http://sankei.jp.msn.com/culture/books/071110/bks0711100922000-n1.htm 『〈いじめ学〉の時代』内藤朝雄著 ■ずさんな論を正す「入門書」
日常よく使う言葉にも、その言葉の意味や対象のあいまいなものがたくさんある。出版業界では、たとえば「一般書」という言葉。
「最近の一般書さあ…」という前振りで対話を続けるとき、互いに想定している「一般書」は、相当に違うものだと思った方がよいが、それが悲惨な現実を招いたという話は聞かない。
一方で、そういったお互いの誤解や言葉の混乱が、悪影響を及ぼしてしまうこともある。「いじめ」という言葉は、その最たるもののひとつではないだろうか。
著者は、もともといじめられっ子ではない。逆に、高校生時代は、管理教育の現場で教師らと闘い、最後は自主退学に追い込まれた過去を持つ。
ある必然から、平成5年に山形県新庄市で起こった山形マット死事件の周辺取材を行うことになった。著者はそこで、世の中の「生きにくさ」のわけを解く大きな鍵が、「いじめ」と呼ばれている現象の中にあることに確信を抱くのである。
ところが、「いじめ」なるものをきちんと研究し、定義し、どういった行為や人間関係が「いじめ」と呼ばれるものなのか、はっきりかつ詳しく述べている学者や専門家が、誰ひとりとしていなかったのである。
著者のいじめ研究は、最初に学術書で公表されたため、簡単に理解されるものではなかった。結局、その後も、世間は身勝手ないじめ論を垂れ流し続け、ずさんな論を声高に唱え続けた。それが、世の中に悪影響を及ぼさないはずがない。
そんな現実にいきどおりつつ、著者の生い立ちを交えてつづったのが、このはじめての入門書である。(柏書房・1680円)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760132198/ いじめを本当になくしたいと思っている人は、この本を読んで欲しいと思う。そして、真剣にいじめに対峙して欲しい。今、この時間にも、日本のあらゆる学校で、いじめに苦しんでいる子ども達がいる。
私の子どもがいじめにあい、親の私もそのことで受けた心の傷を、ひりひりと感じながら癒せないでいる。この本の文章は、私にとって癒しそのものとも思える。
子どもをいじめたもの達を、周りで傍観していたもの達を、看過していた教師達を、未だに許せないでいる苦しさを、この本は優しく包んでくれた。