特殊慰安施設協会(RAA)
こうした施設は実際に占領軍による暴行事件を大きく防ぐ効果があったとされ*1、また
占領軍兵士からも好評であったことから急速にその数が拡大され、全国約二十の地方都
市にも広まったという。
1946年3月10日、GHQは占領軍内に性病が蔓延しているとの理由で将兵たちにRAA施設へ
の立入り禁止令を発し、政府も1946年3月26日、全国警察所長宛てに「進駐軍の待合、
接待所、慰安所地域立入禁止ニ関スル内務省保安部長通牒」を発令した。だが、RAAが
最終的に解散したのは1949年4月であった。
*1:RAAが存在していた期間の一日平均の日本人女性に対する強姦・暴行件数は約四○
件、翌年RAAが閉鎖されて以降は一日平均三三〇件に上ったという。参考資料『売娼の社会史』吉見周子,雄山閣
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%C3%BC%EC%B0%D6%B0%C2%BB%DC%C0%DF%B6%A8%B2%F1 誰か昭和を想わざる 進駐軍犯罪史
http://www.geocities.jp/showahistory/history5/32c.html 昭和20年8/15から昭和27年4/28の平和条約発効までの間、日本はアメリカ進駐軍の支配下にあった。この間、都内での進駐軍犯罪被害の届出318件、全国では25500件、ところがこの数字「氷山の一角」とされていた。
あるいは突然、理由なくアメリカ兵に射殺されたり、道を歩いていて殴り殺されたり、強姦されたりなどの犯罪被害は総計3万4千件と言われたが、うち2万件は泣き寝入りしたとされている。
ttp://www.jiyuu-shikan.org/goiken/99/goiken998m.html 例えば終戦直後8月30日にマッカーサーに率いられたアメリカ軍が、神奈川県の横須賀に
上陸しました。その日に神奈川県だけでアメリカ兵による強姦事件が315件も報告されています。
8月31日の強姦事件は228件です。9月10日までには1326件にも達しました。
国連軍兵士の犯罪も多発しました。日本占領の7年間、占領軍の将兵・軍属による
殺人や放火、強盗、強姦、傷害事件は続発しました。無法に殺された人は確認された
数字だけでも2536人にのぼります。また占領軍の性暴力事件は無数に発生し、その被
害者を毎年最低三万人に推定する説もあります。