★朝日阪神支局襲撃
夜、仕事がひと区切りついた新聞社の支局に、男が無言で入ってきた。目出し帽をかぶっている。
ソファに近づく。パーン、パーンと二発、散弾銃を撃った。
▼二人が倒れた。ソファや床が血に染まる。男は無言のまま立ち去った。小尻知博記者=当時(29)
=は二百もの散弾を受け死亡した。朝日新聞阪神支局の襲撃事件だ。
▼一九八七年五月三日、憲法記念日の犯行である。「言論の自由を揺るがせる」と深刻な衝撃が走った。
いま事件を知らぬ若い世代も増えているのだろう。犯人が捕まらないまま、既に公訴時効となった。
▼事件後、赤報隊を名乗って犯行声明が出された。同じ名で同社の寮が襲われ、別の支局に爆弾が置か
れた。一連の声明には「日本民族のうらみ」「反日分子に安全なところはない」など脅迫的な言辞が
並んでいる。
▼あれから二十年になる。この国の言論はより自由になっただろうか。昭和天皇が靖国神社へのA級
戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとのメモを報じた日経新聞社に火炎瓶が投げられた。小泉前首相
の靖国参拝に批判的な加藤紘一氏の実家が放火された。いずれも昨年夏の事件である。
▼憲法擁護を語っても反日的とレッテルを張る短絡した風潮がある。戦前に少数意見を非国民と排除した
のと同じ調子だ。日本の戦争責任に言及し、平和を訴えるのに勇気が必要になる。そんな時代を再来させ
るわけにはゆかない。
■ソース(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/23783.html