【社会】 「自分も村八分になるかも…」 有力者の“村八分ルール”で分断続く村、夏祭りにも影…新潟★4

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644名無しさん@八周年
>>610 聞き取り事例の続き

 親の姿勢とか、児玉君の『かわいげ』のないところが引き金になったんじゃないかって、ここらでは言っている。
 いじめられる子どもには、どこかいじめられる原因がある。子どもらしくねえ子どもって、『かわいらしくない』って
 いうべしな。親も加わっているとなると、今度、ウフフフフ(大笑い)。
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こっちの人は人情的なところがあって、来る者は拒まず、『まじわって』行こうという気持ちがある。
 だけど、親の気持ちの出し方が、あれではね。子どもが殺されたことに関してはかわいそうだと思う反面、
 親の態度、フッフフフフ(笑い)。
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 『朱にまじわれば(赤くなる)』って言いますでしょ。こんなふうになったのは、親の気持ちがとけ込まなかったからだ。
 親も多少なりとも、『朱にまじわる』という気持ち、『地方にまじわる』って、『同じ』って言うんだけど、そういう気持ちが
 あれば、殺すまでいたずらが昂じなかったんじゃないか」。
 Aさんは、「子どもたちの気持ち」を説明する。「いじめたくなるような子どもがいて、いじめているうちに、ここらで
 やめておくかなぁという気持ちが出てくるかもしれない。でも、なおかつやりたくなるような気持ちがだされると、例えば
 @『同じ』気持ちが出されないと、A『まじわらない』で特別な気持ちでいられると、Bしっかりして自分の我が道を行く
 っていう気持ちでいられると、Cいじめてもそのいじめに乗ってこないでなお毅然としていると、子供心に、もっとやって
 けっかな、って気持ちになる(笑い)。
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 そういうわけで、死に至るまでとことんやってしまったんだろう。殺そうと思って殺したわけではない」。
ttp://web.archive.org/web/20011222161213/park.itc.u-tokyo.ac.jp/kiss-sr/~naito/newpage5.htm

この様に、山形マット死事件では、地域ぐるみで殺戮を笑いながら楽しんでいた様子が伺えます。