【コラム】小沢氏の「ノー」は2大政党への試金石=大前研一

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1 ◆Robo.gBH9M @うしさん大好き! ロボ-7c7cφ ★
全文はこちらをご覧下さい。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/94/index.html

民主党党首の小沢氏は、テロ対策特別法の延長に反対した。(中略)
これだけを見るなら、米国べったりの自民党とは違う路線を民主党は進むと思う人も少なくないだろう。

だが、これまでの小沢氏の米国への態度を考えれば、これが一時的なものだということは
容易に想像がつく。彼は米国に対してひれ伏すタイプなのだ。

実際、彼が自民党の幹事長をしていたころ、米国のたしかジョンソンとかいう名前の三等
書記官に呼び出されたことがある。そこで言われたのは、「通信開放をやれ」ということだった。
彼はすぐにモトローラの通信機器を20万台購入することを受け入れた。そしてその強面をもって
国内の通信業界の主要人物を呼び、米国様のご意向に従うようにと命じた。小沢氏がらつ腕で
あることは間違いないが、相当な内弁慶ぶりである。当時の様子を覚えている人から見ると
米国大使館には極めて弱いのではないか、という思いがある。

小沢氏が米国に逆らえないのには理由がある。彼の師匠、田中角栄氏がロッキード事件で
米国に刺されたからではないか、というのがわたしの仮説である。

アジアで独自外交を展開しようとしていた田中角栄氏が米国に逆らって刺された、という
「義経伝説」は今日に至るまで国民の間に根強い。あれだけ力を持っていた今太閤田中
角栄氏を間近に見ていた小沢氏が「米国に対しては従来の絶対服従と違う動きをしただけで、
失脚する」と心に刻んでいたとしても不思議ではない。中国と国交回復したことは田中角栄氏の
政治的成果の一つだが、しかし独自のエネルギー政策につながるインドネシアなどとの友好
関係などは、米国から見れば反旗と見なされたのかもしれない。

これが小沢氏にとってトラウマのようにのしかかり、「米国に逆らった政治家は政治生命がなくなる」と
思い込んでしまったのだろう。

>>2-5あたりに続く
2 ◆Robo.gBH9M @うしさん大好き! ロボ-7c7cφ ★:2007/08/22(水) 17:51:43 ID:???0
>>1の続き

湾岸戦争のとき、日本は軍隊を送り込むなどの協力ができないため米国戦費に対する
寄付金を出すよう迫られた。米国大使館との交渉に当たった小沢氏は国会で予算を円換算で
通してしまった。だが、いざ渡す段階になって、当時円安が進行していたためにドルに換算すると、
約束の額に足りなくなったのである。それで、小沢氏はどうしたか。「クルド人難民対策費」と称して、
足りない分の予算を別途確保したのだ。

この問題は米国議会で取り上げられ、日本からの約束の献金が入金したのか、と財務局長が議会で
問いつめられた。そのときの担当者の答えは、特別なルートを通ってくるので少し遅れていますが、
入金は間違いありません、と答えている。つまり日本の国会に対しては難民援助という名目を
使いながら、その実、米国への迂回戦費援助であった、ということだ。国民をだましてまで米国に
ドルで約束したお金をきっちり渡す。それが自民党時代の小沢氏の「実績」だ。

今回、小沢氏が米国に対して「ノー」と言ったとしても、必ず後で腰が退けるだろう。あたかも
パブロフの犬のように。彼にはそういう実績がある。もし、小沢氏が本当にシーファー氏に
言ったとおり、あるいは他の口実を設けて日本のインド洋での米軍支援ができないようにする
決断をしたとしたら、それはまさに新しい小沢氏だ。一皮むけた、あるいは「自民党小沢派」ではない、
まさに民主党小沢党首、ということになる。そういう小沢氏の誕生を期待したい。