【歴史】 邪馬台国論争 福岡県が参戦 3年がかりで「九州説」を検証へ 畿内説と対決?
1 :
かしわ餅φ ★:
・軍配が上がるのは九州説か、畿内説か‐歴史ファンの関心が高い「邪馬台国論争」に、この秋から
県が本格的に“参戦”している。シンポジウムやワークショップ(体験型講座)をたて続けに開催。
12日には歴史講座「邪馬台国を訪ねて」(3回シリーズ)も始まった。3年間をかける取り組みで、
初年度を締めくくる来年3月のシンポジウムのテーマはずばり「邪馬台国を考える 九州説と畿内説」。
■歴史講座すでに開始
一連の事業は、県教委文化財保護課に事務局を置く産学官の組織「福岡歴史ロマン発信事業
実行委員会」(委員長・西谷正九州大学名誉教授)の主催。「邪馬台国を論じてほしい」との
麻生渡知事の意をくみ、多彩なプログラムを企画する。
2005年10月に地元の念願だった九州国立博物館(太宰府市)が開館し、順調に歩んでいるこの
機会に、関心の高い邪馬台国を取り上げ、文化熱を高めたいというのが知事の考えのようだ。
県教委の磯村幸男文化財保護課長も「福岡は『魏志倭人伝』に登場する伊都国、奴国といった
邪馬台国時代の主要なクニがあったと考えられる。この歴史遺産を生かさない手はない」と語る。
12日に福岡市・天神のアクロス福岡で開かれた「邪馬台国を訪ねて」の第1回講座は、
午後6時半開始という時間設定にもかかわらず、150席がほぼ満席。勤め帰りの会社員らが、
元九州歴史資料館副館長の橋口達也さんの講演「弥生時代の戦い」に聞き入った。
橋口さんは、弥生時代の人骨や武器などの発掘資料をもとに、戦闘の様子やクニが形成されていく
状況を解説。最後に「会場の多くは『邪馬台国九州説』かもしれませんが、私は残念ながら畿内説で
すね」とユーモアを交えて締めくくった。
この日、手作りの卑弥呼風の衣装で登場し、司会を務めた県教委文化財保護課の齋部麻矢技術
主査は「邪馬台国は古代史最大のロマン。『九州邪馬台国』をどんどん発信したい」と話していた。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/20071214/20071214_015.shtml
2 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:10:40 ID:dFgzZt+5O
さ
3 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:11:07 ID:r070jUhP0
暇ですね
福岡って奈良に行く途中にハンコを落としただけなんじゃん?
5 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:11:45 ID:jXcj76Vx0
東大と京大の醜い争いだっけ?
参戦って勝負する物でもないだろ。
学術の世界にイデオロギー(ってほどのものでもないが)を持ち込んでどうする。
仮に福岡県のバックアップを受けた研究者が禁忌説を指示したりしたら援助打ち切りか?
とか思ってたら
>「私は残念ながら畿内説ですね」
今後この人どうなるんだろ
観光誘致に必死ですな
でもあの国が口を出してくるだろうなぁ
8 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:12:42 ID:leHnNw/ZO
狛江
9 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:13:16 ID:Ww9eAJ860
10 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:14:17 ID:Oo0HfSfM0
九州説の学者の中には天皇制廃止論者もいるんじゃなかったか?
11 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:14:51 ID:PZQNDfw+0
どうも思考回路が隣のお国とよく似てるような。
12 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:14:53 ID:Im/JHwZ50
朝貢運動のひとつと理解すべき。
だいたい、捏造国家が本当のことを史書に書くかよ。
論語も、ユダヤのトーラの焼き直し。
史記だって、オリエント史とかからの捏造疑惑があるんだから。
どこにあったかすら分からないのにあったことは分かる
歴史がいかにいい加減なものかわかる
所詮大昔のことなんてワカラナインだよ
15 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:15:48 ID:leHnNw/ZO
邪馬台国=群馬
箸墓古墳が卑弥呼の墓。
九州にあった邪馬台国が畿内に遷都(東征)して後のヤマト王権になったんじゃね?
おー、懐かしい
一度レポート書いたよ
まぁ、普通に無理なく考えたら畿内だろ。
邪馬台国は後のヤマト王権につながっているのではないかみたいな結論を書いたような…
19 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:18:24 ID:leHnNw/ZO
大古の日本は大陸にへつらってて酷すぎる。
20 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:20:38 ID:6saCjc58O
>>16 宮内庁が調査させてくれないな
そういう古墳へは水抜き時にこっそり行くことはあるみたいだけど
21 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:22:02 ID:leHnNw/ZO
明らかに邪馬台国は今の群馬県。間違い無い。
遺跡は赤城山付近にある。
徳川家康の埋蔵金も赤城山にある。
何故なら日本の起源は群馬県だからだ。
23 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:24:36 ID:hoWsj68l0
歴史学者が議論するならともかく、歴史問題を一般の人が、あれこれ言い出すと必ず大混乱になる。
24 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:24:39 ID:FkBmMbx9O
福岡は遺跡が沢山出る場所なのに建設なんかで 貴重な古墳や遺跡を壊しまくった
戦後間もない頃には気にもしなくて壊しまくった
それ以前にも昔から壊しまくったのが事実歴史に残ってる見たいだからな
そんな過去が有りながら 今更九州説を唱えてもな 証明出来ないんだよね
25 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:26:12 ID:B7swftEj0
歴史学者も頭悪いなあ
こんなもん、22世紀になってタイムマシンが使えるようになったら
すぐわかるんだから、ほっとけばいいんだよ
>>24 千葉なんてもっと酷い
尽く古墳を潰した
木更津の古墳群なんて最早小さいのが残ってるだけ
明らかに邪馬台国は今の朝鮮半島。間違い無い。
28 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:26:41 ID:tWthyiWaO
オレは飛鳥昭雄の説を信じてるよ。
29 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:27:04 ID:IY+uzEhB0
どちらにしろ今の日本国のルーツでは無い気がするんだなぁ
>>5 昔はそうだったが、今は学会主流vs地方四流短大の教授with民間史家の争いになってる
32 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:28:57 ID:FWsmg3QiO
イタコに卑弥呼を呼び出してもらえばすぐ解決するだろ・・・。
33 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:29:02 ID:Ww9eAJ860
昔聞いたんですけど、邪馬台国を発見したら
ノーベル賞もらえるって本当?
34 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:29:57 ID:gw81FiLe0
35 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:30:12 ID:wse47YKqO
>>19 そりゃ仕方ないってもんだろ。
あの当時の中国は、ラオウやサウザーみたいなもんだ。
日本はまだうまいこと海を隔ててたから良いが、
朝鮮半島とかはかなり気の毒だったぞ。
36 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:31:29 ID:hoWsj68l0
中国の書物にあったものを見つけようとするから絶対に見つからない。
東方見聞録にでてきた黄金の国ジパングなんて絶対発見できないのと同じ。
プレステ・ジョアンの国なんて、いろんな物にでてくるよ。
37 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:32:27 ID:Ma3cWxrXO
>>24 奈良の方もあちこち掘り返すたびに出てくる遺蹟や発掘物を
いかにして学者とかの目から隠ぺいしてしまうかに苦心してるかを県庁土木課の親戚が語ってた
38 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:32:41 ID:Ww9eAJ860
39 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:33:42 ID:FWsmg3QiO
>>34 250年以上離れてるぞ。アウグストゥスは紀元前の人だし
>>35 でも、半島での軍事的優先権認めろとか
言いたいこと言ってたんだよね
昔読んだ本に書いてあったが、魏志倭人伝に出てくる固有名詞を古代の中国語で発音すると、
大部分が九州の地名や九州方言の単語になるんだそうな。確か考古学者でなくて、素人の
汽船の船長さんが書いた本だったが、中国語の発音を重視している点で考古学者のものより
信憑性が高いと思った。
卑弥呼:ヒミコじゃなくて、「ペイミー」、つまり単に「姫」だと。
難升米:ナンショウマイでなくて、「アンシャマー」だと。九州の方言では今でも長老に
呼びかける時に使われてる言葉なんだとさ (よく知らんけど)。
で、肝心の邪馬台国は長崎の千綿ではないかという話だった。
42 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:34:34 ID:AEFrq/9e0
台与が「とよ」なら
邪馬台は「やまと」の当て字だろ?常識的に考えて・・・
何だよwやまたいってwwwwwww
天孫降臨(高千穂河原付近に皇居、皇子原付近に都)
↓
韓国岳噴火により焼失、都島(都城)付近へ遷都
↓
新燃岳大噴火による噴煙柱崩壊型火砕流で市街地の大半を焼失、噴煙は太陽を覆い九州地方は闇に包まれる
↓
日向灘沿いに陸路を北上するが延岡市付近で行く手を阻まれ高千穂町方面へ
↓
日之影町に臨時皇居(天の岩戸)、高千穂町付近に臨時の都を設営
44 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:36:58 ID:hoWsj68l0
それにしてもこれが韓国だったら激怒してるんだろうね。
野蛮な馬の国の卑猥な巫女とは、何事だ!と。
名前も、新しい呼び名を独自に作ってると思う。
45 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2007/12/14(金) 10:37:50 ID:ppij4o+W0
(o^-’)b 邪馬台国は九州に誕生し、後に大和へ移動します。これが「邪馬台国東遷説」
卑弥呼は天照大御神で、東遷を指揮したのが神武天皇。
46 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:39:04 ID:FWsmg3QiO
>>41 昔の発音で読んでもらわんと意味無しでは
日本ですら、音韻は平安時代や戦国の頃からだいぶ変わってるし
ましてや民族の出入りの激しい中国
専門にやらないと、音韻の変化なんてわかんないだろ
47 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:39:21 ID:m4N+DIgj0
まあ九州の考古学者で邪馬台国九州説の人って皆無に近いのだけどね。
48 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:40:04 ID:C9N4tna60
どっちにしても朝鮮の傀儡な
49 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:40:57 ID:IY+uzEhB0
50 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:41:26 ID:wse47YKqO
>>40 距離感と空気読む力は凄いよな。
「これ以上言ったら潰しに来る」ラインを探すチキンレースだもん。
それ考えたら聖徳太子はガチで偉いよ。
中国や韓国が日本の教科書から「実在」を
抹消したがるのも必然だな。
51 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:42:05 ID:oQaBDYfrO
邪馬台国は福岡県久留米市にあったに決まってんだろ
52 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:43:02 ID:Z1TgmYz00
学者の争いは奈良県の勝利で決着済
九州になったら間違いなく次は朝鮮起源説が浮上するなw
>>41 そういう発音比較はトンデモ理論が唾つけまくってるぞ。万葉集が朝鮮語で読めるとかもうアホかと
56 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:45:32 ID:Haftx3VJO
岩手の八幡平って説もあったけど
日本全国どこでもアリになっているような
57 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:46:31 ID:8kjdXEU90
那国を特定した金印のように、よほど決定的な証拠でも発見されない限りは
永遠にこの論争は続くよ
何しろ、論争の源となる魏志倭人伝の記載が短すぎるし
畿内説にも北九州説にも、それぞれ魏志に記された記述の裏づけとなる発見が為されている
畿内には魏志にあるような銅鏡や大規模古墳などが発見され
北九州でも、吉野ヶ里のような堀をめぐらせた大規模集落が発見されるなど、相互に魏志の記述を裏付けるものがあるのだからな
58 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:47:40 ID:FkBmMbx9O
アンシャン ならあるぞ
59 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:47:54 ID:S+iVTmFY0
まぁ、卑弥呼とは別に神武東征があるんだから九州から天皇家の先祖がやってきたと思うのが普通だろ
60 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:48:22 ID:gw81FiLe0
>>41 俺の考えでは魏志倭人伝はヘブライ語で読むことができて(ry
61 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:48:37 ID:FWsmg3QiO
>>41 ごめんなさい。古代の発音て書いてましたね。最も、素人さんの考察がどこまで正しいか、つうのはあるけど・・・
戦国時代と今の音韻の変化が比べやすいのは、宣教師がローマ字で
日本語の発音を書いてくれていたからだけど
古代中国だと、サンプルの抽出だけでも大変そう
このままだと、日本海の向こうの半島も参戦しそうだ
63 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:49:44 ID:tNzuYoT90
九州説を唱えるやつはバカだって上岡龍太郎がいってた
64 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:50:00 ID:DC6OR5PF0
>>4 志賀島で甚兵衛が拾ったのは「奴国王」の印
卑弥呼さんが貰ったのは「親魏倭王」の印
箸墓古墳ほじくり返して親魏倭王のハンコがでてきたら
九州説アボーンなんだが、それでも九州から大和へ持っていった
というやつは出てくるだろうな
畿内説で満足しちゃうのも、夢がないよね
66 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:50:42 ID:FkBmMbx9O
筑前町辺りの地域が一番 候補地域なんだよ
>>56 「説」だけなら、インドネシアのほうとか色々あるぞ
68 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:51:23 ID:oQaBDYfrO
69 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:52:19 ID:FWsmg3QiO
もしかしたらUSA神宮の床下に金印が転がってる鴨よ
機内説は、文献の記述と合わないんだよね。
71 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:53:46 ID:6F3fclfKO
>>57 ん〜、金印自体がかなり曰く付きなんだがなぁ
くわしくはぐぐって調べれ
そのうち韓国も参戦してきたりして…
火魅子伝好きだから九州説で
九州説だと日向が有力だからむしろ朝鮮は関係ない。
・天の逆鉾、西都原古墳群、天の岩戸、御池
・そして日本書紀の記述と霧島山大噴火の時期が一致してる点
・高千穂町に残る史跡と文化、そして独特の名字
75 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:55:26 ID:IY+uzEhB0
金印捏造説は無いの?
76 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:56:17 ID:FkBmMbx9O
宇佐八幡は 古墳だろ
77 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:56:48 ID:FWsmg3QiO
しかし、奴国の金印とほぼ同じ工房で作られたと見られる印が
確か中国の同時代の墓から見つかってなかったっけ
そこまで贋作できる力は無いだろう
福岡も奈良もお互い譲らないなら
あいだを取って邪馬台国は名古屋だったで良いじゃん。
79 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:57:32 ID:Ww9eAJ860
, -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! | 呼んだ?
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, !
\`丶!、l  ̄ l /,ィ ´ /
\ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/
l lヽ‐_7´ ll ゝ
! j! ll ll ノ
ヽ、 !l__,.,. -'´
83 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:59:04 ID:y/wvzkdv0
邪馬台国は九州だよ、畿内じゃない。
84 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 10:59:19 ID:kzkOGRvmO
邪馬台国は岩手の八幡平だってきいたけど
九州説を支持してたけど
そうなるとあの国がしゃしゃり出てきそうなので
今は畿内説でおながいしたい気持ち。
かんのなのわの国王
>『九州邪馬台国』をどんどん発信したい」と話していた。
まるで朝鮮人的発想だな。考古学は学者は検証すればよいのであって
政治力に物を言わせて勝ち取るもんじゃない。
88 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:02:53 ID:DC6OR5PF0
>>86 その読み方自体だ違うという節子、それは飴ちゃうで
他の宮内庁管轄古墳はいらんから箸墓だけでも発掘許可だしてくれ
姫さんの墓なんやから別にええやろ・・・
>>80-81 奈良 伊賀上野 亀山 四日市 名古屋 東京 アラスカ 南アフリカ 福岡
ほら間だろ
93 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:06:09 ID:o0lSem9S0
ただの町起こしだよ
観光収入に繋げたいだけ
94 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:06:19 ID:/iuBWgKe0
南方海洋民族だった日本人の祖先は九州から日本へ入ってきたんだろ?
んで、弥生時代に大陸系弥生人に駆逐されて大和朝廷が出来た。
ってのが遺伝子工学的な見地じゃなかったっけ?
確かジュル耳とカサ耳がどうのって言ってた
95 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:06:20 ID:Pn7dLr/iO
江原大先生の出番じゃないか
96 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:07:20 ID:ag9ruZtX0
良く分からんけど邪馬台国は二つあったってのはどうかな?
邪馬台国ハワイ説は否定されたのか
支那の全く当てにならない文献ってのにに書いてある
戯れ言を本気で信じて争ってるんだろ、コイツら?
しかも、【邪】とか【卑】とか、見下した字まで当てられてるってのに…。
そこまで支那を信仰できる神経が理解できない。生きてて恥ずかしくないのかね?
もともと国の名前は「ヤマト」なんだろ?
それを九州人が「ヤマトたい」って言ったからw
「きない」で働くのはスチュワーデスかストリッパーくらいだから九州説に一票
100 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:13:37 ID:Ww9eAJ860
101 :
名無し:2007/12/14(金) 11:15:05 ID:xV/xkfyBO
朝鮮
→朝(貢ぎ物)鮮(少なし)
102 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:16:50 ID:/iuBWgKe0
>>98 まぁあの時代の中国からすれば日本は辺境蛮族の一種だからね…。
実際に昔の中国の文明はすごかったと思うよ。
103 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:21:28 ID:DC6OR5PF0
邪馬台国=トルメキア説というのはいかがなものか
>>103 クシャナは王位に就かなかったので、
可能性なゼロだな。
>>98 落ち着け。「中華」が周辺の「蛮国」の様子を(正確さに欠けるとしても)
書き記していた事実は変わりあるまい。
「東夷」と見下されてたのも歴史的事実なんだから、冷静に受けとめりゃ
いいだけ。「信仰」なんぞしとらんと思うぞ。
もちろん新史料が発見されれば「は?まだあんな史料を根拠にしてんの?w」
となる可能性が大きいわけだが。
(日本側の文献は「神話」「伝説」の域を出ないし)
邪馬台国=アトランティス
107 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:25:41 ID:lapEAVhNO
>>63 上岡は古田武彦の説を信じてるんだよな
古田説を信じてる方がよほどアホだよ
何で「邪馬台国」なんて嫌がらせみたいな字を使ってんの?
普通に「大和国」って書けば良いじゃん。
109 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:28:13 ID:DC6OR5PF0
>>106 「アトランティス」は大西洋だボケ
せめて「ムー」くらい書けや、このクソバカが
で卑弥呼の本名は桃子だ
111 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:30:40 ID:HQcCBPtn0
まあ、宮内庁が監理している天皇陵なるものを全部発掘すれば日本の古代史のなぞのいくつかは解けるんだろうけどね。
万世一系とかの崩壊は決定的になるだろうが…
112 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:32:08 ID:QcZUdQA30
日本に上陸して二週間ほど内海を行くって瀬戸内海しか考えられなくね
113 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:32:53 ID:wSNIhGtaO
邪馬台国は「大和国」(日本の事)
卑弥呼は「日御子」(天照大神の子孫=天皇)
の事である。
シナが適当な漢字を宛てただけで、我々日本人がこのような漢字を使う必要はない。
シナの糞漢字に騙されるな。
大和民族としての誇りを忘れるな。
114 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:33:40 ID:yKXxbZ9h0
沖縄と思うんだが・・・
115 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:36:22 ID:DC6OR5PF0
>>111 一休宗純陵を発掘したら一休さんが女性だということが判明するだろう
じゃなかったら、あんなに可愛いはずがない
116 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:37:50 ID:Zb05cny8O
>>96 九州→近畿移動説はあるぞ
俺は九州説支持。
吉野ヶ里と三内丸山は一度行ってみたい
年末に登呂行こうかとともったら、改装中でがっくり
東京近辺で、ここに行っとけって遺跡ある?
118 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:46:19 ID:lapEAVhNO
>>111 天皇陵のほとんどは江戸時代までに盗掘されていて、何も残ってないだろ
>をどんどん発信したい
チョンコかお前ら・・・・・・・
発信とかそういう問題じゃないだろ。
ちゃんとした考証をしろよ。
そんな「九州先にありき」な証拠に何の信憑性
があるんだよ・・・・・・・・・・
120 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:47:53 ID:IugZEPyw0
この論争に加わるとアカデミズムから干されるんでしょ?
121 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:47:56 ID:HQcCBPtn0
歴史研究の妨げにならないように、天皇男系論議は区別してやってもらいたいね。
いまだに2500年万世一系で続いた男系の血統…なんて言っているやつらが男系論者の柱だから…
それと、一刻も早く古代の天皇陵の発掘を許可すべし!!
122 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:48:22 ID:Ww9eAJ860
123 :
☆暴言ダン吉 ◆07OdcvwWr6 :2007/12/14(金) 11:48:38 ID:KPJbEatwO
>>98 (´-ω-`)y-~~ ハゲ上がるほど同意だな
そもそもチャンコロが日本を正解に記述するわけなんざねえだろ
ハナからその気も無いし、そんな手間暇もかけない
だいいち必要がねんだしw
やれヨコシマだの卑しいだの無礼にも程があらぁな☆
はい、結論:【大和の国も天皇家も当時から存在したが チャンコロが言うところの邪馬台国なんて国は存在しなかった】
m9(`д´) 学者先生がたも 少しはチャンコロってのがどんな動物か理解しようぜ!
ハナから論争の価値も無いネタで時間の無駄遣いしてんじゃね〜よ☆
124 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:51:19 ID:HQcCBPtn0
>>118 盗掘されているものもされていないものもある。
また、壁画とかは盗掘されないし、仮に盗掘されていても金銀財宝以外の当時は価値の無いものとされたが、今は歴史資料として価値があるようなものは残されていると思う。
大学の古代史のセンセイが北九州説だったから、てっきりそうなんかと思ってた
てか思ってる
126 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:54:32 ID:1o80Ln7jO
吉野ケ里遺跡って確か、「皆さんのご先祖が創った遺跡ですよ〜」みたいな事言って、韓国人観光客誘致してなかったっけ?
なんか九州説聞くと、どうも背後に特アの気配を感じてしまうんだが・・
127 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:56:30 ID:DbvRBMzp0
>>21 >何故なら日本の起源は群馬県だからだ。
奈良県天理市だろ。
邪馬台国以外にもあったであろう勢力の
話は無いのか?
九州人の先祖のことだろ。国名前間違えたら失礼だろうが。
129 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 11:59:28 ID:FkBmMbx9O
明治天皇からいきなり天皇を否定されるぜ
130 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:00:02 ID:HQcCBPtn0
熊襲?
131 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:00:21 ID:RikRCIBtO
鋼鉄ジークなら、
知っているはず。
132 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:00:47 ID:DbvRBMzp0
>>126 あいつら、まともに遺跡残ってないから、可哀相なんだよ。
生暖かく見守ってやれ。
133 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:01:20 ID:AEFrq/9e0
台与をトヨって呼ぶ奴は
邪馬台国をヤマト国と呼べよ
134 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:01:25 ID:1MHILNtaO
※ドラえもんの世界では来年にタイムマシンが発明されて邪馬台国の場所が判明します
135 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2007/12/14(金) 12:03:34 ID:ppij4o+W0
<諸星大二郎は、九州説をもとに「暗黒神話」を描き、
<星野之宣は、東遷説をもとに「ヤマタイカ」を描いた。
<安彦良和も東遷説をもとに「ナムジ」「ジンム」などを描いている。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
邪馬台国が九州、近畿でもどちらでもいいよ
俺は出土した銅鐸を思いっきり叩きながら街を練り歩きたい
137 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:05:26 ID:1o80Ln7jO
>>132 朴政権時代に凄い量が見つかってるが、
ある程度調査した後で、ほとんど潰した。
残ってるものでも、一度潰して作り直すという、
考えられない事をやってる。
139 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:06:40 ID:DJnaq6Nk0
天皇陵を調査する前に 桓武天皇の墓を壊して明治天皇の陵墓を作った
その理由をしりたいんだが。
とっとと宇佐神宮を発掘調査しろ
142 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:07:40 ID:81fQTVjs0
さすがに邪馬台国はウリナラ(ryとは言わないんだな
143 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:17:30 ID:DJnaq6Nk0
邪馬台国の位置は微妙だが九州も奈良もありえる
両方とも天皇が昔から行き来している地域だし
そして福岡と奈良は同じ地名が並ぶし方角まで似ている不思議な現象がある
因みに弥生時代ごろは海はかなり内陸部まであり
福岡は板付地域の近くまで有ったはず 久留米市のところも海が有った
144 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:18:49 ID:HIM3ifqoO
まあたかだか60年前のことすら正しく伝えらんないんだから邪馬台国決着はムリでしょ
145 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:21:10 ID:AEFrq/9e0
論争するから楽しいのに解決なんてしてもらったら困る
146 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:21:16 ID:kujFHHbYO
たぶん九州にあったとは思うけど、
その邪馬台国とのちの大和政権は繋がらないと思う
長い目で見たら、唐古・鍵→大和政権の流れが妥当じゃない?
147 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:23:02 ID:MfQ1WIWQ0
なにいってんだよ
邪馬台国は吉野ヶ里で決まりだろ
148 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:23:47 ID:DJnaq6Nk0
数ヶ月前の選挙の内容ですら覚えてない国なんだから たしかに無理だろうな
ていうか解決できないから、長く引っ張れていけるから皆が群がるんだよ
だって証拠も生き証人も居ないんだから無理に決まってる
だれか生きてる人が居てくれたらな
149 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:24:18 ID:kujFHHbYO
>>145 まったくもって同意
まあ江戸時代から続いてる論争を、今解決するのも無理だろうけど
韓国の歴史認識では邪馬台国は九州にあったとなっているので九州に決まりました
邪馬台国じゃないけど卑弥呼の墓は特定されている。
が、観光業界への影響を考慮し、政治家の待ったが掛かった。
と、言ってみるテスト
うわっ!!、なにをっ、あっー
152 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:25:50 ID:2KSbuSLxO
花立山が卑弥呼の墓
153 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:26:16 ID:Ww9eAJ860
>>146 別につながらなくていいんじゃね。
ネアンデルタール人・北京原人・クロマニヨン人だってつながってなかったんだから
154 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:27:03 ID:DJnaq6Nk0
>>150 >韓国の歴史認識では邪馬台国は九州にあったとなっているので九州に決まりました
当時九州と言う言い方はしてなかったから それは嘘だ
>>21 糸井重里に騙されて毎週ギミアブレイク見てたわ。
ギミアブレイク(give me a break)って勘弁してくれっていみなんだってな。
こっちが勘弁してほしいわ。
156 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:30:19 ID:dRQI/C5KO
八幡平=やまたい
157 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:31:03 ID:kujFHHbYO
>>153 その例えは違うだろwwwww
たしかに「元 邪馬台国所在地」なんて、観光ネタとしてはおいしすぎるな
考古学ファンが群がる
大陸に朝貢って、常に大陸の脅威というか影響力を身近に感じている
北九州だからこそ出てきそうな発想だと思うんだけど。
あと当時、西日本を支配下に置いていなかった畿内の一地方勢力が、
大陸に遣いを出すのはかなり難しそう。
159 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:31:58 ID:DJnaq6Nk0
>>152 その説は有名だな
あんな平野の中にポツンと小山があるのはおかしすぎる
しかも廻りは広大な平野と山に囲まれてるし 見晴らしが良いからな
160 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:32:38 ID:DC6OR5PF0
>>156 おまい、お釈迦様がゲイだと思ってるだろ
161 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:33:28 ID:tsdjnpjU0
162 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:35:11 ID:bz1NszbKO
『山笠があるけん博多タイ』略して『山タイ』
よって博多説
163 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:36:41 ID:bzYEisKCO
福岡は他にもっとやることあんだろ
ミッチー!!
ジーグバズーカだ!!
165 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:37:56 ID:Ww9eAJ860
166 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:38:03 ID:3ffnGfe+O
義士倭人伝って小説だろ。
九州説ってほとんど電波なんじゃなかった?
168 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:45:08 ID:Fr7Vd4XsO
邪馬台国は畿内で決まってる。
問題は箸墓が卑弥呼の墓かどうか。
169 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:49:42 ID:vZn3Ca1OO
>>133 最近の中国古語の研究だと、当時の発音は「タイ」より「ト」に近いらしい。
170 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:50:07 ID:dRQI/C5KO
>>160 違うお釈迦さまはインポだ
それに織田信長は自殺だと思ってる
あとゴルゴタで死んだのはイエスに変装したユダ
171 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:52:47 ID:sHOWSTfN0
たぶん畿内だろ
討ち入りと関係ある?
三年後も結局確証掴めずに対立してるんだろうな
174 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:55:05 ID:N3PWJTSpO
韓国説が有力だろ
175 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 12:58:37 ID:vZn3Ca1OO
>>108 音を聞いた通りに充てただけ。韓国人の名前をお前もハングルで書かないだろ。
176 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:00:09 ID:ql52+1hIO
証拠もあがってるし九州が有力なんじゃないの?
177 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:05:19 ID:rYFgStrxO
信頼できる歴史学術雑誌ムーでも畿内説だったからなぁ。
178 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:06:00 ID:R2INBO/S0
>>113 >卑弥呼は「日御子」(天照大神の子孫=天皇)
!!!!
自分最近、彦=「日子」に気付いて(んで調べてみたらやはりそうだった。)、
今でも続くこの名前、なんか感慨深いものがあるなあと思っていたのだが、
「日御子」! 気が付かなんだぁ。
ひょっとしたら「日神子」かもしれんな。巫女は神子とも書くし、
「かみ」は最初は「み」だったのかもしれん。勝手な想像だがw
179 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:07:22 ID:CLOlGR720
考古学的に畿内の方が有利になってるからな。
九州説はトンデモ扱いになりそうだ。
180 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:11:05 ID:DJnaq6Nk0
邪馬台国があったのはどう考えても大分の宇佐だろ
邪馬台国は当時繁盛していて全国に350の店舗網を誇ってたので
どこでも正解です
183 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:16:01 ID:rYFgStrxO
台って一の古い漢字で書いてあるんでしょ?
184 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:21:30 ID:GJTOt8KHO
和国の王に金印送った、って記述があって、
実際に福岡の畑から金印が見つかったけど、
あれ証拠にならんの?
>>184 その記述を見て偽物を作ったとも考えられるでしょ。
186 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:24:30 ID:ZfG9EkiI0
マルタイラーメンとの関係は?
187 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:29:46 ID:oXVEX6SQ0
朝日新聞お墨付きの古代書「東日流外三郡誌」と照らし合わせても畿内説が有力でね。
188 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:32:00 ID:0J0VLKH0O
邪魔ダイ帝国なら、2・30年前から海上封鎖されてる九州の阿蘇に有るんじゃなかったか。
189 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:32:29 ID:DC6OR5PF0
竹内文書によると親魏倭王の印は
オリハルコンで出来ていたらしい
>>161 「倭人在〜二千余里」までだけ読んでみた
確かに魏志倭人伝の記事だけなら九州のように思えてくるね
考古学的な史料のほうが科学的で実証的なんだろうけど、何があったっけ
191 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:33:36 ID:HQcCBPtn0
>>185 だ〜か〜ら〜
あの金印は別なんだって!!
中国からもらったのは親魏倭王の金印。
福岡で見つかったのは有名な漢の倭の那の国王の印でしょ。
192 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:36:23 ID:L/VJi1QaO
どこでも良い に一票
193 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:38:39 ID:DC6OR5PF0
194 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:39:46 ID:m4N+DIgj0
>>179 トンデモ扱いというか、九州説は学界ではほとんど相手にされていないね。
195 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:42:17 ID:kkIENHkAO
>>184 たしか藤兵衛って百姓が江戸時代に見つけたやつか。
196 :
まめちしき ◆kpJ32M64DA :2007/12/14(金) 13:44:14 ID:mByUld5wO
邪馬台国なら俺の隣で寝てるよ
197 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:44:16 ID:sHOWSTfN0
今年一番どうでもいいわ
>>194 俺のイメージでは
九州→皇国史観
畿内→唯物史観
偏見だけど。まどっちでもいいや
200 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:51:46 ID:rYFgStrxO
沖縄辺りで発見された海底遺跡、あそこなんじゃないか?
位置も近いだろう。
201 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:54:28 ID:QjE8eQIh0
>>191 チャンコロに貰ったもんなんか捨てちまえよ。
202 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 13:54:48 ID:FfpK4QT80
>>133 >>169 最初に「邪馬台国」を「やまたいこく」と呼んだやつの罪は重いな。
初めから「やまとのくに」と訳しておけば良かったのに。
魏志倭人伝を九州説論者の主張どおりに読んでも、
南九州にしかならないんだろ?
いずれにせよ福岡県に勝ち目は無い。
>>1を良く読めば、はっきりと言っているのは
伊都国や奴国の歴史遺産を生かしたいということで、
福岡県の中の人も邪馬台国に関しては割りと冷静だな。
魏の使者、張政は伊都国までしか入れなかったということだし、
当時の伊都国は江戸時代の長崎出島みたいな外交や貿易の拠点だったんだろ。
それはそれでロマンがあるじゃないか。
204 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:05:13 ID:aiumDyyx0
未だに近畿説唱えてる奴って京都と奈良くらいだろ。
他は全部福岡説だよ。
205 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:08:28 ID:hOAn17670
邪馬台国は今の福岡圏で
いあわゆる大和の国というのは
山口県
(現在の)韓国慶尚南道
台湾までの諸島を円で囲んだ地域のことですよ
206 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:18:06 ID:cAglEEfO0
某霊能力者は
女性シャーマンが率いた集団は邪馬台国だけとは限らない
宇佐も箸墓もその1つだと言ってたな。
で、力が強いのは宇佐、日本書紀に合致する部分が多いのは箸墓だと。
207 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:26:30 ID:jgWoe3LP0
ちょっと卑弥呼のAV借りてくる。
,ハ,,,ハ
(,,・ω・) キーコキコ
〜 。(_ ゚T゚
. ゚ ゚̄
208 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:29:34 ID:HQcCBPtn0
ここには男系論者はいないのか!!
このままでは2600年以上万世一系で続いていた男系を守る根拠がなくなるぞ!!
って、誰も思ってないけどね。
209 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:36:04 ID:Ww9eAJ860
>>114 イイネー!
後の琉球王国につながったと考えればつじつまが合うね。
>>42 ヤマタイでもヤマトでもいいんだが、
”ヤマ”は内陸のことを表し、”ト”は人が集まる所を表す一般名詞。
だから各地で集落のことをヤマトとかヤマタイとか言ってた可能性がある。
ちなみに、海に面したところで人が集まる所をミナトと言う。
211 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:42:59 ID:m4N+DIgj0
>>199 九州説の起源が皇国史観的発想にあるのは間違いない。
戦後の九州説は、基本的には皇国史観的価値観は持ち込んでいないけど。
畿内説は別に唯物史観的ではない。
212 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:50:01 ID:HQcCBPtn0
この時代なんて小国の統治者なんて全国にたくさん居たと思うが
なぜ卑弥呼だけこんなに特別扱いなんだ
214 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:50:29 ID:hQlzv2Fw0
どこそこって特定すんな
あーだこーだ言ってるのが楽しいんだよ
結論ありきの検証学術とは言えない
216 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:53:24 ID:HQcCBPtn0
>>213 当時の日本をある程度まとめていたからだよ。
邪馬台国は東北だろ
218 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:55:49 ID:oXVEX6SQ0
福岡の金印発見したの藤村新兵衛とかいう奴だろ?
どうも胡散臭い。
219 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:56:14 ID:cAglEEfO0
>>213 たまたまヒミコだけが記録に残っていたからだろう。
220 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:57:33 ID:m4N+DIgj0
>>212 皇国史観そのものではなく、皇国史観的発想。本居宣長とか。
221 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:58:07 ID:Ww9eAJ860
>>216 当時本当にそんなことができたのか?
>>213 のいう小国のなかから唯一、外国と交流のあったのが
たまたま卑弥呼のいた邪馬台国だったのでは?
222 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:58:21 ID:B95lEUyd0
どう考えても九州だよな。
昔はあの辺が栄えてたんだよ。
223 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 14:59:25 ID:wse47YKqO
>>213 そりゃあんた、この時代の日本の「クニ」で唯一
中国の歴史文献に登場するクニだもんよ。
しかも、ヤマト朝廷の設立に少なくない影響を、
もしかしたら「ヤマト朝廷の先祖」かも知れん国だ。
「日本」という国の成り立ちに大いに関係があるかもしれんのだから
そりゃあ興味持たれるだろ。
224 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:02:28 ID:B95lEUyd0
昔は北九州が一番都会で、朝鮮半島とも頻繁に交流があったんだっぞ。
そこからいろいろな先端技術や文化が伝えられてきたんだよ。
だから外国も一番重要視してた。
225 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:05:57 ID:cAglEEfO0
>>223 中国と交易するくらいだから
かなり力のあった集団なことは確かだよな。
が、それとはまったく別なところに
後のヤマト朝廷と関わりのあるヒメミコ集団がいた
という説もうなづけるし、ほんと興味は尽きないね
>>224 昔は昔はってさっきから言ってるが、年代によって色んな場所が栄えてるんだよ
先ずは出雲→安芸こっから東西に人が分かれてその次の次が北九州のターンだ。
何十年か前にも栄えてたよな。
227 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:15:40 ID:3iNrpF9p0
このまえ吉野ヶ里公園に行ったら卑弥呼が寒そうにしてた
228 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:16:07 ID:z+KfnPzsO
当時のクニのサイズは郡レベル。
三国志に掲載された倭国のクニは30国ほどだが
ほとんどが九州島内に収まる。
近畿中国四国九州を支配する広大なクニがあったとするなら
中国の役人は九州北部の郡レベルのクニの名前を30も列挙しないっての。
朝鮮から近畿まで役人が旅行して、地名をレポートに書くなら、対馬と北九州と瀬戸内で三カ所くらい書けば十分。
不自然だろ。
考古学的には、当初の日本列島の中心地は九州。
のちに九州北部のグループは南部のグループに負けて近畿に移動した。
南九州の狗奴国は強かったが発展しなかった。
熊襲と呼ばれた彼らは近畿グループにリベンジされて滅びた。
229 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:23:17 ID:Ww9eAJ860
230 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:23:54 ID:CQReyoKZO
>>212 日本書紀において、応神天皇の「呉」への使節派遣記事や半島諸国からの人質派
遣記事など、外国史書などと調和する内容が多々見られる事から、「邪馬台国」
も日本書紀に書かれているかもしれない。
日本書紀で邪馬台国と同時代と推定される有力候補は崇神天皇の代とその前後。
崇神の前は欠史八代があり、日本書紀が「天皇」の歴代記として編纂された事から、日本書紀編纂時には
系図と付属する幾つかの伝承はあれど、「邪馬台国」のまとまった伝承は喪失し
ていた可能性がある。
あるいは、内部と外部の視点や情報伝達過程の差から、日本書紀の編纂者には魏
志の内容は元のソースが同じだったとしても、意味不明だったかもしれない。
231 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:29:20 ID:rrFNuxTH0
どう考えてもヤマト国は今は海の底
232 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:33:17 ID:HQcCBPtn0
>>230 当時の編纂者たちは間違いなく魏志倭人伝を読んでいた。
で、それを記紀に記さなかったのは普通に考えて都合が悪いからだろ?
基本的に権力者による日本正史編纂作業だから権力者の都合の悪い部分はカットだよ。
まあ、魏志倭人伝はそのまま無かったことには出来ないんで、少し入れました。
でも、卑弥呼なんて関係ない!!
そんなところだと思う。
233 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:38:18 ID:7wDmbnBt0
古墳は江戸中期までは荒れ放題でどれが古墳か分からない位だったらしい
234 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:40:20 ID:44/F5GDY0
まあ、もう二十年近くも前に、ほぼ大和で決まりって結論出ちゃってるからね。
九州説は今や斉唱する学者が皆無に近いから
アマチュア本くらいでしかお目にかかれない。
しかもここ10年ほどの研究で
西は九州から東は関東に至るまでの広域通商連合に近いものが形成されていて
それが魏志倭人伝の卑弥呼の時代とピンポイントに当たることまで判ってしまったので
畿内説とか九州説なんてレベルの話じゃなくなってしまったわけだ。
倭人伝や記紀から探る文献史学研究など、もう30年以上前に語りつくされているわけだし。
でも古代史は一般が盛り上がってくれないと、肝心の発掘がままならない世界なので
こういう催し物は頑張ってやって欲しいね。
>>234 > 西は九州から東は関東に至るまでの広域通商連合に近いものが形成されていて
蝦夷涙目w
236 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:43:36 ID:HQcCBPtn0
とにかく宮内庁が監理する天皇陵なる古墳発掘許可が楽しみだな。
歴史が又変わるかも…
237 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:47:02 ID:p2tzKhgu0
近畿説にしないとな 宮内庁が困るんだよ
そして陵墓の中から 朝鮮半島ゆかりの品々が沢山出てくるんだよね
238 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:50:15 ID:gvP82ECf0
>>237 ”大陸文化のストロー”こと、当時の朝鮮半島と、
現代の韓国・北朝鮮は何の関係もないから別にいい。
239 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:50:58 ID:cAglEEfO0
そういや司馬遼太郎は
さかんに朝鮮−湖西ルートを喧伝してたな
240 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 15:57:39 ID:8frvsX9QO
鯨統一郎読者がいるな
髪伸ばして耳のところでとめた邪馬台国ヘアーを一度はしてみたいよな
242 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:02:39 ID:KTRn92zD0
なぜか韓国が参戦!
243 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:03:15 ID:p2tzKhgu0
>>238 それじゃその当時に住んでいた人間は全員殺されたのか?
もうフィリピンでいいジャマイカ
245 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:32:30 ID:p2tzKhgu0
何も証拠無いからな 何処だか解らないだろうよ
246 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:36:13 ID:urKVROgBO
247 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:39:49 ID:p2tzKhgu0
>>238 なんか都合が悪くなるとそうやってはぐらかすんだろう
ほんと 駄目な奴だな
なんか韓国みたいだな福岡
真実は一つだけなんだからそれを共同で探求していくのならわかるけど
249 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:48:58 ID:gvP82ECf0
>>243 >>246 >>247 そもそも朝鮮族とは、遼東から満州にかけて生息していた部族。
半島とは関係がない。
で、
高句麗・・・もともと諸民族連合政権。政体はシナ式。
百済・・・滅亡後、王族貴族職能者は日本へ亡命。
新羅・・・滅亡後、一部王族貴族職能者は日本へ亡命。
メインの王族はシナに連行されて行方不明。
任那・・・倭の土地。
その後残った「裏切り者」と「どうでもいい庶民」に、
シナ人がやってきて蹂躙され混血しまくり、
モンゴル人がやってきて蹂躙され混血しまくり、
男が少しでも頭角を現せば支配者に潰され、
女はたまに生まれた美人が全土から集められ、
性技能を仕込まれて「キーセン」としてシナに出荷され。
残った「無能でブサイクの究極絞りカス」が、現在の両朝鮮。
つまり、「存在している土地」以外の共通項はない。
「俺のアパート、売れる前の○○が棲んでたんだぜ!」という空しい自慢に等しい。
250 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:53:07 ID:Zb05cny8O
だれも言わないけど、邪馬台国は奄美諸島だよ
251 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:54:22 ID:FkBmMbx9O
見てきた様な奴がいるんだ
252 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:55:59 ID:BM4+eCtu0
普通に考えれば九州だろうな、でも天皇の関係で近畿を主張する
御用学者がいるうちはもめる
253 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:57:25 ID:CQReyoKZO
254 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 16:59:29 ID:HQcCBPtn0
もう沖縄が良いよ!!
刺青して年中暖かいなんて、沖縄以外に無いでしょ?
解決!!
255 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:00:53 ID:eL++qhW8O
ヤマトの国が近畿で、九州の邪馬台国はヤマトの下にあるような関係という説を聞いたことがある。
それは年代が同じ鏡がどちらでも見つかっているから。鏡がなんで両方にあるのかを考えると、↑の説が有力になってくる
256 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:02:16 ID:x3MRnYoU0
地理的に九州の方がすんなり納得できるけど、
邪馬台国と大和政権に全く関係がない場合は機内説の方が・・・でも天照大神伝説等を考えると・・・
素人にはさっぱりだわ。早く結論出して欲しいもんだねw
岡山県人としては、吉備説を推したいな。
258 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:04:58 ID:HQcCBPtn0
考古学的には近畿説が有力というのはわかる。
では、沖縄説の決定的欠点はどこなの?
邪馬台国は出雲だよ。
女王の都は、出雲大社の鳥居の先の海底にある。
過去の大地震で地殻変動起こして、海底に沈んだんだよ。
…なんて内容のフイクション書いて、「ムー」に投稿しようかしら。(爆)
260 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:08:12 ID:jxlfI7gG0
与那国の海底遺跡が邪馬台国だろ。
そうだろ。面倒くさいからもうそれでいいじゃん。
今に見ていろ邪馬台国
262 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:09:28 ID:CQReyoKZO
>>232 魏志の内容については神功皇后の所で、「魏志に云う卑弥呼であろうか?」と触れている。
だから、編纂者には魏志の内容は大和の伝承と対比して意味不明だったのではないか、とね。
都合が悪くても大陸王朝への朝貢は朝貢である事(大和側にはそのつもりがなか
ったかもしれないが)は触れないまでも使節派遣記事を書いている。
一から十まで都合が悪いものは隠していると頭から思う根拠は何?
263 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:10:22 ID:CsFjScLaO
ジーグ
264 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:10:23 ID:I2gSOrrg0
証拠があるわけでもないのに
妄想だけで言い合って何か意味あるの?
楽しいってのは認めるけど
265 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:11:17 ID:HQcCBPtn0
年中温暖で、人々ははだし、果物・野菜いっぱい・体には刺青・・・・
どう読んでも近畿じゃないだろ?
このあたりは近畿説ではどう解釈してんだろう…
266 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:11:36 ID:44/F5GDY0
>>256 神話は実は当てにはならない。
その中には歴史的事実が元になったものもあって然るべきだが
記紀の成立が邪馬台国の時代より500年も後であり
しかも様々な伝承を辻褄合わせのために、改竄や入れ替えを行っているから。
日本書紀のほうを読めば、様々な異聞が書かれており
その中から辻褄の合わないものを省いたという過程がわかる。
>>257 邪馬台国の場所よりも、邪馬台国から古墳時代に至る文化の
重要なルーツとして、吉備は捉えられているよ。
>>258 遺跡がないw
267 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:11:39 ID:iWJKAtPr0
九州説が考古学的に否定されているわけでは
なさそう。畿内で絹織物発掘されてないし。
邪馬台国偽せん説ってのがあったけど、
あれの反対はどうかな。
九州にある邪馬台国から有力者の一部が離反、
畿内に移る。その後、邪馬台国の貿易利権を
奪取するのに都合の良いようにヤマトを名乗る。
これだと東遷説とも整合がとれる。
もともと国名なんて対外関係がない限り
不要であるし。
いずれにせよ、半島系の民族が起こした政権であることは
確実なので、「元祖」に執着する民族性からも
うかがえるようなキガス。
>>243 >>246.
>>247 中国東北部から朝鮮半島北部に勢力を保っていた公孫氏が反乱ののち魏に滅ぼされ、
朝鮮半島北部の帯方郡・楽浪郡は魏の直轄領となり出先機関が置かれた。
邪馬台国はそこへ使者を派遣し、そっから洛陽へ取り次いでもらった。
よって邪馬台国関連の話としては
>>237の言うことが正しい。
上のほうでアホが知ったかぶってるけど、
いまやすでに、学会の主流の説なんていうものは無い
いまだに邪馬台国論争なんてやってるのは、それ自体が
インチキ学者の証拠みたいなもの。
中国24史の日本に対する記述が、信用ならないのは
明史日本伝等、あまりにもでたらめな物が多いので昔から知られていた。
考証学が進んでいくと、中国正史の記述がでたらめなのは、
日本に対する記述に限らなかったことが判明。
要するに、郡県制におかれてた歴史のある、ベトナムや朝鮮以外
の周辺諸国に対しては、基本的に全部でたらめな記述をしていただけということが判明。
270 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:22:23 ID:44/F5GDY0
>>260 あれ遺跡じゃない、ただの自然物。
とっくの昔にインチキがばれている。
>>262 記紀編纂時に、邪馬台国だけでなく倭の五王の話も
それと無く匂わせながら「昔のことなんでワカンナイっす」と玉虫色にわざと書いている。
とりあえずなぜ突然兄弟間での王位禅譲が起きたのかを考えてみればいい。
>>265 倭人伝の風俗記事は、九州や畿内といったピンポイントなものではなく
おおまかに「倭国」のものだから。
海南島あたりの風習も含まれている可能性が高い。
また長年に渡る通商の間に蓄積された資料なども参考にしていると考えられている。
また具体的な植物や牧畜記事を残したのは、楽浪郡の人間。
>>267 考古学的には完全に否定されてるよ。
絹にしても畿内ですでに出土している。
また吉野ヶ里の絹は、特別に保存が優れた甕棺だからこそ出土した。
その証拠に甕棺墓が廃れてからの後の時代になると、絹も木綿も出なくなるだろ。
271 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:26:19 ID:44/F5GDY0
>>268 それと
>>237はまったくつながりはないのだが
君の脳内ではつながってるの?
変わったシナプスをお持ちでw
>>269 ネットウヨ釣りは楽しいですか?
272 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:27:35 ID:ZXAsmvs00
>>270 >絹にしても畿内ですでに出土している。
ほう、どこの遺跡だ?大陸産もあるのか?
273 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:31:17 ID:3H+w/Q670
余談だが、邪馬台国ジャワ島説なんてのもあるんだよな…
275 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:34:34 ID:44/F5GDY0
>>272 東大寺遺跡。
それと大陸産だったらなにか変わるの?
現在までの絹出土例26件のうち、24件までが福岡や佐賀などの北部九州なのは事実だが
その理由はすでに書いた。
276 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:35:25 ID:urKVROgBO
>>253 時々聞かれるモンゴルに支配されてから民族浄化がすすんでそれ以前の朝鮮民族とは別物になったっていうデマはどっからでてきたんだろうか。
>>271 低学歴が知ったかを指摘されて涙目だな。
魏志倭人伝には、奴婢を一緒に埋葬しただの
棺は作るが槨は存在しないだのと書かれているけれど
実際に日本にある当時の古墳を見るとまったく一致しないんだが
日本の古墳は弥生期から石槨をもつのが当たり前だし、
奴婢を一緒に埋葬する習慣が存在していなかったことも明らか
魏志倭人伝には「卑弥呼の墓には100人あまりの奴婢が
一緒に埋められてた」と書いてあるんだから
本当にそれが事実なら一発で邪馬台国がどこにあったか分かるんだよ。
そんな墓はほかに存在しねえんだからな
140m級の古墳が発見されて無いわけ無いしな
278 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:38:58 ID:44/F5GDY0
>>274 エジプト説なんてのもあったんだぜw。
>>272 古墳初期までも範疇に入れて良いなら、黒塚古墳ってのもあるよ。
279 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:42:48 ID:DrIOrgCN0
次々と物的証拠が挙がっている記紀を貶めて、
いまだに何の発見も無い魏志倭人伝を崇める理由は何?
はっきり言って、邪馬台国なんてものは存在しなかったし、
魏志倭人伝は空想の産物だというは明らかだ。
280 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:43:08 ID:cwzp1p1UO
どっちにしても結論は出ないw
281 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:43:40 ID:FkBmMbx9O
卑弥呼の末裔である 俺が言う
邪馬台国は朝鮮半島にあったんだよ
282 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:47:11 ID:44/F5GDY0
>>277 何が言いたいのか良く判らないし
なんで俺に絡んでくるのかも不明だが
「倭人伝記事の中には誤りも多い」というのは、墓制も含めて常識なのだが。
そういうのは倭人伝絶対主義者で、未だに短里や方角がとかほざいてる奴らに言ってくれw
君が釣りたいのはそういう連中だろ?
283 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:47:59 ID:hEFONQuCO
>>282 死ねや。知ったかクズが。
魏志倭人伝には誤りが多い?
アフォか
「いまだに正しいと証明されたものは一つも無い。」だヴァカ
学界の定説がどうのこうのとほざいてること自体アホの証拠なんだよ。
285 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:55:09 ID:HQcCBPtn0
九州・近畿説は相当検証されているから、次は沖縄あたりの説を是非真面目に検証していただきたい。
286 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:56:48 ID:44/F5GDY0
>>279 そういうイデオロギー的デマゴーグも2chならではだなw
なかなか偏ってて面白いよ、君w
正解は「記紀にも倭人伝にも、どちらも間違いがある」なんだけどな。
ちなみに3世紀中庸には誰が天皇だったと言いたいの?崇神?景行?まさか神武かw
287 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 17:57:16 ID:I2gSOrrg0
妄想してる時が一番楽しい
288 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:00:00 ID:ZXAsmvs00
>>275 「東大寺遺跡」ググっても「絹」の出土は引っかからないので参考資料等挙げてくれ。
それと女王国は複数回絹を貰ってるのを忘れるな。
邪魔大国てきいて、
290 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:01:31 ID:ghWxahUJO
女王ヒミコが使用していたムチとローソクが発掘されたら九州説
291 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:04:18 ID:44/F5GDY0
>>284 なんだただの基地外か・・・
事実を認められずに逃避しているうちに
帰ってこれなくなっちゃのかな・・・かわいそう。
まあ頑張って記紀至上主義でも唱えておいてくれ。
そうそう、マンガくらいお母さんじゃなく自分で買いに行けよ。
ひきこもりのリハビリはとにかく外に出ることだから。
じゃあ家族にあんまり迷惑かけないように。
社会復帰できると良いね。
本気で古代史について語りたいなら、考古学板でならお相手するよ。
その時にはもっと冷静な文体で頼むわw
>>41 客家語で読まないと駄目だろ、常考
>>42 壹か臺かもはっきりしてないだろうに。
293 :
288:2007/12/14(金) 18:06:08 ID:ZXAsmvs00
294 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:06:37 ID:HQcCBPtn0
まあ、記紀と魏志倭人伝を読み解くかぎは記紀の編纂者たちがなぜそんな昔の話でもないし、有名な中国の歴史書に記されている邪馬台国自体を無視したか・・・ということだね。
否定も論評も無しで無視したわけだから。
自ずと、自らの正当性を主張するためには都合が悪い存在だった…ということにならないかな?
邪馬台国と大和朝廷はつながっているんじゃなくて、大和朝廷は邪馬台国から王朝簒奪した!!ということになると思う。
で、記紀からはその存在自体を消そうとした。
でもあまりにも有名な三国志だから、まあ、伝承的に卑弥呼にあたりそうな人物を作り出したんじゃないかな。
295 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:07:17 ID:We49njSF0
事実認定されると利権に繋がるから皆、必死ですね
296 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:08:56 ID:qEX9n8H90
伊都国、奴国はじめ邪馬台国連合に所属する国のほとんどが九州の国なのに
邪馬台国1国だけ関西とかありないね
畿内説はもう馬鹿かとアホかとw
297 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:09:39 ID:mF4iJaAS0
邪馬台国=大和朝廷の前身と考えていいもんなの?
結びつける証拠が発見されるまで別物として考えるべきだと思うのだが。
>>291 おい低学歴のクズwwww
全然回答になって無いぞクズが。
そもそも俺は記紀についてなど一言も触れて無いんだがwwww
学界の定説なんていうものは存在しないという
俺の意見を批判してるつもりなら
「学界の定説」とやらがどうなってるかどうか示してみろバカ。
「学会」が邪馬台国論争をやっていたのは戦前の話で
いまは古田武彦だの安本美典といった
史学プロパーでは無い人間が論争の中心にいるんだが。
古田なんていうのは、『東日流外三郡誌』がいまだに本物だといってる人間だぞ。
>>296 横からすまんが、「水航10日」だから合うんじゃない?
邪馬台国は朝鮮半島にあった
ついでにピラミッドを作ったのも朝鮮人
そもそも倭人伝自体伝聞をまとめたものの孫引きでしかないからあてにならない。
魏略の帛書でもでてくりゃ違うんだろうけど。
302 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:11:31 ID:DrIOrgCN0
>>286 どちらも間違いがある? 何それ?
大体、誰も見て来た訳ではないから、実際のところは解らない。
唯一解ることと言えば、考古学的発見による物証しかない。
そこにイデオロギーの入る余地があるのか?
あなたは、古代天皇の物証を発見した人は右翼だとでも言うのか?
具体例を挙げると、最近ではワカタケル王(雄略天皇)の名が
記載された剣が出土している。実在が証明されたわけだ。
それに比べて魏志倭人伝の邪馬台国とやらは、いまだに発見
されていないし、倭国大乱の痕跡すら発見されていない。
おかしいと思わないのか?それ程の事件が起こったとしたら、
何かしら残っているのが普通だろう。
ID:44/F5GDY0は低学歴のクズで
グーグルで調べたことを知ったかぶってるだけだから論理は破綻しまくりですwww
都合の悪いことには答えませんwww
304 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:13:02 ID:fYzyRrR+O
こんなものは公共事業と違って中立な学問的検証の世界だろうに
こんなイベント事業に進出する吸収大学ってアカデミズムの場所なのか??
305 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:14:31 ID:ZXAsmvs00
>最近ではワカタケル王(雄略天皇)の名が
>記載された剣が出土している。
お前自分で読んだのか?
306 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:15:28 ID:bal+Nl3O0
九州に決まってんじゃん
○邪馬台国周辺諸国→九州北西部に集中
↓
陸行1月
↓
倭国の境の地域
↓
水航10日
↓
○女王の都とする所、つまり九州以外の地?
↓
○邪馬台国 畿内説
308 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:21:04 ID:SoEIgojy0
チャイナと関西どちらが信用できるかと言えば圧倒的にチャイナだろうな
吉兆しかり日本ライスしかり他もろもろ関西人の信用性は国内で0に等しい
それに史書作った当時の国はあの曹操タンの魏だし
なおさら信用できるしね^^
309 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:22:01 ID:44/F5GDY0
>>298 君が「根本的に間違っている」のは
こちらも邪馬台国論争なんて、現在は存在しないと言っているのが理解できていないこと。
だから絡む相手を間違ってるんじゃないのか?と
子供をあやすように教えてあげたのだが、本当にそれが理解できないの?
マジでかわいそうな人なの?
>>302 君も判らんやつだなw
時代の違うものを例えにあげてどうする。
機器に記載された事象については、6世紀以降の建造物に関しては
そうではないかと思われるものは多数出土している。
5世紀でも稲荷山鉄剣などはそれに当たるといって良いだろう。
だが4世紀以前のもので、記紀でも倭人伝でも良いから
はっきりとそれだと判るものは出土したか?
わずかに中つ道かもしれないという道路遺構が出たくらいだろう。
つまり「古い時代のことは、どの文献に書かれたことも具体的遺物としては証明されていない」
なので「どちらも参考にはならない」というもの。
しかし倭人伝に関しては、何らかの連合国家形態のものが日本列島にあったとは書いており
それは現在の考古学でいう「初期ヤマト連合」との辻褄は合う。
そういう基本的な話からはじめないと判らんのか?
310 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:25:20 ID:vuq7szWAO
神の手を持つ男に遺跡調査させたら、3日くらいで判子出てきて論争は終わるだろう。
場所は何処でもいいのさ。
311 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:25:36 ID:iWJKAtPr0
>>270 >また吉野ヶ里の絹は、特別に保存が優れた甕棺だからこそ出土した。
その証拠に甕棺墓が廃れてからの後の時代になると、絹も木綿も出な くなるだろ。
そこが倭人伝に記載のある墓制の傍証なのでは?
畿内説の学者がよくいうように三角縁神獣鏡が
下賜されたものであるなら、それと同じように
もっと大量に畿内から出ると思うけど。
312 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:27:06 ID:cCwvojC+0
史書作った当時の国は曹操タンの魏を滅ぼした晋。
水行10日、先ずは乗物の発掘が先だな。
314 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:30:43 ID:DrIOrgCN0
>>309 >つまり「古い時代のことは、どの文献に書かれたことも具体的遺物としては証明されていない」
>なので「どちらも参考にはならない」というもの。
これなら解ります。
しかし、年代が新しいものとは言え、少なくとも物証が出ている物と、
全く出ていないものを、同列に置くのはおかしい。
>しかし倭人伝に関しては、何らかの連合国家形態のものが日本列島にあったとは書いており
>それは現在の考古学でいう「初期ヤマト連合」との辻褄は合う。
>そういう基本的な話からはじめないと判らんのか?
こんなのはMMRみたいなものだよ。
こじ付けようとすれば、何とでも言える。
卑弥呼→日巫 みたいな言葉遊びも出来る。
そんなのが通用するなら、古史古伝も歴史資料として
認めなくてはならない。
315 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:30:48 ID:6EjZDh/i0
古代戦国時代みたいのもあったんじゃないか
九州から近畿あたりまでを支配する邪馬台国
名古屋から仙台あたりまでを支配する大和朝廷
東北から北海道を支配する蝦夷(アイヌ)
とか
316 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:31:06 ID:RV7codCUO
ぶっちゃけ解明されたらつまらん
こうやって議論できるのが楽しいんだから
317 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2007/12/14(金) 18:31:18 ID:7G64JBEp0
魏の使者「ここはどこですか?」
地元の人「山たい」
九州北部にまちがいない。
近畿だったら「山でんがな」になるはず。
中国史書の倭国関係記事は基本的には倭国側からの自己申告に依っているでしょう
完全にリアルタイムではなく若干のタイムラグ(若干どころではなくかなり後世に手が加わった
かもしれないが)
とにかく邪馬台国の記述どおりに九州に上陸して、陸行1ヶ月・水航10日進むと
九州の外へ出ちゃうのは確かなんだが。
しかも南へ?その先は太平洋ですぜ。
考古学者は畿内説なんでしょ。
なのに、九州説をアピールする人の方が多いよねw
>>96 実は当時の邪馬台国というのはオシャレな都会として
みんながあこがれていたので、各地の商店街が「○○銀座」と
名乗るがごとく、日本中に邪馬台国がひしめきあっていたのだ。
という説を読んだことがあるw
323 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:40:01 ID:7iZ3LRQHO
とんでもかもしれないが、関裕二の説が真実に近い気がする
324 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:45:17 ID:44/F5GDY0
>>311 だったら須久(春日市)が一番出例が多いから
そこが邪馬台国になっちゃいますよ。
要するに時代が違うの。
須久や吉野ヶ里は弥生後期中庸。
邪馬台国がどうしたとか言われている3世紀中庸から200年ほどずれてるんですよ。
その間に九州の墓制は大きく変化しています。
それと・・・
>畿内説の学者がよくいうように三角縁神獣鏡が
>下賜されたものであるなら
もうこんなこと言う学者はほとんど居ませんよ。
下賜でも国産でも、卑弥呼の時代より少し後のものと大多数は考えています。
325 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:45:56 ID:2QxOt4hD0
はいはいムー大陸ムー大陸
>>309 低学歴が、自分の過去レスは無かったことにしましたwww
さすが人間のクズ。やることがすごいwww
>>323 あの人、伽耶(任那)が好きなんだよね。
その説に従うと、倭国=日本の発祥地は今の朝鮮半島南部になっちゃう。
328 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:47:50 ID:6UuAnz+i0
邪馬台国って、東北にあったんじゃなかったの?
329 :
0721:2007/12/14(金) 18:48:08 ID:mkwEchvO0
じゃまたいこくってなんですか?
改めてスレを読み直してみたけど
ID:44/F5GDY0は本当にどうしようもないクズだな。
平気で自分の都合の悪い発言は無かったことにして
どんどん論旨が変わってるwww
グーグルに書いてあることを知ったかぶってるだけだから最初から意見なんて無いんだろうけどwww
>>330 そういうガチバトルは日本史板でやれよ。
>>320 考古学者は、どっちの説でもありません。
なぜなら考古学的発見と、魏志倭人伝の記述はまったく一致しないから。
NHKは畿内説で、テレビ朝日は九州説が多い。
マスコミもそれぞれ派閥(学閥?)に合わせて自説展開してるね。w
334 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:57:23 ID:44/F5GDY0
>>314 半分くらい判ってくれたようだけど・・・。
例えば当時の日本列島に本当に女王が居たのかなんて、まだ信用できる段階ではない。
また言葉遊びでもないのよ。大和、ヤマタイとかは論外だし
伊都国、糸島なんてのも、論拠としてのプライオリティは一番下なくらい。
ただ3世紀中庸に何らかの連合国家的存在があったと書かれているのに対し
考古学的にも政治的にまたは文化的に相互に影響しあう通商連合的国家というか
首長国連邦というか、そういうものが3世紀中庸に存在したことはほぼ明白なんだよね。
そこでその女王様とやらがどこに居たかなんてのは、今となってはどうでもいい話で。
元々の邪馬台国論争というのは、その時代の日本列島の政治や経済状態がどうだったのかを探る重要な鍵だと思われていたからこそ重要だったのだけど
そっちのほうが先に判明しちゃったので、あとは細かい政治形態はどうだったのかという話に移行してしまったのが現状。
その後の時代に経済的にも政治的にも力を有した者たちがオオキミを名乗り
彼らが互いに婚姻を繰り返してある一族として統合された権力層が誕生するのが
後の大和朝廷になるのではないかというのが、まあ有力仮説として考えられているけどね。
335 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 18:58:48 ID:uXFzyvtV0
またヘタレ九州男児の言いがかりか!
邪馬台国は畿内に決ってるだろ!
マタナイコクとヤマトコク。
どこにこんな偶然があるんだよwww
>>332 そうなのか、よく知らないもんでw
でもこういうものって、必死な方が胡散臭い。
337 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:00:57 ID:zNlYvdTVO
邪馬台国韓国説
>>334 >伊都国、糸島なんてのも、論拠としてのプライオリティは一番下なくらい。
よく知らんけど、九州北部の諸国って、
けっこうちゃんと比定されてるんじゃないの?
339 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:02:49 ID:liOyCTNSO
弁韓にちゃんと倭人の統治してた弥烏邪馬国ってのがあるだろバカ
340 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:06:03 ID:44/F5GDY0
>>338 壱岐・対馬、それと伊都国、奴国の4つだね。
ほぼ間違いないだろうと言われているのは。
これはものすごく昔は語呂合わせの延長みたいなものだったのだけど
結果的に考古検証した上で、これはだいたい間違ってないだろうってことになった。
あとの国は邪馬台国も含めて知らんw
てかヤマト連合のどこかくらいしか判らない。
連合の中心都市は奈良県東南部の纏向遺跡であることは間違いないだろうけど。
341 :
1000レスを目指す男:2007/12/14(金) 19:07:37 ID:9Ed611mO0
でも、どうせ当時の中国人は日本をひっくるめてジャマダイだかって思ってただけでしょ。
邪馬台国と大和国との間に直接の関係を考える方がおかしいよね。
342 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:08:15 ID:44/F5GDY0
>>338 ごめん末盧国を忘れてた。影が薄いもんでw
なので5カ国。
343 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:09:37 ID:Is0FuifRO
ヒメコ
日女子
姫
ヒオコ
日男子
彦
卑弥呼≒姉妹の豪族≒伽耶の皇女?
345 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:25:13 ID:cAglEEfO0
聖娼という可能性もあるらしいぞ。
交わった者が大王として君臨したとな
346 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:29:22 ID:LpUyqrxi0
邪馬台=大和
投馬=出雲
347 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:30:19 ID:UF2m4a+6O
発祥の地は竹島。
支配地域は九州北部〜近畿地方の一部まで
これで解決
>>346 日本の訓読みの発音で、「魏志倭人伝」の地名を読み下すのは如何なものかと?
明治時代から昭和の末まで、そんな読み方でも通用した時代がありました。
今は邪馬台国とは書かないんですよ。
先にも誰か触れてましたが、原文が「臺」なのか「壹」なのかも分からないのに。
349 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 19:42:12 ID:oz7wjv+E0
対馬国→対馬
一支国→壱岐
末盧国→松浦
伊都国→糸島
奴国→博多
・・・・・・・・・・・ここまで決定済
不弥国→玄界灘海岸のどこか
水行二十日(不弥国から沿岸沿いに有明海へ)
投馬国→熊本
水行十日陸行一月(熊本から沿岸沿いに大隈半島へそこから歩きで一月)
邪馬台国→宮崎高千穂地方→天孫降臨伝説
一応これが基本だと思ってる
>>350 投馬→ツマ→(ィ)ツマ→イズモ=出雲ね。
352 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:07:10 ID:uXFzyvtV0
耶馬溪→邪馬台国
353 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:08:02 ID:/pYsSiJZ0
邪馬台国の起源は韓国
354 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:09:22 ID:FWsmg3QiO
>>352 耶馬渓は江戸時代に命名されてる。邪馬台国とは関係ない
355 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:11:46 ID:MueZ0dRBO
考古学的見地から畿内説優位らしいけど、何をもってそういえるの?
くわしい人いる?
356 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:15:46 ID:FWsmg3QiO
日本史板にいけばいくらでもいるんじゃね
以前過去ログをみたが、土器やら埴輪やら古墳の年代比定やらで罵りあってた
357 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:16:18 ID:uXFzyvtV0
まあ日本人は周王朝→呉→日本列島と渡ってきたのだから九州は何らかの勢力や本拠地があっても不思議ではないわな。
魏志倭人伝の位置の記述はあてにしないほうがいい。
地名も怪しいものだ。
張政は直接には邪馬台国を訪問していない。
おそらく九州に留め置かれて使者が大和と九州を往復していたので滞在が長くなったのだろう。
もし邪馬台国が九州にあったならそんなに時間がかかるはずがない。
邪馬台国の正確な位置は外国人には秘密だったんだよ。
358 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:16:21 ID:z+KfnPzsO
出土品は、初期は九州のほうが圧倒的に多い。
それが次第に逆転していって末期には近畿優勢になった。
問題はいつ逆転したか。
逆転前なら九州。
逆転後なら近畿。
359 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:17:15 ID:DJnaq6Nk0
当時の地形や川、海岸、森林それらを踏まえたうえで
何処にあったか考えるべきだろう
そもそも卑弥呼が本当に魔法使いだったのかについて議論してほしい
361 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:21:41 ID:GRofTWetO
邪馬台国の諸説いろいろ
畿内説
筑紫説
肥後説
但馬説
下野説
沖縄説
台湾説
インドネシア説
エジプト説
…ちょっと待て。
362 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:23:09 ID:wfMKD/mg0
当時も九州と機内で邪馬台国を名乗り合ってたって事は無いのか
363 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:26:18 ID:Z1YXBepj0
364 :
ちく●:2007/12/14(金) 20:27:08 ID:01crz6P90
京都郡説なら支持。
それ以外なら不支持。
365 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:27:13 ID:uXFzyvtV0
>>362 それはありえると思う。
呉が滅亡してから日本列島に逃れてきた遺臣が全部固まって九州や畿内にたどり着いたとは考えにくい。
それぞれ潮に流されたりしながら九州から東北までたどり着いたはずだ。
呉音で邪馬台はヤマダイと読むらしいがなんらかの意味があったのか定かではない。
が、それが国家を意味する言葉なら、九州に住み着いた呉の遺臣も畿内に住み着いた呉の遺臣も共に邪馬台(大和)と名乗った可能性は大きいよね。
366 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:27:23 ID:TB2HZU3/O
卑弥呼はワシじゃ。
愚か者共が。ワシはまだ生きておるわ。
どこにいるかは言えんがの。最近ご無沙汰じゃからの、ワシの中の女が疼いてしょうがないわい。
367 :
どーでもいーけど♪:2007/12/14(金) 20:29:33 ID:bz1NszbKO
倭奴(イェノム)って朝鮮語で最大級の侮蔑なんだよな♪
m9(^Д^)プギャー
368 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:30:59 ID:v5dcJ1W90
歴史は多数決じゃないんだがな。
邪馬台国論争は願望が入ってるから始末悪いよ。
どっかの国の歴史認識みてーだわ。
>>367 日本じゃ「朝鮮人」って呼び方が最大の蔑称なんだから、いいんじゃない?
370 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:32:33 ID:uXFzyvtV0
つーか、九州説の連中は魏志倭人伝を根拠に話してるがそれがそもそも矛盾だぞ。
支那の歴史書を信用するなら「隋書」の「倭国伝」で聖徳太子の都とする場所であるヤマトを「魏志に謂うところの邪馬台なるものなり」と何の疑問もなく同一視していることは無視かよって話になるわな。
>>357 なるほど。外国人に秘密というのに激しく納得。
後世、高麗の使者が元冦を案内したとか、シーボルト事件とかの話もあるもんな。
>>356 昔オレが日本史板を覗いていたころの雰囲気では、
史書を漢文の原文で引用して
「これが読めないのかボケ!」
なんていう罵り合いをしていたな。
読めねーよ。
その道の専門家っていうのは凄いんだと思った。
それから邪馬台国を研究している人は、魏志倭人伝だけでなく
魏志韓伝その他の、周辺地域や前後の年代を記した史書にも精通してんのな。
そんな人らが寄ってたかって決着が着かないんだから
小中の授業で習ったレベルの俺らが議論しても、始まらんわな。
372 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:38:37 ID:CQReyoKZO
>>370 九州説者は隋書に阿蘇山が出てくるのをもって、倭国及び邪馬台国は九州だと言います。
>>371 日本史板も鉄オタ板も、住民は大して変わらんと言うことか。
あいつら異常。製造年月日と記号だけでシートの幅や材質を全部暗記してる。w
邪馬台国→×
邪馬壹国、もしくは邪馬臺国ね。
原書の魏志倭人伝には、この「壹」と「臺」の2つの文字のバージョンがある。
当然呼び方が全く異なってくる。
375 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:44:10 ID:WbbiQvPJO
376 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:47:51 ID:CJbaaD4J0
俺がタイムマシンで邪馬台国時代に遡上して卑弥呼に
子供(トヨ)を生ませた
377 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:48:37 ID:wQTTWZqZ0
これだけはいえる
邪馬台国をつまらないものにしてるのは畿内説狂信者
誰が奈良邪馬台国にロマンを感じる?
378 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:51:33 ID:T0T3+sqN0
ムー大陸だとおもうよ
379 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:52:59 ID:UObmcluK0
魏志倭人伝なんていい加減な古書は捨て、「記紀」に基づいて検証した方が早くない?
手っ取り早い話が、古代の日本に女帝か女性で神聖視された祭祀者がいたか?
その女性の都はどこなのか?どこまでの範囲を国として治めたのか?
これが解明されたら良いだけじゃん。
とりあえず、女性で古墳に葬られた主は「箸墓古墳:被葬者には各説あり」だけ。
381 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:57:12 ID:ufSOg0nYO
別にどっちでもいいけど、福岡の人間としては、九州にあってくれたほうが嬉しいわな。
ま、うちは黒田藩士の血筋らしいから岡山あたりの出なんで直接は関係ないけどな。
382 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:57:31 ID:CLOlGR720
邪馬台国より、記紀の内容がどの程度史実を反映してるか
って言う方が面白いんだが。
でもディープになりすぎて、これ以上は日本史板か、やっぱ。
383 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 20:58:27 ID:Z1YXBepj0
つーかさ、はしはか古墳、あれ掘ればええんちゃうの。
ウダウダ言わず掘ろうよ。仁徳も。堀まくってなんか問題あるのかね。
384 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:00:52 ID:Z1YXBepj0
掘るっきゃねーんだよ掘るっきゃ。
宮内庁は配慮してくれないと。
385 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:02:24 ID:rQbicgk20
よくわからんが、両方決め手に欠けることはわかった。
>>383 天皇陵に比定された古墳を掘ると、古代ユダヤの紋章が
あれ、誰か今ドアノックした。ちょっとま
387 :
宮田:2007/12/14(金) 21:05:25 ID:MnqyBb0u0
邪馬台国は岩手だよ
魏志倭人伝にそう書いてある
九州にあってくれないと大和とつながらないからつまらん
掘ったって、遺物に「卑弥呼」って名札がついてるわけでもないし。
390 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:06:01 ID:Z1YXBepj0
(^o^)ノ<掘りまくれー
畿内説はだいたい一箇所に集約されてるが、
九州説は、福岡、佐賀、宮崎、熊本、大分
とさらに諸説分かれてるからな
九州と決まったとしても、まだまだ論争は続くよ
392 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:08:32 ID:CQReyoKZO
>>276 支那の史書にある東夷各派の系統の比較や古代半島人(三韓)の習俗と現代朝鮮
人とのそれの比較や人骨のDNAの比較で大きな差がある事だとか。
朝鮮のトーテムポールのようなものは、シベリアのエベンキ族のものと近いとか、
百済や高句麗の王族の多くが日本や唐に亡命するなり連行されるなりしている事
とか、現代朝鮮人は古代半島人の「直系」である(これは現代朝鮮人の主張)事は可能性として低いという
話であり、全くのデマではない。
現代ギリシャ人が地中海人の直系ではなく南下したスラブの血が強いのではない
か?などの話も影響しているだろう。
やまたい国という響きから、てっきり大和→奈良の事だと思い込んでいた。
>>393 その大和の人たちは、
自分たちは日向から東征してきた
と言ってるわけで
ビルドベースの
(バンババン)
守りは堅い
(バンババン)
いまに見ていろ邪馬台国
全滅だ♪
中国人のはったりに振り回されるのは
今も昔も変わらんなwww
397 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:18:56 ID:CQReyoKZO
>>377 「歴史学にロマンはない、地味な研究の作業があるだけ。」ある博士研究者の言葉。
「ロマン」が欲しければ大学に入って研究はしないほうがいいという意味。
398 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:29:00 ID:2nG0DbbjO
福岡にヤマタイこくがあったニダ。つまり、ウリ達の国に近いニダから、日本の起原は韓国ニダ
>>393 響きから言えば博多弁じゃん。
「山笠があるけん博多たい」→「やまたい」
戦国時代にやってきたスペインの宣教師が持ってきたお菓子。
日本人「これは何という食べ物ですか?」
宣教師「私の故郷、カストーリャ地方の焼き菓子です」
日本人「かすーらですか。ふむふむ」
みたいな。
400 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:33:12 ID:6sNa3kND0
>399
倭→ヤマト→大和だと思ってたんすけどね。
402 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:45:19 ID:V2aWtrXb0
上のほうでヤマトのトは人の集まる場所という意味って主張してる人いるけど、ヤマトって山「戸」じゃないの?
ミナトは海「戸」。
こっちのほうがしっくりこない?
山の扉つまり、山に囲まれた盆地だったり、後ろに山があったら防衛上有利なんじゃない?
403 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:50:39 ID:uXFzyvtV0
>>402 その呼び名が示すとおり近畿地方はすでに海の扉を海外に開け放っていたわけだ。
つまり日本の中心地だったわけだよ。
前方後円墳も畿内から全国に波及していってるし、土器は全国の土器が出土しているのは近畿だけ。
その時代がちょうど邪馬台国が存在した頃と一致している。
仮に邪馬台国が九州にあったとしたらその邪馬台国よりもさらに勢力の強い中央国家が畿内に存在したことになり矛盾が生じる。
404 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:52:32 ID:Z1YXBepj0
(^o^)ノ<墓荒らせ〜
(^o^)ノ<掘り返せ〜
福岡県春日市のマスコットキャラクターは、弥生くんと春日ちゃん。
春日市は基地の街。
406 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:54:17 ID:80WNKy7I0
ま、九州から東征して出雲ぶったおして畿内に落ち着いたというのが
一番しっくりくるな
>>403 邪馬台国より勢力の強い国家が畿内にあると、何が矛盾するの?
魏志倭人伝見ると、女王国の東にも倭人の土地があるって書いてあるが?
408 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:57:41 ID:uXFzyvtV0
>>406 神武帝の東征は邪馬台国九州説の根拠にはならんぞ。
継体帝が若狭から大和に入られた例もあるし大海人皇子が吉野から攻め上った壬申の乱もそうだ。
409 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 21:58:36 ID:dtp1DaB80
>>403 別に矛盾はしてないと思うぞ
勢力が畿内>九州だったからこそ
危機感を感じた九州が中国の後ろ盾を
求めたかもしれないし
出典は忘れたけど、
魏志倭人伝の邪馬台国の記述は、
当時の魏の役人のカラ出張の報告書だったという仮説があった。
きっと、後で出張費の請求を提出するときに、
遠くであればあるほど、交通費が多く支給され、
日数が長ければ長いほど、宿泊費がたくさんもらえるから、
かなり大げさに書いたんだとか
411 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:04:13 ID:0UaApzOlO
福岡空港の横を走る都市高速の下にも遺跡は眠っている もう粉々だけどね
東遷説の人は、魏の使者が来たときはどっちにあったと
考えてるの?
>>410 自分が実際に行った場所と伝聞で書いた場所との
記述の濃淡を論じてるのは読んだことがあるな。
413 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:05:30 ID:uXFzyvtV0
>>407>>409 そうなると記紀に記された東征との整合性が怪しくなる。
確かに矛盾とまでは言い過ぎだったけど、辻褄が合わないというか論理的に無理が出る。
発掘による研究によって邪馬台国と同時代に畿内に外国と交渉を持った勢力が存在していた事は証明されている。
卑弥呼が魏と接触した景初三年・正始元年銘のものを含む三角縁神獣鏡が畿内から出土しているのは紛れも無い事実。
それに魏志倭人伝に描かれている倭の産物である鉄製品は主に九州で生産されていた様だ。
これらを総合すれば鉄を産する九州を支配下に置いた畿内勢力が魏と接触したと思われる。
将来の日本国技が捏造にならなければよいのだが・・・・・・・
真実の邪馬台国は済州島だったんですよ。
416 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:07:29 ID:OddJDdlS0
福岡と奈良で地名に共通点が多いって話よくきくけど
春日市の春日神社と奈良の春日大社って何か関係あるの?
まあ春日神社自体は全国にあるんだろうけど
417 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:09:45 ID:dtp1DaB80
>>413 機内の外国との接触ルートは日本海側も考えられる
つまり瀬戸内海の出口の関門海峡を九州が占拠したから
機内が新たなルートとして日本海側を開拓した可能性もある
418 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:09:55 ID:FWsmg3QiO
イタコで卑弥呼を呼び出して質問すればおけ
419 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:11:26 ID:fcugqZZUO
降霊 降霊
コレコレ石の地蔵さん〜〜
420 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:14:22 ID:sHOWSTfN0
>>418 霊能者(イタコではないと思うが)の呼び出した
卑弥呼の霊によれば、邪馬台国は九州らしい。
暴力団の抗争説ってのは?
422 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:14:45 ID:izOtiz2z0
日本史でなく中国史をやった人間から言わせてもらうと
漢民族は異民族に対して冷淡かつ卑下する傾向にあり
記述はたいてい不正確で偏見に基づくものです。
数行の記述を頼りに論争するのはどうかと思います。
423 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:15:21 ID:OGNDWD5p0
今時まともな学者は九州説はとらない
考古学的にムリがある
424 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:15:37 ID:hQlzv2Fw0
425 :
家出猫 (1):2007/12/14(金) 22:16:11 ID:N6VKd2760
sds
耶馬台国って山にあったんだべ?
429 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:18:03 ID:a+EVdfat0
福岡は「邪魔大国」
ファイッ!ファイッ!
431 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:18:41 ID:86AkL0SY0
432 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:19:15 ID:hJY3g6Q50
F1の鈴鹿と富士みたいに、一年ごとに交代でいいじゃん。
433 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:19:35 ID:sPyEpQYA0
奴隷(あるいは一説には食料用人類)をチャンコロ献上をしたことが
そんなに誇らしいのか。
こいつら人間じゃねえよwww土人www
434 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:20:24 ID:1unDO2EB0
>>423 まともな学者って白石とか岡村とか福永か(笑)
435 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:21:08 ID:Q61ZBdAY0
福岡県久留米城の丘は古墳である
卑弥呼か誰かの古墳
436 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:22:23 ID:uXFzyvtV0
>>417 ということは九州の小勢力である邪馬台国が畿内の大和朝廷を差し置いて魏をペテンにかけたということかな?
それは薄いでしょ。
だって魏から卑弥呼に贈られた品々や官位は大月氏国(クシャーナ朝)と匹敵する最恵国待遇だよ?
九州支配だけの勢力がその扱いを受けるのは考えにくい。
437 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:23:41 ID:aMZrzaRY0
もう俺が種明かししちゃう。
「邪馬台国」ってのは
「大和国」の言い方を貶めたモノ。
「邪馬台国」=「大和国」
俺が煬帝の霊を呼び出して直々に聞いたから、確かっス。
438 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:23:54 ID:yKMO+IeF0
また田舎の町おこしか
439 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:24:37 ID:9zv7WH9w0
どう見ても韓国が起源です。本当にありがとうございました。
440 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:25:53 ID:RBcDrlZe0
どこでもいいが、今度こそ決着をつけて欲しい。
観光とかそんな意地なんて捨てていさぎよく負けは負けで認めてさ。
純粋に学問による決着をたのんます。
441 :
437:2007/12/14(金) 22:25:54 ID:aMZrzaRY0
ごめん、曹否の霊だった。
不確かなこと言ってゴメン。
442 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:26:15 ID:vEjobf9s0
>>423 マキムクは大和朝廷だろ。
邪馬台国はそれとは別と考えられる。
魏志倭人伝も、よく読むと海(瀬戸内海?)を渡るとまた倭人の国がある
との記述があり、これがマキムクこと大和朝廷だろうと考えられる。
443 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:28:39 ID:dtp1DaB80
>>436 魏志倭人伝の記述が薄っぺらく非常に
曖昧なことから日本の状況に疎かったと思われる
それでも九州の勢力に最恵国待遇を与えたのは
九州の海軍力が非常に貴重(魏は持ってない)で
これを使って呉の挟み撃ちも考えていたからだと思う
まあここらへんは妄想だけど
実は近畿から九州までが邪馬台国でした
445 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:29:59 ID:fYzyRrR+O
お前らあんまり昔話ばかりしてると老け込むぞ
446 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:30:32 ID:RBcDrlZe0
447 :
437:2007/12/14(金) 22:30:52 ID:aMZrzaRY0
だから「邪馬台国」=「大和国」って言ってるのに;;
曹否の霊に聞いたから間違いないんだ。信じてよ;;
448 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:31:34 ID:QJxsYCdd0
449 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:31:40 ID:vEjobf9s0
そもそも、マキムクが邪馬台国なら、
魏志倭人伝の 海を渡ると、また倭人の国がある との記述が
どこのことか分からなくなる。
3世紀頃は、九州と大和の両方に政権があったと考えると、
魏志倭人伝の記述が理解できる。
大分かと思ってた。
宇佐八幡があるから
451 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:33:06 ID:iqyztUHL0
こんなこと言うべきではないが、外国の書物を書き換えることは難しいが
(とくに日本が中国の歴史に干渉することは不可能臭い)
国内の発掘なら偽造でもなんでもできるからな。
関西人の詐欺根性なら容易い事。
みんなそう思ってる。
452 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:34:33 ID:vTkrgDvDO
俺は邪馬台国が水戸にあった確かな証拠を掴んだが公表はしない
世間を騒がすからね
そもそも奈良はウリナラのならだからな。
454 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:36:18 ID:ToY2ZD/+0
魏志倭人伝をちゃんと読むと邪馬台国はグアムだかフィリピンだかのあたりになってしまう。
なんで都合の良いところだけ摘み食いして畿内だの九州だの言うのか理解できない。
よって、「邪馬台国はなかった」説に一票。
455 :
437:2007/12/14(金) 22:36:40 ID:aMZrzaRY0
僕が曹否に聞いた話
曹否「大和国などと大層な名前を使いおって生意気な」
重臣「邪馬台国と当て字で呼んでやればよろしかろうと存じます」
曹否「よし、それでおk」
曹否「王は日巫女だと?生意気な」
重臣「卑弥呼と当て字で呼んでやればよろしかろうと存じます」
曹否「うむ、おk」
マジなんだから信じてよ;;
九州や近畿未だにDQNのすくつ(変換出来ない)。
457 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:37:45 ID:izOtiz2z0
>>433 鎌倉時代ですら南宋や高麗では日本人が人食いだという記述がみられるくらいですから信憑性は薄い。
当時の日本は辺境の地であり自分たちより野蛮で原始的という認識以外もってなかったと思います。
邪馬台国の存在がフィクションという可能性は十分に考えられます。
458 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:38:46 ID:CQReyoKZO
>>442 「海」は伊勢湾の可能性もある。当時は岐阜の方までが海。江戸期においても東海道は海を渡った。
渡った先は三河から遠州に至る銅鐸圏。
因みに、東海道は江戸湾を渡り房総に至るが、これは今の東京から千葉市辺りは
河川と湿地に干潟の入江で歩行で渡るのは難しかった為。
古い時代には海路の方が楽な場合が多々あった。
459 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:39:55 ID:Dx4wvQDF0
倭人伝に近畿を連想させることなど何一つ書かれてない件について
460 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:40:48 ID:vTkrgDvDO
俺が考古学者として駆け出しの頃、邪馬台国は潮来にあった!なんて言って周囲を驚かせたよ
考古学者として実績を残した今では「邪馬台国 水戸説」を疑う者はまずいないね
461 :
437:2007/12/14(金) 22:42:38 ID:aMZrzaRY0
このスレの考古学してる人たちって
ひょっとして僕より馬鹿?;;
土人の末裔である東日本人には、この面白さはわからんだろうなw
463 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:44:29 ID:myyOXFM/O
過去のことなんかどーでもいいだろ
投馬国の長官は彌彌(みみ)さん。副官は彌彌那利(みみなり)さん
というところに注目したい。
たぶん使者の人たちは、このへんでどうでも良くなっている。
465 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:45:07 ID:UObmcluK0
>>460 こんどは、邪馬台国名古屋説でお願いしますw
466 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:45:16 ID:86FRADwR0
奈良県のあたりに決まってるだろ・・・・
九州は暖かすぎてダメ。
切り開いた土地も、あっというまに植物が占領してしまう。
戦前の九州を見ればわかる。
467 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:45:44 ID:vTkrgDvDO
>>461 なんだとこの野郎!
俺は浪人して亜細亜大学入って留年して卒業したんだぞ!
これでも馬鹿と言えるか!
468 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:47:05 ID:CQReyoKZO
>>459 どんな事が書いてあれば近畿を連想するんだ?
469 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:50:11 ID:Dx4wvQDF0
>>468 現存する地名や自然などでしょうね
九州の地名や阿蘇山みたいな?
470 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:54:48 ID:9ZolIE7v0
そう言えば卑弥呼を近鉄奈良線の郡山あたりで見た気がするがwwwww
471 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:56:10 ID:CQReyoKZO
>>464 それ以前の九州北部と思われる国々と、そこから遠く離れた投馬国、邪馬台国は副官の名称が違う。
伊都国には一大率が置かれ大倭と呼ばれる役人がいて九州北部を統括した。
二、三の違う系統の小国連合が大連合を組んだ感じだ。
>>317 > 魏の使者「ここはどこですか?」
> 地元の人「山たい」
3世紀4世紀の時代どころか、大航海時代に「発見された」土地でも
たしかそんなような経緯で「命名された」ところがあったような・・・。
土地だったかモノだったか動物だったか忘れたが・・・。
473 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:56:49 ID:gb+xmQZT0
歴史の捏造。
「津軽外三郡誌」には、”邪馬台国”って記述があったお陰で後世の偽作だとはっきり分かった。
当時の日本人が、自分の国を中国名の邪馬壹国と言うわけないじゃん。(爆!)
476 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 22:59:47 ID:vEjobf9s0
そもそも、記紀の編集者が卑弥呼が誰だか実はよく分からなかった
という事実こそが、直接的には卑弥呼と大和朝廷とは関係なかったという
ことを表しているのではないか?
3世紀、九州の邪馬台国とマキムクの大和朝廷が並存しており、
大和朝廷の出自は九州であった(これは書記に書かれている)と
考えると、うまく説明がつく。
また、箸墓古墳の やまとととひももそひめ の伝説はあまりに奇妙で
あり、なにか卑弥呼と関係があるように思える。
(日本最古級の大型古墳の主は、正しくは崇神天皇と思われるが、
それがなぜ悲惨な最期をとげた巫女の話にすげ替えられたのか。
ちなみに、卑弥呼は248頃戦乱のうちに死んだ、殺されたとも言われている。
たしか、下腹部を射抜かれた当時の婦人も発掘されたことがあったはず。
権力を奪うとき、巫女を殺し下腹部を射抜くというような儀式がなかったともいえず、
そうだとすると、下腹部を箸で突いて死んだという やまとととひももそひめ の伝説と
あまりにもうまく一致する)
この伝説は政権簒奪の名残ではないかと、自分は考える。
簒奪された後も、卑弥呼は霊力あるものとして、信仰(宗教的恐れ)の対象だった
のではないだろうか。
大和朝廷が邪馬台国を滅ぼした際、当時の巫女(卑弥呼)を殺しはしたものの、
信仰の対象としては残すことによって、邪馬台国の民を併合した。
そののち、崇神天皇稜の守り神的扱いを受けたため、箸墓には 奇妙な巫女の
伝説が残った。そんなことがあったかもしれない。
>>371 >史書を漢文の原文で引用して
>「これが読めないのかボケ!」
>なんていう罵り合いをしていたな。
>>373 >製造年月日と記号だけでシートの幅や材質を全部暗記してる。w
なんつーか、2chって本当に凄いところだと心底感動した。
数学物理の理系な板もそうだが、専門板の深さ広さはハンパねぇなマジ。
478 :
hiroko:2007/12/14(金) 23:01:56 ID:Q0qnoLIH0
長崎県警は、なんなの
479 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:03:02 ID:gb+xmQZT0
>>472 キャプテンクックがオーストラリアに上陸した際、
ぴよんぴょん跳ねている動物を見て、原住民に
「あれは何と言う名前かね?」と聞いたところ、
「カンガルー」と答えた。
が、原住民の言葉で「カンガルー」とは、「分からない」という意味であった。
という話が有名だが、これは実は嘘。
だが、本当に現地の言葉で「分からない」という意味を持つ名前の動物が、実は別にいる。
でもどの動物だったか忘れてしまった。
480 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:08:27 ID:gb+xmQZT0
>>457 中国人の気質からいって、「質を貶める」言い方はしても「存在を誤魔化す」事はしないと思う。
殷の紂王にしても、夏の何某王にしても、
「あいつはとんでもない奴だ」という風に「質」を極限まで貶めることはやっても、
「実在すること」や「存在すること」を捏造するようなのってやらない民族だと思う。
中華と周辺蛮族にしても、「周りの国はもう野蛮で野蛮でしかたがねぇなマジで」ということは言っても、
「周りにいろんな国が存在する」事は否定しないのと同じように。
482 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:11:20 ID:RBcDrlZe0
諸星大二郎は何処説を唱えているんだ?
483 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:11:20 ID:ToY2ZD/+0
>>481 >「実在すること」や「存在すること」を捏造するようなのってやらない民族
今現在も捏造しまくりなのに何を仰いますやらw
484 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:13:14 ID:GKlU1wcR0
壱岐嶋だけだろ。 日いずる国と 日没する国 両方確認できるのは
中国は王朝変わるたびに、前王朝の人間から歴史書から
抹殺してしまうような所だろ。
486 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:14:13 ID:gb+xmQZT0
>>484 地軸の傾きが現在と少しずれていたら、そうでもなくなるんじゃね?
487 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:17:39 ID:uXFzyvtV0
1.女は慎み深く嫉妬しない。
2.盗みはなく、訴訟も少ない。
3.宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。
魏志倭人伝で邪馬台国の風俗について上記のように書かれている。
九州なわけないだろwww
こんな純日本的な風俗は近畿しか考えられない。
>>483 「捏造」は韓国だろw
中国はあくまで「誇張」だろ?
南京大虐殺の件にしても、「軍の戦闘で民間人ゲリラが巻き込まれました」
「まあ戦場のストレスで、民間人を容赦なく何人かぶっ殺した日本兵が居ました」を、
「日本軍が組織的に30万人大虐殺しました」という風に、量や質を誇張してることに過ぎない。
でも海上を含めた正確な方角とか距離がわかる技術があったとはおもえんしなあ
つかかなりいい加減な書き方じゃね?
490 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:18:11 ID:hdNWtbtn0
なんで中国人の言うこと信じるの?
>>471 おお、なんか深いこと考えてる人がいた。
言われてみれば、奴国と不弥国の副官はどっちも卑奴母離さんだな。
>>475 いや、俺は使者の人がメモするのを忘れて、
「たしか、ミなんとかって言ってたよなぁ。めんどくさいからミミさんでいいや。
長官がミミなら副官はミミナリってことで…」
みたいな感じかとw
492 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:18:41 ID:RBcDrlZe0
493 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:19:09 ID:gb+xmQZT0
>>488 そうでもないよ。
中国人も割とやりたい放題。
「三光作戦」って聞いたことあるかい?
何故か日本軍が中国語で命名した残虐非道な作戦さ。
単に、すぐバレる安直な嘘をつく率が低いだけ。
まあ政治を入れるな。どこかの国じゃあるまいし。
495 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:20:44 ID:hQlzv2Fw0
>>489 どうでもよかったんだろ?
東夷の蛮族扱いだっただろうし
まあ何か新しい遺跡が出てくるか
宮内庁が古墳の発掘許可出すまで状況変わらないだろうなあ
>>489 てか、当時は恐らく世界有数の超大国、北斗の拳で言うところのサウザーかシンかっていうレベルの国に対して
「うちの国はこうこう、こういう所にあるんすよ〜」なんて能天気に正確にバラす奴が居るとは思えんw
ある程度ぼかして、突っ込まれた「あ、ちょっと間違っちゃった☆てへ♪」と誤魔化すぐらいの
曖昧さで答える程度の戦略はあったと思うぞ。
497 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:21:00 ID:9ZolIE7v0
>>1 でもぶっちゃけ考古学の世界では殆ど畿内説なんだろ?
むしろ考古学者が自分達のドル箱?である邪馬台国論争に決着ついて
実入りが少なくなるのを危惧しているとも聞くがwww
498 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:23:27 ID:ZeTg+fJGO
遺跡ないの?
>>493 それだって「日本軍が中国人をぶっ殺した」という事実(正規軍による正当な戦争行動の一部)を
むやみに膨らませただけ、って思ってたんだが。
もちろん貴方が言う「なぜか日本軍が中国語で命名?ばかじゃねーのw」とは思うから
そんな作戦なんぞ存在しない、という点では反論はないけど。
>単に、すぐバレる安直な嘘をつく率が低いだけ。
まあそれもあるけれどな。
ただ、当時の情勢からして、中国以上に文明が発達して資料や記録に信用が置ける国って
他に数えるほどしかないわけでさ。
現代の感覚で言うと、G8どころか、世界で三本の指クラスの超先進国だろ?
500 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:25:42 ID:8OKfDfX40
九州はマルタイラーメンだろ。邪馬台なんておかしいよ。
501 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:25:56 ID:6N8fMEgq0
邪馬台国は九州ですよ。
ちなみに大分県宇佐〜福岡県豊前市辺りまではトヨが支配していた。
だから昔からあの辺りをトヨの国って言うんですよ。
どっかわからない時点で、畿内じゃないだろ。
わからないって事は、時の権力者が隠したって事だ。
畿内なら隠す理由がない。
どうせ弥生系なんだから近畿だろ
今でも近畿だけ弥生の血が濃いんだし
どうせ縄文のクマソと対立してたんだろ
>>493 とりあえず政治の話入れるな。あと今の中国人と昔の中国人と同じにするなよ。
そいういうのを抜きにしないと卑弥呼の存在さえあやしくなるぞ。
事実をしるために色々検証してるのであって、政治なんぞ
関係ない。
505 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:27:06 ID:ToY2ZD/+0
>>496 いやむしろ
「我が国は、こんな遠くの、あんな蛮族まで支配している(朝貢を受けている)」
と言いたいがための法螺吹き文書の可能性が高いのでは。
506 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:28:30 ID:vTkrgDvDO
邪馬台国は畿内で実は決まってる感はあるね
ほぼ間違いない
水戸説がピンチだな
最近の子ってお隣の国の人とどこか考え方がにてるな。恥ずかしいな。
○流ブームの影響か?
508 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:29:35 ID:vEjobf9s0
>>497 >でもぶっちゃけ考古学の世界では殆ど畿内説なんだろ?
考古学で証明されたのは、当時すでに大和の地に一大中心地があった
ということであって、それは邪馬台国とは違う大和朝廷の始まりの
姿ではないか、との見方が有力。
現在の主流学説は、邪馬台国とマキムク(のちの大和朝廷)並存説。
>>502 当時の魏と邪馬台国の力の差は、北斗の拳でいうと
「サウザーもしくはラオウ」と「ジードのモヒカン」の差が歴然としてあった。
機内なら時の権力者が隠す意味がないってのはありえないよ。
>>505 あ、そういうのならあるかもしれないなぁ、中国の気質的に。
510 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:30:32 ID:D45GHKgW0
邪馬台国=大和国の当て字
卑弥呼=日御子の当て字
511 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:31:07 ID:klcwu1bJ0
邪馬台国がどこにあったがわからないのはもちろんだが、
それ以上に邪馬台国と天皇の血族がどう関係していたのかのほうが
もっとわからない。本居宣長は、卑弥呼と天皇家の関係を否定している。
なんか、畿内説は無理やり卑弥呼と天皇家をつなげようとしているところに
違和感を感じるんだよな。
奴国はいずれにせよ福岡市周辺で決まりっぽいがあの狭い平野で奴国二万戸だぜ。
投馬国五万戸、邪馬台国七万戸、って小さすぎだろ、近畿では。
それに最初は国の単位が島であったり、どっかの平野や集落レベルであったりして、いきなり
邪馬台国が奈良県一体って変だろ。仮にそうだとしても、魏志倭人伝の説明からすれば、邪馬台国は
近畿地方一体でないと説明がつかん。それでもまだ無理がある。畿内説は推定が甘すぎ。
邪馬台国の連合国家であったことは魏志倭人伝から明らかだが、その中には二十数カ国
しか書いていない。その二十数カ国のうち奴国や一都国や対馬や壱岐が国なんだぜ、その他
どっかの片田舎とも思われそうなところも国と呼んでいる。邪馬台国が九州から畿内一体にかけた
巨大勢力だったとすれば、桁違いの同盟国数だろうよ。
もし、そうであったとしても魏の使者が長いこと九州をうろつく理由もないはず。
一都国からそのまま海路を使って、一気に瀬戸内に入ればよかった。
魏書東夷伝倭人条は、魏書の最後のほうだから、
「ページ数足りねえよぉ」って悩んだ陳寿が
でっちあげたんだよ。
>>504 そういうのN+でやってもしょうがなくね?
514 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:32:51 ID:uXFzyvtV0
>>509 オイオイwww
大和朝廷は中国の統一国家である隋でさえ滅ぼせなかった高句麗とサシの勝負をしてたんだぜ?
そんなに力の差は無いよ。
そもそも日本人は周→呉→日本列島と渡ってきた民族だ。
戦闘技術も遜色は無い。
だから聖徳太子は煬帝に対して対等外交ができたんだ。
>>502,
>>509 畿内だろうとなんだろうと、べつに隠す必要性はないと思うぞ。
倭人伝の頃すでに、倭の30カ国が大陸に使者を送ってたわけだし。
516 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:33:48 ID:vTkrgDvDO
マキ向遺跡までナイトドライブに行ってくる
明日の朝には着くだろう
517 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:34:25 ID:DJnaq6Nk0
>>504 それを言い出したら、昔の日本人とその当時の日本人を同じにしてもいけないんだが
全く違うし、全く別物だ
>>511 中国の歴史文献で、一番信用できないのは「桁」だと思うんだがどうだろう。
ぶっちゃけ、史記にしてもなんにしても、あそこってサバを「桁」で読んでんじゃねーのか、
っていう印象があるんだがどうか。
日本人ならさ、例えば100人のことを150とか200とか言う程度のサバ読みだけど、
中国人は1000人とか1万人とか、「桁」の単位でサバを読んでくるような。
お前らは対数の国で生きているんかとw
519 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:34:50 ID:j24R/TuT0
>>497 未だに論争に熱入れてるのは、どっちかと言うと在野の学者だよ
いいえ、埼玉です
結局、台与が倭国王になって、倭国が平定されたんだろ?
その後大乱が起こらなかったとすれば機内説が有利じゃないかな?
522 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:35:52 ID:S4lX9Omf0
千葉説は笑った
>>514 聖徳太子って誰?
いつ対等外交したの?
524 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:36:53 ID:ToY2ZD/+0
>>509 邪馬台国までの道のりがデタラメなのも、邪馬台国民が画に描いたような蛮族なのも、
そう考えると納得できない?
位置関係がデタラメな文書を前提に畿内か九州かと争うのはどうかという気がしちゃうんだよね。
525 :
437:2007/12/14(金) 23:37:29 ID:aMZrzaRY0
>>510 やっと僕の言うこと信じてくれる人が居た;;
>>522 四国説に比べればまだまだw
>>523 とりあえず、かなり気性の荒い隋の皇帝に「タメ口」で文書を送った。
今で言うと、トヨタの新入り期間工が奥田相手に
「はーい、元気してる?」みたいな携帯メールを送りつけるレベル。
>>524 いや「倭」がまぎれもなく日本であることはその後の歴史のつながりであきらかなんだが。
528 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:38:46 ID:klcwu1bJ0
>>518 あれだけ大げさに言う中国人ですら、奴国と邪馬台国の勢力を同じ桁で表現した。
畿内説であれば桁違いでないといけない。
だから、同じ桁にした奴国(福岡市あたり一体のみ)と邪馬台国を同レベルにした時点
で規模が小さすぎと思う。これは単なる九州一体の勢力図であると解すべき。
529 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:39:15 ID:vEjobf9s0
それと、
のちに大和朝廷は国土を統一してから、無理やり国家は変わっていないと
中国側に取り繕ったように思える。
(ていうか、中国の史書にそう思えるように書いてある)
であるならば、多くの伝承で九州と大和の両方にあるのもうなずける。
たとえばクナ国は、南九州にもあったとも言われるし、京都にあったとも
いわれ、卑弥呼の死と箸墓のモモソヒメの死の両伝説の時期を確定するカギ
でもある。(卑弥呼の死はクナ国との戦乱の時期の248、モモソヒメも
京都のクナ国との戦いの直後)
なぜ場所が違うのに、同一人物説も根強い卑弥呼とモモソヒメの死にも
かかわる国の名が同一なのか。
早い話が、大和朝廷自身が、邪馬台国と同一視されることを望んだと
考えれば疑問は解ける。
そう望んだ理由は、
大和朝廷自身の出自が九州であり、邪馬台国と直接の関係はなかったものの間接的に関係あり、
しかも邪馬台国と同一視されれば国の起源を時期的にさかのぼれるだけではなく、
高天原につらなく神話との繋がりもより密接に主張できたからだろう。
>>523 摂政の君・聖徳太子は、大臣・蘇我馬子じゃないの?
号は「善徳」で国政を一手につかさどる。
>>472 すげー遅レスだが思い出した。
「倭(わ)」という呼称も、日本人が一人称で「ワレ」と言ってたのを
誤解したという話もあるよな。
>>529 でもそれが成り立つにはいくつかの推測を断定していく必要があるだろ?
>>523 「日出る国の」てやつを本当は誰が書いたのかが疑問
記紀の年代があてにならないし
534 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:42:03 ID:9ZolIE7v0
>>508 そうなのか?
じゃあ並存説が成り立つ為には巻向が邪馬台国でない理由
邪馬台国ではありえ無い理由が必要だと思うんだが
どう言う事なん?
年代のズレに関しては微妙で少なくとも否定材料には決定性を欠くと聞いたが…
>>511 >本居宣長は、卑弥呼と天皇家の関係を否定している。
>なんか、畿内説は無理やり卑弥呼と天皇家をつなげようとしているところに
>違和感を感じるんだよな。
てか九州説が言い出しっぺの本居宣長の皇国史観から出てきたわけでwww
535 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:43:03 ID:ToY2ZD/+0
>>527 具体的な位置関係がデタラメな文書を「史実」として丸飲みしちゃうのは如何なものかという視点はこれまでにあったの?
536 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:43:37 ID:+rz1tVNy0
馬がない時代に、近畿にいて全国を統率したり、朝鮮に出兵できるのかね。
それが疑問だな>近畿説
九州説が妥当だと思うけどね。
あと、魏志倭人伝は壱岐対馬に関してはもの凄く正確だぞ。
目線が中国人だし、いい加減な記述じゃないよ。
537 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:44:14 ID:dEVmjvY90
>>528 さすがに当時一応先進レベルにあった(らしい)奴国と比して計6倍ほどの国を抱える余裕は
九州にはないんじゃないかと思うがどうよ?
近畿だってそこそこ未開拓だと思えば3倍ちょいの差はむしろ妥当じゃあないか。
陸行1月水行10日が、瀬戸内海の陸路海路にしか見えんのし。
きょうびディンギーだってうまくすれば時速20km近くでるんよ。
538 :
437:2007/12/14(金) 23:44:52 ID:aMZrzaRY0
「日出ずる国の天子」なんて書いて送ったっていうのはウソだよ;;
僕が煬帝に直接聞いたから間違いないよ;;
ゴマすりの美辞麗句ばかりだったって;;
539 :
533:2007/12/14(金) 23:44:57 ID:MnqyBb0u0
>>511 >本居宣長は、卑弥呼と天皇家の関係を否定している。
「大和朝廷は中国に朝貢するはずがない」という皇国史観だから・・
邪馬台国をどげんかせんといかん
542 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:45:14 ID:cAglEEfO0
だから、中国の記録に残っている邪馬台国と
畿内説の邪馬台国は、同時期の別国でいいんじゃないの?
巫女と国王がつがいで治めるなんて珍しいことじゃないし。
>>537 でも、瀬戸内クルージングの旅をしたなら、
ぜったい吉備の国には寄ってくと思うんだけどなぁ。
あそこもけっこう美味しいものあるっしょ?
隋だの唐だのは領土は広いが常に騎馬民族と戦っているような状態で、
海の向こうの、別に攻めてくるわけでもない日本をどうにかしようなんて思わなかっただろう。
技術的にも大軍で海を渡るのは不可能なのは日本も中国も分かっていたと思われ。半島経由なら別だが。
545 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:47:02 ID:dtp1DaB80
福岡の山門あたりに邪馬台国があったが後に畿内の勢力に滅ぼされた
中国との外交権を継承するために、畿内が「ヤマト」を名乗るようになった
これが真相だろうね
でも山門から有明海を渡って熊本に上陸し、白川を溯って五ヶ瀬川に入れば高千穂に着く
天孫降臨の地が山門からの逃亡ルート?の途中にあるんだよな
>>524 > 位置関係がデタラメな文書を前提に畿内か九州かと争うのはどうかという気がしちゃうんだよね。
「完全にデタラメ」なのはありえないだろ。
曲がりなりにも「貴方たちの国の手下になります」という関係を結ぶんだから、
「自分たちはどこそこのあたりにある国です」という自己申請で完全なデタラメをいえるわけがない。
万が一の時は守ってください、その代わり、朝貢しますんで、って関係なんだから、
所在地を口からでまかせ言えるわけがない。
ただし、先にも言った通り、自分たちの国の存亡に掛かるわけだから、完全に正確に教えるわけに行かない。
魏には守ってもらえても、魏を呉が滅ぼされたら「親分は潰した、さあ手下を潰すか」って事になるんだから、
完全に正確な場所を教えるわけにも行かない。
だから、そこそこ正しく、そこそこ間違いなところを申請したり記載させたりするわけだよ。
魏の使者に突っ込まれたら「ごめ〜ん☆てへ♪」で済ませられて、しかも
魏以外の国に存在を知られても正確な場所が割れないという具合の場所を。
>>535 距離と方角はいいかげんでも、国を間違ったりはしないってこと。
548 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:49:03 ID:q89vQptO0
>>423 つーか、掘ってないところに邪馬台国あったんじゃない?
なんで平野ばかり掘るのだろう。
日本元来の宗教は、山岳宗教。
邪馬台国の卑弥呼も、山岳宗教の巫女だろ。
宗教国家であった邪馬台国は、山の中だろ。
天孫族が畿内に移ったのは、熊襲族や隼人族に圧迫されたからなの?
>>539 違う違う、対等ってのは「日出づる国」とかそういう装飾表現じゃない。
日出る所の「天子」、日没するところの「天子」に書を「致す」
このカッコで括ったところだよ、「タメ口」のポイントは。
551 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:50:09 ID:+rz1tVNy0
中国の使者は卑弥呼(かトヨ)に会ったはず。
デタラメなはずはないよ。
>>542 ちょっとまった。卑弥呼からまだ話は続いてるんだよ。ちゃんと読んだのか?
553 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:50:23 ID:dEVmjvY90
>>543 今のうまいものが昔もあると思っちゃいけねえ。
近世以前の漁業農業技術は人間と天候に左右されまくりだからね。
今もそうだけど。
補給地点としてあるいは国として記述してもいいとは思うんだよな、吉備。
投馬国に比定したら出雲が浮くし、なにより北九州から出雲まで20日かからんはずだ。
554 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:50:56 ID:uXFzyvtV0
>>544 隋も唐もその騎馬民族を従えて成立した国だよ。
特に唐なんて支那の歴史でも稀にみる安定王朝だ。
その唐の皇帝に向かって席順が気に入らないから変えろ!と大伴古磨呂のような大和朝廷の臣が怒鳴れるほどの勢力だったんだよ。
今で言うとアメリカのセレモニーでブッシュ大統領に向かって席順を変えろ!と高村外務大臣が怒鳴るようなものだ。
想像できるだろ?
555 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:50:57 ID:6mLbhMdM0
//
/ / パカッ
/ /
/ ∩∧_,,∧ 呼んだニカ?
/ .|<ヽ`∀´>_
//.| ヽ/
" ̄ ̄ ̄ ̄ヽ_つ
宇佐神宮の境内に埋まっているという石棺を見たいものだ。
>>550 いや、同じことだよ
それを誰が書いたのかが問題
聖徳太子が実在していてそれを書いたのか
それとも全くの別人物か
558 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:52:19 ID:vEjobf9s0
>>508 邪馬台国が大和朝廷ではありえない理由は、
言い尽くされたことながら、記紀の編集者が今では失われた多数の歴史的資料を
前にしながら、結局、卑弥呼が誰だか分からなかったという事こそ、
第一に挙げられるべきだと思うよ。
書記を読めば、一書にいわく、といちいち書いてあり、実際に多数の
資料を持っていたことが分かる。もちろん、天皇家に伝わる伝承も数々あったろう。
が、結局、卑弥呼が分からない。
それはどう考えてもおかしい。
もっとも、(記紀の編集者は気づかなかったが)箸墓古墳のモモソヒメは卑弥呼の
反映だと思うけどね。
モモソヒメは、わけの分からない理由で自ら下半身を箸で突いて死ぬ巫女。
戦乱のうちに死んだ(殺された)とされる卑弥呼(たぶんトヨとも同一視されてる)
を殺した側が記録したら、そんな感じになるのではないか?
それにしても、箸墓は実質的な初代天皇である崇神天皇の墓だと思うが、
それを押しのけて卑弥呼の反映した伝承的人物の墓になっているあたりが、
卑弥呼の生前の権勢を表していると思われる。
559 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:52:28 ID:+rz1tVNy0
卑弥呼から贈られた宝物も結構な物だし。
真珠千個?とか、今じゃ普通でも、当時天然ものだと大変だろう。
>>557 俺は「聖徳太子って誰?」じゃなくて「いつ対等外交したの?」に答えてるんだが。
562 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:54:22 ID:ToY2ZD/+0
>>546-547 状況証拠で補強してるから間違いないということなんだろうけど、「距離と方角は
いいかげん」なのに「国を間違」えないというのは、金星のあるはずの場所に火星
があることになってても問題ないと言われてるように思えてしまうんですよ。
ええ、所詮は素人の戯れ言なんですけどね・・・。
>>553 うん。
瀬戸内ルートにしろ出雲経由にしろ、100里とか20日も
記述するべき国がないクソ田舎だったってのが変な気がする。
中国地方はもっと豊穣なイメージなんだけどな。
真珠は5000だったとおも。
565 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:56:05 ID:klcwu1bJ0
残念だが、文献的価値で言えば、
中国の文書>>>>紀記
文字のない時代を経て数百年後に作られた妄想の入った紀記より
ある程度第三者の視点からある程度同時期に見ている中国の東夷伝
のほうがまだ信用はおける。
だが、結局実証は発掘されたものや発掘されたものの文化圏を良く調べるしかない。
実際に、畿内と九州では、銅鐸、銅鏡と銅矛等で文化圏が違っているし、その上で
文献を当てはめてみる他ない。
畿内と九州はある程度別の文化圏だったと考えられるし、それぞれ強大な文化圏
だったと考えるべき。
天皇との関係は、はっきり言って、それが確定できた後だ。だから欠史八大は
別の観点から探ったほうが良い。卑弥呼が神攻皇后だったとかはそれすら、何も根拠もなく
無理やりそうであったに違いないから始まった空論としか、現在の説明ではそうとしか
考えられない。(別に個人的には卑弥呼と天皇が関係あろうがなかろうが、それはどうでも良い。)
>>547 実は、どっちも正しいんじゃないんじゃないかな。
文章だけで、外国の地理を表してるんだよ。
当然、ぐるぐる周遊したにきまってるじゃん。
また、山道を行けば、日数もかかる。
この際、距離はあんまり意味がない。
大事なのは方角だよ。
>>556 宇佐神宮の「姫大神」は、皇室の祖廟だから発掘は許されないでしょ。
わたしは、あそこの地下に伽耶の皇女・伽耶成美が埋葬されてると見るが。
>>560 それならこのディスカッションは無効だな
そもそもの問題提起が「聖徳太子が対等外交した」という書き込みに対するものだから
569 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:57:28 ID:cAglEEfO0
>>552 続いてるって?
トヨになった時点で記録がなくなっちゃうから
特定できないでいるんじゃなかったの?
570 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:58:02 ID:uXFzyvtV0
>>563 おっしゃるとおり。
畿内はもちろん中国地方も九州をはるかに上回る集落跡地や古墳群が発掘されている。
大宰府がそうだったように、魏の使者である張政も九州の迎賓館で留め置かれたんでしょうよ。
邪馬台国の首都は極秘だったのでしょうね。
571 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:58:48 ID:dEVmjvY90
>>562 さすがにそれは現代人の品質感覚じゃないかなっておもうんだ。
距離だって大まかにしか言ってないが、逆に言えばその程度で行けるともとれるしな。
>>563 魏志倭人伝に載ってる大量の小国らしき国名が相当するなら一応説明は付くけど。
それも無理くりな比定にすぎんしねえ。
韓国
573 :
437:2007/12/14(金) 23:59:40 ID:aMZrzaRY0
天武天皇「戦乱後の不満を抑えるためだ。朝廷は隋と対等外交した程の強勢を持つ。と触れ回れ」
重臣「聖徳太子と日出ずる国の天子、という架空の事実二本立てで如何でしょう」
天武天皇「うむ、おk」
天武天皇に聞いたから間違いないよ;; ホントだって;;
574 :
名無しさん@八周年:2007/12/14(金) 23:59:42 ID:m4VTYYEV0
たとえ何らかの証拠が出てきても論戦で勝利し事実を曲げる
ってことか
>>570 なるほど、そこで接待されつつ「倭国公式ガイドブック」かなんかもらって
帰ったのかw
>>562 「あえて精度を悪化させる」ことを「デタラメ」とは言わないと思うぞ。
577 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:01:33 ID:qiY2MuLS0
578 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:02:02 ID:9ZolIE7v0
>>558 いやいや三輪→河内→継体と血統の連続性はどうか分からんが
相当な混乱伝承の欠落があったんじゃね?
別に卑弥呼のことだけじゃなく、神武と崇神両方に「初代天皇」の称号贈ったり
応神に神武と同じ東征ルート行かせたりの
(端から見たら混乱しているかのような)記述もあるw
579 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:02:05 ID:SUm7T3+EO
>>476 同一人物であっても内部と外部で伝達された情報が違えば、後の人間に特定できるかわからない。
江戸期の大名の家系でも戦国時代の先祖の伝承が混乱し、一人の人物が二人の別人となってたりとかある。
通称がよく変わったり複数あるのが当たり前の時代だったせいだけどね。それが
複数の文献などに現れ同一人物として認識されなかった。
580 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:02:26 ID:4UjimJOW0
>>570 そう考えると、わざわざ伊都国が存在する理由がはっきりしてくるんだよなあ。
九州に本拠地があったらあんな首都至近に無駄に人と物をためないだろうし。
581 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:02:46 ID:vkULPwF90
>>565 記紀が中国の古文書より劣るなんてことはありえない。
ただ記述された時代にはまだ記紀の登場人物の子孫が勢力を持っていたからかなり脚色はされている。
例えば宇佐神宮を司祭する宇佐氏と朝鮮半島西部に拠点を持っていた和邇氏の戦争を因幡の白兎伝説のようにウサギ(宇佐氏)とサメ(ワニ=和邇氏)として偽獣化して記載している。
偽獣化してまでも記載するほどの熱意だ。
大筋は馬鹿にできない資料ではある。
582 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:02:57 ID:oh81aL+M0
桓武天皇の陵墓を壊して、明治天皇の陵墓を作ったんだろ
そして桓武天皇の陵墓に使われてた石棺の蓋の石はどこかの踏み台になってるらしいが
卑弥呼は「日御子」(天照大神の子孫=天皇)
なんだ引きこもりの子孫か。
>卑弥呼が神攻皇后だったとか
一応は書記につながりは書いてあるわな。事実かどうかは検証しようもないが。
否定も肯定のできないというのが正しい。
>>573 >天武天皇「うむ、おk」
どうやって隋の煬帝やらお抱え秘書官を納得させたんだよ、天武w
>>575 >倭国公式ガイドブック
その言い方やめれwwww
>>581 さすがにあの当時の中国の古文書なら、記紀よりは上だろ。
で、福岡県のどこら辺ば邪馬台国にすっとね。
587 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:06:11 ID:XWaOMB0F0
>>585 日本書紀は、海外向けの公式ガイドブックでしょ?
588 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:06:57 ID:Wd5S9Fzi0
畿内だったら 日没する国の位置は 京都府くらいだよ
発掘のアルバイトってどこで募集してますか?
>>583 そうだよ。引きこもって才能や質を磨きまくり、外の人間がたまたま見かけたときに
そのクォリティに驚愕して腰を抜かす、そういう伝統のある国だ。
日本の文化で、外国から評価されてるのは大概このパターン。
浮世絵にしても、マンガ・アニメにしても、最近だとケータイにしてもそうだな。
日本人はiPodを欲しがるが、外人はむしろケータイに驚くっていうぜ。
591 :
437:2007/12/15(土) 00:07:30 ID:OGf2xRZL0
僕だけしかマトモなこと言ってない;;
592 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:09:01 ID:vkULPwF90
>>585 いやそうでもないと思うぞ。
魏志倭人伝というのは俗称で正確には三国志魏書巻三十烏丸鮮卑東夷伝倭人条ですよ。
要するに「烏丸族・鮮卑族・その他東の蛮族等」って事。
他の民族の記載を見ても正確性に欠けるようだ。
それに書かれたのが3世紀末。
かなり年月が経ってる。
>>591 俺も支持してやるって。どの推測よりシンプルで無駄はない。
もうディズニーランドでいいだろw
千葉でおk
596 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:10:20 ID:uFgKnH+k0
でもねえ、ぶっちゃけた話、邪馬台国論争なんて
昔日の盛り上がりはもう無いよなw
昔なら学校のクラスに一人ぐらい邪馬台国オタクがいたもんだがwww
>>596 そいつらが今ここに集ってんだろw
いやマジでw
確かに、30年ぐらい前はクラスに一人、少なく見ても学年に一人は
邪馬台国ヲタっていたよなぁ。
>>589 遺跡発掘のアルバイトは公募しないんじゃないか?
市の教育委員会の関係者か、大学なんかで非公式に募集する程度でしょ。
600 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:11:59 ID:hAD0h/Ng0
>>590 引きこもっていたというより日本内だけで
一つの文化圏を形成できるだけの国力があった
まあ江戸時代以降のことだが
601 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:12:02 ID:oh81aL+M0
筑紫地方の地名
↑
北
←西 夜須(夜) 花立山 朝倉(朝) 夜明け 日田(日) 天ケ瀬(天)
星野
南
↓
筑紫の地名は天空を表すんだが
>>590 引きこもりの原因が家族内DVってどうなのよ
ハニワ幻人は?
604 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:13:26 ID:YCjNYKTx0
wikipediaで宮内庁職員が九州説をぼろくそに批判してた
605 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:13:37 ID:4UjimJOW0
>>602 内乱で外へ手を出す余裕がなくなるのは、国レベルじゃ結構ポピュラーだがどうかしたか?
>>583 卑弥呼と天照大神は全く関係ない。
そもそも邪馬台国と現在の日本の系統には繋がりがない。
邪馬台国自体は自然消滅したし。
607 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:14:01 ID:qiY2MuLS0
>>596 多分、任那日本府を否定しようと言う雰囲気が出来たからじゃないの?
史実を史実と言えないんじゃ、話にならん。
608 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:14:33 ID:Mk2FcrdOO
間とって岡山な
609 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:15:16 ID:oh81aL+M0
桓武天皇は呪われてたらしいからな、
現代に不幸を招かないよう当然の扱いだろう。
>>602 DVっつーより、身内があまりにDQNだっただけだからなぁ。
想像してみ?美人聡明、他人からの人気も信奉も厚い
火の打ち所のない美人女子大生なのに、
弟がケンタのゴキブリフライや、バーミヤンのゴキブリラーメン見たいな
DQN自慢やらやらかしたら、そりゃ引きこもるに決まってるだろw
、
612 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:16:04 ID:vkULPwF90
>>606 なぜ?
卑弥呼=天照大神とすれば魏志倭人伝と記紀のつながりが見えるよ。
例えば魏志倭人伝の「倭国大乱」。
これを記紀に見れば「スサノオ大暴れの巻」。
あまりにも一致する部分が多い。
613 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:16:25 ID:Y/htqSMs0
宇佐八幡をがんがん発掘しろよ
甕棺とかいろいろ出てくるぞ
615 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:17:14 ID:uFgKnH+k0
>>607 もっと単純な理由だべ?
文献学的には百家争鳴でもう煮詰まった所へ
考古学的に巻向の出現で一気に畿内説に傾いて
みーんなのモチベーションが下がったとwwwwww
616 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:17:26 ID:4UjimJOW0
>>612 そこは神武東征をあてておくべきだろせめて
617 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:17:38 ID:dorK0DK90
宇佐八幡の被葬者は男だってよ。
霊能者が言ってたから間違いない。
618 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:17:40 ID:nNjeOMN00
邪馬台国は九州だろ。
620 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:19:57 ID:VScwTBjtO
どっちも邪馬台国ってことでいいんじゃないの?
九州から畿内に移動したってことで
621 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:20:42 ID:VrwX2h1TO
>>606 そうそう。
邪馬台国は、天皇家とは別王朝の全く違う文化圏。
出雲王朝も別王朝の先住民族。邪馬台国人なんて先住民の先住民の先住・・
って感じじゃないか。今の日本人とはあんま関係ないよ。
中国では邪馬台国=大和が主流だな
天皇は中国の手下だったと主張したいからな
623 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:20:59 ID:sF98yy5P0
絶対名古屋
624 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:21:27 ID:XgKiUX1H0
のちの奈良県である。
625 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:21:51 ID:+aoUeG+z0
なるほど・・・
最古の巨大前方後円墳が箸墓古墳であることから、箸墓は卑弥呼の墓
ではないかとする見方がある。
箸墓古墳の後円部の大きさは直径約160mであり、「魏志倭人伝」の
「卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」の記述に一致している
なんかこう、飛躍が欲しい。
「実は奈良県は九州にあった!」とか。
628 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:23:59 ID:U3zLKApJ0
近畿地方で見つかってる物的資料は大和朝廷が九州侵略時に強奪したものじゃないの
隼人を拉致して奴隷にしていたことだし
629 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:24:12 ID:juDrf6RZ0
九州説は全てにおいて無理がある
630 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:25:06 ID:vkULPwF90
>>616 おそらく倭国大乱=スサノオの乱で卑弥呼の統治する邪馬台国は九州に遷都したのでしょう。
そしてスサノオの乱は平定されたがまだ国内の動揺は収まりきらず新興勢力が現われ(大国主の命が建国した出雲国など)畿内に帰ることはできなかった。
卑弥呼が死去し壱与が即位しそして神武帝の時代になってやっと畿内に帰る準備が整い東征にあいなった。
そう考えれば吉野の勢力が神武帝に協力した理由もわかる。
かつては大和に位置した王朝だったからこそ畿内に東征してきた神武帝を支援する勢力が存在したという理由になるからね。
632 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:27:22 ID:oh81aL+M0
福岡と奈良には同じ地名と同じ方角に同じような物が存在する
両方に長年住んでた俺には、奇妙に思えた
633 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:28:09 ID:4UjimJOW0
>>630 その時間経過だと、神功皇后までが短すぎてしまう。
七支刀が370年ごろに来たのはほぼ確実だろうし。
634 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:28:23 ID:XWaOMB0F0
>>627 実は日本は浮遊島だった!! とかどうよ?
635 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:28:50 ID:SUm7T3+EO
>>469 奈良時代以前に地名が変わった事が伝承されていたりする所もある。もちろんそ
れ以後も幾らでもある。
また、今の大阪は地質調査で四、五世紀頃は河内湖、更に古くは河内湾だった事
が分かっている。神武東遷において、湾だった頃の地形が書かれていて調査結果
と一致した。
現存の地名や地形だけではわからない事もある。
因みに、今の宇治は応神天皇の頃まで「許(コ)の国」と呼ばれ、その地に宮を
造った皇子の名に因み「ウジ」と変わった(山城国風土記逸文)。この「許の国」
が「狗奴国(狗奴=コノ)」ではないかと言う人もいる。
治安の維持から始めたら良いんじゃないのかな?
>>627 ・卑弥呼は男だった!
・卑弥呼とイヨはスールの契りを交わしていた!
いやむしろ百合ップルというかレズっぷr(ry
・・・だめかorz
638 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:30:16 ID:vkULPwF90
>>628 それを言い出したら畿内から出土する青銅器は分析すると特殊な鉛が含まれていて、その鉛は周王朝の青銅器と同じだという事実は、倭国が中国に遠征して簒奪したものって事になる。
やはり中心勢力があったからこそ全国の物が集積されたとみるのが自然だと思う。
ちなみに周王朝の青銅器がどうして日本に伝承されたかは周→呉→日本と人が流れたという証拠ではある。
>>635 ちょっとお隣の国的こじつけのように見える。
640 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:31:24 ID:U3zLKApJ0
>>632 明治維新後に官軍(薩長)が各地で今で言う知事になって出身地名付けたって聞いたことあるよ
>>629 九州王朝遷都説と、邪馬台国九州説は別なんだよね。
邪馬台国は良い国なんだから、九州に有ったとするのは難しい。
でも九州に有った王朝が、我が侭言って、大和に侵略してきたのなら、
それはあり得ると思う。
だから、遷都の証拠を幾ら挙げても、邪馬台国=九州にはならないんだよね。
642 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:33:11 ID:U/OqWuKvO
不弥国=現在の飯塚市付近じゃないかな
邪馬台幻想記は良かったな、横ちちが
644 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:35:56 ID:hAD0h/Ng0
645 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:36:12 ID:oh81aL+M0
646 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:38:14 ID:SUm7T3+EO
あと、神話は歴史と違い時系列が無く伝承過程で様々な時代の「記憶」が混入す
る。神話だから古いとは限らない。同じ話の中に千年違いの「記憶」が入ってい
ても不思議ではない。
647 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:38:26 ID:juDrf6RZ0
ヤマタイ=ヤマト
は妄想?
>>638 勾玉は、そう考えられてきたんだけど、新潟の翡翠鉱床発見と、
平成に入ってからのX線解析分析によって、日本の前史時代の
勾玉は殆ど(大陸で発見された勾玉も含め)、日本の姫川産って
はっきりしてる。
つまり、中国南部から日本の技術流入も沢山あったんだろうけど、
逆に日本から中国への物流も有ったことははっきりしてるし、前史時代の
勾玉文化が中国に渡ってる点からみても、九州は貿易拠点としての
発展以上の証拠がない。
仮に九州に日本を代表するような文化が有ったとしてた、新潟の勾玉文化が
中国南部に伝わった理由が難しくなる。
649 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:42:41 ID:72cekF530
>>644 荒神谷遺跡が発見されるまでは、
出雲伝説は神話で事実は反映されてないと考古学者は主張していたな(^o^)
>>648 ヒスイの国のお姫様(奴奈川)はオオクニヌシと結婚したもんな。
中国南部のやつはミャンマーだかどっかの産じゃないの?
651 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:43:39 ID:oh81aL+M0
>>649 いや、史学者が何故か考古学に口をはさむのが日本の駄目なところ。
文系に発言権を持たせると、事実が歪む。
654 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:45:23 ID:juDrf6RZ0
655 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:45:30 ID:HuUu6VKE0
いまは、邪馬台国東遷説は少数派だと思うな。
邪馬台国・マキムク(のちの大和朝廷)並存から大和朝廷による統一が
主流だと思う。
また、大和朝廷は書記にも記載されているように九州の出身で
間接的には邪馬台国ともつながりがあったと思われる。
それと、邪馬台国と同一視されることを自ら望み、それだけじゃなく、
卑弥呼の鏡とも言われる景初3年の鏡を偽造し周辺国に配ることさえ
行った。
たぶん、日本を統治するうえで、高天原の神々との系譜を名乗ることが重要であり、
そのため打倒した卑弥呼の系譜を引き継ぐことが必要だったんだろう。
656 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:47:02 ID:D2YDwiMT0
畿内説支持。
たかだか3年で立証できるならとっくの昔に誰かが立証してっるっしょ。
つまり、3年で立証は無理で一時の注目を浴びるだけ。
よってこれは観光誘致のための県の広報活動っしょ。
658 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:47:10 ID:lfiiTnFM0
>>652 陳寿は邪馬壱国と書いてるが、あれは本当に間違えだったのか?
>>649 でもさ、山陰だとか出雲だとか、随分と縁起の悪いっていうか
あてつけがましい悪い名前を付けられたもんだよな。
やっぱあれかね、キリスト教の布教の際に、各地の土着の神が悪魔にされたみたいに、
当時の偉大な国をそれだけクソ縁起悪い名前にヤマトに付け替えられたんかね?
それ考えたら「四国」ってどれだけのことをやらかしたんだかっていう話になるが。
いくらなんでも「死国」と音が同じになるようなのをおいそれとつけるとは・・・。
>>650 だと思われてたんだって、で、日本の勾玉もその文化が入った揉んだと思われてたんだけど、
大和朝廷が確立するより昔に作られたと中国でも考えられる勾玉は日本産で、日本では
大和朝廷と成立と前後して、勾玉と姫川の鉱床が封印され忘れ去られて、中国では
もう少し時代が下るまで、翡翠の産地をミャンマーなど別に変えて作られ続けたそうだ。
ようは、大和朝廷侵略の結果、焦土作戦が行われたって言うことだね。
邪魔台国て書こうとしたんじゃw
662 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:48:12 ID:TrYpac9B0
異国と交易するなら九州に国があるほうが便利なんじゃね?
普通に考えてインフラ整備されてない古代に畿内は山に囲まれて不便すぎだろ。
663 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:49:24 ID:PzVCbsD5O
卑弥呼は三輪山の巫女。古代史の鍵を握るのは大神一族。
664 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:49:30 ID:qiY2MuLS0
>>648 意味が分からんけど、貿易拠点なら十分だろ。
九州説を否定する根拠にもならんだろ。
665 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:49:38 ID:CXSpFtcEO
素直に読むと卑弥呼=天照大御神だと思う。
でも、徳川家康が源氏の末裔とか、ロシア皇帝が東ローマ帝国皇帝の継承者とかいう主張をしてたし。
記紀が書かれた当時、卑弥呼の権威が世の中に残っていれば、皇室が継承者であると主張する必要があっ
たかもしれない。
もしそうなら、当時の朝廷は継承を否定する証拠、文書、人物を弾圧したり破壊したかもしれんね。
666 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:50:16 ID:w/wASHeT0
関裕二を前面に押し立てて争え
667 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:50:19 ID:gbqJmBzLO
フフフ…
真実は…
ヤマタイ→ヤマンタイ→八幡平
668 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:50:27 ID:SUm7T3+EO
>>549 田舎領主じゃいつまでたってもうだつが上がらないから新天地で旗揚げしよう、
と東遷した。
669 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:50:31 ID:vkULPwF90
>>662 逆に天然の要害とも言えるよね。
誰もが飛鳥を訪れれば懐かしい安らかな気持ちになれるのは我々の遺伝子に太古の記憶が残っているからだろう。
>>662 ワシントンDCとニューヨーク、キャンベラとシドニー/メルボルンの関係のように、
「政治の中心」と「経済交易の中心」が分けられて運用されていたのかも知れんなとか思ってみたり。
>>664 千葉県成田市が、日本の首都だって言うくらい暴論って言う話。
672 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:51:41 ID:4UjimJOW0
>>658 壱になっているのは写本で、その前のものに基づく資料は台(字体勘弁)という説もある。
>>662 それが伊都国の役割だと思う俺。
首都が近ければ必要ないシナ。
スマン前から疑問に思ってたんだが、ち
ところで中国は蓬莱国についてどういう理解してるの?
教えてエロイ人。
674 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:52:54 ID:72cekF530
>>669 >誰もが飛鳥を訪れれば懐かしい安らかな気持ちになれる
↑
こんな人間いねー(^o^)
675 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:52:57 ID:qiY2MuLS0
西日本は広すぎるんだよ。通信輸送、指揮系統のシステムが、古墳時代初めに西日本全体に渡っていたとは思えん。
奈良時代にやっと東国だぞ。
676 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:53:21 ID:SUm7T3+EO
>>554 唐は最盛期以外は不安定な王朝で、後期はチベットに長安落とされたり軍閥が割拠したりしてる。
677 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:53:37 ID:uFgKnH+k0
>>655 >そのため打倒した卑弥呼の系譜を引き継ぐことが必要だったんだろう。
関裕二読んでませんか?w
そもそも邪馬台国なんて存在したのだろうか
679 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:55:15 ID:aX65wsE80
なにこのスレROMるだけでもそうとう面白いんだが
680 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:55:23 ID:qiY2MuLS0
>>6781 たとえになってないと思うけど。
近畿説の傍証にもならんし。どこを指し示す物でもない。
681 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:55:55 ID:XWaOMB0F0
>>679 ロマンがあるよね。
で、夢中になって論じている人も、夢があるよね。
682 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:55:57 ID:hAD0h/Ng0
関裕二説は正解に近いと思っているんだが
説のどこらへんが弱点なの、教えてエロイ人
>>660 ありがとう。そうなのか。
姫川周辺なんて今じゃド田舎なのに、当時は東アジア一帯に伝わる
産地だったてのがすごいな。
オオクニヌシがわざわざ出かけていってプロポーズするわけだ。
684 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 00:56:59 ID:lfiiTnFM0
>>675 縄文時代の黒曜石(大分の姫島産)が各地に伝播していることから見て、
完全ではないもののある程度の航路や陸路は形成されつつあったとは思うよ。
>>683 やっぱ、オオクニヌシの国が「山陰」とか「出雲」みたいな
悪い名前つか縁起悪い名前を付けられたのは、ヤマトの国の連中による逆恨みなんかね?
雲が出る国なんて、「死の国」って言ってるようなもんだろ。
しかし今北九州説の学者はけっこう貴重な存在なんだなw知らんかった
俺の通ってた大学の史学科の先生多分全員北九州説だわ、ウヨ大だし
687 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:00:02 ID:qiY2MuLS0
>>684 文化や物の伝播は時間が掛かってもいいからね。
国家、軍隊の指揮系統はそうはいかない。
それなりの運搬手段がないと。
くだらないよな。
ここだあそこだ言っても数十年たてば新候補地や新説が出てきて
その数十年先にはまたそれも覆されてって・・・
虚しくならないのかな?
689 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:00:29 ID:SUm7T3+EO
>>536 連合国家なら畿内から半島への出兵が神功皇后の一回だけでも不思議ではない。
徳川幕府は薩摩の琉球出兵に許可を与えたが、出兵はしなかった。近い国が出兵すればいい。
690 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:00:40 ID:gbqJmBzLO
邪馬台国は今の八幡平だって。
騙されたと思って掘ってみなって!
691 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:02:48 ID:QMK0Hb430
692 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:03:33 ID:SUm7T3+EO
>>536 あと、昭和の戦争でも歩兵だけで中国大陸往復を多数の犠牲をだしたがやってのけた。
昔の人の足腰を馬鹿にするもんじゃない。
693 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:04:00 ID:TrYpac9B0
大陸の戦乱から逃れてきた大量の難民が九州に流れ着く。
↓
難民の子孫が弥生人となり九州で邪馬台国を建国。
↓
邪馬台国の王(天皇の祖)が国生み神話を創作し、本州の正統な支配者と名乗る。
↓
縄文人の末裔が支配していた畿内へ東征して大和王朝を樹立。
※こんな感じじゃないのか?
694 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:04:03 ID:uFgKnH+k0
まあ九州で吉野ヶ里ぐらいの規模で、かつ、邪馬台国と年代が一致する
遺跡が見つかれば一気に形勢逆転するんだろうが・・・
695 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:04:17 ID:CXSpFtcEO
>>677 「王朝や貴人の末裔を名乗って正当性を主張する」
という構造は歴史上山ほどある。
○徳川家康:源氏
○ロシア帝国:東ローマ
○劉備:漢王朝
>>688 4回生になっていざ卒論ってときにようやく気付きました
史学の学者っていろんな意味ですごいな、と思った
邪馬台国は九州にあったよ。ホントだよ。
698 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:06:06 ID:qiY2MuLS0
>>689 戦国時代とは状況が違うし。
しかも半島出兵は、若干時代がずれるが、三国史記や好太王碑では、常時やってるしね。
軍隊だって、地方政権の負担じゃ大きすぎる。
一体、どこに指揮所があって、どういう手段を使って軍隊の輸送、通信指揮をやってのか。
九州に中央指揮所があったと考えるのが自然だと思うが。
>>695 アメリカも「俺たちはローマ帝国の後継」を自称してるんだそうだ。
700 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:07:18 ID:I4iSq4I20
難民なんかよわっちぃよ。縄文人のほうが絶対強い。
701 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:09:40 ID:4UjimJOW0
>>698 逆に九州を疲弊させるための活動という線はないだろうか。
薩摩を参勤交代させるようなもんだ。
九州に本拠地があるなら、敵が近いのにわざわざ体力の浪費なぞさせんと。
指揮所は奈良に、命令は人が文書もって行くのは近世以前じゃ普通だよ。
702 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:11:09 ID:qiY2MuLS0
>>698に付け加えると、
道路が整備されて、駅や早馬の制度が整備されるのが、飛鳥〜奈良時代。
この辺りでやっと西日本が統一されたんだじゃないのかねえ。
703 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:11:51 ID:vtBEpPyS0
もううっとしいから埼玉でいいよ
704 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:12:09 ID:I4iSq4I20
鉄がとれたんでそ
705 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:12:58 ID:uFgKnH+k0
>>703 卑弥呼が「サイタマ!サイタマ!」と言って踊るのかw
706 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:13:14 ID:byvyVIQkO
参戦すな
707 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:13:38 ID:qiY2MuLS0
>>701 その為には、近畿の軍隊が、九州を制圧できるという前提が認められていなければならないけどね。
いくらなんでも、弥生末期、古墳時代初期には無理でしょ。馬がなかったでしょ。
708 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:13:45 ID:SUm7T3+EO
>>675 だから、室町時代前期まで太宰府が衰退しながらも機能してたんだよ。
709 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:16:11 ID:uFgKnH+k0
>>707 だからこそ軍事的行き詰まりの解消を外交に求めたのでは?
710 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:17:03 ID:i55kKJzUO
>>164,263
期待を裏切らないレスありがとう。
「死ねぇっ!!」
711 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:17:08 ID:4UjimJOW0
>>707 記紀の神武東征を信じるなら、畿内勢力の大本は北九州出身で瀬戸内海は制圧済みとも取れないか。
古墳時代中期にゃ馬具副葬品が出てるようだが駄目かね。
712 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:17:38 ID:SUm7T3+EO
>>653 考古学はクロスオーバーな学問だよ。文系だ理系だ言っている奴が一番ダメ。
713 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:18:04 ID:juDrf6RZ0
家康の場合堂々とインチキやってるけどな
714 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:19:51 ID:qiY2MuLS0
>>709 なんのこっちゃか。
宋書の武の上表文だって、「自ら甲冑を貫き、・・・渡りて海北を平ぐる」だからね。近畿とはおもえんよ。
自ら九州まで行って、朝鮮に渡ったのか?
そんな余裕はないと思うが。東国は未開の地だし。
>>712 史学者(文系)が駄目って話をしてる。
奴らの論拠は、だって書いてあるもん。だから。
朝日新聞を信じる奴が史学者。
>>712 虫の糞を古代米とか言うのが考古学だな。
717 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:21:10 ID:E3YKcsiI0
西日本には瀬戸内海という移動手段があるだろ。
大阪の難波宮は都だったけど、奈良に都が移っても
副都として海に近い難波宮は栄えてたらしいぞ。
出先機関みたいな感じで。 白村江のあとだっけ?
大陸から攻められるのにビビって、奈良より内陸の京都に移ったのは。
718 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:21:25 ID:SUm7T3+EO
719 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:22:52 ID:4UjimJOW0
>>714 近畿は東国じゃないだろう。
瀬戸内海が海上交通路として機能していたのは遺物を見ても明らかじゃないか。
こんな時間にこんなスレ見つけたもんだから寝れない・・・明日休みでよかった
今ID赤い人たち史学科卒?・・・じゃなかったら俺立場ねえなあ
721 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:23:26 ID:vkULPwF90
>>714 日本人は呉の遺臣だから海軍力には自信があったのでしょう。
瀬戸内海という大動脈があったからこそ畿内を拠点に九州から半島まで勢力圏内におけたわけで。
むしろ陸路の東国の方が平定に苦労した感があるのはそういうことでしょう。
>>720 とりあえず、高校生や中学生には是非読んで欲しいスレだと思う。
「歴史」ってもののもう一つの見方を学んで欲しい。
723 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:26:59 ID:SUm7T3+EO
>>698 三国史記にある倭の出兵は全て大規模なものなのか?疲弊する程の数なのか?期間はどれだけなのか?軍勢の内容は?
倭の中心地は朝鮮半島の高句麗にあり、それが騎馬民族の移動により
次第に南下して最後は伽耶の地に逃れた。
その皇女の伽耶成美が、天照大御神であり宇佐神宮の姫大神だろう。
だが、彼女は女王でもないし卑弥呼でもない。
祭祀の主としての女王であり、魏志倭人伝の時代を遡ること1世紀前に亡くなっている。
卑弥呼に比定出来る人物は、記紀の神功皇后じゃない?
725 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:27:31 ID:juDrf6RZ0
確かに歴史ヲタのスレは一通り読むだけで
賢くなる
726 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:28:30 ID:CXSpFtcEO
たしかに太宰府にしろ宇佐神宮にしろ、朝廷の九州に対する意識は平安期まで異様に強いよな。
それも、単なる統治問題より皇室と直接絡む問題や懸念が多すぎ。
727 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:29:16 ID:vkULPwF90
倭国大乱=スサノオの乱の裏にはどうも三国時代の呉が絡んでると俺は睨んでる。
邪馬台国が魏と同盟関係になれば呉は東海上から脅かされる。
あの国がそれを黙って指をくわえ見てるはずがないと思う。
おそらくスサノオと呉は同盟を結び反乱を起こしたんじゃないかな?
策は当り邪馬台国は海上から魏を援護することはできなくなった。
神武帝の東征の時も河内湾で神武帝軍を待ち伏せ攻撃したスネナガヒコは体型といい強力な弩を使う戦法といいどうも呉の傭兵のような気がする。
728 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:29:32 ID:4UjimJOW0
729 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:30:13 ID:qiY2MuLS0
>>721 それは歴史時代通じてそうだけどさ、それが、弥生時代にあったのかって事だよね。
魏志倭人伝にも瀬戸内海らしい記述はないし。
一旦、九州に上陸して移動してるでしょ。変だよね、目的地が近畿なら。
また、伊都国に止まったのなら、松浦当たりに上陸するってのも変だし、直接伊都国にいけばいいでしょ。
九州上陸 → 九州内部に目指す王都があった。(「倭国に詣で」と書いてあるし)
あるいは、関門海峡を船で通れなかった(じゃあ、軍隊も通れない)
730 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:30:19 ID:uFgKnH+k0
>>726 今でも宮中行事に隼人舞と言うのがあってだな
隼人のご先祖サンの海幸彦が山幸彦にブザマに(ry
>>716 間違えれば訂正されるのが良いところ。
書いてる有るんだから、としか言わない奴よりまし。
732 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:33:09 ID:bJwJwZm40
/ ̄ ̄ ̄\
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \. とりあえず関東人は無関係だから帰れ
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
/ \
733 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:33:19 ID:vkULPwF90
>>729 先にも書いたけど、張政は九州の迎賓館に留め置かれて邪馬台国の首都まで直接行ってないんだよ。
平安時代も外国人は大宰府で留め置かれ国内には入れなかったでしょ?
魏・呉・蜀が争う戦乱の緊迫した国際状況では首都を極秘にするのも自然な事だと思うよ。
>>715 >史学者(文系)が駄目って話をしてる。
>奴らの論拠は、だって書いてあるもん。だから。
俺も自分で史料に即して論文(と言えるシロモノだったか別にして)書く段階でこの疑問にぶちあたった
でもチキンの俺はなんとなく怒られそうだからゼミの先生には質問せずに黙ってた
ほんと不毛な学問ですよ、歴史学は
735 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:35:04 ID:qiY2MuLS0
>>723 新羅の王城、金城を「倭兵にわかに至りて、金城を囲む」なんて記事が満載です。>三国史記
736 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:35:27 ID:4UjimJOW0
>>727 だから倭国大乱がスサノオだったら時系列合わなくなるっちゅうに。
呉を脅かすにしても国力が足りんよな。
>>729 松浦からなのは説明上の話として、あるものを並べて行っただけじゃないの?
あるいは良い港があったとか。
詳しい地理情報を知らされていなければ瀬戸内海が特別な内海だとわからんのじゃないか。
737 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:35:35 ID:iRonncpwO
おい、宇佐と箸墓で穴掘り対決すればいいんじゃね?
738 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:38:04 ID:4UjimJOW0
>>735 経路も人数も期間も全部アバウトだったり?
739 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:39:28 ID:5LPby/d30
やまと、やまと
740 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:40:27 ID:qiY2MuLS0
>>733 テンシュらを使わし、「倭国に詣り、倭王に拝仮し」なんて書いてあるけどね。
張政を使わし、「難升米に拝仮せしめ」ともある。難升米に会ったのなら、倭王にも会ってるのでは。
741 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:41:17 ID:SUm7T3+EO
>>721 斎明天皇の時の安部比羅夫の奥羽遠征は海路。当時の越から出羽にかけては湿地
なども多く山のふもとは山賊まがいの蝦夷が出没する所で海路が安全。
多賀城から秋田城までの陸路が整備されたのは恵美押勝の時(計画と調査は二十年位前だったかな)。
新羅遠征前の国内整備の一つと思われる。
742 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:42:01 ID:D2YDwiMT0
優れた人の特徴は軽信性にある。
743 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:42:08 ID:XtrZfZx+O
邪馬台国は韓国が起源
744 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:43:20 ID:72cekF530
>>738 そりゃ何百年も後の記事だからな、どうしても正確さはかけるだろ。
記紀の出雲神話が昔は荒唐無稽のでたらめと言われていたが、
荒神谷遺跡の出現で歴史事実を反映していると言われ出したからな。
745 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:43:48 ID:uFgKnH+k0
でもここだけの話、邪馬台国が畿内でヤマト朝廷に繋がるとしたら
ロマンは半減か下手すりゃ皆無じゃね?w
あくまで「古代滅び去った幻の女王の治める王国」ってのが味噌でw
>>734 がんがれ!
おまいさんがいつの日か、日本史上の重大な謎を解き明かす日を待ってるぞ!
747 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:45:12 ID:SUm7T3+EO
>>714 東はどうなるんだw上表文読んだんだろ?
748 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:45:18 ID:CXSpFtcEO
邪馬台国幻想記と空色勾玉シリーズのせいか、美少女巫女がどうしても頭に浮かぶ。
濃尾平野に邪馬台国はあったんだよ
750 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:45:30 ID:vkULPwF90
>>736 まあ、かたや伝聞、かたや口伝なので時系列の狂いは大目にみる必要があるかと。
卑弥呼=天照大神、倭国大乱=スサノオの乱、早期平定、そしてまた大乱=大国主命絡みの乱などと当てはめていけばしっくりくる部分が多い。
それに白村江の戦をみてもわかるが統一王朝の唐を相手に独力で戦争できる力は日本にあったわけで。
統一王朝でもなく三国時代の呉相手なら勝てなくても悩ませる勢力にはなりえたと思う。
魏と同時侵攻すれば呉はひとたまりもなかったと思う。
だからこそ呉は先手を打って反邪馬台国勢力を利用し倭に大乱を起こしたわけじゃないかな?
751 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:47:33 ID:SUm7T3+EO
>>715 だったら君は文字を用いて意思を伝達する事をやめるべきだ。
>>746 院すすめられたけど正直ついていけなくて(あと史学といえば、就職も・・・)断りますた^p^
今はしがないリーマンです・・・歴史書や古典は好きで今も読みますがw
753 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:47:56 ID:CcHqw3Xf0
交通事故で入院したが、ベッドの上で古代の謎を解き明かしてみるか
>>750 まあ、卑弥呼=天照大神なら邪馬台国九州説はほぼ確定なんだけどね。
ただ、時代が合わないんだよね。卑弥呼=天照大神説は。
755 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:53:13 ID:4UjimJOW0
>>750 出土している鉄剣や銅剣は資料として結構信用できると思う。
神代の神話はあくまでも神話として、神武以降とは分けて欲しいと思うんだ。
上の話はそっちのほうがしっくりくると俺は思う。
ところで唐と戦争したときは負けた件について。
先生、国力足りてません!
756 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:53:38 ID:bJwJwZm40
/ ̄ ̄ ̄\
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \. どっちでもいいよ。西日本には変わりない。
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
/ \
757 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 01:54:12 ID:qiY2MuLS0
>>747 読んだんだろって、高校の教科書にあるだろ?
東北説ってのもあるんだろ?
>>745 俺は逆だなあ
自分が「古代滅び去った(と思われていた)幻の女王の治める王国」の末裔と考えたら
古代と自分がつながってる感じがして面白い
もし、卑弥呼が百襲姫で台与が豊鍬入姫だったら
卑弥呼が担っていた役割が伊勢神宮として現代まで続いてる事になるし
そういう想像をするとロマンに浸れる
>>754 神話は現実を反映してるだけであって
ある程度の嘘や誇張が含まれてると思えば
おかしくはないと思う。
神武天皇の幼名って確かサノのミコトでしょ。
どう考えてもスサノオとしか思えない。
邪馬台(九州)から東遷して大和(畿内)を建国したと。
761 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:02:47 ID:D2YDwiMT0
実在が確認できる最初の天皇は、雄略天皇ですか。
762 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:03:38 ID:4UjimJOW0
>>760 スサノオなら出雲平定でないと話がずれる。
サノも数ある幼名の一つだよ。
スサ、ならまだ説得力になったんだが。
763 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:03:54 ID:SUm7T3+EO
>>735 知ってるから聞いたんだ。それらには倭兵の詳細がないからね。状況から任那からの出兵もあると言う人もいる。
あと、古今東西の軍事を知らないと話にならない。日本の史学の弱点の一つだよ。俺もまだまだだがな。
764 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:04:31 ID:vkULPwF90
>>754 そうとは言えないよ。
天照大神がおわす高天の原を畿内に設定すればスサノオの乱によって乱れた国内を平定するのに鉄製品先進地域の九州に神武帝を遣わし地盤とさせる戦略もありえると思うし。
>>755 発掘調査を第一義に考えるのは賛成。
ただ神話も皇室に対し当たり障りのないように書かれてると考えればその部分を除いてエッセンスだけを抽出することで得られる情報はあると思うよ。
でないと記紀が編纂された意味がないと思う。
白村江の戦は戦術的失敗による大敗であって、決して国力が劣っていたわけじゃないと思うよ。
唐がなぜ百済を攻めたかといえば高句麗に苦戦していたからであって、その高句麗相手に倭国は対等に戦っていた記録から考えれば唐とは軍事力の面でそう遜色はないと思う。
確かに大陸でまともに戦えばひとたまりもないけど、遠征軍相手ならそう捨てたモンじゃないと思うよ。
765 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:07:37 ID:SUm7T3+EO
766 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:08:01 ID:qiY2MuLS0
>>763 ?
どこから来ようと倭兵と言えば、新羅の宿敵倭国の軍隊では?
対馬に本営があったとも書いてるけどね。
読んでないか。
>>761 #15応神あたりじゃないか?
少なくとも、#16仁徳は実在だろ。例の刀剣の五王の「どれに当たるか」が諸説あるだけで。
768 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:08:24 ID:4UjimJOW0
>>764 遠征軍相手に防衛でイーブンかやや下回るなら、確かに善戦ではあるが。
その程度じゃこっちから乗り込んだら瞬殺必至なんだよなあ。
時代とはいえ厳しいな。
大分宇佐でいいよ
770 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:11:59 ID:ijZ3XR9t0
大都会仙台も参戦じゃ!
771 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:12:55 ID:D2YDwiMT0
松本清張はどこにあるって書いてましたか。
読んだけれどよくわからなかった。
772 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:12:59 ID:gbqJmBzLO
邪馬台国→八幡平だって!
773 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:16:42 ID:72cekF530
>>733 留め置かれてって、イヨを引見しただろうが・・・
「政等以檄告諭壱與」
774 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:17:52 ID:Dlnro+XU0
775 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:19:45 ID:72cekF530
776 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:22:08 ID:NUcWuRxrO
卑弥呼は田油津媛が真相なんだが
見栄えが悪いので認知されていない
777 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:23:15 ID:LCx5biuc0
どう考えても青森だろ
上岡龍太郎氏は頑固に九州派
779 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:25:11 ID:i5GHPLL8O
この論争、昔から九州人の田舎臭さばかりが鼻につく
なんか村おこしに青筋立てて必死になってるみたいで、すごくみっともない
780 :
uaa:2007/12/15(土) 02:25:44 ID:y7ExJii90
>>771 九州説の旗振り役だった。九州説論者は左翼が多い。
戦前の学説を否定するために、戦後赤学者が声高に主張した。
永久に水かけ論
782 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:32:23 ID:D2YDwiMT0
>>780 ありがとうございます。
素人は歴史家より作家の意見に左右されるんですよね。
清張の昭和史の解説のなかで、家永三郎が
「われわれ歴史学者には叙述力がないので」
と書いています。
783 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:33:10 ID:g3PNe38yO
普通に考えて邪馬台国=大和国=奈良だろ
784 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:33:25 ID:A7INt8mj0
村おこしだけはかんべんしてくれ。
そんな利権で決定するのなら
そのうち沖縄が実はヤマタイ国だったとか言う奴まででてきて
話しがややこしくなる。
785 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:35:08 ID:SUm7T3+EO
>>766 対馬は昨日のレスかな?九州の中央指揮所とかは読んだ。
俺は一大率とか太宰府とか安部比羅夫とか大野朝臣とか書いている。
地方政権には無理と言っているが、九州限定なら君の言う地方政権と規模で大差ないのではないだろうか。
786 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:38:13 ID:72cekF530
>>780 新井白石、本居宣長が九州説の始祖だよ、
漢文をちゃんと読める人間は大和説なんぞ歯牙にもかけない。
787 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:40:19 ID:XAHrdnvbO
邪馬台国の起源は朝鮮半島ニダ
今日のトリビア
コンピューター言語の「Java」は、邪馬台国の「邪馬」から来ている
開発者が日本マニアで若い頃、福岡に長期滞在していたため、邪馬台国論争に興味を持ったことによる
789 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:42:11 ID:6P+MtUt00
くだらねーあほくさ
790 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:43:31 ID:l4mxWHwi0
>>784 温泉地だけでは弱い
団塊国内ツーリズムには、歴史物+温泉(料理)だと即完売になる
「邪馬台国は九州 → 後に畿内に移住」説は、人気ないの?
792 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:47:45 ID:fFFuCI4TO
奈良のでかい古墳早く発掘しろよ
宮内庁発掘認めろ
793 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:49:16 ID:8N8EposM0
残念ながら九州説が圧倒的に優位
証拠は宇佐大社、これ以上言うと畿内説派にやられるから言えない
>>786 白石はともかく、本居宣長ってのは、なんかこう、
思想的偏向が入ってるような気がするのは気のせいか
795 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:49:56 ID:qwLlGEmgO
絶対近畿
>>791 九州のメンタリティから考えて、女王の収める九州が邪馬台国で有るわけがない。
明治維新時に九州勢が天皇担ぎ上げて、日本でさんざん酷いことしてるのは、
今でも現実にみれるでしょ、1300年前も同じ事が有ったわけで、九州だから
駄目っていうまともな人間としての感覚を持てない奴がとやかく言っても、感覚が
異常なんだから聞く気になれないというか。
そもそも中国の記述なんてあてにならない。
>>781 ぶっちゃけ、「永久に水掛け論」だからこそ、プロは勿論素人も色々論争が楽しめるってのがある。
どっちかに決着がつかないのがうすうす分かってたが故に安心できるというか。
・・・でかい遺跡が出るまではな。
後、日本全国と中国南部にまで広がっていた、翡翠勾玉文化が断絶してる
ことはとてもとても重要。
勾玉の翡翠産地が国内に有るのに、大和朝廷から昭和になるまで
この事実が封印され、忘れ去れていたという事は、強烈な文化断絶が
有った事の明白な証拠。
*考古学的*に言えば、今の天皇家は*正統性*の無い政権って事は明らか。
800 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 02:55:59 ID:8N8EposM0
日本は九州のおかげでここまでこれたのは紛れもナイ事実
モンゴル帝国の侵略を跳ね返したのも九州だし
九州による明治維新で近代化したおかげで列強の植民地化を免れた
天皇制も九州の宇佐大社のおかげで男系が守られた
邪馬台国も九州である可能性が極めて高い
魏志倭人伝に書かれた、倭人の様子
・土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている
→ 奈良盆地は冬は寒い
・女は慎み深く嫉妬しない
→ 九州女の特徴
・盗みはなく、訴訟も少ない
→ 関西は窃盗が多く、争いごとも多い。明らかに関西人の特徴ではない
ただし、「九州の大阪・福岡」とも違う
結論:福岡以外の九州
802 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:02:22 ID:hjRK/nPV0
邪馬台=ヤマト=倭=大和
魏志:やまいちこく:邪馬壹國、邪馬一國 → 九州
後漢書、梁書、隋書:やまたいこく:邪馬臺国、祁馬臺国 → 畿内
804 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:06:46 ID:72cekF530
>>797 日本や朝鮮には同時代の史料は無いよ。
あくまでも中国の記述にある邪馬台国は日本のどの地域にあったんだろう?
という設問だからね。
805 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:09:17 ID:A7INt8mj0
>>800 宇佐大社に大きなヒントがありそうだね。
806 :
uaa:2007/12/15(土) 03:14:55 ID:y7ExJii90
>>797 って事は、邪馬台国は無かったと言うことで論争終了!
めでたしめでたし
807 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:14:58 ID:IK7Y6zdqO
【何があったの?】
◎卑弥呼が、親巍倭王になったのが、239 年
◎壱与が、西晋に遣使したのが、266年
〈空白の約125年〉
◎好太王の碑文が、391年
◎倭王の讃(仁徳?)の東晋献上が413年
808 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:15:08 ID:uFgKnH+k0
なんか九州説の人間には宇佐八幡が偉く人気だけど
原始八幡神って半島由来の鍛冶の神だったんじゃね?
んで時代が下って応神と習合っと…
何処で邪馬台国と繋がるのか良く分からん。
まあ神社の下の古墳は相当な力を持った豪族の墓なんだろうけど。。
>>808 大和朝廷以前の日本文化考古学遺物を見ると、どう考えても、
中国南部・台湾・琉球との経路が考えられるのに、何故か、朝鮮経由という捏造が酷いんだよね。
あえて証拠が有る朝鮮経由と言えば、天皇家とその宗教だけって感じ。
考古学遺物を見ると、そう考えるしかないと思う。
>>808 宗像三女神の故地が、朝鮮半島の伽耶なんです。
これを主張すると、神道界から追放されるそうな。
鳥居礼さん談
811 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:18:16 ID:/y86N5cPO
まあどっちでも良いが近畿か九州なら九州の方が好きだな
近畿は通りかかった程度の滞在しかないが
812 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:23:36 ID:5oSmmD110
ヤマダイ国=ニュータッチラーメン
813 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:24:56 ID:72cekF530
>>809 10世紀以後の琉球は明らかに大和民族が北から流入しているよ。
念のため書くが弥生文化は琉球に入ってきてないぞ。
814 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:26:14 ID:C6DuvCC/0
海からミナトに上がって川を遡って米を作ってる谷間の村々に通じる
内陸の平野がヤマトか?
余談だけど、日本史板で議論してた院生は記紀のみならず古文の
国史なども駆使してあらゆる論を論破してたな。
最近見ないが、多分博士号とって仕事が多忙になったのだろう。
>>814 しかも中国風な楼閣を備えた場所。
あるいは、海岸沿いで山が迫った低湿地だったのかも。
817 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:31:47 ID:oW6WRu9IO
>>1 じゃまたいこくって何だよw
大和台国だろ?
>>815 他人が書いた記述を元に相手を論破するのは容易い。
勾玉の成分分析したら、日本産だったという事実を論破は出来ない。
追試で確認するか、反証データーをあげることしか出来ない。
これが史学と考古学の違い。
史学とは印象批評なので。
819 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:34:14 ID:C6DuvCC/0
ともかくヤマトを「ヤマへのゲート」と解釈して、米を作ってる谷間の村々
に繋がってる交通要衝と考えると、どの辺りが該当してくるんですか?
820 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:34:25 ID:uFgKnH+k0
>>780 >九州説論者は左翼が多い。
それは無えだろw
九州説の元々が皇国史観の産物だし、今でも畿内説をとるのなら
どうしても記紀の内容を弄らなければならない訳で
右翼的には心情的に嫌うだろうwww
821 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:43:13 ID:C6DuvCC/0
中国の史書に記されてるぐらいなら相当な人口を食わせる米の生産力が
あったと思われる、ということは水はけの良い谷をたくさん抱えた地域というと
どこ?
822 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:43:39 ID:IK7Y6zdqO
【日本史のなぞ】
古代天皇制の断絶!
●(25武烈)506年暗殺
××××××××
●新王朝(26継体)507年即位
大和朝廷の分裂(九州:磐井)527年
823 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:48:53 ID:DVSXSROOO
福岡には 沢山の古墳があった
特に筑紫あたりの平野には無数に山にはある
河川の近くには川が反乱するために消えている
しかし山には無数の古墳がある 明治の初めには雄に2000箇所以上あった見たいだ
奈良盆地は、以前は湖で大和三山は湖面に浮かぶ島だったのは内緒で。w
825 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 03:53:51 ID:C6DuvCC/0
福岡って海辺でしょ?
海辺だと外敵の侵入が怖いので、相当内陸に遡って行くと
思うんですが、そうするとどの辺になってくるんでしょうか。
826 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:00:34 ID:C6DuvCC/0
内陸のヤマの自然の要塞に囲まれた安全で、でかい盆地で、相当の人口を
養えて、軍事力も蓄えられる王国を「ヤマト」だとすると、それは
邪馬台国は熊本県ですハイコレホント!
828 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:01:45 ID:bJwJwZm40
まあ、関西には歴史や文化は集中しすぎているから、日本の前身となった邪馬台国ぐらい九州に譲ってやれや。
西日本同士で仲良くやっていけばいいんじゃねぇかい?
829 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:03:13 ID:C6DuvCC/0
私は関東のものなんでよく分からないんですが、松本清張の
小説なんかでも出てくるその大分の宇佐神宮なんとかっていうのは
どんな地形のとこなんですか?
830 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:09:11 ID:uFgKnH+k0
>>828 >日本の前身となった邪馬台国
ところが話はそう簡単じゃなく中国のなんたら言う書に
「倭国の東に日本が興りやがて倭国を併合した」とかの記述があるというwww
まあ九州説の人間には良いネタだけどw
831 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:10:30 ID:M0sx4I6g0
まあ、九州にも近畿にも王朝はあったんだろうね。
おそらく中国から見るとそれらが混同されていたんじゃないか。
ただ、関東、東北人が近畿説を感情的に否定するのは、
長年蝦夷として虐げられてきた大和朝廷へのルサンチマンだろうな。
実質的には九州→近畿→関東→東北という制圧の流れがあったのは確かなんだけどね。
まあとにかく、起源を韓国に取られないように
833 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:11:53 ID:72cekF530
834 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:14:37 ID:lfiiTnFM0
結論から言うと俺は大分別府湾あたりが邪馬台国と踏んでいる。あそこは
急速に沈降し続けていて、地形変化も激しく、かつてはもっと広い平野があった
可能性がある。
835 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:15:51 ID:71rkskPVO
日本の九州にはヤマタイコクという強大な政権があって、
朝鮮半島をも支配下に置いた。
「邪馬台国九州説」ってこういう説だろ?
それなら十分納得がいく。
畿内だろうが九州だろうが、その強大な大和民族政権が朝鮮を支配したという事には変わりはない
836 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:16:59 ID:C6DuvCC/0
奈良盆地が湖?どういうことですか?正直分からない。
837 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:21:31 ID:C6DuvCC/0
九州でも畿内でも、灌漑技術ない当時に、どこで一番米がとれて
運びやすい、集積しやすい、外敵から安全だったか、知りたい。
>>833 記紀・葦原瑞穂の国ね。
これに当て嵌まる地形は、湖が消えて盆地に壮大な湿地帯が広まっていた
盆地の地形がぴったり。
839 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:23:44 ID:7I29/wB+0
まあ場所がどこだろうと、
商周の時代、春秋戦国、前後漢の記録がみっちり残ってる中国歴史見ると
なんかどうでもよくなるな。夏も最近出そうな勢いだし。
>>836 甲府盆地と同じく、山岳地帯の日本の盆地はかつて湖であり、
縄文から弥生にかけて人工的に開墾されて平地になった箇所が多い。
奈良は当時は沼地だった大阪湾南部から流れ込む水が生駒山地で
ブロックされた天然の入り江で、湖になっていた。
>>840 余談だけど東京も札幌も、縄文−弥生時代どころか近年まで低湿地だった。
そこを埋め立てのが家康。
世田谷区なんかも沼があり、札幌にいたっては開拓されるまで泥炭地だった。
842 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:32:05 ID:uFgKnH+k0
まあ邪馬台国の時代に奈良盆地が湖って事は無いなw
西部には湿地が広がっていたらしいが…
843 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:32:15 ID:rA57KYOxO
ヤマタイ国
ヤマトの国
のちのヤマト朝廷
すっきり〜
だと思うんだが
九州にもデカイ王朝があったとは思うが、ヤマタイ国はのちのヤマト朝廷で、畿内だと思う。
844 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:34:32 ID:BAgY7D9z0
検証ねえ・・・
845 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:35:36 ID:C6DuvCC/0
>>838 「ヤマト」が固有名詞ではなく食と安全の確保された地形、つまり
ヤマへのゲートをしめすものとしたら、当時の日本でその最も大なるものが
奈良盆地だったということですか。
邪馬台国は四国
大和王権が3世紀後半に奈良盆地東南部にはあったことをみとめてくれるんなら
正直邪馬台国なんてどっちでもいい。
848 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:54:12 ID:ULRZloQ70
>>210 山のトでヤマト、水のトでミナトか。
勉強になります。
849 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 04:55:19 ID:KCNMpkI40
>>809 >>810 天皇と神道を朝鮮と結び付けようと必死なようだがw
神道の源流は南方系のシャーマニズム。
宗像三女神と朝鮮のくだりは、産み親のスサノオの日本書紀での
新羅の記述のことを言ってんの?タブーでもなんでもないじゃんw
宗像は南方系の海人族で、神職(もちろん神道)と海洋交易を糧としてきた一族。
古事記・日本書紀に記述がある「天皇の朝鮮征討」でも、
宗像一族が天皇を迎え入れ、三女神から神助を授かり「征討を占った」とある。
半島との穏健的な交易もあっただろうが、高句麗の広開土王碑の記述で
「武力で百済・新羅を服従させてしまった」とあるように、
リアルに半島征討を行っていた可能性が高い。
朝鮮の馬鹿民族は未だに広開土王碑を「日帝の捏造」呼ばわりしてるがw
(同じ内容の石碑が中国で発見されてる事実は朝鮮では隠蔽されている)
まさか、宗像一族が朝鮮生まれとか言わないよねw?
850 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:00:14 ID:4OjT6unU0
大陸で死せる孔明生ける仲達を走らすとか泣いて馬謖を斬るとかやってる頃
この島国には文字がなかった
文明のレベルはインディアンと騎兵隊ぐらい違う
天皇家とヘブライの関係が臭う。
852 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:02:29 ID:C6DuvCC/0
現代韓国語でもソウルというのは実は元来固有名詞ではなく、
広い原(都市)という意味だそうで、一番広いのが国ナウル(ナラ)、
首都ソウル、郡コウル、村マウルとなるそうです。
新羅王国の中心地慶州の古名はソラボルでソウルの新羅発音。
その慶州の地形・条件は奈良盆地と非常によく似ている。
そんなことから連想するとヤマトはやはりそのソウルと同じような
意味をもつ言葉じゃないかと思いますが・・。
853 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:03:58 ID:rfVBTO+BO
前に沖縄説を称えてた学者?教授?がいたよ。さすがにないと思ったわ。
854 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:08:47 ID:vUBOlko10
九州としたら日向、宮崎県かな?
佐賀っちゅー話もあるな。
知らんけど。
855 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:09:19 ID:IK7Y6zdqO
神話とのズレは、指摘されてはいるが、〈卑弥呼・壱与の時代〉にヤマトタケルの息子(14仲哀)は、福岡市香椎にて妻(神宮皇后)に実権を奪われ、神宮皇后は福岡から近畿に侵攻、ヤマト朝廷を樹立!
「壱与!やったね!」
856 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:09:32 ID:uFgKnH+k0
>>849 >神道の源流は南方系のシャーマニズム。
普通に考えれば大陸系と南方系のチャンポンだなw
例えば国生みでアメノヌボコで海面を掻き回す「攪拌型」の創生神話は
内陸アジアに類似が見られたり、鳥居や狛犬の原型が大陸経由だったり…
857 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:10:33 ID:mvTszZAoO
福岡みたいなDQNの巣窟なわけねーだろw
奈良でFA
この論争まだやってたんか。
長いな、これも。
859 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:22:12 ID:uFgKnH+k0
まあ本格的な論争は日本史板あたりに任せるとしてw
この板での独自視点を打ち出してみると…ww
邪馬台国論争が色んな側面があって(例えば東大VS京大とか)
あまり指摘されないのが観光資源としてのそれwww
今回の福岡知事テコ入れの活動もそのラインだろうけど
正直、そりゃ邪馬台国のネームバリューは欲しいだろうが
長期的に見て「ヤマト王朝に匹敵もしくは凌駕する九州王朝」の方が良いような気がするw
(福岡じゃないが)吉野ヶ里も邪馬台国と関係無くともその重要性に変わりは無いんだし
ピンで観光客呼べるでしょとwww
日本史板はトンデモの巣窟と化してるから行かんほうがええ
861 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:34:01 ID:KCNMpkI40
>>852 朝鮮人の「発音が似ているからウリナラ起源」かよw
高麗神社一つで「神道の起源はウリナラ」言っちゃう民族だから。
新羅に滅ぼされた高句麗王族が日本に亡命し、祀られているのが高句麗神社。
韓国の捏造教科書「国史」は、高句麗・新羅・百済の記述の頭に
「我が民族は(もちろん朝鮮民族のこと)」ってつけるんだよ、正気じゃない‥
>>856 大陸南部もハショって南方系のほうに入れて説明しちゃったからw
神話の一部や狛犬のくだりは、過程でチャンポンですね。
インド・インドシナ・中国南部あたりは、南方と大陸の境がわかりませんw
鳥居とかは、かなり南の方出身だと思います。
862 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:35:35 ID:IK7Y6zdqO
九州から近畿に侵攻し、近隣部族との連合国家〈ヤマト朝廷〉は、讃(16仁徳?17履中?)初め旺盛をきわめるも、連合部族の裏切りにより、越(福井)から26継体・蘇我により制服される。(聖徳太子の曾祖父)
863 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:46:24 ID:KCNMpkI40
864 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:48:00 ID:7skzuoAh0
井沢史観だと、どうなるんだったっけ?
韓国に古代なんてないやんかいさw
なんで東遷説は人気無いん?
('A`)耶馬溪がそれだ!
868 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:50:18 ID:rSPS9bq70
高千穂
869 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:50:21 ID:9OQdGi3a0
佐賀は本当に何もないので邪馬台国譲ってくださいお願いします。
870 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 05:52:55 ID:uFgKnH+k0
>>869 奈良の巻向なんか拍子抜けするぐらいだけどなw
近くに観光資源がいっぱいあるしwww
871 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 06:05:30 ID:KeZO5OmE0
>>869 九州説を唱えるやつのすべてを物語っているな
872 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 06:10:26 ID:Z+uG8KT30
sss
873 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 06:22:07 ID:dGXj+ser0
この論争ってどう決着つけるのよ?
金印なんてみつからないだろうし、弥生時代だったらしっかりした文献もまだないだろ。
希望は考古学の精度が超向上するぐらい?
874 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 06:28:46 ID:YCjNYKTx0
高千穂に決まってるだろ
876 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 06:46:30 ID:A7INt8mj0
先に狗奴国を探せばよい。そしたらそこの北がヤマタイ。
クコチヒクでも良いし。
877 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 07:05:22 ID:OtqGWnjS0
>>801 佐賀平野一帯に該当しないかな。
現在の犯罪発生率も全国最低レベルで治安良いし。
吉野ヶ里など大規模遺跡もあるし。
倭人伝に記載されてる国々と近いし。
どうも佐賀か宮崎のどちらかに絞られるな。
宇佐神宮のある大分と名前が出てこない薩摩勢力も怪しいけどね。
法隆寺移築はガチ
879 :
437:2007/12/15(土) 07:33:01 ID:OGf2xRZL0
「儒者どもは経典の一語一句に拘り、思想的意義を探求しようとせず・・・」
って曹否の父ちゃんの霊が怒ってた;;
「史学者どもは古文書の一語一句に拘り、現実的意義を探求しようとせず・・・」
っていいかえると耳が痛いね;;
880 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 07:43:19 ID:bJwJwZm40
881 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 07:44:03 ID:/hnsGyS3O
アサヒる畿内説 スイーツ(笑)
882 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 07:51:48 ID:mb1zf2Wu0
九州説を唱えるのは勝手だけど、チョンの影響が…とか言い出さないか心配。
観光客を韓国から呼ぶため、吉野ヶ里遺跡は古代朝鮮からの影響を強調する
展示に変えたというしな。
883 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 07:52:42 ID:JZ2W3Lu20
いまにみていろ 邪魔大王国 全滅だ
もう学会でも殆ど決着のついた話を今頃持ち出してもねぇ。
それより、宮内庁がやっと許可した神功皇后陵の学術調査注目しろよ。
ここは、実際は邪馬台国のもう一人の女王台与の墓じゃないかと言われている。
886 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:04:57 ID:A7INt8mj0
そもそも、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国ってのが、
本当にあったという証拠はあんのか。
889 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:18:25 ID:4Y+ssAZx0
邪馬台国というのはもともとないんだよ。
ヤマタイコクじゃなくて、ヤマウィコクなの。台じゃないんだよね。
890 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:21:56 ID:zGrDDyx/0
魏志倭人伝の内容だと、どう考えても、九州と畿内ではかなり辻褄があわないね。何を今さらあせっているんだろうね。
京都、九州の大学の関係者はどうしても自分のとこにしたいんだろうけど、かなり時代背景に無理があるし矛盾点が多いね。
それなりの大国を作ろうと思えばやはり大陸との貿易、人の往来がなければ、大国にはなりえない。
朝鮮半島との貿易や移民とかを考えると、朝鮮半島南部から自然に対馬海流に乗れば、普通に島根にたどり着く。
そうなると、ごく簡単に出雲で正解だろうね。それと昔から出雲=「やま」と言うからね。やま(出雲)たいこく(大国)だね。
魏志倭人伝の最後の南の方角は、島根県の江の川をずっと南に南下して国引きの三瓶(大田市)を経由して出雲入りすれば、日数、距離すべて辻褄があう。
891 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:22:59 ID:zGrDDyx/O
台とは書いてないんでしょ?
たくさんの人骨見つかった古墳はないの?
宮内庁は何で古墳の調査を許可しないの?
893 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:39:23 ID:JgONAA/mO
古墳の調査を許可したら天皇家が朝鮮からの渡来民だと発覚する可能性があるからな
そこを危惧してんだろうな
>>892 昔の断絶した王朝ならともかく、その子孫が生きてるんだから
社会通念的にも難しいのでは?
895 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:48:09 ID:dGXj+ser0
たしいた知識もないくせに思い込みが激しい人が集まるインターネットはここですか?
継体以前は現天皇とはつながりないだろう
897 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:49:49 ID:/sml0/j/0
邪馬台国というのは、国家の名前を指してるんじゃなくて、
「馬がいっぱいいる国」って意味なんだよ。
898 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:52:14 ID:OrKv2Ir2O
ヒミコってヒメミコのことだろ?
ちゃんと書けよ魏。誰のことだか全然わかんねーよ
899 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 08:53:34 ID:zGrDDyx/0
>>892 日本の気候(湿度、気温)と土壌では骨がすぐに分解される。
土葬すると100年ぐらいで粉々になる。多少人骨の匂いはするけどね。
それが2000年以上前になると言うまでもない。
古墳調査はしてもいいけど、時代が合わない。あと朝鮮半島との流れの絡みもあるし。
それと宮内庁にとっては、いろいろと都合の悪い話もあるし・・。
>>849 ムナカタ三女神はたいそう美乳だったので、
古くは「胸形」と書かれておったのじゃ。
次女はオオクニヌシの嫁さんになった。
オオクニヌシもてまくりだな。
901 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 09:00:55 ID:zGrDDyx/0
>>897 この頃の日本の名詞(ひとの名前や地名)に関しては当て字が多く、文章が読めれば漢字は全く統一していない。
特に固有名詞は読みが大事。人が喋ったことに対して当て字をしていることが多い。だから漢字に意味をなさないことが多い。
暴走族の夜露死苦と同じ。
魏志倭人伝読んだけど、あれは日本の話でないと思った。
文化的にどっか南の国だろ。
俺んちだよ
邪馬台国があったのは
904 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 09:08:21 ID:dGXj+ser0
905 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 09:14:03 ID:PMe5hWDN0
906 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 09:16:42 ID:lfiiTnFM0
魏志倭人伝のなかには邪馬国なるものも出てくる。
(´ω`)
九州にあった邪馬壹國(邪馬一国)が、戦乱や疫病などの理由により
シャーマンの指示を受けて九州を離れ、本土に大移動。
山口土井ヶ浜の渡来人小勢力を吸収しながら東方を目指し、
出雲や吉備のような在来勢力が強い場所を避けて、さらに東へ。
そして、小型の土着政権しかない畿内にたどり着き、そこを平定して
邪馬臺国(邪馬台国)になったんだよね?
909 :
1000レスを目指す男:2007/12/15(土) 10:08:59 ID:TV4nHSi30
つーか、本当に邪馬台国って日本なのかな?
日本のどこにもないとしたら、別の国かも。
910 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 10:10:40 ID:x6TnucAJO
シャーマンスープレックス
911 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 10:10:57 ID:HG1LqSNyO
京大派が畿内、東大派が九州説を推してるんだっけか
912 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 10:14:28 ID:5gojBuhQ0
邪馬台国より、むしろ卑弥呼が何ものだったかってことだよな。
913 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 10:15:36 ID:cMJS0Qhg0
九州北部のどっかで、一条とか二条とか、京都の地名と同じ地名の場所があるんだよ。
914 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 10:15:48 ID:ZRD02FRQ0
邪馬台国の卑弥呼なら根津の吉野家で特盛食ってたよ
915 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 10:18:47 ID:SxKIOiq/0
九州説って観光で客を呼びたい思惑もあったりするから
何か胡散臭いんだよなあ。
素人考えだけど邪馬台国って発音からするとヤマトに近いから
やっぱり今の奈良県なんじゃないの?
邪魔大王国
ハニワ幻人
妃魅禍
>>902 と、思ったけど、大山のスイートンって言う神様の彫り物を見て、
意外とこれが環太平洋モンゴロイドのなんじゃないだろうか?って思うよ。
天皇がずれてるんだよ。
場所はともかく卑弥呼が後にアマテラスの神話に変化したのはほぼ確実らしい。
>>918 卑弥呼も入ってるのかも知れんが、もともと伊勢の民の
ローカルな神様だったアマテラスが、なんであんなに偉く
なっちゃったんだろな。
国家事業で神話体系を構築してんだから、もうちょっと
マジメにやれよ大和朝廷、と思う。
920 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 10:36:00 ID:gBw4CL7w0
921 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2007/12/15(土) 10:52:54 ID:Aai0gmLK0
>>919 アマテル信仰は対馬ルーツ。
対馬にアマテル神社がある。
皇室の先祖は、対馬→北九州→日向→大和と、東遷してきた。
対馬→北九州が創生3神時代、北九州→日向が天孫降臨、日向→大和が神武東遷。
邪馬台国は、皇室の先祖が北九州に住んでた頃の話。
卑弥呼は天照大御神、トヨは豊受神、男弟は多力の尊。弟は素戔嗚尊。
>>921 そんな説もあるのか。
でも倭人の風俗って、体中にイレズミしてたり渡海するときは持衰を立てたりとか、
どう考えても南の島系だぞ。
>>915 九州にも山門(やまと)郡とか八女(やめ)とかある。
わたしは邪馬台国USA説を主張する。
邪馬台国はUSAみたいな形で、多くの国を属国扱いにしていた。
大乱の後にできた国家群の頂点が邪馬台国らしいから、九州-畿内みたいな飛び地のような属国があっても不思議では無いと思う。
第2次世界大戦後にUSAの同盟国が、USA本土とは遠く、巨大な仮想敵国のすぐ隣、直近という位置にあったみたいに。
瀬戸内海の国々と同盟or友好して制海権を持てれば畿内-九州間でも同盟可能。
魏は邪馬台国のことを日本的大国と見ていたが、
実際の邪馬台国が直接支配していた領域はUSAとは違って案外小さかった。
邪馬台国としては実際の本国は小国だというのは隠したいために詳細は伏せた。
敵味方が散在する中の強力な同盟組織、これが魏が見ていた日本的大国である邪馬台国の正体。
Javaの語源は邪馬台国の“邪馬”より。
サンマイクロシステムズの開発責任者が邪馬台国論争に興味津々だったため。
これJava知識な。
926 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 11:33:41 ID:qvoD1hMZ0
魏志倭人伝なんて、全然あてにならないよな。
そもそも珍寿はどこの資料見て(あるいは聞いて)書いたわけよ?
金印はどこりょ?
928 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 11:39:26 ID:SxKIOiq/0
>>923 その山門(やまと)郡とか八女(やめ)に大規模古墳とか遺跡あるのか?
タヌキとイノシシしかいない場所じゃないだろうな。
930 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 11:45:45 ID:nHn1GGItO
大和=邪馬台国
天照=ニギハヤヒ
931 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 11:48:32 ID:ZVeZSdsC0
お前ら、宮内庁の特殊部隊が怖くないのか
俺は命が惜しいから、ここらで退散するぜ
932 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 11:53:35 ID:v0vyRxkt0
邪馬壹って当時どんなふうに発音したんだろう。
卑弥呼についても然り。
それぞれの説が一覧表になっているようなサイトおしえてyo
934 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:03:23 ID:Ly5Ssw8S0
どうせ邪馬台国も朝鮮なんだろ。
935 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:13:57 ID:SUm7T3+EO
>>902 江南、東南アジア、日本に至る稲作圏とかぶっている。支那の史書は小麦圏の人間による編纂。
俺は三重県に邪馬台国があったと思ってたんだが
937 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:22:12 ID:SUm7T3+EO
>>893 皇室の起源は江南の稲作民の方が可能性として高い。更に言うと、高句麗などの始祖卵生説話は南方系だそうだ。
一時期半島から遼東にかけて高床式建物が分布してた事が遺跡からわかるとの事。
稲のDNAも江南から日本に渡ったとの結果がでている。半島の陸稲はその初期の分派。
938 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:23:12 ID:g5562LsHO
卑弥呼は俺の嫁
939 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:25:03 ID:PFtP1sGCO
邪馬台国はフィクション
邪馬台国?
今、俺の肩にもたれて寝てるよ
941 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:30:49 ID:SUm7T3+EO
>>830 それ、大海人皇子(天武天皇)の壬申の乱が有力。倭から日本に対外名称変えたし。
>>935 そいや倭人伝にはロクに食い物の話がないよな。
・対馬にはろくな田畑がないから、みんな魚とかアワビとか食ってる。
・倭国は暖かいので冬でも生野菜食ってる。
・葬式(モガリ)のあいだ酒飲んでる。
くらいのもんか。
943 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:32:40 ID:yTexL5810
どうでもいいが、赤福食べたい…
944 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:35:12 ID:37/EDYV0O
西日本全域が邪馬台国でいいじゃん
945 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:35:23 ID:RX65ljV8O
946 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:39:11 ID:RX65ljV8O
ちなみに邪馬臺ならヤーミントン
韓国に近いだけあって起源を主張するのには熱心だなw
948 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 12:46:53 ID:RX65ljV8O
魏志東夷伝山海倭人章を、当時の中国人の発音で読み下したレコード出したら売れそう。
949 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:03:27 ID:AUZlZM6q0
邪馬台国は中国側の観測であり、おおむねフィクション。
ただ卑弥呼がいたのは福岡。
これで間違いないっしょ。
950 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:03:38 ID:11RCQMKu0
>>947 まってくれ俺も福岡出身だがあほはそこまでいないよ。
近畿から卑弥呼の使っていた勾玉か何かが発見されたとかで
一気に傾いたんじゃなかったけ?
しかし教科書に載せるときは言ってくれ!
11万人集めて福岡が邪馬台国だったって証言するから
ばっちゃが言ってたってwww
951 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:07:57 ID:vgA7aznI0
まあ、魏志倭人伝は、当時日本にはいくつかの国があって、それらをまとめるようなおおきな国家もどきがあった・・・
このあたりは真実。
風俗に関してはほとんど信憑性は無いよね。
これは、魏志倭人伝を読み解いて出た結論ではなく、考古学的検証のもとに記述と合致するかどうかで出た結論。
最大の疑問点は、この邪馬台国を、なぜ記紀の編纂者たちが無視したかというあたりだと思う。
952 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:13:30 ID:LY9uwB65O
ヤマタイコク=ヤマトコクなんだもん
卑弥呼の墓は奈良にある身元不明の女帝の墓だよ
953 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:19:48 ID:72cekF530
>>949 わざわざ魏の使者が邪馬台国まで来ているんだよ。
当然使者のレポートが魏志に反映されている。
記紀より遥かに信憑性が高い。
954 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:22:35 ID:x6TnucAJO
ビルドアップ!バンバンバン
ビルドアップ!バンバンバン
バラバラババーンバン〜
955 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:23:28 ID:qRRkWS69O
曹操に決めてもらおう
956 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:24:40 ID:HfYjPqd+0
あれ?岩手の八幡平じゃないの?
957 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:27:12 ID:tUNkpHEy0
どっちでもいいじゃん
958 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:27:44 ID:LY9uwB65O
九州が町おこしさたいのもわかるけどね
明治維新で九州の志士が政府つくって役人になってった時上京した奴とその一族を裏切り者扱いして地元で冷遇してたのが原因で九州が寂れていったって話を聞いたけど
959 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:30:38 ID:LY9uwB65O
マルコポーロも奥州平泉を訪れて日本は黄金の国だっていってたわけで
極端な一面をとらえただけであながち嘘でもないかもな
デモ行進と署名運動でもしたら?w
961 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:31:00 ID:SUm7T3+EO
>>951 無視はしてない(神功紀)魏志と大和側所有の各伝承や記録の内容との差からこ
れという特定ができなかっただけ。百済記などはちゃんとできてる。
962 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:36:43 ID:jyaso65b0
>>924 お前、USA八幡の神官の一族がUSAを建国したことを知らないのか?
963 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:38:16 ID:SUm7T3+EO
>>942 倭人伝は大きく分けて九州北部と邪馬台国の二つの系統記事で構成され、九州部
分は既存の記録を下敷にしているのでは、との説もある。
964 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:40:45 ID:iM9ZNdCL0
ヒント:佐賀大和インターチェンジ
965 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:42:01 ID:sT1pFLjO0
ちょっとひらめいたんだが、「沖縄」つーのは「沖の和(倭)」ってことなのかな。
966 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:43:20 ID:zH0OItGC0
九州から大和へ移動してきたと考えればすべて丸く収まる
967 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:46:47 ID:366rSpxP0
968 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:48:05 ID:vgA7aznI0
>>961 いや、無視してる。
魏志倭人伝はしっかり読んでるのに、否定も論評も噂話もなし。
邪馬台国という名前も出てこない。
当時三国志といえば中国の正史扱いだよ。
その中にわが日本のことが書かれている。
それはそれは名誉でもあり大変なこと。
もし、本当に当時も邪馬台国が幻だったなら今以上の邪馬台国論争が起こっていたはず。
「魏志倭人伝に書かれているのはあの国では・・・・」「いや、おらがふるさとのあの国だ!!」てな具合になるはずだろう。
日本中の伝承を集めたといわれている記紀の編纂で、邪馬台国が否定も肯定も噂話もなく全く無視というのはどう考えても意図的なものを感じざるを得ない。
しかし、魏志倭人伝自体を無視することは出来なかったようで、神功皇后を卑弥呼とにおわす記述はあったりする。
このあたりもやはり邪馬台国という存在自体が大和朝廷にとって不都合なもの…朝廷の正当性を揺るがせかねないもの…という存在だったんじゃないかな。
まあ、当時からすればそんなに昔でもないわけなんだからね。
もし存在していたなら普通に邪馬台国の存在は知っていただろうし、幻だったなら大騒ぎだよ。
969 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:49:08 ID:XOo3D0k40
九州説をとるのはなぜか東京人が多いらしい
970 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:52:18 ID:11RCQMKu0
チョン阪が嫌いだからじゃないのか?
971 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 13:56:56 ID:CXSpFtcEO
>>968 宇佐・伊勢神宮、三種の神器、古墳……卑弥呼を追っ掛けると朝廷や皇室の純勢力が必ず邪魔してる感じ
がする。
邪馬台国は大和政権と関わりはあっても
同一の系譜とは思わないな。
ヤマタイとかヤマトとかの「ヤマ」って
当時日本の広域や大王みたいな意味で使われていて
それだから盟主国の国名に含まれているだけじゃないのかな。
973 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:02:20 ID:vgA7aznI0
>>971 まあ、普通に考えると邪馬台国から王朝簒奪したのが大和朝廷。
こうなると思うけどね。
ローマ帝国の小さい版かな?
卑弥呼の後、邪馬台国同盟の主要勢力が別れてしまい片方が滅亡
残った方は邪馬台国を継承、時代を経て神聖ローマ帝国みたいな
象徴的な形になって、現在の象徴天皇制に移行した。
>>921 「対馬がルーツ」ってのは、つまり「朝鮮・中国がルーツ」になってしまうのでは・・・
「対馬→北九州→日向→大和」は、すなわち「朝鮮・中国→対馬→北九州→日向→大和」でしょ?
そもそも継体天皇って号が縁起悪くね?
977 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:05:35 ID:3M1/M4txO
邪馬台国は阿波だった。
978 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:08:15 ID:yhM8iO3V0
佐渡説とか北海道説は・・・ないよね。
979 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:09:57 ID:kxs+Yf4U0
継体天皇。名前がおかしい。断絶だろうな。
>>976 継体王朝交代説があるね。
疑わしいところでは、継体、天智、南北朝あたりに王朝交代があった可能性がある。
981 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:11:44 ID:vgA7aznI0
>>974 というか、邪馬台国が日本にある程度大きな連合国家の頂点にたち王朝のようなものを築いていた。
その後、その王朝の正当後継者を巡り争いがあり、争いに勝った国の王が、「もともと邪馬台国というのは大和朝廷自体のことで、卑弥呼が支配していた邪馬台国なんていうのはなかったんだよ〜」ということにしようと記紀編纂では邪馬台国自体の存在を無視した。
しかし、魏志倭人伝は存在しつづけるわけがからまるっきり無視するわけにもいかず、神功皇后(当時は天皇扱い)を「卑弥呼かも…」と匂わせるような記述は入れることにした。
こんな感じじゃ?
982 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:13:36 ID:Tei+VORA0
埼玉県だろ?
>>981 たしかに邪馬台国=大和王朝という根拠はないんだよね。
あるいは全くの別王朝が、統治の都合上邪馬台国に名前の似たものを称した
可能性もある。
日本新党みたいに、連合体の頂点にはいたけど
ほとんど運だけでキャスティングボードを握ることができた。
ところが卑弥呼はルドルフ1世みたいに意外と能力があった。
っていうのでも良さそうだ。
男が支配してた時は戦争ばかりしてたが
巫女を中心に各部族が結束したというのは、極めて日本的な政治形態だね
各部族の長が今の国会議員で、国を運営するが責任は取らないところとか
986 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:18:32 ID:XnqsBbxc0
在日って天皇の話が好きでたまらないよね。
とてつもない新発見でもない限り邪馬台国かの検証なんて無駄なのに。
988 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:22:37 ID:gWClqxDPO
一大=壱岐
伊都=糸島
奴=志賀島
邪馬=八女
邪馬台=山門
狗奴=球磨
989 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:23:09 ID:vgA7aznI0
まあ、天皇陵とされるものが発掘できれば本当におもしろいのにね。
990 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:25:17 ID:9+hNOwTu0
>>958 歴史で町興ししてるのは京都奈良をはじめ関西だろうに・・・
初めは九州説で固まってたものを後発の畿内説が必死になって邪馬台国=おらがルーツ
で町興ししたいんだろ
卑弥呼が女王になった経緯で
小国が小競り合いをしていて
各国の王や民が疲れ切ってしまい
じゃあ、巫女として著名な卑弥呼を
みんなの女王としてあがめたてまつらん、とするのがあるが
これが余りにも美談というか作り話臭い。
こんなにすんなりとみんなが行くものだろうか。
そりゃ現代にも一人のママに複数の企業経営者が群がるというようなこともあるのだそうだが
いくらなんでも政権を代金に支払うようなことはあるまい。
>>991 そういう検証が不可能な妄想をみながどんどん繰り広げるから、話が収集つかなく
なるんだよな。邪馬台国だけじゃなくて古代史全体の話だけど
993 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:30:07 ID:vgA7aznI0
>>983 邪馬台国と大和朝廷が本当につながっていたなら、魏志倭人伝はもってこいの正当化根拠にすることが出来る。
なんたって、中国の正史で一番最初に詳しく論評された国だからね。
しかも、日本の国王という認証まで受けている。
自らの王朝にその手法を使わなかった・・いや使えなかったのは、やはり邪馬台国の存在自体が不都合だったんだろう。
>>993 そもそも「魏志」を、当時の知識層が入手して読んでたわけ?
>>990 関西が歴史を観光資源の1つにしてるのは事実だが
実際に歴史があるんだからしょうがない。
それに邪馬台国を必死にアピールしてるのは九州だろw
996 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:34:07 ID:vgA7aznI0
>>994 読んでいた!!
それは間違いない!!
じゃあ、そろそろ1000だから、ここは1000とった人が主張する場所が邪馬台国決定ということでどう?
1000なら父島に邪馬台国があった。
卑弥呼は母島出身。
岡山(西播磨含む)>大和遷都説
1.近畿の古墳祭祀の祖形は岡山。
2.庄内式土器は岡山の弥生後期土器の発展形(製作法が同じ)。遺物上では既に弥生後期から吉備
の強い影響を受け始めている。
3.大和中部・河内中部には中期末の大水害により弥生後期の有力な遺跡は無い。つまりその状況
で近畿では中国に使者を送れるような政権は産まれない。
999 :
名無しさん@八周年:2007/12/15(土) 14:38:01 ID:kxs+Yf4U0
九州説はもう無理。
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