【文化】「ハルヒ」は「エヴァ」の継承者か? 両者の「違い」に着目し、いまの若者理解のヒントを 日経新聞編集委員・石鍋仁美★3

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594名無しさん@八周年
第1に人物配置(うる星やつら/ハルヒの順)。
 主人公=自分の凶運に肩をすくめる少年(あたる/キョン)
 表のヒロイン=勝気で周囲を振り回す女(ラム/ハルヒ)
 裏のヒロイン=クールなサブヒロイン(しのぶ/長門有希)
 親友=気障だが優秀な同性の友人(面堂/古泉)

それぞれ「振り回されたい」「頼られたい」「頼りたい」という主人公の
願望を満たす存在か。表面上は「仲間」だが各々身勝手で、信じるも信じないも
ない点も両作品に共通する。アニメが昔から変わっていない点だ。

「萌え担当」と称する女性の先輩「みくる」。押しが弱く、常にハルヒの言いなり。(ただし彼女も由美かおる演じる女忍者同様、裏の顔を持つ。)
これも「ラン」
>ふわふわカールの赤毛でロリータ・ファッションの可愛らしい風貌だが、実は極度の二重人格。普段はぶりっこで雅やかな少女だが、怒ると牙を剥いて強暴になりドスの効いた河内弁でしゃべる。
あたりに全く共通する。 

主人公を圧迫する怖い存在など特になく、「おもちゃ」だらけの世界である。これがポイントその1。

押井の映画版ビューティフルドリーマーに強調されていたが、一見呑気な学園生活を描きながら、
「この凡庸な世界」の意味を登場人物が「問い続ける」物語だ。学園物語と形而上的世界。エヴァも同じだ。
日常の中に時おり非日常を見せる配分の絶妙さ。これがポイントその2だ。

「この世界」を壊すエネルギーの源泉は、ある登場人物の心の中にある。これも三者同じ。

やり直しは普通に行われる。たとえば上記の映画版では、主人公は何回目だったかの
「学園祭の前日」を体験し続ける。主人公もその状況を理解し、脱出の「カギ」を見つけようと苦労する。
まさにゲーム的な展開だ。これがポイントの3。

まとめるとこうなる。
 その1。自分に「都合よく言いなりになるもの」を欲する。全女性キャラは理想の母親の象徴でもある。
 その2。ひとつの戦いに「すべてを賭ける」ことより「日常」を愛する。
 その3。「この現実」が唯一の現実ではない。バッドエンドならやり直せばよい。
 これがうる星やつらからハルヒまでの四半世紀、アニメがてんで変わっていないことの証明だ。w