【論説】「仮面」を外す勇気を…内面と乖離した「仮面」をまとい続けるのは善なのか?

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1諸君、帰ってきたで?φ ★
 自分の妻子4人を殺(あや)めた男が自殺した事件で、その男の友人が
「彼は本当の自分を家族にさらせず悩んでいたようだ」といったコメントを
していたことが気になった。

 どんな理由があれ、人の命を殺めていいはずはないが、己と社会を
つなぐ「顔」をうまく維持できなくなったとき、人は犯罪に走ることがある。

 思うに人間とは、常に自分の「顔」と戦う存在なのだ。仕事相手や恋人、
家族に受け入れられるため、「努力家」「安全」「良い人」として振る舞うが、
それを「らしさ」と受け止められた途端、重荷になる。私たちは社会に
居場所を見いだしたその瞬間、やっとつくり上げた「顔」に裏切られる
のかもしれぬ。

 私も漫画家になりたいという思いを受け入れられずに苦しんだし、
漫画家として世に出てからは、レディスコミックの作家になりきろうとし、
そう認識されてからは、逆にそのレッテルが重く、邪魔になった。

 だからといって、自分の内面と乖離(かいり)した「仮面」をまとい続ける
ことが善なのか。自分を殺し、要求通りに演じ続けることが公に連なる
態度だ、という人に出会うが、そんな欺瞞(ぎまん)の果てに、犯罪が
起きるのではなかろうか。

 気ままに振る舞って通用するなら苦労しない。弱さや本音を隠して
世間と折り合いをつけるために、仮面は有効なときもある。けれど、
仮面で隠しきれない衝動が内面にたまり始めたなら、私たちは躊躇
(ちゅうちょ)なく、「顔」を変える努力をするべきだ。

 それまでの自分を否定することかもしれない。けれど、それこそ
「公に恥じぬ顔」を持ち続けるということなのだろう。

ソース(イザ!・産経新聞・コラム断、漫画家・さかもと未明氏)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/67390