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>>1,4のつづき)
悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、「普段は、名前を言わないんですが、あの集会では
ついフルネームで言ってしまいました。(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、
乗せられてしまいました。京都では、僕が皇后で永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。
これを(市民)運動としてやってるつもりはないし、面白いと思うことをやっているつもりです」
お笑い芸人としてタブーに挑戦する─石倉氏は腹を据えて演じているらしい。
一方、佐高氏の反応は全く違う。「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。
皇室の中傷などではありません。それは受け取る側の見方ですから。そんなこと言うなら核議論と
同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」
永六輔氏は「僕はあの日、車が渋滞して遅れ到着したんです。だから、そのコント自体、見ても
いないし、全然わからないですよ。『週刊金曜日』に聞いてくださいな」と、知らぬ存ぜぬだ。
矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して梨の礫だ。
永氏は、かつて、童謡『七つの子』など野口雨情の名作を根拠なく「強制連行された朝鮮人の歌」と
言ってのけ、関係者を激怒させた“前科”がある。
その関係者の一人、作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。
「まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。自分に置き換えて考えて
みればいい。孫が猿のぬいぐるみにされて放り投げられたり、病気のことを揶揄されたり。人権意識も
何もない。彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」
『週刊金曜日』北村編集長は、編集後記で集会の模様をこう記している。
<不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。永田町の住人に対する、
満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった>
※ソース:週刊新潮、12月7日号P.30-32(エマニエル坊や記者がテキスト化したものを一部略)
※前:
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