>>610 聞き取り事例の続き
親の姿勢とか、児玉君の『かわいげ』のないところが引き金になったんじゃないかって、ここらでは言っている。
いじめられる子どもには、どこかいじめられる原因がある。子どもらしくねえ子どもって、『かわいらしくない』って
いうべしな。親も加わっているとなると、今度、ウフフフフ(大笑い)。
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こっちの人は人情的なところがあって、来る者は拒まず、『まじわって』行こうという気持ちがある。
だけど、親の気持ちの出し方が、あれではね。子どもが殺されたことに関してはかわいそうだと思う反面、
親の態度、フッフフフフ(笑い)。
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『朱にまじわれば(赤くなる)』って言いますでしょ。こんなふうになったのは、親の気持ちがとけ込まなかったからだ。
親も多少なりとも、『朱にまじわる』という気持ち、『地方にまじわる』って、『同じ』って言うんだけど、そういう気持ちが
あれば、殺すまでいたずらが昂じなかったんじゃないか」。
Aさんは、「子どもたちの気持ち」を説明する。「いじめたくなるような子どもがいて、いじめているうちに、ここらで
やめておくかなぁという気持ちが出てくるかもしれない。でも、なおかつやりたくなるような気持ちがだされると、例えば
@『同じ』気持ちが出されないと、A『まじわらない』で特別な気持ちでいられると、Bしっかりして自分の我が道を行く
っていう気持ちでいられると、Cいじめてもそのいじめに乗ってこないでなお毅然としていると、子供心に、もっとやって
けっかな、って気持ちになる(笑い)。
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そういうわけで、死に至るまでとことんやってしまったんだろう。殺そうと思って殺したわけではない」。
ttp://web.archive.org/web/20011222161213/park.itc.u-tokyo.ac.jp/kiss-sr/~naito/newpage5.htm この様に、山形マット死事件では、地域ぐるみで殺戮を笑いながら楽しんでいた様子が伺えます。