【航空】国産YS―11、「中まで」見られます・・・千葉県、航空科学博物館
1 :
うちゅ〜φ ★:
★国産YS―11、中まで見られます
・06年9月に国内路線から引退した、国産旅客機「YS―11」に焦点をあてた
企画展が、航空科学博物館(芝山町岩山)で開かれている。戦後復興を遂げる
日本の技術力を集めた開発史など当時の写真や実際の機首部分を展示し、日本の
航空史を振り返る内容になっている。
同博物館によると、戦後の復興が力強さを増してきた1956年、国の主導で
国産民間機計画が立案された。57年には「輸送機設計研究協会」を設置。
「零戦」など旧日本軍機の設計に携わった専門家らを結集して、国の威信をかけた
航空機開発が始まった。
輸送機・設計研究協会の頭文字とエンジンの候補番号1、機体の候補番号1を
合わせて「YS―11」(全長約26メートル、全幅32メートル、66人乗り)と
命名。59年から三菱(現、三菱重工業)など重工各社が製造に参加した。
1号機は62年に初飛行に成功。改良を加えながら、73年までに182機が
生産された。
企画展では「カットアウェイ」と呼ばれる、外板をはがして内部構造を見ることが
出来るようにした機首部分(長さ約6メートル)を展示。同博物館が個人収集家から
譲り受けた機体を解体したもので、日本初の展示という。
5月27日まで。試作機の1号機は同博物館(電話番号省略)の屋外に常設展示されている。
ソース/朝日新聞社
http://www.asahi.com/komimi/TKY200704070159.html 航空科学博物館
http://www.aeromuseum.or.jp/
2 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 17:53:07 ID:tPWNaOTQ0
F1 マレーシア 決勝結果
1、F・アロンソ (Mclaren Mercedes)
2、L・ハミルトン (Mclaren Mercedes)
3、K・ライコネン (Ferrari)
4、N・ハイドフェルド (BMW Sauber)
5、F・マッサ (Ferrari)
6、G・フィジケラ (Renault)
7、J・トゥルーリ (Toyota)
8、H・コバライネン (Renault)
9、A・ブルツ (Williams Toyota)
10、M・ウェバー (Red Bull Renault)
3 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:02:09 ID:QULpEzwd0
個人収集家ってよほどお金持ちなんだろうね。
4 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:02:43 ID:+kK3oKB/0
ひゃぁっそ、そんなとこみちゃらめええ
きっきたないっぁっひ
ら、らめええ
個人収集家、、、日本にもいるのか、、、
6 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:06:09 ID:xzRqdGNu0
ジェットエンジンに取り憑かれた男 前間孝則 著
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=989043539X 第二章 日本初のジェット戦闘機
■「橘花」は飛んだ
・日本のジェット機が飛んだ
昭和20年(1945)8月7日午後1時過ぎ、それは、緊張と感動に満ちた、日本航空史上、記念
すべき瞬間であった。
「橘花」は上昇を続け、高度600m付近で水平飛行に移った。搭乗する高岡迪(すすむ)少佐は、
また別の感動を味わっていた。
「私の肉眼は、ジェットエンジン・ナセルの空気取り入れ口に思わず吸い付けられるのだった。
プロペラが無くて飛べるとは信じ難かった。両側に一つずつ回転しているペラが作るぼんやりとした
円が見えなければならないはずだ。しかしこいつが本当のジェットエンジンで、これまで経験した
ことのない大きな力で私を飛ばせているのだ」(『KIKKA』)
騒音もエンジン振動も小さいことが、プロペラ機にしか乗ってこなかった高岡には信じられないこと
であった。感じるのは高い金属音と高周波の振動だけだった。思わず我が耳目を疑い、速度計を
確かめた。「橘花」は間違いなく飛んでいた。(中略)
12分間の飛行を終えた「橘花」は、確実に地上に着地し、そのまま1,100mほど滑走して、軽い
ブレーキのタッチで停止した。地上の人々が一斉に駆け出した。
「橘花」は歓呼の声に包まれた。 大成功であった。
7 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:07:23 ID:P9n/TV4N0
飛べない飛行機などタダの置物だ!
8 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:09:10 ID:sZS08SqN0
航空自衛隊が用廃になった航空機を展示品としてこの航空博物館に寄付したいと申し出たら
「戦争用の飛行機なんかいらない!」
と断ったそうだ。
9 :
m9('v`)ノ ◆6AkAkDHteU :2007/04/08(日) 18:10:21 ID:b6zNrHma0
この手のクラスは需要が多いのに開発を止めてしまって勿体ない。
これもそれも馬鹿な役人のお陰だよ。
10 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:12:41 ID:ZAgsAh2I0
軍用機の博物館てどっかないのかね?
11 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:14:24 ID:QULpEzwd0
崇城大学てとこが1機持ってるな。
12 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:15:00 ID:8+M2L/Dc0
名古屋市科学館にならF-86が一機屋外展示してある
野晒しともいうが
今でもフィリピンなどの外国で飛んでるってのがすごいわホント
ホンダジェットの旅客機バージョンマダー
16 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:23:23 ID:cyFqQduaO
所沢の航空公園駅前のYS-11、たまに中見せてもらえる。
17 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:32:35 ID:EvoF0K2q0
幼稚園にF-1とか、マニア向け喫茶店に残骸がゴロゴロとか、
自動車博物館とか、在るとこはあるな。
18 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:38:49 ID:FSYgH1T30
な、中はらめぇぇぇぇぇええええ!!!!11
19 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:42:47 ID:ZU5dbU0Z0
織原城二の靖国合祀に反対しましょう。
みんなで織原城二の靖国合祀に反対する会
20 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:45:26 ID:hPiY3C7SO
YF-19?
俺のかわいこちゃんに傷つけやがって!
21 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:47:01 ID:LvVT+bZZ0
種子島宇宙センターの仕事やってた頃に散々乗ったよ
台風接近中に木の葉のように舞ったのが忘れられない
22 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:49:15 ID:Dcog2CqLO
23 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 18:57:36 ID:7K27qQIRO
狭い滑走路で大勢を運んだYS-11は秀作ですよ…
24 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 19:05:00 ID:xzRqdGNu0
>>23 エンジンが国産だったら言うこと無しだったがな。
あと、YS-11のノウハウが全然活かされず、後継機が不在だったのが悲しい末路だな。
しかし、全く別系統でホンダ・ジェットが誕生するのだから大した物だ。
>>10 浜松の空自広報館なら数は多いしF-1・104・86・T-2の座席にも座れるぞ。しかも広報館だから無料。
ただ、以前はキャノピーも閉めることが出来たのに、馬鹿が好き勝手やって壊したりしたので、開状態で固定されちまったけど。
あとは各務原の航空宇宙博物館。
>>24 三菱が旅客用ジェット作る計画もあるしな
ボーイングやエアバスが販売協力してくれるらしいし
28 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 20:02:15 ID:MsBS6U9f0
一方その頃イージス艦のしらねは中まで見られていた
29 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 20:02:43 ID:pXvI0VVm0
らめぇ
零戦なら上野の科学博物館にあるが
31 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 20:07:52 ID:u+5i7Dxi0
このスレは以降 らめぇ スレに
くぱぁ
33 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 20:49:03 ID:qKvWE6kN0
>>24 既に名の通ったロールスロイス製エンジンを積んだからこそ、
各国の航空会社に買って貰えたということをお忘れ無く。
日本製の、しかも聞いたこともないメーカーの飛行機なんて買うのは勇気の要ることよ。
YS-11は天井低いからな。まともに立つと天井に頭がぶつかる。
35 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 21:06:49 ID:mkZQfKP40
断面紳士が寄ってくる悪寒。
36 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 21:08:10 ID:qiSlVlvs0
各務ヶ原でYS-11を見た後、近くにある航空自衛隊の基地だかに突然行った
とき、中に入れて色々見せてくれたなぁ。
でもさ、ついさっきまで戦争してたくせに、
いざ、平和産業とかに転換したら、あんなものしかできなかったなんて、
やっぱり、戦争に負けるわけだよなとか思うよ。
電車とバスの博物館にある、YS11のフライトシムも忘れないでください。
>>37 敗戦からサンフランシスコ講和条約までの間、GHQによる航空に関する全ての活動を禁じられて、全ての機体や資料を廃棄、関係者も別の仕事をさせられたという事を知らないのか?
この間に航空技術はレシプロからタービンは発展し、次々と新技術が実用されていく中関わることを禁じられたというのはどういう事か考えてみろ。
40 :
名無しさん@七周年:2007/04/08(日) 22:00:28 ID:EbMBhlsB0
>>40 そんな恵まれない環境の中、東條英機の次男・東条輝雄を中心とするメンバーが造った名機YS-11。
次世代に繋げられなかった事が返す返すも悔しい限り。
>>40 適時、発展改良を推し進めていれば、今頃『最新鋭ターボプロップ』の中距離コミューターに
育ったかもしれないが、国内だけでも何とかなった新幹線の時と違って、どうしても
『米航空産業』との競争に晒されることは目に見えていたからなぁ…>YS-11を発展させてたら