【新潟】河井継之助記念館オープン 俳優、中村勘三郎さんも駆けつける 31日まで無料開放…長岡
1 :
依頼208@試されるだいちっちφ ★:
★河井継之助記念館オープン 31日まで無料開放
司馬遼太郎の小説「峠」の主人公で、幕末長岡藩の家老だった河井継之助の足跡を紹介する
「河井継之助記念館」が27日、かつて邸宅があった長岡市長町にオープンした。
記念のテープカットには、継之助の大ファンで、昨年暮れのテレビドラマで継之助を演じた歌舞伎
俳優、中村勘三郎さんも駆けつけ、森民夫市長、旧長岡藩主牧野家17代目当主の牧野忠昌さん
らとともにハサミを入れて開館を祝った。
長岡市は、市制100年に合わせ2億4000万円をかけて邸宅跡地を買収。住宅を改修した記念館
には継之助が西国遊歴につけた旅日記の塵壺の原本や愛用の軍扇、ガトリング砲の原寸大模型、
各種の年表から地図まで32点が展示されている。
森市長は「河井継之助に対してはいろいろの議論あったが、記念館が完成して胸のつかえがとれ
た」とあいさつ。中村勘三郎さんは「継之助ファンとしてすごくうれしい」と話し、ガトリング砲の原寸大
模型に触れ「テレビはこれでやりたかったね」と感心しきりだった。
この日は北越銀行(野崎国昭頭取)から寄贈された継之助の直筆の書簡38通の一部も記念館に
展示された。記念館は31日まで無料開放される。年明けは1月5日から開館する。大人200円。
産経新聞 (2006/12/28 04:30) ※電話番号略
http://www.sankei.co.jp/chiho/niigata/061228/ngt061228001.htm 関連リンク:長岡市 河井継之助記念館
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/nagaoka3/bunka/tsuginosukekinenkan.html
2 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:06:04 ID:CQGJEO1u0
2w
3 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:08:35 ID:Ma3K3u8P0
だれ?
4 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:10:21 ID:4IMALEx6O
峠って大河でやったっけ?
ラストが悲惨だけど、やってくんないかな
司馬遼太郎の「峠」は名作
6 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:11:17 ID:4hEWMAQc0
司馬遼太郎の名作「峠」か・・・
7 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:12:31 ID:XoSQsUQHO
ガトリング家老
8 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2006/12/28(木) 12:19:34 ID:n99tNKPr0
>>4 大河ドラマ「花神」の後半に、「峠」のエピソードも使われている。
継之助は高橋英樹。村田蔵六は中村梅之助。
9 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:20:22 ID:4hEWMAQc0
慈眼寺で河井と会談したのが、岩村じゃなかったら、長岡の歴史は
変わっていたかもしれないね。
10 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:20:50 ID:hArb9PsR0
河井さんのやった事って、ほんとに偉いことなの
反省材料にはなっても手本にはならんようなきがするが
維新の動乱の最中、官軍にも幕軍にもつかず、
長岡をスイス並の武装中立国家たらしめようとした
と言うか、実際に独立させちゃった男だよな。
独立しちゃった時点で官軍にしてみれば敵でしかない訳で
幕軍と十把一絡げにされちゃったけど。
>>4 ジャニタレ主演の平和主義ホームドラマになりそうだな
13 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:48:09 ID:TNnf1jZm0
ガトリン・・・先に言われたorz
前にドラマで阿部寛が継之助役でやってた。
14 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 12:48:30 ID:N7bk8pMT0
長岡藩の辛酸を舐めるような苦労は、この河井継之助の決断以降に始まる。
小林虎三郎の「米百俵」のはなしも、長岡藩の苦労の中から生まれたもんだよな。
現実を見据えた指導者を持たないと、悲惨な結果がついてくるという教訓のような指導者だね。
彼が「ガトリング砲を使ってみたかった」って分析は正しいと思う
16 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 14:38:18 ID:1hkyZgQy0
>>11 幕末維新ゲームの終盤にああもう楽勝だわ、と攻め込んだ最強軍団を半壊させられ
泣きながらリセットするもバックアップが無く
結局、一からやり直させる漢
浅田真央似の人?
18 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:22:29 ID:H719rnpp0
女房のすがさんは、北越戦争の後が大変だったらしいな。
19 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:23:21 ID:38u1VCo20
会津塩沢だったかな。
駅のそばに記念館があるよね。
継之助終焉の地。
21 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:27:14 ID:Ubdh1tah0
高橋英樹を呼べよ
22 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:29:55 ID:2YJv4OPe0
23 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:33:31 ID:PE5aiG/S0
幕末の長岡藩士ということで小林虎三郎(米百表)とどっちがメジャー?
24 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:35:57 ID:yGNBgFiJ0
圧倒的に河井継之助の方が有名だろ。
25 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:36:12 ID:IGhvVJyQ0
あの当時の情勢が小藩の武装中立なぞという
勝手な行動を許容できるはずがなかった
あれでは官軍に対して反旗を翻したのも同然
その結果長岡の町は戦乱に巻き込まれ住人が犠牲になった
>>14 >小林虎三郎の「米百俵」のはなしも、長岡藩の苦労の中から生まれたもんだよな。
大きな声では言えないが「米百俵」は、創作なんだけどね
文献調べても出てこないんだわ
そんで、それが判るとマズイってことで古文書は、長岡市が封印してますw
まあ、「米百俵」に良く似た事はあったみたいだけどね。でも、河井継之助はソレとは無関係だしw
27 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:40:15 ID:+abW2BU80
去年、中村勘三郎がやってた河井継之介で、官軍の将校と河井が会談持つ場面で
竹内と離婚した歌舞伎俳優の将校役はまりすぎ。
28 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:40:59 ID:WtZmCoog0
死後は長岡の町人たちから墓を鞭打たれてひどく憎まれたらしいな。
29 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:42:02 ID:titqB7K70
>>26 小泉は創作だと分かっていて米百俵の話を所信表明演説で引用したのか?
>>29 小泉が創作だとわかるわけないじゃんw
一応、事実ということで通ってるわけだから
知ってるのは地元の歴史愛好家とか古文書の研究者だけだし
あっ市長と一部の職員は知ってるだろうなw
31 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 15:54:40 ID:4hEWMAQc0
長岡に山本五十六記念館もあるんだな。
32 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:03:43 ID:PE5aiG/S0
河井継之助とともに北越戊辰戦争の責任とらされて処罰された山本帯刀の家は断絶となった。
明治になり、元藩主牧野家の肝いりで再興された山本家を継いだのが山本五十六(旧姓高野)だと
きいたんだが、河井家は断絶されたままだったのか?
確か再興しとったような。
36 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:43:00 ID:yGNBgFiJ0
新発田が裏切らなけりゃ勝てたのにな。
37 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:45:10 ID:2OVoKDCx0
38 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:51:45 ID:27zCXJfn0
小栗上野介の記念館もきぼんぬ。
記念館のキャラは小栗かずまたに描かせよう。
39 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:54:23 ID:yGNBgFiJ0
40 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:54:44 ID:QyA9isKGO
可愛い可愛いと今朝まで思い
41 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:56:34 ID:3l4qgFnV0
越後長岡藩を欧州の永世中立国瑞西に倣って日本の中立国となすべし!
42 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 16:57:37 ID:27zCXJfn0
>>39 おお、サンクスコ。
あとは子孫の漫画家にキャラを描かせるだけだ!
43 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 17:04:31 ID:F2Nt3GF20
>>26 戯曲のようなやりとりは創作だって判ってるけど、
送られた米で学校を建てたのは本当なんじゃないの?
ちなみに、あの逸話って、「長岡を灰にしたのは世の中の流れを読むことの出来る人材がいなかったからだ。」
ということで、援助を食う物じゃなく教育につぎ込んで人材を育てようとしたって所がミソなんだよね。
小泉首相はその辺全然理解していなかった。ただ、「苦しいときにみんなで耐えましょう」という意味くらいにしか
使っていなかった。
44 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 17:31:17 ID:yGNBgFiJ0
45 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 17:46:48 ID:2YJv4OPe0
日本史板の河井は過疎っているが
彼にはそんなに魅力がないのだろうか。
46 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 18:14:30 ID:iXJgFipo0
>>10>>14 山県有朋は河合継之助という人物を認めていて会談を決裂させた岩村を足蹴にしているし、
黒田清隆に至っては自ら再会談を申し込む手紙をしたためたほど
それもかなわずに開戦するや否や「急病」になって陣屋に篭り切りになる
武装永世中立論は絵空事かも知れないが、もっと違う展開が期待できたのは明らか
交渉相手に暴走族上がりのDQNが来て勝手に喧嘩売られて買わざるをえなくなったというのがホントのところ
47 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 18:23:16 ID:BIUCOkm40
岩村高俊は地元の宿毛では「岩村男爵」と呼ばていて、勤王の英雄。
他に歴史上の人物を排出していないから、当然といえば当然なんだが。
48 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 18:51:53 ID:EoQm9Qh+O
喪前ら
河井継之助は、高禄の無能管理職の給料を削り下級藩士の給料をあげた、、いまの格差社会と正反対の改革者だぞ
経済にも明るく、裁判でも凄腕だぞ
彼が生きて、明治を指導していたら
きっと韓国なんぞ併合はなかった
あ、俺んちの近くじゃん。てか同じ町内だ。しらんかった。
50 :
婆:2006/12/28(木) 19:41:05 ID:NYNWqdCq0
>>43 ハイブ長岡だっけか、なんか長岡市の施設の庭に、
米俵の前で血管切れそうになりながら議論してる人たちの像が
おいてある。それ見て俺はマジ話だと信じてたぞ。
>>46 すげー人だよな。
たいていの藩は日和見を決め込んだり、しがらみで渋々やってたりした
ときに、「どっちにもつかん!」と宣言するってカコイイ。
河井継之助ってあれだろ?
「おまえら長州者とは根性がちがうのだ、この腰ぬけめがッ!藩のためなら、足の二本や三本かんたんにくれてやるわーーーッ!!」
「う…うろたえるんじゃあないッ!長岡藩士はうろたえないッ!」
とか言って腹の中からガトリング砲でも出してきた人だろ?
53 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 23:08:28 ID:vj5QJsRN0
河井は英傑だけど、河井を生み、取立て、その政策を受け入れた長岡藩の藩風にも光を当てて欲しい。
長岡藩牧野家の「牛久保の壁書」
一、常在戦場の四文字
一、弓矢御法といふ事
一、礼儀廉恥といふ事
一、武家の礼儀作法(略)
一、貧は士の常といふ事
一、士の風俗方外聞に係るといふ事
一、百姓に似るとも、町人に似るなといふ事
一、進退ならぬといふ事
一、鼻は欠くとも、義理は欠くなといふ事
一、腰は立たずとも一分は立てよといふ事
一、武士の義理、士の一分は立てよといふ事
一、士の魂は清水で洗えといふ事
一、士の魂は陰ひなたなきものといふ事
一、士の切目、折目といふ事
一、何事にても根本といふ事
一、日陰奉公といふ事
一、荷なき奉公といふ事
一、親類は親しみ、朋友は交わり、傍輩中は附き合ふといふ事、また一町の交わり、他町の附き合いといふ事
54 :
名無しさん@七周年:2006/12/28(木) 23:34:45 ID:sfHIRNvU0
長岡藩が会津藩くらい大きな藩だったら、勝負は分からなかっただろう。
「英雄児」の最後で「この男には藩が小さすぎたのだ」と
話す人物が出てくるが、まあその通りだろう。
河井が戦死よりも山本帯刀の斬首ほうが悲しいな。
56 :
婆:2006/12/28(木) 23:58:53 ID:NYNWqdCq0
>>53 >一、鼻は欠くとも、義理は欠くなといふ事
>一、腰は立たずとも一分は立てよといふ事
書いた人は真剣なんだと思うけど、なんかワロタ。
義理や武士の一分が大事だというのはわかるが、鼻や腰は関係ないだろとw
>>54 河井が本当にスイスを手本にしたのかどうか知らないけど、
冬になると雪に閉ざされる峠の奥の小藩だからこそ、
重武装の中立という発想に至った気もするな。
57 :
名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 00:09:28 ID:DnH7F6NO0
>>54 会津は人材が居たから・・・・・
それより大藩の仙台藩に河井が居れば、すごい事になったろうな。
仙台藩は人材が居なかった。
58 :
名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 00:23:32 ID:b+GkObD90
59 :
名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 00:25:08 ID:jJr22YZB0
>>57 「伊達」という慣用句を悪い意味で定着させるには余りあるぐらいの末期だったね
まあお家騒動起こして一度はつぶれかけた所だからねぇ…
60 :
名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 00:45:34 ID:SioYQsgv0
>>56 >河井が本当にスイスを手本にしたのかどうか知らないけど
河井がガトリング砲を買ったスネルはスイス総領事書記官でもあった。
61 :
婆:2006/12/29(金) 11:55:46 ID:dLPWps1l0
亀ですまんが。
>>60 なるほどなぁ。江戸時代の片田舎の藩の侍が、はるかヨーロッパの
永世中立国を手本にしようとしたとか、なんかすげー感動する。
坂本竜馬がアメリカ議会制度に憧れてたとか、高杉晋作は
上海の惨状を知ってて、馬関戦争処理で租借地だけは阻止したとか、
なんかみんな偉いよな。いや、これらの真偽もよー知らんけど。
62 :
名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 19:28:47 ID:GuaLaDUg0
63 :
名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 20:51:23 ID:bZp+RYrH0
行きたい・・・
64 :
名無しさん@七周年:2006/12/29(金) 20:56:56 ID:jQwqeEbl0
>>25 というか、長岡藩は本当は幕府に付きたかったが、準備の時間が
欲しかったので、とりあえず武装中立ということで時間稼ぎを図った
んじゃなかったかな。
どちらにせよ、官軍にとっては敵でしかない。
まじで日本からの独立を図った「蝦夷共和国」も、潰されたし。
こんなの出来たのね。
暇な時に行こう。
66 :
真・ソニック ◆vha3FDwXe6 :2006/12/29(金) 21:27:15 ID:YgMKBrVe0
長岡市では小林虎三郎の「米百票」は学校の授業でしっかり習うが
河合継之助と山本五十六と田中角栄は「存在」をサラっと教えてもらうだけ。
どっちも魅力のある人物だけど、藩や国を滅茶苦茶にしたのは違いないからなー
67 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 00:03:44 ID:f13xv92w0
わたしたちのまち長岡
68 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 00:23:12 ID:HqWzw6a20
17代目当主だとぉ!今頃のこのこ出てきて何調子に乗ってんの?
雪国の木造の生家を、ずっと雪おろしもせずホッタラかしていたくせにさ!
見るに見かねて隣の家の親戚がおろしてたんだよ(親に聞いた)
何度も市にもかけあったのに、長岡の没落をまねいた人物だからって、何もしなかったらしい。
何か腹の立つニュースだ。
父と見に行ってこよう。
69 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 00:25:53 ID:NWq9fzCI0
70 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 00:26:57 ID:HqWzw6a20
×隣の家の親戚
○隣の、私の親戚
ガットリング砲か
72 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 00:31:15 ID:GFYLsVyq0
リンかけの「越後長岡の河井武」ってこいつがモデルなんだな
73 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 00:31:34 ID:HqWzw6a20
あ、牧野か。
腹立ってて間違った。牧野さん、ごめんなさい。
多分、遠いうちの親戚だ。。
75 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 00:36:03 ID:/wInTkJ90
河井継之助って遊郭(吉原)でめちゃくちゃ遊んだクセして藩主になった途端遊郭を禁止したらしい
>>53 長岡つながりで山本五十六の「男の修行」もいい言葉だね。
77 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 01:08:42 ID:/oo4Z3c5O
桑名藩の立見尚文は生き残って大活躍したんだから、河井や山本帯刀も生きていたら
長州や薩摩、水戸は内ゲバで滓ばかりが残ったしなあ
て、薩摩長州ってさ
日本赤軍より悪辣なテロリストだろ
祇園や島原で豪遊するために商家襲ってるし
78 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 08:20:38 ID:f13xv92w0
>>66 だからおまいら勉強しろよ、って意味だったりして。
>>76 俺も自分を律する支えになるからこの言葉は好きだよ。
だからこそ、全体主義思想や愛国心という言葉と同様に、為政者が曲解して
下々に押し付けることでいいように使おうとするのは許せない。
> 苦しいこともあるだろう
> 言い度いこともあるだろう
> 不満なこともあるだろう
> 腹の立つこともあるだろう
> 泣き度いこともあるだろう
>
> これらをじっとこらえてゆくのが
> 男の修行である
少し補足すると、例えばある会社の社長が持論として
「これが私の座右の銘です」と言うのはいいと思うが、
業績のいい会社で高給を受けている社長が
時給700円サービス残業漬けのアルバイトに向かって
「だから薄給激務でもこらえろ。それが男だ」と
持ってくのはおかしいと思う。
81 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 10:40:46 ID:DyKMG+zU0
不良品のガトリング機関砲を買ってしまった人ね。いざという時に、機関砲は
沈黙したままだったし、撃てたとしても、城の上から眼下を見下ろす形の布陣
だから、得意の水平射撃もできない。
今で言えば、対地攻撃用装備がなくて、しかも飛行不能なF-22で地上の敵を
迎え撃とうとしたようなものか。
82 :
名無しさん@七周年:2006/12/30(土) 18:44:10 ID:f13xv92w0
河井「ガトリング宰相」継之助
>>45 昔、厨房といってよいほどの河井オタが暴れてたから放置されてんじゃねぇ?
85 :
名無しさん@七周年:2006/12/31(日) 17:45:04 ID:2vaF7v670
86 :
名無しさん@七周年:2006/12/31(日) 17:49:18 ID:uG0PNTP90
ガトリング銃に30_劣化ウラン弾を装備してたら長岡は勝ってた。
87 :
名無しさん@七周年:2006/12/31(日) 21:47:25 ID:2vaF7v670
またwakwakか!
89 :
名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 10:43:44 ID:ngOk6twF0
90 :
名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 10:49:50 ID:bK9SMWAN0
河井継之助は地元じゃ恨まれてたんじゃないの?
こいつのせいで家族は殺され、妻や娘は官軍に強姦され放題になったろ。
91 :
名無しさん@七周年:2007/01/01(月) 16:52:42 ID:ngOk6twF0
>>75 藩主にはなっていない。
>>90 だからこそ、意見が統一出来ないで地元なのにろくに資料館も無かった。
前に住んでた人も否定的だったんじゃないのかな。
前から石碑こそあったけど、矢鱈と分り辛かったもの。
tes
>>86 核兵器持ってたら勝てたって言ってるようなモンだろ。
95 :
名無しさん@七周年:2007/01/02(火) 20:56:55 ID:ZJ+3vOam0
96 :
名無しさん@七周年:2007/01/02(火) 21:13:23 ID:qotOtZeL0
「峠」の最後は感動的だよな。
去年勘三郎がやったドラマはあまりにもクソ過ぎて見るに耐えなかった。
あんなクソドラマに仕立てておいてよくもまあ顔を出せたもんだと思う。
97 :
名無しさん@七周年:2007/01/02(火) 21:36:46 ID:29UX+XFH0
「雪を抱いた独立峰」とも言うべき傑作
なんでこの傑作がNHK大河にならないのか謎
継サ役はあらゆる意味で渡辺謙がイメージだが、あそこまで大物になったらまず不可能だな。
阿部ちゃんでもまあ妥協できる
とにかく『眼力』があり、かつ色気のある俳優でなければ不可能な大役
>>97 歌神の何割かは「峠」からのエピソードだった。
例のガトリング連射シーンは神映像だった。
チョンドラマなんかやらずに、こういうのを再放送しろと言いたい。
99 :
名無しさん@七周年:2007/01/02(火) 22:11:14 ID:29UX+XFH0
会津の、五段梯子の旗を戦場にばら撒いて「長岡は会津のお仲間でつよw」アピール作戦は結構汚くないか?
100 :
婆:2007/01/03(水) 00:32:21 ID:fL1c44Gw0
>>98 大河の「花神」は、「花神」と「世に棲む日々」と「峠」のミックスだったよな。
中村雅俊の高杉晋作カコヨカッタ。いや、スレとは関係ないけどw
>>100 うんうん。豆腐好きの遠山の金さん役の人(中村梅の助?)の村田蔵六、
浅丘ルリ子のイネさんも良かったね。
103 :
婆:2007/01/03(水) 00:59:50 ID:fL1c44Gw0
>>101 うみゅうみゅ。
別れのときにイネさんが蔵六にシャボンで髪洗ってあげるの。
んで、蔵六が「目に入って痛い」というと、イネさんが「痛くていいんですっ ><」とか言うの。
そのころ俺はガキだったけど、なんかイネさんの気持ちがわかって切なかった。
あと紺野美沙子の おうのさんもアンニュイでよろし。
>>102 150位でしょ。当時でどうかは分らないけど、今なら立派な小柄だね。
そこで俺は竹中直人を推しときます。
105 :
名無しさん@七周年:2007/01/03(水) 20:04:12 ID:pQMB5iDz0
>>61 そして、白河政府や函館政府は万国公法(戦時国際法)を盾にとって戦おうとした。
函館政府は国際的に「交戦団体」として認められ、日本は国際的に内戦に突入した。
が、東北独立戦争(戊辰戦争)に続いて北海道の独立戦争も潰した明治政府は
これを無かったことにするために奔走した。
106 :
名無しさん@七周年:2007/01/03(水) 23:32:01 ID:/pk6b6Up0
107 :
名無しさん@七周年:2007/01/03(水) 23:40:28 ID:QlKOYL2B0
>>105 君じゃないの? 日本史板の河井スレを潰した粘着厨房は。
東北諸藩も榎本も、薩長政府に敵対してはいても、日本からの独立は考えていませんでしたよ。
108 :
名無しさん@七周年:2007/01/04(木) 02:06:46 ID:o/yKZezk0
109 :
名無しさん@七周年:2007/01/04(木) 02:08:01 ID:kgR6012z0
えーっ。地元は彼をずっとスケープゴートにしてきたじゃん。
何を今更。
110 :
名無しさん@七周年:2007/01/04(木) 02:09:55 ID:QF9yhpQ4O
河合は明治維新にいなくてもよかった。
唯一の功績は立見尚文の能力を測れたこと。
>>56 長岡は山に閉ざされたところじゃないですよ。
112 :
名無しさん@七周年:2007/01/04(木) 02:12:01 ID:o/yKZezk0
河井より小林虎三郎記念館作れや
113 :
名無しさん@七周年:2007/01/04(木) 03:14:38 ID:BHHHRJKu0
去年のドラマは期待はずれだったね。
新撰組とか坂本竜馬しか知らない人たちに、継之助や五稜郭での中島親子のカッコよさを
宣伝したいと常に思ってる佐幕派の私でも、HDに録画したドラマをすぐに消してしまった。
あとで「見たかったけど見逃した・・・」といった人が身近に2人いたんだけど
「見なくて正解!」と、録画を消したことを後悔しなかった。
この記念館も去年のドラマみたいに期待はずれにならないことを心から祈る。
ちょっと行ってみたいけど、休みがいっぱいとれるなら記念館より
八十里の峠を自分で歩いてみたいな。
114 :
名無しさん@七周年:2007/01/04(木) 09:40:35 ID:GVzBV7Af0
こいつと、こいと同じ長岡出身で、連合艦隊司令長官辞任を盾に帝國海軍
軍令部を脅し、真珠湾奇襲を強行に主張して実現させた博打好きの低能国賊
山本五十六とともに、かのドイツ参謀本部・モルトケ将軍が最も嫌ったという
「意欲あるバカ」の典型。河合・山本、長岡出身の二人のこれらの下司野郎
ともども亡国の国賊野郎を排出した亡国の街w。
115 :
名無しさん@七周年:2007/01/04(木) 11:55:43 ID:o/yKZezk0
116 :
名無しさん@七周年:
尊王とか公議で始めると、コイツの説得が
なかなか厄介だったりする実力者
佐幕だとプレイヤー要人にも選べる(16ビット版)
ちょうど今桂小五郎でやってるんだが、何故か
河井継之助が執拗に説得に来て難渋した
そんな彼も今や100%倒幕派の同志要人です