【歴史】真田幸村と十勇士、豊臣家の危機に大阪へはせ参じる…大阪城へ入城(写真)
1 :
諸君、私はニュースが好きだφ ★:
2 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:13:07 ID:+/2f1pMp0
2
3 :
2:2006/10/09(月) 20:13:18 ID:8mro0UW10
で?
上田市長には悪いんですが、
ずいぶん老けた十勇士ですね(・∀・)
5 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:13:43 ID:jKmeoQP40
そして朝鮮討伐へ
つーか上田からじゃなくて和歌山から
駆け込んだんじゃなかったっけ。
十勇士って作り話でしょ
8 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:14:38 ID:H0lX/qHT0
あのときの豊臣板は「幸村キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!」で1000とかいってたなぁ。
9 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:15:20 ID:+ZZpMJMm0
真田幸村が長野の武士だって初めて知ったわ
10 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:15:52 ID:0dTMRGUV0
また豊臣秀吉が立候補したのか
見苦しい。
九度山に居た時の方が有名になってる信繁て・・・
14 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:16:56 ID:BK7hZXxO0
一般の人たちって武士のかっこうさせると格好悪いんだねー。
俳優なんかとは違うねやっぱ。
15 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:17:41 ID:masIwdf+0
うえとあやに殺されるのか
16 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:18:01 ID:IYsxyjJ+0
昔と大阪城の場所って違うんだよな、確か
草刈正雄じゃないのか。
18 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:18:43 ID:n9TkLqPlO
真田アサミは末裔なんだっけ
19 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:19:28 ID:+/2f1pMp0
遥くららは居ないのか?
真田の軍勢って全身赤甲冑じゃなかったけか。
とか、
六文銭の旗印が小さいぞ(#゚Д゚)ゴルァ
とか、色々突っ込みどころはありそーな予感。
21 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:21:14 ID:0BFLqsg/O
羽柴誠三秀吉?
22 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:22:06 ID:LNV54Ypt0
大阪城の場所は変わらないはずだが、徳川が豊臣の威光を消すために、
石垣まで全て豊臣の大阪城をすっぽり覆うようにして造り直したと聞いた。
天守閣の位置は変わってるかもしれない。
23 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:22:51 ID:UJ67FS+60
兜が六文銭の立物じゃないなんて…
24 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:22:55 ID:7+GthSZ4O
源二郎も有名になったものよう。
平家みちよの予感!!
>>19 石橋蓮司のちんちんピンチキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
27 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:24:49 ID:mIgX36ch0
ああ、岡田有希子の兄さんか
蟄居の身で秀次の娘を側室にしたりと何やってたんだろうなぁ、このおっさん
29 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:25:15 ID:7+GthSZ4O
赤備えは豊臣秀頼の許可をもらった後から。
30 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:25:31 ID:OcxaZyfj0
真田山、六万体(戦死者が多く横たわっていたという)、
玉造、千日前(戦死者を弔う念仏が絶えなかったことから)
今に残る地名を見ると「本当に戦いがあったんだ」とシミジミ思う。
だからなんだと言われても困るけども。
31 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:26:58 ID:isuWdi2D0
MUSASHI?
32 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:27:24 ID:2Dt48YLY0
山伏に扮して大野修理の屋敷に単身やって来たときの話じゃないのか。
ゆぅぅきむらぁああああああああああああああああああああああああああああ
出張代何千万つこうたんや
今残ってる大阪城の石垣は江戸時代のものだな。
あれだけでもそこらの城跡より立派なんだが・・・やっぱ鉄筋コンクリとバカにされるんだよなぁ。
馳せ参じ仕り、早漏('A`)
37 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:31:24 ID:6TczlLid0
>>35下水道とか当時のもので、今も機能してるよね、あれはすごい
38 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:31:27 ID:kLe53/UF0
九度山からはせ参じた時は
信繁49歳。酸いも甘いもかみわけたおっさんだ。
39 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:31:31 ID:Ucl0FvCP0
ぬぉおおおおおやくぁたさむぅぁあああああああああああああああああああ
>>35 上田城の石垣も仙石の時代に復元されたらしいからな
その当時は徹底的に壊されたみたいだ
41 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:31:46 ID:G8KSaPV00
風雲真田幸村
42 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:32:36 ID:I1eikNOP0
昨日松代で真田祭りだったんだよな
真田行列に幸村もいたわけで
43 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:32:39 ID:OcxaZyfj0
門のあった石垣を破壊して道幅を広げたりするのは土建行政の一環
しょせん朝鮮自治共和国か。
45 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:38:50 ID:tsGLU0vI0
ジャイアンツの真田投手のスレはここですか?
46 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:41:09 ID:reGk1TYxO
47 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:42:01 ID:wDtR6xdB0
ねごろにんじゃの しゅうだんが
あらわれた!!
48 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:43:18 ID:kbNUEhOt0
これなんて戦国BASARA?
49 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:45:48 ID:C3o8fDns0
おやかたさぶぁああああああああああああああああああああああああああああああ
50 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:46:41 ID:mIgX36ch0
全て淀殿が悪い
51 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:48:05 ID:n9TkLqPlO
北大路欣也とその仲間たち(森田健作とか三浦浩一とか)
52 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:52:46 ID:2bM66iUgO
先祖代々、歴史は受け継がれていると、早く気が付かんか!なまくら子孫どもよ。
おまいらは、遥か昔、ロトより受け継いだ血潮を忘れたか!
53 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:53:44 ID:lcJQXnQm0
そこでデヴの秀頼が
55 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:57:23 ID:498CcUBx0
天下統一2以降、物知り顔で「幸村の本名は信繁なんだよねぇ」
と得意気に言う馬鹿が増えた
56 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:57:34 ID:GJEMpHtQ0
>>4 実際この当時としては
幸村はじいさんに近かった。
大正時代に生まれました>勇士
三好清海入道が好きです。彼実在の人物がモデル
59 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 20:59:43 ID:9WL56bdf0
>>1 何年前の話じゃ?
ニュー速が聞いてあきれるわ!
61 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:00:33 ID:V8N8zixP0
ほしのあきちゃん
62 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:01:00 ID:d0uHOr3R0
九度山には真田祭りがあります。
63 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:02:42 ID:9mqTBPQ/0
霧隠才蔵!こやつ、なかなかやるぞ!!
入道殿、頼む!
オンミチナリシメンソワカオンミチナリシメンソワカ
一人のサスケが二人のサスケ
三人四人 五人!六人!
うぉうぉうぉうぉ やぁ! 忍法
65 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:12:26 ID:IdYTa3AV0
真田家の煽りはガチ
66 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:15:18 ID:/pUN8PwyO
熱血猿飛佐助
67 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:16:12 ID:GbYePXr7O
太川陽介の猿飛佐助の最期は壮絶だったな。
内田朝雄の服部半蔵の目潰しで俄めくらになって怯えてるところに、西村晃の家康自ら手勢を率いて出張って来て、鉄砲と弓でこれでもかと撃たれて蜂の巣に。
頭も撃たれて大流血の末に死亡。
服に仕掛けた火薬だけでも痛そうだった。
川崎麻世の幸村や十勇士たちは、佐助を助けずに大坂入城の支度。
日テレの子供向け時代劇とはいえ、最終回は凄惨だった。
さすがにジェームス三木脚本。
68 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:24:17 ID:reGk1TYxO
六五四:淀君のマンコは臭い: 番:味い隔来一
秀頼は三成のガキ。
三成亡き後の淫乱淀君、今は大野治長と淫行三昧。
猿が死んでんのに、またデキちゃったらどう言い訳するんだろうねw
そういや秀吉も頭のてっぺんまで精子が詰まってたよなwwwwwwwwwww
七五五:明石全澄: 番:真は左田八
>>六五四
デマ乙。淀君はともかく太閤様への中傷は許せんな。
側室くらい持って当たり前だろ。子供が生まれないなら尚更だ。
ところで、徳川の秀忠なんかは鬼嫁が怖くて側室の一人も居ないらしいなw
七五六:淀君のマンコは臭い: 番:味い隔来一
>>七五五
死ねよボンクラ。引導渡してやるよ、マジ死ねカス
七六三:毛利勝永: 番:二早果繭五
>>七五六
おまえ秀忠だろ
69 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:32:59 ID:xxPlhoXe0
やはり大阪は歴史が古い
淀川は秀吉の時から淀川だったのか?
淀君は淀川から取ったのか?
71 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:36:14 ID:2OrF9vmU0
かっけー十蔵
あやまれ小助
もちつき六郎
うんこ六郎
ねずみ甚八
72 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:40:07 ID:H0lX/qHT0
73 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:40:36 ID:I2Zt4rOz0
ムッキー無職が↓
74 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:41:53 ID:6PnuQjR70
400年ばかり遅かったなw
よくいるんだよな。歴史上の人物になりたがる市長って。
76 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:45:15 ID:UVoZsgxU0
おれ根津甚八の子孫
77 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:54:47 ID:xxPlhoXe0
>>72 大阪は5世紀からすでに町が出来てたんだな。スゲーーーーーーーーー!
堂島や中之島って地名は5世紀から16世紀間も続いてるんだな
>昔の大阪市内・・・葦が生い茂った難波八十島・・・今もその名残
5〜7世紀の難波は、淀川が運んできた土砂により上町台地の北端が砂州になり
天満まで迫ってきた。更に下流を大きく埋め、淀川は蛸の足のように縦横に分流し
たため、大小の島が凸凹と出来た。それが難波八十島である。今でも大阪の地名に
八十島の名残として島の名が多く残っている。
中之島・堂島・福島・都島・蟹島(今の北浜)・難波島・九条島
・・・・佃島・姫島・大和田島・・・今では名前の消えたのも多い。
78 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:57:11 ID:q3OsPOjQO
馬。鹿。モタイ。
79 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 21:57:39 ID:UL3znJsm0
福島正則は忠義に欠ける武将
草刈のイメージ強すぎて....怖くてリンク先が見れません。
81 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 22:06:12 ID:arJ+0KbR0
スターウォーズ元ネタか・・・。
ハン・ソロ→服部半蔵
ルーク・スカイウォーカー→猿飛佐助
オビ・ワン→一番帯黒帯
C3PO&R2D2→凸凹侍
大阪城→デススター?
82 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 22:19:48 ID:U86okG1N0
十勇士とは、いかにもDQNなイベントだな。
ゆう子とゆきえの大河ドラマ
84 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 22:29:23 ID:B4i8cerO0
現地で見たが、豊臣秀頼が大阪市助役のおじさん。
ありえない・・・。
85 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 22:39:40 ID:b7fqZX0yO
真田広之は?
GUN道ネタキター
87 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 22:45:26 ID:uv0eXZCe0
/ |\ヽV //| ヽヽ
/ ├-、、Y/, -‐| l |
/ .i | ヽ/ |、 | |
| | | |l | |
| | / | | ! | |
| | / ノミ、、 { __」 | | |
/!. | / f元zミ、{.ゝ_ノ二| | | |
/.| レ' / ̄ニ`|.イ=┴| | | |
/ / / / | | ||
/ / / / ヽ _ | | | |
/ / / ∧ _ l | | l |
/ / / /! l\ ─‐---─ .∧! l!.| |
/ / .| /|| l ,.|\ ´ ̄` /ト! ヽ || ||
/〃./| |_||」/ | \ / { ヽ| ||||
/〃/_,| | ||/ /  ̄ / i| |. ||. ||
-─‐'"´ | | || | / | | || ̄` ー- 、
88 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 22:46:29 ID:UL3znJsm0
小山会議で福島正則が率先して家康に味方すると言わなければ、家康は西上
すらできなかったかも知れない
市長も大変だな、わざわざこれだけのために大阪まで
90 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 22:55:13 ID:489Sp4bZ0
監禁状態の九度山から、深夜にこっそり抜け出して、大阪へ入ったんだが
このふざけた写真はなんだ!
あと、真田左衛門助が本名で、幸村ってのは後世の人がつけたらしい
>>88 おまい随分気弱だな
過ぎた歴史に「れば」「知れない」を同時に使うなんてw
92 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:05:00 ID:V8N8zixP0
昨夜映画「あずみ」初めて観た。思ってたより良かった。
93 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:06:20 ID:+ZZpMJMm0
真田幸村も馳せ参じた時は爺さんだったのはわかってるが
やっぱ若い奴がよかった
大河功名が辻の秀吉の描写がひどすぎた点について
97 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:15:34 ID:XKl9Rj4cO
>>90 官位。しかも誤字。
本名は信繁。
釣りですか?
釣られたんですか?漏れ。
なんか知らんが一番好きな戦国武将だわ
たぶん名前が格好いいからだと思う
99 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:21:10 ID:h7jRDfvZO
さすが低学歴の多いにちゃんねる、歴史については疎いようですな
それでこそ京に御旗を立てるお方です!!
101 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:23:51 ID:l4zm59Vl0
>>8 で、秀頼出てコナス(´・ω・`)でみんながっかりしたよなあ
102 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:24:45 ID:jqlsfc570
もう信繁の過大評価はやめようぜ。すごいのは昌幸まで
103 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:26:43 ID:MxtkcU550
たしか、今の金で換算して、億単位の準備金もらったんでしょ。
104 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:27:52 ID:vnTfOjii0
眞田太平記は大好きだけど何故か十勇士は読む気せんな
105 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:28:56 ID:0Q3gqrhyO
>>94 朝鮮人どもに配慮して秀吉を2割増ひどく表現してみました
106 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:29:24 ID:UpzuN6Zn0
107 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:31:24 ID:LAJrKw7v0
大阪民国平定への道は遠い
108 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:32:03 ID:Os13KLFD0
真田幸村ってさ
おやかたさまぁぁぁぁぁぁぁぁ!!って言ってた奴だよね
俺は保志であのキャラはねーよとか思ってたよ
109 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:32:26 ID:MxtkcU550
圧倒的不利の中、立ち向かう。
福島みずほみたいじゃないか。応援しよう。
110 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:34:11 ID:NDxAA3Ze0
夢を壊すようなイベントはやめてほしい。
幸村入場時は山伏の姿だったとか・・
そもそも甲冑が時代はずれ
111 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:35:01 ID:1gUn5nHR0
真田一球と三球士
BGM代わりに三波豊和が裏で歌ってたりして
400年近く経過した今でも、これだけ名前が残ってれば勝ち組だな。
こいつだって実際勝てるとは思っていなかったと思うし…。
それにしても、草刈正雄の真田太平記が大河ドラマの中では一番面白かった。
114 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:46:20 ID:I+jVFOJ00
草刈正雄が自決するとき髪の毛邪魔で頸動脈に届かないじゃん、と突っ込んだ10歳の冬
>>113 つられてやる。 大河ドラマじゃないYo
116 :
名無しさん@七周年:2006/10/09(月) 23:58:45 ID:jRHuMc2t0
僅か300騎で、14万の大軍の中央を突破。
やっぱ忍者教育は必須です
梅雀の「真田真田真田」が忘れられん
119 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 00:37:50 ID:F7WMil9Y0
そういや丹波房州サマも逝っちゃったよね・・・・・
120 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 00:53:27 ID:4tu629ka0
121 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:18:15 ID:81SPfmGG0
どう見てもこいつら、人を斬れる顔じゃねぇよ
やめなよサムライごっこは
122 :
NHK:2006/10/10(火) 01:27:32 ID:OmZ/zu9V0
>>113 けっこう昔のだね。
10年前ぐらいに再放送をみた。
おもしろかった。
123 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:39:00 ID:n9oMpE1tO
>>29 武田の赤備えだから、元家臣は皆そうなのかと思ってた。
しかし西軍で後世まで力落とさずに続いたのって、前田ぐらいしかいないよな。
ファミコンの真田十勇士、微妙に面白かった覚えある
125 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:42:40 ID:OiDtgLswO
>>102 幸隆もカッコイイ。彼と、昌幸と信之が築いたものがあったから幸村は夏の陣まで頑張れたんだと思う。
126 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:44:22 ID:n9oMpE1tO
あ、前田は東軍か。
127 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:49:25 ID:e+T6z/G90
KOEIが裏で糸を引いてますね。
129 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:51:35 ID:23ulXtDw0
>>126 > あ、前田は東軍か
歴史を学べ
家を守るため親・兄弟(親族)で東西に別れ戦ったのは真田家だけではない
130 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:52:16 ID:pebwJEg5O
131 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:54:11 ID:DJtZHkzs0
>>126 前田が西軍についてたら
小早川の裏切りはなかったかもね。
132 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:54:17 ID:CIyf8vii0
こんなこともあろうかと堀を埋めておいた
133 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:56:05 ID:n9oMpE1tO
>>129 勉強不足ですまんね。随分歴史小説読んだんだけどな、忘れちまったよ。
134 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:56:32 ID:k4S8c4D+0
>>124 この間プレイした。
なんとも動きが緩慢だったから上田の城下でやめた。
サラダ十勇士とかいうアニメなかったか?
136 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:57:13 ID:DJtZHkzs0
秀頼に浅井長政ばりの胆力があれば…
137 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:57:28 ID:7zuTvHvd0
真田十勇士といえば、オレにとってはNHKの人形劇なのだが、
だれか主題歌を覚えているやつはいぬか。
あー、あー、われらはー、さなだーじゅうゆうしー、われらはさなだじゅーゆうしー
138 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:58:15 ID:fEkRAjQVO
おぅやかたさばぁぁぁ!!!
139 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 01:59:25 ID:n9oMpE1tO
>>131 小早川秀秋も迷ってたんだよなあ。
あれは家康にせっつかれたんだっけか。
140 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:00:49 ID:TtsUeO4n0
丹波哲郎も死んじまったしな。昌幸役はハマってた
141 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:05:13 ID:NP07d5bC0
真田家って関ヶ原の合戦の時お家を残すために2分して戦ったんだっけ?
勝った方が兵を数えなおしたら増えていたw
143 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:09:10 ID:TtsUeO4n0
黒田も親子で別れてたっけな。明確に西軍ってわけでもなかったが
144 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:09:25 ID:8mBW5SVJO
東西に別れたのは他に黒田と鍋島だっけ。官兵衛はあわよくば九州統一を計り、直茂は家康に金を送った。
145 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:12:41 ID:J4vRO7zQ0
146 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:14:44 ID:23ulXtDw0
>>140 > 丹波哲郎も死んじまったしな。昌幸役はハマってた
これは、どんなドラマや映画の話
そういえば
今、昌幸・幸村を演じてもらいたい役者って思いつかないな・・・
幸村役はオダギリ・ジョーみたいな感じで、更にセンがオダギリよも2倍ぐらい太い感じ
147 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:15:16 ID:IXPkJUbz0
宮本武蔵も西軍についたばっかりに・・・・・・
148 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:15:18 ID:8mBW5SVJO
後、一番凄いのが立花宗茂。西軍に属し所領を没収されるもその能力と真っすぐな性格から結局殆どの所領を帰してもらう。最終的に天草の乱討伐にも参加したんだっけ。
149 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:20:37 ID:TtsUeO4n0
>>148 NHKの水曜時代劇でやってた真田太平記。上でさんざん既出の草刈幸村のやつ
真田親子だけじゃなく、遥くららや夏八木勲の忍者絡みのエピソードもおもしろかった
151 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:21:18 ID:QHsLpvc7O
丹波さんの昌幸役は、確かテレ東系正月特番の「真田幸村」じゃないかな?ちなみに幸村役は松方弘樹。
152 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:21:41 ID:fZA3O5a30
大阪冬の陣、夏の陣での真田幸村は
既に白髪が目立つ歯抜けまくりのオッサンですよ。
153 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:22:58 ID:MjczaSuWO
ちょっと質問何だけど
海野なんたらの家って実在?
敗軍の将なのに400年経っても英雄視されるんだからある意味勝ちだな
155 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:26:27 ID:8mBW5SVJO
信幸は本多忠勝の娘婿で徳川より、信繁は大谷吉継の娘婿で豊臣より。別に難しく考える必要ないよ。義理と縁で東西に別れただけ。
156 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:30:58 ID:8q+DDC5y0
何でそんなに英雄視されんだ?
157 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:33:11 ID:23ulXtDw0
>>150 >>151 たぶん149も レスd
DVD完全版というのがあるんだね、どっかでレンタルしてないかな・・・
>>144 > 東西に別れたのは他に
小国も入れると10以上あるよ、有名どころでは前田藩も
力の分配が各藩で違うが(嫡男がどちら側かなど)、前田藩では7:3で東軍より
158 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:33:14 ID:8mBW5SVJO
海野っていう姓は昔真田幸隆が名乗っていた姓。海野幸隆って若い頃は名乗っていた。本家だったか分家だったかは忘れたけど真田という所領をもらって改姓したと思う。
159 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:36:26 ID:d7DlmPX5O
真田太平記は名作
160 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:36:28 ID:8mBW5SVJO
英雄視されるのは江戸時代講談で負けの美学っていうか散りぎわの美しさが誉め讃えられた為。分かりやすく言うと源義経と一緒。
161 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:36:36 ID:MjczaSuWO
>>158 へぇ〜
そういう事になるのか…ありがと
>>153 真田家は元々海野家と同じ家系
それが真田の庄に住み着いてから真田家を名乗ったらしい
ただ、単なる時代小説からの知識なんで詳しいことはわからん
>>156 判官贔屓は世の常でしょ
時代は違うけど土方歳三なんかもそうだし
てか、愚直なまでに初一念を貫いて散っていく漢 かっこよすぎ・・・
義、ではないでしょうかねぇ
猿飛佐助だけが架空の人物
165 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:44:21 ID:TtsUeO4n0
昌幸も武藤家に養子に出されたのを、兄が死んだから呼び戻されたんだよな
166 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:47:36 ID:fZA3O5a30
>>164 他の十勇士も誰々がモデルになってるってだけで
架空の人物には変わらないじゃんよ
167 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:48:03 ID:8mBW5SVJO
猿飛佐助は戸隠忍者の総称として扱われている。だから居るといえば居るし居ないといえば居ない。
168 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:48:46 ID:hMPegruI0
真田太平記はおもしろかったなあ。
169 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:48:48 ID:8q+DDC5y0
>>160 そうなんか。
でも、負けの美学を語る背景の豊臣って
滅ぼされるべくして滅ぼされた家でしかないから違和感感じるな。
義経のようなホントか嘘かわからないような
同情を誘うエピソードでもあんのかね?
170 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:49:01 ID:OrBavX330
>>156 明治政府が徳川幕府に人気が集まらないように
反徳川の真田幸村を持上げた
戦国時代の女
●宣教師ルイス・フロイスの書いた『日本史』
「実家より銀や食料をもち、城や領地を担保にとっている
実質上の女城主が多い」
●徳川四天王のひとり本多平八郎忠勝の書き残した『史籍雑纂』
「自分たちの若いころは、人手が足りないせいもあって、
女もみな戦場へ狩り出されたものだ。
なにしろ兵をくり出すには、飯たき釜や薪をもったり、馬の飼葉を
持っていく補給部隊が、兵の三倍は必要になる。
男の中には血の匂いを嗅いだだけで、目まいのしてくる情けないのもいるが、
女は毎月そうしたのになれているのか、いざとなると度胸がすわっている。
攻めこまれたときは陣場を守るだけでなく、剃った眉毛を炭で太くかき、
口はびんろうじゅやざくろをかんで赤黒く染め、ワアーッと真っ先に突撃していく。
天正、慶長の当今の武者どもより、よほど勇ましかったものだ」
●豊後の大友家の『大友文書』
「戸次伯耆守は大友宗麟の重臣なれど、矢傷にて脚がくさり衰えたり。
されど娘ありて勇壮。
城内の腰元女中、五十名ほど訓練し、戦初めには一斉射撃をなして敵の心胆を奪う」
とある。この娘とは立花宗茂の妻のことだ。
●奥州の伊達政宗の『伊達文書』
「田村より輿入れの三春御前さまは、鉄砲を巧みに操られる」
とあり、この三春御前率いる女鉄砲隊が、政宗の父輝宗を誘拐した
二本松義継の一行を、一斉射撃で皆殺しにしている。
●『当代記』にもその名の出てくる花隈城主の池田せん女は、
池田恒興の長女で、二〇〇人の女鉄砲武者を率いていて、
『美濃国諸旧記』には、「岐阜城を取り囲みし軍勢の内にて、真っ先に城門近くの松並木を楯にとりて、
池田方の先手、ものすごく鉄砲を射ちかけるに、城主三介信孝殿も、
女めらの弾玉の餌食になるは無念なりと、野間へ落ちたまう」という一節がある。せん女は森長可の妻となる。
172 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:51:03 ID:XNW4f3Xb0
三好清海入道はジジイで正解。
元は三好三人衆の一人として織田信長と争った三好政康がモデルだからな。
大阪城入場の時は80歳超えてた。
173 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:52:53 ID:4Oj4NOitO
戦国版2ちゃんねるかとオモタ…
174 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:54:20 ID:8mBW5SVJO
昌幸は兄三人が次々と戦死して後を継ぎ、弟は徳川に仕えた。武田家の名のある武将は大抵戦死。病死は高坂と武田信繁ぐらいか。
175 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:54:37 ID:TtsUeO4n0
>>171 相馬の血を引く政宗の嫁が輝宗を殺したら大問題になりそうな気がするがw
176 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:55:07 ID:stY9Fv970
♪ 花のような秀頼様を
鬼のようなる真田が連れて
退きものいたよ加護島へ ♪
>>173 戦国版2ちゃんねるっていいな・・・
関ケ原前後のスレとかあったらおもしろそー
179 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:57:20 ID:fZA3O5a30
>>170 違うっつーの。
要するに、民衆の娯楽からの発展だよ。
江戸時代は講談物や絵草子等で真田物が多く出回ったのさ。
日本人ってのは元来半官びいきだから、それが定着して今に至るわけ。
公に幕府や将軍の批判ができない民衆からしたら、痛快だったんでしょ。
180 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:58:51 ID:11r/B41A0
芸がないな。こういうのは全キャスト萌え系でそろえるんだよ。
はわわ、ご主人様、家康が攻めて来ちゃいました〜!とか
いよいよヤバクなってきたな。
こりゃ本当に戦争になるぞ
でも真田って親父は有名だけど、
息子ってどうなの
182 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 02:59:46 ID:2a6BmGyBO
すんごい秘密を暴露しちゃう。
辻○ジュ○ブローはガチでゲイ。
183 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:02:41 ID:TtsUeO4n0
勝のパシリだった坂本竜馬がもてはやされてるようなもんかもね
だが今は大阪民国(だいはんみんこく)ですが。
185 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:05:04 ID:PiiXYPql0
幸村とか又兵衛とか盛親とか、大坂方は好きな武将ばっかりだ。
186 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:05:51 ID:k/2YVKVw0
豊臣家の滅亡の元となった方広寺の鐘
「国家安康」「君臣豊楽」
偶然とか言いがかりとか言う奴がいるが
このタイミングでこんな絶妙な文句が”偶然”w
現れる確率は一億分の一か一兆分の一か?
まともな思考能力がある人間なら故意以外の何を考えるか。
わざわざ喧嘩売って滅びたのだから、こんな家に忠義立てした
真田も哀れなものだ。
187 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:05:58 ID:8mBW5SVJO
信繁は徳川からの百万石の寝返りもはねつけ、真田丸を作り、守らずに攻めるべきと進言し、圧倒的な戦力差がある中家康を後少しで討てるぐらいに追い詰めた。息子の大助は秀頼と一緒に最後を迎えた。比の打ち所のない行動は信繁の娘を嫁に欲しいと武将達に言わしめた。
>>181 宮城では幸村の娘が片倉家に嫁入ったおかげでわりと有名だぞ
白石に史跡あったような
江戸のいつごろだったか忘れたけど、
片倉家で六文銭の紋つけてたらしいし
息子はいくらなんでも早死にすぎて、
単体では有名になりようがないだろな
189 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:09:01 ID:V4uXg1Ey0
兄貴は徳川方にいたので、家としても存続したしな。
親父と弟は義理を果たしたと。
講談が廃れて昔の豪傑連の知名度が暴落するなか幸村だけは高止まりだな
191 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:13:45 ID:blTSEQflO
甲斐の六朗がいなかったら家康は討ち取られてたな
192 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:16:15 ID:PiiXYPql0
193 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:17:40 ID:8mBW5SVJO
影武者ネタは関ケ原。 信繁ネタは夏の陣。
毛利勝永も思い出してやってください
195 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:18:31 ID:ZgR30TEt0
>>160 そうなんですよね。
いいところまで(家康本陣に肉薄)行くけれど、結局は滅びる。滅びの美学。悲しき日本人の美学。
太平洋戦争でも、典型的にはレイテ沖海戦とか、各局面で語り継がれるが、結局は滅びる。
196 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:19:44 ID:STGV51F60
上田市は徳川についた兄の方だろ!
197 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:22:17 ID:PiiXYPql0
根津陣八が釣り竿持って混じってたら笑う
199 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:25:25 ID:8mBW5SVJO
薄田隼人正もいるよ。
200 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:32:17 ID:ZgR30TEt0
201 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:39:52 ID:EXiLBYj10
>>169 家康は関が原に勝って確かに征夷大将軍にはなったけど、
所詮豊臣家から天下を簒奪したわけだよ。
家康は秀吉が死ぬ時点では、五大老の一人で一応忠誠を誓ったはずの家臣だった。
盟友ですらない。関係は対等ではなかったからだ。
それなのに秀吉死後に関が原を戦い、大阪の陣で豊臣を滅ぼした。
これは結局裏切りだ。だから家康は正当性が少し弱いので、
当時を生きた人は家康は汚い奴と思ってた人は結構いたんだと思う。
ゆえに雪村への判官贔屓が生まれたんだろう。
202 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:42:48 ID:EXiLBYj10
正当性というより正統性といったほうがニュアンスとしてより近いかもしれない。
203 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:47:20 ID:k/2YVKVw0
正当性など言ったら戦国大名の誰に正当性があるのか。
所詮は下克上の世
204 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:52:19 ID:8mBW5SVJO
なんだかんだいっても長生きした事が家康にとっての才能。小早川隆景と蒲生氏郷と前田利家という三つの防波堤が崩れるとは秀吉は考えもしなかっただろう。誰か一人でも生きていたら家康といえども天下獲りは諦めていただろう。
205 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:52:55 ID:k/2YVKVw0
正統性と言ったら更に悲惨。
足軽から成り上がった豊臣家の何処に正統性が有るのか。
206 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:54:32 ID:98F88ZQA0
秀吉だって織田家の天下を奪ったようなもんだしね。
秀吉の場合、信雄は結局臣従したから旧主の子を殺さずに済んだわけで、
秀頼だって家康に臣従してれば同じような展開になってたはずだろう。
207 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:55:00 ID:23ulXtDw0
流れ違いスレ違い気味で申し訳ない
書籍の「宇喜多秀家」を読んで以来、傍流に興味があるんだが
三法師のその後なんかは、いろいろとあるが
滝川一益没後の滝川家とか吉川元春の吉川家とか
詳細に解説してるサイトをご存知の方いませんか?
208 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:56:59 ID:ZgR30TEt0
>>201 だな。
簒奪者のサガで、簒奪者こそ、裏切り者が怖い。家康は信長(形式上は同盟者)のことも
悪し様にいい、豊臣家のことはその簒奪者呼ばわりして、徳川こそが…といっていた。
よこしまもたかだか10年も続けば正統になるという見本かな。それが250年も続けば
日本は成り立ちから徳川の世でございますみたいな。
それに比べると、天皇家は尊い。ただ連綿として続いているというだけで尊い。
209 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:57:12 ID:EXiLBYj10
>>203 確かにそうなんだが、家康の裏切りは天下を賭した全国規模の有名な裏切りだったから
当然多くの人々が知り、インパクトも強かったわけだよね。大阪の陣も一応天下が少しは絡んでるから有名になった。
モデルとなる史実が有名だから、文学化や娯楽化される量も比例して多いから真田は有名ってだけ。
210 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 03:59:48 ID:ZgR30TEt0
>>207 その書籍は知らないが。
三法師は信秀だったかな?一益没後の滝川家とか、元春吉川家のその後は
興味を持ったことがあるが、全然お目にかからないな。
わたしも教えて欲しいです。
211 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:03:16 ID:ZgR30TEt0
その後といえば、敦賀五万石の大谷刑部のその後も、興味があるな。三成と縁戚関係があり、
西軍についた。
212 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 04:04:21 ID:jhkjy/vcO
>>156 逆に、この頃の家康が寿命を恐れるあまり、
策といより犯罪めいた事をやっていて、あまりに悪者すぎるのもある。
相手の外交官が女だったので、騙したいほうだい。
老人には、それをやってくうちに快感になってしまったのでは?
というくらいの弱い者イジメをやっている。
まだまだ武士の世の中。
徳川方にも嫌悪感をもっていた人間は、いっぱいいたので、
真田家が大阪の陣後すぐにも持ち上げられたのは、徳川家批判の意味もあるだろう。
真田家は幕末に佐久間象山を出すことになるが、
真田家は三度も徳川家を追い詰めている歴史があるので、
徳川家なにするものぞ。
という昌幸にも似た気持ちはあっただろうね。
自然、それが象山を尊大にさせたのかな?
213 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:04:41 ID:8mBW5SVJO
吉川元春の息子の吉川広家はいわずとしれた関ケ原で家康と密約を交わした彼の事。後に転封となった後にとり潰しになったはず。滝川家に息子なんかいたかなー。
214 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:08:05 ID:E1mT4YWa0
宇喜多秀家と言われると
泳 げ よ 宇 喜 多 秀 家
しか頭に浮かばん
215 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:08:51 ID:ZgR30TEt0
>>212 それ(寿命⇒犯罪めく)って外交戦略という言葉で言えば、常識なんだろうな。
弱いものいじめという言葉でいうと、あれなんだが。
徳川幕府を倒した明治の元勲も、徳川家は嫌いでも家康は尊敬しているという
人が多いよ。冷徹な合理主義ということになるのだろうが。
216 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:09:10 ID:8mBW5SVJO
大谷家は娘しかいなくてそれが信繁に嫁いだわけだから。しかも、西軍についたからとり潰しです。
217 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:11:37 ID:98F88ZQA0
大谷刑部軍は小早川秀秋の裏切りで真っ先にその攻撃にあって壊滅。
刑部自身は自刃。子孫はいたけど武家としてはそれで終わりだったはず。
>>216 いちおう息子の吉治がいる
218 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:12:35 ID:HMHM4XzBO
真田家当主真田幸俊
219 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:15:24 ID:EXiLBYj10
>>204 確かに家康に次ぐ五大老の実力者で唯一対抗しうる可能性が少しはあった前田利家は、
秀吉の死んだ翌年に逝った。早すぎだね。
>>205 信長と同時に氏んだ長男信忠の息子三法師を傀儡にしていたから、
一応法的?正統性はあったが、三法師は幼児だったのでまあ実質的に簒奪でしょうな。
どちらかといったら、有能だった信孝を立てた柴田勝家のほうが実質的正当性があった。
ただ織田の時代まで知ってる人は、大阪の陣の時代にはほとんど生きてなかったってことだろうねw
だから豊臣がスタンダードになっているわけだ。
220 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:16:35 ID:7wGqu5wdO
>>211 簡単に話すと、吉継は関ヶ原で死亡
つーか縁戚関係ではなかったはず
真田とは関係あるが
吉川家は三男広家が継いで関ヶ原で東軍に寝返り動かず
戦後は毛利家存続の為に奔走
221 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:17:40 ID:fZA3O5a30
>>212 象山が尊大だったのは、その才能がゆえでしょ。
自分以外の人間が愚人にしか見えなかったんじゃないの?
大阪城って鉄筋で出来てるんだよね・・・
223 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:20:44 ID:fZA3O5a30
三成と大谷刑部はアーッだろ。いや、真面目な話。
224 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:21:03 ID:7wGqu5wdO
>>213 養子で雄利がいる
関ヶ原後に常陸片野に所領を得ているが、跡継ぎかどうかは知らん
225 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:22:38 ID:EXiLBYj10
>>219は
>>206へのレスも兼任ね。
>>208 まあそういうことだよね。
常に時の権力者は移り変わるから、
時代によって人々の認識もコロコロ変わる。
226 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:22:53 ID:ZgR30TEt0
>>221 それって、結局は造山が愚人てことじゃないか?
西郷は一見愚人のごとく存在して、という風景が象山には理解できない。
>>222 石垣は残っているお。天守閣は先後に復元したコンクリートつくりだとおも。
227 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:23:12 ID:JAW/U08U0
>>223 アーッじゃなくアッー!だろ
このばかちんこめが!
228 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:27:40 ID:EXiLBYj10
>>221 象山は思想面では斬新で、吉田松陰の流れの前進だけど、
実務的なことは全く駄目だったそうだね。
例えば大砲作ったりとかできなかったらしい。
細かい詰めって大事だなと、わがことのように思う今日この頃。
229 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:29:46 ID:ZgR30TEt0
>>223 >>227 おろかちんこに免じて平におゆるしをば。
三成と大谷刑部との逸話。
茶の湯があって、そのときは大谷刑部吉継はらい病にかかっていて、誰も刑部の横に
座りたがらなかった。その空気がびんびんとしていた。そこで三成が音を立てて、刑部殿
ご健在であるかといって隣にどっかと席をおろした。
それで刑部は男泣きに泣いて、こいつについていこうと。
230 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:32:49 ID:98F88ZQA0
いや三成は茶の回し飲みで誰も飲みたがらない刑部のあとで飲んだ
ってのじゃなかったか。いろいろ説があるのかもしらんが。
あとアッー説はそれなりに言われてるね。
231 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:33:41 ID:8mBW5SVJO
滝川雄利は一益の婿養子として伊勢二万石を受け継ぐが西軍についてとり潰し。秀忠に許され常陸二万石を賜るも息子正利が病弱を理由に一万八千石を返還、旗本となる。
何年前のニュースだよ、と思いながらスレを開いた俺がいる
上田藩って明治まで江戸時代の大半は松平家(家康のひい爺さんの弟の子孫)だったのに
すっかり忘れられてるな。
234 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:40:43 ID:8mBW5SVJO
吉川家は岩国三万石を受け継ぎ、後に男爵になります。
235 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 04:42:12 ID:jhkjy/vcO
>>215 確かに、大坂の陣以前の家康は尊敬に値する。
金崎の退き戦で、途中で引き返してまで秀吉を助けたり、
敗色の濃かった姉川の戦いを勝利に導いたり、
勝てないとわかっていても、自分の庭を大軍が我者顔で通過してくのを黙ってみているのは お家の恥とばかりに信玄に噛み付いたり、
ほぼ天下人だった秀吉に何年もたてついて、小牧の戦いで冷や水を浴びせたり。
ダンディズムが武士の行動原理とすれば、
まこと、武士の鑑といえる。
この頃は戦国時代の生き残りは、みんな死んでしまって、
50年以上も戦国時代を戦って生き長らえてる。
野戦では、一つ二つの例外をひいたら、ほぼ負けなし。
関ヶ原という天下分け目の戦いに、勝利をおさめた。
という家康が、総大将をはる自体 草野球にプロ野球団のエースが出てくるぐらいサギなのに、あの始末。
子供同士の喧嘩は、子供同士にやらせる。
という態度を家康がとってたら、武士としての家康の人生は、非の打ち所がなかったかもしれない。
秀忠が馬鹿なせい。
(それは相手も輪をかけて同じだが(笑))
「真田幸村の謀略」
時代劇なのに宇宙から隕石は降ってくる、猿飛佐助が異星人、
徳川家康が、明智光秀の頭蓋骨で酒を飲む、
丹波哲郎の加藤清正は虎に襲われて死ぬ・・・など、ある意味すごい映画だった。
ラストは真田幸村が徳川家康の首を撥ね、その首がロケットのように飛んで行く・・・
松方弘樹扮する真田幸村は一斉射撃で即死。
さすがに公開当時、日光東照宮から東映に「ひどすぎる」とクレームがついた。
しかし、けっこう面白かった。
237 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:50:12 ID:OVm8mPzR0
>>235 三方が原の戦いで山県昌景に追われてうんこ漏らしたり
大阪の陣で幸村に突撃かけられて御旗の下に隠れてガクブルしてたやつを
武士の鑑っていうのは無理がある。
238 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 04:50:18 ID:jhkjy/vcO
>>222 戦国時代の城らしくエレベーターがついているお(笑)
239 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:51:39 ID:yeJR2Yet0
>>235はきっといい奴。名残りおしいよ。
俺はパソコンからァク禁だって
明日(というか今晩また会いたいね。
240 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 04:54:29 ID:7wGqu5wdO
>>237 チビに追っかけられて糞漏らしたり、歯抜け親父にびびったり…
人間らしくて好きなんだけどなー
241 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 05:00:00 ID:aiaAgq6A0
滝川家、吉川家についてレスをくれた方、ありがd
けっこう検索かけても飛び飛びの話や概要しかないから
いかに生き残ったかというのが気になって・・・
「宇喜多秀家」の話で、八丈島に流刑になった後
宇喜多家は、武力ではなく、
性治でガンバって頑張って、島を宇喜多だらけにし、
島で性力をふるい明治まで生き抜いた
という話を読んでサブキャラに興味をいだいた
太平洋戦争終了まで前田家の援助があったという話にも驚いたが
豊臣恩顧の大名達も調べてみると面白いが、
賤ヶ岳(9-2)本槍の末路は悲惨なケースが多いね ※(11-4)本という説もあるらしい
やっぱり恩は裏切っちゃいかんという事だね
うおぉぉぉぉぉぉおやかたさぶぁ〜っ!!
243 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 05:04:17 ID:jhkjy/vcO
>>240 そーなんだよ(笑)
総大将には暴勇より多少の臆病こそ必要なんだろうね。
歴史を知ってる僕らには信じられないが、
家康はなんもできないので、家臣の俺らがなんとかしなければ。
という空気が 徳川家臣団にはあったらしい(笑)
244 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 05:10:19 ID:fZA3O5a30
臆病なのは薩摩の伊地知
245 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 05:14:47 ID:vbo3qksn0
臆病といえば秀吉も信玄もそうでしょ。
そうじゃないのは信長と謙信。
一長一短。
246 :
村田英雄:2006/10/10(火) 05:17:04 ID:zL0Wlr+T0
風よ吹〜けぇ
雲よ飛べぇ
雨も降〜れぇ
花よ散れぇ
空はぁ輝くぅ
南無八幡〜
あぁ〜我らは
真田十勇士ぃ
我らは真田十勇士ぃ〜♪
天下大阪に行ってまいりたい
おと感動をオ持ち上げて後ル
248 :
平民バカ:2006/10/10(火) 05:23:08 ID:OKIHk9AxO
>>243 俺は姉川の戦いで、『戦いが始まっちまえば同じかも知れないけど、俺をなめるな!老人じゃねえんだから一番手を譲れ』
と信長に迫って、既に決まっていた陣立てを覆した家康が好きだ。
関ヶ原では鉄砲で天下を定めた家康だが前半生は無鉄砲に彩られている。
249 :
平民バカ:2006/10/10(火) 05:32:57 ID:OKIHk9AxO
>>245 秀吉が諸大名を前にして『勇敢さと合戦の強さ』をテーマに語ったのをご存じない?
信長の百と当時評価の高かった蒲生の千が戦ったら、どっちが勝つか?ってやつ。
信長はいい意味で臆病なはずだよ。
桶狭間で賭けに出ただけで姉川、長篠の戦いでは防御の厚い魚輪陣に徹してる。
家康みたいに投機的な鶴翼陣を何度も張る奴は珍しい。
>>241 滝川ならそれこそ「真田太平記」読め史実か知らないが子孫出てくるよ
吉川は息子が関ケ原で本家筋を通り越して家康と密約
戦後、実質西軍総大将に祭り上げられていた毛利本家筋が取り潰されるのを
自分の功績で差し替えてもらって救ったのではあるがあまり評判は良くない
ともかく水曜時代劇の草刈幸村が格好良すぎる
機会があれば是非一度全部見てもらいたい
丹波昌幸も渡瀬信幸も良かったなぁ
251 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 06:03:53 ID:MUtPzYqn0
>>236 髑髏杯にされたのは石田三成ね。
敵の首を杯に加工して酒を飲むというのは当時わりとあった(?)風習
らしい。戦国武将コワス!!
俺的には「柳生一族の陰謀」と並んで70年代東映時代劇の中では
一番好きだな。
「真田風雲録」へのオマージュとも言われるこの作品、かつての十勇士の
一人(佐助)を演じた錦之介が、あの憎々しい家康をやっているのがまたいい。
ところでこの作品「真田幸村の陰謀」と間違って覚えてる人多いぞ。ググる
と数件ヒットする。「真田幸村の謀略」だぞ〜。
252 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 06:06:25 ID:BNTBJZ8wO
市長とか助役のことも
たまには思い出してあげて下さいね。
253 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 06:12:07 ID:BRzcbekYO
それなんて戦国ばさら
254 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 06:13:16 ID:XXuBOESD0
>>251 その映画で一番スゴいのは、
脚本を読まなかったので自分が誰を演じてるか全く理解してなかったにも関わらず
各方面から兄弟間の愛情が、よく出ていたと絶賛された
真田信之役の梅宮辰夫だ!
255 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 06:18:32 ID:fX57NOqhO
風雲真田幸村
・・・なんて知らないよね
256 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 06:29:24 ID:vei4TwvzO
税金の無駄使いです。止めてよ。
257 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 06:35:27 ID:Wda2hvct0
そんなことより新釈眞田十勇士の続きはまだなのか
>>241 宇喜田秀家は朝鮮人の子孫
「日本書紀」垂仁天皇紀の三年春三月の条に、
新羅王の子の天日槍(あめのひぼこ)がやって来た。
天日槍は、但馬の出石の太耳(ふとみみ)の娘で
麻多烏(またお)という女を娶めとり、但馬諸助(たじまもろすく)を生み、
その子孫に田道間守(たじまもり)がいると書かれている。
田道間守(たじまもり)は、垂仁天皇の命令で、
常世(とこよ)の国に、非時の香の果(とくじくのかぐのみ)を探した人物として有名。
そして「日本書紀」垂仁天皇の最後の記事に
「田道間守は、是、三宅連の始祖なり」とある。
また平安時代に作られた、各氏族の出自を記録した「新撰姓氏録」には、
摂津の国に三宅連があり、大和に糸井連があって、
ともに天日槍の子孫であると明記されている。
この三宅氏は、宇喜多氏の祖先にあたる。
259 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 07:14:21 ID:jhkjy/vcO
>>249 信長も秀吉も臆病なだけではなくて、自信のある大胆な戦法をもっていたよ。
秀吉はモチの論、城攻めと命懸けの懐柔。
信長は 誰も予想してないところからの奇襲攻撃が相変わらず得意だったらしい。
俺が好きなのは、家康と昔の徳川家団。
「忠勝、忠次 逝ってよし!」
「家康、オマエモナ」
「んっ?」
というトコロがいつまでも残ってたらしい(爆)
260 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 07:16:20 ID:dYLocIdl0
>>258 金正日が天日槍(あめのひぼこ)の姉の末裔で
宇喜田秀家の敵をとる為に原爆を開発し、その名を
グラディウス(天日槍)と名付けた・・・というストーリー
ローカルネタから世紀の陰謀が暴かれた瞬間だね
261 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 07:17:12 ID:XXuBOESD0
>>255 知ってるぞw
三浦浩一がNHK『風神の門』と同じ霧隠才蔵を演じたテレビ東京の時代劇だ!
『水戸黄門』や『暴れんぼう将軍』なら葵の御紋を出すようなとこで、北大路欣也=真田幸村が真田六文銭の家紋を出すのだ……意味ないのにw
262 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 10:35:20 ID:8q+DDC5y0
>>201 そもそも織田立てずに裏切って己の天下にしてしまったのは秀吉だし
世継ぎや部下の扱いで最悪なエピソードもあるし
最初から正統性なんかないと思われ。
戦国時代からの流れでそういうのは当たり前って考えもあるだろうけど
それ言ったら家康のことも言えなくなるし。
真田昌幸って「昌幸」名前がどうにも現代チックに見えるんだよな。
現代であまりに普通に使用されてるからか。
264 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 12:53:25 ID:W3nX70t4O
テレビ局が取材に来てたけど、もう放送されたのかな?
義弘もよくいるぞ
267 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 13:17:25 ID:w2bsP5mr0
>>259 桶狭間の戦いで信長は正面から突破したようです。
268 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 13:31:12 ID:2BcRoz1D0
大阪人は豊臣秀吉を故郷の英雄のように言うが
秀吉は尾張の国出身だから、名古屋の人なんだよね。
269 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 13:44:15 ID:nw3rsJNgO
ずらかるぜ!
こいつ、強すぎだ!
>>268 大阪在住だが、
豊臣秀吉を故郷の英雄のように言う奴なんて見た事も無い
271 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 14:50:37 ID:bguPnSso0
>>270 太閤さんつーて敬愛するんは
故郷の英雄扱いと違うのんか?
真田太平記思い出した・・・・
小学生の頃よんだけど、エロかったなぁ
>>259 まぁ、大名の目の前で家臣が取っ組み合いしたり、家臣が大名を怒鳴りつけても問題ないような時代ですから。
274 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 16:23:53 ID:8cLBxNoK0
お館様!
276 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 16:30:06 ID:hgpa0xxBO
大阪には無関係な真田を誇る大阪人って理解出来ない・・・・
カルト石山本願寺とか百姓成金木下とかを誇れば良いのに
277 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 16:36:38 ID:/Uea3rqhO
大阪には淀屋常安などの優れた商人がたくさんいるじゃん。
>>262 確かに事実だけど、そのことが家康に正当性がある理由にはならないね。それはそれ、これはこれなわけで。
あくまで家康は豊臣を裏切ったのであり、それは消せない。そしてその裏切りに反発する庶民が当時居たというだけの話。
279 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 16:43:51 ID:y8lwUNy80
280 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 16:48:27 ID:8/GYJoPI0
十勇士なんてフィクションだろう…
信之がじじいになった時の小説読んだけど、さすが昌幸の息子って感じだった
あれって実話かなあ
282 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 16:57:49 ID:RXdaKWY+0
結局、浅井三姉妹により
織田系の血縁が徳川に入る
(長女はいいとこまで行ったんだけどねぇ)
283 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 16:58:03 ID:CDDYNrWC0
このローカルなニュースにAFPwww
地元だorz
284 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 17:02:06 ID:8mBW5SVJO
細川藤孝は足利十二大義晴の息子であったが兄弟二人の将軍としての補佐に撤した。正統性を論じたらそこまでさかのぼらなくてはならない。分不相応な地位は身の破滅に陥る。秀頼は秀次と同じく取り巻きに恵まれなかっただけ。
285 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 17:06:34 ID:8cLBxNoK0
淀屋の娘が淀殿だと思っている大阪人は、けっこういる
当然、淀橋を建設したのも淀殿で決まり
286 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 17:11:58 ID:Cwg9qXhb0
秀吉の秀信に対する扱いより、家康の秀頼に対する扱いの方が格段に上だもんな。
思い上がりも甚だしい。
287 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 17:12:31 ID:qdMJkrh20
>>270 その付近、悪人の代名詞のように言う方々ばかりとか?
288 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 17:13:33 ID:8/GYJoPI0
まぁオレの地元では大久保利通なんて
当然だが大分スルー気味
289 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 17:15:42 ID:Cwg9qXhb0
>>288 薩摩的に一番の偉人は本来なら調所広郷だよな。
奴が借金を踏み倒さなかったら倒幕なんてとてもできなかった。
西郷や大久保なんて後から出てきていいとこ取りをしただけ。
290 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 17:16:44 ID:GdLvSEU5O
武田勝頼が真田昌幸と上州に落ち延びていたらと想像するとわくわくする
291 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 19:05:26 ID:jhkjy/vcO
幸村が戦国時代的な、最後のサムライだと思うのは、
ハッキリ言って絶望的だと女子供でさえわかっていたのに、
常に「勝つため」に作戦練っていた事。
早 諦めたり、華々しく散る事だけを考えていたり、そういう人間達の中で
幸村だけが真にサムライだったと言わざるおえない。
秀頼に最期の見せ場を与えるために、出陣をうながしたり(やっていれば、後世の評価はかなり変わっていたはず)、
大助をお供させたり、
と、絶望しつつも最後まで心配りを忘れなかった。
父 昌幸の比類ない武功。
成り行きとはいえ、お家を存続させることに成功した 兄 信幸 。
祖父の幸隆からみても、これこそ名将の血筋って感じがする。
はたして真田家が美濃や尾張という大国を持っていれば、
かなり面白かったかもしれない。
292 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:09:10 ID:4L5dPBScO
>>291 時代に縛られて討ち死にしそうだと思うな
真田は名将だが、武人でしかない
王としての器には欠けるだろう
臣下として輝く男だ
293 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:10:22 ID:jFXt2RpmO
巨人の真田のセンゾな
>>282 同感。秀忠は大当たりとしても京極と秀吉はハズレだったな
295 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:19:32 ID:GFvpwa8/O
秀吉役には歌丸師匠が最適
296 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:21:31 ID:++ABgxSO0
我ら真田二億九千八百万四千五百十勇士が大阪へはせ参じたぞ!(`・ω・´)シャキーン
297 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:23:20 ID:2ddpGVBW0
エスカレーターが付いているお城w
299 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:23:59 ID:++ABgxSO0
判官贔屓
「ほうがんびいき」と読むべきか「はんがんびいき」と読むべきか・・・
300 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 19:26:10 ID:jhkjy/vcO
>>292 幸村はそうだろうけど、昌幸は違うだろうね(笑)
関ヶ原の時、西軍を勝たせようじゃなくて勝敗の決着を遅らせよう、としたところに
黒田如水みたいな野望を感じる(笑)
301 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:27:17 ID:2ddpGVBW0
どうでもいいけど真田家最強は幸隆だよ
302 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:29:45 ID:46V9QHan0
江戸時代、武士の副業として傘張りと髪結いのふたつだけが許されていたが、
それは家康が幸村の奇襲を受けた時にとっさに手を引いて逃がしてくれたのが髪結いだったから
で、傘張りのほうの由来を誰か教えてくれまいか
303 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:29:53 ID:OZoPX5xzP
秀吉が嫌い?
出兵したから?wwwワクテカ
304 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:31:06 ID:rZLETTAu0
豊臣家じゃなくて羽柴家だな。
305 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:34:43 ID:GFvpwa8/O
源義経と真田幸村と木村重成は美形のイメージがあるけど、実際は
306 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:37:23 ID:X9GntALE0
昌幸は九度山に追いやられた時に大名時代の贅沢な
生活がやめられなくて超貧乏だったって話が萎え
アホじゃん
307 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:38:01 ID:83JV6WSa0
>>305 沖田総司もね。
>大阪へはせ参じた真田幸村
このときだっけ?
「目利き」のエピソードあったの。違ったかな。
308 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:39:02 ID:UiyUIrMB0
三好兄弟は何宗?
309 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:40:38 ID:bELg32VdO
310 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:44:23 ID:9FIayrkv0
幸隆は信州を信玄に売った裏切り者
真田が長野の英雄?
おいおい
311 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:49:34 ID:rOoOlOI20
ぅお親方さむぁぁぁぁ!!
鉄 拳
∧_∧ ∧_∧ ゆきむるぁー!
(;・∀・(⊂(´∀`♯)
\ ⊃ ⊃ ヽ と)
\つ_つ< <\ \
(__)(__)
制 裁
312 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:50:49 ID:83JV6WSa0
>>310 売ったというか、旧領取替えしたんでない?
大坂城を攻められる奴はどう考えてもアホ
つうか逆に聞きたい、どうすればそんな天下を取った豊臣家が二代で滅ぼされたりするのか?
そしてお前は、家康から呼び出された二条城までしっかり行ってしまうのか?
加藤清正を暗殺されたり片桐且元に見限られたり福島正則に無視されたりするのか?
下手に戦おうとして、宇治・瀬田まで攻めずに却って城に篭るのか?
ばかばかばか 馬鹿としか言いようが無い なんで城に篭る
つうか普通篭城策なんてとらんだろ ありえん ぜってーーありえん 相当の愚将か能無しだな
ほんとばか まじで城に篭るなよな
大体関ヶ原以後の外交方法もそういう奴は間抜けだ
家康が石田三成を倒したからって 所領を加増させたり 豊臣家の所領を減らしたり
馬鹿か? 大老に過ぎない家康に4百万石も与えたら、天下人の座を奪われるだろ!!
おまけに源氏の長者を名乗られるから征夷大将軍に任じられて将軍職を世襲制にするから結局従わなきゃいけなくなる
それがどういうことか解るか?
本来なら 大老という地位も家康を増長させるからよくないんだ
出来れば豊臣家臣そのものの地位自体剥奪すべきなんだ
それが大老の地位せいで政治の実権を握り 豊臣恩顧の大名と政略結婚をすることで その絆で余計に勢力を増すんだ
馬鹿!まったく馬鹿!
そしてそういう奴にかぎって
癇癪持ちの淀殿や合戦経験の無い大野兄弟を軍議に出してきては「和睦じゃ」といきなり言いやがる!!
うるせーーマズは家康と秀忠の首を獲るのがさきじゃ!!
いきなり和睦できるか!! 秀頼様を出陣させやがれ!!
天王寺に本陣を置いて伏見城を落とせ!! 宇治・瀬田で徳川方を迎え撃たなきゃ勝てるか!!家康を倒せるか!!
大体そういう奴の率いる兵は、きづだらけの弱兵ガタガタなんだよ!!
で篭城策を主張してきて 仕方なく真田丸を構築すると
「真田殿に徳川と内通している疑いがある・・」といいやがる!!くそくそくそ!!
こっちだってそんな戦音痴の家臣だらけでおまけに青二才の主君いるか!!
こっちから願い下げジャ!! 家康を倒す気があるなら最初から江戸へ攻め入ってこい!!ボケ!!
314 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 19:52:26 ID:WmZwIIqgO
ここにいるおまえらなら昔は大坂と書き、大阪へと改称した理由もしっているだろう
そこで大阪民国が嫌いなおまえらにてい案だ
これからは大阪のことを大坂と書こうぜ
願いをこめてなw
まったく一日に何回出陣を要請されれば気が済む!!
豊臣家に仕えていた大名は太閤殿下がいたときのままで豊臣に忠誠を誓わせろ!! なんで徳川につく!!
父に仕えていた家臣が息子の代になって寝返られる奴は人間のくづだ!! 氏ね死んでしまえ!!
なんでお前は砲撃にビビって和睦を言い出す!!
そうしてお前が軍議を開くと家臣達はゴサーッと和睦派に流れていくんだ?!
どうして、お前は城の堀を埋める事に同意するんだ? マジデ馬鹿馬鹿!
ありえん 親から譲られた城は譲られた状態で戦え!! むしろもっと堅固にして戦え!!
いいか? 家康の狙いは秀頼様の命だ!
例え朝廷の命令でも和睦には応じるな! 軍略家の領域だ!! 戦音痴はすっこんでろ!!
むしろ和睦の使者を切れ!! 戦い続けろ! あと3年は持ちこたえて家康の寿命を尽きさせろ!!
抵抗に抵抗を重ねろ!!てめーら臆病なんだよ!! ありえん!! ありえんぞ!!
バカドも!! また家康と戦うくせに堀を埋める奴はくづだ ばかだあほだ!! いってよし!!
二の丸・三の丸を破却した城でどうしても家康と戦いたい馬鹿は!以下を注意しろ!!
1 伏見を落としてこい!! 今度こそ宇治・瀬田で敵を迎え撃て!!
2 篭城策は取るな!!堀のない城では落城のもとだ!!
3 敵の隙をついて奇襲しろ!!
めちゃめちゃに進むな!!敵の反撃次第では歴戦の後藤又兵衛でも討ち死にする!!
攻撃はできるだけ真田・毛利隊がたどり着いてからにしろ!
伊達勢は 進路に伏兵を置いてから 槍衾で叩け!!
関東勢100万といえど 男は一人もなし!!
4 解ったら秀頼様は出陣しろ そして俺を討ち死にさせるな!! できればおまえらも家康本陣を攻撃しろ!!
以上!!
316 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:01:12 ID:D7JPkGKvO
>>315 いきなりすげえ勢いで怒りまくりワロスwwww
317 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:03:56 ID:8mBW5SVJO
信繁が大将の器じゃないって実際に所領を持った事ないし個人だけで戦の采配をした事もないけれど軍議の席での戦術戦略は後藤又兵衛達も舌を巻く物だったという。曲者ぞろいの豊臣家で人質生活ながら官位を叙される立場になるのにどれほどの才覚がいると思うのかな。
318 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:04:01 ID:ceeJXBokO
319 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:04:53 ID:Q3xm0Tn1O
うぉおやかたさぶぁああああああああああああああ
320 :
海舟問屋:2006/10/10(火) 20:06:24 ID:jhkjy/vcO
>>306 アホはお前だ(笑)
貧乏なら大名暮らしなんかできるはずねーだろ。
息子が徳川家の大名である援助。
真田の監視役だった浅野家からの仕送り。
人気だった真田紐の収入。
農家の庄屋クラスの生活はできてたはず。
証拠に何度も地域の有力者達を招いて宴会してるし、
大金をかけて諸国の情報を仕入れていた。
大坂に入城するときは一二を争うほど綺羅びやかだった。
という感じ。
321 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:09:06 ID:8mBW5SVJO
勿論、大阪の前が大坂でその前が小坂だったのも知ってます。当時の読みはおさかと読みます。
322 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:11:28 ID:E1mT4YWa0
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Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
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 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
父子して不憫な信之にせびりまくりか・・・orz
324 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:15:51 ID:DhOjc9vP0
>>313 「淀君が細野豪志を騎乗位で逝かせた」という所まで読んだ
続きは後で読むね
325 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:18:17 ID:rZLETTAu0
真田太平記はOPの音楽が良かった。
林光だっけか。
326 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:18:55 ID:p7peZ8VG0
十勇士って本当にいたんだろうか?
あと幸村って本当に強かったの?一人で数百人を斬り殺すような猛将なの?
史実をよく知らないけど、豊臣って言うと加藤清正と言う虎を殺した凄いのが
いたと聞く。2メートルの大男で、一人で数万人を殺すくらい強かったとも聞く。
真田幸村なんてほとんど聞いたことないひとだけど、本当はどういう人なんだろ。
ウンコ漏らして味噌とか言ったのこいつじゃなかったっけ?
327 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:20:05 ID:jTXL12DN0
とりあえずぐぐれ、な?
十勇士は全て架空の人物です。
あーあー我等は 真田十勇士 我等は真田十勇士
330 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:21:21 ID:rZLETTAu0
>326
肖像画で見ると信繁(幸村)ってちりめん問屋の番頭みたいなちんまりとした薄らハゲだけどね。
331 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:21:39 ID:jTOnkKM90
そういえばファミコンで真田十勇士ってあったな。
332 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:21:46 ID:ceeJXBokO
うーん
333 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 20:24:49 ID:E1mT4YWa0
_,;-" ゛'‐-;,
/ ヽ
./ ◎ ◎ ◎ ヽ
__ ./ ◎ ◎ ◎ .ヽ / ̄\
./ ○ ヽ、 / ヽ/ ○ \
/ \,,,--―――''''''''''''''''''''――-/ ヽ
..⌒‐-,,,,_ /:/ヽー―――-、,,__,,,,-―――:|| _,,;-‐''"⌒~~~
.ヽ/::||:::::::::: (●) (●) ||/ヽ
く ::||::::::::::::::::: \___/ ||:::::::::ヽ 大坂に行ってきま〜す
ヽヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ_/
君は空を仰ぐかい 仰いでごらん
あそこだよ あの山の上 ほら あの星さ
小さな星さ 小さな星が 俺なのだ
だから生きている夢もある
夢があるから 明日がある
そうだよ 俺が生きているのは 今この時さ
猿飛佐助の歌 柴田錬三郎 作詞
>>326 猿飛佐助・霧隠才蔵・穴山小介・・・微妙
三好青海入道・三好伊佐・・・モデルがいる
由利鎌之助・筧十蔵・望月六郎・海野六郎・・・実在っぽい
根津甚八・・・現在も存命
木村重成の家紋は剣片喰であった。
子孫繁栄させるために、兄弟で豊臣方と徳川方に分かれたのはあまり知られていない。
兜に香を焚きこめ、悲壮な覚悟で散った若武者は後世までその名を轟かせ、
兄は常陸国にて子孫を繁栄させた。
幸村曰く、「天下の事は今日に決す。公、宜しく主公を促し出づべし。・・川場の軍(明石守重)も期に赴くべし」
秀頼桜門に在り。・・左右に列を成し、馬に鞍して待つ。秀吉東征の儀の如し。兵士勇躍す。
俄に・・治徳の書至る。曰く。「聞く、城中に内応を約する者あり・・」治長、危惧し、秀頼を止める
幸村 「中軍何ぞ来らざる」 「吾が族(兄信幸)、東に在り。治長、常に我を疑ふ。・・」
敵兵益々迫る。中軍及び川場の兵皆至らず。「事皆背けり。これ我が死日のみ」
大野治長(^ω^)ニコッ
う〜む。
家康の正当性云々を論じていたらよく分からなくなってしまったよ。
確かに庶民には上の世界の正当性がどうのなんて、どうでもいい話かもしれない。
むしろ雪村が支持を受けた理由は、「忠義」にあるかもしれない。
実際には、豊臣家に対して「忠義」なんてなかったかもしれない。
多分死ぬ前にもう一花咲かせたいって所が、雪村の本音だったんだろう。
しかし、外から見たら一応、関が原からなら一貫した「忠義」を実践はしてるようには見える。
「忠義」は忠臣蔵のように、結構庶民にウケる。それが関が原の巧みな実績と相まった。
それで娯楽化されたりして広まる。雪村人気はその結果かもしれないな。
日本人は判官贔屓なので、あと1000年もしたら北の将軍様ですら英雄視しそうだよ
342 :
名無しさん@七周年:2006/10/10(火) 23:11:25 ID:3t7xFXYq0
344 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 05:32:12 ID:uD5PgFIB0
♪六文銭の旗 高々と ゆくぞ ゆくぞ 真田十勇士〜
345 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 08:20:58 ID:Kb9RzGbX0
こんなこともあろうかと、十勇士を100人作っておいた。
なんだよこのスレタイは。
一瞬、当時の写真が発見されたのかと思ったじゃないか。
すぐにあり得ないと気づいたけど。
348 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 08:23:18 ID:LKwtYXyF0
>母袋
ははぶくろ?
なんて読むん?
349 :
海舟問屋:2006/10/11(水) 08:26:52 ID:9Aj8b4adO
>>339 血統については、論じてもしょうがないよ。
信長だってかなり怪しい。
ちゃんとわかった人間は天皇家ぐらいだね。
あと幸隆は主家を売ったというが、戦国大名の出来上がりはだいたいそんなもん。
藤堂家なんて大小合わせたら、十本の指じゃ足りないかも(笑)
幸村ら最後まで忠節を尽くしたのは、最期を飾りたかったのもあるけど、
豊臣家の人質生活もあるだろうね。
なんとなく頭あがんなかったんだろう。
父の昌幸も武田家の人質で、ほぼ最期まで武田家につかえてる。
(昌幸はだいたい豊臣家より(になるため)に主家を変えてるし、
小大名の苦労はわかってるはずなのに
秀吉が「表裏比興のモノ」と呼んだのは
昌幸の野心を見抜いていたからと思う)
もともと真田家は恩を感じやすい家なのかも。
あと面白いのは、大坂の陣では 誰も家康にとって変わろうという野心をハッキリ持って戦った武将がいなかったという点。
あんだけ人間がいながら日本史の中でも珍しい現象(笑)
350 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 08:30:11 ID:+RE8NhuCO
笹沢佐保、火阪雅夫、司馬遼太郎の十勇士は好きなんだが村上元三、柴田錬三郎のはどうも受け付けないんだよな・・・他に十勇士描いてるいい小説ってないか?
351 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 08:34:38 ID:RD1cqTh+O
六文錢って三途の川の渡し賃だっけ?
352 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 08:43:37 ID:Xdwu3p690
そそ
354 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 09:09:06 ID:wK686PKv0
十勇士の中で一番好きなのはくぐつ甚内だな。
明日の決戦で本陣に敵が攻め込んできたら切腹します
1 名前:徳川家康 投稿日:1615/05/06
敵がこんなトコまで攻め込むワケねーだろ(ププ
未だに豊臣が勝つと思ってる厨房氏ね(藁
364 名前:松平忠直 投稿日:1615/05/07
もうだめぽ
365 名前:本多正純 投稿日:1615/05/07
お、おい、越前勢が破られたぞ…
366 名前:徳川秀忠 投稿日:1615/05/07
真田が来たぞ!(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル
367 名前:伊達政宗 投稿日:1615/05/07
真田キタ━━(゚∀゚)━━( ゚∀)━━( ゚)━━( )━━(゚ )━━(∀゚ )━━(゚∀゚)━━!!
368 名前:細川忠興 投稿日:1615/05/07
真田キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)゚∀゚)´-`)━━━!!!!
369 名前:井伊直孝 投稿日:1615/05/07
赤備えのパクリキタ━━━(;´Д`);´Д`);´Д`);´Д`);´Д`)━━━━!!!
370 名前:藤堂高虎 投稿日:1615/05/07
切腹キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(・` )━(ω・` )━(´・ω・`)━( ´・ω・)ショボーン
371 名前:片桐且元 投稿日:1615/05/07
大御所、逃げるのかよ!
372 名前:豊臣秀頼 投稿日:1615/05/07
>1 ( ´,_ゝ`) プッ
356 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 10:30:51 ID:uZJi8w3s0
サスケ!お前を斬る!
357 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 12:08:26 ID:X8pjmMfZO
358 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 12:12:19 ID:bYP4oeMN0
おっさんのコスプレがそんなに珍しいか。
359 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 12:15:02 ID:xoeNtR7h0
真田幸村と言えば、群馬県沼田市。
そういえば、うちの近所に嫁だかの墓がある。
360 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 18:43:43 ID:nF36nDLZ0
なんとか羽柴家が存続してればなあ。
一万石でいいからさあ。
秀頼は仕方がないとして、その子に羽柴を継がせてほしかったよ。
361 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 19:15:31 ID:oyD4ZUXl0
みんな淀君が悪いんです。
この手のスレは大体そうだが、ここも案の定
夢の壊れるような史実レスがズラズラ並んでいるなぁww
365 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 19:44:38 ID:jYNYJZZb0
>>364 そんなんで壊れる夢なんてとっとと壊しちまえ
虚構と現実をちゃんと理解した上でロマンを楽しむがよろし
求められるのはそういう能力だわさ
鮮人レベルの衆愚に陥るなかれ、だ
鮮人とは〜ウィキペディアより
祖国をこよなく愛し、自尊心が強い人たち。ロビー活動が活発で
良いと思ったものは起源は自国からだと決め付けてしまう人たち。
367 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 20:21:36 ID:0ILlZTG/0
368 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 20:33:56 ID:I9Bz52+p0
真田って今の時代だとただのテロリストだろ?
370 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 23:48:22 ID:X8pjmMfZO
>>369 それを言っちゃあ…真田だけでなく他の戦国武将も…
371 :
名無しさん@七周年:2006/10/11(水) 23:51:31 ID:YzgpgSfF0
どっちも自分が正しいと思ってるだろ
>>370 戦争中でもないのに、
一般人を襲ったり人質にとったりしたの?
>>359 むしろ、昌幸、信之と縁が深いところなんじゃ?
小松殿の有名な逸話の舞台もここだし。
正覚寺に小松殿の墓があるね。山車の人形にも小松殿あるし。
374 :
名無しさん@七周年:2006/10/12(木) 03:20:14 ID:Pg/fRvul0
さるとびえつこ
375 :
名無しさん@七周年:2006/10/12(木) 03:31:39 ID:JPOZNJu00
真田幸村といえば学研かなんかの伝記漫画がかっこよくてな〜
鹿の角の兜に陣羽織が素晴らしく絵になってた
実際はあんな兜じゃないのか?あれが好きなんだが
>>369 ポジション的には郵政造反組じゃないか?
>>375 本人は腰が曲がって歯がガタガタで全く格好良く無かったそうだ。
幸村=イケメンのイメージが定着したのは草刈正雄のせいか?
377 :
名無しさん@七周年:2006/10/12(木) 03:47:34 ID:iKj56b7u0
>>376 逆!
イケメンのイメージが既にあるから草刈がキャスティングされたの
反徳川色の強い大坂では、江戸時代から幸村は美化されていったんだよ…
決定的になったのは明治時代の大阪の立川文庫じゃないかな(真田十勇士を作ったのもココ)
>>375 あれは格好良かった!
息子との別れのシーンや、最期に兜を脱ぐ
場面で何度泣いたことか。