http://cruel.org/wired/prague.html モデムと電話線の話題ついでに言えば、マルチンとその89年仲間たちは、いまだに「あの日本人」について語り合う。
1989年、チェコの学生は全国的な蜂起を組織しようとしており、マルチンを含む技術系の学生はテレコム方面を担当していた。
かれらが使っていたのは、トースター並のサイズと形と発熱量を持つ300ボーの装置だった。
チェコの秘密警察は、デジタル通信についていくには頭が悪くて原始的すぎたので、過激派学生のモデム・ネットワークは盗聴の危険はあまりなかった。
草の根BBSは、国境警備員の目を盗んで活動家がモデムを持ち込むたびに、そこらじゅうの大学キャンパスでぼこぼこ生まれていた。
もちろんモデムは非合法だった。が、チェコの警官のほとんどは、モデムというのが何なのかまるで知らなかった。
警察は、ソ連の重装甲のバックなしに、全国民を棍棒でぶちのめして服従させるという絶望的な仕事に従事していた。
マルチンの自主学生運動は、デモをやってぶちのめされてから知恵をつけた。そして89年が68年をひっくり返したものであることにも気がついた。かれらは7つの要求を掲げた。非常にラディカルな要求で、そのうち3つは決して満たされなかった。
みんな、いずれ状況が爆発するのはわかっていた。しかし、それを外に伝えるのは非常に難しかった。
その時、何の予告もファンファーレもなしに、物静かな日本人が大学にやってきたのだった。
スーツケースいっぱいに、2400ボーの台湾製新品密輸モデムを入れて。
チェコの物理学生と工学部学生たちは、驚きのあまりこの人物の名前を聞きそこなった。
この男はモデムを無料で配り、謎めいた微笑を浮かべると、キャンパスを対角線上に横切って、冬のプラハのスモッグの中に消えた。おそらくは、日本大使館秘密活動本部のある方向へ。その後、かれを見かけた者はいない。