【政治】 石原都知事 「“2千人”は違うかも知れないが、阪神大震災で自衛隊出動要請早ければ救済できた」★3

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783名無しさん@七周年
はじめまして。様々な議論がなされているようですので、書き込みをさせていただきます。

私は震災時に最も火災のひどかったと言われる長田区出身者です。
避難した会下山公園から、炎にまかれる神戸市全域を呆然としながら見ていた、
1月17日の夜のこと、今でもはっきりと思い出すことができます。

そして、石原都知事の発言に「反発を覚える地元民」のうちの一人です。

地元民といっても様々な体験がありますし、私の経験や実感が絶対だとは思いません。
ただ、被災体験者以外の方には、どうして都知事の発言が反発されるのか、
実感としてわからないものなのかもしれませんね。

大震災の実際の体験からくる実感というのは、一言でいえば「人知を超える」に尽きます。

石原都知事の指摘する事実自体は、正しいのかもしれない。けれども、実感はこう訴える、
「首長や自衛隊がどうこうしたからといってどうにかなる、そんな問題を震災は遙かに超えている」

或いは、このように言い換えてもいいかもしれません。
あまりの体験を、数多くの喪失を、私達はある種の「天運」と受け入れることで、
なんとか現在を生きているのです。

人災や、誰かの責任とすることも可能であるかもしれません。
しかし、そうして糾弾したところで、あまりの体験を「納得」することができないのです。

都知事の発言は正しいかもしれない。だけれども、無神経に思える。
政治とは、こうした個々の感情とは無関係な、冷徹なものだとつくづく思います。
無関係な人々は、これを政争の道具として用いるのだろう。同情や、共感のふりをして、
自らのイデオロギーの道具に、悲劇を持ち出す。
そんなことを、ここでの議論を読みながら思いました。失礼ご容赦ください。