【古代史】被葬者は征夷大将軍 坂上田村麻呂…京都・山科区の「西野山古墓(こぼ)」
1 :
なべ式φ ★:
平安時代初期、蝦夷(エミシ)平定などに大きな功績を残した坂上田村麻呂(さかのうえ
たむらまろ)の墓が、大正8(1919)年に京都市山科区で発掘された「西野山古墓(こぼ)」
である可能性が極めて高いことが、吉川真司・京都大学文学研究科准教授(日本古代史)
の文献調査で3日、わかった。田村麻呂が創建した清水寺(同市東山区)に残る
『清水寺縁起』に墓の位置が明記されていた。同古墓から出土した金装(きんそう)大刀
などの豪華な副葬品もこれにふさわしいという。
古代史上の重要人物の墓が特定されるのは、極めて珍しい。■以下ソースにて
http://www.sankei-kansai.com/05_sogo/sog060401.htm
2 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:13:29 ID:ecQEm1eh0
1000
>>3なら
>>2か
>>4かどちらか長い文章を書いた方は美女と出会い、いきなりホテルに連れて行かれ、
ディープキスされてそのあと服を脱がされ、
全裸を見せられ乳首やペニスを執拗になめられ、快楽の絶頂に達し射精する。
/二二ヽ ,---、 我を起こしたのは誰じゃあ
,--、_ ((´Д`) )//(WV
VW)ヽ〈__乂_,,」
ヽ:::::::::::::|
ヽ:::::::;;i ノi
ゝ、::::::::ノ
5 :
名無しさん@七周年:2007/06/04(月) 10:16:37 ID:sUFLI86m0
麻呂はきてないのか?
6 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:19:52 ID:p5/RpaH80
二代目征夷大将軍、蝦夷と戦った。
交渉にも長けた名将軍ですな。
7 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:19:55 ID:k/NnmDzs0
, '⌒、, ──-、
/ 人___)
.| | \ /)
l (6-─[・][・] , ─、, ──-、
v∠二__ ` ヽ ヽ / ⊃ / 人___)
/ ヽ ヽ ∨ _,_!!!!) | | ⌒ ⌒)
!^ ⌒ | | \ ´ _/ l (6-─□-□
と゚ ゚ レV.V.V (⌒` ⌒ヽ ヽ / ⊃
. (__,,_ 9∴ノ ヽ ~~⌒γ⌒) ∨ _,__)
ゝ、_` __ソ ヽー―'^ー-' \ ´ _/ 植田まさしスレはここか?
コ L、_ 〉 | (⌒`~ `'⌒ヽ
イ:::〈Y〉::::lヽ / | ヽ ~~⌒γ⌒)
( ~~⌒γ⌒) { } ヽー―'^ー-'
ヽー―'^ー-' | | 〉 |
〉;;;;;;;;;;;:| { ,イ ノ / |
/::::::::::::::: | / | | | { }
{::::::::::t:::::::} / | | | | |
|::::::::::|l::::::::| / | { | { ,イ ノ
{::::::::::|:::::::;ノ / | | | / | | |
焼肉たむらは超おいスぃ
9 :
名無しさん@七周年:2007/06/04(月) 10:23:50 ID:jy1Olat40
平安時代初期、蝦夷(エミシ)平定などに大きな功績を残した坂上田村麻呂
侵略 差別の肯定
蝦夷(エミシ)って何か悪いことしたの?
>>9 古代国家はそんなもんだろ
善悪の問題じゃないし今の価値観で考えてもしゃーない
11 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:26:40 ID:S5uBK5BKO
>4 がウラヤマシス
12 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:27:48 ID:HY607dUg0
清水寺のおもしろいところは、蝦夷平定のためか征服民族が周辺に住んでいる。
13 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:29:24 ID:M6nWTULRO
確か卑弥呼の書き物をみせたとかなんかで討伐遠征に出されて
かえってからも嫌われて猿丸太夫とかなんとかあだ名つけられたんだよな
14 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:29:43 ID:WoPEFbeb0
こぼちゃん
.| | | :{;;;;ヽ、:::::`丶、:::::::::::::l:;:;:;:;:;:; ィ";:;:;:;:;:;:;:}:
| | | :,l;;;;;;;;;シ丶、:::::::`:`:ー'‐::'':"::::::::_, ィ"´;;l:
.| | | .:fうl;;;ミミ、 ``丶 、::::::::,: - ''"´ リ;;;;;;f-、:
| | | :{ l l;;;;;ッ=` (三> `^´ (三シ ム;;;;;;ソl}:
.| | | .:t !;;;リ  ̄`メ、_,ルィ 、_,.イ´ ̄ l;;;//:
| | .| :゙l ヾ;l :'ィテヘ9ンミ ,: ',シヒ9ン、 l;//:
. | .| |. :`ーll! `''==ヲ' l:.:^''==彡'" ,!リノ:
| ,l、.゙l、 :ll ` '' " l:.:.:` '' " ,i;;l´: :、,'"'',.-ニ-.,
..l_,..-−-`-、. :li, ,r .: :.ヽ、 ,:,り: :i |li |;:(●);|:
_,..-l´-'"~二二~`'=、_ :t、 / ゙ー、 ,r '゙ヽ /,K′:. :`iー- 1',:::::,'|:
/ / ̄ _;,: =‐、‐'ト、_ ヾヽ :ゝ、 ,:ト、 :~: ,イ} // /ヽ、:. :l;;;;;;ヽ', ○ノ:
`、.ヾi´ _,,....L:;_)`t、'´ :/{lヽ | リェェェェェェリ/,ノ,ノ7 /:.:.:.:ヾニヽ :/ , . -|;;;;;;i´:
`〉 ''"~´ _j,, )`´ ., ィ/:.:い ヽヾ ヽ::::i::::/ / /,/,/:.:.:.:.:.:.:.:ソ } '、 `ーj_j-':
l 、-''"´_,,. ::.〕 ./ /:.:.:.:ヽヽ ` U'zェェェノ //:.:.:.:.:.:.:/ //ヽ、)),___..;;}:
〕 、-''"´ _,..、〉,, - { ヾ:.:.:.:.ヽ丶`'゜ー‐ -- '"/:.:.:.:.:, -'" ,/,' ト、___ノ:
i゙:';; ,ィ-'゙ !" 丶、 `` ーゝ、ヽ.,_,,ィ"ェくユ- ''" , ィ" i l'、__,,,./:
16 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:31:50 ID:WH6LCN7B0
今迄そんなことも知らなかったのか、文献学って歴史学の中でもおそまつ学科のひとつ。
だから邪馬台国一つ分からんままで平気だ。
最近知ったんだがこいつ俺のひいじいちゃんに当たるらしい。
>>9-10 今の価値観で考えても坂上田村麻呂を否定するのは、
現在の日本のあり様を否定するようなもんだ。
東北は独立志向なのか?
19 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:33:22 ID:6lFq7vsT0
>>17 おまいは何歳なんだよ(w
もしくは、スゲー長生きの人が間にいるぞ。
20 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:33:58 ID:MhnpHtyd0
21 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:34:44 ID:Wm0dyTmH0
全国の田村さんはこいつの子孫なんやで
22 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:35:01 ID:F8QbYFgu0
清水寺に祀ってあるのは毘沙門天と観音さん。
こんな伝説がある。
田村麻呂将軍の部隊が蝦夷で戦闘中に弓矢が尽きて困り果てて
いると、どこからともなく立派な武士と坊主が現れて、戦場に
落ちている弓矢を拾い出した。もちろん蝦夷が猛烈に矢を射か
てくるが、全く当たらない。ひょいひょいと二人とも矢をよけ
ながら弓矢を大量に拾っては田村麻呂の陣に届けてくれる。
たちまち田村麻呂軍の、弓矢が揃うと蝦夷に攻撃を開始して
たちまち撃退してしまった。
後に凱旋した田村麻呂将軍が清水寺へ戦勝報告へ行くと、
観音さまと毘沙門天の足が泥だらけで弓矢でついたような痕
まであったので、田村麻呂将軍は、毘沙門天と観音さまが、
あの時の坊主と武士だったんだと思い出して、感激したという
伝説がある。
という伝説があるが、清水寺は古代蝦夷侵略の象徴なんですよね。
23 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:35:04 ID:jPS7DLju0
すごい 〜
24 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:35:52 ID:Tl9+sktPO
>>9 蝦夷には地方領主から山賊まがいの者まで色々といて単純に良し悪しを言うことはできません。
田村麻呂以降交渉が中心でしたし、蝦夷側も逆に朝廷の力を利用したり、
朝廷側も無理強いはしなかったり、現実的な関係でした。
25 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:36:31 ID:xdQrJhMT0
じゃ、将軍塚は誰よ。
27 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:40:41 ID:kbb9E0630
まあ当時の朝廷は天皇を初めとして渡来人集団だったわけで
平穏な暮しをしていた生粋の日本人(アイヌ)はチョンの手先のこいつに
殺されまくった訳だ
28 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:42:12 ID:Wm0dyTmH0
全国の山田さんと石川さんは蘇我倉山田石川麻呂の子孫なんやで
29 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:42:13 ID:Clcoy0el0
征伐に行ったけど、蝦夷によっては心を通じ合わせた人もいたぐらいだからね。
31 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:44:45 ID:xxedzzeD0
32 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:45:26 ID:oJ8BlvN90
将軍塚は、田村麻呂の鎧甲冑が蝦夷の方向を睨んで埋められているという説もある。
33 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:45:34 ID:wZ9yo4xE0
平定した蝦夷地から蝦夷の捕虜を何万人も連れてきて
何百箇所もの難民キャンプのようなところに閉じ込めたんだよな。
日本各地に残る「別所」という地名はその難民キャンプのことだ。
だから別所という地名の場所は被差別部落であることが多いし、
実際、別所には石の棒を祭る神社とか内地起源では説明の付かない習俗が
いまだに継承されているわけ。
京都市内の被差別部落はその起源が平安時代初期まで遡れる地区もあるわけで
被差別部落に団地を建てようと穴を掘ったら、擦紋土器(アイヌの先祖の使用した土器)
やオホーツク文化(北海道に住んでいた北方種族)の骨角器が出てきたことが
あったな。古代には北方民族を奴隷化していたわけよ。
部落近世形成説とおもいっきり矛盾するので、発表されなかったけどね。
>>19 俺は平成生まれ(早生まれ)
父ちゃんはいわゆる段階の世代だよ
35 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:45:59 ID:HIydNuHJO
こういうスレでまでチョンだの生粋の日本人だのと書き込む民族主義者はこないでほしいなぁ
36 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:46:17 ID:tPb5M8RGO
>>27チョンかどうかわからないっしょ。半島通過しただけかも。
それにしても日本にはこういう楽しみがあるんだからパチンコの一つや二つなくなってもいいな。
アテルイ2世の影響で少しイメージ悪い
38 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:46:32 ID:VJgc7bAn0
39 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:47:27 ID:WdeoGgvoO
俺は前の副将軍
おまいら頭が長い控えおろう
40 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:47:59 ID:epb5nAhzO
麻呂禁止
41 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:49:57 ID:AVOoRWNH0
>>9 いいとか悪いとか今の基準で論じてもしょうがない。
京都の政府の命令に従わない人たちってことでしょ。
俺たちは俺たちで勝手にやるから税金なんて支払わないって。
中央政府はそういう奴らを攻め滅ぼす。
そういうもの。
宮城や岩手にはそういう平安時代の砦がいくつもあって、
万葉集やら古今和歌集やら文化的な活動をしていた人たちが、
本当に血みどろの武人であったことが分かって興味深い。
43 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:52:22 ID:6lFq7vsT0
>>27 違うよ。
坂上田村麻呂は、いままでの皆殺し政策から、その抵抗の強さから、
同化政策に変えたので勝利したんだよ。
相手を懐柔して朝廷に取り込もうとした(それを良い事か悪い事かは個人の判断に)
だからこそ、アテルイの降伏した後に殺すなと強く反対したのはそのせい。
別に友情があったという説だけでなく、
単に現場指揮官としたらアテルイのような現地の長を懐柔したほうが戦争でなく東北を侵攻しやかった。
44 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:52:27 ID:jUvBK8AXO
確か渡来人
昔は渡来人は重宝されただろうね
今は逆だが
45 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:53:11 ID:ByOMmb4EO
ブッシュと違って立派な人w
そんなゴキバキの侵略者ではない…
田村麻呂は帰化人だったよな?
47 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:55:22 ID:HTFdIN0C0
>>1 「古事記」の太安万侶なんて土手掘ってたらなんか出てきたけど…状態
征夷大将軍様はさすがに違うなw
墓の位置が書かれてて、その通りだったのか。
面白い話だ。
49 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:57:36 ID:6lFq7vsT0
>>46 違うよ、「帰化人の家系」。
後漢霊帝の末裔と言われてるが、怪しげ。
少なとも田村麻呂の何世代も前の話。
50 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:58:39 ID:Clcoy0el0
>>47 漢の流れの家系と言われてたような。
まぁ泊をつける為に言ってただけかもしれないけど。
51 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 10:59:40 ID:0wmG4RGk0
胆沢の城跡は開けた平地にある。西山の尾根あたりからアテルイらの
数百の騎馬がゲリラ戦で対抗したのかな。まぁ勝ち目がある戦いではなかったが、善戦はしたほうなんだろうなw
52 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:00:36 ID:CGjsr98K0
後漢の霊帝は滅亡した奴だろう?
それで適当に名乗っても無問題。
53 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:00:55 ID:8jGSdc8aO
コボちゃん
54 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:01:38 ID:BJPXh8TW0
部落近世形成説とは異説になるのが清水寺周辺なんだよ。
い ざ
出 陣
じ ゃ あ
56 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:03:42 ID:yDixMqZD0
太宰府
征夷大将軍
太政大臣
まぎらわしいけど、文官は偉いので「太」武官は脳みそ筋肉で「、」がぬけているから「大」と覚えておけばOK。
57 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:04:02 ID:NRyA2sOs0
>>55は、そんな気合入れて風俗へ行くこともないだろうに
58 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:06:43 ID:uWNy1QMh0
59 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:08:18 ID:c7F1ZJ4/0
>>54 部落を一くくりにして考えるのは誤り。一つ一つ歴史が違うのに、一緒くたにしたのが江戸幕府。
というか、一緒くたになってしまったのが明治維新以降。
大阪の部落はほとんどが、秀吉のときに来た朝鮮人だしね。
60 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:09:35 ID:cc9+lLCn0
東北に行くと、田村とか小野とか文屋(ふんや)とか、征夷大将軍の末裔らしい名前が
たくさんいるよね。
61 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:10:23 ID:rZhTl4mZ0
>>60 まあ大抵は明治時代に百姓があやかってつけた姓なんだろうけど
62 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:12:29 ID:+qC8huOc0
田村麻呂がチュンだチョンだって
この一族、日本に来たの4・5世紀とかだろ。
田村麻呂の先祖は、中国の楽浪漢人だろう?
楽浪郡が滅亡後、割りと早い時期に
倭軍が半島へ侵攻するようになったkら
その時に日本へ渡ってきた渡来人の子孫。
64 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:13:23 ID:VC+MH5nw0
天保の改革か
65 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:14:28 ID:U+JEWm5X0
○○縁起の縁起ってどういう意味?
66 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:15:00 ID:c7F1ZJ4/0
西野山古募は大石神社のすぐそばで、
大石内蔵助は西野山古募の前を通る滑り石街道を通って祇園を行き来したんだよね。
大石内蔵助の休憩した石なんかも残ってるし。まあ、歴史は意外なところでつながっている。
67 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:16:22 ID:n3GK4Mc2O
懐かしいな
帰りたい
帰りたぁい
69 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:18:09 ID:xz2P8et00
確かに田村と小野は大根農家に多いなぁWW
東漢氏だっけ
71 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:19:45 ID:D8RbmJGC0
>>65 縁起の「縁」とは現代の言葉で言うなら「原因」というような意味。
「起」は「結果」「現象」みたいな意味。
つまり、縁起とは「原因と結果」あるいは、「物事に関する経緯」みたいな意味。
「○○縁起」とは「○○の顛末」とか「○○の経緯」のような意味。
72 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:20:17 ID:UkKDK6Oh0
この人だっけ、長身で金髪碧眼だったという伝説のある。
当時の支那には漢人のようなモンゴロイド以外に
コーカソイドもそれなりにいたんだよね。
秦の始皇帝も金髪碧眼らしかったし。
>>6 由緒とか。そこの寺や神社ができるきっかけ〜今日みたいな。
74 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:23:02 ID:2RwLIHof0
歴史スレでチョンとか言ってる奴はアホ。
歴史上の人物の墓が発見されるなんて凄いなあ。
でも、本当なのかね?
75 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:23:37 ID:Wm0dyTmH0
76 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:23:45 ID:GezWT7x90
77 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:24:01 ID:6lFq7vsT0
>>63 その辺は諸説あって、東漢(やまとのあや)氏の諸氏という説もあり、
これは、朝鮮南部の安羅国から来たのではないかという説もある。
まあ、なんにしても親の坂上苅田麻呂が藤原仲麻呂の乱に参加してるなど、田村麻呂=帰化人は間違い。
大きくいえば「どっからきたか不明だが帰化人の家系の子孫」というのが一番ベター。
三世代住めば江戸っ子というし、先祖がどっからきても数世代も日本で生まれ育てばこの当時は日本人扱いだろうと。
78 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:24:07 ID:WuJNK4yc0
坂上田村ゆかりと聞いてdでしました
80 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:26:09 ID:c7F1ZJ4/0
岩手や青森あたりの顔に血を塗ったおぞましい蛮族が京の麿の言う事を素直にきくはずがないな
82 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:27:36 ID:6lFq7vsT0
>>72 そんなトンでも説でいいのなら、
やっぱりユダヤの十支族の末裔とかじゃないと。
海のシルクロードでトロイ(トルコ)からやってきた一族という説もあるし。
83 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:28:30 ID:2a8ngweuO
あ、アテルイは?
坂ノ上おじゃる丸と聞いてdでしました
馬鹿の上にただのエロ
86 :
80:2007/06/04(月) 11:29:19 ID:c7F1ZJ4/0
87 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:29:44 ID:plLqxUv50
>>18 > 今の価値観で考えても
今の価値観で考えてもしゃーない
88 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:31:26 ID:kbb9E0630
>>81 小和田家から妃をもらった時点でもう終了ですよ
坂上さんと田村さんと麻呂さんか
でも麻呂さんなんて苗字最近聞かないし滅びたのかな?
>>9 蝦夷は、たびたび略奪を働いたって記紀に書いてなかったか?
そりゃ征服者の側からの表現だから、偏向はされてるんだろうけど、
蝦夷が平和な民族だったなんて事はちょっと考えられないよ。
91 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:34:35 ID:zt2Vn5pv0
安部貞任が、碧眼紅毛、長身だったような
何で考えられないか書かないと
説得力が低下しますがな
93 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:36:35 ID:J4lIXWhuO
秋田に美人が多い(かどうかしらん)のは、佐竹氏が家康によって茨城から秋田に転封された時
美人をみんな連れていったから。だから茨城に美人はいない
>>72 秦の始皇帝はつのだじろうになりました(本人談)
95 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:38:02 ID:wcrdiHMyO
坂上おじゃる丸か
96 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:38:39 ID:Z3qPn8ebO
>>89 麿って苗字なら知ってる。
麻呂もいるんじゃないかと期待。
アテルイはかわいそうだ
当時は蝦夷へ使わした都の使者はみんな首だけになって戻ってきたという
99 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:39:09 ID:UkKDK6Oh0
>>75 秋田は特に有名だけど、北東北の人は白人よりも色白な人や
目が青かったりする人が割りといるそうですね。
>>76 呉の孫権でしたっけ。
秦の始皇帝陵で多数発見された兵馬傭には、
どうみてもコーカソイドなものも多数あったけど、
それらは政治的な理由で表に出されなくなったという話も
どこかでみたことがあります。
>>82 まあムーレベルの話として楽しんでますw
>>92 記紀に略奪を働いたと書いてあり、また幾度となく戦争を繰り広げているから
かな?
101 :
文太:2007/06/04(月) 11:40:03 ID:hKDPLvfW0
誠意って何かね?
102 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:40:15 ID:yeFsuXwv0
誰この陰陽師
103 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:41:33 ID:jQ5WYKWJO
思ったよりもコボちゃんスレになってないな
104 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:42:43 ID:D8RbmJGC0
司馬遼太郎の本では、空海の出身である讃岐などの佐伯氏も蝦夷の末裔だったらしい。
東北から一族で連行してきて、讃岐や伊予、安芸などの雨が少なくて
水田に向かない土地に移住させて開墾させて収めさせたって書いてた。
>>99 孫権の碧眼という外見の特徴は三国志演義での話で
正史に記述されてないよ
106 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:44:42 ID:J4lIXWhuO
どういう戦いをして、田村麻呂がアテルイに勝ったのかは実は不明
天皇から節刀を貰って征伐に行き、終了後に節刀を返している事が記録にあるのみ
107 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:45:37 ID:QkwSa/7D0
ンモ〜
108 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:45:40 ID:zGnONmAI0
ンモー
109 :
80:2007/06/04(月) 11:45:52 ID:c7F1ZJ4/0
110 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:47:52 ID:FgIaRbt40
将軍様の玉手箱や〜
111 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:50:04 ID:D8RbmJGC0
>>109 小野も1の記事の西野もどちらも山科だね。
あの当時の山科には武将が多く住んでいたとかあるのかな?
112 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:50:55 ID:fem8Cw8KO
へーっ滑石街道沿いにあるんだな
あの道細いから車でよー通らん
113 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:51:17 ID:8dYYc8Ps0
ちょうど今「火怨」読んでるところ。
115 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 11:58:55 ID:hKDPLvfW0
|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
|;:;:_:;:_:;:_:;:_;:;_:;:l:;_;:_:;:_:;:_:;:_;:_;|
|______|_____|
| 三| _ _ |三 !
| 三| 三シ ヾ三 |三 |
| 三′ .._ _,,.. i三 |
ト、ニ| <でiンヽ ;'i"ィでiン |三.|
', iヽ! 、 ‐' / !、 ーシ |シ,イ <詳しくは麻呂.jpで
i,ヽリ ,' : !. |f ノ
ヾ! i ,、 ,..、ヽ lノ
| _ _ イ l
l ,ィチ‐-‐ヽ i /、
゙i、 ゝ、二フ′ ノ/'"\
| \ ー一 / / _,ン'゙\
,ィ|、 \ /_,、-'" _,.-''´ `丶、__
_, イ | ヽ_ 二=''" _,. -''´ """""´´ ``ー ____________ ___,
|麻呂の正体は?l | |検索|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄
116 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:00:26 ID:8tNUB4/20
蝦夷を四国に強制移住させ半島人を関東に強制移住させたのか
よっぽど稲作バブルが弾けた時代だったんだな
117 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:02:41 ID:FzomdCDc0
蝦夷の文化に関する歴史的な記述とか記録とかってあんま残ってないのかな?
長い歴史の中で同化していった血筋もそうでない人たちもいるんだろうね。
当時の中央以外の研究ってどれくらいすすんでるんだろ?
中学日本史くらいの知識しかない俺だが興味あるな。
文系いって専攻しても面白かったかも。
118 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:06:29 ID:Wm0dyTmH0
>>99 >秦の始皇帝陵で多数発見された兵馬傭には、
>どうみてもコーカソイドなものも多数あったけど、
>それらは政治的な理由で表に出されなくなったという話も
>どこかでみたことがあります。
普通に展示されとるで
日本でも公開されたことあるし
119 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:14:58 ID:yr5MkhTD0
アテルイは池田大作に気に入られてしまったため、創価の広告塔に使われつつあります。
アテルイ関連のネタにはくれぐれも気を付けて下さい。
まあ当時の中国が現代よりも多様な人種がいたってのは事実かも
しれないが、さすがに金髪碧眼ってのはなあ・・
誠意大将軍 羽賀研二
122 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:19:35 ID:Tl9+sktPO
>>24に付け加え。田村麻呂以前も基本的に現地民と派遣役人との間の交渉でした。現地の状況と朝
廷との関わりは
>>24に書いた事と変わりありません。
田村麻呂の時は蝦夷地が荒れた為武力行使となりました。
123 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:23:44 ID:mpyDcytJ0
坂上さんと田村さんは、
この人の子孫だそうだ。2系統に分かれたそうだね。
124 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:24:57 ID:8tNUB4/20
4〜5世がコーカソイドの容姿だったんなら
集団で日本に来たんだろうな
125 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:28:27 ID:gnNhyTA90
そーいや、JCの坂上君元気かな?
126 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:29:40 ID:E4Z6zrRb0
>>105 だが孫権が紫鬚(赤毛?)だったという記述は「演技」以前からあるのだという。
127 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:30:06 ID:D8RbmJGC0
今のモンゴルや東シベリアあたりには、普通にコーカソイドが住んでた時代だから、
日本まで訪れたとしても不思議じゃないな。
彼らは遊牧民だから身軽だろうし。
略して坂田さんはどうか?
129 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:33:00 ID:1upxOH2k0
>>16 古代日本スレが立つと知識を披露してくれる専門と思しき人々がいるが、
スレ終わって考えると、結局肝心なことは何ひとつわからずじまいなんだな、これが。
130 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:34:04 ID:ySQrt3qh0
>>126 紫の髪とか髭というのは、「黒々した」という意味ではないかと。
131 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:34:57 ID:HIydNuHJO
偉大な人物は異様な姿をしているっていう伝承がよくあるからその類だろ
なんせ聖徳太子は大男で劉備は手長福耳だ
132 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:36:08 ID:BcuKB8Pn0
蝦夷ってアイヌと同系?
琉球人と同じ?
133 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:36:27 ID:JOOsGCuq0
蝦夷、隼人の血が濃いほうが美人だぞ。
お目目パッチリアイドルはそうだね。
134 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:37:16 ID:8S2tccw+O
あのさ、あんまり詳しくないのにこんな事言うと怒られるかもしれんけどさ、
関西周辺の古墳をさ、もっとガンガン掘って調べようよ。
朝鮮系がバレるとか色々あるのかもしれんけどさ、
学術的には大切な事なんじゃないか?
135 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:39:32 ID:MUY3VWtE0
カエサルとウェルキンゲトリクス
坂上田村麻呂とアテルイ
136 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:39:59 ID:HIydNuHJO
今の皇太子が即位すれば発掘進むかもな
皇太子は古代史とかそういう方面に興味があるそうだし
137 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:42:04 ID:ySQrt3qh0
>>134 高松塚古墳の惨状によって、新たな古墳発掘は百年は遠のいたと思っていい。
138 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:42:23 ID:JOOsGCuq0
中国江南か青島あたりだと思うがな。
和人は。
>>99 函谷関以西を領土とする秦は遊牧民族との雑居地域も多いし部隊に居てもおかしくないぞ。
140 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:45:56 ID:JOOsGCuq0
>>132 アイヌは北方系縄文人。
沖縄、熊襲は南方系縄文人。
それと渡来人が混血したのが日本人。
だけどたまにチョン系が濃いのが25パーセントくらい。
大陸系が濃いのが25パーセントぐらい。
141 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:48:12 ID:Tl9+sktPO
>>127 続日本紀に沿海州辺りから来たと思われるマツカツ人が出羽国で帰化を申
し出た記事があります。奈良時代から平安初期にかけての話ですが、少数
ですが使節団以外で日本海を渡ってくる者はありました。
因みに、この帰化は認められず、マツカツ人の消息は不明とあります。
>130
じゃ緑の黒髪との違いは?
143 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:49:06 ID:30YGP3GL0
>>61 オマイ落語を信じ杉、まぁ富山の新湊みたいなところもあるのは事実だが…
土着の百姓は先祖代々の氏姓を持っていたが、身分が低いため名乗ることを許されなかっただけ
出世して苗字を許されても先祖の姓を名乗ることは許されず、又は歓迎されず、主から新姓を賜る習わしがあった
秀吉の木下姓が典型例
144 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:50:49 ID:c42T8tXV0
大陸からの帰化者って金森の人とかもうかれこれ1500年近く住んでる人がいる罠。
日本刀も彼らの技術なしにはあり得なかった。
文化圏というのは実はかなり広い。
145 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:53:40 ID:QkwSa/7D0
>>143 前半はいいけど後半は間違ってるだろ
木下家はねねの甥が継いで江戸時代も大名として続いてたぞ
羽柴ってのも主から貰ったんじゃなくて秀吉が自分で考えたやつだし
146 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:55:18 ID:WeZYwCimO
今日のおもスレだな
二重の人の先祖は寒いとこ
一重の人の先祖は暑いとこ
の出身なんだってさ。
豆知識な
148 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:55:49 ID:30YGP3GL0
>>144 ツングース系の高炉跡が能登半島から大和に架けて、各地に点々と残っているらしいね。
149 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:56:35 ID:ySQrt3qh0
>>144 平安時代あたりでは、奥州は刀の名産地だったらしいが、
あれは誰の技術だったのだろう?
(当時の刀を日本刀と読んでいいのかどうかは知らないが)
151 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:58:05 ID:Tl9+sktPO
>>129 学問の性質上、明解な唯一つの答えを出す事ができません。これは人文系
の学問全体に言える事でもありますが。
152 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:58:21 ID:QkwSa/7D0
>>144 溶けた鉄を型に流し込んでつくる朝鮮刀と
鍛冶屋がハンマーで叩いて作る日本刀は
技術的に全然関係ないと思いますが
153 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 12:59:20 ID:Wm0dyTmH0
>>151 生物の進化論にもそういう面がある。あれも一種の歴史学。
154 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:00:18 ID:zt2Vn5pv0
上沼蝦夷のおしゃべりクッキング、始まるよー
155 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:02:12 ID:ySQrt3qh0
>>147 >二重の人の先祖は寒いとこ
>一重の人の先祖は暑いとこ
それはウソだろ?
むしろ一重まぶたの方が、寒さへの対応じゃないのか?
ある日、朝鮮からやって来た王様・貴族が
丹後に上陸し、南下、
関西に来て朝廷(天皇家)をつくり、
土着の民族を武力や懐柔策で支配したってこと?
大阪、奈良、京都には、
渡来系の有力豪族がたくさんいてるので
大量の朝鮮系が民族の大移動(おおげさかな)のように
関西に移り住んで、巨大な独自の国家を造っていった、てこと?
>>77 今は、三代住んでも元気に反日やってるやつらがいっぱいいるんだよな。
158 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:07:28 ID:Tl9+sktPO
>>153 考古学に近い面がありますね。整理や解釈を行う者の知識、技術そして文化や思想の影響が大きい。
159 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:08:18 ID:zt2Vn5pv0
>>156 朝鮮系っつーか、どっちも倭人なんじゃないかな。
倭人は、朝鮮半島南部と列島に住んでた
→華人の圧力が強くなって、半島に住んでいた倭人が列島に亡命
という流れかと。
160 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:09:53 ID:8tNUB4/20
むしろ日本で稲作が盛んなって東国や平野部での水田の開墾に
人手が必要になったんもんで半島人を大量に強制移住させたんだろ
161 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:10:19 ID:Lbud3Ib90
162 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:14:42 ID:3rWEULTpO
おう、田村麻呂ーっ!!
見てるかーっ!!
お前は… 帰 れ な い!!
163 :
80:2007/06/04(月) 13:15:44 ID:c7F1ZJ4/0
>>111 この地区は京都といっても文化圏は、京都とは一致しないですね。京風というのは当てはまらない地区。
歴史的には曰く付きの場所です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/山科区 武将がらみでは、明智光秀惨殺、豊臣秀吉の醍醐の花見かな。織田信長を京に手引きしたのも山科言継だし。
もともとは、藤原の鎌足が近江朝のときに住んでいて、藤原家の根元かもしれない。
山科区の大宅(おおやけ)に廃寺が発掘されそれが藤原家の寺である奈良興福寺に移された山階精舎ともいわれている。
またそこから鎌足の居留地が大きな家、大宅と呼ばれていたのが、転じて、公(おおやけ)になったとも想像できる。
文学面では、万葉集をはじめ、音羽山周辺地区を中心に
徒然草、源氏物語(宇治)、方丈記(鴨長明は鎌倉幕府と通じていた)が有名で、また平家物語の琵琶法師の根拠地でもある。
宗教的には親鸞の生誕地でもあり、本願寺発祥の地。
日本人が無宗教だと感じるのは実は親鸞の思想によるところが大きい。
日本文化というと実体が今ひとつつかめないものとして存在するが、
ここで生まれたものは明らかに日本的と言えるものが多く。日本発祥とかなり関わりが深いように感じる。
大化の改新のときに、鎌足がやまとから日本へ改名したのだとしたら、わりと合理的な説明ができる。
桓武天皇は天智天皇陵(山科区御陵)のそばに京を作った訳で、天智天皇のときに大王から天皇に変った可能性もある。
天皇家が男系にこだわるのも、天皇(天智天皇)にこだわっているのかもしれない。
ちなみに天武は天智の娘にこだわったが、血が途絶えた。
熱田神宮の草薙剣は天智天皇が天武天皇にたたったとの日本書紀にも記述があり。この時期の争いは激しい。
織田信長は熱田神宮に詣ってから今川義元を撃ち正親町天皇に日本の守護者であることをアピールした。
164 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:17:25 ID:ew2SGshz0
こぼちゃん・・・
|;:;:;:;:;:;:;_;_|;__;_:_;_:_;_:_;_:_;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i
l;:;:;-‐;";::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;: ̄`゙;:;:‐--;:;:;:、:;:;:;:;:;:i
|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;`;-、l
|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;::;:;:;:;::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
|_;:--‐x、ヘl i l iアノ/,ツ'"´ ̄` ''‐--ト、、;:;:;:;:;:;:;l
.l `゙ヾミシ'"´ ゞミミ/^ヾ,
l, ゙'-、 _,,-‐" ミ〃./ 、 l
', 、,_`ヽ、, _,x;彡"__,,,=@ ミノ /;:. ,'
i: ヽ匁ゝミ;, ヾ'"ィ_ヾ斗'ノ シ l;;:' 丿
l `゙゙"´':l : ´  ̄ '´ /′
l i : r‐7′
', / .:;:. l l
', ( ´_,) / .l
', i' ィ彡'";r-、、ィr'' ,. / l
', ゙ト‐- _`二ニ彡´ : / l.
', ヽ、__,, / / ゝ-‐‐‐i _
'、 / _,. -''"´ ,. -'"´;;;;;i
ヽ ,. ‐"´ ,. -" /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、
`t--‐‐''"´ ./ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
__,ィ| / /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ー、_
,ィ;";;/ | ./ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
,ノ:::::;;l ', ./ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
‐";;;;;;;;;;| y' /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
>>159 ありがとうございます。勉強になります。
じゃ、完全に文化の異なる、異質なものが
半島からやってきたぞ、攻めてきたぞ!
えらいこっちゃ、にげろ〜って感じじゃなかったんでしょうね。
それは、昔、日本列島と半島が地続きで
日本海が湖であったため
人口がその周辺に分布して、
倭人となったって事しょうか。
それとも、地続きの頃と、倭人の頃とでは
時代があまりに違い過ぎますか?
地続きの頃って、ナウマン象の頃の話で
人類はまだこの当たりに住んでいなかったんでしょうか???
すいません、質問ばかりで。
167 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:27:44 ID:pc1VdUSl0
>>156 倭人は中国南部からきた勢力。それが朝鮮半島と日本の西部にやってきて、
土着勢力と混交しつつ、王朝ができていった。
その後、朝鮮半島では倭人系のたてた国が崩壊し、それと近い百済も崩壊して、
倭人系は日本に修練した。
168 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:29:52 ID:pc1VdUSl0
>>166 倭人は基本的に海洋勢力か海洋勢力に近い勢力なのです。
また、縄文人も海洋勢力といってもいいひとびとなので
まじりあいつつ、半島南部と同じ倭人圏なっていたと。
その後、半島南部が北方系氏族に押さえられて、倭人が日本に収斂した感じですね。
169 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:35:28 ID:6lFq7vsT0
>>166 >それは、昔、日本列島と半島が地続きで
それをいうと、北海道とサハリンも陸続きだった時期のが長いので、
モンゴル系が北からナウマン象を追って日本にやってきたと思われる。
また、縄文時代は現在より航海技術が発達して、
南方から同時期にきてるという説もある。
黒曜石の分布から南方からの発掘も多く、
ポリネシアから日本に渡ったという説もある。
少なくとも、日本海だけに人口が集中したとは言いにくい。
>>168 どうも、ありがとうございます。
縄文人は、潮にのって
長距離の航海をしていたと読んだ事を
思い出しました。
171 :
80:2007/06/04(月) 13:39:13 ID:c7F1ZJ4/0
>>159 日本人の多くがDNA的に揚子江下流地域(江南)の人たちと一致するらしい。
当時は百済(現在の韓半島の西南側)にも同じDNAの人たちが住んでいたと想像され、
彼らが追われて半島から列島へ避難したのが、日本形成のかなり大きな要因であったのではないでしょうか。
天皇家もその集団とかなりかかわりが深いと考えられる。
172 :
80:2007/06/04(月) 13:42:20 ID:c7F1ZJ4/0
「我が君は千代にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで」
の部分の、さざれ石が流れ着いてきた人々の比喩だと考えています。
>>169 その頃から、日本にはいろんな人種〜民族が住んでいて
集落毎に、独自の文化を継承しつつ、
やがて、人々と文化の交流が始まり、
日本独自の文化ができあがっていったんでしょうね。
でも、日本独自の、といっても
そのルーツをさぐっていくと
それぞれ、異なった文化の出自がみえてくるんでしょうね。
なんか、とっても面白いですね。
174 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:45:49 ID:9cIt2CSbO
へー
今昔物語の清水寺を開いたって記述は本当だったのか。
>>172 よろしければ、
詳しいご意見、お聞かせください。
とっても、面白そう!ワクワク。
176 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:48:59 ID:6lFq7vsT0
>>171 これもムーレベルの説なんだけど、
三国志に出てくる「蜀」(自称は漢)。
これはいきなり劉備が国を作るけど何故蜀と呼ばれ、
そこには誰もいなかったのか?
一説には蜀という揚子江を中心にした揚子江文明を持った黄河文明(今の中国文明)とは違う文化の国があった。
それを秦によって滅ぼされ、揚子江を下って日本にやってきて文明を伝えたという説がある。
また、江南の人々もその逃げた蜀文明の王国の末裔とも、だから北京語とまったく違うとかいう説もある。
177 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:50:16 ID:zt2Vn5pv0
>>171 「魏志倭人伝」に、倭人は中国江南地方の習俗に似ていると書かれているね。
178 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:54:20 ID:jOWG5kZ2O
179 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:56:03 ID:11+v24FA0
>坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)
「さかのうえの」じゃねぇの?
さかのうえのたむらまろ
↓
坂上田村麻呂
さかのうえたむらまろ
↓
坂の上田村麻呂
って変換されるんだが…
180 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 13:57:35 ID:zt2Vn5pv0
>>166 失敬。レスしてもらったのに、ほかのエロい人たちがすでに答えてたので。
補足するなら、列島の形が違うほど遠い昔の話ではなくて、
せいぜい中国の漢やら三国志やら、弥生時代人が出てくる頃の話。
181 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:00:10 ID:nm5qsx3d0
坂上次郎は田村麻呂の末裔か?
182 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:00:52 ID:Wm0dyTmH0
183 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:02:30 ID:E4Z6zrRb0
坂上次郎は知らないが……丹波哲郎の先祖と坂上田村麻呂の先祖は、同じだとは聞いたことあるな。
184 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:02:49 ID:1WmNO7epO
副葬品の宝石箱やぁ〜!
185 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:06:07 ID:c7F1ZJ4/0
「我が君は千代にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで」
『我が君は』は、"I love you."の意味です。
"I love you."の気持ちが幾千年も、ずっと、ずっと、
幾多のところからさざれ石のように流れ着いてきた私たちが、巌のように強く結びつき、
苔がむした石のように、その多様な私たちが一つのものと感じれるまで、八千代に時空をこえて広がっていきますように。
という内容の歌ですね。
天皇のことをyouと二人称で呼ぶことで、天皇と我々の関係を具現化し、
このことにより民の本意を尊重するという思想で、これはかなり昔からありました。改新の詔にもその思想の反映が見られます。
和歌集は日本の民意の集合体ともいえ万葉集以降、現在でも天皇家は募集しています。
これは天智天皇が皇子時代に民衆から意見を集める目安箱をのようなものを作ったのが始まりだとも考えられてます。
186 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:09:28 ID:gpusDNnO0
仕事で茨城に行くんだけど、たまに四角顔・濃い眉・ぎょろ目のお姉ちゃんがいる。
茨城の娘みんなではないんだよ。
凄くごっつい濃い系統があって、濃い人は濃い、みたいな。
近いのに東京・埼玉ではあまり見ない顔なんだよ。
学生時代の同級生にもあの系統の顔の娘いて、思い出したら茨城だった。
で、あの系統は縄文系だと思うんだが、沖縄ともアイヌとも違うんだな。
縄文人の末裔として沖縄からアイヌまで一括りにするのは大雑把だと思ったよ。
かなり多くの部族?などいて、地方差もあったんだろうな。
187 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:13:43 ID:emhcJFS20
坂上田村麻呂は「武将」ではないだろ
188 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:14:03 ID:wvrASAgT0
今日付けの朝刊各紙1面トップ。
・脱北4人 ・年金、政治とカネ ・公共工事入札 ・北方領土
などバラバラだが社会なニュース。
・坂上田村麻呂の墓か
産経、独自色出しすぎwww
フジのニュースでもスルーされてるし
文化面が1面を飾るのは悪くないけど、本当にほかのニュースは無いのか?
俺は山科区民だが、天気予報を見るときは
いつも滋賀県南部(大津市)を参考にしているとだけ書いておこう。
ああ、独眼流に攻め込む時に倒すおっさんか。
結構、強いんだよな。
191 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:17:15 ID:N10tSecQ0
>>183 丹波氏と坂上氏は同祖だけど
丹波哲郎の丹波は苗字だから直接丹波氏とつながるかどうかは不明
坂上田村麻呂って宇宙人だろ?
で、現代で阿弖利為に倒されたたぞ。
194 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:20:47 ID:zt2Vn5pv0
>>179 苗字なのか姓なのか、どっちなのかしらね。
195 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:26:38 ID:8dYYc8Ps0
196 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:26:39 ID:fn3bWVLVO
女神転生シリーズに出てきたら強そうだ。
197 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:31:17 ID:igeZziyj0
捨て 置け!!
スレだと思ったのに。
198 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:44:04 ID:Wm0dyTmH0
>>183 丹波哲郎の丹波氏は古代から丹波の国に続く医術師の家系。
古代医術は呪術と一体である。
医師は患者の枕元で呪文を唱え楽器を鳴らし、患者と
心魂融合するトランス状態に入ることが治療法の一つだった。
太鼓の周りに鈴を配したいわゆる丹波鈴も呪術用楽器の一つで、
現代のタンバリンの原型である。
199 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:45:57 ID:VJgc7bAn0
200 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:56:56 ID:MsxyDbKM0
のちの
スペランカーである。
201 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:57:20 ID:hrSmI5N60
まぁ、俺もシナか朝鮮の帰化人だか渡来人の可能性はあるかもね
202 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 14:59:05 ID:5w/4SFzxO
埋葬されてたの羽賀健二?
203 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:00:35 ID:6lFq7vsT0
>>201 渡来人、帰化人の子孫な。
「国籍」と概念がない限り、
最初に渡来したり、帰化しないとその子孫までは帰化人、渡来人とは言わない。
204 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:03:54 ID:Wm0dyTmH0
日本で独自に進化を遂げたヤマト原人の子孫以外はみな渡来人の末裔だよ
205 :
イソップ ◆kw9H7Sfm2g :2007/06/04(月) 15:06:42 ID:cNAxxnob0
おじゃるまるの爺ちゃんだっけ?
206 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:07:38 ID:hrSmI5N60
207 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:08:14 ID:6lFq7vsT0
>>204 じゃあ、全ての人類はアフリカ人の末裔だな。
208 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:10:30 ID:hrSmI5N60
そうか、日本軍が残虐な行為をしたのは
その渡来人たちの血が濃い人達なんだな・・
209 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:10:33 ID:UfnsZomi0
坂上田村麻呂か・・・
漏れを騙して殺した香具師だな。
211 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:11:24 ID:8tNUB4/20
渡来人なんて言ったら聞こえがいいが豪族の奴隷だろ
蝦夷の血を引く俺にとってはヤツは極悪人
213 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:15:19 ID:5FOjZ5ECO
しかしアフリカ以前に
俺らの祖先はどこにいたんだろう
214 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:15:44 ID:1FcdjtrQO
なんか田村麻呂を叩いてる奴が多いな。
どうせ征服された蝦夷民族の子孫のトウホグ人だろ。
こういう時に霊能者使えよw
つか本当に交信できたら、歴史上の謎なんか無いがな
>>136 皇室は基本的には古墳発掘には反対の立場。
だって自分の墓が後に暴かれることに協力するのだから不愉快じゃん。
それに暴かれて欲しくない過去(例えばDNAの検査等)も
発掘しなければ封印したままにできるよ。
217 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:19:08 ID:Wm0dyTmH0
つーか、「渡来人」とか「帰化人」つー概念は
最近になって史学者がでっちあげたもので、
当時の人々が倭人と渡来人を区別してたわけじゃねーぞ
ある特定の時期に一挙に人々が大陸から渡来したのじゃなくて
大陸からの流入は断続的に続いていたとみるべき
218 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:19:17 ID:46SdtiAJO
桓武平氏が渡来系との説は嘘八百だろ桓武天皇家系の渡来先での歴史記録がないからな
219 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:19:43 ID:xyMOl+bJ0
熊谷達也
221 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:20:47 ID:xyMOl+bJ0
卑怯者の墓。
うんこっこ(´・▽・`)
223 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:21:13 ID:rZhTl4mZ0
>>207 そう考えると、「○○の末裔(血筋)」なんてものが
いかに無意味かわかるってもんだけどな
過去の人達がいかに優れているか・・・なんてのは今を生きる人間にとって
何の箔にもならない
今を生きる自分がいかに未来のために何かを成せるか・・・こそが大事
人類の祖先はアミノ酸
>>223 天皇家の血筋を必死になって守ろうとしているヤツに言ってくれ。
226 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:25:41 ID:YdWxB8sbO
田村磨呂は、朝廷にアテルイの命乞いをしてたはず。ちがったっけ?
227 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:32:08 ID:J4lIXWhuO
命乞いしたけど朝廷は許さず斬った
それを信じて京へ行ったら・・・(涙
坂上田村麻呂って、本名 田村絵里(15)だろ。鎧ぶかぶからしいじゃん。
>>215 使っても駄目だろ?
つい一週間前の自殺でさえ謎だらけなんだから
坂上田村麻呂って、いつ東京ガスのCMに出るんだ?
232 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:47:19 ID:rZhTl4mZ0
>>225 すまん、実はウチも遡れば天皇家に繋がる家系だったりする
なんちゃって○○の末裔〜じゃなくて、ほぼ確実に
一族が代々眠る菩提寺もあるし、少なくても親父の代までは
実母じゃなくて乳母に育てられたっつー家
でもだからこそ、そういうモノの無意味さを肌で実感して育ってきた
どんなに偉そうにしても、所詮俺の代では貧乏人でネラーだしw
自分が生まれる前の過去の系譜なんて役に立たない生きた見本がここにある
>>232 江戸時代の天皇家の親戚筋あたりは貧乏暮らしだったんじゃ?
>>232 もうちょっと頑張ったら?
自分は九州の貧乏漁民の子孫だけど頑張って専門職の資格を取って
普通の収入を得て暮らしているよ。
235 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:55:04 ID:33s/CSwAO
金装大刀国宝決定。
236 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 15:58:28 ID:UCoO6duq0
古代史の捏造ブームが再来
>>232 それは役に立たないじゃなくて、お前さんが役立ててないだけだろ
先祖の業績や誇りなんかを心の糧にできる人もちゃんといるわけで
ようするに宝の持ち腐れ
238 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:01:50 ID:SB1cQNpJ0
田村麻呂の先祖はウリナラ <丶`∀´>
239 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:02:37 ID:9JJXSvSD0
骨なんかは出てきたのかね?
マジですか!?
浪漫があるなぁ……
241 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:03:23 ID:p096Db73O
>>234 なんのしかく?
税理士、司法書士のいずれかだな?
ん?どうなんだ?気持いいとこ当たってるだろ?ん?
>>223 有能なDNAをもっている可能性も高いわけだから、無意味ではないだろう
243 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:05:32 ID:+4g45vi10
アテルイの首を、講和を偽って騙して撥ねたのは、田村麻呂ではなくて時の朝廷。
日本史上、非常に後味の悪いことだ。
244 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:11:10 ID:ECKYoB5hO
>>225 地球最古の君主の家系で守る価値は十分ある
245 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:12:45 ID:ln96kYDJ0
ところで地名について踏み込んだ意見が見られないのは何でだ?
古代史解明の手がかりとして、こうした事もおろそかにはできないと思うのだが
246 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:16:49 ID:pZbpM4rD0
テレビ東京でも、秦氏がユダヤ系帰化人だ、って特集をたまにやってるけど、
日本が、蝦夷や隼人とかの縄文人、いわゆる渡来人の朝鮮系、ユダヤ系、
支那系、ツングース系、ポリネシア系、…等の混血だと考えると、
広い日本列島の各地の顔かたちの差異も納得いくし、結構面白いよね。
247 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:17:15 ID:rBujzCfV0
400年後北条政子タンが大演説ぶって
朝廷から日本の支配権を関東が掌握するから
それまでの辛抱だよ
248 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:19:26 ID:46SdtiAJO
金儲けはアホでもできるが家系(ルーツ)は変えられないからな
249 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:22:17 ID:Wm0dyTmH0
お前は帰れない!
251 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:26:20 ID:W6ItNLM2O
あろぱるぱ捨て置けスレだと思って見たら
真面目に語ってるな
252 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:27:12 ID:Ezp9v0790
軍神眠る
253 :
'A`U:2007/06/04(月) 16:27:36 ID:VKQvaWOR0
日本でもアイヌ語による公的教育を認めなければな
チベットの抑圧で支那政府を批判する資格が無いな。
>>241 税理士だよ。
頭は普通程度で大丈夫。ガンバりゃなれるよ。
引きこもりで人生を悲観している奴は朝鮮してみれ。
>>254 自営するのは営業力が必要で大変だけど企業に勤めれば重宝してもらえる。
男なら40歳ぐらいで中小企業の経理部長ぐらにはなれるから人生に困らんよ。
>>243 世界史では意外と多いけどな
ワットタイラーの乱とか
257 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:47:20 ID:rZhTl4mZ0
>>249 ちょ、ちょっと待って・・・
ピンポイント攻撃でビビってるんだが・・・も、もしかして知り合い?
そちらの兄弟構成についての情報を求む
>>257 おい、逃げるなよ。 やる気があるんかい?
260 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:03:46 ID:SXAgBwRW0
いやいや、いやいやいや
>>1 教授「と、俺は思う」
の段階だろ?まるで正式決定したような書き方するなボケ。
歴史にそういう断定は持ち込むな。
261 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:04:06 ID:fXfS72DP0
おもしろいからここでやれ。
262 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:05:11 ID:rZhTl4mZ0
>>258 すまん、個人的内容過ぎた、反省してる
このレスを最後にいったん消えます
>>249 兄弟は男(自分)・女(妹)・男(弟)の順ね
知り合いだったら電話かけてきてくれw
>>259 すまん、別に人生を悲観してる訳じゃないし、投げやりな訳でもないよ
個人的には今を一生懸命生きてます
スレ汚し失礼しました
桓武帝が鬼門が恐いから蝦夷征伐して来い・・・という理由で、出兵したんだっけ。田村麻呂。
264 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:22:44 ID:ECKYoB5hO
>>263 あの人はかなりオカルティックだったのは事実だけどそんな理由でカネのかかる遠征はしないよ w
265 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:31:25 ID:6lFq7vsT0
>>263 >>264 一番大きな理由は、単純に朝廷の勢力範囲がアイヌと被ってしまったということだが、
桓武天皇は平安京遷都には早良親王の祟りを恐れてだから、やりかねないかも知れないとは思う。
266 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:32:46 ID:P0/9Gqv/0
動員されたのは東国の農民でのちに朝廷に歯向かい
全国制覇してしまう
267 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:34:29 ID:VDhBWj6a0
蝦夷は金が採れるザクザクヨ
268 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:36:58 ID:ySQrt3qh0
269 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:38:21 ID:Ro+VMljp0
大河ドラマ化決定
タイトルは「坂の上の田村麻呂」で
271 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:42:20 ID:ySQrt3qh0
田村麻呂もやっぱお公家さんだから、
『麻呂は蝦夷を征伐に東国に出向くでおじゃります』とか言ってたの?
272 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:44:03 ID:9B5780c+O
書いたのは産経の誠意大将軍
273 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:44:39 ID:ySQrt3qh0
>>270 いい国作ったのは、蝦夷じゃなくて朝廷から来た人たちだろ?
北条や三浦や安達が蝦夷の農民だったっていうのか?
274 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:45:26 ID:E4Z6zrRb0
>>271 マジレスすると…
「おじゃる」というのは江戸時代の京都の庶民の言葉なので本物の御公家さんは使っていなかった。
ただ江戸時代以来、芝居などで使われているうちに、“そういうものだ”というイメージが定着してしまった。
275 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:47:16 ID:ECKYoB5hO
276 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:47:49 ID:HIydNuHJO
最近はありとあらゆる古代史がブームでつね
277 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:48:48 ID:eoSGk6Ih0
源氏は天皇の子孫
279 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:50:29 ID:ySQrt3qh0
>>275 いずれにしろ、坂上田村麻呂に鎮圧された人々じゃないよ。
>>278 源氏も平氏も天皇の子孫。
皇族にするには子供が多すぎたので臣下に降格した。
282 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:53:52 ID:J4lIXWhuO
薩摩の言葉と思われている「ごわす」は御所言葉
江戸時代に薩摩の殿様がなんかさらんけど導入したとか
283 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:55:53 ID:WQvE6SzeO
坂上田村麻呂って韓系なんだってのは常識だよね
284 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:56:05 ID:ySQrt3qh0
田村神社というのも、けっこうあるな。
讃岐では一宮だったし、三重県のも中々大きかった。
286 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:57:43 ID:ECKYoB5hO
>>279 そうだね。
レス遡ってみ
坂上田村麻呂に征伐された農民の子孫って誰も言ってないぞ
>>282 薩摩は幕府のスパイが薩摩に侵入してきて藩内の内情を幕府に
知らせないようにするため政治的な意図で独特な言葉を作ったらしいよ。
288 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:59:19 ID:eoSGk6Ih0
>>281 恥ずかしいヤシだな
>>268におまいが
>>270と返したから、人気者になってるというのにw
当時の農民と武士(しかも賜姓源氏・平氏)の間には超えられない壁があるんだよ
289 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 17:59:43 ID:ySQrt3qh0
>>281 東国武士は、坂上田村麻呂に鎮圧された人たちじゃなく、
むしろ鎮圧された側ですから。
>>266>動員されたのは東国の農民でのちに朝廷に歯向かい
>>266>全国制覇してしまう
はまったく的外れ。
290 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:01:41 ID:0wmG4RGk0
アテルイとモイがだまされて殺されたことは確か。
291 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:02:11 ID:HIydNuHJO
なんだかよくわかりませんが煌武院悠陽殿下で間違いないですね?
>>288 まぁ、男系で言えばそうなんだけどね。
天皇の家系でさえ皇后の祖母以前となれば江戸時代以前でも農民や商人の娘もいるみたいだよ。
294 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:03:42 ID:J4lIXWhuO
>>287 薩摩は極端だったけど、大なり小なり他国も同じかも>言葉を識別手段につかう
まー薩摩は意外に密入国されまくりだったりするけど。特に幕末
後、一番厳しかったのは肥前の鍋島藩
ここは他の国からみたらマジで分からなかったそーな
ぼくの将来の夢は、征夷大将軍に任ぜられ幕府を開くことです。
296 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:05:28 ID:ySQrt3qh0
>>266>動員されたのは東国の農民でのちに朝廷に歯向かい
>>266>全国制覇してしまう
田村麻呂に動員されたのは東国の農民であっても、
後に鎌倉幕府を起こしたのも運営したのも東国の農民ではなく、
田村麻呂が平定した地に、田村麻呂同様に朝廷から送り込まれて支配した人々。
いずれも宮の末裔や公家の末裔。
農民たちが制覇したことなどない。
297 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:05:30 ID:ECKYoB5hO
298 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:05:44 ID:y4ayZpzt0
このタイミングで田村麻呂か、、
政界大再編の兆しか?
>>289 東国武士は、坂上田村麻呂に
鎮圧された人たちじゃなく、
むしろ鎮圧された側ですから。
どっちも鎮圧された側で良いのでしょうか?
わかりません!><
300 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:06:13 ID:CsEjxXdo0
何気に一発変換
将門は?
302 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:08:32 ID:1JhaXRa10
坂之上田村麻呂って帰化人だよね
どうでもいいじゃん
>>288 もとの
>>266は東国武士のことを揶揄して言ってるんだから、
そこで「いや祖先はどうだ」と持ち出すほうがオカシイ。
304 :
289 訂正:2007/06/04(月) 18:09:01 ID:ySQrt3qh0
>>291 すまん。書き間違えた。
東国武士は、坂上田村麻呂に鎮圧された人たちじゃなく、
むしろ鎮圧した側ですから。
>>266>動員されたのは東国の農民でのちに朝廷に歯向かい
>>266>全国制覇してしまう
はまったく的外れ。
>>293 天皇家じゃないけど徳川吉宗の母は農民の娘だし。
女系で家系図を見れば相当面白い下克上が見れると思うな。
歴史関係の研究をしている人は面白い論文が書けるよ。
306 :
名無しさん@七周年:2007/06/04(月) 18:09:37 ID:nrOvBCK10
コボちゃんの苗字が西野山とはしらなかた
307 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:11:50 ID:J4lIXWhuO
後三年の役の時は八幡太郎源義家が奥羽を鎮圧してるが
この時の兵は関東から徴兵してる。
田村麻呂が率いた兵も似たような感じだったんだろか
308 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:13:42 ID:ySQrt3qh0
>>301 将門は、祖父は賜姓の宮様で、4代さかのぼれば桓武天皇でっせ。
今こそ蘇り、国家大逆の永田町や霞ヶ関の夷敵を葬りされ。
310 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:16:00 ID:ySQrt3qh0
>>305 >天皇家じゃないけど徳川吉宗の母は農民の娘だし。
吉宗の生母は紀州の百姓娘。
蝦夷の農民である可能性は極めて少ないと思うよ。
311 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:21:49 ID:P0/9Gqv/0
徳川家康も北条や武田など関東武士団を家臣に組み入れて6万前後の
徳川軍を作り関が原に動員した。関東武士団を掌握した者が天下を取る
312 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:27:32 ID:ySQrt3qh0
>>311 平清盛の関東武士団とはあまり縁がないし、
織田信長も関東武士団とは縁遠いし、
豊臣秀吉も関東とは縁がない。
明治政権を打ち立てた薩長土肥も関東武士団とは関係ないし。
313 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:28:57 ID:La6aJTLyO
山科っていったら西京区と並んで京都市なのに
京都扱いされない地味な所じゃないか
「武士爆誕!吾妻鏡、北条政子演説意訳」
頼朝公に忠勇なる八幡太郎の武者たちよ。各々心を一にして聞いてほしい。
これは政子、最後の言葉である。
我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?
否!始まりなのだ! 朝廷に比べ、我等関東の国力は30分の1以下である。
にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か?
諸君!関東の戦争目的が正義だからだ。これは諸君らが一番知っている。
我々は貴族にいいように使われ、関東移民にさせられた。
そして、一握りの貴族が奥羽にまで膨れ上がった朝廷を支配して400余年、
関東に住む我々が自由を要求して何度貴族どもに踏みにじられたか。
頼朝公が掲げた自由のための戦いを神が見捨てるわけはない。
私の夫、諸君らが愛してくれた頼朝は死んだ。何故だ!?
新しい時代の覇権を我ら選ばれた武士が得るのは必然である。
ならば、我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は源家と共に過酷な関東を生活の場としながらも共に苦悩し、
錬磨して今日の文化を築き上げてきた。その恩義はシュミ山より高く、海よりも深い。
しかしながら朝廷の貴族共は、自分たちが関東の支配権を有すると増長し我々に追討の宣旨を下す。
諸君の父も、子もその貴族の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!
それを、頼朝は死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、貴族共に叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
この勝利こそ、頼朝公への最大の慰めとなる。
坂東武者よ!悲しみを怒りにかえて、立てよ!坂東武者よ!
我ら関東こそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
優良種たる我らこそ日の本を救い得るのである。
315 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:39:43 ID:P0/9Gqv/0
>>312 最新武器のおかげ。平家は東西決戦で惨敗している。
316 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:42:14 ID:1JhaXRa10
誠意大将軍はテレビから消えました
征夷大将軍はシナのぱくりなんで興味なし
317 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:44:01 ID:RnRyuNCaO
>>315 徳川の関東武士も、薩摩や長州の西国武士に惨敗してる。
ちなみに俺の祖先は舒明天皇なんだよ
幕末の頃の先祖は日本史にも出てくるぜ
>>315 フ、フランスはフランスの援助はどうなったの?
320 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 18:58:36 ID:P0/9Gqv/0
体力は東国、知能は西国だから新しい文明が入ってきたとき
一時的に西国が有利になる
>>317 それ関東武士は彰義隊とか一部の人だけだぞ。
322 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:01:52 ID:RnRyuNCaO
>>321 他の関東武士は戦うこともなく降参したからな。
323 :
名無しさん@七周年:2007/06/04(月) 19:01:59 ID:KKbT0T/d0
浜松市にある静岡県立森林公園内には、
田村麻呂を祀ったといわれている田村神社があります。
見た目はぼろぼろで建物自体も小さいんですが、
その神社が建っているところからは、
天竜川が作った扇状地のほぼ全てが見渡せます。
本当の由来はなんだか分かりませんけど、
神社が建っている場所が、軍事的に重要な場所だということは
誰にでもすぐに分かると思います。
太平洋戦争の敗戦も東北人のせいだし
どうしようもないな東北人はw
負の歴史しかないwwwww
325 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:03:43 ID:xyMOl+bJ0
>>302 そういやそんな話もあったな。
田村麿がペルシャ系で、青い目をしてたとかいう
トンデモもあったから、墓が見つかればDNA調査も
できるだろうな。たのしみ〜
327 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:06:46 ID:RnRyuNCaO
>>325 ペルシャ人(イラン人)って目が青いのか?
328 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:09:34 ID:RnRyuNCaO
329 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:09:53 ID:HIydNuHJO
>>324 東北民は横の結束が強く精鋭部隊だったと聞いたが
330 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:11:37 ID:ECKYoB5hO
>>324 敗戦は軍に満延してた精神主義の為
東北兵は九州兵や近衛なみに日本の精鋭だ
ソースは昭和天皇が皇太子(現天皇)にあてた手紙
, --、 _
||| / ヽ
L L 」 | / ″
, -  ̄└--┘~| /nm
/ ,-vO-^-O─| /ヽ、 ″
^〜( Y(○ .. (○| /〜^ mn
nm ,(.入 ″〈〉 ″| / nMm
しと「厂 l`'丁 ~i| /、
nMn 〈〈_人_ ̄_入|/ ヽ、 ″
( ,二、 `ト-‐' nMn
″ ~~ ̄ ヽ_丿
`~
332 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:15:28 ID:CY5Yxn+20
最近の日本考古学はいい加減だからな、もっと慎重の方がいいんじゃね。
333 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:18:21 ID:mI19BrzM0
むかし、俺の友達が坂上田村麻呂のことを「高野上桜麻呂」って呼んでた
藤原のかたまり と同じだな(w
つまり、北海道は京都市山科区のものでOK?
336 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:21:23 ID:ivK1XOak0
>>325 東北地方には青や緑の目、しろい肌の人が時折生まれると聞くよ。
ホルモン異常でも目が青くなるらしい。
338 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 19:40:05 ID:ivK1XOak0
関東は高句麗の影響が濃い。
高句麗は、ツングースの騎馬民族で文明は下等だった。
総じて文明は下等だったが、馬の扱いには長けていたモンゴルに似ている。
>>33 士農工商エタひにん
を作ったことをタテに幕府を悪者にして、
朝廷がずっと奴隷にしてきた事実を隠すため?
342 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 21:11:04 ID:HD740yMY0
>>117 >当時の中央以外の研究ってどれくらいすすんでるんだろ?
研究者は全体から見ると少ない上、上と下のレベルの差が大きいです。
それなりの頭と洞察力と地道に続ける力があれば、中堅の研究者になれるかもしれません。
ただし、基礎研究が中央に比べて少ないのでまともにやると地獄を見ます。
343 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 23:15:40 ID:QkwSa/7D0
344 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 23:31:46 ID:XUgvsWSJ0
>>310 >
>>305 > >天皇家じゃないけど徳川吉宗の母は農民の娘だし。
> 吉宗の生母は紀州の百姓娘。
> 蝦夷の農民である可能性は極めて少ないと思うよ。
なにも蝦夷なんて言っていないが?
高貴な家柄出身の歴史上の有名人でも女系でたどると3代前は農民や商人など
一般庶民階級出身者がたくさんいるって言っているだけだよ。
娘がちょっと美人だと地方の有力者の跡継ぎと結婚、その娘がもうちょっと上の有力者と結婚、
そしてその孫世代が天皇と結婚。などたくさんありえる。
なにしろ日本は男系が一番重要だから女系の家系で3世代前はなんでもありえる。
あ、あの人が 田村麻呂かぁーっ!
どの天皇か忘れたが、町医者の娘だったお后様がいたね。
体裁整えるために近衛家に養女として向かえた上で嫁いだ。
皇后陛下が民間から初のお妃様と言われたものだが、実体的には
江戸時代に先例があったりする。
347 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 23:43:40 ID:5sZ9pw2r0
「歴史ってこういう侵略やら戦争やらがあってやり切れませんね」とかほざくアナウンサーが居たけど、
古代の中国も東夷南蛮西戎北狄やらがいたってことも、ちゃんと勉強しとけよ。
朝廷側=悪と言っとけば、視聴者に善人ぶれると思ってるのかよ。
同化や拡大が古代から許容されてなかったなら、
福建省には山越共和国が、貴州省はミャオ民国が成立して、漢族の領域なんて猫の額ほどだっていうのに。
あとゲルマン人は北欧から出てこれないっての。
348 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 23:46:44 ID:Wm0dyTmH0
ちと質問
男系・女系ていう言葉だけど
父親⇔息子
母親⇔娘
の関係「だけ」でたどれる血縁っていう意味で使われてるよね?
でもそれでたどれる祖先子孫って、全体のごくわずかなわけで。
たとえば祖父母4人のうち男系先祖は一人女系先祖は一人、で残りの二人はどちらでもない。
曽祖父母だと8人中6人は男系先祖でも女系先祖でもないよね?
349 :
阿弖流為U世:2007/06/04(月) 23:50:55 ID:We+Ip2uD0
田村麻呂・・・お前はもう帰れない
350 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 23:54:31 ID:+zhMv6inO
ここバカだらけだな
と言い切れないのが歴史だけど
351 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 23:55:51 ID:ECKYoB5hO
352 :
名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 23:58:40 ID:Wm0dyTmH0
>>351 そうだっけ?
壁画とかモザイクとかに描かれてるのは黒髪じゃね?
353 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:01:03 ID:pF3XrmmG0
坂上”スペランカー”麻呂
354 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:06:15 ID:ThjbPBFbO
行かないで、つっぱらまろー!
355 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:08:57 ID:S/18rUURO
>>346 いないよ 誰だか教えてくれ 皇室の歴史が変わるぞ
>>352 胡姫とか今で言う白人
もとはアーリア系だから不思議じゃないよ
今の南欧っぽい風貌は混血の結果
昔の壁画で着色染料が残ってるのあった?書かれた時代とかあるし
服属した「ペルシャ人」の可能性も
356 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:14:43 ID:inReBdrt0
同化/侵略/勢力拡大はまず、最強の武器宗教で人心を侵していくことにある。
紅毛人と南蛮人が日本の貿易利権を争った時の宣教師謀略を見れば一目瞭然。
このキリシタンめ m9(^Д^)
357 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:19:00 ID:BE4C4vU50
>>171 DNA鑑定は凄い史学の武器だね。今まで地理的に近いから朝鮮半島から渡来したと言われてた古代日本人のルーツが大部分中国の江南地方であることが明らかになって来たからね。
古代の民族移動や中国大陸にある王墓の骨を調べることによってその王朝の出自が国史と一致するかなんてことも明らかになるな。
358 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:20:52 ID:Mc//x73q0
>>355 ちょい時代は違うけど有名なアレクサンダーとダレイオスの壁画は?
金髪碧眼なのは中央アジアあたりの商業民族じゃなくて?
貿易上の共通語としてペルシア系の言語を使ってたのかも
>>355 ペルシャ人だってのは、理解できるけど、金髪碧眼ってのはちょっと。
もしそうなら、すこしは逸話に残っているでしょ。
正倉院にペルシャ製のガラスの器があるし、ペルシャ人が日本にいたってのは賛成。
ついでだが、カソリック以前のクリスチャンであったろうとも思う。
まあ、武田系の清和源氏の末裔である漏れがきましたよ。
361 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:31:01 ID:NF6muykq0
苗字があった人の方が少ないよw
大体の人はあとから勝手につけたんだよ
364 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:42:09 ID:7UzOy89h0
365 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:45:29 ID:BE4C4vU50
>>362 岩手・青森県境のナニャトラ様(キリストの墓とも云う)だっけ?あの墓も暴いてDNA調べると面白いなw
>>348 そうだけど。但し、男系を採用しているのは主に天皇家だけです。
それ以外は、公家でも武家でも女系男系のちゃんぽんで
重視されるのは、当主か否かですね。
武士階級で男系を採用したのは、秀吉が最初らしい。
367 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:48:58 ID:9Z+o0TB+O
ヤマタノオロチを退治した人でしょ?
368 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:54:31 ID:0PjnbTmk0
369 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:57:44 ID:S/18rUURO
>>358 うーん 周辺民族も含めてすべて胡人=ペルシャ人って認識かなぁ
370 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 00:59:38 ID:uQjZFspx0
青森の「ねぶた祭り」は坂上田村麻呂にゆかりがある祭りだってね。
伊達政宗の正室である愛姫(めごひめ)の実家の田村家は坂上田村麻呂の子孫。
大国に囲まれた小国ながら、その由緒正しき家柄からか、戦国時代においても容易に他国の侵略を許さなかった。
(大昔より朝廷から守護職を正式任命された家を安易に攻めると、逆に他国から攻められる大義名分にされるので)
あと、忠臣蔵で浅野内匠頭が切腹した屋敷として有名な田村右京太夫はその子孫
戊辰戦争で奥羽の藩は佐幕側についたけど、いまでも田村家の末裔は残ってるんだろうか...?
371 :
名無しさん@七周年:2007/06/05(火) 01:00:31 ID:Rfhl+Zwv0
帰りたい・・・・
372 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:01:30 ID:MwdWiDxy0
俺田村麻呂の墓周辺に住んでる。
373 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:06:16 ID:uQjZFspx0
>>368 それはヤマトタケルだろう、普通に考えて...
とりあえずあぶろれりゃあ
375 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:12:00 ID:lRgJV0pTO
コボコボコボ!コボコボコボコロリ!コボボコーボコロリコボコボリ♪
376 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:12:29 ID:0PjnbTmk0
こりゃ、すごい
378 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:17:57 ID:S/18rUURO
>>370 つい最近の歴史読本によると断絶はしてない
379 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:20:22 ID:uQjZFspx0
380 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:21:43 ID:GMJRtQnuO
ヤマタノオロチって八つ首があるんだよね。
ならナナマタノオロチでは?
等と思った15の夜
381 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:23:54 ID:m12Vdpkx0
>>380 その疑問にはのび太くんがすでにぶち当たってる
382 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:27:20 ID:S/18rUURO
>>379 冗談かと思ったぞ w
スサノオノミコトがヤマタノオロチから草薙剣とりださないと
娘からヤマトタケルに渡して皇室の神器にならねー
神話を変えちまうとこだったぜ
平安時代といえば、
検非違使がエイリアンと闘っていたらしい
それに比べれば
田村の蝦夷平定なんぞ
384 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:27:48 ID:p9mb35Nt0
中国や朝鮮から来た人って
どれくらい経たら日本人になるんだ?
うちのご先祖は多分大陸から渡って来て
今の愛知・岐阜・三重近辺に住んでいたようで
当時の土地売買書みたいのがあるんだよな・・・
巻物もあるし大きなスタンプ帖みたい物に
貼り込んでいる物もある。
年号が久安・貞応とか1000年ぐらい前の
物も少なからずあるんでずっ〜と気になってるんで・・・
385 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:28:14 ID:kkECBiKG0
忠臣田村麻呂此処に眠る。
386 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:28:49 ID:bW/mfNr80
>>380 のび太 乙
朝ズバでみのが蝦夷征伐は残酷な戦争と寝ぼけたことを言ってたな。
オマエは戦の話が出れば、その度に「残酷な」と一々付けるんかと。
このジジイは完全に、TBS脳になってますな。
387 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:30:24 ID:GMJRtQnuO
388 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:33:04 ID:NF6muykq0
>>384 それはお宝だな。
日本国籍を持ってたら日本人だし、当時は簡単に行き来できなかったから、
日本に住むと決めたら日本人だったろうな
389 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:33:21 ID:S/18rUURO
390 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:34:23 ID:Hz/wlojOO
>>383 GBやりたくなってきた。
穴掘りてぇwwwwww
391 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:34:54 ID:OnxYzpX50
そういえば今は官位はどうなったんだ?
神社本庁はいまだに神官位をだしているらしいが
392 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:35:45 ID:GzqmcEmRO
●○●
○ ○
● ●
○ ○
● ●
○ ○
●○●
首8つ、間も8つ
393 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:39:28 ID:mIx6C6RKO
土岐一族の末裔として一言。
A`)っ
>>382 でも、スサノオ→ヤマトタケル
って流れなんか変だよね。
後からつくられたみたい。
395 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:47:34 ID:S/18rUURO
>>391 官位?
上野介と兵部少輔とかは廃止だ
従一位とか正二位とかの位階の事を聞いてる?
396 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:49:21 ID:BE4C4vU50
>>378 田村家(従五位下・子爵)の墓は青山墓地にあるよ。行ってみ!
397 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:51:20 ID:v46kpbHHO
ナントカ源氏の末裔として一言
あ、先祖が江戸末期に官位高かったんですが継承されませんかそうですか
398 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:53:37 ID:P4wqOmE50
これは超重大ニュースだな。
399 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:55:28 ID:NF6muykq0
陰陽師の出番か・・・
400 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:55:43 ID:tdwOhR1G0
>>396 あの田村家って田村まろの子孫だったのか
田村家の武将って信長の野望で政治戦闘智謀みんな50くらいで特技もなくて使えないやつばっかなんだが
401 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:56:07 ID:s5pSgIbr0
この人、坂上田村麻呂のうちどこまでが苗字なの? 坂上? 坂上田村?
402 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:56:52 ID:S/18rUURO
>>394 神話だからあれだが
スサノオがオロチ退治
娘が家にあった剣を恋人のヤマトタケルに託す
話の筋としておかしいトコはないが
403 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:57:25 ID:BE4C4vU50
>>397 田村通顕(一ノ関9代藩主:従四位下・侍従)な。
一代限りらしいな
404 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:57:40 ID:NF6muykq0
田村の梅も馬鹿にはできんな
でも、ごますり団子買っちゃうよ
405 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 01:59:21 ID:nuXZcOJRO
昔うちの死んだじいちゃんが勲五等もらった時に正六位っていう賞状みたいなものも一緒にもらったが、どのくらいの官位にあてはまるかね?
左馬守くらい?
406 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 02:00:05 ID:YAc0oc8tO
407 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 02:01:40 ID:EU49UquB0
京都と奈良の全域を掘り返したら他にも色々出てくるんだろうなあ
あと天皇陵と
408 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 02:06:10 ID:OnxYzpX50
>>395 そうか官位は明治維新のときに移行という扱いになったのだった
官位は越前守とかで越前国守護だったかな?
位階だ。たしか戦前までは士官学校卒少尉任官で従?位とか
じゃなかったかな?
409 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 02:10:11 ID:g9JN6ZQ2O
確かこの方人名辞典に朝廷から粟村という名前をもらったと書いてあった気がするんだが、こういうもらった名前っていうのは実際使われるんだろうか?
>>405 じいちゃん「わしにとっての一番の勲章は、、、わしの孫じゃよ。」
西野山古墓ってどこかと思ったら
滑石のヘアピンカーブのとこじゃないか。
あの道、すっごい怖いし車で通るのも嫌なのは
お墓のところをむりむり走ってたからなのかあ…。
田村の森公園は昔は鬱蒼とした割に怖くなくて
小学生が普通に遊んでたりしてたら「田村麻呂の末裔」の方々が
学校に直々に「お前らちっとは敬え」と言いに来たりしてた。
最近きれいに整備されたところなんだけど、これはこれで
置いておくんでしょうね。
412 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 02:38:01 ID:BE4C4vU50
>>411 東に1キロちょっと行った所に地図上で田村麻呂の墓とあるのは何なんだ?
>>412 それが田村の森公園という田村麻呂の墓と小さな公園がある
小塚みたいな丘のこと。そこの隣の小学校に通ってた。
>>405 官職要解の官位相当表では、正六位下で馬寮の助にあたる。
即ち、左馬助、右馬助。
因みに馬寮の頭は二つ上の従五位上。
今の位とは違うので、一概に比較出来ないけど参考まで。
415 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 03:16:33 ID:+vkc1H59O
まじで?!
金太郎(≧▽≦)キター
416 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 03:19:56 ID:sHiudPq/0
死んでからも京の東側の守りを固めてくれ、って感じだったのかね。
417 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 03:25:40 ID:BE4C4vU50
従一位・・・大勲位(伊藤博文)
?二位・・・勲一等
?三位・・・勲二等
?四位・・・勲三等
・・・
正八位・・・勲七等か?
誰か教えて
麻呂の画像も貼らずにスレ立てとな
419 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 07:33:18 ID:mkohprNZO
>>417 勲位(勲○等)と官位(正/従○位)は違うでしょ?
それに、官位は今でもあるし。
420 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 08:07:04 ID:isAH3Vll0
421 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 08:39:19 ID:LDEGcWaEO
酒呑童子退治の伝説上の人物でしょ?
まさか実在したとは。
422 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 08:42:14 ID:O5ZUge29O
これ確定ならちょっとすごいな
これは間違いなくどこかの大学の入試問題でだすな
425 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 09:10:30 ID:UzD/lyt00
426 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 09:11:49 ID:Bc9fsjv40
画像も貼らずにスレ建てとな?
427 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 09:14:41 ID:IhgO3XwNO
山科という地名は日本にもうひとつだけあるんだよな?
京都の山科から、関東のどこかに行った人たちが山科とつけたらしいが
関東のどこだったっけか?
428 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 09:19:15 ID:J6YARTa30
なんで科をシナと読むの?
429 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 09:22:37 ID:meZp8Xtw0
430 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 09:22:50 ID:Mc//x73q0
田村麻呂とアテルイはどっちがタチ?
>>419 今は官位はなくなり、位階というものに替わっているよ。
位階は故人に叙される臣としての人事評価みたいなものだね。
今年3月には板橋署の故宮本警部が正七位に叙されている。
ちなみに叙勲と叙位は管轄も違う。
>>423 銀さんのお兄さん?
やっぱり血糖値高いの?
434 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:02:43 ID:LVKOB6+60
>>365 あれは、「この辺でキリストが死んだ」とかいう話が先にあったんだって。
それに基づいて、自称郷土史家か誰かが周辺を探したら、古い墳墓らしき
土饅頭が発見された。
その人はそれを、「これがイエスの墓に違いない」とキリストの墓認定した。
で、時代は第二次世界大戦頃とかで、日ユ同祖論とか、八紘一宇思想と
結びつき、ややこしいことにもなったとかなんとか・・そんなんだった気が。
どこかで読んだけど、どこか忘れた。ちなみに、その郷土史家のお孫さん
などはまだ普通に地元で暮らしてらっしゃるようなんで、デムパ扱いとかは
しません。ご本人らもトンデモだってのは十分分かってるみたいだし。
時代ってやつだな、と思うし。っていうかこういう話、好きだしw
誰かの墓か、何かの目印であることは間違いないだろうけど、キリストと
決まったわけじゃないみたい。決まるも何も、キリストがあそこで死ぬわきゃ
ないけどw
青森の蝦夷の豪族の墓ってほうがすっきりするだろうね。青森東部には
明治まで蝦夷の村(といっても「アイヌ系の村」という意味)があったというし。
明治以降の同化政策かなにかで、その村の人たちも「古来からの日本人」
って風に思ってるらしいけど、文献を見ると明らかにアイヌの親戚。アイヌと
和人の通訳も、その辺の人がやったらしいし。名前もアイヌ名だったし。
そういえば青森西部の話ではあるけど、江戸時代初め頃、津軽に近畿から
切支丹が多数流されたらしい。その人たちが津軽から南部に移住して、
キリストのうんちゃらかんちゃらを広めたのでは・・。そんなわけないか。
>>333 真顔で「ジャイケル・マクソン」と言った僕には笑えません。
>>33 未だにこの字を使ってるか分からないけど
全国に「夷村」が点在するのにも驚いた。
青森にはもちろん蝦夷(アイヌ)の村=夷村が
明治まで残ってるのは理解できたんだけど、
西のほうにもそれがあったから。
人の移動はあったろうけど、きっと元々は
古代の俘囚を押し込めた村、ってことだよね。
安倍ちゃんがその俘囚の長の子孫で。
ロマンだ〜〜
437 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:16:18 ID:BE4C4vU50
438 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:22:54 ID:BE4C4vU50
>>341 高橋貞樹という人の「被差別部落一千年史」という本なんかでは
俘囚の子孫=エタという説を採ってたような気がするけど(うろ覚え)
文献とか照らし合わせると矛盾が生じるとかで、あくまで想像の
範疇でしかない説とかいう話だったような・・ ごめん、まじうろ覚え。
こういう想像↓
だまし討ちで戦に破れた蝦夷たちは、西国に強制移住させられたのち
解放されたが、帰途に着く金など無く、故郷に帰ろうにもすでに年月は
経ち過ぎていた。
西には地縁も血縁もなく、定住して生きる手段も住む家もない。
運良く仕事にありついたり、故郷に帰れた者以外は、浮浪者になった。
浮浪者の数が多すぎると政治家たちはとても困るから、別の浮浪者
たちと一緒くたにして、何かメシの種を与える必要が生じた。そういう
人たちは、「まとも」な農民からは蔑まれた。
>>369 中華(世界の中心=中原=漢族の住む地)より
西の野蛮人のうち、外人っぽい顔つきした奴ら=「胡人」
とかいう、結構おおざっぱなレッテルだったかもねw
441 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:27:21 ID:BE4C4vU50
清水寺にはアテルイの祈念碑がある。
豆知識な。
>>1 日本古代史の准教授が「可能性が極めて高い」って
示唆したって、そんなもん全然信用できない
こんな段階では、何の価値も無い
444 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:32:10 ID:lD05ClEZ0
>>439 蝦夷が各地に移住させられ、
受領の預かりとなったってのは読んだことがあるけど。
それ=被差別部落とするのは強引かもね。
各地に移住させられ受領の預かりとなった蝦夷は、
当初税が免除されるなど「寛容な(朝廷にとって)」同化政策がとられる。
→数代かかって同化しなかった蝦夷は、
彼らの故地である奥六郡、山北三郡に移住させた。
→阿倍貞任やらの俘囚ってやつに。
445 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:38:46 ID:+YeYiS9ZO
アイヌ=蝦夷じゃないし、
蝦夷=アイヌじゃないから。
アイヌとゆう種族は、蝦夷とゆう人種(カテゴリー)の一部でしかない。
446 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:41:21 ID:6zRw8U/Y0
安倍晋三だって九州に移住させれた安倍宗任の末裔だろ。
現日本国首相は蝦夷の末裔ってわけだ。
447 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:44:26 ID:+YeYiS9ZO
なんかみんな勘違いしてるけど、
蝦夷=アイヌじゃないから。
蝦夷とは、色々な種族の総合であり、
アイヌとは、蝦夷とゆう色々な種族の一部でしかない。
448 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 11:54:39 ID:+YeYiS9ZO
>>445>>447 >アイヌとは、蝦夷とゆう色々な種族の一部でしかない。
いやもしかしたら、アイヌとは、
蝦夷とゆう色々な種族の一部にも、ならないかもしれない。
つまりは、アイヌは、蝦夷とゆう人種じゃないかもしれない。
>>443 この人西の天才学者だけどな
東が大津透
>>444 【強制移住させられた蝦夷の末裔・ハンセン病患者・きちがい・
その他もろもろの事情によって「正常」じゃないとされた者らが
部落の起源】という説と、
貴方の言うように【その想像と事実はそこまで合致してない。
部落の起源が蝦夷だというのは間違いで、政治的な意図に
よって部落は形成された】という説があるらすぃ。
文献から想像するしかない話だけど、古代の辺境史も好きだし
タブーとなってる被差別部落にも興味あるし、すっごい面白い。。
>>447 そうだね。蝦夷=アイヌとは言えないだろうし、何も分かってはない。
ただ、青森に明治まで残ってた「蝦夷村」というのは、アイヌ部落のことです。
>>446 隷属したとはいえ、蝦夷の棟梁の家が残ってるのも凄い。
それに、その子孫が首相になったのが、もっと凄い。
453 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 12:01:50 ID:+YeYiS9ZO
>>451 アイヌの名残りがある村があるなんてすごいね。
そーゆーのは残していきたいなぁ。
455 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 12:25:55 ID:LdG2R9uR0
「別所」という地名が全国に何百箇所もある。信州に別所温泉というのがある。
それは征服した蝦夷を連れてきて住まわせた難民キャンプの如きもので、
移住させられた蝦夷のことを俘囚と呼ぶ。だから東北地方には別所という地名は無い。
山間の小盆地とか河川の屈曲部などの周囲と隔絶した場所にある。
被差別部落である場合が多い。
地区には石の棒を祀る由来不明の神社があったり、歌詞の意味が
全く意味不明の民謡などが伝わっていたりする。おそらく古代蝦夷民族起源の
習俗であろうと推測させられる。
アフリカからアメリカに連れてこられた黒人奴隷がブードゥー教や
アフリカ的な音楽を伝承し続けたのと似ている。
ちなみに京都市内の被差別部落の中には俘囚起源のものがある。
団地を作るときに穴を掘ったら擦紋土器(古代蝦夷の土器)やオホーツク文化圏の
骨角器などが出てきた。家族単位村単位で生活道具を携えてはるばる都まで
連れてこられたのだろう。言葉も通じない蛮族が京都でさせられる仕事といえば
最底辺の賤業であったのはいうまでもない。
もっと詳しく知りたい人。別所村の所在地一覧や写真を見たい人は
http://www.amazon.co.jp/%E5%88%A5%E6%89%80%E3%81%A8%E4%BF%98%E5%9B%9A-1947%E5%B9%B4-%E8%8F%8A%E6%B1%A0-%E5%B1%B1%E5%93%89/dp/B000JAFRKY を読めばよかろう。
しかしこの本、オフィシャルの部落地名総監みたいなものなので
古書で10万円以上する。大きな図書館だと所蔵しているかもしれない。
456 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 12:42:29 ID:BE4C4vU50
>>455 苗字は?秀吉に「干殺し」された別所長治とか、元巨人軍投手にも別所毅彦がいるけど
457 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 12:47:28 ID:Jl9FZrlt0
東日流外三郡誌は 本当だったんだ
458 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 12:49:42 ID:hCm/lucZO
>>451 戦国から江戸時代あたりの記録にも東北のアイヌ部落が出てくるそうです。
ただ、アイヌは交易民でもありますので、大昔から部落が存在していたかはわかりません。
また、アイヌの成立は十三世紀頃、本州の文化的統一から外れた北方民が、
日本と北方狩猟民の文化の影響を受けながらまとまったものいったあたり
が定説だったと思います。
459 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 12:53:02 ID:Jl9FZrlt0
桓武天皇から、枝分かれしたのが、平家
清和天皇から、枝分かれしたのが、源氏
どちらも貴族である
この時代から、征夷との戦いは良くある話
征夷は、東北や関東近くまで勢力を持っていた、当時はよく古来の天皇が戦争してたみたいだ
460 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 12:56:01 ID:Jl9FZrlt0
>>458 アイヌは被差別部落ではない、部落と言う名前を君は使い間違えている
アイヌは純粋な日本人であるんだから
461 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:00:15 ID:+GtZ+sOY0
462 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:02:29 ID:6j6/FcO7O
古墓ちゃん
463 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:03:00 ID:LdG2R9uR0
アイヌ=蝦夷では無いが、まあ同じと思ってよかろう。
学術派の人は必死で違いを強調しようとするが、
ハードロックとへヴィーメタルの違いみたいなものである。
古代の東北は「ここから北は蝦夷が住む土地」という境界は無くて
東北に行くにつれてだんだん住民の「蝦夷度」が高まっていくというのが
実情だろう。現在でもそうかもしれん。
464 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:07:31 ID:LdG2R9uR0
>456
別所という苗字は別所に関係があるのだろう。としか言えない。
しかし蝦夷民族というのは狩猟に長け、馬を飼い、北方のホンモノの
遊牧民とも交流があって、家畜の屠殺など朝飯前だったわけだろう。
蝦夷がエタになったのは明らかだと思うのだが。
エタというのはエゾッタが訛ったものだし。
465 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:11:42 ID:hCm/lucZO
>>460 部落は一般語です。部落を被差別部落の略称として使用する習慣のある一
部地域の感覚で否定しないで頂きたい。
私は関西に何年もいた事がありますが、神経質で異常なものと思いました。
私の地元では風化しつつあり、県外に出て初めて知る者が多いのが実状ですから。
466 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:17:11 ID:+GtZ+sOY0
部落問題は気をつけないといけないのは、
江戸期以前にある一定の層が一つのところに固まって住んでいたり、またそれが賤民扱いされていた場合は存在する。
しかし、往来は基本的に自由であり、特定の層に属していたからといっても、そこから離れた人も多い。
つまり、かなり流動的だった訳です。
ところが江戸時代は非差別部落の人間だけでなく、天皇に至るまで往来禁止で居住地が固定された。
それが400年間続いた訳です。
当然、近親婚も増えるし、いわゆる被差別部落の人は構成員が少ないのでなお近親婚が増えます。
これは天皇家も同じ問題をかかえていますね。
土地にいわれがあっても、過去から一連の流れで差別が存在したということはあり得ず。
その時代時代で賤民扱いされた人もかなり流動的だったわけです。戦国時代なんてまったくわからない。
江戸時代に幕府は逆に、非差別民には特定の利権を与え保護していた側面がある。
そして、処刑したり、隠密で人を消す場合には彼らに依頼した。つまりKGBのような役割を担った訳です。
それが、明治に至り身分制度が崩壊し、
400年間の鬱憤晴らしが、直接手を下していた彼らに向かったのが差別問題の始まりだと思われます。
この構図は現在でもしっぽが残っていますね。
467 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:24:25 ID:LVKOB6+60
>>464 明らかと言い切れるほど明らかではないし、
あくまで楽しい想像の範疇でしかないよ。
そもそも「エタ」の語源は違うでしょう。
日本刀の技術が頂点に達したのが平安末期だとか。
このころの技術はロストテクノロジーで古刀を科学的に分析しても作り方が分からんらしい。
>>460 「部落」って「集落」の意味でつかったんだと思うよ。
「部落」は被差別部落差別が身近な問題となってる
西の人にとってはセンセーショナルな単語なのかも
知れないけど、被差別部落文化が現存してない
北の人にとっちゃ、単に「集落」以上の意味はないらしい。
>>468 日本刀は蝦夷の蕨手刀が原型らしいね。
俘囚の刀鍛冶がいたのだろうか。
471 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 13:31:23 ID:hCm/lucZO
>>463 続日本紀を読む限りでは奈良時代の東北地方はモザイクという感じです。
472 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 14:07:58 ID:XgnmbFbi0
>>469 関東でも部落は=集落として使われる。
小学校とかでも部落対抗リレーとかあるし。
また羽賀研二か
日本史全然駄目なんだけどショックみたいだぁーね
474 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 14:41:07 ID:sXs9nTR/O
九州でも部落は地区や集落を言うが被差別部落を指しては言わないなぁ
今でも○○部落て言ってるよ
関西辺りが略して言うのが 誤解を招いているんだよ
通常童話と言っているのが普通だな
475 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 16:36:42 ID:/1o2yatI0
>>470 征夷の人物画像は、当時の平安時代前にいろいろ描かれているが
どれも、差別的に描かれていて、野蛮人だとされている
これが、ひとつの差別につながってるのも、疑えないな
しかし、彼らは朝廷にアテルイが処刑された後は、利用され続けたのかも
ちなみに自分はトンデモは楽しみますが、余り信用してません。
事実と結論を想像の翼で一気に繋ぐのではなく、事実を検証して
積み重ねた結果が、結論と呼ばれるべきと思います。
そうでなければ、どんな「それらしい」説も、どこかの教授のES細胞
みたいなことになるからです。強制移住蝦夷=部落民の祖というのは
面白いしとても魅力的な説なんだけどね・・。
477 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 16:58:02 ID:68+GVuSM0
>>474 ちょっと関係ないけど、宮崎の東国原(ひがしこくばる)知事が九州出身だけど、
自分の出身地には田原とかいて(たばる)地区があった。
(小学校の時の運動会では部落リレーもあったよ)
標準語で原(はら)を「ばる」と読むのは九州の独特の言葉なのかなぁ?
478 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 17:05:41 ID:1Mr4MsRM0
479 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 17:13:20 ID:LV7pcMyS0
>>459 源氏と平家は別に清和源氏と桓武平家だけじゃないからw
馬鹿丸出しwww
480 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 17:21:52 ID:in4qlYt/O
さかのうえのたむらまろ
さかのうえのたむらまる
さかのうえたむらまろ
さかのうえたむらまる
どれ?
481 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 17:28:00 ID:BE4C4vU50
>>479 オマイさんの言ってるのは姻戚関係を結んで勝手に源氏とか平氏とか名乗った奴等な。
平安時代この手の藤原氏が一杯在って、区別するために「藤」の字を残して佐藤・伊藤等に名前を変えたそうだが
アテルイ騙まし討ちした将軍か。このせいでどうも卑怯な奴というイメージが強い。
信じて田村麻呂に降ったのに可哀想。クマソといい元寇といいノモンハンといい真珠湾といい、どうも日本て
奇襲や騙まし討ちが多いよね。まともに正面から決戦して勝ったためしが殆どない。
483 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 17:42:16 ID:1Mr4MsRM0
田村麻呂は、助命をお願いしたんだけど、天皇が聞かなかったんだよ
484 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 18:46:51 ID:4L0q2VPM0
>>482 坂上田村麻呂が帰化人でアテルイが日本人なのですが
エゾとエミシとはどう違うのですか?
486 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 18:56:07 ID:3pXy8rpa0
そもそも日本は昔から、奴婢とい奴隷を作り差別を行っていたんだろ
そこへ蝦夷が敗北してから、彼らを奴隷的なやくめにしたのかも
それもこれも童話問題になると天皇のやらかした事が、すべて今の時代に裏目に出てるんだろうと思う
童話問題を語ると、古代からの天皇が出てくる
487 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 18:57:58 ID:cmpJNnQA0
>>486 ちなみに蝦夷が敗北したかというそういうわけでもないんだよ。
アテルイとモレを捕縛しただけで歴史書にはそれ以降の事は書いてない。
のちのおじゃる丸である
489 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:00:43 ID:3pXy8rpa0
>>487 と言うことは、それから先のことは、都合が悪いことだから封印されたのか
それとも歴史上から消されたのかも知れない
時の権力者は、都合が悪いことは、闇に葬るからね
そもそも天皇の地位を争い、天皇一族は殺し合いさえしてるんだし
アテルイ? ……阿流弖為(あるてい)じゃないのか?
岩手の悪路王だろ?
491 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:01:28 ID:cmpJNnQA0
そういえば韓国人が崇拝してる伝・王仁の墓ってアテルイとモレの墓だって説が
あるんだよな。
アテルイ二世では悪役だよぬ
493 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:04:58 ID:bfvL3d/tO
このニュースもっと大騒ぎしてもよくない?
494 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:05:12 ID:sXs9nTR/O
アテルイが悪いか良いかは 時の権力争いで負けたからだ
アテルイは悪いのでなく 天皇が悪いのかも知れない
ただ 蝦夷を悪者にしたかった天皇一族がいるんだよ
495 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:10:32 ID:3pXy8rpa0
>>493 そうだな、天皇一族は大喜びしてもいいだろう
>>481 479がいいたいのは嵯峨源氏とか仁明平氏とか他流の源平のことだと思うんだが
497 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:14:29 ID:+GtZ+sOY0
>>486 古代の差別階層と現在の同和は非常に関連性が薄い。なぜなら、一番多い層が秀吉のときにきた朝鮮系ですから。
ことさら古代との関連性を強調する人たちは、その利権体質を温存したい人たちですよ。
確かに、古代からの歴史をもっている部落も存在するが、例えば陵戸とかはそうだね。
しかし、それはごく一握りで、実はそういう地区の人たちは一緒クタにされることを非常に嫌がる。
朝鮮系の問題点は非常に民族主義的で、この姿勢こそが現在の日本で嫌われる最大の要因。
夷敵というのは現代風にいえば自己中野郎という意味。自己中民族主義を全面に出す集団を許容すれば、
移民国家日本が崩壊してしまうでしょ。実際、倭国大乱は民族が違う部族集団の戦闘が絶えず大変なことになった訳です。
498 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:18:38 ID:+GtZ+sOY0
ちなみに、日本が戦前にやった民族主義はあくまでも民族主義ゴッコであって、
ヨーロッパに存在する民族主義とは根本的にちがう。
アメリカが来て、天皇が『やめやめ』といったらやめてしまえるようなものな訳です。
499 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:22:50 ID:hCm/lucZO
>>489 単純にそれで終わりなだけでしょう。
史書は当たり前な事はあまり載せません。うやむやになって、載せるほど
の記録は無かったのかもしれません。
何でわざわざ稲作が出来ないところに遠征に行ったんだろうか?
501 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:53:00 ID:Mc//x73q0
だってまだこのころは「米本位経済体制」じゃなかったし
502 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 19:57:58 ID:mkohprNZO
503 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 20:06:11 ID:3pXy8rpa0
この時代は、日本が統一さえるとかそれさえ危うい時代の戦乱でもあったのだろう
天皇の位継承でも、戦いをやってるし殺し合いしてる時代だよ
日本をある程度、牛耳る手前だったのだろうな
九州には熊襲、そして東北には蝦夷がいたのだから、そりゃぁ天皇もいつ首を欠かれるか怖いよな
しかし天皇の系譜には 137歳とか120歳とか生きたような風になってる時点で
すごく怪しいんだが
504 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 20:16:47 ID:Q3YGrtO00
日本ての歴史って基本的に東北と九州が作ってるんじゃね?
佐伯部と久米部みたいな奴らが
505 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 20:19:05 ID:3pXy8rpa0
>>504 関東は原野だった時代に何を言ってるのか
506 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 21:35:40 ID:OLqif8+t0
>>455 菊池山哉の独自研究なんてとっくに論破されてる。
功績は被差別部落の古老の伝承を採集したことくらい。
507 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 21:38:00 ID:OLqif8+t0
>>455 別所温泉の部落は他の部落からの派生。 俘囚とは無関係。
508 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 21:55:41 ID:KvTrJwwQ0
学究化したスレだな
509 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 22:02:22 ID:+GtZ+sOY0
>>210 九州ルーツといえばオノヨーコですよね。で、その小野洋子さん。
西野山古墓と同じ地区の小野御霊町に小野小町の随心院がありますね。
で、『Let it be』なんですが、これって親鸞の『絶対他力』のことなんじゃなかろ〜か?。マザーメアリーねぇ・・・。
う〜ん。そして『imagine』・・・。うわ、うわ、うわ。こりゃ間違いなく親鸞の『本願』だわ。
親鸞の『本願』はまさに愛と平和(Love&Peace)を念じることですから。
結局のところ、ビートルズ崩壊は宗教論争の末だったんじゃなかろうか。親鸞はおそらくオノヨーコが持ち込んだと。
親鸞の考えをつきつめると、宗教者は徹底的に愛と平和を諭さなくてはならないということになる。
殺生は罪だと言い続ける宗教を否定してしまう共産主義では膨大な殺戮が生まれる。
無宗教というのはこういう事態をもたらす。
しかし、宗教者が特定の殺生は罪でないといってしまうと、その殺生にお墨付きを与えてしまい。
とんでもない殺戮を平気でやってしまうことを生み出す。
よって親鸞の考え方には同意する。
しかし、だからといって、坂上田村麻呂や織田信長の功績を否定することができるのか?
という論争が当然宗教的に生まれ。
彼らは特定の宗教からは異端とされ。特定の宗教からは聖職者に準ずるとされることになりがちだ。
しかし、これだと一向に諍いはおさまらないし、宗教戦争の大きな要因となりますね。
ここへコペルニクス的転換を持ち込んだのが親鸞なんです。いわゆる悪人正機説。
田村麻呂や信長は悪人なんだけど、浄土へいけるかどうかは、悪人かどうかとは全く別な問題なんです。というわけ。
しかし、こんな考え方しちゃうと、どう考えても宗教にならないというか、宗教なんて全く意識しなくなる。
『Let it be』は理解できても『imagine』までいっちゃうのは怖いっていうのが欧米人。
ところが日本人には『imagine』の感性がぴったり来ちゃう。
ちなみに、親鸞の生まれた法界寺は小野小町の随心院のすぐ近くです。
510 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 22:12:58 ID:40ENBsHJ0
>>400 戦国時代の田村家は奥州では有数の強い軍団だったらしい。伊達政宗に娘が
嫁いでるのを見てもわかるように
511 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 22:14:10 ID:uIOw9ZYZ0
512 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 22:19:41 ID:uIOw9ZYZ0
ちなみに田村麻呂埋葬地の錯乱、漏れは3年くらい前から気付いてたよ…orz
513 :
名無しさん@八周年:2007/06/05(火) 23:07:45 ID:hS+SdcUo0
>>487 まぁ蝦夷なんて用語自体が華夷思想そのものなわけで、、、
大陸の思想にあう解釈をこじつけて史書や神話を、、と言う感じがするね。
「天」皇が夷荻を成敗させた、、、、みたいなw
どうしてもウルトラマンには怪獣が必要なわけだww
514 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 00:03:45 ID:i8POaN6Q0
>>485 >エゾとエミシとはどう違うのですか?
エミシは古代において、現在の関東以東の住民に対する朝廷(大和)側による呼称
エゾは中世以降現在の北海道以北(あるいは津軽以北)の住民(主にアイヌ)に対する和人側による呼称
515 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 00:08:38 ID:i8POaN6Q0
516 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 00:09:30 ID:PpdAxM6N0
>>509 オノ・ヨーコをはげしく鬱陶しがる日本人は、かなり多いと思うけど。
あのイマジンの歌詞を胡散臭がる日本人も非常に多い。
欧米のキリスト教徒保守派のように敵視はしないが、
代わりに、はげしく胡散臭がって鬱陶しがるんだな。
何より、特定のかなり変わった思想信条を
"all the people"に押し付けて、しかも実践を強いるというのは、
いくら夢想であったとしても、
特に東北日本人は、この上なく押し付けがましく感じて鬱陶しがるものだよ。
あの、ある種の厚顔無恥な押し付けがましさは、
なるほど西南日本的だなと思うけどね。
九州は、ユーラシア大陸的な、唯我独尊的な宗教意識の比較的高いところだ。
キリスト教徒と仏教徒が、内心ではとげとげしく対立している。
「うちは○○宗だから」と、今でも普通に力説するのも九州くらい。
ちなみに、親鸞は「どうにもならない」と言う「人の業」を見つめることに
真の信仰を見るというもので
オノヨーコのような鬱陶しい「自称『善』の押し付け」とは全く正反対に近い。
でも、この「思想的な押し付けがましさ回避」の気質が、
蝦夷やアイヌの日本史上の連戦連敗につながっていったんだろうなあと、
「日本奥地紀行」のアイヌの記述を見ても感じるね。
518 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 05:26:00 ID:Q0KKswne0
243 :名無しさん@八周年:2007/06/04(月) 16:05:32 ID:+4g45vi10
アテルイの首を、講和を偽って騙して撥ねたのは、田村麻呂ではなくて時の朝廷。
日本史上、非常に後味の悪いことだ。
↓
アイヌのシャクシャインも講和に訪れた松前藩に殺された。
519 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 05:51:09 ID:Q1Qhjpnq0
羽賀けんじの墓?
誠意大将軍かよw
ちなみにアイヌも先住民を殺して居座った侵略者なんだけどね
コロボックルの事かー
523 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 07:30:20 ID:W1F6teVwO
間宮海峡を渡り沿海州を侵略したし。それで元(モンゴル)が樺太まで討伐しに行っているしな。
524 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 07:51:07 ID:AjzRGWXI0
>>517 まあ、織田信長の一向宗徒との戦争は、
宗教者は平和を祈祷してるべきで政治に手を出すなボケ。おかしいやろ。ですからね。
興味深いのは、延暦寺焼き討ちのときに、法然、親鸞とゆかりの深い黒谷は唯一焼いてないんですよね。
あの有名な『人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり』は思想的に非常に共通性を感じる。
オノ・ヨーコの風貌はたしかに熊襲系
>>517 ずいぶん端折った理論だね。
そもそもオノ・ヨーコの名字が九州に多い小野でも
オノ・ヨーコが九州出身とは限らない。
オノ・ヨーコは安田財閥系だから東京近辺出身だと思うよ。
527 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 11:04:09 ID:ZfUatCgQ0
>>526 オノヨーコの祖父小野英二郎(関東大震災時の日本興業銀行の総裁)は柳川藩士の家系、
したがって九州由来です。
529 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 11:37:43 ID:teYuEpB00
この前、このニュースをNHKの麿が読んでいた。
530 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 11:41:37 ID:ThVhgUGp0
蝦夷=野蛮人ではなかったんだろう。
アテイルの除名嘆願するくらい意思の疎通が出来てたんだし。
こうやってちゃんと公になってくれるとさすが京都と思う
ビル開発業者なんて、黙って埋めちゃうよ
533 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 11:47:52 ID:W1F6teVwO
日本人の中には背が低く彫りのある顔立ちをした人達がいる。アイヌとはまた違う感じのね。
534 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 12:30:05 ID:WRcB/Z2v0
大陸から来た天孫族が征服する前から日本列島には蝦夷以外にも出雲、安曇、熊襲、国巣、土蜘蛛などが住んでいたのです。
なんで異次元コボのスレになってないの?
536 :
♪:2007/06/06(水) 12:38:42 ID:OHDbFV5K0
田村麻呂の塚とされる将軍塚は,各地にあるな.
>>518 さういへば,忍坂の土蜘蛛も,講和と偽って殺されたんだったな.
538 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 14:08:48 ID:DP0s6sfw0
擦紋土器とかトビニタイの土器が出土したのは京都の三条部落だっけ?
今の日本でも征夷大将軍になれるのかな
540 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 14:12:07 ID:cUz3X2Mu0
太政官制は廃止されてる
541 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 14:15:17 ID:/YSGxWck0
>>539 >今の日本でも征夷大将軍になれるのかな
現行憲法下ではもちろん征夷大将軍にはなれないけど、
日本を軍事的に制圧して、征夷大将軍に就任(天皇陛下に任命)されてしまえば、
あとは憲法なんか廃止してしまえばいい。
なった者勝ち!
部落のルーツを俘囚(蝦夷)に求める説は面白いし
センセーショナルで魅力的だけど、あくまで想像の話。
1つ1つ証拠を積み重ねて至った説ではない。
543 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 14:50:18 ID:PpdAxM6N0
>>533 日本競馬会の名騎手だった加賀武見さんも小柄で彫りの深い顔をされていたな。確か青森出身。
544 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 15:29:55 ID:5pC3vV1i0
新羅の倭遠征部隊司令官だっけ
545 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 15:35:06 ID:6FzJyEw80
事実だとすると日本史上の大発見だ。
おれもタイクーンになりたいな。たしか英語圏だと大君ってこう呼ぶんだよね
547 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 15:49:28 ID:c7DiD6cV0
清水寺の境内に処刑された蝦夷の英雄アテルイとモレの碑が建ってるんだけど
修学旅行生がよく知らずにそこに腰掛けてるんだよね
祟りがなければいいんだけど…
なんの由緒もない碑だから問題なし
550 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 17:52:27 ID:eL4S3pS80
人の名前が書いてある碑にそういうことするのは良くないな。
由緒があろうが無かろうが一緒。
自分や母親の名前が書かれた紙が、皆に無造作に踏まれる場所にあったら、
なんとなくヤじゃないか。
551 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 18:17:27 ID:nzQcbXFZ0
蝦夷(エミシ)
現在のロシア極東のウラジオストック付近から日本海を渡って秋田地方に渡って来た
コーカソイド系とモンゴル系の混血種(混血白人)の渡来人。
渡来してきた目的は、ロシア極東地域で移民のコーカソイド系住民が先住民である
モンゴル系住民を、軍事力で支配しようと権力争いが発生したが、人口数に劣る
コーカソイド系住民が敗れて虐殺された。
この争いによって、コーカソイド系とモンゴル系の混血種(混血白人)住民にも迫害の
手が延びてきたので、極東沿岸の海岸付近に住むコーカソイド系とモンゴル系の混血種
(混血白人)住民は、虐殺から逃れるために百人単位の集落規模で船に乗って日本海を
渡って、日本の東北地方の秋田付近にたどり着いた。(大和朝廷時代ごろか?)
その後、東北地方に住み着いていた先住民のアイヌ人を支配して同化(アイヌ人との混血化)
していくことで秋田地方から東北地方に広く分布するようになる。
蝦夷(エミシ)とアイヌ系先住民とでは微妙に違い、蝦夷(エミシ)はコーカソイド系白人に
近い肌色と目鼻立ちをしている。
552 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 18:24:49 ID:nzQcbXFZ0
蝦夷(エミシ)
東北地方全域で、アイヌ系先住民人との間で混血化が進み、さらに東北地方が軍事力で平定された
平安時代以降、東北地方に移住してきた半島系渡来人(弥生人)、支那系渡来人、倭人(支那系
渡来人と縄文先住民との混血)らとの混血化が進んで、コーカソイド系白人特有の面影は消えていった。
しかし一番最初に渡来した秋田地方では、コーカソイド系白人の血を濃く持つ住民の子孫が数多く残った。
このコーカソイド系とモンゴル系の混血種(混血白人)住民の事を、平安時代に東北地方を平定する
以前の朝廷は蝦夷(エミシ)と名づけて、縄文先住倭人や渡来系倭人と区別した。
東北地方を支配していたアテルイや配下の部下達は、あまり混血化が進んでおらず、白人特有の肌が白く、
鼻が高い目鼻立ちのくっきりした外人顔をしていた。
東北地方に広く分布する蝦夷(エミシ)の子孫の特徴
九州地方の倭人の子孫が九州男児と呼ばれることがあるが、東北地方の蝦夷(エミシ)の子孫が東北男児と
呼ばれることはない。
九州地方の倭人の子孫は、単純明快な性格で、忠義に厚く、勇猛果敢で卑怯な事を嫌うので、そうした
性格の九州出身の男性の事を、九州男児と褒め称えるのに使われる。
一方、蝦夷(エミシ)男児とか東北男児と呼ばれないのは、東北の男性は我慢強いがジメジメした性格と
根暗で、卑怯な事を好む性格の男性が多いから。
553 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 18:32:38 ID:nzQcbXFZ0
ココ重要↓
>九州地方の倭人の子孫が九州男児と呼ばれることがあるが、
>東北地方の蝦夷(エミシ)の子孫が東北男児と 呼ばれることはない。
>九州地方の倭人の子孫は、単純明快な性格で、忠義に厚く、勇猛果敢で
>卑怯な事を嫌うので、そうした性格の九州出身の男性の事を、九州男児と
>褒め称えるのに使われる。
>一方、蝦夷(エミシ)男児とか東北男児と呼ばれないのは、東北の男性は
>我慢強いがジメジメした性格と 根暗で、卑怯な事を好む性格の男性が多いから。
東北人(蝦夷エミシの子孫)=卑怯者
九州人(倭人の子孫)=正々堂々
554 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 18:37:28 ID:eL4S3pS80
あまりの大胆な仮説にたまげました。
555 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 18:40:43 ID:W1F6teVwO
>>551-553 其処まで詳しいのなら教えて頂きたいのですがが、どのような資料をみれ
ばよろしいのでしょうか?
また、何の史書のどの記事を見ればいいのでしょうか?
556 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 18:46:16 ID:Y9I7oibuO
ヒベリアに白人が到達したのって何時頃の話?
557 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 19:05:11 ID:KjoK4Gp4O
誠意大将軍=羽賀研二思いだした。
558 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 19:50:39 ID:Dz3G38XU0
559 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 19:53:46 ID:vnwuDTPy0
>>552 >東北地方を支配していたアテルイや配下の部下達は、あまり混血化が進んでおらず、白人特有の肌が白く、 鼻が高い目鼻立ちのくっきりした外人顔をしていた。
たしかにダルビッシュとか外人ぽいもんなー。蝦夷だね。
560 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 20:08:18 ID:Nd6wNOwE0
561 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 20:16:13 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区)
京都とは、奈良朝廷が京の都に遷都する以前から教徒と呼ばれ、教徒すなわち宗教関係者が数多く住み
着いた集落として栄えたのが始まりである。
現在でも京都には神社仏閣が数多く点在し、京都市の人口120万人ののうち、約1/5の25万人が何らかの
宗教に関わった人々である。
こうした宗教関係者が数多く集まってできた教徒集落(古代の京都市内)には、他の地域からたくさんの
信徒が巡礼に訪れるようになり、いつしか教徒集落(古代の京都市内)には、これらの巡礼に訪れる巡礼
信徒達が寝泊りするための施設や、食事を配給する施設に、巡礼の思い出の記念として教徒集落の土産物
を持ち帰る巡礼信徒達が増加した。
これらの巡礼信徒達がほしがる土産物を作ったり売ったりする、農民と職人と商人までもが教徒集落
(古代の京都市内)に住み着いて、農作物に織物製品や皮革製品に、様々な金属加工工業製品を作る産業と
売り買いする商業が、教徒集落(古代の京都市内)で発展していった。
こうして教徒集落(古代の京都市内)には、宗教関係者、信徒巡礼者、食事販売商人、寝宿提供商人、
土産物販売商人、織物職人、皮革職人、金属加工職人、木工職人、農民、建築職人(大工、左官)、
金貸し商人など、多種多様の住民が集まった事で、盗賊や強盗などの犯罪も増加して、住民同士の金銭争いや
縄張り争いによるトラブルも数多く発生するようになった。
563 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 20:25:48 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区)
こうした様々なトラブルを解決するためと、教徒集落に集まる盗賊や強盗の取り締まりに、朝廷から役人と軍人
(半島系騎馬民族、隼人族)が教徒集落に常駐したが、それだけで治安は守られないので、宗教関係者に大商人が
個別に雇い入れる渡来系武人(傭兵)も増えていった。
こうなると、もはや教徒集落(古代の京都市内)とは呼べない人口規模となり、教徒集落(古代の京都市内)から
10万人以上が暮らす教徒の都(キョウトノミヤコ)にまで発展していった。
当時の大和朝廷の首都であった奈良の都(古代の奈良市内)よりも、人口が増えて大都市として発展していく、
教徒の都(古代の京都市内)を新たな大和朝廷の都として、奈良地方から都を移して(遷都)、名前も新しく
教徒の都から京都(キョウトノミヤコ→キョウノミヤコ)に改めることで、教徒の宗教関係者が数多く住む都の
イメージから、国家を支配する朝廷(天皇)の住む都へとイメージを変えることに成功した。
564 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 20:29:34 ID:5xvD8uIv0
学研「ムー」の掲示板はここですか。
565 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 20:30:04 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区)
朝廷が都を移す平安時代以前の、教徒集落(古代の京都市内)の治安を守ったのが、大陸渡来系武人(傭兵)で、
日本に住む当時の倭人達と半島系渡来人は、支那大陸からの渡来人をふたつの呼び名で区別していた。
大陸北部(黄河流域)と大陸中部(揚子江北部)に住む漢民族を支那人と呼び、大陸南部(揚子江南部)に住む
倭人の組成であり、日本の倭人と同じ民族を邪馬支那人と呼んだ。
邪馬支那人とは、支那大陸の邪馬地域(軍馬も入れない山深い地域)に住む人々の事で、揚子江南部から南シナ海
に至る、その当時は広大な山々の中に深い森がうっそうと生い茂っている地域。
大陸中部(揚子江北部)に住む漢民族が揚子江を渡って、武力で揚子江南側流域を占領支配しだしたので、揚子江
南側流域で生活していた倭人の祖先は、漢民族との戦いに敗れ揚子江河口から小船で日本に逃れたり、揚子江を
上流へと逃げていって未開の山奥地域へ逃れたりした。(揚子江を上流へと逃げた中にはネパールまで達した倭人の祖先もいた。)
しかし大半の倭人の祖先は、揚子江南部の深い森がうっそうと生い茂る山岳地帯に逃げ込んで、漢民族との戦争を数百年間に渡ってくり返した。
こうした揚子江南部の山岳地帯に逃げ込んで住み着いた、倭人の祖先の事を邪馬支那人と呼んだ。
(支那大陸で漢民族の軍馬も入れない山岳地域に住む人々の事を、邪馬支那人と漢字に置き換えた。)
そのうち本当の仁徳天皇陵も分かるのかな
567 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 20:32:18 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区)
何百年にも渡る、漢民族の南下支配戦争で土地を奪われないために戦う邪馬支那人との戦いは、漢民族の方が組織力においても、
使用する武器においても、兵士数においても圧倒的に優勢だった。
一方、土地を守るために防戦一方の邪馬支那人は、団結力に弱く集落単位や部族単位の小国で戦うばかりとなり、各地で邪馬支那人の
小国は滅ぼされていった。
滅ぼされた小国で軍人として戦った武人とその家族は、漢民族支配からの虐殺と迫害を逃れて、はるか昔に日本へ移住していった
同族の縁故を頼って、次々に日本へと亡命していった。
これらの亡命邪馬支那人らは、元々が漢民族と長年戦い続けた生粋の武人であるので、流れ着いた日本の教徒集落(古代の京都市内)
の、宗教関係者や大商人から、警護や罪人の取り締まりをする傭兵として雇われた。
邪馬支那武人は、生まれ育った土地が日本ではなく、日本の土地風土のしがらみに縛られる事がない。
同郷出身の罪人に情けをかけて悪事を見逃がしたり、同郷出身の盗賊や強盗に協力して極秘情報を教える事がなかった。
そのため金で雇われた雇い主を裏切る事が少なかったので、邪馬支那武人は安心して使える傭兵として重宝される。
傭兵として成功した邪馬支那武人は、大陸で迫害されている一族を呼び寄せて、大陸から続々と邪馬支那人が移住してきた。
568 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 20:36:19 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区)
大陸から渡ってきた邪馬支那武人の多くは、祖国で地位の高い武人として働いていた者が多く、漢民族の南下支配戦争に
敗れて祖国を追われた武人が、捕まって家族皆殺しの処刑から逃れるため、追っ手がやってこない、はるか遠い日本に
家族ごと逃れて来たケースが多かった。
そして支那大陸に残った親類縁者も敗北者や反乱者としてのレッテルを貼られて、漢民族の権力者から様々な迫害を受けていた。
こうした敗残者の一族は成功するあてのない支那大陸を捨てて、傭兵として親類が成功した日本へと、一族ごと積極的に移住していった。
これらの邪馬支那武人の傭兵と家族、そして移住してきた邪馬支那武人の一族を住まわすために、教徒集落(古代の京都市内)
から東に山ひとつ隔てた、東から教徒集落へ向かう交通の要所である地区に住まわせるようになった。
邪馬支那人の集落となったその地区は、邪馬支那(ヤマシナ)と呼ばれるようになり、
いつしか、邪馬支那(ヤマシナ)地区は、漢民族拡大国家政策により周辺国への支配地域拡大侵略戦争に敗れて
大陸から逃げ渡ってきた渡来人を住まわせる地区となり、大陸の邪馬支那地方(揚子江南部全域)の渡来倭人だけでなく、
大陸の北方系渡来人(モンゴル系渡来人、満州系渡来人)までもが漢民族との戦いに敗れて、日本に逃げ渡って住み着くようになった。
その後、朝廷が首都を奈良の都から教徒集落に移して平安時代の幕開けとなる。
その際に、邪馬支那(ヤマシナ)から山科(ヤマシナ)と名前を変えられて、今日までこの漢字と呼び名が使われている。
569 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 20:41:08 ID:j3RQFjumO
570 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 20:53:12 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区)
邪馬台国とは、正式には邪馬大国と呼び、この呼び名の意味は、軍馬が使えない山々に囲まれたたくさんの小国が、
互いに連合して大国となり、漢民族国家の南下戦争に対抗して祖国を守るために生まれた集合大国家である。
邪馬大国が生まれるまでの邪馬支那人達の戦いは、小国の部族単位や集落単位でしか漢民族軍と戦わなかったので、
各地の小国が滅ぼされて漢民族国家の支配下となっていった。
そんな戦いが数百年間続いて、ようやく邪馬支那人達も団結しなければ、漢民族軍には勝てない事に気づいて、
小国同士が集まっての初の集合国家が誕生した。
この集合国家には、遠く離れた九州の同族の邪馬支那倭人の小国らも多数参加している。
集合大国家として誕生し、邪馬大国の中心的役割を果たす女王が住む代表小国を、すなわち邪馬台国と呼ぶようになった。
邪馬台国とは、集合国家邪馬大国の中心的役割を果たす女王の住む集落小国で、邪馬台国の名前の通りに、漢民族の
軍馬も入れない山岳地域の中でも、さらに高台に位置する場所に女王卑弥呼の住む集落小国があった。
女王卑弥呼は宗教的儀式をとり行う巫女であり、集落の近くの神が祭ってある山の頂上に上っては、戦いに勝つための
占いに神事や、豊作祈願の神事をとり行っていた。
女王卑弥呼の占いと神事によって戦いは勝利しまくって、卑弥呼の呪いで運の落ちた漢民族軍は次々に破れてはいったが、
女王卑弥呼が死去して、男の王が邪馬大国の中心的役割を果たすと、侵攻してくる漢民族軍の前に次々に敗れては、
邪馬大国の団結がなくなり、漢民族軍に寝返る小国や、邪馬大国内で内戦を起こす小国まで現れた。
男の王が失脚して、次の女王が立ったものの、数十年後に死去すると、再び侵攻してくる漢民族軍の前に次々に小国が
敗れていき、ついに邪馬大国は消滅。部族単位や集落単位の小国で戦う事になった邪馬支那人国家は、次々に漢民族軍
に征服されて、漢民族軍に抵抗する邪馬支那人国家はいなくなり、邪馬大国は歴史から消滅させられた。
571 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 21:12:59 ID:NQ/A5z0+0
モンゴロイド(黄色人種)には古モンゴロイドと新モンゴロイドの
2種が存在する。
古モンゴロイドは人類はアフリカを出たときの特徴を残し、立体的な
顔で多毛という形質を有する。
新モンゴロイドは寒冷地適応して小進化し、平面的な顔と短い手足という
特徴を持つ。
日本列島は隔絶されていたため古モンゴロイドが生き残った貴重な地域で
あるが、狩猟採集生活のため極端に人口が少なく、農耕技術を持って人口の増大した
新モンゴロイドに呑みこまれていったのである。
572 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 21:15:38 ID:X0Wluff40
社会の田村先生が自分のご先祖様は坂上田村麻呂だと事あるごとに言っていた。
元々冗談の好きな先生だったから
みんな笑ってすごいと絶賛するものの誰も本気にしてなかったが
実際はどうだったんだろう
>>572 坂上 田村麻呂だから、どう考えても冗談だろ。
574 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 21:37:47 ID:nzQcbXFZ0
邪馬台国=馬が邪魔になる国=邪馬という国名が使われている国全部
この国に行くには、未開の山々の中を森がうっそうと生い茂っていて、
狭くて曲がりくねった急な山道ばかりで、連れて行った馬が邪魔になることから。
投馬国=馬を海に投げ捨てる国=周囲を海に囲まれた小さい島の国=琉球諸島のどこかの島
この国に行くには、シケで大荒れの海に、重たい馬を投げ捨てなれば船が沈んでしまうことから。
575 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:00:33 ID:SnF+V3cL0
>>573 三春の「田村氏」は、坂上田村麻呂の末裔ですが?
576 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:03:41 ID:PpdAxM6N0
>>574 魏志倭人伝に出て来る国名は倭人の発音に当て字したもの
意味を表す字ではない
577 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:17:25 ID:KjoK4Gp4O
難しい話ししてると、バカになるよ。
578 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:20:17 ID:cUz3X2Mu0
>>573 当時のヤマトでは、名前は姓・字・名の三要素から構成されていた。
つまり、
坂上 + 田村 + 麻呂
なわけ。
平 + 織田 + 信長
と同じなわけよ。
で、この「字」が、いまの苗字になってる。
だから、「田村」さんでいいのよ。
579 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:26:29 ID:SuQnCnPT0
>>578 あのーww
坂上田村麻呂は 坂上苅田麻呂の次男なんだが…
580 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:26:54 ID:LGWgfP1o0
国を挙げて大騒ぎになってもいいぐらいの有名人なのに…
くさってるな、マスゴミ
581 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:40:07 ID:cUz3X2Mu0
>>579 姓がおおきみから与えられたもので勝手には変えられないけど
字は自由に決めることができたんだよね。
とくに分家をだすときには新しい字を立てた。
坂上苅田麻呂の息子には
本家を継いだ坂上苅田兵衛のほかに、
坂上田村麻呂、坂上石川麻呂、坂上山田麻呂がいて、
それが現代の田村さん、石川さん、山田さんまでつづいてる。
582 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 22:46:21 ID:541YiNPI0
渡来人だろ
583 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:52:03 ID:AjzRGWXI0
邪馬台国の話がでてるけど、あの所在地論争がいつまでたっても決着しないのは、
日本側にまったく文献がなく、中国人がテキトーに書いた魏志倭人伝しかないことにつきます。
ただ、だからといって日本には全く文化や文明がなかったのかと言えばそんなことはなく。
古墳時代になっていきなり仁徳天皇陵のようなものを造ってしまう訳です。
なぜ日本に全く文献がないのか?おそらくその理由として考えられるのは、その時代の倭の国は多言語が
入り乱れていた国で、小部族ごとで会話のできる言語は持ち合わせていても、共通語と言えるものが
なかったからではないのでしょうか。よってコミュニケーションが全くとれず、武力で勝負が基本です。だったんでしょう。
しかし、それではどうしようもないので、
シャーマニズムを使って卑弥呼(日御子?)がとりあえず戦乱を治めたのが、邪馬台国の発祥。
次に必要になってくるのはいかにしてコミュニケーションをとるのか?ということですよね。
そこに世界でも非常に変わった言語である日本語の誕生の理由があるのではないかということです。
日本語の特徴は、明瞭な構文がなく、てにをはで単語を羅列していけば通じるところです。
その単語は非常に豊富で、例えば『私』を表す単語は一体いくつあるのか?です。英語は”I”だけ。
こういったことは多言語が入り乱れていた証拠にもなります。
いつしか身振り手振り、お互いの単語の意味を確かめながらコミュニケーションをとり始めたと。
そして戦乱と談合の時代が長く続き、ついに、これにたぶん決着をつけたであろう。聖徳太子の出現があるのです。
10人の言葉を同時に聞き分けたという逸話のある聖徳太子ですが、それは10カ国語を話したという意味だという説がありますね。
あふれかえっていた言葉を整理し、てにをはの体系を太子が明確化したのではないのかという推定をしています。
で、作ったのが和をもって尊しとする。十七条憲法。とにかく話し合いましょうって言う憲法ですね。
584 :
573:2007/06/06(水) 22:52:46 ID:NTRGOcVw0
585 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 22:54:47 ID:AjzRGWXI0
最終的に、聖徳太子の一族が太子の考え方に殉教することで一つの大きな歴史的動機が生まれます。
中大兄皇子と鎌足は、そういう文脈の中で、乙巳の変を起こし太子一族を滅ぼした蘇我氏を討ち果たすことで
大化の改新のきっかけを作り。日本を生み出しました。つまり蘇我蝦夷が最初の夷敵になったわけです。
また、鎌足と深い関わりのある地で生まれ育った親鸞が
篤く三法を敬え、といった聖徳太子の啓示によって宗教家として目覚めたのはよく知られた話です。
586 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 23:08:11 ID:AjzRGWXI0
587 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 23:35:05 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区・キョウトシヤマシナク)
「平安京」と朝廷が名づけた新しい首都の名前は、「平安京」ができる以前の、古くから住んでいる京都の
住民に全く根付かなかった。
大和朝廷は、飛鳥地方から奈良地方に首都を遷都した際に、大陸の大国家である漢民族国家の首都をマネ
して、新しい首都の名前を、「平城京」と名づけて、南北に整然と区分けされた大通りと町並みも、
漢民族国家の首都をそっくりマネした。
しかし、奈良地域に古くから住む先住豪族や先住農民に、朝廷が決めた新しい名前の「平城京」を
使う事はなく、奈良のままで現代にまで至っている。なぜか?
奈良地域に古くから住む先住豪族や先住農民の大部分は、血筋で見ると縄文系先住民か大陸渡来系倭人か、
縄文人と大陸渡来系倭人の混血も数多くいた。
しかし、飛鳥朝廷時代から奈良盆地を支配している大和朝廷は、弥生系半島渡来人と漢民族系大陸渡来人で
構成されていた。
縄文系先住民にとって、侵略者であり征服者である弥生系半島渡来人の決めた「平城京」なんて名前を
使うのは屈辱以外の何者でもない。
また大陸渡来系倭人にとって、揚子江流域の大陸を追われた理由が、漢民族による南下征服のせいで日本に
逃れてきたのに、日本においても、漢民族系大陸渡来人の首都をマネた「平城京」なんて名前を使うのは
屈辱以外の何者でもない。
こうした経緯もあり、朝廷がどれだけ新しい首都「平城京」を使わせようとしても、古くから住む先住豪族や
先住農民には、昔から呼び慣れた「奈良」という地名を決して捨てなかった。
結局、朝廷の目論見は大失敗に終わり、「平城京」の名前はいつしか時代と共に忘れ去られていった。
現代の奈良市に住む住民も、自分の住む町が「平城京」であったなんて、どうでもいい事になっている。
588 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 23:38:21 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区・キョウトシヤマシナク)
「平城京」の地名も住民に使われずに、奈良の町の発展が停滞している頃、奈良より少し北の盆地で宗教関係者が
集まってできた教徒(キョウト)の集落が、「平城京」のある奈良の町より大発展を遂げてきた。
日本最大の都として、大きく発展しつつある教徒(キョウト)の集落に目をつけた朝廷は、ここに朝廷の首都を
遷都する事に決定した。
新しい首都の名前は「平安京」と名づけられて、南北に整然と区分けされた大通りと町並みも、漢民族国家の
首都を再びそっくりマネした。
しかし、ここでもまた古くから教徒(キョウト)の集落に住み続けている、先住宗教家や先住商人に、
先住豪族や先住農民に、新しい首都の名前「平安京」は全く受け入れられずに、教徒(キョウト)と
呼び続けていた。またしても朝廷の権威と威厳は地に落ちた。
どれだけ朝廷や役人が「平安京」と呼ばせるようにしても、住民は昔から呼び慣れている教徒(キョウト)
の地名を捨てることはなく、「平安京」なんて地名は誰もが無視している有様だった。
朝廷は、教徒(キョウト)の都に住む先住民に「平安京」と呼ばせる事をしぶしぶあきらめた。
そこで朝廷は、「平安京」の代わりに、教徒(キョウト)の都の地名と漢字を少し変えるだけにした。
それが、教徒の都(キョウトノミヤコ)から京の都(キョウノミヤコ)であった。
この地名ならば、住民も受け入れてくれるだろうと朝廷は考えた。
この新しい呼び名の京の都(キョウノミヤコ)という地名を受け入れてくれる住民もかなりあったが、昔からの
呼び名の教徒(キョウト)にこだわり続ける住民も大勢いた。
しかし数年すれば、京の都(キョウノミヤコ)という呼び名も誰も使わなくなり、教徒(キョウト)という
呼びやすい地名で呼ぶ住民だらけになった。
589 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 23:40:43 ID:KIKQ+m8R0
清水寺作ったぐらいだから、奥州経営でがっぽり儲けたんだろうな。
源義家なんかも奥州で儲けた口。
590 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 23:46:40 ID:rUPW+DgI0
征夷大将軍って源氏の血筋じゃないとなれないの?
591 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 23:47:06 ID:AjzRGWXI0
592 :
名無しさん@七周年:2007/06/06(水) 23:48:48 ID:nzQcbXFZ0
京都市山科区(教徒氏邪馬支那区・キョウトシヤマシナク)
ここでも、朝廷の権威と威厳は地に落ちた。
武力では征服できても、住民の生活までは征服はできなかったのだ。
弥生系半島渡来人と漢民族系大陸渡来人で固める征服側の朝廷と、縄文系先住民か大陸渡来系倭人か双方の
混血かで固める征服された側の住民との間には大きな温度差があった。
結局、朝廷は教徒(キョウト)の住民に完全屈服した。
教徒の呼び名を地名として正式に認める代わりに、教徒(キョウト)を京都(キョウト)と、
漢字だけを変更して、宗教都市をイメージさせる教徒の漢字を使わないようにさせて、天皇が住む首都として
の京都という漢字にすることで、朝廷の権威と威厳の面目をかろうじて保った。
奈良時代や平安時代初期でさえ、天皇や朝廷の威厳と権威はこの程度にまで低かったのだから、時代が移り
変わって、平安時代末期、鎌倉時代、室町時代、江戸時代には、天皇や朝廷の威厳と権威は形だけの物となった。
天皇や朝廷(宮内庁)の権威と威厳が最高点に達したのは、明治維新が起きて明治時代に入ってからだった。
そして大正時代から昭和20年まで天皇や朝廷(宮内庁)の権威と威厳が続いたが、第二次世界大戦後の
現在には、天皇や朝廷(宮内庁)の権威と威厳は地にまでは落ちていない程度まで下がった。
結局、天皇や朝廷(宮内庁)の権威と威厳にしがみつく連中は、弥生系半島渡来人の子孫と漢民族系大陸渡来人の
子孫ばかりで、縄文系先住民の子孫か大陸渡来系倭人の子孫か双方の混血の子孫の間では、奈良時代や平安時代の
住民のような感覚で、征服者の権威と威厳などどうでもいいとしか思っていない。
593 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 23:54:36 ID:Nd6wNOwE0
墓が分かったのならDNA鑑定して朝鮮人かどうか確定しる!
594 :
名無しさん@八周年:2007/06/06(水) 23:58:35 ID:AjzRGWXI0
595 :
名無しさん@八周年:2007/06/07(木) 09:31:25 ID:ViP7ntBLO
>>590 徳川家が征夷大将軍を世襲化した後にできた俗説です。
596 :
名無しさん@八周年:2007/06/07(木) 11:22:32 ID:iwjx8zSo0
北海道にアイヌいるじゃん、毛深くて女なのにひげが生えていて刺青いれてて
熊飼ってたりして道産子ラーメンのドアに描かれているような人たち。
あれを皆殺しした人でしょ?征夷大将軍て。
「アイヌを殺す軍の最高司令官」という役職名なわけだよね。家康も吉宗も。
坂の上の雲
坂上田村ゆかり
>>593 1日おくれだが、当時の朝鮮半島に確実にいたという死体のDNAと照合せんとだめでしょう。
大変だとおもいますよ。それは。
600 :
名無しさん@八周年:2007/06/07(木) 18:10:06 ID:yp9Wf0MO0
>坂上田村麻呂
どこまで苗字?
非人は、穢れを清める役割に携わってた人間で
一般人よりも上の存在だったって網野善彦の本に書いてあった
602 :
名無しさん@八周年:2007/06/07(木) 18:18:58 ID:qLX+bVEQO
603 :
名無しさん@八周年:2007/06/07(木) 18:24:50 ID:PAsThbPQ0
夷戎蛮狄
のちの東西南北である。
606 :
名無しさん@八周年:2007/06/07(木) 19:31:17 ID:FtHlXe0U0
>>593 日本には渡来人とか亡命者とかイパーイ来てたんだから
当時の朝鮮半島の血が混ざってても不思議じゃないし、
だとしても今の半島と同じ民族とは限らない。
>>601 そもそも士農工商っていうのは階級制度とは関係ないんだよね。
穢多でも大富豪はいたし、大喪の礼で棺を担ぐ従者は官位を持ってなかったっけ?