【皇室】 秋篠宮文仁親王殿下、名誉博士号の授与式や鶏の研究などのため、タイへ出発される
972 名前:その1[sage] 投稿日:2007/03/16(金) 18:08:58 ID:7ycnVUsX0
酉年の元旦に新聞に載った、秋篠宮のインタビューです。
専門的なことがらをわかりやすく説明されています。
人の営みの中で作られた鶏/秋篠宮さまが寄稿
2005/01/01 02:17
今年は酉(とり)年。野鶏が人に飼いならされて改良され、鶏となった過程について数々の論文を発表、理学博士号を持つ秋篠宮さまが書面インタビューに答えられた。遺伝子のDNA分析から各国での鶏文化体験まで、広い視野で研究の成果と課題を語った。
−−鶏の祖先は何でしょうか。
まだ決定的なことはいえないと思います。形態や血液タンパク情報から赤色野鶏単一起源説を支持する人が多いのも事実ですし、私のミトコンドリアDNA分析による追究からも、遺伝子レベルで赤色野鶏が単一起源であると推察しました。
ただし灰色野鶏と鶏の近縁性を指摘した研究もあります。また赤色野鶏には5亜種が存在し、祖先種の関係までは明確にされておりません。さらに、ミトコンドリアDNAは母系で伝わるもので、父系の遺伝情報も確認する必要があります。
973 名前:その2[sage] 投稿日:2007/03/16(金) 18:11:47 ID:7ycnVUsX0
−−人間はどこで鶏を飼い始めたのでしょう。
私は鶏が家禽(かきん)化された場所は、タイ、ラオス、ベトナムあたりの可能性が高いとの仮説を提示したことがあります。
これは、ミトコンドリアDNAからの推測です。
しかし、このときに用いた赤色野鶏の資料は、タイとインドネシアのもので、しかもごく少数です。その他の地域(中国やインドなど)は入っておりません。
他地域のものも幅広く資料として取り入れた場合、家禽化が起こった場所は他のインドシナ地域の国々や中国にまで広がる可能性もあります。
−−人と鶏の最初の出会いはどういう形ですか。
あくまで仮定の域を出ませんが、ひとつの可能性として、里と山(森)のエコトーン(移行帯)である焼き畑が、人と野鶏の接点になり得たと思います。
焼き畑では木陰をつくるためイチジクの仲間の木を残すそうです。
その実は野鶏と人双方の食料になったと考えられます。これ以外にも狩猟による遭遇があったはずですし、事実これらの国々では今でも野鶏が人の住む村に日常的に出現しています。
974 名前:その3[sage] 投稿日:2007/03/16(金) 18:14:15 ID:7ycnVUsX0
−−人はなぜ鶏を飼い始めたのですか。
1万年近く前の人たちの好みを確かめることなどできず、はっきりとした動機はいえません。
今までにいわれているいくつかを紹介します。
民族学者のエドゥアルト・ハーンは、鶏の鳴き声による時告げと闘鶏を、また東洋学者のベルトールド・ラウファーは占いを初期の動機としています。
赤色野鶏の赤色と太陽信仰が関係あるとか、赤色野鶏の羽に五行思想の一つである5色が含まれていることがかかわるとする説もあります。
人間の本能、すなわち捕獲、飼育、愛玩といったごく自然発生的な動機も考えられます。食用と結びつける考えもないことはありません。
ただ同様の大きさのキジ科鳥類は他にも存在しました。赤色野鶏のみを食用にしたとする説には少々無理があるように感じます。
−−鶏はどうして世界に広がったのでしょう。
焼き畑農耕を生業とする人々によって拡散したことが考えられます。
しかし焼き畑がいくら広い範囲に分布するといっても、さらに離れた地域への広まりは別に考えた方がよいと思います。
鶏は牛や馬とは異なり簡単に人の手で運べるからです。
鶏に関連する諸民族の語彙(ごい)や民俗分類の多様性、飼育方法や利用の仕方などの詳細、各地における遺伝的な近縁性、
そして容姿の異なりからみていくことが大切ではないでしょうか。
975 名前:その4[sage] 投稿日:2007/03/16(金) 18:16:17 ID:7ycnVUsX0
−−世界の鶏文化で印象に残ったのは何ですか。
長鳴きが特に印象に残っています。日本で天然記念物に指定されている東天紅、蜀鶏、声良の3種類の長鳴鶏はよく知られています。
しかしインドネシアで日本の長鳴鶏と比べて何ら遜色(そんしょく)のない声の質と長さをもったすばらしい鶏を見ることができ驚きでした。
一方で長鳴きの鶏を愛でる文化を維持しないと、それらの種類が絶滅する可能性も高いと感じました。
−−鶏の品種保存には何が必要でしょうか。
一つは慣習として残っている鶏文化を守ることです。鳴き声を愛でることや、闘鶏には専用の鶏がおり、それを目的として保存されています。
目的が途絶えてしまうと、そのために維持してきた種類は文化とともになくなる可能性が高いと思います。
闘鶏については動物愛護の視点から疑問視する方もいますが、ここではあくまでも古くから残されている文化としての闘鶏で、賭博の対象ではありません。
もう一つは当初は何らかの実用的な目的があっても、現在では観賞用と考えられている鶏です。
このような品種を保存するには、それぞれの品種について関心を持ち続けてもらうことが必要です。
幸い各国には愛鶏家の人たちが比較的多く存在し、この役割を果たしていると思います。
976 名前:その5[sage] 投稿日:2007/03/16(金) 18:18:51 ID:7ycnVUsX0
−−殿下が提唱している「民族家禽学」とはどのような研究でしょう。
鶏、アヒル、ガチョウなどの家禽類は生物ですが、その一方では人間の営みのなかで作られた生き物、すなわち文化としての生き物でもあります。
従って生物としての側面と文化としての側面の両方を持ち合わせています。このような事象を扱うには、自然科学と人文・社会科学を統合した視点が必要です。
今までの家禽研究は、自然科学と人文・社会科学がそれぞれ独立した形で進んできたように思えます。
例を挙げると、人文・社会科学系の人たちが鶏の羽色について研究する場合には、おそらく儀礼と羽色や脚色のシンボリズムとの関係などを調べると思います。
一方、自然科学系の人は羽色に関係する遺伝子構成を村ごとに比較する作業をすると思います。私はこのどちらも作業過程としては大切なことと考えています。
ある村に特徴的な鶏Aがいたとしましょう。なぜAが作られたかを推察する際、生物体としての特徴は自然科学(形、色、遺伝子など)の分野で調べられます。
一方、品種がつくられた目的を知るには、さまざまな文化的背景(信仰、象徴など)を調査する必要があります。言い換えれば、内側と外側の両方から考察するのです。
そのような過程を経て人がかかわって作り出した生き物の全容が分かってくるのではないかと思います。
私は、このことを「民族家禽学」という言葉で表しました。しかし最近の研究の動向をみると、単に「家禽学」という言葉で十分に先述した要素、そしてより広い分野(地理学、歴史学、考古学、言語学、デザイン学、感性科学)が横断的に連携してきています。
すなわち科学智と民俗智が融合した学際的な分野になってきたといえます。
747 :
人の営みの中で作られた鶏/秋篠宮さま その6:2007/03/17(土) 12:27:38 ID:NlSFBSia0
977 名前:その6[sage] 投稿日:2007/03/16(金) 18:21:28 ID:7ycnVUsX0
−−鶏の魅力はどこにあるのでしょうか。
私が物心ついたころには、すでに鶏がわが家にいました。また父が原種とされる赤色野鶏を飼っていたり、自分でも何種類かの鶏を飼ったりしたこともありました。
私にとっての鶏はごく身近な存在でした。
子供のころに図鑑で見たコーチンやブラマなど、独特な形の肉用鶏に興味をもったことが元になっているようにも思いますし、
家禽全般が興味の対象で、その中の一つとしての鶏のようにも思います。
いずれにしても鶏が好きだったということではないでしょうか。
終