【皇室】継体即位1500年、大王を祭神とする足羽神社で奉祝祭…福井

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133132:2007/02/06(火) 16:10:19 ID:RFICe8pR0
天皇陵→昔の古墳
の間違いな。
134名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:13:40 ID:m2c3c4l/0
考古学資料とはっきり食い違う神話だの、万世一系のスローガンだの、
突っ込む余地の多い根拠で皇室を飾らなくてもいいと思うがな。
継体天皇からでも充分に古い王朝なんだし。
135名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:21:04 ID:0wq8BVWT0
いろいろ五月蝿いんだろ、宮内庁とか右翼とか。
136名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:22:00 ID:rF0Pldnu0
しかし、系図的に遠いから別の王朝なんだろうなんて、
その考え自体が恐ろしいほど、単純だな。
万世一系を主張してる王朝なんだから、前の天皇にくっつけて親子関係に仕立て上げりゃ済むことなんだよね。
血縁関係の無い物をわざわざ遠縁に仕立て上げて、疑わしさを残すより遥かにましじゃないか。

あと欠史八代なんかも、エピソードがないから創作された物だろうってのも
妙な考えだよなあ。
単に欠落してたから、書かなかったと考えればいいこと。
創作ならそんなキズを残すはずはない。
137名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:24:22 ID:LuDqxCS8O
>>134
>>112>>116と122に書いたが継体からってのは今の史学者では少数。
あと考古学では史学よりも昔から食い違いが無く継体は天皇の子孫が通説だから、むしろ神話学やら皇室史みたいな怪しい分類の方が新王朝の理論を語ってる
>>116参照
本物の継体陵が見つかったが、皇族出身を否定することはできないみたい。積極的にはなくても>>122の後半にあるように。
138名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:25:39 ID:0wq8BVWT0
>>136
天武天皇がそのケースだろう。
天智と天武は実の兄弟ではなく、 
血縁じゃないので出自や年齢を残すことが出来なかった。

事実上の初代天皇でありながら継体同様謎が多い人物
とされている。
139名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:26:17 ID:awy0Ty2C0
足利超神じゃないのか・・・ぷぴー
140名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 18:05:11 ID:fuHHIoBT0
>>107
>上宮紀を発見以降は系譜を否定する奴はコンマ以下

最近は増えてるよ。 80年代に上宮記を妄信する学者が多かったのは、
日本史学の中で系譜理論や系図学研究が特に遅れをとっていたから。
未だに太田亮(1956没)を超える研究者が出ていないという不毛な分野。
141名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 18:41:00 ID:0wvY7jy00
>>138
天武天皇は皇族じゃなかったって確定されたことなの?
それともそういう学説もあるレベル?
結局、天智天皇の子孫に皇統は移ったけど。
142名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 18:43:56 ID:WGFTcYt40
>46
継体天皇が即位する前に生まれ越前に置いていった
「馬来田皇女(うまくだのひめみこ)」の子孫、だったかと。
ここの宮司の息子と中学同級だった俺。
143名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 20:06:25 ID:rF0Pldnu0
>>141
年齢が合わないとかどうとかって説はあるらしい。
だけど、周辺の豪族が一斉に支持に回ったんだから、それなりの立場とか血統だったはず。
当時、下克上なんて形はあり得ないでしょう。
144名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 21:40:08 ID:XpP0Dysh0
>>141
日本史板では電波認定されるレベル
145名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 22:09:47 ID:dw4cSq8MO
継体の正妃は先代の武列天皇の姉で、先ヶ代の仁賢の皇女。
その間に産まれた欣明が現在の天皇家の直系の子孫。
すくなくても女系で繋がっていることは間違いないの?
146名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 22:23:19 ID:TWcU+beV0
天皇家の祖先って、ワニだったんだね

伊邪那岐命♂―(単性生殖)―天照大御神♀―(単性生殖)――

―――――天忍穂耳命♂
         ‖―――――邇邇芸命♂
 万幡豊秋津師比売命♀    ‖――――――火遠理命♂
                木花咲耶毘売命♀     ‖―――――鵜葺草葺不合命♂
                           ワニその1(姉)♀        ‖―――――神武天皇♂
                                          ワニその2(妹)♀
147名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 22:25:41 ID:TWcU+beV0
応神は父親不明の女系天皇

仲哀と応神が親子であるとの説は、医学的常識に照らして否定されている
148名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:09:56 ID:rF0Pldnu0
>>147
医学的常識って?
149名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:14:21 ID:LuDqxCS8O
>>145
皇胤の地方豪族が通説化してる。
>>147
>>116
医学的ってバカ?
史学者の間でその電波は無いな。系譜は正しいから。
東大史学の左派の藤田でさえも応神5世は否定されない。
あと阪大の上田が言うように交替説には矛盾だらけで天智天皇起源説以下の傍説扱い。
150名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:30:25 ID:D/kpTDMg0
>応神5世は否定されない
否定も肯定も出来ないというのが正しいけどな
151名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:44:02 ID:2qRawCul0
応神5世孫を否定しても、王朝交替を肯定したことにはならない
152名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:52:43 ID:4SLcp6UB0
>>151
応神5世否定を認めたら、王統男系継承はつぶれるのでは?
153名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 02:21:32 ID:L6Y6274b0
お前らくだらないネタを日がな一日。
今日も本気出さなかったんだろ?どーすんのよ。
今日はもう寝て、明日はハローワーク行かなきゃだぞ。
154名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 02:40:19 ID:JA+ILfOa0
津田左右吉の亡霊がうじゃうじゃ。
155名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 03:18:11 ID:4YwonNku0
歴史学者と教育学者は、取りあえず絶滅すべきだな。
有害無益。
156名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 08:12:18 ID:FJqEf5Dq0
>>73
某御所に
157やきにく:2007/02/07(水) 13:05:00 ID:nzZlDudfO
>>154
同郷なんです。
158名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 13:59:44 ID:Z+s9kXHN0
>>148
両者の生没年を考えると、親子であるとは説明がつかないだろ。

何ヶ月妊娠していたのよ?
159名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 14:40:09 ID:6+f0SCJDO
>>158
そんなの半分神話なんだから医学的常識として否定するのは
おかしいと思うけどw 例えばほぼ実在したと思われる仁徳天皇は
120歳生きたけど、その医学的常識のみで実在を否定するの?
160名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 00:35:15 ID:mnUToWcc0
今ざっと調べてみたら仁徳あたりまで百数十歳がゴロゴロしてんのなw

医学的と言うより常識で考えて嘘八百だなwww

仮に実在とその系譜に間違いが無いとしても
他の王の存在や王位の空白期間があったと言う事か…


161名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 00:49:33 ID:OrrrS6Zz0
>>160
始まりが紀元前660年ごろってのが無謀。
畿内にヤマトの王権が立ったのは、紀元後300年ごろ。
そのころに神武(九州から畿内にやってきた人)がいたとすると、
在位年数はみな10年ちょっとくらいになって自然。

始まりを実際より古くした理由は、いろいろな説がある。

そもそも年代がよくわからないから、
600年に一度回ってくる縁起の良い干支から始めたとか、
中国に対して見栄を張るためとか。
日ユ同祖の観点でも何か説があったはず。
162名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 00:57:15 ID:OrrrS6Zz0
始まりを実際より古くしたから、つじつまを合わせるために
昔の人の在位年数と寿命を長く設定せざるをえなくなったってことね。

中国の歴史書との関係もおかしなことになっている。

卑弥呼やトヨが鏡をもらったのは3世紀の話で、
神武(と後に呼ばれる九州人)以前の話。

しかし、年代を昔に延ばしたせいで、
卑弥呼がいたころには大和朝廷がなくてはならないことになってしまった。

んで、神功皇后のストーリーがあるって訳。
163名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 01:20:06 ID:OrrrS6Zz0
このように神功皇后のストーリーは、
魏志倭人伝との整合性をとるためにあるのだが、
ここで興味深いことが1つある。

神功皇后は九州に出征しているのが常だった。
魏志倭人伝との整合性をとるために
魏から鏡を受け取る女性を『3世紀の九州』におく必要がある
と記紀の作者は考えていたということだ。

畿内ではなく。
164名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 03:40:53 ID:gfovfJHAO
>>161
実在とされるのは祟神からだけど
祟神は3世紀〜4世紀前期。一部に2世紀後期。が通説。
中国の文献にも卑弥呼以前にも倭の王とされる記述はあるし
スメラミコトの数だって実際は記述より多いかもしれない。今ですら明治の時に歴代天皇数を書き替えたくらいだし。
中国依存の学説では紀元前1世紀〜紀元一世紀後半までの先祖がモデルらしいね。
165やきにく:2007/02/08(木) 12:16:11 ID:rzpGahARO
オンタイムな史料がない時期の真偽を問うのは不毛ですよ。

神話は諸部族伝承の集合体という側面もありますから。
166名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:18:28 ID:MAJjIe2s0
>>164
上で「神武」と書いたのは特に意味はなくて、
大和朝廷につながる畿内の覇者の1号ってこと。

その人の名前が祟神だと思うなら、
上の文章は祟神に置き換えてよんでね。

誰が覇者であろうと、その次期は、
300年前後(3世紀末から4世紀前半)なんだよ。

祟神初代説は1つの有力説かもしれないが、
ただの1つの説にすぎないと思っているけどね。
167名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:28:09 ID:9MF9kgAr0
>>166
まあ、それも1つの説に過ぎないってことだよね。
真実は謎のまま・・・。

の方が面白くっていいかも。
168名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:54:04 ID:krBPnZg/0
1500年証明できればいいじゃないの
イギリス王室は250年前はただの貴族だし
オランダ王室は200年前は町人だし
169名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:56:02 ID:Fi7KnjJQ0
継体以前は藤原不比等の創作だろ、どう考えても。
170名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 13:01:42 ID:noniBNhP0
>>169
その「創作」の元になった伝承のあった可能性は?
それともまったく空想のファンタジー小説?

やっぱり古墳を片っ端から調査するしかないか。
でも「一族の末裔」が今もいるのに「先祖の墓」を
あばくのもねえ・・・。
171名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 13:03:05 ID:ihCgGI4S0
フジワラのアンブレラ!
172名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 13:28:15 ID:99e8/xf50
オランダは博多商人とか近江商人とかのトップが王様なったようなもん?
173名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 16:13:08 ID:krBPnZg/0
>>172
近江商人に近いかも
174名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 19:07:24 ID:nwt76xb00
175名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 21:17:55 ID:TxPFOxXY0


高円宮承子さまの驚天日記
http://www.youtube.com/watch?v=2YrL2kvcIB0


176名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 22:57:33 ID:jFdOvszP0
神話レベルの子孫が国の象徴ってのも、すごいな。
継体以前はわからないといっても、もうその辺はコーランや聖書と同じで、
アリエナスだけど信じていいやの世界だよな。
177名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 23:30:16 ID:zF/HQ8Cr0
>>176
史実レベルでも1500年だからな。ムハンマドの末裔が現在も
イスラムの宗教指導者として存在してるようなもんかね?
で、ムハンマドに至る系図としてアブラハムだのモーセだのがいて、
アダムまで行き着くと(アダムは神じゃないけど)。
178名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 23:56:17 ID:wYQPXJZr0
厳かな雰囲気に包まれた日本の議場、壇上に立つは軍服に身を包み
原稿を手にする一人の紳士。その面前には百人超の議員達、実に恭しく
敬礼している。
が、次の瞬間議員たちの間にどよめきが起こる。というのも壇上の紳士が
にわかに原稿をくるくる丸めると、望遠鏡のようにそれを覗き込みながら、
辺りを見回し、へらへらとしまりのない笑みを浮かべているのである・・・

お分かりであろうが、この紳士とは大正天皇その人であり、彼は天皇の
業務をおよそこなし得ない白痴であった。この逸話は、皇室に関する醜聞
がタブーとされる日本において陰ながら語り継がれてきた。

斯様な彼の知的障害は、遺伝性のものであり、明治期以前の歴代天皇家
の近親相姦が原因であった。かつて天皇はごく一部の血縁ある公家としか
通婚せず、その血はおのずと濃くなっていった。

こんにちにも、現天皇のいとこもまた軽い知的障害があり、先日の皇太子妃
雅子の流産も、胎児に身体または知能に障害があったために秘密裏に人口
中絶したのではないかと、まことしやかに囁かれているのも事実である。
179名無しさん@七周年:2007/02/09(金) 00:00:33 ID:BuVEKHQx0
今城塚は入り放題なのに茨木の偽物の方は柵で囲って
中の堀に水も張ってあるあほらしさ
180名無しさん@七周年:2007/02/09(金) 00:04:35 ID:Cq7JdclcO
>>176
いや、通説では祟神までは系譜で認めてる。から祟神以降と言わないと、
>>149の上田教授じゃないけど、祟神か天智かの二者択一なら分かるけど、継承ってのは根拠が無い。理由は他のにも採用できるから。

>>116>>112も参考にしてみて。   
181名無しさん@七周年:2007/02/09(金) 00:09:52 ID:Cq7JdclcO
継承×
継体〇
182名無しさん@七周年
海行かば 水漬く屍  山行かば 草生す屍
大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ