ID:9Km6OdWf0
>>157 なぜそのように過小評価するのですか?
倭の五王の時代には関東から朝鮮半島南部までが勢力範囲になったのですよ?
隋でさえ滅ぼせなかった強力な騎馬民族国家の高句麗と対等の勝負をしていたのですよ?
そもそも魏に朝貢した際の航海技術に比べれば瀬戸内海の支配などたやすいものでは?
纏向のあたりは確か喫茶卑弥呼だかカフェ卑弥呼だかが一軒あったと思うけど、
あんまり地元あげて「ここが邪馬台国だ!」みたいな観光宣伝をしてないな。
>>156 イザナミも陰部の負傷で死んだことになってるし
なんか説話のパターンみたいなのがあるんでしょうかね?
162 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:50:04 ID:D9bxHMgx0
>>160 妄想乙
冷静に考えろよ。倭の五王が誰の誰兵衛かも不明だし、関東地方とか
明記してあるのかよ?
どっかで見たけど、九州から関西に移動してきたんだろ?
164 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:55:46 ID:b0pzjxms0
とりあえず卑弥呼=天照は間違い
165 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 21:55:54 ID:MgYD0Dt60
箸墓は台与の墓、というネタをマンガで読んだ気がする
166 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:06:47 ID:9Km6OdWf0
>>162 簡単な話です。
倭の五王が皇室の系譜とどう対応するのかが不明でも倭国の王というのはハッキリと中国のそれぞれの史書に書かれています。
「順帝の昇明二年、使を遣はして表を上りて日く、『封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰、躬ら甲冑を環き、山川を跋渉して、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国を渡りて海北を平ぐること九十九国。』」と。
埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した鉄剣銘や熊本県玉名市江田船山古墳から出土した大刀銘から雄略天皇の治世の一端が分かります。
極めつけは最近拓本が本物と支那でも認定された広開土王碑文。
倭の軍勢が朝鮮半島に進出し高句麗と交戦しています。
高句麗はほぼ自国領に接する土地で倭国と交戦しているのですよ?
どう考えても勢力範囲はかなり広いですね。
167 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:10:14 ID:dtqu4csL0
埴輪幻人が出てきたら誰が責任を取る?
九州から機内に移ったというか
合体したんじゃねえの?
出雲とか北九州とかや畿内とかと一緒になったんじゃないの?
169 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:12:47 ID:Kv7dS3uq0
>>163 それが一番妥当だと思うんだけど
どっちかじゃないと気がすまない連中が多いのよ
大学の先生からしてそれだからもう話にならない
170 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:14:31 ID:D9bxHMgx0
相当幼稚だね。リアル厨房?
史学科だったら怒るよw
>埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した鉄剣銘や熊本県玉名市江田船山古墳
から出土した大刀銘から雄略天皇の治世の一端が分かります。
それ雄略って確定なのかい?「ではないか」だろ?
>倭の軍勢が朝鮮半島に進出し高句麗と交戦しています。
高句麗はほぼ自国領に接する土地で倭国と交戦しているのですよ?
「百残」が倭国代表の正式軍かどうかわからないし、九州でも出雲でも接している
事に変わりはない。参謀本部の捏造じゃなかったら<倭=畿内を中心とする広範
囲な政治勢力>なのかい?
171 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:25:05 ID:I+yDc+MQO
ある小説には、岩手県説があったが…
172 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:25:33 ID:9Km6OdWf0
>>170 文字による自国の記録が無い時代を考証するには中国の資料や発掘調査による事実からパズルを組み合わせ裏づけをしていくものです。
ハッキリした公文書を求められてもそれは無理ですよw
「それは確定なのか?」という反論ではなく「それはこういう解釈も可能だが?」という反論の方が議論になりますが?
九州説ではこれほどの裏づけや解釈は無理なのでは?
中国のそれも違う国々の史書のハッキリと書かれている事実を否定してまで九州説は支持できませんね。
畿内のヤマトがニニギさんで
そこに九州や出雲や吉備の人たちがその後集まって、
連合国家気付いたでいいよ
174 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:37:56 ID:D9bxHMgx0
>九州説ではこれほどの裏づけや解釈は無理なのでは?
考古学的事実はすべて九州なんだが?
例えば鉄、絹、鏡、それに三種の神器・・・。いくらでもあるぞw
>中国のそれも違う国々の史書のハッキリと書かれている事実
だからどこに「畿内」とか書いてあるんだよ。「阿蘇山あり」がそう
なのか?広葉樹ばかりがそうなのか?如意宝珠って何よ?
多分何も知らないんだろうが、九州の前方後円墳がいわゆる古
墳時代より遥かに遡ってしまうとかは、どうするわけ?
175 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:40:47 ID:1rjmHurf0
邪馬台国がアメリカだったという説は最近きかないなあ。
どうしてだ?
邪馬台国って鉄製品の加工が畿内に集約されただけだろ
西の大阪湾、東の伊勢湾につうじる地の利と、余剰農産品と労働力が、他の地方より勝っていたから
177 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:43:03 ID:hwNOmcxX0
邪馬台国時代
一番国力が大きいのは畿内で
確定している
問題は国力大=邪馬台国か?
ってところだろう
邪馬台国は弱小国家の連合国家だからな
178 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:43:41 ID:X4M1kGZh0
>>102 そうそう
邪馬台国とかいうまえに垂仁・景行天皇が都したのが
事実だから大きい遺跡があるってのが重要だとおもうんだけど
179 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:43:44 ID:d+d7UWsX0
魏志倭人伝をいくら研究したって昔の日本の国のことなんてわからない。
元々ヨタ話なんだから。
180 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:44:01 ID:6qdudHRU0
今のタイミングでマキムクを発掘か
どうかゴッドハンドになりませんように
181 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:46:03 ID:9Km6OdWf0
>>174 >例えば鉄、絹、鏡、それに三種の神器・・・。いくらでもあるぞw
発掘による物的証拠ですね。
鉄は以前にも書いたとおり私も九州の方が鉄器文化が進んでいると思います。
しかしそれは邪馬台国とどうつながるのかご教授願いたい。
絹、鏡等は具体的にお願いします。
それは畿内にもありますので。
>だからどこに「畿内」とか書いてあるんだよ。
これも以前に書きましたが九州説だと狭い範囲で完結してしまいますよね。
それに宋書の「西は衆夷を服すること六十六国」のくだりが説明できません。
沖縄・台湾まで攻め込んだのでしょうか?
南に・・・なら整合性がとれますが。
私は神武帝が畿内の邪馬台国を吸収して大和朝廷を興したと考えてます。
よって前方後円墳が九州を中心として広がったとしてもなんの不思議も感じません。
むしろ神武帝による邪馬台国吸収の根拠になりますね。
182 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:47:07 ID:vNjX9C9CO
邪馬台国そのものが捏造、という結論が一番良いんじゃないかと。
183 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:52:00 ID:6qdudHRU0
魏志倭人伝って、又聞きの又聞きの又聞きの……又聞きを見てきたように書いたモノだったっけ?
紀記よりは信憑性があるかもな
>>178 今の感じだと
三輪山あたりが中心領域だった崇神、垂仁朝は
3世紀前半の邪馬台国の直接の後継者だった可能性が濃厚になる。
185 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 22:52:41 ID:1rjmHurf0
あまり、こんなことで言い合うなよ。
空間とって四国ってことにしとけ、おまいら。
186 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:00:33 ID:eE9L5gQQ0
187 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:02:23 ID:6qdudHRU0
天皇家が瀬戸内側からではなく裏の伊勢から大和に入ったというのも
土着民のかなりの抵抗があったことを彷佛とさせる
188 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:04:44 ID:euo7UVd+0
そもそも邪馬台国の人間がちゃんと記録を残しておかなかったから
こういう論争が起きたんだよ。自分の国の歴史ぐらい残しておけっ
邪馬台国は都市伝説
邪馬台国は普通に大和王朝だろ。
「邪」を「や」と読むのに「台」をそのまま「たい」と読ませる方が変。
そのまま「ヤマト」と読む方が自然。
まぁ天皇家と直結で系譜が繋がるかどうかは別問題だが、
傍系、姻族ぐらいで繋がってんじゃね?
191 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:13:22 ID:D9bxHMgx0
>>188 つ 焚書
風土記もほとんど無いし、古事記でさえ禁書扱いで残ったのが奇跡
192 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:17:48 ID:a9UA/+1b0
古事記も禁書扱い?
焚書なんて我が国にあったの?
南北朝やら応仁の乱でものすごい量の貴重な文書が焼けた
とかは聞いたことがあるけど。
国記と天皇記が一説には焚書されたといわれてるな。
195 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:23:28 ID:9Km6OdWf0
>>187 逆にオトウカシのように兄を裏切ってまで神武帝に味方した勢力も奥地に存在した事を考えれば、もしか知ると神武帝は元々畿内の人であり、何らかの理由で九州に勢力を張り畿内を奪還したとも考えられますね。
しかし"卑"弥呼とか"邪"馬台国とか中国はひどい字を当てるものだ
>>194 それは焚書というんですかね?
風土記の残りの悪さは前から疑問でしたが
198 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:30:39 ID:zQqk+bVm0
よくわからんが九州には隼人とかいう民族がいたんでしょ?
いつまでおったん?
喫茶店経営してるハゲ?
200 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:33:43 ID:D9bxHMgx0
焚書令もあったし、書紀の「一書」もうっとうしいぐらい出てくるのに
それなんも残ってないw
「風土記」←「古事記」と矛盾 アボーン
「古事記」←「日本書紀」より偉そう(中国目線) アボーン
こういう順序。あと、「万葉集」も宮中的には禁書同然。よほど都合
の悪い事があったんでしょうね。
>>197 さぁ?だから「一説」とした。
ただ大化の改新から日本書紀の編纂までかなり変動あったみたいだしね。
不比等辺りが都合よくやらかしたって話もあるし。
202 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:35:22 ID:40lFsgjI0
ケメコだろ?
この時代に流行ってるのは
歴史を遡ると全て畿内なのは可哀想だから
邪馬台国くらい九州ってことでいいよ
204 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:47:35 ID:e85l9osn0
>>200 >焚書令もあったし
すみません。いつありましたっけ?
206 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:54:18 ID:Y3I/4mAK0
山野野衾さん、出番ですw
207 :
名無しさん@八周年:2008/01/09(水) 23:59:01 ID:pHdyd3950
どう考えても近畿だろ。
しかしそれを否定したい東日本人と自分の所に欲しい九州人に真実を曲げられる予感がする。
>>207 なんで東日本人が九州説にしたいんだよw
みんなの意見じゃなく、学界の大勢を聞きたいんだけど
考古学的には畿内説がいまや圧倒的だとよく聞くが
文献史学的には、今どうなってるのかなあ?
210 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 00:14:54 ID:5isuIEzT0
数年前やってたNHKの畿内か九州かって番組アンケートでは、番組自体
畿内よりだったのに視聴者は圧倒的に九州だったぞw
>>210 九州説の人たちはエネルギッシュだから。
212 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 00:24:55 ID:5isuIEzT0
いやいやその時は電話やメールの出身地方別も出てたわけで
地方関係無しに九州説が圧倒してたw
魏志倭人伝でも博多湾岸の壱岐とか前原しか出てこないからな。
それがいきなり機内ってのはなぁ。
>207
東日本人?何故に???
まあけど、普通に畿内だと思うけどねえ。
>>212 そうだったんですか。
では素人古代史ファンの大勢は邪馬台国九州説の人たちなんでしょうかねえ
217 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 01:12:16 ID:V+2GbhCA0
>>213 張政は九州で留め置かれたでしょ?
要するに邪馬台国の正確な場所は外国人には秘密だったんですよ。
それがたとえ超大国魏国の使者であっても。
張政の知識は邪馬台国側から受けた説明以上のものは無いのですよ。
そういう意味で邪馬台国側の戦略は当ってますよね。
魏志倭人伝にも邪馬台国の正確な場所は特定されてませんし張政も九州以外の地は見れなかったわけですから。
ここから考えられるのは邪馬台国がすでにかなりの支配地域を有した他民族とも交戦できる(もしくはしていた)海洋国家だということです。
218 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 01:29:49 ID:iFXpCUpE0
邪馬台国=日本最大規模っていう前提がおかしい。
単に中国の柵封を受けていたっていうだけ。魏史の記録にしても
自己申告にすぎない。そもそも畿内で記述通りの勢力があったなら
そこらへんに痕跡が残りまくって謎なんかにはならない。畿内には
最大規模の弥生遺跡があるからマキムクはその後栄だろう。
邪馬台国なんて九州の地方勢力に過ぎない。特別視するものではない。
219 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 01:33:58 ID:OQuvVIfiO
炭素による年代推定法が急速に進化していて、
今や古墳時代が邪馬台国の時代にかかるぐらいだからな。
学界は畿内説でほぼ決まりだよ。
>>218 >>邪馬台国なんて九州の地方勢力に過ぎない。特別視するものではない。
卑弥呼の存在が日本人の心をガッチリ掴んで放さないからな。
特別視するなっていうほうが無理だよ。
「邪馬台国へ行ってきました」クッキーって、作っている所はまだ無いのかな?
>6
当時の日本人が名乗った国名を聞いて、当時の中国人が読みの似た漢字を当て字した、
というのが正しいから、正確な発音を求めるのは難しいんじゃないだろうか。
俺前世邪馬台国だったから場所わかるよ
223 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 03:51:33 ID:i6RSAPvP0
邪馬台国が特別扱いされる根拠って中国様の記録に残っているっていうだけだからな。
サヨク学者にとっては中国は日本の親って刷りこむ便利なアイテム。
224 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 04:00:47 ID:eqvbEOBO0
福岡住民だが邪馬台国はやっぱり佐賀にあって欲しい。別に近畿でも構わんけど。
いっそのこと九州じゃなかったら四国とかでもいい。
九州なのか畿内なのかどっちなんだろうな。
どこかで九州は東からの攻撃に対して対処できない地形だから無理みたいなことが書かれていたが。
226 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:03:21 ID:5LeWU1HB0
九州と畿内の両方という説があってもいいんじゃないかと。
遷都されたとしたら、両方でも説明できるし。
227 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:07:57 ID:8YvA171L0
考古学的には畿内説が有力だってばっちゃがいってた
九州説には有力な考古学的証拠もなく
九州説の人間のやってることといったら
畿内説の考古学的証拠の信憑性を疑うことだけ
229 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:14:24 ID:ZltfqI25O
>>196 日本を「倭。人委」
自らを「魏。委鬼」
と名乗ってるぐらいだから別にいいじゃん
230 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:21:15 ID:ZltfqI25O
なんで邪馬台国が日本の発祥って解釈されてるのかがよくわかんないや
国内にたくさんあった国々のうちの1つなだけでしょ?
231 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:28:58 ID:rlIdA9rh0
邪馬台国が広範な勢力を持った倭の支配者であったとすると、
天皇家の日本支配の正当性が揺らぐ。
だからこの問題に関しては、政治的意図からウヨが必死になる。
232 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:31:06 ID:2Np0w2h00
発祥って意味がワカランが、
多くの国を従えてたって記事があるから、ある時期の政治中心だったってだけだろ
233 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:32:00 ID:C6y1wj760
>>231 >>邪馬台国が広範な勢力を持った倭の支配者であったとすると、
場所はともかくとして、これに反するような説ってあるの?
234 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 06:33:53 ID:DVCXKvqD0
>>230 邪馬台国がヤマト政権になったとか無理ありすぎだし。
魏史の描写による邪馬台国とヤマト政権の成り立ちを照らし合わせてみれば
あまりにも違いすぎる。接点がまるで見えないね。
九州説って古墳とか遺跡のなさが弱点なんだよな。
山門郡がそれだ、とか文献の上だけで探し回ってもダメだろう。
発掘品は3世紀前半は九州が多く、後半から近畿が多くなる。
考古学的に言えば三世紀は九州から近畿へ勢力が変動したと見るべき。
>>235 山門郡は文献的にも、万葉仮名では邪馬台と発音が違うとケチつけられてたでしょ。
筑後から先進的な北九州を支配するという点でも弱いけど
238 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 07:25:59 ID:xO4JaKOR0
>>231 おそらく、邪馬台国の卑弥呼の王朝を現在の天皇家が簒奪したんだろう
だから、記録を全て消去して、天皇家(大王家)が支配する過程の記録が残っていない
239 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 07:39:34 ID:Q3TD24/GO
ヤマト政権は九州から近畿に移動したと日本初期に書いてなくね?
なら邪馬台国がヤマトでもおかしくないよな。
当時の巍の国がいう“「倭」の定義”が、不明瞭なままなんだよね。
東の島国全体を意味するのか?
それとも日本列島の内、巍と交流があった範囲の土地を指すのか?
それとも、九州から近畿に掛けての広大な範囲の土地を指すのか?
ひょっとすると、当時の巍の国がいう「倭」って、“北九州の平原一帯”という狭い範囲を指してたかも知れないし。しかも、邪馬台国と同時期に既に近畿に“大和王朝”が存在してた可能性だってある。
241 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 08:06:54 ID:mfAONvBt0
吉野ヶ里の印象が強くあるから素人は九州に邪馬台国のイメージがあるんでね?
畿内っていうと大和朝廷からのイメージか?
奈良って古い古墳もいっぱいあるけど時代が新しいものや、その後築かれた
寺社や帝都の印象が強烈だから勘違いしちゃうのかなぁ?
ところで「鬼ノ城」県に住んでいて発掘のニュースをよく耳にするけど
あんな山城どこにも見た事がない独特なものでスケールも信じられないくらい
でかい!
歴史研究家の皆さん、あれは何だと思います?
>>1 邪馬台国は、出雲地方に決まってんだろ!!
あれ?
頼んでもいないのに、ピザの宅配・・・
243 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 08:48:07 ID:V+2GbhCA0
>>231 そんな事は無い。
神武帝がアシナガヒコに勝利した時に互いに天孫の証拠を見せ合ってる。
天とは我々日本人が日本列島に移住する前にいた呉の事。
ともに周王室の流れを汲む呉の民だという証拠を見せあったということは天皇家も邪馬台国を継承する正当性を持っていたということです。
下克上のような簒奪ではないわけですね。
確かに東征の時に吉野などで神武帝に味方する勢力が現われた事を考えても説明がつきます。
244 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 08:49:58 ID:4fHbjJYT0
どこなのかを確定させないことで考古学者は成り立つ。
245 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 08:51:48 ID:VOhLRzlG0
九州説なんて邪馬台国の九州支局ってことだろ。
三国時代の近畿にある程度の集落があった事は間違いない。
しかし、その地域にあった勢力が遠く西にある対馬、北九州
南朝鮮を支配したとされる邪馬台国とは思えないな。
邪馬台国は架空の存在か小規模な地方政権の事だと考える
方が現実的だと思う。
邪馬台国ならウチの家周辺にあったんだよ。
今、住んでる家を建てた時、地盤工事してた際に「卑弥呼」と書かれた表札が
地中から出てきたから間違いないよ。
邪馬台国は私の住む大阪にあったんだよ。
まあ、巍史の記述にあまり捕われない方がいいよ。
発掘結果の方がより「事実」を示していると思う。
249 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 11:46:30 ID:VjbKHFiM0
>>238 ヤマト政権は覇王天皇家祖が他者勢力を屈服させて成立させたとでも思っているのか?
成立時のヤマト政権は関西方面から関東方面に至る広範囲の首長連合だぞ。
大王は制度として首長たちの中から選出され、それが後に現天皇家の独占となっていった。
まったく同じパターンが神聖ローマ帝国皇帝のハプスブルク家だ。
ヤマト政権は中国の柵封下に入り勢力を強める九州勢に対抗する形で形成されたと
考えるのが妥当じゃないか。
>>249 そのヤマト政権だってすぐあとの5世紀には朝貢して
明らかに冊封体制に組み込まれてるよ。
おいらは邪馬台国は畿内で、ヤマト政権と連続していたと考えるね。
卑弥呼は崇神天皇のおばとかそのあたりの近縁関係。
251 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/10(木) 12:03:22 ID:/ojsJlLd0
┐(´ー`)┌ やれやれ、今どきの若者は神武東征を知らないのか。
近畿には神武に抵抗した勢力があったんだよ。それが纒向。
252 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 12:12:47 ID:VjbKHFiM0
>>250 ヤマトが柵封に入ったのは倭の五王の時代だけ。
それも朝鮮半島の権益を中国に認めてもらい、南朝鮮での影響力を確保することが目的。
当時の朝鮮半島はヤマトが間接支配していたからね。
その後は柵封から抜け出している。学ぶべきモノがあったから朝貢は続けていたけどね。
ヤマトは中国にとっては従わぬ蛮国だった。それを明文化したのが聖徳太子の親書。
煬帝は怒ったけど日本を討伐しなかった。日本が独立国であることが事実だったから。
柵封下に入るって事は公用語に中国語を使い、中国の法律を使い、中国の暦を使うって
ことだよ。日本にそんな時代があったか? 中国の使者を天皇が土下座して出迎えたことが
あるか?
以降日本は遣隋使の廃止、遣唐使の廃止によって中国との直接的な関係を絶つ。
>1
瀬戸内海は分かるが東海ってどこよ?
日本近海の太平洋?
よく分かりません
>>252 書いてることが支離滅裂だな。
>ヤマトが柵封に入ったのは倭の五王の時代だけ。
>柵封下に入るって事は公用語に中国語を使い、中国の法律を使い、中国の暦を使うって
ことだよ。日本にそんな時代があったか?
倭の五王の時代には中国語つかってたんだな、きっと。
九州だろ。
たくさん国があったんだろ。
256 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 12:36:04 ID:VjbKHFiM0
>>254 うーん日本語へたくそでごめんね。
倭の五王が中国に朝貢し王名を頂いたのは、その必要というか価値があったから。
朝鮮半島ではいくつもの勢力がしのぎを削っていたので、少しでも有利になるなら
なんでも利用したんだよ。でもそうまでして得た安東大将軍の称号も大して意味が無かった。
それで中国使えねぇwwwって判断した。
でも利用しただけとは言っても公式記録としては柵封下に入ったわけ。
日本国内では属国としての義務はほとんどシカト状態だったんじゃないかな。
真実柵封下に入ったなら足抜けはイコール反逆であり、直ちに討伐されるよ。
257 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 12:36:25 ID:+jKgkMFT0
>>252 なるほど。
逆に言えば半島に勢力を持っていない時は柵封下に入る必要が無かったと言うことですね。
そう考えれば邪馬台国の時代に魏の柵封下でしたからすでに半島へ進出していた可能性が大きいですね。
258 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 12:40:19 ID:VjbKHFiM0
>>254 付け加えると「安東大将軍」の称号自体、ヤマト側が自分で用意した称号だからね。
中国の皇帝に「俺を安東大将軍に任命しろ」って出向いたわけ。
純属国の朝鮮王がそんなことしたら、その場で首が飛ぶだろうね。
259 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 12:44:20 ID:+jKgkMFT0
>>258 かなり強気な要求ですね。
煬帝に対する聖徳太子の信書の内容もそうですし、倭国はかなり特別な存在だったのでしょうか。
やはり呉の末裔である倭国となると周辺蛮族と扱いが違いますね。
4世紀の日中交渉が記録に残っていないのは
異民族の侵入で華北一帯が混乱していたことが一番大きい要因だろう。
冊封体制は形式的にせよ、中国の暦や礼法を取り入れる定めだから、
倭の五王もそれには従っていたのではないかと思われる。
五王が授与された将軍号は同時期に高句麗王や百済王も授与されており
比較してみると高句麗よりは明らかに各下で百済と同じかやや下である。
当時の倭国に対する南朝側の認識はこんなものだよ。
261 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:02:36 ID:LHuYB5Gu0
>>260 倭国に対する中国王朝の関心は、
国王に金印を授与した一世紀と、
やはり女王卑弥呼に金印を授与した3世紀と比べて、
4世紀は薄れていたようですね。動乱のため。
262 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:03:43 ID:FNiBCDJV0
ある日本人が二三日前NY州の宿でテレビのチャンネルをまわしていたらなんと
ヒストリーチャンネルで韓国のテコンドーの特集をしていました。それが皆さん
聞いてください。二人の馬鹿なアメリカ人がソウルを訪れて取材したのですが、
その中のテコンドー(Korean Taikwondo)を<4千年続いた韓国の伝統武芸、、、
日本軍に侵略された時、このテコンドーファイターが日本軍と雄雄しく戦った、、、
日本の植民地下ではこれが抑圧されていて戦後やっと復活した、、>なんて。
もう身体中の血液が逆流する思いでした。ヒストリーチャンネルは割りとまともな
番組を放送していたと思ったのにこのざま。これにの味をしめて彼らは将来、
韓国剣道,韓国茶道、韓国寿司と手を伸ばすかもしれません。英語に自信が
ある人はこのチャンネルのどんどん文句を送ってください。
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=350507&tab=five
高句麗 車騎将軍 征東大将軍
百済 鎮東将軍 鎮東大将軍
倭 安東将軍 安東大将軍
コーエーの歴史ゲームとかやってる人は
将軍号のランクがわかるんじゃないかと
264 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:07:12 ID:Nrl2w1r30
古代の天皇陵及び皇族の墓の
発掘許可を宮内庁は何故出さんのだ
そうしたら面白い史実が次々とわかり
傑作ノンフィクションや
歴史小説が何作も読めるのに(´・ω・`)
265 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:07:38 ID:VjbKHFiM0
>>259 単純にヤマトは強国だったわけです。少なくとも後進国の弱小国ではなかった。
事実、百済新羅はヤマトの監視下にあり、「ヤマトに対して」朝貢していた。
高句麗の驚異に対抗するためにね。
唐も朝鮮三国との戦争に際し、ヤマトに味方に付くように要請している。
ヤマトは華麗にスルーしたけどね。現代の政治家より余程有能ですよ。
>呉の末裔である倭国
そうなのw?
縄文人=北からのツングース系と黒潮に乗って来たポリネシア系
弥生人=中国南部から南シナ海を渡って日本に米作を伝えた系
渡来人=滅亡した百済の亡命者
って認識だけどね、私は。
>>260 >倭の五王もそれには従っていたのではないかと思われる。
記憶は定かでないので恐縮ですが、中国の作法を試してみた形跡はあるんですよね。
でもすぐに投げ出したみたいです。このあたりはどれもこれも推測ですね。
>五王が授与された将軍号は・・・
ですね。ヤマトも一杯一杯だったようで。結局功を奏せず、後の半島撤退に繋がるのでしょう。
長文連投失礼。
266 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:09:11 ID:jspZglrp0
九州説は無理があるが畿内説は東を北に変えるとどんぴしゃり。
魏志倭人伝の邪馬台国は畿内に違いない。
267 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:17:15 ID:LHuYB5Gu0
>>261 続き
逆に邪馬台国が存在した3世紀のころは、
呉と魏が争いながら勢力圏を拡大しようとしていたため、
呉も魏も、倭を自陣に巻き込もうとしていた形跡がありますね。
金印を受けたのは、拡大アジア圏で
邪馬台国とクシャン朝のみだったと思います。
倭地に魏の使者たちが来ただけでなく、
呉の年号赤鳥の入った鏡も、関東で出土しています。
>>151 見てきたように嘘を書くというのはこのことか。
230年に呉の孫権は2将軍の率いる兵1万を東方の夷州・亶州に
派遣して数千人の異民族を強制連行した。
夷州は台湾、亶州(こちらにはたどりつけなかった)は沖縄とも日本とも言われている。
呉の赤烏は238-251年、魏の景初は237-239年なんで、
この時期に魏と呉が東方倭をめぐって争っていたとみてもよさそう。
>>193 乙巳の変で蘇我氏の編纂していた歴史書は燃えちゃったんだよね。確か。
その後28年で壬申の乱が起きて、そこらあたりから新しく歴史書が編纂し
はじめられてできたのが日本書紀・古事記・風土記。
271 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:49:13 ID:LHuYB5Gu0
>>269 面白いですよね。
魏と呉の勢力拡大を、周辺国側の被害者の視点で、
侵略、と非難することもできますがw、
災禍と同時に、異なる文化や技術も、入ってきました。
禍福、両方の出来事が数え切れないほど起きて、今の私達がいます。
古代史を調べていると、恩讐を越えて、
東アジアの先人達への感謝と敬意で、時々胸がいっぱいになります。
272 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:54:48 ID:jWuJO/pJ0
>>206 山野野衾が何か書き込んでいるかと思ったがまだいないみたいだな・・・
よう分からんが宮内庁が天皇陵の調査を許可すれば良いのだ
273 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 13:56:15 ID:cGGmDCZm0
ぶっちゃけ九州だよ
確か宮崎県に宮内庁公認のニニギノミコトの墓があるから
畿内説ではこの事実をスルーしてるけどな
274 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 14:17:08 ID:J3kBgMjx0
九州説の視点で見ると、アマテラス=卑弥呼、高天原=邪馬台国、
邪馬台国の王族、アマ族の神武帝が近畿を征服する、という記紀の天孫降臨や
神武東征が多分に史実を含む、ドラマチックな話として読めるのでおもしろい
近畿説の視点で見ると、物部王朝の虚空見つ大和=邪馬台国を神武帝率いる
秋津嶋新王朝が打倒する中国の天命思想的な話にも読める
まあどっちも厨な脳持ちにはおもしろいので、決着はむしろ付かないほうが
275 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 14:17:15 ID:+jKgkMFT0
>>265 このスレにも詳しく書かれていますが
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1189507021/ 一口に縄文人と言ってもかなり地域によって多様な民族部族によって構成されていたようですね。
ご存知のとおり研究が進むにつれて弥生時代の始期がどんどん早まっています。
>>151に書かれています高知県居徳遺跡では鋭利な金属器で虐殺された縄文人の人骨が出土。
紀元前500年といえば金属器など存在しない縄文時代だと昔は思われていました。
その頃の中国では春秋戦国時代真っ只中で呉が栄華を誇りながら油断により越に滅ぼされた頃です。
私の言う呉とは春秋戦国時代の呉の国。
大陸の動乱は確実に日本列島に影響を及ぼしていますね。
俺の予想では邪馬台国=ムー大陸
ムー大陸の最北端は沖縄の与那国あたりと推測
ムー大陸が沈没して畿内に移ったのでは
で、調べていくうちにのび太のメガネでもでてくるんじゃないかな
279 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 16:58:08 ID:DhQyrg4j0
大和朝廷なるヤマトンチューが
ウチナンチューたる邪馬台国を滅ぼして
連合国家を築いたのが大和朝廷だっていう説があるが
各地の文化の寄せ集めのような纒向遺跡が示すように
天皇一族もこの地に居着いてだんだん勢力をたくわえて
連合の長になったものと思われる
朝廷が勢力をもつにつれて神武東征とか天孫神話を作り
自ら祭り上げただけのこと
ようは奈良県桜井市が邪馬台国も大和朝廷も発祥の地
>>267 こないだ福岡空港に行ったら、お土産屋さんに那国の金印の
レプリカが置いてあって3000円くらいだったもんで、
「あら、携帯ストラップにしましょ」と思って買おうとしたら
「すいません売り切れなんです」と言われてへこんだが、
冷静になって思えば買わなくてよかったような気がする。
281 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 20:23:53 ID:avDP7qEI0
畿内説だとクナ国はどこになるの?
282 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 20:29:24 ID:V+2GbhCA0
>>281 狗奴国は九州になりますね。
狗奴国はクナなので九野につうじ九つの野、すなわち九州を指します。
神武帝が邪馬台国を吸収合併して大和朝廷を開いたわけですね。
畿内説の人で狗奴国は熊野を指すと言う方もいますが少し無理があるかと。
283 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 20:33:37 ID:avDP7qEI0
クナ=九州のほうが無理があるんじゃ・・・
ギシ倭人の記述と矛盾すると思う。
>>282 野はナとは読まんだろ。
だいたい野というのは邑の反対で、「人がいないとこ」の意味じゃないんかと。
285 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 20:44:46 ID:Fyw68FSUO
古文で半島から邪馬台国までの道のりを示す文章があったはず。
確か九州方面だったと記憶してるが、畿内派は、その文章は方角を
間違えて記述していると言い張って必死にもみ消してたな。
こうした確たる証拠の見付けにくい事には、必ず捏造まがいなこと
をするエセ学者がツキモのなんだなw
286 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 21:11:34 ID:V+2GbhCA0
>>283>>285 なぜ邪馬台国が魏の冊封下に入ったのかを考えれば自然な解釈が成り立ちます。
要するに他の力のある勢力との交戦中だったので魏の後ろ盾が必要だったわけです。
しかし自ら魏の使者を招聘しておきながらなぜか邪馬台国の首都まで招かなかった。
それは邪馬台国の本拠地を極秘にしていたからに他なりません。
ですので帰国した使者からの報告も邪馬台国側の説明に沿ったものであり使者が実際に距離方角を確かめたわけでもなく、魏志そのものもかなり時間がたってからかかれたものであるということを勘案すればあの記述は鵜呑みにできるものではないということになります。
おそらく邪馬台国側はわざと間違った距離方角を魏側に教えたと考えられます。
冊封下に入りながらも完全に魏を信用していなかったわけであり、それは魏が邪馬台国まで侵攻する可能性も考えてのうえのこと。
この世界観はかなり広いものがあり、そういう広い世界観を持つ邪馬台国が九州支配だけの小さな村国家とは到底思えません。
畿内から東は関東、西は九州、北は半島南部まで勢力圏としていたのでしょう。
>>284 邑は古代中国での考え方ではないでしょうか?
広い大陸ではまだ人間が動物より少なかった時代に邑という点と道という線しか人間が掌握できる範囲だったのでしょう。
しかし日本列島はご存知のとおり80%以上が山岳地帯です。
そのような国土に住む人間なら平野がひとつの単位になるのではないかと思われます。
287 :
佐賀県:2008/01/10(木) 21:12:16 ID:3Z4XNHoq0
だめ、絶対
>>286 なるほどね。
でも、結局、その話も想像なんだよ。
しかも一歩間違えば単なるこじつけ。
最悪なのは、実は真剣に研究してる人は誰もいないという事実。
>>286 いや、邑が変なら里でもいいけど、「野」というのは
そういう「人が住むところ」の周りにあるものだったのよ。
つまり、「野」そのものが境界であって、「九野」みたいに
野を分ける意味はないと。
どうせ区別するなら「九那」で「くな」の方が、俺は納得しやすい
気がする。
290 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 21:30:26 ID:QnfvFhBy0
普通に考えて吉野ヶ里遺跡とかじゃねーの?
291 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 21:33:57 ID:L7nZegQ80
292 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 21:40:32 ID:6q32bi1yO
邪馬台国とか卑弥呼とかが特定されて、なんかいいことあるん?
今の既得権益が補強されるように歴史捏造だったら、もういやや
これだけ話題になるようなことに多額の金を費やすのなら税金でやらずに
スポンサーを募集しろ。九州には九州の、畿内には畿内のスポンサーが付けば良い
その結果がどうあれ、だれも困りはしない。税金はタイムマシンにでも回せ
>>285 方角間違い説の根拠はある。
中国人は近世まで、日本列島が九州から南に並んでいると思っていた。
そんな風に描いた地図が残っていて、わざわざ「日本人やヨーロッパ
人の描く地図は誤りである」との注釈まで入れてあったりする。
だから、どうせ魏志倭人伝も同じだろうっていう訳。
彼等がなんでそんな勘違いをしていたのか訳わからんけど、
後に倭の五王が朝貢したのが南朝だったり、倭冦が東シナ海を荒らしたり
大内氏も寧波へ行ったりしてたことを考えれば、無理もないことなのかもしれない。
邪馬台国の場所は秘密で魏にはウソを教えたという説もある。
魏志倭人伝の通りに行くと沖縄の東海上に出てしまう以上、
いくら魏志倭人伝の記述を議論しても仕方がない。
295 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 22:10:28 ID:FBhXIHqE0
邪馬台国論争はとうの昔に終わったと思っていたが、まだ近畿だ何だいう人がいるのね。
296 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 22:11:43 ID:6JfULzL7O
八幡平は〜?
297 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 22:14:01 ID:gDbVW8gj0
朝鮮人が日本を支配したという歴史的事実から考えて
地理的にやっぱ九州だろうね
これを書いたときの矢吹タンは才能に溢れてた
299 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 22:26:42 ID:vY6BSbNL0
ゆとり脳育成教育の成果が着々と出てきてますね。
邪馬台国は畿内、これがほぼ定説です。
300 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 22:38:39 ID:lJjp+MyW0
>>299 ほいほい、ゆとり教育の成果がなんか言ってますねー(^o^)
301 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 22:51:59 ID:vuE8a47aO
九州だとしたら?
なぜ?
あっという間に消えてなくなるのかね?歴史から?
こう考えると京都ってすごいな。
滅ぶことなく栄え続けてるんだから
「どんな資料が発見されても、絶対に畿内説を変えない」と京都の某学者が言ってました
304 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 23:03:42 ID:YZz3DayK0
古事記や日本書紀に、
「神武天皇は天下った後に出雲などを打ち倒して畿内に入ってきて
王朝を立てた」という内容のことが書いてあるじゃん
どちらにしても、天皇家の元は九州当たりからやってきたんだろ
それを認めない機内説の信者はアホwww
喧嘩しないで間をとって空中浮遊都市説にしとこうぜ
バルスで各地に飛散したんだよ
306 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 23:10:07 ID:YZz3DayK0
空中浮遊都市=高天原か
それならやはり九州地方だなw
邪馬台、とか卑弥呼とかの漢字表記は止めにしないのかな?
ただの中国人の悪意いっぱいの当て字じゃねーか。
>>307 すでに卑弥呼は、なんとなく美人なお姉さんをイメージする
字面だと刷り込まれている気がする。
邪馬一国
312 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 23:36:18 ID:avDP7qEI0
病国なのかも
>>294,
>>310 中国本土の人らがそう思ってても、実際に来たらわかるじゃん。
方位磁石なんかない時代だから、「えと、北極星は…」とか見るべさ。
いや、壱岐あたりで鉛筆なめなめ、カラ出張の報告書を
書いたんなら知らんけどw
314 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/01/10(木) 23:43:09 ID:1vLjUQDJ0
>>310 明代の地図ですし、日本列島の形は13世紀に日本で描かれたものを参照し
ているようです。元寇の影響で、「日本」の範囲に対する関心が高まってい
たらしい。
3世紀までこの地理観を遡源させるのは無理です。
315 :
名無しさん@八周年:2008/01/10(木) 23:46:59 ID:avDP7qEI0
ヤマイ→ヤメ→八女(福岡県)
ぐらいかな
316 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 00:04:10 ID:gDbVW8gj0
九州説にしちゃうと天皇は朝鮮の血筋ってなるから
ウヨ学者は絶対にそれを認めたくないんだろう
邪馬病国?
319 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 00:53:51 ID:B1OPLQbH0
機内説を絶対変えないなんか言ってる奴は、肩書きは大学教授でも
学者じゃなくてただのキチガイだろw
少なくとも学問(笑)や研究ではないよなw
320 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 00:58:49 ID:BbYmCwSn0
321 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 01:18:35 ID:I+yvfHsH0
ウヨは邪馬台国は九州にあったとしときたい。
邪馬台国は畿内にあった+神武東征が事実
となると天皇家は日本の権力簒奪者ということになるからね。
天皇家の権威・権力の根幹に関わる。
322 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 01:22:20 ID:I+yvfHsH0
だけど3世紀の時点で、天皇家の祖先が九州(それも北九州)にあったとなると、随分ちっぽけな支配勢力ですなあ。神武2600年とも整合しないし。
ウヨ困った。
323 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 04:24:14 ID:tbXHMwyi0
勘違いしているレスがあるが、
天皇がヤマト政権を打ち立てたんではなくて、
ヤマト政権が大王をたてたんだからな。
ヤマト政権が先で大王が後。
しかも当初は家系が変わった可能性も否定できない。
最初から万世一系だった訳では無い。
324 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 04:59:04 ID:Z9VAYKRy0
まあ何処であろうと
朝鮮からの移住であることは
揺るぎのない事実なんだけどね
325 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:03:14 ID:YqQMmBBq0
326 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:07:08 ID:YqQMmBBq0
327 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:07:53 ID:25TTzRAPO
>>319 考古学や化石学なんて単なる文系だからね
本人たちは理系と思ってるみたいだけど
328 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:11:03 ID:25TTzRAPO
>>324 アホ
百済、新羅、任那
これらも倭人が統治してた日本の領土
現在の日本本土だけが領土だったとか思ってんなよ
329 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:27:22 ID:Z9VAYKRy0
>>328 > これらも倭人が統治してた日本の領土
愚かだなその倭人自体が朝鮮渡来だという事実に考えが及ばないのか
330 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:31:56 ID:6GL3t2o20
>>329 お前は一体、
日本人が皆、朝鮮半島を通って日本に来たとでも思ってるのかね。
331 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:44:47 ID:Z9VAYKRy0
>>330 全員とは思わない
ただ土着民を導いたのは朝鮮渡来人だっただろうね
332 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:47:38 ID:Z9VAYKRy0
まあ絶対に認めたくはないだろうけど
真実から目を背けちゃいけないよ
333 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:57:31 ID:nsZ195nh0
中東の遺伝子があるんだとしたら
日ユ同祖論もあながち嘘ともいえないな
334 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 05:58:33 ID:w60LYabAO
在位が長い理由には、在位を記録されなかった天皇がおられるのではないか?
335 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:02:43 ID:HOU5xZPaO
>>332 人がぐるぐる移動してた黎明期なんてどーでもよくね?
半島で人類が発生したわけでもないし
元々日本も半島も元を正せばアフリカから来たんだからさ
近いんだから多分に混ざっていてこれ当然。
民族としての形質が出てきてからが重要で
日本には多数の自然科学系のノーベル賞の受賞者がいて半島はゼロ
経済規模も半島は日本の数分の一
336 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:08:39 ID:25TTzRAPO
>>329 それいつの時代の事なん?
日本から複数の氏族が国造りで半島を統治しに行って納めてたんだよ
337 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:11:01 ID:wwF4NEl60
田中なんだか今日はさわやか
338 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:12:21 ID:25TTzRAPO
>>334 紀元前660年、神武即位
これはごめん。完全な後付け。
明治時代になってから、そう言う解釈をしてただけ
ウィキで「辛酉」でググるとどんな解釈してたかも解るよ
明治政府って言うか長州政府がした解釈
339 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:15:40 ID:Z9VAYKRy0
BANDOYの件
341 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:18:53 ID:25TTzRAPO
朝鮮発祥だの言う前に、朝鮮人はいつ頃半島に移民して来た民族なんよ?
400年前の李氏朝鮮王朝以前に、朝鮮半島のどこにも朝鮮民族の王朝も国も存在して無いんですけど?
ちなみに今のソウルは元々は漢城があり、漢王朝があった場所だよ
漢は中国大陸を統一してたとかそんなでかい国じゃない
そもそもモンゴル帝国以前に、中国大陸を統一した国なんて存在しないよ
ローマ帝国やトルコ帝国が中国大陸まで統治してた時代があるだけでさ
342 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:19:47 ID:S4hNADkI0
>>1 153回も発掘して何も出てこないのに邪馬台国はうちだって馬鹿じゃね?
また捏造すんの?
344 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:22:44 ID:z5EynqDTO
まあ聖徳太子の時代にやっと文字が生まれたような国だからな
朝鮮に比べたら土人だったのは事実だよ
ウヨはなんでもかんでも優位に立たんといかんの?
345 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:23:34 ID:JVOj8EY80
ハングルがいつ作られたか調べてみろ
346 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:25:01 ID:25TTzRAPO
>>339 違うっての
つかいつの時代だよ
そう解釈がなされてるかも知れないけど、中国の史記にも、日本の記紀にも、どこにもそんな記述は無いよ
逆に中国や日本の史記には、日本から来た倭人の氏族が、今の朝鮮半島や遼東付近まで統治してたって記述だよ
その後、その中の新羅が日本の朝廷に対してクーデターとか、国内でも勢力争いとかさ
まだ日本も都市国家だった訳だし
347 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:26:14 ID:nOHqb7kKO
邪馬台国の田油津媛(卑弥呼)を滅ぼしたのがマキムクだよ
348 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:27:21 ID:25TTzRAPO
>>344 漢字伝来以前は日本は神代文字、いわゆるシュメール文字を使ってたよ
どうもよくわからんが、天皇家の祖先が朝鮮から来たのが事実として
それを古事記や日本書記に書かなかった理由は?
当時の感覚では朝鮮は先進国だからウソを書く理由がないと思うけど。
350 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:29:27 ID:z5EynqDTO
天皇は紀元前から続いてる事になってんのに邪馬台国が未だどこにあったかさえわからんってWWW
神話の国だねWW
6世紀まで文字さえなかった土人らしいWWW
351 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:31:56 ID:zLjsR8Wa0
世界地図を見てください。
広大な大陸の小さな出っ張りに一体どんな超展開があって
固有の民族が生まれ独自の文明が発祥し、文化が花開いたと言うんでしようか
352 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:32:55 ID:Pgvzt7LT0
朝鮮学校で教える歴史は事実とはかけ離れたものだから
こういう論争の場合、必ずカンチガイする粘着が出て来るんだよ。
353 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:37:03 ID:25TTzRAPO
>>349 なんで朝鮮から来たのが事実なんだっての
逆に日本に渡来して来た氏族なら解るよ
大秦(ローマ帝国)から来た秦氏。 シルクロードを通って蚕を日本に伝えた氏族
後の波多氏とかだよ。機織りのハタは秦(ハタ)から付けた当て字だよ
大陸北部から来た司馬氏。 後の鞍作氏。 文字通り馬の鞍を日本に伝来した氏族。 鞍により馬が戦争で使える兵力になった
354 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:37:20 ID:Wr6Ga+o60
いくら支那朝鮮の劣等人種が捏造しても日本が世界最古の文字を使っていた事実は変えられませんwwww
支那・朝鮮が自分達より日本のほうがはるかに優れた文明を太古からあったことを認めたくないので
偉い先生に圧力やハニートラップで認めさせないようにいくらがんばっても
考古学では日本が世界最古の土器をつくった優秀な民族であるように
世界最古の文字であるシュメール文字を作ったのはシュメールではなく日本であるのは公然の秘密です
寄生獣・鮮人って笑えるよな。
奈良はナラ(鮮語で国)ニダ。ウリたちが建てたニダw
バ〜カw 廃藩置県で奈良県になったんだよw
あの地方は 大和 です。狂人民辱・朝鮮人の相手はホンと疲れる。
356 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 06:49:25 ID:25TTzRAPO
>>354 漢字は中国からじゃなく朝鮮半島にあった漢王朝が発祥だよ
(漢は大陸にあった国じゃなく半島にあった国)
日本が朝鮮半島に遠征して統治する以前は漢王朝の漢民族が納めてた
んで朝鮮半島を統治した倭人の百済や新羅により漢字伝来
ちなみに日本以外の国では漢字は象形文字と同じ「表意文字」としてしか使えて無いよ
日本以外では漢字の発音に話す言葉の発音があってないから、文字で発音表記とかが出来ないまま使ってるよ
357 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 07:03:14 ID:FuYdpXEjO
>>356 韓国語で「漢」と「韓」の発音が一緒だからって捏造すんな
358 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 07:09:16 ID:Y0ReoArM0
火の鳥は九州熊本の話だから
邪馬台国は九州
意地でも天皇発祥は日本って言いたいみたいね
359 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 07:17:18 ID:pHEyMjvJO
>>356みたいな事を言っている限り
世界から理解はされないね。
360 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 07:37:52 ID:Wr6Ga+o60
日 本 は 世 界 最 古 の 土 器 と 世 界 最 古 の 文 字 を 作 っ た
世 界 で 最 初 の 文 明 国 で す
こ れ は 考 古 学 的 ・ 科 学 的 に 裏 付 け ら れ た 事 実 で す
361 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 07:38:38 ID:ECZnkGeH0
なんで、こういうスレだと朝鮮電波が沸いてくるんだろう?
>>361 過去の捏造で未来が変わると信じているから
363 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 07:41:02 ID:ECZnkGeH0
日本電波も朝鮮電波と質的にかわんねーよ
国士気取りが見てて恥ずかしいわ
365 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 08:30:32 ID:1PIRRKPM0
日本には南方から海流に乗ってやってきたポリネシアンと
北方からやってきたアイヌの祖先
それが本来の日本民族 縄文人とも言う
そこへ朝鮮からやってきたのが陛下の祖先、それが弥生時代
これは揺るぎようの無い真実
366 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 08:43:20 ID:1PIRRKPM0
朝鮮人が制覇してくれなかったら
日本には両津勘吉や南海のしずちゃんみたいのしか居なかった
考えただけでゾッとするよなwww
367 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 08:46:35 ID:7RZUiIsT0
368 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 08:47:23 ID:uj8WoUKH0
朝鮮半島は元々、満州族と倭人の土地です
369 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 08:50:19 ID:1PIRRKPM0
やっぱ美人は朝鮮顔だよな
朝鮮さん ありがとう
NHKの番組によると、大陸由来、朝鮮由来のDNAというのはあっても
日本人固有のDNAを持ってる日本人はほとんどいないらしい。
混血してルーツがよくわからんのは朝鮮人より日本人のほうだろう。
371 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 08:50:52 ID:Q6RLO0qzO
いつも思うんだけど朝鮮から文化が伝わったって割には朝鮮には何にも残ってないし何にも作り出されてないな。
超時空太閤秀吉の責任なんだろうな
ルーツなんかどうでも良いが
朝鮮人が劣等民族だと言うことは
歴史が証明してる
373 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 08:54:25 ID:1PIRRKPM0
>>370 元祖日本人はアイヌとポリネシアンだから
他探したってそりゃ見つからないよ
暖簾にこだわって衰退した本家と
いろんなオリジナルメニューが大ヒットして
本家をしのぐ勢いになった分家みたいなもんだな、朝鮮と日本て。
376 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:02:30 ID:ml4OgvEpO
耶馬台国は伊勢、出雲、吉備、四国などが連合してできた国。海を東に渡って倭国があるというのは伊勢から渡って名古屋や東国の事。静岡には登呂遺跡とかある。また久保田トシノブのような日本原人も存在する。
卑弥呼はアマテラスで伊勢に奉られてる。これは伊勢が拠点となって大和が大和朝廷によって征圧されたからでは?
また3世紀に箸墓古墳という巨大な墳墓がマキムクに築かれておりこれは相当な労働力がないと築造できない。
>117
牡蛎でも食ってろ、お好み焼き!
>374
多分韓国/中国由来の50%は在日だろう。
379 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:06:07 ID:1Caq0TNyO
邪馬台って「やまと」の当て字のひとつだから、
地域を特定するのって、無理だし意味がない。
畿内だの九州だの言って頑張っているのは、
実は一部だったりする。
ホントのこと言ってすまんが。
380 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:11:59 ID:F6r0vjoa0
おいおい、浅薄な直感で決め付けてるやつばっかだな。
381 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:28:59 ID:OeTQoJLJ0
>>369 一重のツリ目で眉ナシが美人だと思うんなら、まあそれはそれで個人の好みだけどw
>>381 エラを標準装備も忘れちゃダメだお!
朝鮮半島で楕円形の輪郭持ってるのは、新羅系(漢人)の子孫だからw
383 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:35:04 ID:OeTQoJLJ0
>>325,326
オセアニアとかメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアの原住民や
南米インディオのデータが欲しいな。
縄文人にはスンダランドの海洋民族渡航説とかあるし。
384 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:38:08 ID:pbVogenI0
発掘により、倭人のルーツが朝鮮からであったのが証明されるんだろうな。
>375
もっと歴史を勉強した方がいいよ。
日本は鮮半島南部を支配していたんだけど…
386 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:46:25 ID:8ia6+xJFO
どこの大学が掘るの?
>374
デタラメもいい加減にしろ。一見、科学的に見せかけてはいるが、ただのカルト
韓国固有・中国固有のDNA配列って何だよ。正確に記述してみろや。
大陸は各民族が興亡した戦いの歴史。中華は周辺蛮族に凌辱され混血化したし
鮮半島に至っては、漢人、満州人、モンゴル人に支配され強姦の限りを尽くされた。
現在の鮮人(漢人+満州人+モンゴル人+鮮固有人種)は雑種人間
388 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:49:37 ID:eZ3hmHy50
水行10日?
>>387 そもそも世界中探しても純潔のまま人種を保存してきた民族なんて
ほとんど存在しない。少なくともユーラシア大陸ではね。
だから現在の民族のアイデンティティは血統ではなく言語。
神国日本だけが古代からの純潔を保ってきたと考えるほうが異常だよ。
あの調査は、少なくとも、日本人が中国や朝鮮とかけはなれた
固有の遺伝形質をもっているとは思えないことを示している。
日本人も雑種。
390 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 09:56:30 ID:RmlaTQQXO
カムナビ大ヒットの予感
>>388 そう、滝修業を10日しないと邪馬台国への扉が開かれないんだよ。
なんてね。
神国だの、純潔だの は書いてませんが
大陸と地続きで、他民族に征服され続けた雑種人間・鮮人よりは、混血が進んでない。とは思ってる。
393 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 10:00:30 ID:Ga3StJu1O
場所もだけど、今は奈良と福岡の地名の共通の方が気になる。詳しい人いない?
81:出土地不明 2006/09/07 21:05:53 ye1CXVuH [sage]
周知のように福岡と奈良の地名の類似性は真に興味深いものがあります。
http://inoues.net/club/chimei.gif(分かり易い画像だったので勝手にリンク)
394 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/11(金) 10:02:05 ID:VsAdiXfz0
邪馬台国は阿蘇山の近く。火山灰の下に埋もれてる。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ星野之宣の説な
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
>>392 それを証拠立てるものは何もないじゃない。
かりに縄文人(ポリネシア系やアイヌ由来?)が原日本人のルーツだとすると、
その血統と大陸由来の血統の混血がかなり大規模にあって、
それが現在の日本人を形成しているように思われる。
ほとんど定説どおりだけど。
>394
なつかしいなヤマタイカか。
>393
ヤマタイカに書いてあるお。
>>1 >神国日本だけが古代からの純潔を保ってきたと考えるほうが異常だよ。
問題は相手がそういう主張をしているという妄想を相手に押し付ける事から議論を始めてる所だな。
つうかそもそも固有の遺伝形質って比較的近年変異した極少数の移動の問題で、
中国人遺伝子とか韓国人遺伝子とか民族区分け出来る遺伝子があるわけじゃないぞ?
>>397 まあそうだけど、
ミトコンドリアDANによる調査は母系でルーツを探るのには適してるから
現代日本人は母系で先祖をたどると現代中国人・朝鮮人とつながってる人が多いが、
逆のことは言えないぐらいのことは、科学的に言うことができる。
ひとつ疑問に思うことがあるのだが
ある政権が権威付けをするときは、既存の権威のある政権を利用したりする場合がある。
例えば、日本の朝廷は当時先進国であったシナ等の王族の末裔だとな何とか・・・
こうした方が権威付けをするには都合が良い筈なのに、古事記等をみてもそれらしい話は聞いたことない。
何でだろうね?
だ・か・ら!現代中国人・朝鮮人の固有ミトコンドリアDNAって何よ。
401 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 10:47:44 ID:/ephJ8B30
>>395 南から来たポリ系と北から来たツン系が本州で混血。その総称が縄文人。
当然、南ほどポリが濃く、北ほどツンが濃い。この縄文人と中国南部から
稲を持ってきた連中との混血が弥生人。
朝鮮半島も同じ。北からツン系、西から漢族、南から縄文人(倭人)が入り混血。
この時期における九州←→半島間の人の移動に、民族性や国家観は、当然無い。
半島においては国家成立後にも度々異民族による侵略を受け混血。
人の流れは日本→朝鮮半島が正方向。朝鮮半島→日本の渡来人は亡命者など、
限定的かつ(全体から見れば)少数。日本人全体に影響を及ぼす数では無い上に、
関東などの限られた地域に隔離されたため、混血も限定的と思われる。
>現代日本人は母系で先祖をたどると現代中国人・朝鮮人とつながってる人が多い
繰り返すが、人の流れは日本→朝鮮半島が正方向。
402 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 10:52:41 ID:47pG9qVU0
>>399 古事記、日本書紀は、日本の支那からの独立宣言みたいなものだから、
そんなことするわけもない。
そういえば朝鮮半島の神話をみても南方系由来の話も多いと聞いたことがある。
日本においても勿論だが朝鮮半島も色々と複雑な歴史を辿っているのだろうな。
405 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 10:54:52 ID:eKUzWSB10
天皇のルーツはともかく、魏志倭人伝を信頼するなら、
卑弥呼の墓は大きさを考えると前方後円墳のどれかって事になる。
時代的に言えば箸墓古墳がもっとも怪しい。
となるとやっぱり大和国=邪馬台国と思ったほうが自然。
つうわけで普通に奈良じゃねえの。
でも、日本て7世紀ぐらいからしか正確な歴史が分からないから
真実は永遠に闇だろうね。
天皇陵で詳しい調査が出来ないのが辛いところ。
日本書紀だって天皇目線のいい加減な資料だし・・
406 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 10:58:13 ID:/ephJ8B30
>>399 古事記は各地の部族にヤマト政権の正当性と、各部族との関係性を担保するもの。
「日本を統べるのは中国王族だ」なんて言えるわけないですよ。即反乱が起こる。
日本書紀は中国に対して、日本国の独立性と天皇の正当性を証明するもの。
「天皇は中国人です」なんて言うわけないですよ。なにがしたいんだと。
そもそも国内統治に中国の権威を欲したのは奴国とか邪馬台国とかの時代。
ヤマト政権にはまったく不要のモノ。権威は「天皇」にあるんですから。
407 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:01:38 ID:/maPv8PV0
たまたま中国の史書に載っていたというだけの話で
当時の日本列島には邪馬台国レベルの国があちこちにあったんじゃないのかと
妄想してみる。
408 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:02:44 ID:mv4QE+930
/'⌒`ヽ、
ヽ、┗ ノ
`ーー' γ⌒`ヽ /'⌒⌒ヽ、
,-ーー-、 .|| ̄ ̄ ( ┃ ⌒ヽ
/ ┃ ) || ∧_∧ \ ━┛ )
.(. ┃ ) ||. (・∀・ ) ちょっと邪馬台国をやっつけてくる。
ヽ、__,ノ || _(つ¶¶と)__
/||'''''| 三 | |'(⌒)
/ '―――――`  ̄ \
`============'
昔付き合ってた彼女が霊感持ちで
宇佐神宮が卑弥呼の墓っぽいって言ってた。
卑弥呼は巨乳だったのか、もしくは貧乳だったのか?
俺はそっちのほうが興味ある。
411 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:05:54 ID:eKUzWSB10
>>407 前方後円墳とか全国で形が統一してるわけだから、
それなりに日本全体を統治してた王が居たと思います。
同じレベルだったら戦争も頻繁に起こって良いはず。
それを裏付けるような大量な武器は発見されてないし。
412 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:09:13 ID:/ephJ8B30
>>407 たぶんそれが正解。九州・中国・畿内のみならず、関東・甲信、
はては東北にまで有力な集団はあり、
後のヤマト政権の成立と発展に多くの部族がかかわっている。
>>410 卑弥呼は貧乳
413 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:10:06 ID:JRYWXeHs0
魏志によれば倭人は相当温厚で争いとかあんまり無かったみたいだよ。
414 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:10:45 ID:riAGMw0j0
415 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:11:02 ID:0IYFkom30
マキムク=邪馬台国だと仮定して移動ルートを地図上に落としてみた。
古代史に詳しいわけではないから古代史版に載せると非難必至だと思うけど(笑)
皆の説は無視して、単純に「魏志倭人伝」の方角、距離表記だけでやってみた。
JPG
http://www.uploda.net/cgi/uploader4/index.php?file_id=0000024935.jpg PPT
http://www.uploda.net/cgi/uploader4/index.php?file_id=0000024937.udn <仮定>
1.「魏志倭人伝の方角・距離表記がある程度正しい」
2.当時の方位測定が太陽観測に基づいていると仮定する
1.については、ある程度情報があった朝鮮半島〜直線距離が図りやすい海上はほぼ正確。
日本に上陸してからが怪しくなると勝手に解釈。
2.については、年次春分の日の南中天方向が移動することを考えて、約1750年前→24度ずれていることを想定。
まず、それまで正確だったにもかかわらず、一大国(壱岐)→末虜国(唐津)の、目視も出来そうな距離が怪しくなる。
おそらく「末虜=唐津」が怪しくて、そこから先は倭国内の地図がなかったせいで大きくずれてるんだと思う。
あとは・・・不弥国以降の「南に水行10日+20+陸行1月」は、強引にあわせるしかないですね。
そのまま行くとはるか太平洋上だし(笑)
興味があったらPPTにある地図と千里(対馬→狗邪韓国が千里と記述されてるからそれに合わせて73mくらいとした)のスケールを使って遊んでくれ。
さて、メシでも食ってくるか。
邪馬台国は千葉で間違いないと思う
417 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:14:21 ID:/maPv8PV0
>>411 6世紀の段階でもまだ磐井の乱とか起こってるくらいだし
地方にはまだ有力な勢力がいっぱいいたんじゃね?
天皇目線でみるから乱なんであって実際には戦争でしょ。
419 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:15:56 ID:eNybYxeo0
卑弥呼は巨乳だか毛深い
もうホントふさふさ
421 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:23:57 ID:eKUzWSB10
>>414 卑弥呼以前の弥生時代後期は普通に地方に分散してたんでしょ。
それを卑弥呼がまとめたのが3世紀後半ぐらい。
その後前方後円墳が普及してるんじゃん。
だから邪馬台国は一つでしょ。
422 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:27:54 ID:34QXS5UD0
>>417 そんなこといや、16世紀なんて戦国時代。
いったん統一されたら、永遠にその体制が続く、というわけじゃないよ。
古代史を 未統一 → 統一
の一方向で考えようとするのは、一つの先入見。
423 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:29:52 ID:/ephJ8B30
>>420 すまんがレスの意味が分からない。もうちょっと具体的にお願い。
ちなみに中国に対する独立宣言は聖徳太子が済ませている。
そもそも柵封下に入った五王の時代でも独立性は保っていたし、
五王の時代のうちに柵封下から離脱している。
424 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:31:44 ID:34QXS5UD0
多分邪馬台国崩壊後(4世紀初頭?)後も、
日本列島は一度大混乱になってる。
統一されたからと言って、それが永遠に続くわけでもない。
425 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:36:03 ID:ipOVPAszO
間違えた振りして
箸墓と宇佐の両方を一緒に発掘すれば問題解決!
426 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:42:01 ID:rnJxPao+O
邪馬台国=九州なら明らかに畿内の大和国とは別物でしょ?
だったら最有力国家(権力中枢)が九州から畿内に移行したわけで、
そんな大転換なら西日本全域において大規模な戦闘があったはず
(徳川vs豊臣や戊申戦争しかり)
そのような戦跡やそれに関する逸話が残っていないとすれば
畿内において邪馬台国→大和国にすんなり移行もしくは局地的戦闘で終結
と考えた方が普通じゃない?
古代史素人が適当に思っただけなので詳しく教えてエロい人
427 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:42:52 ID:TLS/r9z80
東京・・・・・九州説・・・・・どうしても朝鮮半島と結び付けたい朝鮮人種
関西・・・・・畿内説・・・・・どうしても朝鮮半島とは縁を切りたい日本人
東京なんて、九州説を無理やりでっち上げているチョン州人や福岡っぺなんかの
朝鮮人ばっかりだモンナw
428 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:45:42 ID:TLS/r9z80
東京・・・・桓武天皇(朝鮮人ハーフ)・京都支持
関西・・・・天智天皇(大あまの皇子)・奈良支持
ってところか。
九州説はムー大陸レベルの話と聞いたが
430 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:48:01 ID:tZog9Th20
それぞれの頭の中に邪馬台国がある、それでいいじゃないか、どうせわかりっこないんだから。
それに中国人って言うのもやめようぜ。シナ人もしくは大陸人だ。
今では蛮族に成り下がっているんだから、古代と現代の呼称をごっちゃまぜにすると誤解をまねく。
邪馬台国は私達の心の中に存在します
432 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/11(金) 11:55:03 ID:VsAdiXfz0
>>393 地名相似の推定・九州んも甘木と大和の地名が似ている件について
九州・甘木から大和へ、大規模な移住があった(神武東遷)
大和から九州・甘木へ、大規模な移住があった(斉明天皇の半島出兵)
┐(´ー`)┌ 記紀の古代の舞台が九州なのは、斉明天皇が甘木に本営を置いた影響だろうと言われている。
しかし逆に、皇室の先祖が甘木周辺の出身だったから、斉明天皇が甘木を本営にしたのではないかという指摘もある。
433 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 11:57:46 ID:MOSHxNrYO
普通に考えて『邪馬台』は『ヤマト』の当て字だろ、
邪馬台=ヤマト=大和で奈良だろ
434 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 12:04:50 ID:lyNg4Yvx0
>>405 >天皇陵で詳しい調査が出来ないのが辛いところ
古墳・天皇陵を徹底的に調査するべきだよな
天皇崇拝勢力は断固拒否するんだろうけど・・・
絶対に何か出てくるはず
435 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 12:05:35 ID:jM6egByV0
各都道府県に一つづつ
日本人ひとりひとりに一つづつ
邪馬台国は存在します
吉野ヶ里遺跡が出て来たときは九州だってことになったけど、
結局、今では畿内でほぼ決定のようだね。
俺は九州人だが畿内だと思っている。
もちろん、同時代の博多あたりに大きな集落はあっただろうけど。
437 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 12:15:52 ID:0KcO3Qvh0
竹生島説という地元5000年の言い伝えがあるらしいが、一番興味を魅かれる。
>>399 >ある政権が権威付けをするときは、既存の権威のある政権を利用したりする場合がある。
もともと土着の信仰であった太陽信仰の最高神と、朝廷を結びつけたんじゃないの?
古事記、日本書紀は皇室による国家統治をするための政治的主張。
つまり、天照=持統天皇
てなんかで読んだ。
その後の九州の歴史的空白からしても九州はありえん。
中国と何の接点の無い大和朝廷がいきなりでてきて、日本の大半を支配できるわけ無いじゃん。
440 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 13:14:19 ID:Ga3StJu1O
441 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 14:22:33 ID:ZoiW7oNC0
邪馬台国は普通に九州だと思うが。
京都ならまだしも奈良とかありえん
奈良なんて佐賀以下の県だぞ。
442 :
名無し募集中。。。:2008/01/11(金) 14:24:20 ID:BcskV1no0
九州には磐井がいたろ
いや天照大御神は卑弥呼だろうJK
若しくは天照大御神の巫女だったんじゃね?
444 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 15:34:40 ID:auISnO1+0
邪馬台国=奈良というイメージしかない
九州と言われてもイマイチぴんとこない
445 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 15:52:06 ID:1wGuWihf0
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1189507021/ ↑
このスレにも書かれているけど、日本人は周王室の流れをくむ呉の国の遺臣なんだよ。
呉が越に滅ぼされた前後に海に出た呉の人々が日本列島にたどり着いた。
その時の民族の記憶が天磐船伝説になった。
なので、畿内説であっても九州説であっても呉から移住してきた人々がこの国を作ったので民族的意味合いはあまりない。
問題は邪馬台国の勢力。
畿内説の場合は邪馬台国の勢力が機内を中心に九州や半島まで及んでいたと考えられる。
が、九州説の場合は邪馬台国は九州の一部しか勢力の及ばない村国家となる。
俺は卑弥呼の時代から古墳時代までの短い時間に大和朝廷が関東から九州・半島南部まで勢力を広げたと考えにくいと思う。
よって大和朝廷は邪馬台国を継ぎ王朝をひらいたと考えるので畿内説だと思う。
446 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 16:00:43 ID:X8PjcOW+O
こんにちは、旅行板に歴史推理を書き続けている連投タンでつ
新しいハケーンをするたびに、持論がころころ代わります
邪馬台国については、畿内だとおもいます
鍵は飛鳥京と近江京です
詳しくは、旅行板の連投タンスレをドゾ
447 :
大阪:2008/01/11(金) 16:22:33 ID:jCKrVI690
奈良作は関西のガス(おなら)やん
畿内説は方向のずれを説明してくれ。
俺は九州→畿内移住説だけどね。
449 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 17:07:46 ID:fJ4tBL6x0
そこらじゅう遺跡だらけで、普通に遺跡の上で生活してるような泉州で
生まれ育った俺が疑問に思うのは、大阪や奈良に邪馬台国があったなら、
記録も遺跡もなーんもわからないってあり得ないと思うんだよ。
これは理屈じゃなくて感覚的な疑問。
地方にあって、衰退した後風化したって方がなるほど謎になるはず。
日本史の教員も九州説を推す人が多かった印象がある。
450 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 17:30:55 ID:kElYkqVt0
>>449 当時の日本には漢字が普及してなかったでしょ。
大阪の遺跡からは、景初三年:西暦239年と書かれた銅鏡が発掘されている。
これは卑弥呼が魏に使いを送った年。つまり、3世紀の畿内は中国との交流
があった。
451 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 17:44:14 ID:7yb9Rv7a0
>>450 >当時の日本には漢字が普及してなかったでしょ。
やそういう次元じゃないんですよ。
>景初三年:西暦239年と書かれた銅鏡が
タイムラグ無しで大阪に持ち込まれたの?それ
受取人はだれ?
邪馬台国が魏志に記されてるような大勢力で畿内に存在したにしては
足跡がしょぼすぎ、に感じるんですよね。実際、この疑問に答えてくれた
人はいなかった。
452 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 17:52:22 ID:uZgqZ30yO
調査されるのは嬉しいが、九州の某遺跡みたいに無理な再現をして
レジャーランドになるのは勘弁してくれ
453 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 17:58:26 ID:g7hd5tFY0
遺跡で財政的に潤うなら結構だな。
ハッキリ言って温故知新もどうでもいいがな。
454 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 18:06:06 ID:7yb9Rv7a0
>>453 自分たちの歴史を認識することは非常に重要なことで、軽んじられる物ではないです。
自分たちの歴史を認識できないとどうなるか? 某半島の方を見てみればわかるでしょう。
あなたが「どうでもいい」と余裕顔で言えるのは、意識しなくても歴史に裏付けられているからです。
今年は邪馬台国の所在地が分かる年だからな
タイムマシンも発明されるんだ
456 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 18:44:48 ID:Vf5VCGEf0
九州説の野郎は
自分都合のいいことは神武東征などの
ねつ造を根拠にしやがるからたちが悪い
457 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 18:47:39 ID:kElYkqVt0
>456
ちょー
捏造じゃないだろうw
まだ証明されてないだけじゃねーの?
古事記や日本書紀に書いてあることだし
まったくその通りじゃないにしても
なにかあったって考えてもいいんじゃないか?
それより畿内説は方向のずれを説明してくれ。
459 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 19:11:26 ID:IUaXsn6q0
所詮3世紀ごろの話だろ?
もっと以前から日本には人が生活していたはず。
460 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/01/11(金) 19:15:23 ID:VsAdiXfz0
┐(´ー`)┌ 三角縁神獣鏡(通称・卑弥呼の鏡)は100枚以上も出土してるし、国産鏡もある。
しかも、魏には存在しない年号の鏡もある。
この鏡は棺の周辺に多数が配置されて埋葬されている場合が多く、祭祀用の大量生産品と指摘してる学者もいる。
魏からもらった鏡は、棺の中に入れられている鏡だろうと主張してる学者もいる。
そのような鏡は、九州から出土してる例が多い。
461 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 19:26:14 ID:kElYkqVt0
>>458 当時の中国の日本地図を見ると、日本列島は九州が北で東へ行くにつれて
南に描かれている。
本来は考古学としてのまっとうな発掘の対象であるべき纏向遺跡が、
マスコミや素人邪馬台国ファンのくだらない興味による雑音によって、
本来の発掘の目的を見失うことが無いことを願うのみだな。
463 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 19:47:29 ID:B2WpCgYQ0
縄文人とポリネシア人の文化と言語が似ているとかどこかで
聞いたことあるな、もしかして南方系の血はマオリと同祖だったりして。
ところで縄文人ってどこ行ったんだ?
464 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 19:53:50 ID:Vf5VCGEf0
>>463 弥生人が持ち込んだ病原菌で免疫のない縄文人が大量死した
465 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 20:09:21 ID:ZnR26bWl0
>>326 なんかよくわからんけど、何回にも分けて民族の移動があったのは分かる。
日本書紀の高千穂降臨はほんとのこといつごろの話なんだろ?
467 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 20:34:34 ID:7RZUiIsT0
>>460 畿内から多く発掘される銅鐸には殷・周時代にしか使われていなかった特殊な鉛とまったく同じものが検出されたのですよ。
知ってました?
要するに殷・周時代の古代中国で作られた青銅器がなぜか日本の畿内で銅鐸として再利用されている。
邪馬台国の畿内説の証拠にはなりませんが、少なくとも中国大陸でも国宝クラスの青銅器を手に入れられる勢力が畿内には存在したのですよ。
本当はどっかの文化遺産の建物がある場所の真下にあったりして
469 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 20:37:26 ID:o7PKEBsH0
>>467 国宝じゃなくて貨泉と同じでリサイクル用鉄屑として輸出されたものだろ。
470 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 20:50:16 ID:7RZUiIsT0
>>469 リサイクル青銅器・・・そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
ですが中国のその後の時代にもその鉛の検出される青銅器がありませんし、周辺民族もそのような青銅器を持っていないようなのです。
これは何を意味するかというと、日本人の祖先である呉の民が持ち込んだということです。
周の古公亶父(ここうたんぽ)の末子・季歴は英明と評判が高く、この子に後を継がせると周は隆盛するだろうと予言されていたので、長子・太伯(泰伯)と次子・虞仲(仲雍)は末弟の季歴に後継を譲り、呉の地にまで流れて行き現地の有力者の推挙でその首長に推戴されました。
後に季歴は兄の太白・虞仲らを呼び戻そうとしたが、太伯と虞仲はそれを拒み全身に刺青を施しました。(当時刺青は蛮族の証であり、それを自ら行ったということは文明地帯に戻るつもりがないと示す意味があったという。)
その時に、殷を滅ぼした周王室から呉に対して宝物を分けられたのではないでしょうか?
周王室の分家である呉に当時の宝物が存在しても不思議ではありません。
その後、越に滅ぼされた呉の民は宝物を持って海へこぎ出した。
黒潮に乗って日本列島にたどり着きそこに住み着き国家を築いた。
長い年月が経ち宝物は銅鐸と形を変え受け継がれていったのではないでしょうか?
471 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 20:55:31 ID:ZnR26bWl0
>>470 遺伝子の多型分布を見ると何回にも分けて日本には異民族が流入しているので
特定の民族をルーツとかいうのはどうなんよ?中国みたいに漢民族がその他民族を駆逐してる
場合はともかくとして、日本は混血、結局、和の国なんじゃないかね?
472 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 21:03:04 ID:xPUdTqIL0
>>467 前提が誤り。
その鉛は九州の青銅器でも同じ領域のもの。
一部に殷・周の時期のものがあるというレベル。これは、殷・周以来の財宝が
戦国時代に征服された国から流出したと考えられている。
つまり、同時期に日本に持ち込まれたわけではない。
戦国時代の王の墓から10d以上の青銅器が出土した例もある。
そのレベルのものが盗掘されただけでも、大量の古い青銅器が市場に出回る。
473 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 21:04:30 ID:7RZUiIsT0
>>471 まあ遺伝子での分類を始めたらアメリカインディオにも日本人の遺伝子が検出されますからね。
そういえばNHKかなにかで遺伝子の話を放送していましたが、研究室に集まったアメリカ人・ブラジル人・ロシア人・インディオ・中国人などの男女がすべてベーリング海峡付近で生まれた太古の女性から生まれた一族だと証明されたという番組でした。
まったく肌の色も骨格も民族もバラバラな人々が画面に映ってて驚かされた記憶があります。
474 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 21:08:27 ID:ZnR26bWl0
>>473 なんか鈴木光司の楽園みたいな流れだな。
475 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 21:12:10 ID:7RZUiIsT0
>>472 それがですね、戦国時代にはその特殊な鉛を含んだ青銅器が発見されてないのですよ。
私も周→斉→楽毅→燕or趙とか考えたのですが・・・。
そうなると戦国時代のどこかの遺跡からその特殊な鉛を含む青銅器が発掘されないといけないわけでして。
リンクがきれてますけど参考までに。
↓
日本に伝播 青銅器、商・西周と共通点 特殊な鉛含有
新井氏は、青銅器材料に含まれる微量の鉛を測る鉛同位体比法により、日中の青銅器計約3000個のデータを解析。
弥生関連の1052個を鉛同位体の比率の違いに注目して分類、共通点を探った。
その結果、弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器は、
中国最古の王朝とされる商(殷、前17〜11世紀)や西周(前12〜8世紀)の時代に
多く見られる青銅器と、鉛同位体比が一致することが判明した。
鉛の種類としては極めて特殊なものが含まれていたという。
弥生時代については、国立歴史民俗博物館(歴博)が4年前、放射性炭素年代測定による分析の結果、
弥生期の幕開けは紀元前10世紀へさかのぼる−と発表して話題を集めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071202-00000904-san-soci
476 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 21:21:10 ID:Vf5VCGEf0
日本人が中国の江南地域に旅行すると妙に郷愁を感じるのは
遺伝子がそうさせるんだろう
どっちにしろ朝鮮半島経由であれ南海から渡ってきたものであれ
日本人の原点は揚子江河南のあたりだろう
>>415 この時代、太平洋に出て日本海流ってのはちょっと無理じゃね?
横に瀬戸内海っつー通りやすいルートがあるわけだし。
>>393 この時代は太平洋に出て日本海流で北上なんてできたのかな。
だって、瀬戸内海っつー立派な内海があって、そっちは楽勝なのに。
479 :
名無しさん@八周年:2008/01/11(金) 22:57:12 ID:0IYFkom30
>477
それはその通りなんだけど、「投馬国」が九州西岸しかありえないから、
「そこから南に水行する」という表記が魏志にある以上、南に船出させてみた。
そうすると「南に移動→海流に乗って東へ流される」しか陸地につく方法がない^^;
(あくまでも魏志の表記優先で考えて)
邪馬台国って本当に存在するのか?
魏志倭人伝の著者が適当書いただけじゃねぇのか?
現に方角も距離もデタラメだし。
教科書に書いていいような確たる事実なんかねぇ。
481 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:04:57 ID:4Jqdi1F+0
邪馬台国は「なかった」
482 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:10:11 ID:EeyQ/BLv0
>>59 >そもそも江戸時代中頃までは
>邪馬台国=ヤマト国=大和朝廷(畿内説)
>は常識だった。
そりゃ天子様が渡来人の末裔だってことは隠してたからな
天照大神の子孫だってことになってるのに、実は大陸から来ましたっていっちゃダメだろw
483 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:12:20 ID:BwsO0H+V0
>>482 天皇が渡来人ならなんで姓がないんだよ。
済州島出身の在日じゃあるまいし、捨てる必要ないだろ。
484 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:12:47 ID:EeyQ/BLv0
>>480 九州から魏王に授けられた金印も出てるしな
方向がデタラメなのは使者がいろんなところを連れ回されて、時間稼ぎをされたかららしいが
485 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:14:59 ID:EeyQ/BLv0
>>483 は?
おまえ小学生からやりなおしたら?
486 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:15:15 ID:IgtChAmN0
>邪馬台国は「なかった」
まあ、ふつうに解釈すれば博多湾沿いの国だな。。
>>485 はい、答えられないねw
何で天皇には姓も氏もないのかなw
488 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:19:11 ID:IgtChAmN0
>方向がデタラメなのは使者がいろんなところを連れ回されて、時間稼ぎをされたかららしいが
古田武彦の説も知らんのか?
489 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:28:26 ID:AQG+irkcO
石舞台の年代鑑定って、やってるの?
元は土に覆われた上円下方墳だったんでしょ
曾我馬子の墓という説が有力らしいけど、曾我馬子って、飛鳥寺を建ててるんだよね
高松塚古墳の彩色からしたら、曾我馬子の墓にしたら、地味かなと
飛鳥寺は平城遷都で奈良に移り、元興寺になったんだよね
桜井と飛鳥って、つながるよね
石舞台が卑弥呼の墓の可能性はないの?
>>480 >魏志倭人伝の著者が適当書いただけじゃねぇのか?
その可能性は無い。あの時代の中国人はある意味「記録オタク」だから、
「正しいと信じて間違ったことを書く」ことはあっても、デタラメはかかない。
魏と邪馬台国の国力レベルからしても、そんなデタラメを書く意味は無い。
>現に方角も距離もデタラメだし。
当時の邪馬台国の使者が、曖昧なデタラメ吹いた可能性はある。
「国の位置」なんてのは、当時は最重要国家機密だろう。
ましてや相手は魏という国、ちょっと本気になれば邪馬台国なんかあっという間に踏み潰される。
そういう国の子分になるには、極めて微妙なやり方が要求されるだろう。
「その通りに行っても決してたどり着けないが、全く間違っているわけではない」というか、
魏の使者に「てめぇ、この前言ってた場所とか全然ちげーじゃねぇか」と突っ込まれたときに、
「あはっ☆うちら倭な人間だから、ちょっと間違えちゃった♪てへっ♪」と誤魔化せるレベルで。
491 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:28:50 ID:CuB8938r0
>>482 息を吐くように嘘をつくような奴とは
>>59のことだよ。
そんなもんに遅レスすんなw
>>467 君の言うとおり「全く」証拠にならないwww
銅も重要な輸入品であり、最も変化を受けない資源だからどこをどう
流通したかはとてもじゃないが一筋縄ではいかない。畿内説の似非
研究者(つうか辻褄合わせの役人)の無理筋の誘導に釣られてはいけない。
492 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:29:22 ID:vx5XYPKa0
>>487 なぜ我国の皇家に姓が無いのか?
確かにこの特異な点に注目するのはアタリかも知れませんね。
そもそも古墳時代は氏姓制度があったわけで。
中国の歴史が始まった時点から今日までどんな皇帝でも元々の姓は存在する。
なぜ日本の皇家だけ姓が無いのか?
何かかならず大きな理由があるはずですよね。
493 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:34:33 ID:AQG+irkcO
狐が美女に化けて踊るって、卑弥呼っぽいやん
あと、夫が蛇ってさ、むけたおち〇ち〇って、蛇っぽくない?
494 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:35:20 ID:2hws6AOE0
邪馬台国はナカータ、パルーマ、ペルージャ
495 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:37:29 ID:IgtChAmN0
>>現に方角も距離もデタラメだし。
>当時の邪馬台国の使者が、曖昧なデタラメ吹いた可能性はある。
>「国の位置」なんてのは、当時は最重要国家機密だろう。
だから「古田武彦の説も知らんのか?」ってんだよ!
おまいら、もぐりかw
>>492 回答は二つ。
・「性を必要としない」から。
キリスト教の神に名前が無いのと同じといえるかもしれない。
・氏姓というのは、「天皇から部下へ下賜するもの」であって、
そもそも自分から名乗るものではない。
497 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:39:14 ID:ANXzv+p80
支那の古書に登場する地名は反日売国奴居住地
498 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:41:11 ID:AQG+irkcO
別に九州を通り、畿内に入って行ったとしたら、方角的におかしくないんじゃないかな?
500 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:43:58 ID:ANXzv+p80
魏志倭人伝をソースにするやつは日本を東夷
呼ばわりする反日売国奴
古事記と日本書紀に古代の日本の様子は全部
載ってる。
>>139 つか、ヤマトとオオクニヌシの戦いの敗者を追いやっただけだろうな。
・「出雲」という、あからさまに縁起の悪い名前
・出雲大社ではオオクニヌシが参拝者に正対してない件
・まるで座敷牢に閉じ込めるが如くの配置
要するに、出雲は「黒歴史」だから、誰も触れなかっただけだと思う。
502 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:46:42 ID:LT36iMrN0
マキムク=邪馬台国かどうかはぶっちゃけどうでも良い。
確実なのは、マキムクが3世紀の日本最大の集落遺跡で、
一番古い前方後円墳があり、日本の東西の結節点になっている
大物流センター兼宗教センターだったということだ、
しかも周辺部を1%くらいしか掘っていないにも関わらず、
年代を確定できる異物や大規模な運河などが出ているということで、
吉野ヶ里なんぞとは規模と影響力が段違いの遺跡だということだ、
マキムクが邪馬台国で無くたって、その存在意義は全く失われないばかりか
今回の発掘でますます大きくなるだろう。
個人的にはまずマキムクには埋滅古墳がかなりあるだろうから
現存するマキムク型古墳とそれらを包括的徹底的に発掘して年代を決定して
欲しい。そして全ての謎の要になっているのは「箸墓」だということを
もっと世間に示して、マキムクでの調査が箸墓発掘に収斂していくように
世論を誘導していく事だ。それだけで考古学者は今後100年食っていける
だろう。
503 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:47:39 ID:AQG+irkcO
桃原墓だよね
石舞台の年代鑑定をした方がいいような気がするんだよね
奈良在住だが邪馬台国なんてどうでもいいよ 大和朝廷があるし
505 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:51:40 ID:IgtChAmN0
506 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:56:35 ID:LT36iMrN0
実写版「邪馬台国」
卑弥呼 夏木マリ
トヨ 加藤ローサ
男弟 窪塚
魏の使者 モッ君
クナ国王 山崎務
一大卒 宇崎リュウドウ
テーマ曲「三輪山で今宵あなたと」クレイジーケンバンド
>>252 >煬帝は怒ったけど日本を討伐しなかった。日本が独立国であることが事実だったから。
あの時代の中国の、それも煬帝クラスの暴君が
「はーい、元気してる?」なんて書を送られて、そんなのを認めるわけがないと思うが。
間に朝鮮半島みたいなすげぇ邪魔な国とか、そもそもその時代の隋は
かなり国力が減衰していたはずだから手出ししたくても手出しできない事情があったんじゃないのか
508 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 00:58:40 ID:JentucKz0
509 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:03:13 ID:UTXJc00u0
奈良は韓国語のウリナラから来てんだよね・・・
ソースはインターネットで見た
>>280 そいやあ、昭和天皇が中国に来訪したとき、中国の共産党指導者が
「日本の天皇陛下に記念品を」とかいって、金印を贈ろうとしたんだってな。
外務省はその意味も分からずありがたく受け取ろうとしていたが、
宮内庁の人間が速攻で断ったという話を聞いたことがある。
ありえなくもない話だがマジかな。
桜井市といえば、とりあえずお疲れ
512 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:05:20 ID:AQG+irkcO
石舞台
七世紀ごろと推定されているんだね
七世紀としたら、確かに、曾我馬子の墓と考えると自然だね
だけど、高松塚古墳が曾我馬子の可能性はないのかな?
夜、石舞台の上で、狐が美女に化けて踊るという意味は、なんだったんだろう?
炭素による石の鑑定とかしているのかな?
513 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:08:10 ID:IgtChAmN0
魏志倭人伝には、魏の領土で朝鮮半島北部に当時あった郡
(帯方郡は限らず、当時楽浪郡の支部になっていた玄兎郡故府の可能性も
ある)から邪馬台国に至る道程が記されている。
倭国に至るには、帯方郡が出発点だとすれば、船で韓国を経て
7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に至る。そこから海を1,000余里渡り、
対馬国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国(一支国)
に至る。また海を1,000余里渡ると末盧国に至る。東南へ500里陸行すると
伊都国に到着する。東南へ100里進むと奴国に至る。東へ100里行くと
不弥国に至る。南へ水行20日で投馬国に至る。
南に水行10日陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。
帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。
↑
この解釈が混乱の、そもそもの原点なんだよ。。
つーかおまいら邪馬台国なんて中国の文献にちょっと出てくるだけだろw
嘘大げさ紛らわしい中国の文献をおまいらしこしこ信じてるんだなw
515 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:17:12 ID:eVt0loaYO
オリが空出張誤魔化すため、出鱈目報告しました。
ゴメンチャイm(__)m
by 張政
516 :
ココ電球(∩T∀T)ノ[芋] ◆tIS/.aX84. :2008/01/12(土) 01:20:10 ID:cNczwiHR0
予断を持って発掘する馬鹿があるか。
歴史学者失格。山師。
517 :
ココ電球(∩T∀T)ノ[芋] ◆tIS/.aX84. :2008/01/12(土) 01:22:28 ID:cNczwiHR0
518 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:22:35 ID:AQG+irkcO
桃原墓
桃源墓
とすると、桃源郷をイメージする方が自然だと思う
桃源郷→不老不死
桃源郷→人一人がやっと通れる入口
むしろ、高松塚古墳の方が、桃原墓と呼ぶにふさわしい気がする
519 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:24:17 ID:vx5XYPKa0
>>507 宋書倭国伝でも倭の五王が叙正を求めてますし、唐が全盛期の頃にも大伴古麻呂が唐の皇帝の目の前で暴れてます。
歴代中国の国家が倭国に対し一目置いている様子が窺えます。
やはり日本人は周王室の流れをくむ呉の民の子孫だという事が影響しているのでしょうか?
520 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:25:17 ID:tmvxitM/0
>>509 お疲れw
万葉集は韓国語で読むとエロ詩集だそうだw韓国人にだけだが。
521 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:25:40 ID:oRN/NgWs0
>>514 それ以上に信頼性の高い文献は無いだろが。
あとはどうとでもとれる考古学資料だけだぞ。
522 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:26:12 ID:CuB8938r0
>>515 んなことばれたら曹操とか司馬慰に一発でぶち殺されるわけだがw
523 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:26:32 ID:AQG+irkcO
島を考えた?
淡路島経由だと、どうなるのかな?
524 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:28:16 ID:Es/7ndy5O
誰がなんと言おうがやまたいは山門郡だ。
525 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:34:38 ID:AQG+irkcO
淡路島から大阪(または兵庫)→川を使う→陸
なら、計算あうんじゃないかな
宮崎の古墳群等は、飛鳥京→近江京の時代の朝鮮半島出征の産物かもしれない
526 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:43:00 ID:AQG+irkcO
淡路島とか四国に、その頃の遺跡とか、あるのかな?
あるいは、
淡路島→四国→和歌山→奈良
527 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:47:50 ID:6B/hQPpU0
邪馬台国はどこですか?
528 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 01:50:40 ID:AQG+irkcO
兵庫県に3世紀〜4世紀の古墳、あるよね
たぶん淡路島経由
淡路島⇔兵庫か大阪⇔川⇔陸なら、ちょうど奈良の桜井ぐらい
兵庫・大阪・奈良に古い古墳や茶臼山古墳があるのも、納得できる
529 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 05:00:16 ID:UdeNX+im0
壱岐国(いきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つである。西海道に含まれ、
その領域は現在の長崎県の壱岐島である。壱州と呼ばれることもある。延喜式での格は下国、遠国。
沿革
史料上の初見は、魏志倭人伝に一大国あるいは一支国としてある。
古くは壱岐のほか、伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉など様々に表記され、「いき」または「ゆき」と読んだ。
令制国しての壱岐国が7世紀に設けられると、しだいに壱岐と書いて「いき」と読むことが定着した。
壱岐国は、「島」という行政単位として壱岐島とも呼ばれ、その国司は島司とも呼ばれた。
壱岐国 - Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B1%E5%B2%90%E5%9B%BD
530 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 05:01:51 ID:UdeNX+im0
壱岐国
国府・一宮など
国府は石田郡にあった。壱岐市芦辺町湯岳興触の興神社付近ではないかと推測される。
延喜式神名帳には大社7座7社・小社17座17社の計24座24社が記載されている。大社7社のうち6社が名神大社となっている。壱岐国内の名神大社を以下に示す。
* 壱伎郡 住吉神社(壱岐市芦辺町)
* 壱伎郡 兵主神社(壱岐市芦辺町 ほか論社1社)
* 壱伎郡 月読神社(壱岐市芦辺町 ほか論社1社)
* 壱伎郡 中津神社(壱岐市勝本町 ほか論社1社)
* 石田郡 天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町 ほか論社1社)
* 石田郡 天手長比売神社(現在は天手長男神社に合祀)
一宮は天手長男神社である。しかし、郷ノ浦町にある現在「天手長男神社」とされている神社が本当に壱岐国一宮・式内社の天手長男神社であるかどうかの明証はない。
式内社・天手長男神社を現在地に比定したのは国学者の橘三喜である。三喜は「たながお」という社名から郷ノ浦町田中触に天手長男神社があったと考え、
実際に田中触に荒れはてた祭祀場の跡を発見したのでこれが式内社・天手長男神社であるとしたものである。三喜の報告に基づき、平戸藩主の命によって社殿等が整備された。
近年の研究では、壱岐市芦辺町の興神社(こうじんじゃ)が本来の式内社・一宮の天手長男神社であったとする説が有力となっている。二宮は壱岐市勝本町の聖母宮、
総社は興神社摂社の総社神社である。
壱岐国 - Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B1%E5%B2%90%E5%9B%BD
531 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 05:18:12 ID:XSHI+onk0
とりあえず私は
天照大神=卑弥呼
天の岩戸神話 =239年の北九州での皆既日食
というわけで九州説を支持したいと思います。
個人的に記紀ってまんざら嘘を書いていると思えないので。
ヤマタノオロチ=どこかわからないけど大河の反乱
神武東征 =九州の王国(邪馬台国かどうかはともかく)が大和に進出。
とか。
532 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 05:22:29 ID:UdeNX+im0
出雲・スサノオ国の霊場
この松尾大社という神社は、実は、京都で一番古い神社なんです。 ちょっと驚き!なのですが、 実は、八坂神社よりも古い神社なんです ...
この、松尾大社の摂社である 月読神社の御祭神のほうが、松尾大社の本殿に祭られている方よりも、位が高い。 ...
yaplog.jp/izumoworld/daily/200703/06/ - 31k - キャッシュ - 関連ページ
月読神社
顕宗三年(四八七)阿閉臣事代によって、壱岐から勧請された神社。 元は歌荒樔田の地に祀られていた。 ...
月読神社境内 月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。 ...
www.genbu.net/data/yamasiro/tukiyomi_title.htm - 4k - キャッシュ - 関連ページ
漢人の末裔【伊吉氏(壱岐氏)】【交野氏】【広海氏】【吉水氏】
壱岐直族【壱岐氏】【卜部氏】【直氏】【松野氏】【伊木氏】【松室氏】【松尾氏】【安井氏】【井関氏】【中村氏】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm
533 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 05:26:30 ID:UdeNX+im0
京の歴史と文化と人物 【スサノヲの京都学】 京つう:京葛野の松尾大社 ...
壱岐県主の祖先押見宿禰、祠(まつり)に侍(つか)ふ」とあり、この託宣した月神は壱岐の月読神社の祭神(壱岐海人の海を支配する荒ぶる神。 ...
Posted by スサノヲ(スサノオ) at 18:00│Comments(0)│TrackBack(3) │京の民俗学 ...
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京の歴史と文化と人物 【スサノヲの京都学】 京つう:京葛野の松尾大社 ...
顕宗天皇三年(487年)が実年代でないにしても、葛野坐月読神社の月読神が壱岐から勧請されたものであることは確かなようだ。 壱岐には亀卜を行う卜部がいた ...
Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:00│Comments(0)│TrackBack(0) │京の民俗学 ...
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そういや俺、昔京都で遺跡発掘の掘り方のバイトやってたよ。
ハケなんてよーーーーーっぽど重要な遺跡が発掘されない限り使わないんだよな。
おれは使うことは一度もなかった。
ひたすら肉体労働(しかも機会使用は最低限)だった。
懐かしい。
>>514 実際に読みもしないで批判してもしょうがないよ。
魏志東夷伝の中でも倭人の条はかなりの分量を占める。
平城京とは太宰府のこと太宰府跡地が神武以前の都
奈良から都の跡は発掘されてない
>>536 俺が結婚前によく妻(当時の彼女)と行った「平城京趾」はなんやってん?
539 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 06:41:11 ID:CggroLEk0
>>531 卑弥呼は日の巫女のことだから、日の神に仕え、口寄せする巫女のこと。
天照そのものではないっちょ。
それに邪馬台国の卑弥呼が仕えていた日の神が天照だとはわからないんじゃ?
もしそうだとしたら、卑弥呼は天皇家の始祖に仕えていた訳だから、
邪馬台国=ヤマト政権=天皇家となるが
天皇陵を発掘できれば
魏からもらった金印が見つかって
一気にケリがつくかもしれないけどな。
541 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 07:10:36 ID:CggroLEk0
金印は埋葬品にはならんだろう
542 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 07:27:52 ID:57+tMyNp0
邪馬台国はヤマトヨ国の音読みであり北九州に所在した。
ただ、当時の日本列島には史書には残っていない邪馬台国以外の多くの国があった。
邪馬台国は大陸国家に権威を求めた一地方政権。こんなところで正解だと思う。
543 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 07:31:13 ID:57+tMyNp0
>539の人の言うとおりだ
卑弥呼という個人はいなかったのかもしれない。
ヒメ・ヒコ制を音読みしただけのような気がする。
544 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 07:34:36 ID:57+tMyNp0
あと、大和(ヤマト)という言葉自体、畿内で使われ始めたのは
ずいぶん後世ではないか?
日本(ニッポン)はもっと遅いし。
545 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 07:36:55 ID:EHwX7hsf0
関西人だがたぶん九州だと思う。
いつまでも中国様の当て字使ってないで”大和国”でいいのにって思う。
その上で大和が元は九州にあったでもなんでも主張すればいい。
547 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 08:12:49 ID:ANXzv+p80
魏志倭人伝を参考にする奴は支那のねつ造戦略に組する反日売国奴
549 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 08:17:19 ID:ANXzv+p80
そもそもムー大陸の沈まなかった部分が日本なわけだから
こんな議論は無意味。
当時、邪馬台国に匹敵する国はいくらでもあった。
ただ単に邪馬台国が中国に事大しただけ
551 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 08:24:01 ID:99RkuXUtO
関西【とくに大阪】は主張したがるからね〜
なんでも一番趣向強すぎ
出雲と邪馬台の位置関係が(ry
552 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 08:26:49 ID:PJqOjdWz0
>>550 どこで作られたか、いつ作られたものかはまた別な話だとして、
魏の年号が入ったものを含めて、同種の銅鏡が日本各地から見つかっている。
魏からもらった(とされている)鏡を持っているということが
古墳の主にとって何らかの権威の象徴だった時代があったのだろう。
553 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 08:27:01 ID:Y/WRm8l20
歴史的研究(或いは考古学的研究も?)は必要だし意義のあることだから
どんどんやってほしいけど。
確定してもいないのに、こんなことを声高に叫ぶなんてキムチみたいで品がねえなw
何でヤマタイコクなのかずっと気になってるんだがww
普通にヤマトコクでヤマト朝廷の前身だろ
考古学って派閥が強くてあまり自由に研究できない世界なんですか?
>>554 だから俺は、邪馬台国は博多近郊の山岳地帯説を推している。
魏の使者「ここはどこですか?」
地元の人「山たい」
都市として元気なくなって長いな・・
天皇一家がトンズラしてからの奈良は・・
558 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 08:52:33 ID:0ARFDtX50
地政学的に考えれば九州王朝が朝貢したんだろう。
女王国は大宰府あたりにあったんだと思う。
「邪馬台国」の位置は大和の勢力と混同したか、
倭人がウソを教えた可能性もあり。
機内説だと吉備や出雲が完全スルーされてるのが理解出来ないんだよな。
560 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 09:03:44 ID:wTWc5tLy0
それにしても、讀賣新聞は、いつも畿内説を補強する話が出ると、大喜びで
記事にするね。
ジャイアンツ嫌いの関西人に、よほど媚びを売りたいらしいな。
>>559 投馬国は?
吉備や出雲に否定する説もあるよ。
はっきり言えば文献上の研究だけでは
どのみち松ろ国までしか確定できないと思うけど。
562 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 09:10:52 ID:AQG+irkcO
石舞台は卑弥呼の墓じゃないな
天の岩戸かもしれない
>>561 訂正 否定→比定 松ろ国→末ろ国
>>562 石舞台は蘇我馬子の墓
卑弥呼の墓と言われてるのは纒向遺跡に含まれる箸墓
564 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 09:54:47 ID:Z9sfKGNO0
>>551>>559 当時の、と言うか本来の出雲は島根県じゃないよ。
それに大阪の人間はあまり畿内説を信じていない。
熱心なのは一部の大学教授だけ。
畿内には池上・曽根や纒向に代表される巨大遺跡群、古墳群、
大阪・奈良・京都の都群・・・と考古学のネタはうんざりするほどあるから
邪馬台国もその一つに過ぎない。
565 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 12:11:43 ID:lah3I1Wg0
もっと有識者の忌憚のない意見が聞きたい
566 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 12:23:32 ID:f7WJgsUsO
邪馬台国の起源は韓国ニダ
567 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 12:28:10 ID:ANXzv+p80
いれれにせよ支那に事大してた卑弥呼は反日売国奴
568 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 12:35:52 ID:EmTaHim+O
569 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 12:40:47 ID:XSHI+onk0
1000年近く後のマルコポーロの「黄金の国、ジパング」の内容は笑い話と化してるのに、
「魏志倭人伝」の方はまともと思われているのだな。
570 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 12:42:56 ID:EmTaHim+O
移動したとは誰も考えないのか
571 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 12:44:26 ID:dDG5tAHn0
>>559 そんなことはないですよ。
畿内説は邪馬台国=大和国の勢力範囲が広いといえますから、出雲や吉備もその勢力圏内に入りますよ。
おそらく何らかのクーデターで神武帝もしくはその尊属が畿内から九州に逃れた。
もしかするとトヨ以降の倭の大乱の時に邪馬台国そのものが九州に遷都したのかもしれません。
私はこの大乱がスサノオの大暴れの神話と関係していると思います。
その大乱の再に出雲などにナムジのような新興勢力がたった。
九州に落ち延びた勢力は九州の高かった鉄器技術を背景に神武帝を戴き大和奪還の東征に踏み切った。
その過程で新興勢力ナムジの国譲りの神話があるのだと思います。
572 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 14:18:53 ID:ayTfnFzX0
いずれにしろ日本の起源は関東や東北じゃない事だけはたしかだから安心しろ
574 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 14:24:30 ID:ANXzv+p80
日本はムー大陸の沈没が免れた部分で構成されているというのが通説。
日本文明はは支那やエジプト、メソポタミア文明などをはるかに凌駕
ており今日と全く変わらない科学技術を持っていた。
575 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 14:41:42 ID:U4kVQXIr0
九州ではないような気がするんだよな
当時の九州にあった国は比較的、小さな国まで
ある程度、位置までわかってるわけで
邪馬台国が九州だったらどこにあるのか
わからないなんてことありえるのかなという疑問
それに九州なら、あんなに船に乗る必要あるのかなと。
>>539 日の巫女だと、天照大神の別名「大日?貴」だって大日巫女貴の事だから、
天照=卑弥呼になっちゃわね?
>>540 金印は流石にその辺には捨てないと思うので、もしあったなら現天皇が引継ぎ受けてるはず。
奴国は国が滅んだので、その辺の田んぼの中から出てきたわけじゃないかと思うす。
>>552 鏡=太陽の代わりで、ご神体になってる事が多いから、みんなが鏡クレクレしたはず。
権威付けにもらったわけではなく、単に鏡が欲しくて集めたらみんな魏鏡だったみたいな。
皆が魏に事大していると考えるのは、ちょっと仮定としては強すぎると思う。
579 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 16:33:48 ID:JolXf64T0
3世紀に西日本一帯を支配するような大勢力があるわけないと言ってる奴は馬鹿だろ。
魏史倭人伝の記述は西暦250年頃まで。次に海外の文献で倭が登場するのは広開土王碑。
西暦391年倭の軍勢が朝鮮半島に攻め込み、半島南部の新羅・百済を服従させて半島北部から満州方面を支配していた
高句麗と交戦したって内容だ。
もし都道府県単位レベルの国しか3世紀半ばになかったのなら、たった140年で大陸まで攻め込むような大勢力が生まれるもんかね?
それ以前から段階的に国が成長していったと考えた方が無難じゃないか。
それがたった
>>569 マルコポーロのは、一介の商人のマルコポーロが、ヴェネチアかどこかで投獄されたときに、
獄中で知り合った詩人のルスティケロに語って聞かせた武勇伝をルスティケロが筆記した
ものだからな。そもそも、「たくさん」と言うときには毎度「100万も!」と言っていたのが
マルコポーロ。単なる前科モノの、ほら吹きオヤジだよ。
現代風に言えば、(自称)探検家のオッサンの話を、獄中で安部ジョージあたりが聞いて
それを出版したみたいな感じだ。どれくらい信用できるかは未知数もいいところだろw
まあ、強いて言うなら、東方見聞録という怪しくも大げさな本があったお陰で、
たくさんの馬鹿が東方を目指して探検に出かけて喜望峰ルートが見つかり、
コロンブスは西回りで探してアメリカ大陸を発見したっつー事が大事なだけで、
トンデモ本がヨーロッパにもたらした影響が大事なだけで、東方見聞録自体は
怪しい本であることは確定。
沖縄の海底遺跡が邪馬台国だよ
大和朝廷が、各地の豪族の宗教的権威付け&調停のための連邦であるとするならば、
そこにいた貴族は地方豪族の代表者で、地元には国を治める長が別にいたかもしれない。
地方豪族はそれぞれの地方で小国の君主として独自外交するくらいは当たり前とかね。
あるいは、そういう大和朝廷の代表者の顔をして、九州山門で新興宗教にて勢力を拡大
していた一介の女酋長が、勝手に大和を偽僭して勝手に魏に朝貢しちゃったのかも知れぬ。
で、女酋長討伐に仲哀天皇&神功皇后が武内宿禰を連れて出かけて行って、大乱が
起き、神功皇后が山門を平定して登与となった可能性はあるよね。
584 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 16:48:06 ID:hA1R0JnG0
>>565 有識者ほど自説とか固定観念とか派閥とかスポンサーの意向とかに
縛られてるんだが。その結果が畿内九州水掛論争だし。
どっちの派の学者も引くに引けなくなって、真実から乖離しちゃってる。
>>583 引用乙。せめて引用元位は書いておこうw
586 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 17:03:13 ID:6AOfyADZ0
>>581 日本の話とかは適当だが、元の王朝まわりの話はかなり正確という評価だぞ。
587 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 17:12:26 ID:rY0Zpv8S0
>>583 宗教の長は本拠から動かないけれど、世俗の長(王)は結構動き回る。
人生のほとんどを出張に費やして、自国に滞在しなかった王もざら。
ヤマト政権発足後、大王の選定もあった訳だし、そんな重大な場を
部下に任せるとは思いがたいな。
>>587 極端な所だが、織田信長とか凄い勢いで動き回ってるよな。
ところで卑弥呼の頃って、律令時代の租庸調みたいな
租税の仕組みはあったのん? なんかそういう旨みがないと
版図を拡大する意味ないよな。単に恭順させて朝貢もどきを
もらうためだけに戦争しても意味ないような。
590 :
踊るガニメデ星人:2008/01/12(土) 18:10:52 ID:aQ2Jte4t0
邪馬台国はたぶん九州だろ、なぜなら大和朝廷(今の皇室)は親魏和王の
金印を持ってないし、それにあの当時大きな勢力を持っていた地域は
九州と畿内の二つだけだが、邪馬台国がもし畿内にあったとしたら、
邪馬台国が戦って苦戦したという狗奴国は九州にあったという事に
なるはずだ、しかしそうなると、畿内の邪馬台国が大陸に
使者を送ろうとすれば、必ず九州の狗奴国が邪魔したはずだから、
邪馬台国は大陸に使者を送る事ができなかったはずだ、従って
邪馬台国が九州で狗奴国が畿内にあったと見るのが正しいと思う。
591 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:24:09 ID:UcNhXyRvO
3世紀の中国語における「邪馬台」の発音は、ほぼ「ヤマト」となる。
なお、「卑弥呼」はおそらく「ヒミコ」ではなく「ヒミヲ」、
当時の発音で「ピミウォ」となる。
592 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:29:28 ID:WyE2SwXn0
>>589 攻めなきゃ攻められるって感じじゃね?
耕作できる土地なんて限られてる。開墾たって当時は大事業だろう。奪った方が早い。
治水、利水はまさに血で血を洗うせめぎ合いだし。
593 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:31:47 ID:QArJNiOd0
邪馬台国は九州だろ
古事記に神武が九州方面から来たって書いてあるぞ?
>>592 たとえば、奈良とか河内とかの範囲の中にいくつかクニがあって、
争うとかの話なら、たしかに治水、利水で納得できるのよ。
あるいは、もっと豊かな土地があって、一族引き連れてそこを
攻め取って移動するとかもわかる。
だけど、戦国時代みたいにただ版図を拡大するだけのために
攻める意味がわかんない。戦国時代には貨幣経済の流通の
しくみが出来上がっていたから、広げた領地から上がる
年貢はそのまま富になるけど、古代だとそうじゃないよね。
それに、たとえば
>>571のような中国地方まで含めた「大邪馬台国」だと、
なにかしらの中央集権的な仕組みがないと、国が維持できない
気がするの。
595 :
踊るガニメデ星人:2008/01/12(土) 18:39:39 ID:aQ2Jte4t0
大和朝廷はたぶん元は邪馬台国の一部で倭国大乱の時に権力争いに敗れて
九州の地を追われて畿内に落ちのびていった一派が作った国だと思う。
邪馬台国も大和朝廷も共に同じ太陽信仰を持っている事を考えれば、
大和朝廷がもともと邪馬台国の一部だったと見るのが自然だし、東征神話
を読めば大和朝廷がもともと九州にあった事が分かるが、大陸との
貿易のしやすさを考えれば、自発的に九州の地を捨てて畿内に行くとは
思えないから、九州にあった大和朝廷は自発的に畿内に来たのではなく、
九州の地を追われて畿内に落ちのびたと見るのが自然だろう。そう考え
れば邪馬台国と狗奴国が仲が悪くて戦争状態にあった事も説明がつく、
つまり、狗奴国とは後の大和朝廷の事であり、倭国大乱の時に権力争い
に敗れて九州から追われた事を恨んでいたために、九州の邪馬台国と
仲が悪かったのではないかと考えられるのです。
596 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:45:30 ID:m7gi8Me80
なあ、そもそも何故掘ったら大昔の遺跡が出てくるのはどうしてなんだ?
法隆寺や正倉院はちゃんと残っているじゃないか。再建されたとはいえ。
>>596 お坊さんがせっせと掃除してるから埋もれておらんのじゃ。
>>591 「台」は「壱」の誤記だ、とかいう説を読ん記憶があるが、
ありゃ何だったんかな。
598 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:52:28 ID:D0+wMTse0
しつこいな
畿内説に傾いてるのによ
九州人が嫌われる理由がよくわかるスレですね
599 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:55:21 ID:QArJNiOd0
>>598 必死だなw
大和朝廷や神武は九州から来たことは確かですww
600 :
踊るガニメデ星人:2008/01/12(土) 18:58:08 ID:aQ2Jte4t0
>>599 うんうん、同感同感、何しろ大和朝廷には東征神話がありますからね。
601 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:58:35 ID:IoNfW/ZH0
九州に2世紀頃に作られた大規模古墳とか宮殿の遺構はあるのかい。
あるんだったら信じる。
なかったら電波だろ。
602 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 18:59:02 ID:m7gi8Me80
だから、何で埋もれるの?っていうのが疑問。
化石じゃあるまいし。
>>602 うちのバイクはめったに乗らないもんだから、
シートにホコリがかぶっているぞ。
一ヶ月くらいでこれだから、千年経てば絶対埋もれていると思う。
605 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:04:57 ID:WyE2SwXn0
>>594 じゃあ国力を上げることが目的じゃなくて、敵を抹殺することや蓄えを奪うことが目的だったとか。
>>595 何十年前の知識ですかい。
大阪には吉野ヶ里よりも遙かに巨大な弥生遺跡がある。
それにヤマト政権は日本各地の首長連合だっつうの。一人の王が他国を屈服させて作ったんじゃない。
そもそも「大和朝廷」なんて言葉を使っている時点であほくさい。
>>602 考えることを放棄してるゆとりか
川の氾濫で土砂に埋もれることだってあろう
607 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:08:08 ID:QArJNiOd0
「ヤマト政権」が仮に首長連合だったとしても、最後に生き残って権威づけ
された「天皇家」が九州から来たという伝承を持っていることには
間違いありませんがw?
今だってたった50年前に造られた木造建築でさえ、道路作るためにぶっ壊して整地してんだから
ウン百年前の遺跡なんて耕されて畑やら田んぼにされるんじゃね?
609 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:14:11 ID:WyE2SwXn0
>>607 >最後に生き残って
アホすぎ。「大王」の意味も知らないの?
大王は選ばれた代表者。それに初期の大王は世襲だったとは言い切れない。
610 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:14:48 ID:IoNfW/ZH0
>>606 九州に氾濫でクニを流してしまうほど
大きな川があるなんて聞いたことないが。
バカはお前だ。
>>610 筑後川があるじゃんか。
昔は筑紫次郎といって暴れ者で評判だったのだ。
612 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:16:42 ID:QArJNiOd0
>>609 アホはお前だろww
仮に代表者だとしても
その代表者の中から、結局天皇家が世襲として残ったんだろうがw
>>605 ううむ、昔も今も戦争のネタは尽きないということか…。
614 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:20:44 ID:m7gi8Me80
こないだのクリスマスに高松塚古墳に行ったんだけど
あの辺の古墳は埋まってなんかないわけよ。
なのに、何故吉野ヶ里遺跡なんかの弥生時代の遺跡は
地中に埋まってしまったのか?
しかも、大事な大事な金印とかほったらかしで。
>>614 古墳はお墓だしな。
あとで田んぼ作るときも、「やっぱお墓はマズいよな」と避ける。
一方の吉野ヶ里はムラだから、みんな引っ越しちゃったら空き家だ。
田んぼ作ってもいいのだ。
616 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:27:46 ID:WyE2SwXn0
>>612 このアホさは釣りか。確かに釣られた俺がアホでした。
>>614 意識して管理しないとどんどん埋まっていくよ。
まず草ボウボウになる。木が生えてくる。雨が降れば高所から土が流れ込む。
雨や雪の核になっている物質も降り積もる。
617 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:31:36 ID:QArJNiOd0
反論出来なかったらアホ認定ww
愚かだなw
>>612,
>>616 天皇家に姓がないってのは、最初は世襲じゃなかった
ことを反映してるのかも知れんよね。でも記紀では
思いっきり系統を強調してるから、どこぞで世襲になったんかな。
つか、氏姓(うじ・かばね)を定めたのって記紀の前だっけか?
619 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:41:16 ID:ANXzv+p80
古事記と日本書紀が正当な歴史書。
魏志倭人伝なぞをありがたがる奴は反日売国奴。
620 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 19:43:43 ID:T8ZD4xHd0
現人神だから人間くさい姓はね〜よ。って聞いたことあるけど、
それだけの事じゃないの?
他に理由ってあったのか?
>>620 山折哲夫先生の「死の民俗学」によると、世の中の王権には
「血の原理」と「霊の原理」とがあるそうな。
「血の原理」とは、たとえばチンギスハンのモンゴル帝国みたいに
カリスマ祖先の血を受け継ぐ子孫もやっぱり偉い、というやつ。
「霊の原理」の典型はチベットのダライラマみたいに、霊の器が
肉体だから血のつながりは、けっこうどうでもいいという考え方。
んで、日本の天皇はどちかというと後者らしい。
天皇の代替わり儀式である大嘗祭を分析したらそうなるとか
書いてあった。
622 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 20:04:43 ID:WyE2SwXn0
>>621 天皇は宗教と世俗を一括して統べるから、日本国そのものである、と。
つまり日本国以外に所属しない、唯一無二公平な存在として「氏」を
捨てたんだと思ってるけど、どうなんだろう。
姓は下賜するものだから無いね。
天皇の本籍地は奈良県櫻井市でいいよね
>>622 たぶん、そういうのもあるんじゃないかな。
少なくとも中世以降はそういう思想が厳としてあったから
頼朝も尊氏も信長も秀吉も家康も「易姓革命」を実行
できなかったんだと思う。
って、スレ違いっぽくなってすまん。
625 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 20:24:45 ID:Cnqnvs8e0
畿内ってだけで反射的に反発してしまうねらーもいるんだろうな
626 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 20:27:04 ID:WlKd0SZV0
まー どうでもいいけど
アメリカ人には、天皇は近畿から出たとは言わない方がいいぞw
627 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 20:53:36 ID:eAN7IDCg0
邪馬台国(女王国)は九州王朝。
畿内にも相当の文化圏があって、
そこにニギハヤヒが情報工作員として送り込まれた。
その情報を元に九州から神武が攻め込んで
邪馬台国近畿支局をつくりやがてマキムクに発展した。
三角縁は宗主国の朝貢を記念して
近畿支局が大和の職工に作らせた記念グッズ。
それが友好と親善のため有力豪族に配られた。
7世紀までは九州>大和の力関係であった。
628 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 20:56:49 ID:vTUMlC9N0
巻向が魏志の邪馬台国である事は近年の考古学ではほぼ常識化
している。
九州と言ってるのは素人か九州と言わないと飯が食えない立場の
学者だけになってる。
特に大和東遷説は完全に否定されている。
日本の考古学者の言うことなんてあまり信用できないからな・・・
ゴッドハンド藤村がアップを始めました
631 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 21:31:03 ID:2hws6AOE0
藤村って考古学者辞めたの?
632 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 21:37:36 ID:oVEP/l560
右翼は九州説を採りたいんだよ。
彼らは神武東征も事実と信じているから、
邪馬台国が畿内にあったら、それを滅ぼして日本の権力を奪った勢力が
天皇家、ということになりかねない。
天皇家の、日本列島の支配者としての正当性がゆらぐ。
彼らの九州説は政治的動機からでたもので、
学問的根拠など彼らにとっては実はどうでもいいんだよ。
なんか騒々しいと思ったら
某地で
親魏倭王の金印が見つかったらしいな
最有力地は大和郡山市じゃないのか
635 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 22:13:53 ID:iLW7WFZr0
邪馬台国がどこだろうと構わない。
俺はマキムク遺跡そのものに萌える。
あのいびつな形の最初期型古墳、運河、箸墓の陪塚、鶏型木製品、
三輪山の禁足地、唐古鍵との関係、由来の良く判らないが
ものすごく古い大ヤマト古墳群。
邪馬台国がらみの話題にしか飛びつかない、ウジ虫考古学ファンに
俺のワンダーランド「マキムク」を荒らされたくないんだよね、はっきり言うとさ。
お前らどっかいけよ。邪馬台国論争なんて、中学生の時に卒業しているんだよ。
>>635 うんうん。
俺も邪馬台国は飽きてきて、北の交流がマイブーム。
にみんな西からの文化流入ばっかり考えてるけど、
オホーツク文化人とかウイルタ(オロッコ)とかギリヤークとか渤海国とか
すげーんだぞ。
生埋めにされた生口のお骨が大量出土・・・とか。
638 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 22:25:38 ID:UdeNX+im0
639 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 22:37:04 ID:UdeNX+im0
九州で縄文人の遺跡が発掘されました。
復元してみると、額に筍みたいな刺青が入っていたらしいです。
筍みたいなマークに右に2本ほど斜め上にヒゲみたいなのが出ていて、その下に三本線、三みたいなマークがついています。
これは魏という字だと推測されています。
頬には?マークみたいな刺青があります。
これは魔よけの山葡萄の印だと推測されています。
イヤリングもしていて、朱で髪もそめていました。
縄文人は体に耳輪(ピアス)や刺青で飾っており、朱で髪もそめていました。
しかし、中国から風俗文化が入ってきたので、刺青・ピアス・染髪の風俗文化がなくなったようです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3318244.html
640 :
635:2008/01/12(土) 22:40:16 ID:iLW7WFZr0
>636
なかなかいいセンスしてるね。
京都に平安時代から続いていると思われる被差別部落があって
そこの団地を建て替えるときにオホーツク文化の骨角器が出てきた
という話は知っているかね?
641 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 22:43:49 ID:n7L6gWr/0
山野野衾さんがいないとスレ締まらんな
>>640 いや知らんかった。ありがとう。
逆に北海道で唐銭が出たりしてるし、昔の日本列島は
今の俺らが想像するよりもはるかに賑やかに行き来してたんだなと。
643 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 22:46:32 ID:47wYL8+a0
>>635 都合が悪くなって話題を変えたかな、ウヨ君。
644 :
635:2008/01/12(土) 22:47:20 ID:iLW7WFZr0
本当にこの分野のファン層は広いが浅い。
金にならんから人材が集まらん。
俺は近鉄八木駅前のビジホに2週間泊り込んで
箸墓の陪塚を自力で掘ってみたり、九州の某古墳の石室を
ランドクルーザーのウインチで引っ張ってこじ開けたりしたことがある。
他にもインディーズ考古学者ちらほらいると思うのだが、
俺レベルの奴はまあ関東に2人関西に3〜4人全国では10人くらいしか
いないな。
645 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 22:53:38 ID:eAN7IDCg0
うちの近所に俺が見つけた未発掘の貝塚がある。
リタイヤしたらそこを掘ってみるのが俺の夢。
646 :
635:2008/01/12(土) 22:53:38 ID:iLW7WFZr0
邪馬台国邪馬台国うるさいんだよ、ホント。
どこだっていいよ!んなもん。
勝手に謎が、ロマンが、卑弥呼が、魏が、と不思議がってろウジ虫ども。
歴史はセンスなの。「歴覚」を使うアートなの。
バカどもが、むこういって小便の飛ばしあいでもしてろ。
647 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 22:54:06 ID:DZMpcXe6O
武蔵大和も候補に入れろ。
>>644 そりゃあんた、盗掘やんw
盗掘は知識が共有されないからダメだ。
649 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 23:04:08 ID:ZqSl70kz0
すごい疑問なことがあるんですが、
今と違って原始的な弥生人は中国語も話せないし文字も知らないし地図さえなかったのに
どうやって魏の都まで無事辿りついて皇帝と謁見できたのでしょうか?
ていうか、そもそも魏に朝貢しに行くって発想がどこから出てきたのでしょう?
650 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 23:07:19 ID:DZMpcXe6O
651 :
名無しさん@八周年:2008/01/12(土) 23:08:28 ID:vX1XyDDH0
>>649 通訳がいたからだよ。
それだけ支那が人間的にも、文化的にも倭に浸透していた
(多分中国商人が先兵でしょうね)。
当然この人達を通じて支那が圧倒的大国であることの認識もある。
>>649 そこはそれ、文献史料が残ってないと「原始人」とか思うけど、
実はサクサク船に乗ってあちこち行って物々交換とかやってた
らしいぞ。
とか書いてたら
>>650,
>>651とかがレスしてた。
古代の霊能者たちによる霊視(テレパシー)上の世界が邪馬台だったのだ。
邪馬台には国境など無く、邪馬台を霊能力で見ることができる者はだれでもこの仮想世界の住民であった。
国境など無い世界では争うことも無く、東西の霊能者が友好的交際を行っていた。
戦乱に疲弊した国々はある時、彼らの世界を利用し停戦管理を彼らに委託した。
卑弥呼がよく期待に応え、邪馬台の世界がリアル世界の平和を保障する時代となったが、
所詮はリアル国家の代用品。卑弥呼の死後、国々は再び分裂した。
それでも邪馬台の影響を残した国はある程度あった。
彼らにとって邪馬台は理想の平和郷であった。卑弥呼の死後だいぶ経ってから、
やはり邪馬台は良かった! と懐古的な邪馬台ブームが起こった。
邪馬台国かと思わせるような遺構や出土品があちこちで見つかるのはそのためである。
邪馬台国自体は仮想世界なのだから見つかる道理が無い。
>>652 文字をもってないが、歴史的にも長く、高度な文明ってのもあるからな。
マヤとかアステカとかあのへん。
「縄文物語」の人って今何してるんだろう…
656 :
名無しさん@八周年:2008/01/13(日) 00:38:32 ID:0W2RQ3QH0
>>651 >多分中国商人が先兵でしょうね
>>652 >実はサクサク船に乗ってあちこち行って物々交換とかやってたらしいぞ。
商人が行き来していたということは、日本側にも商人がいたということですか?
ていうか、中国ではすでに貨幣経済ですし、高度な度量衡もあったでしょうけど、
当時の日本にはそんな物ない(発掘品から貨幣や分銅が出てこない)のに
一体どういう経済活動をしていたのでしょう?(奴隷狩りとか?)
あと、通訳など居たら当然文字の読み書きができる人も居たってことですか?
でも木簡とか当時の文字資料が全く出てこないので文字文化は無かったのでしょうか?
いまだって現地買付あるじゃん
頭固くね?