【福井】 継体天皇即位1500年記念「こしの都千五百年大祭」で古代布復元 ボランティア募集

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★糸作り、一緒に体験を 古代布復元でボランティア募集

 継体天皇即位千五百年を記念して10月に開かれる「こしの都千五百年大祭」で
奉納される古代布の復元作業が越前市今立地区の月尾ており工房で進められている。
越前和紙産地の若者らが和紙原料のコウゾの加工から手掛けているが、糸作りの段階で
予想以上の手間がかかり難航。何とか乗り切ろうとボランティアを募り始めた。

 千五百年前が発祥ともされる越前和紙。今立地区は和紙だけでなく、繊維業も盛んだった。
阿波和紙の徳島県ではコウゾで「木綿(ゆう)」を作る伝統が受け継がれていることから、
越前和紙も布とかかわりがあるのではと今年2月、コウゾを使った布作りを始めた。
大祭の実行委員会と県和紙工業協同組合越前和紙青年部などが協力してコウゾの木の刈り取り、
蒸し、皮はぎなどを経て約10キロを用意。乾燥させ1メートル余にそろえた原料を5月までに
同工房に引き渡した。

 同工房では林正樹代表、スタッフの小林容子さんら関係者4人が糸作りに取り掛かった。
繊維を2、3ミリの幅に裂き、数十センチごとに指でよりをかけて1本につないだ上、
全体によりをかけ、細い糸に仕上げる。タオルに挟んでぬらしながらの根気が要る作業。
90メートルずつ糸枠に巻き取り現在7、8個分が完成。幅40センチ、長さ12.5メートルの
一反で衣装一着ができるが、そのためには糸枠70個分が必要という。

 機織り機で布に仕上げ、9月中に実行委員会に引き渡す計画だが、
人手が少なく期限までに必要な分量が確保できるか見通しが立たない。
林代表は「ボランティアで多くの人に協力してもらいたい。
糸はどう作られたのか昔の技が体感できます」と呼び掛けている。

 4、5の両日には、卯立の工芸館(越前市新在家町)で古代紙、古代布作りの体験講座を開講。
コースター大の布を作る作業を経験し、ボランティアとして協力できるかも考えてもらいたいという。
有料。問い合わせは、卯立の工芸館=電0778(43)78**=へ。

中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20070804/CK2007080402038348.html
2名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:09:08 ID:0iBuLS3C0
<丶`∀´>ホルホル
3名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:09:48 ID:FpdtvJAO0
バイト代くらい出せや。
4名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:09:52 ID:lVt1LdMr0
越の国
5名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:12:57 ID:83o+uFM90
宮内庁は偽物でなく正しい陵墓を指定してやれよ(w
散歩の犬が糞しまくってるぞ。
6名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:13:56 ID:v7HxQXby0
縄文・大和民族政権が弥生・渡来人政権を滅ぼした記念すべき日。
7名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:14:46 ID:FuWCcXdd0
継体ってどんな意味なの?
8名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:15:21 ID:fBDxXbnt0
>ボランティア

(ヾノ・∀・`)ムリムリ
9名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:16:29 ID:TzHTuCU20
>>6
違う。歴史を隠蔽するな。
10名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:16:34 ID:IzgWG2ri0
>>7
渡来人による征服王朝で、以前の天皇家とは繋がってないから、敢えて「継」の字をあてたのではないかと…
11名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:16:59 ID:PWRg/HDP0
天皇は韓国人ニダw
12名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:17:33 ID:+qHTTG0o0
平安神宮とか橿原神宮って詐欺だよな
13名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:19:36 ID:lVt1LdMr0
大伴氏が担いだんだから渡来人ではないだろう。
14名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:19:41 ID:83o+uFM90
まぁ、万世一系とか言ってる電波な人には触れられたくない天皇だな>継体
15名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:21:19 ID:R9T0KyZd0
金貰ってやってんだろうに、なんで他人をタダで労働させられると思うのか理解に苦しむ。
16名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:21:45 ID:lVcMjN8NO
>>6
学者から相手にされない電波乙。
>>7
天皇を継承する。中国語(漢文)で一世紀以上も後に付けられた。
>>10
まーた史学無視のトンデモ説かよ。そんな資料が残っていたら別の名前を付けるって〜の。
17名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:22:19 ID:VyDAwsus0
九州では、ならずもの、おろかもののことを、この「おおどもん」が、と言います
18名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:23:15 ID:Vpy/A3aM0
そうです。継体朝から渡来人による正当な日本がせきあがったのです。
まさに、ネイティブアメリカンを駆逐して、USAがワシントン大統領を擁立したのと似てます。
19名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:24:04 ID:UkMFTt1p0
>>1
やっぱり牛のスレだったwww
20名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:25:19 ID:FuWCcXdd0
>>16

天皇継体と書いた方が分りやすいのに?
21名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:27:54 ID:lVcMjN8NO
>>14
おまえ、今や否定された説を信じてんの?
上宮記の発見以降は殆ど空想レベルだぞ。
22名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:29:25 ID:Ft8DjkF+0
継体即位って要はクーデターでしょ?
23名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:29:27 ID:U1Dz08ReO
エジプトじゃあ4000年前のミイラを覆った布が
昔のままの姿を保っているというのに日本ときたら…
24名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:29:47 ID:/194O9j/0
継体とそれ以前の朝廷も違うが、神武から10代は架空鵜の人物だろ。
25名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:31:46 ID:Wn9D5Q1Y0
>>23
あんた昨日の「世界不思議発見」見たでしょ?
26名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:37:32 ID:/194O9j/0
伊勢神宮と出雲大社の古文書ではなぜか記述が500年ぐらい食い違うのはなぜなんだろうね。(・∀・)ニヤニヤ
日本の考古学者も自分で解読出来る椰子はあまりいない。
あるゴーストライターがほとんど解読しているんだよね。

27名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:39:22 ID:TzqgIt850
>>21
「上宮記」など、未だ発見されていない。

× 「上宮記」
○ 「上宮記」逸文

逸文とは、原本が存在せず、他書に引用その他の形で残っている文章のこと。

「上宮記」逸文は、『日本書紀』の注釈書である『釈日本紀』 に所蔵。

ちなみに『釈日本紀』 の成立は鎌倉時代末期。

鎌倉時代末期ににソース不明で、「7世紀の上宮記に○○と書いてあって…」という文書が残っていたとして、
それをどこまで信じて良いのか疑問。

見つかってないものだから、筆者の都合によって、どのようにでも書ける。
原本や写本から引用した証拠は一切ないのだ。

散逸した死海文書の記述によると…という電波と同じ類と同じではないか。
28名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:48:01 ID:lVcMjN8NO
>>22
ソースは?
考古学では福井が天皇(大王一族)との繋がりは有るとしてるしな。
>>24
無知だろ。
因みに稲荷山での名前月の剣の発見で
今や欠史八代も史学では死語に成ってる。
てか系譜は否定できないから、人により言ってることがバラバラなんだが
29名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 17:54:09 ID:lVcMjN8NO
>>27
同じでは無いな。
だから発見で津田のような電波は消えた。
写本や引用の否定なら世界中の資料が否定される。
それに矛盾が無いからね。
30名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:00:27 ID:TzHTuCU20
欠史八代については、まだまだ架空説が出回っている。
しかし、海部氏系図の発見で
なぜ、欠史八代とされたのか
かなり推測されつつある。

詳しくは、 amazon 海部氏 金久
でグーぐれ。
その本に詳しく書いてある。
31名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:09:39 ID:nvZ6du+L0
>>30
>グーぐれ

世にも珍しい言い方だな
チョン?
32名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:11:08 ID:Hu0TosAt0
>>7
奈良の天皇陛下に子供がなく、しかたがないので石川県あたりに住んでる
天皇のものすごく遠い親戚の(とされている)人をつれて来た。
しかし、奈良の豪族達はどこの馬の骨ともわからん香具師に従うはずもなく
無事即位できるまでに長い時間を要した
33名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:14:38 ID:Yi1k0n2M0
日本史ではクウ・デ・タアなんて何度もおきているのだが
34名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:21:42 ID:lVcMjN8NO
>>31
てか、史学とは言えない解釈研究本を言われてもね。
史学では死語と書いたのに、説が色々(バラバラ)とあるのは否定してないのに。
しかも最新のじゃなく結構、古い本だし。
>>32
少し違うぞ。
35名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:29:08 ID:Hu0TosAt0
>>34
何も調べずに記憶だけで書いた。多分間違っている
36名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:30:00 ID:IcF70ZDUP


女体天皇体位ってなに?
37名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:35:53 ID:TgBnoVuQ0
阿波には、皇室祭祀に奉仕する一族がいるものだとおもっていましたが、人手不足ですか。
スファラディ系ユダヤ人のうち、レビ系、コーヘンの家系の人々と
四国の祭祀に関わる家系の人々のDNA比較研究はされているのだろうか。
38名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:49:02 ID:kw96r5C50
古事記、日本書紀にある、天地開闢と共に生まれた神から、アマテラス、神武天皇を経て、
そして現在の今上に至る歴史

それを信じ生きるのが日本人の正しい道である。
39名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:49:58 ID:bdz6c10h0
>>10
継体天皇は応神天皇五世の孫と称して、淡海の国の息長氏から大和に入っていることが、記紀の記載にははっきり記されている。
応神天皇の末裔との話は、胡散臭いにしても、この息長氏は神功皇后の出身氏族とされるほどの豪族だ。
神功皇后は伝説上の人物とされるが、彼女の出身氏族と記紀に記される以上は大和政権も無視できないだけの力があったと考えて良いだろう。
つまり息長は、地方豪族とは言え古代では、天皇家とも近い、かなりの有力な豪族と考えていい

これらの記紀の記載から天皇家の血筋が何かの理由で途絶えたから、淡海の有力豪族だった継体天皇が、応神の末と称して大和豪族を排除して、天皇の地位を武力で簒奪したと考えて良いと思われるが
少なくとも息長は、海人族ではあったが渡来系の氏族とは考えにくい
40名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 18:58:49 ID:bdz6c10h0
>>38
アマテラスが天皇家の祖神と位置づけられたのは、せいぜい七世紀ごろと考えられている。
崇神天皇の姉のヤマトトモモソ姫が、大物主命を祭ったと記載されているとこから見ても、天皇家の祖神は、出雲を初め多くの氏族と同じく、大国主(大物主)だったと考えてよかろう。
太陽神信仰は、もともと伊勢などで行われていた地方信仰であり、記紀には神武天皇が大和入りした際には、物部氏の祖先のニギハヤヒ命が神武と戦ったと記載されている。
ニギハヤヒとは、にににぎしい日(太陽)との意味だから、明らかに太陽神であり、この事を考えれば、もともと物部氏など、一部の大和豪族も含めた氏族が行っていたのが太陽神信仰だったのだろう。
大和朝廷は、出雲から始まる大物主信仰から決別した後、その上位の神として太陽神を置いたと考えられる。

太陽神が女性であるという、世界でも稀な事は当時の天皇が持統天皇と女帝だったからだろう
41名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:00:01 ID:lVcMjN8NO
息長氏説なんて渡来説と変わらないくらい電波説なんだが。
それなら、ワザワザ系譜を書き替えなく名乗れば良いし
武烈の娘が拒否するし、他の皇族や天皇一族が拒否して回ってきたのにな。
42名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:07:33 ID:w67dN/rh0
蜂子皇子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蜂子皇子(はちこのおうじ、波知乃子王、欽明天皇23年?(562年?) - 舒明天皇13年10月20日?(641年11月28日?))は、崇峻天皇の第一皇子、
聖徳太子の従兄弟。出羽三山を開いたと言われている。

能除大師や弘海などの異名をもつ。地元(羽黒)の人たちの面倒をよく見ていたと伝えられている。残されている肖像画は、気味の悪いものが多いが、
多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。出羽三山神社にある皇子の墓は、粗末なものであるが、現在も宮内庁が墓を管理している。
享年は91であったと言う説もある。

] 経歴

* 562年(欽明23年)- 誕生。
* 585年(用明元年)- 聖徳太子の勧めにより宮中を脱出。
* 592年11月3日 - 父崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺される。
* 593年(推古元年)- 由良の八乙女の海岸にたどり着き、羽黒山を開山。3年間崖下の岩窟で修行。羽黒修験の元になったと言われる。引き続き、月山も開山。
* 605年(推古13年)- 湯殿山に湯殿山神社を建てる。
* 641年(舒明13年)- 羽黒で死去(享年80)
______________________________
  羽黒山頂にある出羽神社に通じる有料道路の入り口で、金井克己さん(74)が迎えてくれた。
松田さん一行が参拝したとき出羽三山神社の祢宜(ねぎ)だった人だ。紺の服にネクタイ姿。
宮内庁の制服だという。神社内にある蜂子皇子のお墓は宮内庁が管理している。日本で一番北にある陵墓だそうだ。

  神社の宿泊所「斎館(さいかん)」で泊まった翌朝、祢宜の阿部良一さんの案内で山中の吹越(ふきごし)神社を訪ね、
蜂子皇子像に参拝した。1メートル半ほどもある彩色坐像(ざぞう)で、大きな鼻、太い眉、やや目を寄せて、しかめ面をしている。
  出羽三山歴史博物館に展示してある「開山尊像」は黒い顔色、裂けた赤い口、獣のような目など怪奇な容貌(ようぼう)だった。
  それに比べると「人間」なのでなぜかほっとした。
  (次週は「大友皇子と十市皇女」)

asahi.com:崇峻天皇<下>-マイタウン奈良
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000140610270001
43名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:09:50 ID:w67dN/rh0
○ 崇峻天皇    
 (長谷部若雀/ハツセベノ ワカサザギ(記))   (蜂子皇子の父)
泊瀬部(初瀬/長谷)皇子
第32代天皇 (在位 587 〜 592 ) --- 継体(男大迹王)王朝(越の国)の孫にあたる。
父が欽明天皇(29代)、母が蘇我の稲目の娘。
妃は、大伴の小手子、嬪に、物部の布都姫、蘇我の河上媛。
宮殿は、倉梯の柴垣宮(金福寺周辺)。
44名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:11:32 ID:lVcMjN8NO
>せいぜい七世紀ごろと考えられている。
君の利用する解釈だけ。
>天皇が持統天皇と女帝だったからだろう
゚Д゚)ポカーン

まぁ、妄想は自由だけどね。例えば天皇ユダヤ人説とか
45名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:11:58 ID:DbC9GanZ0
ボランティアってくだらない、の一言。
46名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:13:25 ID:+iW54y4L0
みんな継体天皇好きだねw
男系一統がこの天皇以前では怪しいから?w
47名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:18:33 ID:geJGIdhQ0
「新しい歴史教科書をつくる会」ではどう言ってるの?
48名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:19:31 ID:A61BZ+P70
黒岩重吾さんは継体の母は朝鮮系ではないかと推定している。
49名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:21:39 ID:ZWP6oRpM0
継体天皇なんて存在したかどうかも分からない人物を記念する祭りがある事自体驚き
50名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:22:40 ID:w67dN/rh0
神功皇后
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) - 神功69年(269年)4月17日)は古墳時代の皇族(王族)。
仲哀天皇の皇后。気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・息長帯比売命・大帯比売命。
父は開化天皇の玄孫・息長宿禰王で、母は天日矛の裔・葛城高額媛。彦坐王の4世孫、応神天皇の母。
目次
* 1 事跡
* 2 在位年と西暦との対照表
* 3 参考文献・関連書籍
* 4 関連項目

事跡

日本書紀などによれば、201年から269年まで政事を執り行い、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま
朝鮮半島に出兵(三韓征伐。200年)したとされ、その際はお腹に月延石や鎮懐石と呼ばれる石をあててさらしを巻き、
冷やすことによって出産を遅らせたとされる。月延石は三つあったとされ、それぞれ長崎県壱岐市及び京都市の
月読神社と福岡県二丈町の鎮懐石八幡宮に奉納されたと言われている。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産し、
志免でお紙目を代えたと伝えられている。他にも壱岐市の湯ノ本温泉で産湯をつかわせたなど、九州北部に数々の伝承が残っており、
九州北部に縁の深い人物であったと推測される。

この時代は、長期間にわたって天皇が空位のままだったため、明治時代以前は神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなし、
15代の帝と数えられていたが、明治維新の際、歴代天皇から外された。明治から太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦までは、
研究の場では江戸時代より様々な論考があったにもかかわらず、学校教育において実在の人物として教えるよう指導されていた。

現在では実在説と非実在説が並存している。
51名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:22:47 ID:vI25jvFQ0
あの博識なコテの方はこのスレに出てくるのだろうか
52名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:27:25 ID:2Ls+dRAPO
差し迫って、ボランティアが必要な割には
コースターを作る体験は、有料って‥
変じゃない?
寧ろ、お土産つけてでも
体験してもらって
ボランティアに参加してもらわないといけないのでわ?
53名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 19:56:14 ID:KYfwmkA50
土手や斜面に生えてる葛(くず)ってあるじゃん?
あれも昔は布つくる材料だった
蔓の皮を剥くと内側に薄く丈夫な靭皮層があるから
束ねて流水にさらし他の部分を腐り落として取り除く
乾かしたのを細く裂いて紡いで織るのだが
荒く裂けば麻風、細かく裂けば絹風に。
他の繊維と綾織にしたりして活躍したが
裂く作業が大変すぎて今では郷土館の見世物くらい、、
54名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 20:21:49 ID:9G8biBvZ0
古事記も日本書紀もあてにならんからなぁ・・・。

朝鮮人の書いた歴史書だしな。
55名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 20:22:47 ID:U6TdPbcq0
大和在来の崇神天皇の王朝に後継がいなくて、
渡来系九州基盤の応神天皇に乗っ取られた。
その応神天皇の系統の勢力が弱まってきたとき
地方で経済基盤を築いていた継体天皇が大伴氏に担がれて即位した。
だが、継体天皇が渡来系か純日本系かはわからない。
と、解釈してる。
56名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 20:42:09 ID:cv0A1kMD0
>>54
まあこの辺になると考古資料や海外史料だよりだからな
57名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 21:37:17 ID:It1BdrvK0
なぜ「携帯」天皇というボケがでない?
58名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 22:01:26 ID:w67dN/rh0
>>55
騎馬民族征服王朝説を支持すると?万世一系ではないと?まあ朝生で田原も「万世一系はフィクション」と言っていたからなあ。
59名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 22:13:03 ID:y968gGvz0
継體天皇と表記すべき
60名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 23:18:39 ID:U6TdPbcq0
>>58
いや崇神朝→応神朝への権力継承の時は婚姻等による血脈維持はあったと思う。
だが応神朝→継体朝のときの血のつながりはかなり怪しいと思ってる。
だから今上天皇の直系といえるのは継体以降。
61名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 23:23:23 ID:mpIx1+fg0
>>60
手白香皇后が応神朝の末裔だから、女系ではさらに血統を遡れる。
62名無しさん@八周年:2007/08/05(日) 23:56:24 ID:w67dN/rh0
>>54
チョンにそんな文化あるかよw
63名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:04:03 ID:SS4/LBan0
>>24
それと、15代、応神天皇は14代、仲哀天皇の子ではなく
仲哀天皇の后、神功皇后と家臣の武内宿禰の子。
つまり、ここでも皇室血筋の断絶が起こってる。
64名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:10:57 ID:RvJ+tp2YO
電波説ばかりだな。系譜を否定する為に、記紀以上に信憑性が無いのばかり。
時間軸が信用できないのと、系譜の信用度は違うのに。
65名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:19:41 ID:wqt0A/Zc0
継体天皇の皇后が先代武烈天皇の妹らしいな。
その子達が皇統を継いだのだから男系ではないにせよ、
血統が途絶えてはいないのだな。
まさしく継体だ。これは祭りにもなる。
6663:2007/08/06(月) 00:19:55 ID:SS4/LBan0
もし、継体天皇が応神天皇5世の孫と言う記述が本当だとしたら、
今の天皇家の血筋は、神功皇后と武内宿禰から始まった血筋と言う事に成る。
この神功皇后とその子、応神天皇を奉った神社が日本最大の社の数を持つ八幡社の総本社、
宇佐八幡宮である。
67名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:22:26 ID:RvJ+tp2YO
因みに日本書紀は史実では無いとしてる左派教授の遠山も天皇誕生237頁で言ってるな。
「それでは、日本書紀という歴史書は、どうして倭国の実際の歴史過程を正確に叙述しようとはせず
現実にはありもしない中国的な王朝とその交替といった自国史を描き出そうとしたのだろうか。」

とあるように、日本書紀の創作部分を史実と解釈する王朝交替説は
日本書紀の読み方が分かってないと指摘している。
日本書紀の世界観を分析した結果として、より信憑性の低い推測説を否定してる。
68名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:27:45 ID:RvJ+tp2YO
>>65
系譜や記述や伝承を認めてるなら男系です。
だいたい、既に仏教を天皇が受け入れてるのに、それを無視して
神話や系譜創設説なんてのも妄想の粋を出ていない。
仏教的な立場や日本書紀を纏めた気化(中国)人の思考を理解してなう。
69名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:28:27 ID:txVZAdR6O
>>57
継体天皇スレが立つ度に出てるから
70名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:31:08 ID:RvJ+tp2YO
天皇三世孫など継体天皇より近い血筋の皇族が複数、存在していたことから交替説の間違いを指摘していた学者がいたけど書名を忘れたが…。
日本の歴史03(講談社)
138頁
「戦後間もないころ、応神五世孫というあいまいな系譜に着目し、実は継体は地方豪族から
身を起こし、ヤマトに攻め上って「応神王朝」から王位を簒奪して「継体王朝」を開いたのだ、
という王朝交替説が唱えられ、学会に大きな影響を与えた。
しかし、この説はやはり成立しないだろう。というのは、もし彼が簒奪者で、新王朝の開祖であるならば
彼の出身母体である息長氏が大王家に取って代わっていなければならないはずである。しかし、息長氏は、
たかだか疎遠な皇族という位置づけで、684年(天武十三)の八色の姓で息長真人の姓をもらっているに過ぎない。」
7166:2007/08/06(月) 00:31:49 ID:SS4/LBan0
現在、天皇家は二つの開祖を持っている。
一つは神話に基づく開祖、天照大神。(伊勢神宮)
もう一つは、血筋の祖、神功皇后である。(宇佐八幡宮)

この二人の神様の共通点は、共に女性である。
72名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 00:35:05 ID:RvJ+tp2YO
>>66
ならねーよ。想像。
系譜のが信頼性が高い。
>>64>>67を参照。
73名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 01:56:41 ID:3+mGYcpB0
>>46
「万世一系」って江戸後期になって生まれた思想じゃなかった?
明治以降は天皇の統治を正当化するために大々的に宣伝されたけれど、
後付で言ってるだけで江戸以前の天皇とは全然関係ない。
74名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 02:20:54 ID:RvJ+tp2YO
>>73
北畠親房の『紹運篇』:「大日本は神国なり。」「唯此の国のみ昔より譲りのまゝに天日嗣(一系の天皇)を
うけ給つることたうとき事なるべし。さればもろこしの大宋の太宗皇帝はうらやみ給けるとぞ(一つの姓)
書伝に見えたり、日本を神国と云伝えたることはこれにてはかりしるべし。」 http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_da18.html
室町時代初期の懐良親王:「日本は皇統連綿2000年と続く聖天子が治める国。
明みたいな暴力革命ばかりの新興蛮国の成り上がり皇帝は黙れ」
兼良親王
>私の聞くところによりますと、貴国の聖天子たる三皇五帝ハそれぞれ割拠する土地を異にし、
>血筋や出身にとらわれず有徳の人々に位を譲ったと申します。
>しかしその実情がどのようなものであったかは、以後幾千年にわたる、
>禅譲に名を借りた放伐、簒奪、革命の事跡を尋ねればよくわかることです。

>あなたは今君主となり、その領域を中華と称し、
>周辺の国々を夷てきだ、野蛮人だと決め付けておられますが、まことに勝手な偏見です。
>当方も立派な独立国家で、皇統連綿二千年の聖天子を戴き、未だかつて貴国のように革命のなかったことは、
>そちらの歴代正史に収められた「日本伝」にはっきりと記されていることではありませんか。
>ましてそちらのように、つい最近成り上がったばかりの族長が治める暴力国家とは違いますぞ。

日本誌」 一六九〇〜一六九三年に日本で勤務したドイツ人医師 エンゲルベルト・ケンペル
> (日本の)王朝は、キリスト以前の六六〇年がその始まりである。・・・・この年からキリスト紀元一六九三年に至るあいだ、
> すべて同じ一族に属する一一四人の皇帝達が相次いで日本の帝位についた。
> 
> 彼等は日本人のもっとも神聖な創建者である天照大神の
> 一族の最古の分枝で有り、彼の最初に生まれた皇子の直系の子孫である等々の事を、極めて誇りに思っている。
> 
75名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 04:33:36 ID:gvKm87xv0
日本人の精神的ルーツ

「壱岐は神道発祥の地なんです」とは『島の歴史のことならこの人』と紹介を受けた占部英幸さん。
日本初の歴史書とされる『日本書記』によると、壱岐の月読神社を京都に分祀した壱岐氏が、
中央で神道を根付かせ広めたとしている。また「三韓征伐」で知られる神功皇后が月神の教えに
したがって石を袂に挟み、これをなでて心を鎮め、無事に出産されたと記されている。この石は
落雷で三つに割れ、京都の月読神社、怡土の県(糸島の鎮懐石八幡と思われる)、そして壱岐の
月読神社に奉られているというので早速行ってみることにした。神社の管理もしている占部さんは、
普通ならなかなか入ることもない拝殿内に招き入れ、御神徳や由来について写真を交えて説明してくれた。
それにしても占部さんの博識ぶりには舌を巻く。聞けば郷土史の面白さの虜になり、ついに勤めを辞めて
この9月から壱岐の文化事業活動を始めるという。「54歳の手習いです」と、少しはにかみながら静かに微笑んだ。
鬱蒼とした林の中に神秘的なたたずまいを見せる月読神社。どんな大河も小さな源泉から始まるように、
この神社もあえて誇示することなくひっそりと、そして確かな存在感を漂わせていた。

さらに深く壱岐の歴史を探るべく車を走らせる。東西15km、南北17kmほどの小さな島に平らな土地は少なく、
田畑も山の斜面を切り開いた、いわゆる段々畑。曲がりくねった道を抜け、視界がパッと開けたら原の辻遺跡だ。
島の南西部に位置する原の辻は、魏志倭人伝に書かれた「一支國」の中心地と言われており、大陸から運ばれ
てきた鉄器・青銅器や装飾品・土器、また日本各地の土器も出土していることも、この地で盛んに交易が行われ
たことを示している。最近ではムンクの絵のようにユニークな表情をした人面石が出土し話題になったが、こ
れは国内でも例のない出土品。集団を守り、稲の豊穣をもたらしてくれる祖霊を表現したもので、3〜4世紀に生きた人々の精神性の高さを物語っている。

sixarbres 2003年9月号ttp://www.iki.co.jp/news/img/sixarbres01.gifttp://www.iki.co.jp/news/img/sixarbres02.gif
ttp://www.iki.co.jp/2003/12/sixarbres_20039_1.html
76名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 04:40:13 ID:hejtxI68O
確実な資料なんて無いもんにあーだこーだ言っても結論でねー
だがそれがいい
紀元前660年つうのは眉唾だが、夢があっていいじゃん
ローマ人だって自分らの祖先はトロイから脱出したアエアイナスと信じてたし
アテネの建国者はミノタウロスをぬっ殺したテセウスつう事になってるし
77名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 04:43:50 ID:ey3BljkD0
有料サービスをボランティアにやらせる?

え?w
78「鈴鹿文庫」解説:2007/08/06(月) 04:44:18 ID:gvKm87xv0
鈴鹿家は京都市の吉田神社の社家として,中世以降卜部(うらべ)神道の伝統を継承してきた。
鈴鹿連胤(つらたね)は,近世後期に日本最古の辞書「新撰字鏡」を探求し,これを世に紹介した。
連胤とその後裔は,文学関係者と交渉が深く,香川景樹・小沢蘆庵などとも交渉があり,伊予の国学者矢野玄道もしばしば鈴鹿家を訪れている。
 鈴鹿三七は,連胤から四代目,京都大学で国文学を専攻し,大谷大学,ノ−トルダム清心女子大学,
神宮皇学館大学教授を歴任した。業績としては,吉沢義則著「日本古刊書目」は,恩師の名で刊行されたものであり,
「今様歌」「水鏡」のほか「和歌短冊影譜」「勅板集影」「北村季吟著作集」などがある。昭和42年,79歳で没した。
収集された蔵書内容は,以下の多方面にわたる。

1)神道
 卜部神道の家系だけに,さすがに貴重なものが多い。「日本書紀」の写本,板本の収集は圧巻で,神代巻67点に及び,
寛永板本から明治初期までほぼ完全に網羅している。「中臣祓」「古語拾遺」の板本の各板も多い。「日次紀事」は,孤本で貴重である。
2) 和歌
 交わりの深かった香川景樹・小沢蘆庵らの資料は特に豊富である。
その他,近世後期の歌集の板本100冊余,明治大正期の歌集160冊。
3) 物語・随筆・日記等 
 源氏物語・方丈記・徒然草については旧蔵者は著書もあるので,それらの写本・板本・注釈書類は豊富に集められている。さらに複製本も多い。
4)国語学
 「千手千眼陀羅尼経」など,訓点資料の複製本が多く,入手困難な国語史研究上貴重な資料である。
5)書誌学
 旧蔵者は,関西における書誌学の開拓者と言われるだけに,基本資料である各種書影の複製本がよく集められている。
諸書には,旧蔵者の手で,その伝来,関係資料との比較などがたんねんに記載され,
またこれらを借覧した他の研究家からの書簡も添付されており,研究上貴重な資料となっている。
他に印譜の収集,大正・昭和期の各種目録が約100ある。
6) 外国語
 Brian,Aston,Gurdert,Florenzなどの外国語訳の日本文学が収集されている。
79名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 04:46:13 ID:gvKm87xv0

 月読神が中央に進出した公式の記録で、日本書紀にも記されています。
.壱岐の県主(あがたぬし)の祖、押見宿禰(おしみのすくね)顕宗(けんそう)天皇三年、西暦487年、
阿部臣(あべのおみ)事代(ことしろ)みまなの国に使いをした時、壱岐にたち寄った、その時に月の神に仕える、
壱岐氏が月の神の託占を伝えた「私の祖(おや)の高産霊(たかみむすび)神は天地を容造(作る)功績がある神である、
私は月神である、私を民地に祭れば幸い慶びがある」ということを告げた。これを事代は天皇に告げ、これを天皇が受け入れて京都に祭る。
壱岐から県主(あがたぬし)の祖、押見宿禰(おしみのすくね)が月讀神社を分霊して行かれた。

押見宿禰(おしみのすくね)の坐像
おしみのすくね

おしみのすくねが祭られた、月読神社が現在の京都,松尾大社の南隣約500メートルにある、月読神社です。
 壱岐と京都、奈良の都との本格的な交流や大和朝廷との深いつながりも実はこの時には確立されていました

 日本国家の成立に壱岐島の果たした役割がいかに大きなものであったか、今まであまり知られていない史実を集めて公表していきます。

の本格的な日本の国作りがはじまる。
松尾大社は今年創建されてから千三百年、それより古い千五百十四年前の創建が月読神社。


ttp://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/gazou/r2
押見宿禰(おしみのすくね)の坐像
80「鈴鹿文庫」解説:2007/08/06(月) 04:47:05 ID:gvKm87xv0
 卜部神道家の鈴鹿三七氏(京都市左京区)の旧蔵書。

 鈴鹿家が中世以降の神道家であるために蔵書の中心は神道関係であるが、物語、随筆、日記類が含まれています。

 国学関係の書写本、板本、複製本、活字本、軸物、箱物等7,432点からなります。

 文献画像は、国文学研究資料館撮影により提供されたものを掲載しております。
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/index.html
81名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 04:49:12 ID:M0j7jTGO0
これボランティアと言う名のただの労働やん。

こういうの好かんわ
82名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 05:55:18 ID:dobNxutL0
俺が推測するに、大和の祖の国、邪馬台国の卑弥呼は女性だ。
これは異存ないでしょ?卑弥呼はなぜ卑弥呼と呼ばれたのか。
それは、神の意思を民に伝える巫女だったからだよ。
だから、自らを卑とし、弥呼、巫女、皇子、皇女、神子と呼ばれた。
その神とは、人類の太古からの大いなる神、太陽神さ。

Byみんなの先生、弥勒より。
83名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 06:07:46 ID:WfTPFm1Y0
継体が応神の5世孫なんて、誰も信じてないだろ。

系図では、こんな書き方をするけれど…

品陀和気命(応神) ─ 若沼毛二俣王 ─ 大郎子(意本杼王) ─ 宇斐王 ─ 彦主人王 ─ 袁本杼命(継体)

そもそも、生没年も名前も残っていない人物が系図に載ってる時点で、単なる「系図の想像図」なんだよね。
恐らくこんな人が居たに違いないと思っているだけ。

若沼毛二俣王なんて、ここで大王家の系統が別れましたという意味の「記号」でしかなくて、名前とは言い難いし、
この6代から若野毛二俣王と大郎子を除いた4代が本当の系譜なんて主張も出ているし。
84名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 07:06:15 ID:77m5spg30
歴史で証明できるだけでも
1500年
という
捉え方はしないってところが
日本の歴史学者は
明治以降馬鹿の(以下自粛)
85名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 08:29:28 ID:OIBXVY1J0
>>23

いろはにてほへ2005/11/23てほへの言霊日記
…木烏神社境内の案内板によると、昔、日本武尊が瀬戸内海を巡行の際、濃霧のため迷っておられたところ、
一羽の烏があらわれて、水先案内を勤めた後、泊の島に飛び帰ったので ここに祠を建てて祭ったのが始まりとされます。
…「珍敷塚古墳」(福岡県)の壁画に登場する船…はエジプトの「太陽の舟」に重なります。
http://tehohe.blog17.fc2.com/blog-entry-10.html

「出雲から世界へ」 出雲文化について 造船技術 2.(福岡県:珍敷塚古墳壁画) http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/2-3.htm

邪馬台国大研究 17.全国・遺跡旧跡案内 古墳時代68.福岡・日岡/月岡装飾古墳(吉井町古墳群) 珍敷塚古墳 玄室奥壁の壁画http://inoues.net/ruins/yoshii_kofun.html

Hara:mのHP エジプトの神話
●ウジャト…完全・修復・守護 人の目を模った隼(ホルス神)の目。左目は月の象徴でホルス神を顕し、右目は太陽で太陽神ラーを顕す…。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/choi/page015.html

神産み-Wikipedia 1あらすじ 1.1古事記 1.1.4禊祓と三貴子の誕生
イザナギは、黄泉の穢れから身を清めるために、…左の目を洗うと天照大御神(あまてらすおほみかみ)が生まれた。
右の目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%A3%E3%81%BF#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E6.9B.B8.E7.B4.80

【考古学】真の継体天皇陵?前方後円墳の大規模な石組み遺構見つかる・・・大阪府高槻市http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1172737315/
86名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 09:37:59 ID:ARv7vbyQ0
万世一系www
87名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 09:41:12 ID:EUA4xP1B0
また「タダ働き人夫募集」か...ちゃんと人件費払えよ。
ボランティアって名前だと、最低賃金以下でも働かせられるんだよな。
88名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 10:37:30 ID:L12cU/DS0
根気の要る細かい作業は「ボケ防止に効果的」とか言えば、お年寄りが集まりそう。
89名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 10:41:29 ID:/VpCoggG0
こんなん存在したかどうかもぁゃιぃのに・・
存在したとしてもたかだか酋長じゃん。ばかばかしい。
90名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 11:24:55 ID:DxaVwFWx0
>>83
名前なんてたいてい地名からきてんだから
若沼毛の道か川などが二つに分かれるあたりにすんでたから二俣って名前だったりするんだろう
そう解釈するほうが自然だけどな
91名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 13:03:42 ID:1fheJ3ac0
学説なんてものは、まず仮説が先にあり
各種の資料や調査結果などから、それに矛盾がないか立証していくものだ。
仮説を否定したら成り立たないよ

例えば電波は粒子であり波だと現在では常識になっている事だが、実際のとこ、それがどういう意味か
粒子であるはずの電子が波になっているとは、どういう状態なのか
それは誰も立証も確認も出来ていないのだ
ただ、各種の実験や発見から、そう考えれば全ての問題が矛盾しないから認められているに過ぎない

つまり仮説が証明されて常識になっているだけであり、根拠となるものは誰も確認していない
歴史学だって、タイムマシンが存在しない以上は、各種の文献や資料から検証するしかないのだよ

記紀の内容が全てでたらめだと言う学者連中は、それなら何をもって当時のことを調べるのかと聞きたいものだな
記紀(古事記・日本書紀)は第一級の資料であり
政治的にゆがめられた部分はあるにしても、史実らしい部分も、その後の研究でかなり実証されているのだしな
92名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 13:05:14 ID:IzvAYjfP0
事実上の開祖だろ。
93名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 13:47:18 ID:3+mGYcpB0
>>74
北畠親房の『神皇正統記』では、単純に皇位継承の順番を示す場合は「第○○代」、
正統を表す場合には「第○○世」と記している。
男系の途絶えた仁徳―武烈や天武―称徳は、正統からははずされている。

つまり枝を切捨て、幹だけを皇位継承の本体とする考え方。
「万世一系」じゃなくて、直系の「父子一系」。
94名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 15:39:09 ID:1fheJ3ac0
継体天皇の時代のことは、わからん事が多すぎる。
記紀に書かれた時代には、継体天皇は、そのオクリ名から考えて
旧来の大和政権とは別系統の天皇であったことが、当時の知識層
は、知っていたと推測されるが。
実際の詳しい系統に関しては、応神五世の孫としか証されていない
からな。

日本書紀の前に書かれた古い日本の歴史書が、死海文章のように
発見でもされない限りは、永遠にその辺の事はわからないと思う
ただ、仮説が乱立するだけでさ。
95名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 18:08:06 ID:DxaVwFWx0
見つかるってもし古い歴史書があったってそこに応神から継体にいたる系譜があるだけだろう
そしてそれはこれまでもわかってることだからたいした発見はないと思う
96名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 21:17:16 ID:UuBb0Yh/0
継体天皇の即位は天皇に皇子も兄弟もいない場合は傍系から迎えられるというケースの代表である
似た様なケースでは江戸時代の光格天皇のケースがある

いずれも前の天皇の皇女・姉妹と結婚している
継体天皇は武烈天皇の姉・手白香皇女と結婚
光格天皇は後桃園天皇の皇女・欣子内親王(新清和院)と結婚
9796:2007/08/06(月) 21:26:09 ID:UuBb0Yh/0
現在の皇室は平成改元以降にお生まれの男性の宮様が秋篠宮悠仁親王殿下お一人なので
旧宮家の方々にお戻り頂き、直宮家の皇女様と御結婚頂く案もあるとのこと
98名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 22:36:22 ID:3+mGYcpB0
>>96-97
皇族同士の結婚なら「皇族は人権を制限される」という理由で結婚相手の血筋に規制を設けることが
可能かもしれないけど、皇族と民間人の結婚の場合は一方の当事者が国民だからやはり人権侵害
になってしまう。
民間の男系男子を皇族の養子に迎えてクリアしようとしても、皇族は実系重視だから養子そのものが
禁じられてるわけだし・・・

それに継体天皇や光格天皇は天皇の五世孫以内だったけど、旧宮家は二十数世孫。
いくらなんでも離れすぎ。
99名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 01:28:45 ID:CW+YMePo0
>つまり枝を切捨て、幹だけを皇位継承の本体とする考え方。
>「万世一系」じゃなくて、直系の「父子一系」。

易性革命を経ないって言う意味だから万世一系と同じなんだよ
直系の「父子一系」とは、当時の天皇から血筋を遡って見てるんだから

易性革命があったら、父子一系じゃないの

つまり同じ事
100名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 01:33:52 ID:CW+YMePo0
旧宮家以外の養子やインチキ学者が正当化する「女系天皇」なら、
∞世孫の彼方まで離れてるって事だよ

血筋が違うんだよ、血筋が



旧皇族からの養子を二十世孫離れている事を理由にして否定するのに

否定したその口で∞世孫離れる「女系天皇」を肯定するのがインチキプロパガンダの特徴
101名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 02:48:38 ID:fHGbKyjb0
>>99
>易性革命を経ないって言う意味だから万世一系と同じなんだよ

「易姓革命」じゃないのは、女系天皇でも同じこと。
中国の宗族とは違って、日本では既に氏姓制度が廃止されてるからね。
皇婿の名字は皇后の名字の扱いと同じで、子孫には継承されない。
だから易姓革命にはならない。

>易性革命があったら、父子一系じゃないの

>つまり同じ事

北畠親房は、仁徳―武烈や天武―称徳を断絶した系統と解釈したから、正統からは削除したわけ。
これは「万世一系」とは全く違う考え。

何を正統と見なすかについては歴史的にいくつかの思想があって、たとえば南北朝時代の北畠親房の
直系主義、江戸後期の「万世一系」、明治時代の「女統・女帝」容認論など。
前の二つは氏姓制度がまだあった時代のもの、「女統・女帝」容認は廃止後のものだね。
イデオロギーだからどれを信奉するのもしないのも個人の自由。
102名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 03:23:10 ID:CW+YMePo0
断絶とか関係ないだろ

神皇正統記の正統は、今の「対象とする」代から遡った直系系譜そのものの意味だよ


だから>>74の北畠親房や兼良親王で挙げられてるのは、
易性革命がなかった日本は素晴らしいと謳い上げてんだろ


これが万世一系と同義だと言ってんだよ
103名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 03:26:01 ID:CW+YMePo0
>何を正統と見なすかについては歴史的にいくつかの思想があって、たとえば南北朝時代の北畠親房の
>直系主義、江戸後期の「万世一系」、明治時代の「女統・女帝」容認論など。


>>101は『神皇正統記』で使われる「正統」の意味が解ってないないからこう云う事を言うんだよ
104名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 03:38:11 ID:CW+YMePo0
>皇婿の名字は皇后の名字の扱いと同じで、子孫には継承されない。
>だから易姓革命にはならない。


嘘ばっか付くなよ


姓は変わらないんだよ、姓=血統名称だから
皇婿が雑種その雑種の男系の天皇じゃねぇーか馬鹿が


「正しくは易姓革命にならない事にしたい」の間違いだろ御前の場合


105名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 03:40:12 ID:CW+YMePo0
正しくは「易姓革命にならない事にしたい」の間違いだろ御前の場合


こうな
106名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 04:09:00 ID:nFa1RxMuO
>>83
今では継体天皇が大王一族の血筋と認める方が多い。
>系図では、こんな書き方をするけれど…

>品陀和気命(応神) ─ 若沼毛二俣王 ─ 大郎子(意本杼王) ─ 宇斐王 ─ 彦主人王 ─ 袁本杼命(継体)

>そもそも、生没年も名前も残っていない人物が系図に載ってる時点で、単なる「系図の想像図」なんだよね。
あのね。例えば旧宮家出身者を天皇家に受け入れたとして、臣籍降下している家系を具体的に職業や生年月日を皇統譜に書くか?
情報化社会の現在でもありえない。
日本書紀の系図が書かれてる巻が紛失してるだけだし、別に変ではないな。

>恐らくこんな人が居たに違いないと思っているだけ。
それこそ君、個人の推測でしかないな。
>若沼毛二俣王なんて、ここで大王家の系統が別れましたという意味の「記号」でしかなくて、名前とは言い難いし、
妄想を語っちゃってるよ。古代にはある形式なんだが。そもそも記号とするなら中国人が知っているって事なんだが。
>この6代から若野毛二俣王と大郎子を除いた4代が本当の系譜なんて主張も出ているし。
天皇家は宇宙から来たとの主張も出ているレベルだな。
電波な理屈は>>64>>67な。
107名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 04:13:57 ID:nFa1RxMuO
>>94
>記紀に書かれた時代には、継体天皇は、そのオクリ名から考えて

今だに諡(オクリ名)で妄想する馬鹿が居たとは。
しかも意味さえも勝手に造り上げて妄想してる類だろうな。
108名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 04:27:59 ID:nFa1RxMuO
>「易姓革命」じゃないのは、女系天皇でも同じこと。
同じじゃ無いだろ。
>中国の宗族とは違って、日本では既に氏姓制度が廃止されてるからね。
何、このスレで現時点に限定さるてる法律論を語っちゃって訳?
この時点で「易姓革命」を理解して無い典型ですね。
>北畠親房は、仁徳―武烈や天武―称徳を断絶した系統と解釈したから、正統からは削除したわけ。
君の解釈です。系図を父系で辿ってるのは普通の事です。
解釈したから正統からは削除???何、自己解釈しちゃってるの?

>イデオロギーだからどれを信奉するのもしないのも個人の自由。
君のがイデオロギーからくる脳内解釈なのは知ってるよ。
109名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 04:33:40 ID:rJWhOFviO
>>100
女帝の息子は先帝の孫になるんだから血は受け継いでる
なんか問題あるか?
数百年前に分かれた家系のに継がせろなんて異常だな
110名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 04:44:32 ID:MpjBbvrx0
神功皇后の件はどうなの?応神天皇は男系なの?
111名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 04:49:06 ID:nFa1RxMuO
>>102-104
このスレで関係ない結婚制度や人権を語る思想のみの狂犬を相手にすると噛み付かれてしまいますよ。
何たって議論には関係ない皇位継承議論スレみたいに
>二十数世孫。いくらなんでも離れすぎ。
なんて自己の脳内設定をしちゃうくらいの狂犬だぞ。
しかも
>民間の男系男子を皇族の養子に迎えてクリアしようとしても、皇族は実系重視だから養子そのものが
>禁じられてるわけだし・・・
なんて無知を言っちゃうほど。
昔は養子は存在したので形式に使われていた=認められていた。
(あ、この人は現行の法律論を語っちゃう人か)
それに「皇統連綿」と書かれてる意味が理解できないのと
エンゲルベルト・ケンペルの
>すべて同じ一族に属する一一四人の皇帝達が相次いで日本の帝位についた。」
見えないみたいだしな。「一族に属する」が。
112名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 04:56:38 ID:nFa1RxMuO
>>109
>女帝の息子は先帝の孫になるんだから血は受け継いでる
>なんか問題あるか?
つ「継体天皇」
何で継承理論に関係ない血を受け継いでるとかの議論になるの?
そういや、旧宮家には天皇の血を受け継いだ孫、曾孫が居たな。
>数百年前に分かれた家系のに継がせろなんて異常だな
戦前まで継承権が有ったわけだから、日本の昭和以前の伝統や歴史を異常と侮辱したい思想か国の方みたいですね。
113名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 05:05:34 ID:rJWhOFviO
>>112
東久邇家はいいさ 昭和天皇の孫やら曾孫いるしな
血は今の皇室と近い
その他の旧宮家なんざもう他人だよ
男系だからOKってアホか
114名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 05:10:46 ID:skereLJPO
ああ・・・それにしても・・・タイムマシンが欲しい・・・っ!
115名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 05:13:12 ID:nFa1RxMuO
>>110
>>72
>>113
君のイデオロギー設定は聞いてないから。
正統論が出発点なのに昭和以前の日本を見下し、関係ない意見を必死に訴える思想には興味は無い。
116名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 05:18:08 ID:9O3qV9k30
おまえら一人一人がしっかりと働いて強く生きれば日本は安泰なんだよ。
他所の家の後継ぎのことガタガタと論議するよりも手前らがちゃんと
働いて結婚して子作りして「自分の家」を守れや!話はそれからだ。
117名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 11:14:42 ID:5bXhC3w60
>>113
その他の旧宮家も明治天皇の皇女が嫁がれている家がある=旧竹田宮家など
118名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 18:49:14 ID:2vGRirJ90
父親からの血筋と母親からの血筋。
どっちも血筋ではあるけど、同質には考えられないでしょ、
というのが「男系」「女系」議論の要だと思っていたが、
違うのかな・・>>109

119名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 18:56:33 ID:1beP4XO7O
いいかげんしつけえ
120名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 19:00:36 ID:1beP4XO7O
>10 繋がってるよ馬鹿野郎。傍系と言えどちゃんと天皇家の血を引いている。
お前は朝鮮の工作員か?残念だったなwww
継体天皇は神武天皇の血をちゃんと引いているよ。
ホラ吹き朝鮮人はさっさと半島に帰れやwww
121名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 19:18:07 ID:sk+KJ9kI0
天皇オタクとかマジきめぇ
122名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 19:49:36 ID:0jseWDJMO
>>121
天皇オタクという訳ではなく、日本人なら知ってる・知っておかなければならないこと。
>>121が自分と同じ日本人なら情けない。かの国の人間なら、仕方ない。かの国の人間は、相手のことをわかろうと努力せず自分の考えを押し付け、自分達が正しい、自分達が選ばれた人間なんだと声を大にして叫ぶ。
そんなんだから、自分の国の歴史を間違って覚えてしまうんだよ。
123名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 19:55:13 ID:Mt5x+EfT0
ボランティアと称して在日集合してイタズラ三昧wwwwww
124名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 22:38:41 ID:fHGbKyjb0
>>103>>108
『神皇正統記』の「第○○世」を「まことの継体(皇位継承の本体)」とするのは、河内祥輔氏の学説。
反論があるなら、先ず『神皇正統記』の「第○○世」の意味を明らかにしなくちゃね。

>>104
>姓は変わらないんだよ、姓=血統名称だから
>皇婿が雑種その雑種の男系の天皇じゃねぇーか馬鹿が

何これ?
氏姓制度は1870年(明治3年)の「平民苗字許容令」で正式に廃止されてるよ。
125117:2007/08/07(火) 22:48:26 ID:5bXhC3w60
明治天皇や昭和天皇の皇女に当たる方が嫁がれたのは少しでも血縁を近くしておくためのこと
基本的には父方を一直線にたどって行けば神武天皇に行き着けば共通の祖先が離れていても正当であるという考えがあった

余談ではあるが戦後GHQによって宮家の整理が行われた時に日本政府は香淳皇后の御実家の久邇宮家と明治天皇と昭和天皇のそれぞれの皇女の嫁ぎ先となった宮家は残してもらうようにGHQに頼み込んだが結局突き返された経緯がある
126名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 23:05:45 ID:nFa1RxMuO
>>124
河内と君じゃ意見の意味が違う。
てか、誰も世孫の意味の事を指摘した訳では無いんで。
関係ない事を出しても反論に成ってないし、君の補強には成ってないな。

あと、他の奴へのヨコだが、江戸以前から天皇には姓は付かねーよ。
127名無しさん@八周年:2007/08/07(火) 23:22:10 ID:nFa1RxMuO
つまり江戸以前から天皇に姓は付かないのに、概念として議論や学説に使われていた。
しかも日本と中国じゃ違っていたのに。
他の奴への×
他の奴の意見だから意味が分からないがヨコすると〇
128名無しさん@八周年:2007/08/08(水) 00:06:48 ID:s7MvGaEQ0
>>126
>>74が「万世一系」の例として北畠親房を挙げたから(そういう意味だと理解したんだけど?)、
反論として北畠親房の「万世一系」とは異なる思想―『神皇正統記』の直系重視(父子一系)を示した。

「女統・女帝容認」論は明治生まれの、「万世一系」は江戸後期誕生の新思想。
129名無しさん@八周年:2007/08/08(水) 18:52:38 ID:b1RxjDAJO
父子一系ww。
屁理屈か何かを言うための中国語か?。
因みに辞書には載ってないですぞ。
中国の父子一系の意味では万世一系と同義ですぞ。
因みに万世一系に基づき明治に書かれた皇統の系図は天照大神〜今上天皇まで「父子のみ」で遡って
繋がらない天皇は線から省いた書き方ですぞ。
直系重視が何を意味するのかが分からん。
万世一系の系図の描き方も同じく今上と起源を父子で繋ぐ形式ですぞ。
130名無しさん@八周年:2007/08/08(水) 18:57:03 ID:b1RxjDAJO
造語、意味の創作イクナイ。
131名無しさん@八周年:2007/08/08(水) 22:00:36 ID:s7MvGaEQ0
>>129
>父子一系ww。
>屁理屈か何かを言うための中国語か?。

『神皇正統記』を「父子一系」としたのは岡野友彦氏の分類。


たとえば、江戸時代の一般的な認識では南北朝は「両統並立」。
明治時代の「万世一系」の、南朝を正統とする考え方とは全く異なっている。

何を「正統」と定義するかについては歴史的にいくつかのイデオロギーがあって、時代によって主流となる
思想は違っていた。

「万世一系」の思想は江戸後期に誕生し、明治時代に学校教育に組み込まれ、男尊女卑の政治体制
や風潮とも相俟って主流となったが、戦後の教育改革や男女平等化とともに徐々に衰退して行った。
(1970年頃の世論調査では、「女性」天皇反対派が70%。
現在は「女性・女系」天皇容認派が70%近くを占めている。)
132名無しさん@八周年:2007/08/08(水) 22:42:43 ID:b1RxjDAJO
133名無しさん@八周年:2007/08/08(水) 23:45:58 ID:s7MvGaEQ0
[『源氏と日本国王』講談社現代新書
岡野 友彦 著
134名無しさん@八周年:2007/08/09(木) 13:50:36 ID:gQlbHEw30
先帝の武烈が日本書紀で悪く書かれ過ぎ!

これは多分、継体側のクーデターが在った可能性が高いと思う。
135名無しさん@八周年:2007/08/09(木) 15:38:58 ID:F4OslbjSO
>>131
2006年2月4日朝日新聞朝刊(有効回答数2815人)

「女性・女系天皇を認めるべきか」
はい 39%
いいえ36%
わからない 25%
全員に「女性皇族の宮家創設は」
よい 10%
やむをえない 28%
よくない 38%
他の調査
日経新聞は女系容認は63%
毎日は65%
NHKは58%

段々、減っていますね。
(読売が最小だが曖昧な記憶しかないから削除)

現在は×
一時は〇
136名無しさん@八周年:2007/08/09(木) 15:56:14 ID:F4OslbjSO
>>133
『源氏と日本国王』←
また、オマイとは随分、違う意見の本を出してきましたね。
二年半前に出たばっかの頃に買ったが、
宮本武蔵など武芸者すら自らを村上天皇の男系子孫を誇示するほど重要視すると書いてる本を。
自分流に読み解いたのかもしれんが、オマイは読解力なさすぎw
137名無しさん@八周年
>>136
別に書かれた内容を全部支持してるわけじゃないけど、分かりやすくて参考になる部分もあるよ。