10日に退陣表明を行ったイギリス・ブレア首相。卓越したメディア戦略が
10年にわたる長期政権を築いた要因の一つとも指摘されているが、
その影の仕掛け人といえる人物が秘訣(ひけつ)を明かした。
97年に43歳の若さで首相に就任したブレア首相。ある時はスポーツ、
ある時は音楽で若々しさと親しみやすさを演出し、常にカメラを意識した
巧みなイメージ戦略で大衆のハートをつかんだ。
だが、マスコミ対策はそれだけではなかった。自らの都合のいいように
情報を操作するという意味の皮肉をこめて「スピン・ドクター」と呼ばれる
広報専門官の存在が大きかった。「スピン」とは情報操作の意味。
ブレア政権でメディア戦略を担当した元「スピン・ドクター」
ランス・プライス氏が、初めて日本メディアの取材に応えた。
プライス氏は「記者に『首相のインタビューをさせてあげる』と言っておいて、
その引き換えに都合のいい記事を書いてもらったりしていた」
「9・11同時テロの時に『悪いニュースを公表しよう』と言った者もいた。
『今日ならメディアはテロで大騒ぎだから、気づかれずに済む』と」などと語った。
一方で、プライス氏は「メディア戦略を気にしすぎて、自分たちが
実際は何をやっているのかがわからなくなっていた」と自省をこめて言う。
プライス氏と共にマスコミ対策をしていた「スピン・ドクター」の部屋を、
ブレア首相が「ちょっと用があってね」と訪ねてきた映像が残っている。
居合わせた記者が「スピンにばかり熱心なようですが?」と迫ると、
ブレア首相は「そんなことはない!」と応じている。
致命的なミスになったのは、イラク戦争。大量破壊兵器が見つからなかったことで
「ウソつき」と批判され、国民の心は離れてしまった。
10日の退陣表明では支持者を集めてムードを盛り上げ、最後まで「見た目」に
こだわり続けたブレア首相。しかし、後継確実なブラウン財務相は11日、
「私は大衆の目を気にして政治をやってきたのではない。政治は見た目が
大事だとは思わない」と述べ、早速ブレア流を否定した。
イギリスの政治は、メディア戦略より中身重視の時代へと移っていくのだろうか。
日テレ
http://www.news24.jp/83779.html