【社会】 「朝鮮総連を助けるため、購入」 元公安調査庁長官、会見★2

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96名無しさん@八周年
《ESPIO!》バックナンバーより
http://sv3.inacs.jp/bn/?2005010090433633009861.xp010617
 2001年12月、北朝鮮の工作船が海上保安庁の巡視船と東シ
ナ海で銃撃戦を繰り広げ自爆した。鹿児島県奄美大島沖の東シナ海
に沈没した不審船の船内から回収された東芝製のプリペイド式携帯
電話に、暴力団関係者らの電話番号が多数記録されていたことは広
く報道されたので、記憶に残っている読者も多いだろう。
 しかし恐るべきことに、携帯電話の通話先に、ある公安調査官の
電話番号が含まれていた件は、今や完全に封印されようとしている。
 その調査官とは北朝鮮を担当する小林又三・関東公安調査局統括
調査官(当時)である。
 実は小林の名前が世間で取り沙汰されるのは不審船の件が初めて
ではない。元日経新聞記者の杉嶋岑(たかし)氏が北朝鮮に渡航中
、スパイ容疑で拘束された事件では、なんと国会でも小林が名指し
されているのだ。杉嶋氏が抑留されたのは1999年12月から2
002年2月まで。その拘束中、「特に公安庁に手渡した写真やビ
デオ、供述資料、これがことごとく北朝鮮情報当局に渡ってしまっ
ていること」を同国の取調官から突きつけられ、徹底的な尋問を受
けた(2002年7月25日衆議院安全保障委員会)。
 つまり、杉嶋氏が公安調査庁(公調)に協力していたのに、同庁
に提供した情報や工作の詳細が北朝鮮に筒抜けになっていたという
わけだ。冒頭の小林は杉嶋氏が「拘束される寸前の(公安調査庁の
)担当官」(同上)だったのである。杉嶋氏は次のようにも国会で
陳述している。「私が北朝鮮に拘留中、情報機関のトップの秘書は
、私に、日本の公安はざるのようなものだ、内調もよく似ているけ
れども、少しガードがかたい程度である、日本全体は、防諜関係か
らいったら全く丸裸同然であると言われました。何たる屈辱かと思
いながら、私はじっとこらえて聞いておりました。」