【皇室】 「陛下に、戦争を継続していただくよう申し上げて」と陸相が懇願…三笠宮ご夫妻、終戦秘話を語る
★三笠宮ご夫妻、母・貞明皇后の思い出や終戦秘話を語る
・三笠宮ご夫妻が母、貞明(ていめい)皇后の思い出を語られた「母宮貞明皇后とその時代」
(工藤美代子著)が、中央公論新社から10日に出版される。
終戦時に陸軍少佐だった三笠宮さま(91)は戦争の秘話をいろいろと明かし、百合子さま(84)と
共に皇后の人柄を率直に語られている。
御前会議でポツダム宣言の受諾が決まった1945年8月14日の夕、三笠宮さまは宮邸に
阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相の訪問を受け、「陛下が降伏の決意を翻(ひるがえ)し、
戦争を継続していただくよう申し上げて」と懇願された。
三笠宮さまはその時のことを「温厚な顔つきや話し方を聞きながら、陸相が侍従武官をしていた
ことを思い出してね。陛下をかわいいわが子のように思っているのではないかという印象を
受けたものでした。要請は受け入れるわけにはいきませんでした」と振り返られている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070708-00000304-yom-soci
2 :
番組の途中ですが名無しです:2007/07/08(日) 13:52:22 ID:RdbwB0Qn0
ィ彡川ノ/////r〃ノ//イ川l|ll|l|l,トミヘミミミミミミ|
ノ彡イ三三ニ川ノ///ノ/il||ll|l|l|l|l|i、ヘミミミミミミミ|
.|三三三、"'' ィ//ノ/l|l|l|l|l|liゞゞミヘヾ`` _−
|三三三三、 '/ノ!!|!|!|1|!l'` _,,.ィ彡"´ |
|三三三r"´ .___ i _,,.ィイ彡"_.|
.|三三三 彡--‐‐‐┘_'_ ィ"´,ィ弋ツフ′ |
|三三三. _,ィ弋込、,: い" ̄ー'"フ′ |
|三三Ξ _,二=''" : l::::::. |
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ヽ 〃`゙゙゙'ー'"´ |
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2
あなる・これきた
5 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 13:53:32 ID:bXwrpSiy0
>三笠宮さま(91)
とっとと死ね。
6 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 13:55:01 ID:zKopSAAHO
しかしパッと見ただけで、第2次大戦のニュース多いな。
いつになったら終るんだあの戦争は。
7 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 13:55:55 ID:k0JqwZun0
三笠宮崇仁
「ある青年将校 - 私の陸士時代の同期生だったからショックも強かったのです - から、兵隊の胆
力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人
捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられ
ました。その実験に参加したある高級軍医は、かって満州事変を調査するために国際連盟から派遣
されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。
「聖戦」のかげに、じつはこんなことがあったのでした」
(三笠宮崇仁『古代オリエント史と私』(学生社 1984)より)
9 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:01:28 ID:VG+HMKIw0
あのまま戦争を継続していたら、第3、第4の原爆を落とされ、米軍は九州に上陸し、
本土が戦場になり、死者は増え続け、北海道はソ連に占領され、民間人の死者も増え続け、
もっと悲惨な状態になってただろうな。
阿南陸相というと「日本のいちばん長い日」で三船敏郎が演じた人だな。
あの映画のキャストは凄かった。
11 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:04:46 ID:BOz4YWVQ0
中国大使の阿南って親戚か?
12 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:08:02 ID:UHETplHa0
>>11 長男早世、
次男惟晟(陸軍少尉、昭和18年戦死)、
三男惟敬(元防衛大学校教授)、
四男惟正(元新日本製鐵副社長、靖国神社氏子総代)、
五男惟道(野間家へ養子、元講談社社長)、
六男惟茂(元駐中国大使)
>>11 >中国大使の阿南って親戚か?
陸軍相の
実の子
14 :
本土決戦回避万歳:2007/07/08(日) 14:08:36 ID:6A8owW2WO
|│ /
|●\
|^∀^)― 支那との戦いでは負けていなかったからね!
|_/
|│ \
|
|★ ̄]
|ハ´)< 不忘抗日戦争!
|⊂/
|ノ
15 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:09:10 ID:k0JqwZun0
陸軍幹部は馬鹿揃いだったな。
16 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:12:07 ID:OXztB6KL0
>>9 いいじゃねぇか!一億総玉砕って覚悟で戦争やってたんだろ!
それを信じて死んでいった者たちに失礼だろ。
やばくなったので降伏しますって情けなすぎw
17 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:12:13 ID:ln9o0vgzO
∩( ・ω・)∩チハタンばんじゃーい
19 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:15:38 ID:AxI/t9Zz0
>>15 まぁ、陸軍は太平洋で海軍が負けてるだけで、中国大陸では陸軍が
勝ってると信じてたからな。都合のいい情報しか見てなかった。
巨大権力の末路なんてそんなものなんだろう。
今の電波利権のマスコミみたいなものだ。
21 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:17:17 ID:H0STEuGFO
1億総玉砕なんて言ってない。
朝日新聞のアジ記事なんじゃないの?
22 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:17:55 ID:4ztXcVMMO
関東軍は独立部隊だがな
23 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:18:06 ID:wrMQdVfn0
三笠宮の血筋はろくでなし揃い
24 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:20:31 ID:qgd7CDlz0
「陛下が降伏の決意を翻(ひるがえ)し、
戦争を継続していただくよう申し上げて」
やはり米の原爆投下は正しい選択だったのでわ?
全体的にアメリカの判断は正しいのは確か。
25 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:21:46 ID:AQcQX1Rz0
>>9 とりあえず出来てた原爆は2発だろ。もちろんどんどんできるだろうけど
時間はそれなりにかかる。その前に、ソ連が本州に攻め入るよ。
26 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:24:02 ID:Y+9fMAjP0
日本にとどめを刺したのはよくも悪くもソ連だけどな
27 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:24:25 ID:k0JqwZun0
>>24 お前、朝鮮人か?
少なくとも、日本人なら、原爆投下(マンハッタン計画の最終人体実験かつ違法な民間人大量虐殺)
を自分の口で、「正しかった」なぞと言うな。お前が原爆犠牲者に代わって蒸発すれば良かったんだ。
28 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:24:41 ID:x13ut60f0
戦争を継続していただくよう申し上げて………トージョーが言わせた
のだろう。
29 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:25:08 ID:5Xsvw8oY0
>>21 一億火の玉は大政翼賛会の作ったキャッチフレーズだよ
30 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:26:14 ID:AQcQX1Rz0
>>24 なんでそういう結論になるか?w
鳥居『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』でも読んどけw
>>24 原爆投下は日本が降伏を決意する理由にはなりえなかった。
よって間違い
32 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:28:45 ID:4UrHkXUY0
>>24 朝鮮人にも、
「日帝のおかげで白丁から人間扱いされるようになったんだから、
いまさら文句いうな。日本人に感謝しろ」
と言ってくれるなら、お前に賛同してやってもいい。
33 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:31:32 ID:DT3TLXKl0
>>24 まぁ、普通なら東京大空襲の時点で降伏の決断を下すよなw
34 :
アニ‐:2007/07/08(日) 14:33:21 ID:1HZ1HbkK0
>『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』
うん、あれは面白かった
その後、本人がテレビで語ってた話も興味深かった
35 :
♪:2007/07/08(日) 14:34:01 ID:Y5peEIwH0
若杉参謀こと三笠宮は,日本軍の恥部を内部から知ってゐる人だったかねねえ.
戦時中は,参謀としてかなり大胆な発言をしてゐた人だったが,戦後は重たい沈黙を守ってゐる.
36 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:37:00 ID:lSOTK0Tu0
>>35 流言飛語の類を真に受けただけのバカな宮様だろ
この家系からアル中やビッチが生まれたのも当然と言えよう
要するに、頭の悪い家系なのだ
阿南惟幾って唯一、大臣在職中に死んだ大臣だっけ?
39 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:46:48 ID:xtSZk+WB0
●ガタルカナルの消耗戦は昭和天皇が引き起こした。
昭和天皇は、動員できるあらゆる兵器と兵力を用いて強力な攻勢と痛撃を続けるようにと、ソロモンの司令官たちを督戦した。
天皇が圧力を加えたため、杉山や永野はガダルカナル島を奪還し、確保する決意を固めた。
1942年8月6日、9月15日、11月5日、11月11日の4回、天皇は参謀本部に対し、危機に瀕した海軍を助けるため、
さらに多くの部隊と飛行機を投入するように要求した。陸軍のパイロットには渡洋作戦の経験がなかったにもかかわらずである。
9月15日、杉山の上奏に対して、天皇は陸軍航空部隊の戦闘への投入を要求し、いつになったらニューギニア東端のラビを
占領できるかと飛躍した提案を行った。
杉山は北支那方面軍を増強し、陸軍航空隊のもとで重慶に進攻するための大攻勢をかけようと計画していたが、
天皇がその作戦の変更を強要したのである。
海軍、陸軍共にガダルカナル作戦の中止を考えていたが、天皇がガダルカナルの部隊に「朕が信倚に副はんことを期せよ」
と勅語を述べ、暗に部隊が天皇の期待に応えていないことを示唆した。
11月になり、やっとガダルカナル奪還が不可能ということに気づいた天皇がとった行動は、伊勢神宮参拝のための2日間の
特別な行幸であった(現実逃避の神頼み)。
12月31日の大本営御前会議では、統帥部はガダルカナル撤退を天皇に報告したが、天皇は、「ただガダルカナル島攻略を
やめただけでは承知しがたい。どこかで攻勢にでなければならない」と主張し、杉山は「ニューギニア方面で攻勢をとり
士気を盛り返します」と答えた。
ニューギニア方面での新たな攻勢に希望をつなぐことで、またしても昭和天皇と統帥部は、太平洋における防衛戦への
戦略的移行を遅らせたのであった。
中尾祐次「大東亜戦争における防衛転移遅延の要因」軍事史学会編
宇垣纏「戦藻録」原書房
山田朗「大元帥・昭和天皇」新日本出版社
井本熊男「作戦日誌で綴る大東亜戦争」芙蓉書房
防衛研修所戦史室所蔵、戦史資料・陸第二号「眞田穣一郎少将手記」
40 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:47:37 ID:NKUMHbgM0
●昭和天皇が自身の戦争責任について述べた唯一の発言
「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、
そういう問題についてはお答えができかねます」
「この原子爆弾が投下されたことについて遺憾には思っていますが、こういう戦争であるからどうも、
広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています。」
1975年10月31日アメリカから帰国後記者会見で。
これ以降、昭和天皇に戦争責任問題を問うことを宮内庁は認めなくなった。
(質問を事前にチェックするようになった)
41 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:50:38 ID:zwdbTzJ/0
■昭和天皇は、これだけ軍事政策にどっぷりと関わっていました。
・天皇の発言によって軍事行動が左右された事項
1、1933年・熱河作戦の一時指し止め
2、1936年・2・26事件における反乱軍の武力鎮圧の決定
3、1937年・日中戦争初期の兵力増強、戦略爆撃実施方針の決定
4、1938年・張鼓峰事件における武力行使方針の一時指し止め
5、1939年・「昭和14年度帝国海軍作戦計画」の修正要求
6、1940年・宜昌再確保への作戦変更
7、1942年・フィリピン・バターン要塞への早期攻撃の実現
8、1942年・重慶攻略の方針の決定と取りやめ
9、1942年・ガダルカナル攻防戦における陸軍航空隊の進出
10、1943年・ガダルカナル撤退後のニューギニアでの新攻勢の実施
11、1943年・統帥部内の中部ソロモン放棄論の棚上げ
12、1943年・アッツ島玉砕後の海上決戦のたびかさなる要求と、海軍消極姿勢への
厳しい叱責による統帥部引き締め
13、1943年・陸軍のニューギニアでの航空戦への没入
14、1943〜44年・絶対国防圏設定後の攻勢防御の実施(ブラウン奇襲後の軍令部指示など)
15、1944年・サイパン奪還計画の立案
16、1945年・沖縄戦における攻勢作戦の実施(防御部隊が突撃させられアボーン)
17、1945年・朝鮮軍の関東軍への編入取りやめ
<例>
1、「沖縄では守るだけか、海軍はどうしたのか」→防戦予定が突撃させられる、
大和特攻が敢行され死者3721人。
2、「(特攻隊は)そのようにまでせねばならなかったか。しかし良くやった」
→現地では「よくやった」とのお言葉をもらったと続々と続く一要因となる
3、1947年9月20日、寺崎英成を通して、「沖縄に関する軍事占領を継続する
事を希望する」「25年ないし50年という長期が良い」と要望した覚書をGHQ顧問
からマッカーサーに提出。
(「昭和天皇の軍事思想」校倉書房)
42 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:52:59 ID:kurjoxKN0
当時の軍部の大半がアホ東條に見切りをつけていたが、
やはり陛下でないと止められなかった。
栗林も早期講和具申して硫黄島に飛ばされるし・・・
43 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:53:23 ID:6WjF6Ofc0
政治家っていつの世でもバカばかりだ。
阿南さんて介錯なしで腹を切って
数時間耐えながら絶命した人だよね(´;ω・`)
45 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 14:58:39 ID:kurjoxKN0
東條は豆鉄砲で腹を撃って助かりますた・・・アウー
46 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:02:41 ID:kurjoxKN0
原爆の問題とも絡むんだけど、2発めで降伏しなければソ連や中国が参戦するのが決まってないけど、
押さえ切れなかったんだよな。
沖縄みたく本土地上戦での消耗戦に嫌気がさしていたアメリカは、半分日本をソ連にくれてやってもいいと思っていた。
ソ連は肉弾消耗戦は苦とも思わない奴等だし。
それは陛下にも伝わっていた。
47 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:03:08 ID:5hzjjNQL0
陛下って作りもんだろ、愚民政策にすぎん
48 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:06:11 ID:kurjoxKN0
だから今、こうして日本が平和ボケしていられるのも陛下のお陰と言えばお陰。
あのままブレーキ掛けなければ最悪ヤマト民族滅亡。
マシな場合でも関東以北ソ連領だべ。おそろしやおそろしや。
戦後教育でここまで追い詰められていた事が全く伝承されていないのがアホな所だが
49 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:06:34 ID:3UJ0fmiK0
この人、ツグビッチのお爺ちゃん?
孫の乱交をどう見ているのか、コメントキボン。
>>25 当時のソ連には本州侵攻は絶対無理。
本格的な上陸戦を行なうだけの舟艇がなかった。
北方領土を占領するだけで精一杯だった。
>>50 本格的な上陸作戦は無理だが、商船に歩兵満載して埠頭敷設も兼ねて海岸に突っ込んでくる可能性はある
アメに原爆なけりゃあ、スターリンだったらやりかねないだろう
取り合えず上陸した既成事実を作っておけば、アメも北海道くらいならくれてやると考えたかもしれない
52 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:21:16 ID:AcvE4J9T0
実際は、
戦争をやりたがったのは南洋中国利権に群がる資本家
大本営で情報隔離して大衆を嘘情報で操作
真実を告発するものを拷問、拘束して売国奴として殺す
それでも
国民のほぼ全部がアメリカと戦争するとは思っていなかった
平和的穏健派議員が常にトップの得票率を維持していた
なのにウヨは
国民が皆で支持した戦争
戦犯に責任押し付けて国民は責任逃れするつもりか!
>>48 だけど、負け戦を始めちゃったんだから、やっぱダメなんじゃね?
55 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:32:33 ID:i3lzHqW30
今みたいに、東京が日本中の富を
不当に牛耳っている現実を見ると、
あの時日本が米とソ連に分割統治されて、東京は共産圏になって
アスをも知れぬ貧乏のどん底にたたき落とされていた方が良かったんじゃないか、という気がする。
そして日本は偽りの首都・東京を捨て、由緒あり、真に首都を置くにふさわしい
京都を首都として再出発する。
未開な関東は日本じゃないとして切り捨てる。
その方が美しい国になったんじゃないだろうか。
56 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:33:19 ID:G4Q69VoX0
>>54 それは結果。事後の時代の奴がとやかく言っても仕方ない。
57 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:35:53 ID:Hg7xtnrz0
>>56 政治というのは結果責任だから。
一生懸命やりましただけじゃダメなんだよ。
原爆まで落とされてまだ戦争続けようっていう陸相の頭ってどうなってるの?(´・ω・`)
59 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:39:08 ID:k3fmhEgv0
あの家は日本の糞官僚の代表格を輩出しつづけてるわけね。
60 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:40:45 ID:G4Q69VoX0
>>57 いや、今の時代の人間がいろいろ言っても仕方ない。ってことだろ。
敗戦時にもう関係者は処罰されてるんだし。
61 :
♪:2007/07/08(日) 15:44:37 ID:Y5peEIwH0
大元帥陛下は「いちど敵をたたいてから」などといひ,
戦争を長引かせる決断ばかりをしてきた男だった.
それは聖断といはないのだね.
62 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:44:51 ID:t7F5Arw20
>>60 仕方ないから言ってはいけない、じゃ言論封殺だ。
それに関係者の処罰って東京裁判か?
あれこそ茶番だろ。
63 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:46:23 ID:k3fmhEgv0
>>58 >原爆まで落とされてまだ戦争続けよう
原爆だから、原爆のために、原爆じゃもう駄目だって言う理屈もおかしい。象徴化しすぎ。
損害を理由に降伏すべきって言うなら、海も空も失って爆撃され放題な時点で泥仕合のゲリラ戦しか無いのは明らかだし。
64 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:47:50 ID:FltvGo5u0
よりによって陸軍がかい?
東南アジアで、チハたんが軽戦車や装甲車にまで
フルボッコ状態だったのに、日本の上層部って
今も昔もお花畑だったんだねぇ。
>>56 どんな経緯で戦争になったのかはおいといて、
「一億玉砕」とか言い出した頃の軍部は何の為に
戦っているのか、理解できんのですが。
女子供に爆弾抱かせて特攻させて、国が残るのかと。
結局、負けたらてめえらが戦犯として引っ立てられるもんで
半分現実逃避で指令を出していたんじゃなかろうかと。
馬鹿な司令官、だだ漏れの情報と今の防衛省を彷彿とさせますな。
暗号解読されて筒抜けだった旧日本軍、nyつこうてイージス艦の
情報を流出させた自衛隊。…おまえら緊張感なさ過ぎ。
>>33 「黄色い猿は皆殺しだ、ヒャッハー!!」
って息巻いてたルーズベルトが死ぬまで無理。
事実、終戦工作が日米で動き出したのはボケ老人が死んでから。
66 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:52:16 ID:uJzwh+rE0
>>43 で、一般ぴーぽーの方が正しい判断を下すってか?w
67 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:52:42 ID:CGhDmkD60
1941年11月、高松宮が参内し「海軍には勝てる自信がない、戦争を思い止まるよう」
説得したが2人の会話はわずか5分間で打ち切られ、天皇は木戸に「虎穴に入らずんば
虎子を得ん」と漏らした。また、昭和天皇は真珠湾奇襲攻撃作戦の一部始終を
1941年11月には熟知し、長野海軍軍令部総長に「ソ連に気づかれぬよう用心せよ」と
注意している。真珠湾攻撃成功や英極東艦隊殲滅の報に気をよくして、
「あまり戦果が早く上がりすぎるよ」と上機嫌で語ったのも事実である。
また、昭和20年2月14日に近衛文麿が「敗戦は必死だから早めに降伏すべし」と
天皇に上奏している。昭和天皇はこれを、「ここらでもう一戦果挙げて置かないと国体護持は難しい」
と断っているのである。昭和天皇の保身のためにずるずると降伏は引き延ばされ、
何万もの死ななくてもよい双方の犠牲が死んだのである。
68 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:53:00 ID:xsJ/AARA0
69 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:54:29 ID:kVQ3NAX60
>>25 まあ順序としては、朝鮮赤化のほーが最優先だろな。日本が残したインフラが無傷で残っていたし、
朝鮮赤化の尖兵として金日成なんかを育成していたし。朝鮮の利権を中国に確保されるのを一番
恐れたハズ。
70 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:55:11 ID:G4Q69VoX0
>>62 なに?謝罪と賠償の人?それとも自虐思想の人?言論封殺とかおおげさすぎ。
責任問題蒸し返して、今の時代に生きてる誰にあの戦争の責任をとれと?
東条の娘?現天皇?当時開戦関係者子孫?
あほらしい。
日本人を実際に大量に殺したアメリカに責任とってもらいたいわ。
71 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:56:39 ID:3UJ0fmiK0
原爆投下はしょーがないよね〜
72 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 15:56:42 ID:96pjB3bU0
ホント陸軍はどうしようもねえなw
外務省は最初から最後まで役立たずだったな。
ソ連に仲介頼むなんてアホとしか。
>>68 >>43 のどこに責任なんて書いてあるんだ?w
政治家には政治責任があるのは至極当然だが、その政治責任とバカに何の関係があるのか?
百歩譲って政治家はバカばっかりだとするなら、その政治家を選挙で選んだ有権者の責任はどうなるんだ?
75 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 16:18:56 ID:CQslmdxG0
> 陛下をかわいいわが子のように思っているのではないかという印象を
これって「自分の思い通りに操れると思ってたようだ」ってことだよなw
当時の陸軍ってほんと無能の集まりだな。
海軍はミッドウェー 陸軍はガタルカナル以降 勝った戦いなぞ無いだろ?
勝ち目のない戦い続けた責任は重大!
77 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 16:57:45 ID:AcvE4J9T0
>>66 戦時でも穏健派議員が議席の大半を締めた。
然るに実際の行政はいけいけどんどん。
一般ぴーぽーのほうが賢いよ。今は知らん。
78 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:01:36 ID:WdyG1FNB0
>>9 ほとんどの国民は死んで、
占領する価値さえない国になっていたかもしれないが。
79 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:02:06 ID:znfHpwAqO
国を存亡の危機にまで追いこんだ逆賊たちは、
まさか英霊と共に靖国に祀られたりはしてないよな?
80 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:02:49 ID:6yQgUm8o0
楊提督は,勝ち目の無い戦はなさいません!!!
81 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:03:25 ID:0uCFMJvS0
82 :
黒猫:天皇の遠戚:2007/07/08(日) 17:03:36 ID:vn9Q8AAX0 BE:3100122-2BP(5600)
昭和天皇は本当は日米戦争はしたくなかったが、東條首相の政府が戦争開始を決めたし、朝日新聞、国民
も開戦を希望していたので、反対できなかった
のが真実。終わりにする時期を探っていた。原爆で決心した。
>>76 ミッドウェー以降の日本海軍の勝利
第一次ソロモン海戦、南太平洋海戦等
無念に死んだヒロヒトの恨みはらせよ
君が世はチヨに八千代にサザれ石の岩ヲとなりて
憎いアメリカに仕返しするまで
85 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:08:02 ID:z0G3YCsa0
しかし阿南さんの息子は外務省に入って、さらにチャイナスクールに入っちゃったよ
86 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:10:57 ID:z0G3YCsa0
>>37 在職中自決記録保持者。還元水大臣が二人目
87 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:11:38 ID:WdyG1FNB0
>>67 昭和天皇をかばうつもりはないけど、
昭和天皇も「洗脳」されてる側だったんだと思う。
海千山千の明治維新志士は、15歳の明治天皇に、
万世一系の現人神というとんでもない毒饅頭を食わせたんだよ。
88 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:12:24 ID:Um+gcKp30
少なくとも本土決戦はやるべきだったと思う
天皇陛下に意見することは不敬だろうが
あの時点でのポツダム宣言の受諾は日本の国体と名誉を
守るために死んでいった多くの若者に申し訳ない
89 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:15:56 ID:lruMgFtq0
スレタイ部分は、別に新しい話ではないが、再確認という意義がある。
阿部牧郎著「大儀に死す 最後の武人・阿南惟幾 長編小説」に書いてあった
かなり厳しい言い方で拒絶されたらしい
90 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:17:38 ID:AcvE4J9T0
>>82 普通の国民は開戦を望んでいなかった。そのくらい知っておけ。
反戦さけぶと拷問された時代なの。
おまえフセインは国民の100パーに支持されたとか真顔で言うタイプ
91 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:19:11 ID:4q32Z48Y0
>>88 少なくともマッカーサー来日後も車爆弾とかを使うイラクの武装勢力のような戦いを続けるべきだったな
せめて巣鴨プリズン襲撃くらいはあってよかった
92 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:21:14 ID:+xmV9S3U0
・昭和十六年九月五日(杉山参謀総長に問う;『近衛手記』)
天皇「日米事変起こらば、陸軍としてはいくばくの期間に片付ける確信ありや」
総長「南洋方面だけは三ヶ月位にて片つけるつもりであります」
天皇「汝は支那事変勃発当時の陸相なり。その時陸相として“事変は一ヶ月位にて片付く”
と申せしことを記憶す。しかるに四ヵ年の長きにわたりまだ片付かんではないか」
総長「支那は奥地がひらけており……(くどくどと弁明)」
天皇「支那の奥地が広いというなら、太平洋はなお広いではないか。如何なる確信があって三ヶ月と申すか」
総長「……」
・昭和十六年九月六日(御前会議にて;『近衛手記』)
原枢密院議長「この案(近衛首相が天皇に見せた「帝国国策遂行要領」政府案)を見るに、
外交よりむしろ戦争に重点がおかるる感あり。政府統帥部の趣旨を明瞭に承りたし」
天皇「只今の原枢相の質問はまことにもっともと思う。これにたいして統帥部が何等
答えないのは甚だ遺憾である」
(懐中より紙片を取り出され、明治天皇御製を読み上げる)
四方の海みなはらからと思ふ世に
など波風の立ちさはぐらむ
天皇「余は常にこの御製を拝唱して、故大帝の平和愛好の御精神を紹述せむと努めておるものである」
[※;御前会議で天皇から発言があるのは異例のこと。]
・昭和十六年十月 近衛‐ルーズベルト会談を提案するも、米国が蹴る
・同月 近衛内閣総辞職 東条英機内閣成立(いわゆる「白紙還元の御諚」)
天皇「九月六日の御前会議の決定を白紙に還して、平和になる様、極力尽力せよと云ふ事なのだが、
之は木戸(内大臣)をして東条に説明させた」
>>91 そこは日本とイラクの大きな違いだ。
政治の中枢が無事だった日本。中枢が皆逃げ出していたイラク。
昭和天皇直々の玉音放送。戦後の各地巡回。
それらによって、占領軍のGHQに対する大規模な暴動は抑えられた。
まあ、ちょっとした嫌がらせじみたものは多々あったが、それぐらいは仕方ない。
95 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:25:18 ID:Z8eHnh2Q0
旧陸軍の連中が、厚生省に転属して、今の年金や靖国問題など
日本の戦後政治のガンを発生させた。陸軍官僚はゾンビだよ。
96 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:29:43 ID:EjCujLiWO
97 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:30:06 ID:ir5nzV3I0
>>88 株取引きだったら、損切り出来ないで自己破産に行き着く人間の論理だな。
98 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:33:04 ID:VnXr1iZW0
>「陛下に、戦争を継続していただくよう申し上げて」と陸相が懇願
DQNは何時の時代もいるんだよな
どうしてDQNに「力」を持たせる時代を作ったんだか
それがそもそもの間違いだよな
99 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:33:46 ID:79fNM0Ba0
三越百貨店の岡田社長が古代ペルシアの壷う大量に売って大もうけ。でも全部ニゼもの。岡田社長は刑務所行き。
お先棒をかついだ、自称古代ペルシアの専門家の殿下は不問。いくらもうけたのか。
昭和天皇は、この弟宮のことを、戦争が負けるまでは、戦争推進の皇族の急先鋒。
敗戦になったとたんに自分は戦争は前から反対だった発言を繰り返すようになったと側近たちに話していた。
100 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:35:55 ID:AcvE4J9T0
>>96 反論できないからって卑怯な言い方するね。
101 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:36:13 ID:VnXr1iZW0
そうか!!
当時の日本には
GHQに対抗できるのは
DQNしか無かったんか
www
102 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:37:05 ID:qg4S9uWT0
>>87 やっぱり長州が悪いんだな。w
>>92 > 支那の奥地が広いというなら、太平洋はなお広いではないか。
陛下、ナイス突っ込み。
103 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:39:56 ID:AcvE4J9T0
しかし国民が皆で責任負うべきとかいうネトウヨには、責任者って概念はないのだな。
105 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 17:49:04 ID:79fNM0Ba0
殿下と三越百貨店が秘法古代ペルシアの壷のセールス。信用度抜群で会社やセレブに大量販売に成功。
だまされたのは金持ちばかりで、世間体を気にして声もだざずに泣き寝入り。
この事件の経緯を殿下から聞きたい。
戦争推進はの皇族として、軍部からたよりにされていたのは有名。
平成も19年になったので何とでも言えると思ってるな。
沖縄戦の集団自決は日本軍は預かり知らぬこと最近の説。
>>70 つまり益が無いから戦争責任はうやむやにして済ませようってこと?
107 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 18:28:24 ID:6SpmjsDQ0
なんだここ?日教組ばかりか?
>>90 おいおい、シンガポール陥落で、提灯行列やらかしたのは
どこのどいつだw?
109 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 18:39:31 ID:h0sruhDJ0
かつてのマルクスファンなんかもそうだったし、美空ひばりファンやビートルズ
ファンなんかもそうだったが、天皇陛下ファンもさすがによくいろんなこと知っ
てるな。まるで天皇のおそばに年中いて、一挙手一投足、ため息一つおなら一つ、
すべて直接見てたみたいだ。やっぱファンというのはそうじゃなくちゃな。天皇
もこういうファンに支えられて果報者だな。
死人に口ナシとはよく言ったものよw
111 :
♪:2007/07/08(日) 19:33:05 ID:Y5peEIwH0
>>67 >>92 昭和天皇は,頭の回転は早いひとだった.そして能弁にも長けてゐた.
しかし残念なことにやや軽率な人物だった.熟慮を重ねて結論を出す人ではなかったのだ.
われわれはおじいさんの陛下しか知らないが,戦争のときはまだ三十代の若造だったからね.
声はカン高く,せっかちで,すぐ頭に血がのぼる性格.そんな姿が目に浮かぶ.
112 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 19:44:37 ID:FKjnG5Gk0
社会的弱者の右傾化とは良く言ったものだ、
愛国心はならず者の最後の拠り所とも、な。
原爆落とされなくても
ポツダム宣言はもう受け入れる気だった、
とかいう珍説を改めて否定する事実が
再確認されたってわけだな。
アナミは腹芸でなくてマジだったってこと。
日本人がいくら死んでも、そして更に大勢死のうと
当の軍部は構わなかった、と。
そういうことだろう。
そういう白痴を庇う奴こそ真の売国奴だろう。
戦略上の有効性と道義上の正当性を
混同して論じるのは馬鹿馬鹿しすぎるな。
また原爆投下に実験的側面があるからといって
戦略的有効性を全否定できるわけがない。
広島が第二総軍の司令部だったことをどう考えてるのやら。
114 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 19:56:15 ID:AcvE4J9T0
>>112 また弱者のせいにしようとするえせ左翼が湧いてるな。
弱者が100%右傾化しないなんてことはありえない。
権力者が広告使えば多少増加もするだろう。それをもって弱者の
自己責任ということにしたいんだろ?卑劣すぎなんだよ糞ウヨ。
>>67 >天皇は木戸に「虎穴に入らずんば虎子を得ん」と漏らした。
意味を理解してる?天皇は戦争に反対したんですよ。
>1941年11月には熟知し、長野海軍軍令部総長に「ソ連に気づかれぬよう用心せよ」と注意している。
戦争反対していても、いざ戦争になれば注意するのは当然。中途半端は危険だと当時でも常識。
>また、昭和20年2月14日に近衛文麿が「敗戦は必死だから早めに降伏すべし」と天皇に上奏している。
スイスルートを含めソ連を信用しようと言う君の思想がしれてる。
>昭和天皇はこれを、「ここらでもう一戦果挙げて置かないと国体護持は難しい」と断っているのである。
軍部を説得するには材料がいる2月時点では未だ本土決戦回避ができると考えていた奴もいる。
>昭和天皇の保身のためにずるずると降伏は引き延ばされ、
君の主観と電波な意見にすぎないな。ソ連を信用して降伏なんてアメリカも拒否していたし不可能です。
証言だけで物証がありませんな。
天皇家の人間はよく嘘をつくwwww
だいたい開戦前から戦争に勝てないと理解していて戦争してる軍部を2月時点で近衛ので説得てきるかよ。ソ連に頼るとか無理だな。
近衛首相は迷ったが8月1日、木戸幸一内大臣から「陛下は日米関係にたいへん御心痛あそばされており、
何とか打開の方策はないのか、とお尋ねになされた」と伝えられた。
これは前日の7月31日に、永野修身軍令部総長が天皇に謁見したさいに、天皇から、
「日米戦争になった場合、海軍は米国に勝てる見込みはあるのか?」と聞かれ、
「日本海海戦の如き大勝はもちろん、勝ち得るかどうかもおぼつきません」と答えた。
天皇は大変驚き、木戸に、「海軍は米国に勝てぬと言っておる。かくなればいかなる譲歩をしても
和解の道を探らねばだめだ」と仰せになった。そこで木戸は近衛と会い、中断している交渉を進め、
米国と和解するように促した。そして近衛首相は会談を決意し、4日の朝、富田に、
「僕はルーズヴェルトと会談する事に決めたぞ。会談場所はホノルルがいいだろう」と伝えた。
近衛は東条英機陸相と及川古志郎海相を招き、ルーズヴェルトとの会談を伝えた。
及川は賛成したが、東条は条件をつけた。
1.ルーズヴェルトではなく、ハル国務長官が会談の相手をするのでは困る。
2.会談が失敗しても内閣を投げ出さない。対米戦争を先頭にたってやるぐらいの気構えを持つ事。
いっぽう近衛は会談の事が世間に知れればテロや暴動が起こるかも知れないから伏せておくようにと述べた。
近衛はこれまでに何か思いついては、難しいと解ると引っ込めてしまう、悪い性癖があった。
そのことに東条は釘をさしたのだが、こんどは体を張ってやると断言した。
彼は内大臣の木戸幸一と連絡を取り、「どんな譲歩をしても必ず交渉を纏める。
米国から電報を打ちますから、陛下に上奏し、陛下がこれで良いとおっしゃれば陛下の御命令で支那から
軍隊を撤兵致します」と伝えた。
天皇自ら「米国との外交的和解に全力をつくせ」と政府に注文。
天皇に絶対的忠誠心を持つ東条首相はこれまでの交渉を全面的に見直し日本が米国に譲歩出来る
ギリギリの条件の詰めを行なった。10月30日に外務省に届いた野村大使からの電報内容は以下の文面だった。
「三国問題と通商問題は米国の了解が取れたので、後は仏印と支那からの撤退のみ」
そして東郷外相によって下記の内容に纏められた。
「国民政府との和平協定を結び、2年以内に支那から撤兵する。仏印からは共同防衛の必要が消滅した時点で
撤兵する」
120 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 20:39:01 ID:EC2R210c0
121 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 20:46:09 ID:PMkikI8o0
殿下と三越百貨店が秘法古代ペルシアの壷のセールス。信用度抜群で会社やセレブに大量販売に成功。
だまされたのは金持ちばかりで、世間体を気にして声もだざずに泣き寝入り。
この事件の経緯を殿下から聞きたい。
戦争推進はの皇族として、軍部からたよりにされていたのは有名。
昭和天皇は、この弟宮のことを、戦争が負けるまでは、戦争推進の皇族の急先鋒だった。
敗戦になったとたんこの弟宮が自分は戦争は前から反対だった発言を繰り返すようになったと側近たちに話していた。
「私は平和主義だった」か。平成も19年になったので関係者も物故者で何とでも言えると思ってるな。
61歳の息子もヘンな男だが。親子の血。
122 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 20:49:28 ID:Cy/fNBJM0
俺ならサイパン陥落時点で降伏決意する
123 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 20:54:39 ID:FpCoUVf/0
>>39 引用書籍をはっきりしなさい。
昭和天皇が作戦を立案したり口出しすることはありません。立憲君主制の明治憲法下では軍部の出した作戦書類に判子を押すだけです。
昭和天皇が自らの意志で決定したのは2.26事件の反乱軍鎮圧と終戦だけです。
責任転嫁も甚だしい。
125 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 20:56:10 ID:PMkikI8o0
この殿下、自称、古代ペルシア学問の専門家で通していた。研究ライフワーク。
三越デパートのニセ壷大量販売事件以後は、学術研究家とは聞かなくなった。
戦後、東大で古代ペルシア学問の聴講学生だったとか。
126 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 21:02:12 ID:cwEfy/A60
この思い出話が本当の事だったとして、阿南氏は
どういう目算があって戦争継続を訴えたのだろう。
ついでに言えば、一度出した詔勅を引っ込めるなど
本当にやったら、どういう事態になるか考えていたの
だろうか。
127 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 21:06:34 ID:7lb/tBdg0
ムスコが、国民の「血税」のゼイキンで飲みすぎで「アル中」になっても
相変わらず、「アル中」でも禁治産とかにならないのが、皇室商売のイイところ
アルコール依存症のため宮内庁病院で入院治療を受けている寛仁親王殿下は7日、
仙台市で開かれた第21回「ありのまま生活福祉講座」にご出席。「我が国の福祉」と
題した約40分間の講演で、ユーモアを交えて自身の病状を語られた。
冒頭で「アルコール依存症の寛仁親王です」と自己紹介し、
「大学時代からずっと酒を飲んで依存症だったわけで、最近になって、
今さらそうなったと取られるのは心外だ」などと話されて、会場の笑いを誘った。
皇室典範の論議や家庭内の問題で心労が続き、ここ数年で酒量が増えたため、
長期療養を決意したとご説明。専門医のカウンセリングを受け、
腕立て伏せなどで体力維持に努められているという。
「宮内庁からは『露骨に依存症なんて言うのはやめてくれ』といわれたが、
憶測で話題にされるのは嫌だった」と、病名の公表に踏み切った経緯を明かされた。
さらに「皇室にも仲間がいるのかと、患者たちが大喜びしている」と会場を沸かせ、
「障害者にかわいそうだとか、哀れみを持つのはやめてほしい。
努力をし、いいサポーターがいれば、彼らは何でもできる」と持論を展開された。
http://www.sankei.co.jp/shakai/koshitsu/070707/kst070707000.htm
128 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 22:47:16 ID:PuvR2NUg0
しかしパッと見ただけで、第2次大戦のニュース多いな。
ヒロヒトもさぞかし悔しがったことだろう
いまだに成仏できず、そこら辺をフラフラして
アメリカに仕返したくらんでるみたいだ
130 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 22:50:02 ID:4UBAa3jO0
>>88 生きている者より死んだ者の方が大事ってかw
本土決戦なんかあったら、お前も生まれてないだろうよ
阿南一家はトコトン駄目だな。
親父は亡国、息子は売国。
132 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 22:51:29 ID:NDpQ7AoH0
>>123 俺なら春ノート突きつけられた時点で(ry
133 :
名無しさん@八周年:2007/07/08(日) 23:01:59 ID:G8jMgh8F0
>>97 まさにそのとおり
戦果を上げて少しでも有利な講和に持ち込みたがって、負けに負けが続き最後にヤケクソとはね
134 :
名無しさん@八周年:2007/07/09(月) 06:16:36 ID:W8NHg55W0
この殿下、27年前の三越デパートの詐欺事件では捜査当局は不問扱い。当時の三越社長は刑務所行き。
ジャーナリストはこの件について話を引き出したら。
>>88 本土決戦たって、
アメリカは追加の大空襲と原爆で大量の一般人をさらに殺しまくってからしか
上陸しなかったと思うぞ。
136 :
名無しさん@八周年:2007/07/09(月) 08:15:14 ID:TE5dp0U7O
>>10俺もDVDをレンタルしてきた,結局ポツダム宣言は七月下旬には受諾可能なわけだった.原爆は当時の日本政府の責任なんじゃん
>>135 その通り。
米軍の上陸作戦は予定では11月1日だった。
その間、三ヶ月間は空爆で徹底的に削る
つもりだったんだろうな。
138 :
ホタルイカ <二:彡 @光学迷彩 ◆Optic4oz5g :2007/07/09(月) 22:58:06 ID:zA9Ogw090
>>137 米軍は陸に弱い。
米軍が日本へ上陸したら、米軍が負けていたと思う。
第三次ポエニ戦争のように
国民皆兵の令が発布されていたので、
民間人全員を敵に回し、米軍は敗走していたはず。
米軍も日本も共倒れになり、
地球は共産主義者の手に落ちた。
139 :
名無しさん@八周年:2007/07/09(月) 23:05:01 ID:/SM8a9KLO
ソ連が参戦してきたからなあ。
あのタイミングで受諾してなけりゃ
北日本民主主義人民共和国が出来てただろう。
みんな手遅れにならないうちに老人の話を聞いておいて。
>>12 講談社ってそういう思想の家系なのかな結局。
マリアナ海戦後からどう頑張っても勝てないのが決まっているのに
戦争を終わらせることは頭になかったのかな。
もしかして天ちゃんは自国の戦力の把握していなかったのかな?
143 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 01:01:48 ID:56AwNeon0
3大ファシスト
ヒトラーは自殺して敗戦の責任をとった。
ムッソリーニはイタリア人自らの手によって殺され、イタリアは連合国として戦い勝ち組になった。
ヒロヒトは日本の主要都市が空襲により民衆が虐殺される中、長野の田舎に豪勢な隠れ家を建築、
敗戦すると責任をとるどころかアメリカの傀儡となることで生き延び、税金で贅沢三昧の暮らしで天寿をまっとう。
アメリカのマスコミから記者会見で戦争責任について問われたヒロヒトは、「そういう言葉のあやについては、
私は文学的方面のことは知らないので、よくわかりません」といってましたねぇ。
144 :
ホタルイカ <二:彡 @光学迷彩 ◆Optic4oz5g :2007/07/10(火) 01:13:52 ID:ACrMhys20
>>142 >マリアナ海戦後からどう頑張っても勝てないのが決まっているのに
>戦争を終わらせることは頭になかったのかな。
>もしかして天ちゃんは自国の戦力の把握していなかったのかな?
日米開戦しなかったら、あなたのおじいさんおばあさんは餓死していたぞ。
米国ルーズベルト大統領の目的は日本人を殺すことで、
トルーマン大統領で反共産主義、抵抗する日本人が大好きに変わった。
その証拠に米軍は開戦当初、
投降した日本人の兵と命乞いをする民間人を虐殺し続けた。
ソースくれ
146 :
ホタルイカ <二:彡 @光学迷彩 ◆Optic4oz5g :2007/07/10(火) 01:23:25 ID:ACrMhys20
>>145 軍板で米国は投降した日本兵を捕虜扱いせず、
輸送機からこぼして始末したと書いてあった。
その情報が伝わって、投降しなくなったとさ。
異なる宗教の敵軍には投降しにくい。
太平洋戦争当時は有色人種差別の時代だった。
147 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 01:30:02 ID:Y6kIuRZ10
アホ陸軍はホントに本土決戦やって1億玉砕するつもりだったのかよ。
どうしようもねえやつらだな
あの状態で戦争続けていたら今の日本はなかっただろ
ゲリラだ反政府テロだで、もうメチャクチャ
149 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 01:39:19 ID:i1bEiU9OO
本土決戦はいい、他国でも同様の発想するから
自分から一億玉砕を言ったのは日本だけだ。
150 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 01:40:10 ID:H/OHHEcqO
>>146 ちゃんとしたソースはあるのか?
それに真実だとしてもごく一部の例外を声高に主張するのは
おまえらが批判する連中と変わらんが?
152 :
ホタルイカ <二:彡 @光学迷彩 ◆Optic4oz5g :2007/07/10(火) 05:49:44 ID:ACrMhys20
>>151 >ちゃんとしたソースはあるのか?
>それに真実だとしてもごく一部の例外を声高に主張するのは
>おまえらが批判する連中と変わらんが?
軍事板では太平洋戦争序盤戦で
米軍が日本の投降兵を輸送機からまいて
処分したことが常識になっている。
米軍は投降兵を捕虜の待遇にしなかった。
太平洋戦争でその情報が広がり、
日本軍は投降しない兵になった。
153 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 05:58:18 ID:FFKvgQrq0
>>147 それも眉唾なんじゃないの?
沖縄自決の話題が持ち上がってるけど
竹槍も振らず、米軍上陸前に武器の手榴弾で自決しちゃってるって話なんだから
>>152 2ちゃんの議論に2ちゃんソースですかw
議論になりませんな
>>152 1941(昭和16)年、陸軍大臣東条英機の名で出された将兵のための「道
徳書」で、全軍に示された。特に第8の『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(は
ずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ』
は有名で、全将兵に死を強制する役割を果した。つまり、戦死者は英雄だが、
捕虜になることは最大の屈辱という価値観の形成である
>>156 立派な戦後右翼だね〜。厄介な年代らしいよ。左右共に。なんと言うか、決め
付けが多いんだよね。ドグマティックなんだよ。
>>154 真偽は知らないけど
正論00年5月号「リンドバーグの衝撃証言」
159 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 06:33:25 ID:T/fjMuSp0
軍板ねえ。中村医師への誹謗中傷見てるとあの連中の程度が知れる。
マスードでぐぐったら中村医師の批判文とセットでヒットする項目が
ずらっと並ぶのも異常だが、軍板は逆方向に異常。
中村医師が活動してた地域がパキスタン国境の村だからごく自然に
マスードの敵対勢力の活動地域からの視点・証言で処理すればいいのに、
自分たちの敵扱いだからなあ。
>>158 これの事?。
【ベルリン四日発同盟】
アメリカ雑誌ライフの五月号に掲載された問題の日本兵頭蓋骨写真は
早くもドイツ外務省の入手するところとなり四日の外国新聞記者団会見に披露された。
その写真はアメリカの一少女が机の上におかれた
人間の頭蓋骨を眺めているところを撮影したもので
写真の説明に曰く
これは日本兵の髑髏でアメリカ兵が記念品としてこの少女に送って来たものだ。
彼女は今この髑髏の寄贈に御礼の手紙を書こうとしている。
とあり、ドイツ外務省当局はこの写真を披露するとともにつぎの見解を発表した。
かかることはドイツ人の考え方をもってしては到底想像もつかぬことで
アメリカの道義が如何に頽廃しているかをもっとも明らかに示すものといえよう。
正に〈首狩り時代)の再現である。
アメリカが往昔の食人時代に復帰していることを物語るものにほかならない。
右のライフに掲載された写真がミズリー州カトリック教機関週報
アーチ・ディオシースの取り上げた事件と同一のものであるか否かは判明しないが
この外にドリュー・ピアソンの暴露した〈紙切ナイフ〉事件もあり以上から推察すると
日本兵の神聖なる死体を冒涜する蛮行は正にドイツ当局の指摘する通り
アメリカが〈首狩り時代の昔に還って〉アメリカ国民間の流行となっていることを物語るものとして見てよかろう。
http://wildhorse-depot.up.seesaa.net/image/81u838983C83t81v8E8F82C98DDA82C182BD93FA967B90l82CC93AA8AW8D9C_640.jpg
162 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 08:02:09 ID:yUhBtoH30
>>126 目算があった訳ではない。青年将校のテロ・クーデターを恐れたのだ。
満州事変は青年将校の暴走、515事件、226事件は青年将校のクーデターだった。
それ以来、代々の陸軍大臣は青年将校の暴発に腐心し続けた。
現代なら、「審議を尽くせ!強行採決反対!」と騒動を起こす程度のことだが、
当時は大臣を問答無用で虐殺し、天皇陛下を軟禁してニセ勅令を強要するぐらいの事は
平気な連中が青年将校だった。実際、閣議決定を察知した青年将校はクーデターを起こした。
ついでにいえば、まだ詔勅など出してない。その時点では無条件降伏を閣議決定したというだけ。
ついでにいえば、原爆投下が無ければ、降伏を前提とした最高戦争指導会議が開催されてない。
163 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 14:55:05 ID:+LOAebwY0
いよいよ回顧録書くつもりになったか
三笠宮殿下
いままで表沙汰にならなかったことが
どんどん出てくるだろうな
164 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 15:19:46 ID:wr+SKBFK0
>>67 井上成美の回顧録にあるけど、終戦するための組閣後に海軍大臣として御前会議に向かうときに、
軍の兵力・物資などのデータを用意するように命じたときに「メーク(でっちあげ)したものか実情ありのまま」
のデータを用意するのか海軍省で聞かれたそうだ。
ひどい時代だったと思うが、官僚は国を食い尽くす生き物だということは変わらんようだ。
165 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 15:27:03 ID:9Qd0KoxF0
昭和天皇って戦争継続派だったのか・・・なんかショックorz
>162
アメリカよりも自国の青年将校が怖かったの?
ついでに8月14日の状況で、テロやクーデターが起きると恐れたの?
昭和史って、ワンダーランドだなあ。w
>>166 そういう青年将校の側に国民もついたからね。
時代の趨勢ってのは恐いよ。これはいつの時代も同じ。
168 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:30:34 ID:D2T1dbC30
つ【ミトローヒン文書】
つ【朝日新聞の連載小説】
169 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:32:10 ID:59ZtdZGu0
阿南って全然状況把握できてなかったんだな
170 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:36:25 ID:+LOAebwY0
親はバカだが
子供が売国奴・媚中なのに比べれば
171 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:39:07 ID:0MZ4RBOE0
>>166 宮城事件も知らんだろ、お前。お前に理解できるほど、昭和史は単純ではないぞ。
もしも8月14日の状勢で、テロやクーデターとやらが起こる可能性が
あったとしても、俺にはアメリカの無差別爆撃よりも自分の身に起こる
テロの方が心配だったとしか受け取れんなあ。>阿南
173 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:45:26 ID:a5pzCWAmO
>>163 てか、91歳って凄いな。え?まだ生きてたの?て感じ。
ヒゲの顔はわかるが、この人の顔は思い浮かばないなぁ
ちょいと言葉が足りなかったかな。
降伏するのを不満としてクーデターを起こそうという連中は、
当然、戦争継続派なわけだ。
そいつらを恐れて戦争を継続しようとは、結局クーデター派と
同じ道を選ぶ事になる。
んで、際限なく末端の兵士を、一般民衆を犠牲にして出血を続ける、と。
双方の行動から導かれる結果が同じなら、行動自体にどういう意味が
あるのかねえ?
と思った。
175 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:48:00 ID:/38bMIqsO
旧日本軍の陸軍ってとことん馬鹿だったんだな
そんな馬鹿がのさばってたから日本は戦争に負けたんだろうなあ
昭和天皇の終戦の英断は遅すぎたくらいだ
176 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:51:05 ID:a5pzCWAmO
押されてばかりではないかっ!
米軍をピシャリと叩けないのかっ!(怒)
by昭和天皇
ま誠に、きき恐懼の至りでして‥(涙)
by永野軍令部総長
177 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 16:57:17 ID:sFoMB8QiO
阿南って耐震偽装で小嶋社長が国会で最初に名前出した奴と関係あんの?
178 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 17:01:32 ID:YQqqxqpL0
戦争を始めたら適当なところで和平に乗って来るだろうという何を根拠にしたのか分からん終わり方を
妄想してたキチガイ軍部だったからな。
しかも妄想が破られた後もやめられずにズルズルと。
179 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 17:04:06 ID:wrz8cKLE0
三笠宮はヘブライ語が話せて古代オリエント文化が専門だ
これはあれだな
殿下はモルモン教が流布している皇室は原始キリスト教徒説を信じてるな
神武天皇はアレキサンダー大王をモデルにした架空の人物
これだ!
180 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 17:11:12 ID:0MZ4RBOE0
>>172 まだ、妄言はいていたか。実際にテロもクーデターも起きたと何回いえば分かるんだ?
失敗したから、まだ良かったが、クーデターが成功していたら、日本がどうなっていたか、
想像力が皆無らしいな、お前は。
>>175 お前も相当の無知だな。俺、もういやになったわ。
>昭和天皇の終戦の英断は遅すぎたくらいだ
昭和天皇にそんな権限など無かったのだ。発言権も無い。
有ったのは閣議決定した結論を承認する権限だけ。
その時の日本の意思決定は最高戦争会議の全会一致制だ。
一人でも反対者がいれば、何日会議しようとも結論が出ない。
だから8月9日に長崎に原爆が落ち、ソ連の宣戦布告を受けても、3人が継続派、3人が終戦派に
まっぷたつに別れ8月14日まで最高戦争会議は終わらず、結論を出せなかった。
延々議論を重ねた挙句、やっと鈴木首相の提案で昭和天皇の聖断を仰ぐってことでまとまった訳。
181 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 17:26:57 ID:zmk72Hk60
赤い宮様、か。
「もう真相を知ってる者もいないだろう」なんつって、
戦時中の回顧録は、あること無いこと書かれていそう。
182 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 17:28:07 ID:xStlVjn50
やっぱり天皇は神輿だったんだな、当時の日本って。
陸軍が諸悪の根源。ホクチョンみたいな困った国だったんだな。
185 :
名無しさん@八周年:2007/07/10(火) 23:43:41 ID:5MIgaD2E0
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186 :
名無しさん@八周年:2007/07/11(水) 00:47:44 ID:czLbr/MZ0
だ が 断 る
原爆くらいじゃ懲りなかったのかな
どこまで継続するつもりだったんだろう
188 :
名無しさん@八周年:2007/07/11(水) 01:18:10 ID:VASN8Z1V0
●ガタルカナルの消耗戦は昭和天皇が引き起こした。
昭和天皇は、動員できるあらゆる兵器と兵力を用いて強力な攻勢と痛撃を続けるようにと、ソロモンの司令官たちを督戦した。
天皇が圧力を加えたため、杉山や永野はガダルカナル島を奪還し、確保する決意を固めた。
1942年8月6日、9月15日、11月5日、11月11日の4回、天皇は参謀本部に対し、危機に瀕した海軍を助けるため、
さらに多くの部隊と飛行機を投入するように要求した。陸軍のパイロットには渡洋作戦の経験がなかったにもかかわらずである。
9月15日、杉山の上奏に対して、天皇は陸軍航空部隊の戦闘への投入を要求し、いつになったらニューギニア東端のラビを
占領できるかと飛躍した提案を行った。
杉山は北支那方面軍を増強し、陸軍航空隊のもとで重慶に進攻するための大攻勢をかけようと計画していたが、
天皇がその作戦の変更を強要したのである。
海軍、陸軍共にガダルカナル作戦の中止を考えていたが、天皇がガダルカナルの部隊に「朕が信倚に副はんことを期せよ」
と勅語を述べ、暗に部隊が天皇の期待に応えていないことを示唆した。
11月になり、やっとガダルカナル奪還が不可能ということに気づいた天皇がとった行動は、伊勢神宮参拝のための2日間の
特別な行幸であった(現実逃避の神頼み)。
12月31日の大本営御前会議では、統帥部はガダルカナル撤退を天皇に報告したが、天皇は、「ただガダルカナル島攻略を
やめただけでは承知しがたい。どこかで攻勢にでなければならない」と主張し、杉山は「ニューギニア方面で攻勢をとり
士気を盛り返します」と答えた。
ニューギニア方面での新たな攻勢に希望をつなぐことで、またしても昭和天皇と統帥部は、太平洋における防衛戦への
戦略的移行を遅らせたのであった。
中尾祐次「大東亜戦争における防衛転移遅延の要因」軍事史学会編
宇垣纏「戦藻録」原書房
山田朗「大元帥・昭和天皇」新日本出版社
井本熊男「作戦日誌で綴る大東亜戦争」芙蓉書房
防衛研修所戦史室所蔵、戦史資料・陸第二号「眞田穣一郎少将手記」
189 :
名無しさん@八周年:2007/07/11(水) 01:24:00 ID:YXo1Kyn60
>180
出たよ。w
戦争の責任は天皇にはないが、戦争を終わらせた功績はあるという
二枚舌。w
天皇にそんな権限などなかったというのが大嘘。
旧憲法のどこからそんな結論が導かれる?
戦前の政治体制が立憲君主制だと極めておおざっぱなくくり方をして
そこから強引に「天皇に内閣決定に逆らうような権限はなかった」と
こじつけているだけ。
戦争終わらせられたんなら、始めることも止められたんじゃないの?w
「内閣が機能しない時しか『聖断』は下せない」なんてご都合主義は
聞き飽きた。w 「オレ基準」で内閣の機能、不機能をこじつけている
だけだもんなあ。
ついで、クーデターが成功していたらどうなったかって?
同じようにアメリカに占領されての再スタートになっていたと思うけど。ww
いったいこいつ、何がしたいんだろうな。
阿南の無意味な行動をまで弁護したいんだろうか。ご苦労なことだ。
190 :
名無しさん@八周年:2007/07/11(水) 01:27:45 ID:wVw0jH8s0
まぁ、陛下が閣議に反対でもしようものなら、
次の日には崩御されるわけだが。
天皇家なんて歴史上ずっと暗殺されてきた家系。
カワイソス
191 :
名無しさん@八周年:2007/07/11(水) 01:49:13 ID:dE4wTNod0
天皇は大元帥(陸海軍の最高指揮官)でもあるというそういう
今日的からすれば矛盾した二重の役割を旧憲法は規定していた。
誤解があるようだが、旧憲法は立憲君主制などではない。
英国の議会制度に憧れた昭和天皇が勝手にそうしたがっていたのに
過ぎない。立憲君主制であるとすれば天皇機関説が正しいわけだが、
当時天皇機関説は国体を侮辱するものとして批判を浴びていた。
立憲君主制の利点は、君主は政治的責任を一切取らないで構わない
ので、国体の継承護持には最も好都合であり、また君主個人に
とっても、失脚する(退位)理由が生じないため、権力を維持
しつづけるのには望ましかった。
192 :
名無しさん@八周年:2007/07/11(水) 01:54:17 ID:7pkTR0SbO
アナン事務総長…
まあ、皇族なんて本人達には非人間的な扱いをされるような制度は棄ててしまえ。
公の場では、いつでも馬鹿みたいに笑ってることを強制されているのは、
牢獄に繋がれているよりひどいだろ?
だから、雅子がメンヘルでいつまでも立ち直れないようなものだからな。
困るのは、それを利用したい、崇め奉りたい連中だけだろ。