【国際】 米軍、日本占領時に「日本人女性慰安婦」調達命令発覚→ホンダ議員「強制徴用の日本とは違う」★7

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222名無しさん@七周年
>>197,>>205,>>211
64 :名無しさん@七周年:2007/05/06(日) 02:08:20 ID:leDclaXR0
>>39 の続き

「予想されたとおり、開業と同時に売春宿は大盛況となった(elbow to elbow)。
慰安婦は当初昨日まで敵であり、言語も人種も異なる人間を相手にすることに
抵抗を示し、また大きな不安を感じていた。しかし彼女らの給料は高く、
次第にかつ平和に彼らは仕事を受け入れていった。」

政府(訳注:どちらの政府かは不明、恐らく日本)の資金で運営されていた
RAA(娯楽保養組合)の援助の下、警察当局と東京のビジネスマンは売春宿の
ネットワークを設立した。45年8月28日には厚木に占領軍の先遣隊が到着し、
その日の夕方までには先遣隊の兵士はRAAの売春宿を見つけていた。

「私は2〜3人のRAAの上役とその売春宿へ駆けつけ、そこに500人から600人の
列が出来ていることに驚きました」と、RAAの広報担当主任のカブラギ
セイイチは1972年の回顧録に書き残している。アメリカの憲兵はこれら
兵士の統制をするのに必死だった。

文民政府と警察によって作られ、かつ管理されていたにもかかわらず、
そのシステムは日本軍がアジアに作り上げた慰安婦のそれと同じだった。

カブラギによれば、アメリカのGIは料金を先払いしてチケットとコンドームを
受け取った。最初のRAA売春宿であるコマチエンは38人の女性を擁していたが、
余りの需要に直ちに100人まで増員した。それぞれの女性が1日に15人から
60人の兵士の相手をした。

アメリカの歴史化ジョン・ドウアーは、彼の著作「敗北を抱きしめて:
第2次大戦の日本の軌跡」の中で、1セッション(短いもの)で15円、
タバコひと箱の半分ほどの値段だったと記している。