【皇室】継体即位1500年、大王を祭神とする足羽神社で奉祝祭…福井

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1丑幕φ ★
★継体即位1500年、王祭る足羽神社で奉祝祭

 継体大王(天皇)即位千五百年を記念した奉祝祭は四日、大王を祭神とする
福井市の足羽神社で開かれた。関連団体の代表者ら約百人が集い、今年県内外で
行われる記念事業の成功を祈念。大王の功績などの情報発信へ決意を新たにした。

 大王は二月四日に、現在の大阪府枚方市で即位したとされることから企画。
坂川優同市長や屋敷勇県会議長、勝木健俊福井商工会議所副会頭のほか、
越の国ルネッサンス実行委員会、上文殊地区総合開発委員会、朝倉氏遺跡
保存協会などゆかりの団体の代表者らが出席した。
 神事では、馬来田善敬(まくたよしもり)宮司が、治水伝説を残し漆や
和紙などを奨励したとされる大王の功績をたたえ、感謝の思いを込めた
祝詞を奏上。笙(しょう)やしちりきなどの雅楽が奏でられる中、
出席者が次々と玉ぐしをささげ、即位千五百年の節目を祝った。

 この後、馬来田宮司は「継体天皇の素晴らしさを、県民が一丸となって
発信できる一年にしたい」とあいさつした。坂川市長は「天皇とかかわりのある
各地域の人たちと手を携え、今年が発展の年となるようにしたい」と決意。
県観光連盟会長も務める勝木副会頭も「今年は古代史ファンを中心に、
福井を訪れる人が増えることを願っている。旅行の企画商品もつくられている。
これを機に福井を全国にPRしたい」と述べた。

福井新聞 http://www.fukuishimbun.co.jp/topics.php?code=14560

▽関連スレ
【天皇即位1500年】"継体天皇"の歴史フォーラム 「渡来人の里」枚方市で開催…大阪
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1170685917/
2名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:37:57 ID:5jo71PKE0
2
3丑幕φ ★:2007/02/05(月) 23:38:58 ID:???0
継体大王と越の国・福井県
http://info.pref.fukui.jp/keitaidaio/
4名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:40:02 ID:vFDJ2rNH0
今の天皇は継体からだな。
5名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:40:54 ID:r8TApKSP0
で携帯って
ツングースかチョウセンジンなの?

 
6名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:42:50 ID:A7RC7vUs0
お水取りの奈良と、お水送りの福井。
そんなところでも繋がってるんだよな。
7名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:43:33 ID:V4hnfXlN0
へんな地域から移動してるからそうじゃね
8名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:45:37 ID:oaANcZTx0
危険なナショナリズムの匂いを感じます。
いつか歩んできた道をまた辿っていないかと心配になります。
9名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:51:15 ID:qOdHd6dG0
◆何故、今、皇室は大室でなければいけないのか?

熊沢家は今の当主が確か娘2人で実質断絶に近い状況にあるし、今の皇室見ると、常磐会を中心とする、島津家(北朝朝香宮の子三笠宮の子明仁)と
大室寅之祐東京明治天皇を中心とする南朝大室天皇家(寅之祐の弟庄吉の子 儀作の子近祐の子徳川恒孝の子広飲み屋)と2つある。此等に自民党の権力が複雑に絡み合っているからさ。
政府自民党の支持基盤は3つあって1、郵便局、2靖国、3医者なんだけど、3の医療会の票田を作ったのが武見だったり厚生族の橋本龍伍だった。
(大室寅之祐東京明治天皇の弟大室庄吉の娘大室ヨネと橋本卯太郎の間の子が橋本龍伍) 2の靖国及び神社本庁のボス(つまり自民の票田)は村上正邦だったが、
歴代総理が靖国万歳なのは明治天皇を奉る事で靖国の票田を自民党が押さえると言う意味合いも有る。(つまり、遺族会の票田)自民党に右翼が多いのはその為で、突き詰めたら
大室明治天皇の血統が130年以上続いているから、熊沢家を奉じても何の得にも金にも成らん。だから北朝の孝明天皇に触れる事は出来ても南朝の明治天皇の歴史に触れ難い。
明治天皇の息子が昭和天皇でなくなってからまだ14年しか経っていないから明治天皇の歴史はそれ程古くないから共言える。
10名無しさん@七周年:2007/02/05(月) 23:54:56 ID:ztAQXzCX0
事実上の今の天皇家の祖先だな
11名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:01:13 ID:RSEVQuzN0
この人でいったん万世一系じゃなくなってるっていうな
12名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:04:19 ID:7Bjk4DwO0
仁徳天皇とかの大昔の天皇と今の天皇ってほんとに繋がってるのか。
なにせ4世紀の資料が乏しいからなー
13名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:04:58 ID:BzajaZG00
河内で即位したのが507年で都がある大和へ入国できたのが526年。
すさまじい内戦状態だったんだろうな。
14名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:09:09 ID:+EZjtBkU0
【皇室】速報:高円宮承子サマの乱交セックス日記が発見された模様 (引用元あり)
http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1170424325/l50

週刊文春が報じた 女性皇族「奔放HP」の中身

http://www.j-cast.com/2007/02/01005277.html

                  ハァハァ
            / ̄ ̄ ̄ ̄\  ハァ ハァ
 ̄||      ハァ ( 國●憂    )  ハァ
  ||         (-◎-◎ー  ;;;;;) __,,.-───ヽ__     )))
   ||      ハァ(  (_ _)    6)-"           ̄ ̄\   ))
   ||     ハァ (  ε  ∴  |    ⌒─-,,__/      )
    ||      ハァゝ_____/  ヽ、 _     ̄ヽ   ̄ ̄─⌒丶  )))
 ̄ ̄○二二二|, -─⌒ ̄ ヽ   , -─⌒ ̄ ̄      ノ         \
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つぐこたん、おいらの精子、ごっくんして、はぁはぁはぁはぁ
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15名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:13:18 ID:lIxZLovP0
問 継体天皇は新王朝。

→応神天皇から継体天皇までの系図が記紀ないことから一部の
 サヨ学者が「新王朝説」を唱えるも、上宮紀という推古朝遺
 文に応神天皇から継体天皇までの系図が記載されていたこと
 から、デタラメであることが判明。
 考古学者は、最初から完全否定。
現在では左翼史観的な歴史学会も男系で一致。また網野史観も最近は否定されてる。
289:名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 16:51:26 ID:nbuc1VuI0
最近の歴史学会も変わってきているようです。

>神武天皇も含め開化天皇までの9代の天皇が非実在だと主張する学者の判断の内容を整理すると次のようになる。

1. 神武天皇の場合は、事績が記されていても、その実在は、否定できる。
2. 綬靖天皇以下八代の場合は、事績記事を欠いていてその実在を否定できる。
3. 崇神天皇や、仁徳天皇の場合は、事績が記されていて、その実在は、肯定できる。
4. 用明、崇峻、推古などの諸天皇の場合は、事績記事を欠いていて、その実在を肯定できる。

このような基準によって、天皇の実在、非実在を論ずるならぱ、天皇の実在、非実在は、論者の自由になってしまう。
天皇非実在説のこのような根拠は、主観にもとづくもので、およそ、論理や実証にたえうるような議論とは思えない。非実在という先入観が
あって、そのための屁理屈を探しているようなものである。
最近は、初期天皇の非実在説について疑問を投げかける学者もふえてきている。たとえば歴史学者の上田正昭氏は、最近の著書の中で、
「神話伝承は全くの作り事ではなく、なんらかの歴史的事実を背景にして成立したのではないか」と見解を述べている。
さらに、大阪大学名誉教授の長山泰孝氏も、非実在説の論証方法が不十分であることを指摘して、非実在説は再検討するべきだと述べている。
16名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:17:55 ID:X8IYkNe60
>>15

>応神天皇から継体天皇までの系図

これ自体信用できるかどうか?
少なくとも、俺は継体天皇の出自は息長氏だと思ってる。
17名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:19:16 ID:dQfAbDnF0
こんな古いこと、結局何が正しいかなんてわからんだろ。
証拠がないかぎり、ずっと続いてましたって覚えときゃいいじゃん。
18名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:19:54 ID:v6usLE2N0
継即体位に見えた。
19名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:23:51 ID:X8IYkNe60
日本書紀には2箇所だけ「後世の人が考えて欲しい」みたいな記述がある。

その一つが、応神天皇が気比神社の神と名前を交換したという記述と、
もう一つが、継体天皇生存中に「日本の天皇と皇子が死んだ」という記述が、
百済の史書に書いてあるということ。

気比神社の神は息長氏の主神が祭ってあることから、継体天皇は息長氏の
子孫であり、正当な天皇は継体天皇によって殺されたと考えれば、日本書紀
の謎は全て解ける。
20名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:24:18 ID:vgy0tScD0
現在の皇太子が即位したとき、この歴史の重みに耐えられるのだろうか
21名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:27:17 ID:GS7PhE/jO
>>19
分かるようで分からん
も少し丁寧に教えて下され
22名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:28:07 ID:Eb+j45Cc0
継体朝とそれ以前には血統の断絶がある
23名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:29:00 ID:ZcD69NE30
どう考えてもここで断絶してるよな。
24名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:30:34 ID:5imWHB+70
応神天皇と携帯天皇との間が、
断絶しているということかな?
25名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:31:33 ID:ZcD69NE30
>>24
直前はもろキチガイの武烈だし
断絶してむしろよかった。
26名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:34:07 ID:5imWHB+70
ただ、万世一系じゃなくて、
携帯天皇は応神天皇とかとは別の王朝だということだね。
仁徳天皇もなんか謎だし、
神がついている天皇は最初の王朝らしい。
神武天皇。
崇神天皇。
応神天皇。
27名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:35:03 ID:6tHjyV520
>>20
「あとよろしく」で無問題
28名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:35:07 ID:V1aE5+Zj0
ツグの乱交打消しの話題づくりに必死だな、宮内庁、マスゴミ。
29名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:36:06 ID:jl1xVbau0
>>25
その武烈を基地がい扱いして書いてるところが怪しいんだろ。
中国の革命思想そのままじゃん。
30名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:39:41 ID:5imWHB+70
>>29
中国では、
前の王朝を悪く言うのが基本らしいからね。
31名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:42:37 ID:1xF/rWL00
>>19
後に源氏に降下した人が皇位についたことがあるが、
継体天皇も息長氏に降下した人だったんだと思う。

そう考えると、すべての事象がスムースに理解できる。

完全な簒奪ではない理由は、実力者自身が皇位についた訳ではないから。
あくまでも、実力者息長氏のお抱えの皇位継承候補が皇位についたから。

一応、血統的には皇室の子孫。
今で言えば、旧皇族みたいな立場の人。

皇族の男子が完全に絶え、臣籍の旧皇族+皇族女子を立てた。

後で源氏の人が皇位についたとき、それをぼかさなかったのは
すでに継体天皇でやっていたから。
継体天皇の時は、初の(厳密に考えた場合の)断絶だからぼかした。

たしか継体天皇の家は、2代か3代前には皇后を出していたと思うので、
その時点ではまだ皇族だったんだろう。
皇后を出せるのは、皇族か物部氏だけだったと思うので。

また、継体天皇自体が皇族だったなら、そもそも混乱が起こらない。

すべての状況をスムースに説明できる仮説は、
「継体天皇は息長氏の降下していた旧皇族だった」だと思う。
32名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:43:00 ID:vgy0tScD0
>>27
秋篠宮にパスか!
33名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:43:20 ID:PEZnMiKi0
日本書紀と古事記には、
・直前の武烈天皇は、妊婦の腹を裂いて遊ぶような極悪人(と書かれといる)
・継体天皇は何代も前の応神天皇の遠い子孫とされている
・継体天皇は、即位から20年間大和に入れなかった
等とある。

これは、中国の史料でも良くあるパターンで、継体天皇が皇統を乗っとって、
武烈天皇を悪逆非道な人物に仕立て上げ、自分の地位を正当化していると考えるのが自然。
34名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:43:47 ID:7eIcy7/IO
>>19
あれ?百済時代の史書って現存してたっけ
半島の史書は国の勃興とか柵封体制が原因で古いものは残ってないんじゃなかったか?
すまんが詳しくヨロ
35名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:45:07 ID:w+L2Iz3OO
だいたい武烈はステレオタイプの暴君。
少し考えれば必要以上に悪く書かれていることに気がつく。
36名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:45:51 ID:lIxZLovP0
じゃあ竹田恒秦が秋篠宮家皆殺しにして皇位簒奪して旧皇族じゃなかったんだよって書類書き換えたみたいなものか
37名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:47:00 ID:ZcD69NE30
でももうちょい前の雄略も半ばキチガイだぞ。
38名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:48:16 ID:eRnHCcox0
>>32
QKK「QniKouigaKitanode」
39名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:50:56 ID:jl1xVbau0
>>34
とかいてあるという中国の資料があったんじゃないの。
大海人が天智から帝位簒奪してってえのもあったな。

40名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:54:23 ID:am2WyG0A0
税金泥棒
41名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 00:58:45 ID:lIxZLovP0
>>40
税金一円も払って無い不当生活保護受給者の癖に
42名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 01:06:44 ID:lIxZLovP0
【皇室】継体即位1500年、大王を祭神とする足羽神社で奉祝祭…福井
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1170686262/

こっちじゃないの?ほとんど重複スレなきが
43名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 01:13:55 ID:b1iLcK000
1を見てから言えと

ぶちぶち切れるのは仕方のないこと
再び継体天皇が現れるか
44名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 01:14:27 ID:9sbqX6/60
日本って中国の王朝と違って皇族が王に封じられて地方の政治を行うってこと
がなくね?
継体天皇の頃には実際に皇族が地方に住んでたのかな?
一応、親王国があったけど、現地に赴いて政治を行ったことはないよな。
筑紫では那の津の宮家があったらしいが。
45名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 01:24:33 ID:zHq7Wsnk0
>>34
当時はあったがその後失われたというのが定説。
46名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 01:27:42 ID:fuHHIoBT0
>馬来田善敬(まくたよしもり)宮司

ここの神職家、確か継体天皇皇子の子孫を称してたはず・・・
47名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 02:49:22 ID:7eIcy7/IO
>>45
それは知ってる
だから 現存していない と書いた
>19で史書の内容に触れてたから疑問に思ったわけ
編纂されていたが現存していない=史書の詳細は現代に伝わってないってこったろ?

>>39
そうなのかもね
古代史ヲタなんで原典読んでみたい
調べてみるか
48名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 09:20:07 ID:UL4DtkSu0
>>36
旧宮家は確実に皇統に属しているので、竹田家から天皇が出ても
王朝交代はない。

仮に継体で王朝が交代していたとしても一応「入り婿」って形なわけで、
「皇位簒奪」とはちょっと違う気がする。
49名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 09:59:13 ID:ZbvlpDLv0
問題は継体が神武の男系の血筋かどうか、だな。
男系の血筋なら王朝交代ではない。
応神からの家計図がでっちあげなら王朝交代。
50名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:39:56 ID:VjNXg9qP0
当時は、エジプトと同じで女子は天皇になれないが、皇位継承権を持っていた。
いわゆる総領娘のお婿さんが天皇。
今で言えば愛ちゃんと結婚した皇族が天皇になるというやりかた。
貞操観念がとぼしい為確実に血を伝える為のもので、
桓武天皇もその恩恵で天皇になった。
同等の身分の皇族も多かった為、確実に跡継ぎを決めるシステムでもあった。
51名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:42:14 ID:0wq8BVWT0
事実上の開祖だよね。この人が。
52名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:44:58 ID:krNn6vY60
ここは承子の淫行スレでないのか?
53名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:50:15 ID:Ki45TE3G0
承子はコイツの血も受け継いでるんでしょw
ということはコイツはとんでもない荒淫な天皇だったんだな
1500年の間に薄まって承子レベルなんだからなw
54名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:50:28 ID:6qr2KdpG0
で、『大王』は
“だいおう”と読むのがベター?
それとも“おおきみ”?
55名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:51:35 ID:1maCN2fv0
しかしその後の皇室が、越前に全くこだわりを持たない不思議。

本当に王朝交代があったのなら、
近江越前を「父祖の地」としてもっと珍重するはず。

逆に
「俺の先祖は近畿から来た皇統だから、ただ帰るだけ」
とすれば、越前近江への興味のなさも理解できる。
56名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:55:07 ID:0wq8BVWT0
>>54
大王は中国の当て字なんておおきみと呼ぶのが正しいね。
57名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 12:56:51 ID:WgPcZm72O
欠史八代
58名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:00:40 ID:o6QVKi7m0
>>50
という説もあるね、て感じか。
まあ、皇后でも天皇扱いされた人もいたようだよね。

桓武天皇のお母さんは、総領娘じゃないよ。
それを言うなら、光仁天皇じゃない?

総領娘制でのはみ出し者、淡路廃帝の存在も忘れないであげてください。
妃は皇族(総領娘)じゃないのに、即位できました。
孝謙天皇→淡路廃帝→称徳天皇(孝謙と同一人物)→光仁天皇(称徳の姉が皇后)
59名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:06:03 ID:0wq8BVWT0
そもそも大和が中央集権化するのは天武天皇以後
なので、それ以前の万世一系については疑問が多い。
女系とか男系の区別が必要であったのかも怪しい。
60名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:14:23 ID:ZLL5naZM0
>>29
物部の祖、饒速日命のことは
何も悪く書いてませんが。

伝承を素直に伝えようとしているから、日本書紀には様々な書の記述をのせてあるんでしょう。
61名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:15:17 ID:OOTpscHV0
天皇なんて危険思想そのものだろ
62名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:15:38 ID:o6QVKi7m0
一応、大王は男がなるもんだーてのはあったんじゃないかなぁ。
父系継承はあったんでない?
区別はしてなかったけど、無意識か有意識かは知らんけど、父→息子、みたいに継承することが当たり前のことととらえられたとか。
娘が即位するときも、あの大王の娘だから、みたいな。
63名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:20:49 ID:0wq8BVWT0
>>62
推古天皇がいる。
大王を男が継ぐのが当たり前なら推古天皇は本来継ぐ
必要性が無い。
厩戸皇子が天皇になればいいわけだから。

万世一系の思想がもたらされたのは明らかに奈良時代からだろう。
そしてその思想を持ち込んだのが日本書紀の大部分を
編纂した藤原不比等

なぜ万世一系の思想を持ち込んだか?
それは天智、天武のような皇族同士の簒奪を防止するため
ではなかったのかと思われる。
64名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:21:18 ID:ZLL5naZM0

はじめ、継体天皇のほうが拒否ってたんでしょ。
それを友人だったかに説得されて、皇位を継ぐ決心をした。
天皇の子孫であるとはいえ、5代くらいだったか離れていたし
近江の母の所にいたから、より重責と感じられて苦悩してたんだわ。
65名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:21:32 ID:ovmPcw420
太陽信仰や神話(巨神の左右の目から太陽神と月神が生まれる)など、
エジプトの王朝と天皇家は類似点が多い。

ユダヤ人の祖先が古代エジプト人だったという説と、日ユ同祖論もある。

じつは、ルーツは・・・ってことかもね。
66名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:26:10 ID:Bu26ewO80
宮内庁は偽物の陵墓を指定してるんだよな(w
で、本物は一般人は入りまくり、立ち小便mぽOK。
67名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:27:04 ID:ZLL5naZM0
>>63
上段はその通りだけど
万世一系に関しては違うと思うな。
「子孫」が胤(種)によって繋がることは
神代の神話(誓い)に語られているところから察するに
大元からあったものだと思う。
68名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:28:28 ID:KTiHGyB7O
>>53
そういう天皇は、一代前だな

この天皇の像てコミカルだよな
69名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:30:21 ID:ovmPcw420
>>63
男系一本化したのは藤原氏であるってのは同意。

俺の解釈は、
「藤原氏が皇后をだして外戚となって権力を振るうため」

それまで、皇后は皇室か物部氏しか出せなかったはず。
つまり男女の両方が尊い必要があった。

皇室の中心的な祭神も、
以前はアマテラスとタカムスヒの2柱だったが、
物部神道から中臣神道になる過程で、
タカムスヒは脇役アマテラス1柱が主役になったと思う。

アマテラス:男系の祖
タカムスヒ:アマテラスの子の妻の祖
70名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:36:28 ID:dUV2175C0
継体という大王は天皇家とは縁もゆかりもない地方豪族だろう?
71名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:37:33 ID:ZLL5naZM0
>>69
え?蘇我は?

>タカムスヒ:アマテラスの子の妻の祖
これもよく解らない。出典は何?
72名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:38:48 ID:0wq8BVWT0
>>70
縁もゆかりも無いと言うことは無いはず。
大和は地方豪族を武力や政略結婚をすすめて王権を強化
していったので、なんらかの親類関係は結んでいただろう。
73名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:41:51 ID:zROimzYC0
どこかの古墳の中に、帝記と旧辞が残ってないかなあ…
74やきにく:2007/02/06(火) 13:42:12 ID:EeA1CEeNO
葛城も無視ですか
75名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:43:17 ID:ovmPcw420
>>70
それはありえないと思うよ。

息長氏の庇護下にあった皇室に縁もゆかりもない人間が、
息長氏の氏長者を差し置いて天皇になれる?

ただし、皇籍は持ってなかっただろうね。
持っていればなんの問題もなく天皇になれただろうから。

皇籍を持つ男子が完全に絶滅して、臣籍の遠縁を持ってきた。

そんなとこでしょ。
76名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:44:22 ID:ZLL5naZM0
枚方市とまで書かいたなら樟葉と言って欲しかった。
77名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:50:00 ID:ovmPcw420
>>71
タカムスヒは、
アマテラスの子であるホミミの妻、萬幡豊秋津師比売命の父親だよ。
ニニギの母。

物部しか出せないのソースはちょっと今出せないな。探し中。
蘇我とかも物部と血縁ってことない?
蘇我の大臣が「もののべのおおおみ」とか言われてなかったっけ?
78名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:56:48 ID:0wq8BVWT0
蘇我は渡来系でしょ。 
新興勢力だったから藤原氏に睨まれ暗殺された。
79名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:57:27 ID:q704sVQb0

このスレの結論は、継体天皇が現在の天皇家の始祖って事なの?
80やきにく:2007/02/06(火) 13:58:01 ID:EeA1CEeNO
蘇我蝦夷は物部尾輿の孫ですが男系でつながりはないですよ
81名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 13:59:05 ID:o6QVKi7m0
>>63
推古天皇は、時の有力者に担ぎ出されたんじゃないかなぁ。
元皇后だし。
自由に操れそうなのは、男よりも女って思ったんじゃないかなぁ。
で、「大王の娘」であり、「大王の后」であり、「有力な男後継者のいない」推古天皇に白羽の矢が立った、とか。
当時としては突拍子も無い考え方だったんじゃないかなぁ。
あくまでも自分の想像。

これが、降嫁した皇女の息子なり娘なりが担ぎ出されてたら、
例えば、曽我氏に皇女が嫁いで、その息子なり娘なりが即位してたら、
男系女系意識してなかった、皇女にも継承権があったとか証明されたのにね。
曽我氏は、大王家の中で大王位をあれこれしたかっただけのようだし。
一応、大王位の父系は意識してたように見えるね。
82名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:03:53 ID:ovmPcw420
話は脱線するけど、

アマテラス=鏡大好き、女性指導者、祭祀を司り、男王に政治を任せていた。
次のヒメミコ=萬幡『トヨ』秋津

って、ことでこの神話には卑弥呼、台与の姿が織り込まれているって説もあり。

神話を読んでみると、岩戸隠れの前までは
アマテラスは強権を発揮していたが、
岩戸隠れの直前で機織巫女が殺され、岩戸に隠れ、
岩戸から出てきたら、やけにおとなしくて、
何事もタカムスヒとオモイノカネに相談して決めるようになった。
事実上の最高指導者はタカムスヒとなった。

タカムスヒは萬幡『トヨ』秋津の父。オモイノカネは兄。

機織巫女の死亡=卑弥呼の死亡。
岩戸隠れ=最高指導者の不在。
岩戸から出てくる=トヨが次ぎのアマテラスのヨリシロになった。

と考えると綺麗に説明がつく。13歳のトヨは父と兄を頼ってた妹キャラ。萌えの元祖。

>>78
そうだね。じゃ、蘇我氏がそれ以前にルールを乱していたんかな。
最初の国譲りのあたりで、皇后は物部から出そうって決めたと思うんだけどな。
まっ、神話の話で現実は軍事力が強い奴が皇后を出せるってことだね。
83名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:04:07 ID:0wq8BVWT0
>>81
リベラルな蘇我氏ならそう考えるかもなぁ。
藤原や物部なんかは保守派だから、推古天皇を即位
させたりしなかったかもしれんね。
84名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:04:44 ID:o6QVKi7m0
>>80
蘇我氏は一応、武内宿禰(元皇族)の子孫てことにはなってるけど、信じてる人は少ないかもね。w
物部氏は、天孫降臨の時に一緒に付いて来た神様がご先祖様らしいね。
85名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:05:33 ID:J1lgZNi50
継体大王(天皇)という表記に違和感がある。
継体は「継体天皇」じゃないのか?
大王といっていた時代には継体という諡号はまだなかったんじゃないか?
86名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:06:59 ID:wiQC/XB0O
天皇家ってユダヤが関係してる説あるけどマジ?
87名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:08:42 ID:0wq8BVWT0
>>86
完全にネタ まだ秦氏説のほうが信憑性がある。
88名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:16:01 ID:ovmPcw420
>>86
聖書のユダヤ人のルーツ話と、日本神話の天皇家のルーツ話は恐ろしいほど似ている。
下記参照。


[聖書]
ヤコブは美人のラケルを嫁にしようと思ったら、その父親から不美人の姉レアも押し付けられる。
[神話]
ニニギも美人の木花咲耶姫を嫁にしようと思ったら、その父親から不美人の姉・石長姫も押し付けられる。

[聖書]
ヤコブの子、ヨセフは兄達に苛められるが、エジプトに行って大臣となる。食糧難になった兄達を許し助ける。
[神話]
ニニギの子、山幸彦は兄の海幸彦に苛められるが、海神の宮に行って呪いをかけて兄を食糧難にするが後に許す。

[聖書]
ヨセフはエジプトの神官の娘と結婚をする。この子孫が王権を築く。
[神話]
海幸彦は海神の娘と結婚をする。この子孫が王権を築く。


こういうちょっと信じがたい類似点がたくさんあるのは事実。
確たる証拠はないけど、絶対に違うというほど変な説でもないと思う。
89名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:18:28 ID:ovmPcw420
失礼。
最後、結婚したのは『山幸彦』の間違い。

いじめっ子の方が結婚してどうするよ、俺。
90名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:19:39 ID:0wq8BVWT0
>>88
神話はどれも共通点が多いよ。
天皇の一族も大陸から渡って来たのなら類似点が生まれる
のは当然かと。
91名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:20:22 ID:wiQC/XB0O
>>87
でも伊勢神宮の紋がダビデの星だし京都木島神社の三本柱の鳥居はキリスト教ネストリウス派の教会だった。

この辺りは発掘しようとしても許可されないらしい。日本の歴史の定説が覆る可能性があるから。
しかしいい加減科学万能の時代だから調査して白黒させるべきだと思うが。科学万能時代だから非科学的な伝説など信じるのは無理がある。
92やきにく:2007/02/06(火) 14:24:14 ID:EeA1CEeNO
神話の類似性は仕方ないですよね。

人間とは別に話だけが輸入されている部分もあるでしょうし。
93名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:26:06 ID:ovmPcw420
>>90
漠然とした類似点じゃなくて、かなりディテールまで同じじゃん。
上のヨセフの話。

そもそも神話が世界各地で類似点が高い理由も、
ユダヤ人が国を失って逃げ回ったからじゃないの?
94名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:28:47 ID:UL4DtkSu0
要するにユダヤ「だけ」が特別じゃない。
そのユダヤも別の神話・伝説の影響うけてるだろうしね。
ギルガメシュ叙事詩だのゾロアスターだの。
95名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:35:47 ID:0wq8BVWT0
奈良時代にも景教として日本に入って来てるし、
それ以前から大陸との交流があったわけだから神道が
ユダヤの影響を受けたとしても不思議は無いよ。
96名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:36:09 ID:ovmPcw420
聖書には、イサクという人が自分の子供を神に生贄に捧げようとして
天使に止められる場面がある。
場所はモリヤ山での出来事だ。

諏訪大社のお祭りで、子供を縛って生贄にするが
別の子供が助けるって祭りがある。
諏訪大社のご神体は守谷(モリヤ)山である。

ちなみに祭りの名前はミサクチ祭り。イサクという言葉が入っている。


などなど、異常なほどの類似点があるんだよ。
類似性を一般的なものと解釈するには無理があるんじゃないかな。
97名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:44:47 ID:rNruw/fr0
>>75
天皇家が断絶したから、地方豪族が天皇に即位。

遠縁という説明は後付け。
継体は出自不明の人間なのだ。


応神から継体の間に生没年も名前も不明の人々が4世代いて、
5世孫ですなんて根拠に乏しい話を信じる歴史研究者は少ない。
98名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:49:43 ID:ovmPcw420
>>95
神道が影響されたというか・・・

神社の拝殿と本殿の構造。
神殿の聖所と至聖所の構造。

手を清める場所がある。

自分たちの宗教を「神の道」という意味の言葉で呼ぶ。

お神輿の構造は、聖書に記された聖櫃の構造そのものである。

お神輿で川渡りするとか、聖書のエピソード意識しすぎ。

エンヤラ・ヤーはヤーを賛美するの意と解釈できる。

御幣。

・・・全く同じ宗教じゃないかという説あり。
99名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:51:26 ID:UnNoH0280
>>97
>地方豪族が天皇に即位

他の豪族が黙ってないんじゃ?
100名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:52:38 ID:phPZSqIl0
アホらし
101名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:53:11 ID:e6E91cEGO
おーおー越前出身のイカサマ天皇か
102名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:55:54 ID:7tDZWiy2O
万世一系(笑い)
103名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:56:29 ID:q704sVQb0
良い方に考えると、元々大陸系だった天皇を
日本人が乗っ取ったと言えるのか。
104名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:57:55 ID:9NakV0wh0
>>98
要するに日本は神話すら外国のものをパクったということだろう。

応用力はあるけど、自分たちで何かを生み出す能力は欠けている。
現代の日本人の起源はここにあったんだね。


105名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:58:28 ID:UnNoH0280

否定する事を目的に言い訳探してんだから もはや何でも有り。

 俺なんか神武天皇の直径だぞ。
106名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 14:59:32 ID:1L1Ueeul0
継体天皇って名前自体がすでにうさんくさい
107名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:01:36 ID:LuDqxCS8O
>>97
そんな事言ってる電波学者は主流にはいませんね。
遠山や熊谷に笹山やなどの史学者達が、否定しています
また上宮紀を発見以降は系譜を否定する奴はコンマ以下しかいない。
当時、天皇三世孫など継体天皇より近い血筋の皇族が複数、存在していたことから交替説の間違いを指摘していた学者がいた。
皇統です
108名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:01:40 ID:ovmPcw420
ユダヤ人から又聞きしただけじゃ、
ここまでディテールを再現できないんじゃないかな。

シンプルにユダヤ人が来ていたでいいんじゃないかな。

山伏の格好って、ユダヤ人の修行者と全く同じだよね。
嘆きの壁の前で祈ってるユダヤ人って、山伏みたいな格好してる。

鼻が異常に高くてが、赤ら顔で、山伏の格好をしている天狗なんか
ユダヤ人がモデルなんじゃないの?
109名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:01:49 ID:lDZzOzUt0
俺なんか直径2pしかないんだぞ。
110名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:05:22 ID:0wq8BVWT0
>>108
ユダヤの一族が日本にたどり着き、土着化した可能性はある。
しかし、天皇家 = ユダヤ などというのは荒唐無稽
もはなはだしい。

そもそも神道は誰が作ったのかもわからない曖昧なもの。
奈良時代に日本書紀によって一つにまとめられるまでは
かなりの数の伝承や神話が各部族ごとに存在していた。
111名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:06:33 ID:LuDqxCS8O
>>106
継体ってのは何世紀も後に書いただけなんだが?
戦後直後のを引きずった今や誰も言ってない理屈だよ。
112名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:12:43 ID:LuDqxCS8O
>>16
日本の歴史03(講談社)熊谷公男の138頁には
「戦後間もないころ、応神五世孫というあいまいな系譜に着目し、実は継体は地方豪族から
身を起こし、ヤマトに攻め上って「応神王朝」から王位を簒奪して「継体王朝」を開いたのだ、
という王朝交替説が唱えられ、学会に大きな影響を与えた。
 しかし、この説はやはり成立しないだろう。というのは、もし彼が簒奪者で、新王朝の開祖であるならば
彼の出身母体である息長氏が大王家に取って代わっていなければならないはずである。しかし、息長氏は、
たかだか疎遠な皇族という位置づけで、684年(天武十三)の八色の姓で息長真人の姓をもらっているに過ぎない。」

となっています。
さらな日本書記より古い上宮紀にも系譜があり通説では繋がってる。
てか否定する学者が消えたんだが、サヨ説だけがのこり具体論に欠く門外漢が言う。     
113名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:15:03 ID:npJb88x00
で、継体天皇陵(ニセモノ)と継体天皇陵(本物)のある
茨木高槻両市ではなんかイベントはないの?
114名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:17:00 ID:y8NKmzgb0
クーデターによる政権奪取なのかな
115名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:24:57 ID:CtXolCbK0
子孫(嫁も含む)は
ロイヤルビッチ
ロイヤル801
ロイヤルニート
ロイヤルマスオ
ロイヤルデーモン小暮
116名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:25:02 ID:LuDqxCS8O
>>112に追加して
前の方に日本書記の武烈の書き方がどうとか言っていたバカが
保守系学者だとサヨは聞かないからリベラルで今の学者が信用しすぎる日本書記の一部を否定してる教授の本から

遠山教授の中央公論天皇誕生237頁


「それでは、『日本書紀』という歴史書は、どうして倭国の実際の歴史過程を正確に叙述しようとはせず
現実にはありもしない『中国的』な王朝とその交替といった自国史を描き出そうとしたのだろうか。」

とあるように、日本書紀の創作部分を史実と解釈する王朝交替説は日本書紀の読み方が
分かってないと指摘しているのである。
つまり、遠山は王朝交替なんか認めてないと言ってるわけね。
日本書紀の世界観を分析して独自理論を打ち建てるのは無理があると。
117名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:25:35 ID:G41qsOrKO
継体天皇陵である今城塚が未だに入り放題な件について。
118名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:30:52 ID:g24yVqEk0
仁徳天皇陵はいまや真偽が疑われ、(大仙古墳・だいせんこふん)と教科書に書かれている。
119名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:31:09 ID:GS7PhE/jO
女系派の高橋教授でも、既に男系が途絶えたから男系にこだわる必要がないという理屈は否定的だったからな
120名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:34:15 ID:+ATm1mQr0
>>107
鎌倉時代に書かれた「釈日本記」の中に引用されている「上宮記逸文」を根拠にするとはw
121やきにく:2007/02/06(火) 15:43:47 ID:EeA1CEeNO
なんとなくツッコミがおかしくないですか?
122名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:44:00 ID:LuDqxCS8O
>>120
反論に成ってないよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%AE%AE%E8%A8%98
記紀より成立が古く、別系統で伝わる写本として学者は重視してる。
少なくても今や祟神以降の系譜を否定してるやつはコンマ以下。
系譜を積極的に支持じゃ無くてもここ20年の間に、戦後にサヨ学者が語った事がが考古学、文献的に否定されまくり
繋がってないなんて確定的に言う学者はいない。
123名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:44:29 ID:m5yTboOH0
新潟から来た天皇さんだよね?
124名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:47:05 ID:0wvY7jy00
>>123
福井(越前)です。
新潟は越後。
125名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:50:10 ID:/IvKaDhk0
継体大王 の検索結果 約 34,400 件中 1 - 100 件目 (0.17 秒)

継体天皇 の検索結果 約 141,000 件中 1 - 100 件目 (0.24 秒)

携帯天皇 の検索結果 約 1,620,000 件中 1 - 100 件目 (0.26 秒)
126名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:52:53 ID:RFICe8pR0
>>125

googleの使い方も知らんのか

"継体大王"の検索結果 約 870 件

"継体天皇" の検索結果 約 116,000 件

"携帯天皇" の検索結果 約 516 件
127名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 15:55:58 ID:RjCf+8FH0
神道とユダヤ教に何らかの関わりがあったのかというのは興味深い話。
128名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:00:55 ID:5imWHB+70
>>118
そうすると、あの古墳は誰の古墳なんだ?
129名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:03:23 ID:LuDqxCS8O
>>127
神道本体には詳しくないが、神道=記紀では無いしね。
伊勢神道は神道五部書だし、唯一神道にはまた別の経典がある。
その他口伝など複数の古文伝承など今や使われていないのを
解りやすく纏めるような人が現われないかな。    
130名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:04:58 ID:0wvY7jy00
>>128
昔の人、としかわからん。
本当に仁徳天皇のものかもしれないし、別人のものかもしれない。
そんくらい。
131名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:06:31 ID:rF0Pldnu0
まあ、ギリシャ神話と似てる部分もあるし(冥界に行って妻と会うところとか)、
神話って似てる部分が出てくるのかも値。
132名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:08:03 ID:RFICe8pR0
天皇陵で、天皇の比定が正しいと確認されてるものはほとんどないよ。
江戸時代の文久年間に幕府が比定したものをベースにしてるからね。
江戸時代では最先端の学術水準だったんだけどね。
133132:2007/02/06(火) 16:10:19 ID:RFICe8pR0
天皇陵→昔の古墳
の間違いな。
134名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:13:40 ID:m2c3c4l/0
考古学資料とはっきり食い違う神話だの、万世一系のスローガンだの、
突っ込む余地の多い根拠で皇室を飾らなくてもいいと思うがな。
継体天皇からでも充分に古い王朝なんだし。
135名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:21:04 ID:0wq8BVWT0
いろいろ五月蝿いんだろ、宮内庁とか右翼とか。
136名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:22:00 ID:rF0Pldnu0
しかし、系図的に遠いから別の王朝なんだろうなんて、
その考え自体が恐ろしいほど、単純だな。
万世一系を主張してる王朝なんだから、前の天皇にくっつけて親子関係に仕立て上げりゃ済むことなんだよね。
血縁関係の無い物をわざわざ遠縁に仕立て上げて、疑わしさを残すより遥かにましじゃないか。

あと欠史八代なんかも、エピソードがないから創作された物だろうってのも
妙な考えだよなあ。
単に欠落してたから、書かなかったと考えればいいこと。
創作ならそんなキズを残すはずはない。
137名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:24:22 ID:LuDqxCS8O
>>134
>>112>>116と122に書いたが継体からってのは今の史学者では少数。
あと考古学では史学よりも昔から食い違いが無く継体は天皇の子孫が通説だから、むしろ神話学やら皇室史みたいな怪しい分類の方が新王朝の理論を語ってる
>>116参照
本物の継体陵が見つかったが、皇族出身を否定することはできないみたい。積極的にはなくても>>122の後半にあるように。
138名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:25:39 ID:0wq8BVWT0
>>136
天武天皇がそのケースだろう。
天智と天武は実の兄弟ではなく、 
血縁じゃないので出自や年齢を残すことが出来なかった。

事実上の初代天皇でありながら継体同様謎が多い人物
とされている。
139名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 16:26:17 ID:awy0Ty2C0
足利超神じゃないのか・・・ぷぴー
140名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 18:05:11 ID:fuHHIoBT0
>>107
>上宮紀を発見以降は系譜を否定する奴はコンマ以下

最近は増えてるよ。 80年代に上宮記を妄信する学者が多かったのは、
日本史学の中で系譜理論や系図学研究が特に遅れをとっていたから。
未だに太田亮(1956没)を超える研究者が出ていないという不毛な分野。
141名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 18:41:00 ID:0wvY7jy00
>>138
天武天皇は皇族じゃなかったって確定されたことなの?
それともそういう学説もあるレベル?
結局、天智天皇の子孫に皇統は移ったけど。
142名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 18:43:56 ID:WGFTcYt40
>46
継体天皇が即位する前に生まれ越前に置いていった
「馬来田皇女(うまくだのひめみこ)」の子孫、だったかと。
ここの宮司の息子と中学同級だった俺。
143名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 20:06:25 ID:rF0Pldnu0
>>141
年齢が合わないとかどうとかって説はあるらしい。
だけど、周辺の豪族が一斉に支持に回ったんだから、それなりの立場とか血統だったはず。
当時、下克上なんて形はあり得ないでしょう。
144名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 21:40:08 ID:XpP0Dysh0
>>141
日本史板では電波認定されるレベル
145名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 22:09:47 ID:dw4cSq8MO
継体の正妃は先代の武列天皇の姉で、先ヶ代の仁賢の皇女。
その間に産まれた欣明が現在の天皇家の直系の子孫。
すくなくても女系で繋がっていることは間違いないの?
146名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 22:23:19 ID:TWcU+beV0
天皇家の祖先って、ワニだったんだね

伊邪那岐命♂―(単性生殖)―天照大御神♀―(単性生殖)――

―――――天忍穂耳命♂
         ‖―――――邇邇芸命♂
 万幡豊秋津師比売命♀    ‖――――――火遠理命♂
                木花咲耶毘売命♀     ‖―――――鵜葺草葺不合命♂
                           ワニその1(姉)♀        ‖―――――神武天皇♂
                                          ワニその2(妹)♀
147名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 22:25:41 ID:TWcU+beV0
応神は父親不明の女系天皇

仲哀と応神が親子であるとの説は、医学的常識に照らして否定されている
148名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:09:56 ID:rF0Pldnu0
>>147
医学的常識って?
149名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:14:21 ID:LuDqxCS8O
>>145
皇胤の地方豪族が通説化してる。
>>147
>>116
医学的ってバカ?
史学者の間でその電波は無いな。系譜は正しいから。
東大史学の左派の藤田でさえも応神5世は否定されない。
あと阪大の上田が言うように交替説には矛盾だらけで天智天皇起源説以下の傍説扱い。
150名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:30:25 ID:D/kpTDMg0
>応神5世は否定されない
否定も肯定も出来ないというのが正しいけどな
151名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:44:02 ID:2qRawCul0
応神5世孫を否定しても、王朝交替を肯定したことにはならない
152名無しさん@七周年:2007/02/06(火) 23:52:43 ID:4SLcp6UB0
>>151
応神5世否定を認めたら、王統男系継承はつぶれるのでは?
153名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 02:21:32 ID:L6Y6274b0
お前らくだらないネタを日がな一日。
今日も本気出さなかったんだろ?どーすんのよ。
今日はもう寝て、明日はハローワーク行かなきゃだぞ。
154名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 02:40:19 ID:JA+ILfOa0
津田左右吉の亡霊がうじゃうじゃ。
155名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 03:18:11 ID:4YwonNku0
歴史学者と教育学者は、取りあえず絶滅すべきだな。
有害無益。
156名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 08:12:18 ID:FJqEf5Dq0
>>73
某御所に
157やきにく:2007/02/07(水) 13:05:00 ID:nzZlDudfO
>>154
同郷なんです。
158名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 13:59:44 ID:Z+s9kXHN0
>>148
両者の生没年を考えると、親子であるとは説明がつかないだろ。

何ヶ月妊娠していたのよ?
159名無しさん@七周年:2007/02/07(水) 14:40:09 ID:6+f0SCJDO
>>158
そんなの半分神話なんだから医学的常識として否定するのは
おかしいと思うけどw 例えばほぼ実在したと思われる仁徳天皇は
120歳生きたけど、その医学的常識のみで実在を否定するの?
160名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 00:35:15 ID:mnUToWcc0
今ざっと調べてみたら仁徳あたりまで百数十歳がゴロゴロしてんのなw

医学的と言うより常識で考えて嘘八百だなwww

仮に実在とその系譜に間違いが無いとしても
他の王の存在や王位の空白期間があったと言う事か…


161名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 00:49:33 ID:OrrrS6Zz0
>>160
始まりが紀元前660年ごろってのが無謀。
畿内にヤマトの王権が立ったのは、紀元後300年ごろ。
そのころに神武(九州から畿内にやってきた人)がいたとすると、
在位年数はみな10年ちょっとくらいになって自然。

始まりを実際より古くした理由は、いろいろな説がある。

そもそも年代がよくわからないから、
600年に一度回ってくる縁起の良い干支から始めたとか、
中国に対して見栄を張るためとか。
日ユ同祖の観点でも何か説があったはず。
162名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 00:57:15 ID:OrrrS6Zz0
始まりを実際より古くしたから、つじつまを合わせるために
昔の人の在位年数と寿命を長く設定せざるをえなくなったってことね。

中国の歴史書との関係もおかしなことになっている。

卑弥呼やトヨが鏡をもらったのは3世紀の話で、
神武(と後に呼ばれる九州人)以前の話。

しかし、年代を昔に延ばしたせいで、
卑弥呼がいたころには大和朝廷がなくてはならないことになってしまった。

んで、神功皇后のストーリーがあるって訳。
163名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 01:20:06 ID:OrrrS6Zz0
このように神功皇后のストーリーは、
魏志倭人伝との整合性をとるためにあるのだが、
ここで興味深いことが1つある。

神功皇后は九州に出征しているのが常だった。
魏志倭人伝との整合性をとるために
魏から鏡を受け取る女性を『3世紀の九州』におく必要がある
と記紀の作者は考えていたということだ。

畿内ではなく。
164名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 03:40:53 ID:gfovfJHAO
>>161
実在とされるのは祟神からだけど
祟神は3世紀〜4世紀前期。一部に2世紀後期。が通説。
中国の文献にも卑弥呼以前にも倭の王とされる記述はあるし
スメラミコトの数だって実際は記述より多いかもしれない。今ですら明治の時に歴代天皇数を書き替えたくらいだし。
中国依存の学説では紀元前1世紀〜紀元一世紀後半までの先祖がモデルらしいね。
165やきにく:2007/02/08(木) 12:16:11 ID:rzpGahARO
オンタイムな史料がない時期の真偽を問うのは不毛ですよ。

神話は諸部族伝承の集合体という側面もありますから。
166名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:18:28 ID:MAJjIe2s0
>>164
上で「神武」と書いたのは特に意味はなくて、
大和朝廷につながる畿内の覇者の1号ってこと。

その人の名前が祟神だと思うなら、
上の文章は祟神に置き換えてよんでね。

誰が覇者であろうと、その次期は、
300年前後(3世紀末から4世紀前半)なんだよ。

祟神初代説は1つの有力説かもしれないが、
ただの1つの説にすぎないと思っているけどね。
167名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:28:09 ID:9MF9kgAr0
>>166
まあ、それも1つの説に過ぎないってことだよね。
真実は謎のまま・・・。

の方が面白くっていいかも。
168名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:54:04 ID:krBPnZg/0
1500年証明できればいいじゃないの
イギリス王室は250年前はただの貴族だし
オランダ王室は200年前は町人だし
169名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 12:56:02 ID:Fi7KnjJQ0
継体以前は藤原不比等の創作だろ、どう考えても。
170名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 13:01:42 ID:noniBNhP0
>>169
その「創作」の元になった伝承のあった可能性は?
それともまったく空想のファンタジー小説?

やっぱり古墳を片っ端から調査するしかないか。
でも「一族の末裔」が今もいるのに「先祖の墓」を
あばくのもねえ・・・。
171名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 13:03:05 ID:ihCgGI4S0
フジワラのアンブレラ!
172名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 13:28:15 ID:99e8/xf50
オランダは博多商人とか近江商人とかのトップが王様なったようなもん?
173名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 16:13:08 ID:krBPnZg/0
>>172
近江商人に近いかも
174名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 19:07:24 ID:nwt76xb00
175名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 21:17:55 ID:TxPFOxXY0


高円宮承子さまの驚天日記
http://www.youtube.com/watch?v=2YrL2kvcIB0


176名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 22:57:33 ID:jFdOvszP0
神話レベルの子孫が国の象徴ってのも、すごいな。
継体以前はわからないといっても、もうその辺はコーランや聖書と同じで、
アリエナスだけど信じていいやの世界だよな。
177名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 23:30:16 ID:zF/HQ8Cr0
>>176
史実レベルでも1500年だからな。ムハンマドの末裔が現在も
イスラムの宗教指導者として存在してるようなもんかね?
で、ムハンマドに至る系図としてアブラハムだのモーセだのがいて、
アダムまで行き着くと(アダムは神じゃないけど)。
178名無しさん@七周年:2007/02/08(木) 23:56:17 ID:wYQPXJZr0
厳かな雰囲気に包まれた日本の議場、壇上に立つは軍服に身を包み
原稿を手にする一人の紳士。その面前には百人超の議員達、実に恭しく
敬礼している。
が、次の瞬間議員たちの間にどよめきが起こる。というのも壇上の紳士が
にわかに原稿をくるくる丸めると、望遠鏡のようにそれを覗き込みながら、
辺りを見回し、へらへらとしまりのない笑みを浮かべているのである・・・

お分かりであろうが、この紳士とは大正天皇その人であり、彼は天皇の
業務をおよそこなし得ない白痴であった。この逸話は、皇室に関する醜聞
がタブーとされる日本において陰ながら語り継がれてきた。

斯様な彼の知的障害は、遺伝性のものであり、明治期以前の歴代天皇家
の近親相姦が原因であった。かつて天皇はごく一部の血縁ある公家としか
通婚せず、その血はおのずと濃くなっていった。

こんにちにも、現天皇のいとこもまた軽い知的障害があり、先日の皇太子妃
雅子の流産も、胎児に身体または知能に障害があったために秘密裏に人口
中絶したのではないかと、まことしやかに囁かれているのも事実である。
179名無しさん@七周年:2007/02/09(金) 00:00:33 ID:BuVEKHQx0
今城塚は入り放題なのに茨木の偽物の方は柵で囲って
中の堀に水も張ってあるあほらしさ
180名無しさん@七周年:2007/02/09(金) 00:04:35 ID:Cq7JdclcO
>>176
いや、通説では祟神までは系譜で認めてる。から祟神以降と言わないと、
>>149の上田教授じゃないけど、祟神か天智かの二者択一なら分かるけど、継承ってのは根拠が無い。理由は他のにも採用できるから。

>>116>>112も参考にしてみて。   
181名無しさん@七周年:2007/02/09(金) 00:09:52 ID:Cq7JdclcO
継承×
継体〇
182名無しさん@七周年
海行かば 水漬く屍  山行かば 草生す屍
大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ