【社会】 「自分も村八分になるかも…」 有力者の“村八分ルール”で分断続く村、夏祭りにも影…新潟★4

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610名無しさん@八周年
>>603 の続き

 〈聞き取り事例・1〉(79−80)

 近所の主婦のAさんは、児玉さんとは面識がない。だが、「かあちゃんたちの間柄(うちら)」のなかで、
 「児玉さん」をリアルに体験している。

 Aさんは言う。「かならずしも、やった子どもたちが悪いとは言い切れない。親も金持ちぶって成金上がり
 だそうだ。金貸しをしていて、人からよく思われていない。自分たちだけ金で家族をハワイに行かせて、
 おみやげも買ってこない。幼稚園を改修した後、子どもたちの姿ではなくて、直したところのビデオばかり
 親に見せた。オレはこんなふうに大きくしているんだ、って感じが前面に出ている。言葉にしても、東京
 出身でもないくせに標準語を話すなんて『いいふり』としか思えない」。

 実際には児玉さんは、金貸しでも成金でもない。問題のビデオは、改修の説明会のビデオである。だが、
 「かあちゃん」たちは、あらゆる素材をつかまえては、このように体験しようと身構えている。

 この構造は子どもたちの間にもある。有平君も兄のC君も家族がタクシーで外出するのを子どもたちに
 監視されていた。あとでしつこく、どこに行ったのかと問いつめられ、喋らされた。有平君が「フランス料理を
 食べに行った」と答えると、妬む子どもたちはその言葉を、「おまえらには食えないだろう」というふうに
 リアルに体験する。それが、「児玉のうちの憎たらしいガキが言ったこと」として流布される。

 Aさんは「こんなわけで児玉の子どもが殺された」とオチをつけて語るとき、声を出して笑う。
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