【“朝日襲撃”20年】“犠牲”記者を知る金成日さんに聞く…「憲法変えても悪くならない、と平和ボケ日本人は楽観的」

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1どろろ丸φ ★:2007/05/01(火) 01:17:17 ID:???0
 ◇メディアは憲法発信を−−指紋押捺を拒否強制採取された・金成日さん◇
朝日新聞阪神支局で記者2人が殺傷された事件は憲法記念日の5月3日、発生から20年
を迎える。なぜ無言のまま記者が狙われたのか。事件は未解決のまま底知れぬ不気味さ
を残し、その後も、民主主義の根幹を揺るがすテロや暴力が絶えることはない。社会はその
間、どう変容したのか。事件の犠牲になった小尻知博記者(当時29歳)を知る人に思いを
語ってもらった。

◆小尻記者との出会いは。
85年12月、北朝鮮に帰国する在日朝鮮人を撮影した井上青龍さん(故人)の写真展を、
経営する喫茶店で開いた時、小尻さんが初めて取材に来ました。それから頻繁に来てくれる
ようになり、指紋押捺(おうなつ)問題のことも在日朝鮮人の立場に立って熱心に考えてくれ
ていたと思います。

逮捕された私が釈放された86年11月5日の夜、店に来た新聞記者は小尻さんだけだったと
思います。私が強制具で無理やり指紋を取られたことを話すと、小尻さんは「強制具のイラスト
を書いて下さい」と言いました。翌日夕刊にイラストとともに警察の強制具使用を告発する
記事が載りました。

強制具について、私は「警察はそれぐらいのことをやるやろ」というくらいの意識でした。
でも、小尻さんは社会的な問題だという視点でとらえた。だから、記事にしたのだと思います。

◆事件当日のことをどう覚えていますか。
午後11時ごろ、共同通信の記者から「小尻さんが撃たれた」と電話がありました。当時、
小尻さんは指紋押捺問題について多くの記事を書いてくれ、その度に私の家に「文句がある
のなら朝鮮に帰れ」「火をつけるぞ」という嫌がらせの電話や手紙が相次いでいました。

そういう中で事件が起こったので、初めは、私のことを書いたせいで撃たれた可能性もあると
思いました。小尻さんの安否を気にしながら「次は犯人がここに来るかもしれない」という恐怖
がわいてきて震えました。        (>>2-5に続く)

毎日:http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/hyogo/news/20070430ddlk28070015000c.html