【中国】中国北部、4千年前の“小麦”伝来がきっかけで農業が発展 中華文明の形成に影響
1 :
早よ説教部屋に来栖川芹香 m9( ゚д゚) → ネットナンパ師φ ★:
(全文は→)
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/news/20060919/8.htm 中国の学者たちは「中華文明のルーツを探るプロジェクト」の第一段階の研究活動で、「西ア
ジアを起源とする小麦が4500年前に中国の中央部地域に伝来したたことは、中国の北部で
根本的な農業革命を引き起こすきっかけとなり、この地域がそれ以後の長い間に中国の政治、
文化ひいては経済の中心となるための確固たる基盤を打ち固めた」という結論を引き出した。
陶寺、新砦、二里頭、王城崗など4ヵ所の遺跡から発掘された数万粒の炭化したさまざまな
種類の植物のタネなど貴重な植物遺物に対する測定や数量化分析を通じて、「紀元前2500
年から紀元前1500年にかけての時期に、この地域の農耕生産はアワを主な農作物としてい
た」ことが明らかになった。つまり、中国北部では伝統的な畑作農業が行われていたというこ
とである。
紀元前2500年から紀元前2000年までの竜山時代に、この地域においてはアワの栽培だけで
なく、イネもは重要な農産物となっている。二里頭時代に、イネの作付け規模や人々の生活に
おける地位はこれまでなく重要なものとなっていた。また、西アジアを起源とする小麦がこの
地域に伝来し、中国の商代(紀元前16世紀−紀元前1066年)の初期の二里崗期において、
イネの地位はいくらか低下し、小麦の作付け規模が急きょ大幅に向上した。この地域の農業
生産における小麦の台頭は、中国北部の畑作農業の作付け制度の根本的な変革を告げる
ものと言える。
中国北部の全域から見れば、小麦がアワにとって変わり、主な食糧作物になったことは農業
分野の革命と見られた。小麦は生産量の多い農作物であるので、大規模の小麦作付けは中
国の北部地域の土地の生産量を大幅に引き上げ、これにより、黄河の中・下流地域を中心と
する中国北部の畑作農業地域は、長江の中・下流地域に代表される南部の稲作農業地域に
匹敵しうる生産能力と経済力を保有することになった。これは、この地域が長い間中国の政治、
文化ひいては経済の中心となった原因の一つとも言えよう。(抜粋)
<関連・参考>半坡・二里頭など、古代中国都市(夏・周〜晋)の箱庭建設シミュレーションゲーム「エンペラー」
http://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1090030832/
2 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:21:51 ID:eHpq9cZz0
稲より小麦のほうが生産効率っていいの???
3 :
アジアのこころ:2006/09/23(土) 04:21:55 ID:sP2HMnqU0
日帝が世界侵略をしようとしている歌をみつけました
その証拠となる歌詞の一部をのせます
日帝の右翼NEETの連中は自戒するべき
あばば あばば 踊れ増やせ 世界制覇だ
ロシアを カナダを インドも
あばば あばば 踊れ増やせ 地球この手に
チャイナを ユーロを トルコも
4 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:22:14 ID:hKTrpFg00
韓国から伝わったんじゃねえの?
5 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:22:33 ID:DgKaqbfb0
中国の文明を朝鮮が伝えてくれなかったら日本人は今でも
裸同然の姿で獣を狩りながら暮らしていたんだろうなあ
6 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:22:43 ID:+DmKXtGF0
コキントウは1989年1月、チベット自治区の共産党書記に就任すると、
軍事力に基づいて、徹底的に独立の言論者を投獄し殺害。
チベットへの中国の侵略および残虐行為、民族浄化に対しては、国連
で複数の避難決議が採択されている。
ttp://www.youtube.com/watch?v=Hw5TjBsdnz8 チベット人600万人に対し、750万人の漢人(さらに2000万人にまで入植
を増やすという情報もある)を入植、チベット女性の強制的な不妊化、チベ
ット女性と漢人入植者の強制結婚、強制混血児出産。チベット人は少数派となった。
東トルキスタンでは、民族浄化に加えて、数多くの核実験が行なわれたために、
放射能の影響で多数の人が死に、また奇形児が生まれたという。
7 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:25:01 ID:Jyi+OM1CO
西アジアが起源?
なに言ってんだか。
朝鮮半島に決まってるでしょ!
北京政府は感謝しる!
8 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:26:31 ID:eHpq9cZz0
9 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:27:05 ID:3n9mXscI0
>>1 ゲームの紹介をしたかっただけとかじゃないだろうな
いろいろあるけど、中国は科学的研究の水準は
それなりに高いと思うことが多いなあ。
科学を無視した主張を並べる国が近くにあるんでよけいそう思う。
えっ?
>>9 ∧ ∧γ⌒'ヽ
(,・∀・ i ミ(二i
/ っ、,,_| |ノ
〜( ̄__)_) r-.! !-、
`'----'
>10
つ[漢芯]
13 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:32:54 ID:E8MiJ5DR0
小麦から何つくってたの?
まさかパン?
14 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:33:49 ID:Zo28RW2X0
15 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:34:04 ID:hKTrpFg00
うどんじゃね?
16 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:36:01 ID:Nb1/ATao0
先生!
中国は曲がりなりにもこんな具体的な話が出てきて4500年前などの話になるが
何で朝鮮は「5000年前」を連呼するのに具体的な話が一つも出てこないのは何でですか?
17 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:36:50 ID:eHpq9cZz0
>>2 水田を使わないいわゆる”おかぼ”はすさまじく収穫高が悪いとか聞いたことがある。
小麦と比較してどうかは知らない。
19 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:44:17 ID:yZcFMlEb0
>>8 そうね。半島はストローでさえないのが実情。
日本と縁の深かった百済なんかも、その文化と民族の源流は倭国と同じ長江文明でしょ。
今でもって、稲作の朝鮮渡来説を載せてる教科書は、狂ってるよ。
20 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:44:31 ID:LSAWOgXF0
>>2 稲の方が数倍いいが水とか気候とか条件厳しすぎ
21 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 04:45:48 ID:eHpq9cZz0
稲は、DNA調査か何かで、結局中国の長江流域から直接渡来したってことが判明したんだよね、
確か
韓国の遺跡にあるものとは品種が違ったらしい>日本の稲
22 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 05:00:39 ID:eHpq9cZz0
あったあったこれだ↓
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/food/1142589299/ ■■日本人は韓国人よりも早く米を食べていた■■
1 :もぐもぐ名無しさん :2006/03/17(金) 18:54:59
日本人は韓国人よりも早く米を食べてました。
韓国から米が伝わったというのはウソです。
韓国人得意の捏造です。
近年の研究では縄文時代には陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていることがわかってきています。
つまり朝鮮半島よりも日本の方が早期に稲作が行われてきたということです。
また遺伝子考古学により稲の伝来方法も朝鮮半島よりも「長江周辺から直接伝来したルート」が有力視されている。
1、縄文後期に属する南溝手遺跡の土器片中からプラントオパールが発見されたことにより、約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていることが明らかにされた。
さらに朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、稲作は縄文時代前期から行われていた。
また、水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも判明しつつある。
さらに近年の炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが紀元前9世紀まで遡る可能性が出てきた。
朝鮮半島よりも早期に稲作が行われていたことを示すデータとして注目されている。
2、大阪の池上曽根遺跡や奈良の唐古・鍵遺跡から出土した2200年以上前の弥生米のDNA分析を行なったところ、日本と中国にしかない固有の(朝鮮半島には存在しない)水稲の品種が発見された。
これは稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠となる。
3、弥生時代の稲作の跡と言われている所から出土する稲は、熱帯ジャポニカと言われる種類は縄文時代に伝わった稲が弥生時代になってもそのまま栽培されていた事を示しており、古墳時代にもこの傾向は続き、江戸時代になっても熱帯ジャポニカの稲は出土します。
結論として、弥生時代に朝鮮半島からやってきた稲はあったとしても極めて少ないと考えられる。
土地の単位辺りから取れるカロリーは米のほうが高いけど
降水量とかの条件が厳しい
中国北部なんて気温低いし感想してるし、稲なんか碌に育たないような環境。
稲(とくに水稲)は、栽培に大量の水と温暖な気温を要求する、贅沢な穀物なんだよ。
麦の発見と栽培の開始によって、稲に頼らなくても農耕でやっていけるようになった。
水が少なく気温の低い地域にも農耕文明が進出できるようになった。
日本だって、東北地方で稲作やってまともに軌道に乗るようになったのなんて
人類史・日本史からしてみれば「つい最近」の戦後になってからの話で、
それまでは関東以北は麦や雑穀作って文字通り糊口を凌いでいた。
26 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 05:41:16 ID:eHpq9cZz0
27 :
◆lxiuyer5nk :2006/09/23(土) 05:45:01 ID:U0yFofCg0
ご当地うどん戦争、ここに終結。
竜山文化は中国の新石器時代で、黄河流域の黒陶文化。
小麦栽培が西アジアから伝わった文化ならば、その経路を明らかに
すべく追求してほしいものだ。西域の遊牧民経由以外にあり得ないと思う。
文献の残る殷以降ならともかく、夏以前の歴史を政治的思想的に語るのは
よくない。夏以前の中国北部なんて、そもそも中華文明じゃなかろうに。
殷墟でさえ河南省にあるのに、なんでそれ以前にもっと北方が
政治経済の中心になったかのような印象操作をするかなあ?確信犯だなあ。
その頃の日本島ではと言えば、主にクリの木を栽培して実を食ってたらしい。
イモやイネやくだものも食っただろうし、水も草木も魚介類も獣肉類も豊富だった
ろうから、食うには大して困らなかったはずだ。インディアンやエスキモー、
アボリジニのような生活だろう。狩漁採集生活というのはいいもんだ。バンザイ。
中国中心の神話時代を語りたいがために考古学を用いるような真似は止めて欲しいものだ。
29 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 07:14:12 ID:rvUaUN740
>>16 それは日本内ではニュースにならないからです。
>>2 >稲より小麦のほうが生産効率っていいの???
比較的寒さに強いからね。
日本の大飢饉は米の寒さに於ける弱さも一因にあったのだ。
>>28 >確信犯だなあ。
わざと間違った用法をなす意味が理解できない。
>>31 >わざと間違った用法をなす意味
思想普及が理由。五族共和(漢満蒙回蔵)の思想が背景にある。
(孫文の大アジア主義)
>>32 >思想普及が理由。五族共和(漢満蒙回蔵)の思想が背景にある。
>(孫文の大アジア主義)
普通に考えて、わざわざ寒冷地を回って半島経由で稲作が日本に来るという方が
不自然。
35 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 12:33:41 ID:eHpq9cZz0
中国北部に「小麦」が伝来したことの意義を学者が発表したことがニュースになっているのに、、
なぜか「稲は半島経由の伝来でなはない!中国南部から直接伝来したんだ!」と韓国の捏造
を否定するスレと化している件について
36 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 12:37:49 ID:pkIy78eV0
俺はご飯派だな
確かに。
スレの流れはなぜか、韓国を経由したがっているようだ。直接伝来はできんのかな。
38 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 13:58:54 ID:LSAWOgXF0
39 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 14:38:54 ID:gFv+fWnn0
小麦の起源も栽培の歴史もまぁ確証の高そうな科学的な学説だしツッコミ様が無い
支那の古代史研究は意外とマトモでネトウヨには面白くないから
脈絡無くチョンネタで釣ろうとする輩が発生してくる。
それも大して面白くないから直ぐに飽きられて速攻でスレが落ちる
40 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 14:42:42 ID:hyeBLI1k0
>>30 大飢饉って江戸時代のことだろうけど、あれは人災だよ。
もう一千年も前に停滞衰退してる文明のお話なんてどうでも良いよ
今じゃ腐敗して腐臭を醸し出して、周りの迷惑になってる
小麦を持ってきた征服者が西方の文明も持ってきて、志那でアレンジしたのが華北の文明
漢民族は漢の時代までは支配される側の原住民だった
漢が終わったらまたもとの形に
それだけのことよ
43 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 16:32:56 ID:sEIATt4b0
40レスを超えて『マジカルナース小麦ちゃん』の
話題が出ないことに驚き。
44 :
名無しさん@6周年:2006/09/23(土) 20:56:25 ID:eHpq9cZz0
マ・ジ・カ・ル・バナナ
>大飢饉って江戸時代のことだろうけど、あれは人災だよ。
阿呆か。小氷期の到来による地球規模での気温低下が原因だよ。
さらに浅間山が大噴火して全地球規模で平均気温を下げてダメ押ししてる。
欧州ではこれで革命が起きてるからな…まあ地球がくしゃみしたら人間はひとたまりもねえって事だ。
で、そんな時期に稲作の北限に近い東北で耕作面積の多くを稲作に割いていたので
東北はちょっと気温が下がると途端に食う物に困るという按配に。
これを克服できたのは実に戦後になってから。
今では北海道でも米作ってるけど、これが軌道に乗ったのも戦後の話。
そもそも庶民まで一日三食白米が常食、なんて生活が可能になったのが戦後に入ってからの話で。
「日本人は米」ってのも案外歴史の短い、実態のないイメージみたいなもんだな。
それ以前の2000年は「日本人は米に憧れていた」と言った方が正しい。
関東以南でも銀シャリなんざとても常食はできなかったからな。
それ以前と比較して食糧事情が大幅に改善された江戸時代に
武家の病「江戸わずらい」として有名だった脚気なんてのも、
要するに支配階層や富裕層しか銀シャリを常食することはできなかった
(庶民の常食は麦飯や雑穀飯だった。餅や銀シャリ食えるのはハレの日だけ)ってことの証左。
46 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 03:16:04 ID:bGuhvQc60
確か、朝鮮半島も(寒いので)昔は安定して稲が取れなかった。
それを、日本が朝鮮を植民地にしている間に北国でも栽培できるよう稲を品種改良をして、
そのお陰で朝鮮で稲が安定して収穫出来るようになり、逆に本土(日本側)に輸出できる
ようにまでなったんだったっけ?
47 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 04:07:12 ID:Csh/OINN0
48 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 04:17:47 ID:FHeApZpr0
シヴィライゼーションさっきまでやってた
よくナマコを最初に食った奴はスゲーとか、いやいや蛸を最初に食った奴のほうが・・・って言うけど、
ナマコや蛸が見た目グロテスクってのは本能的なものでなく後付けの感情っぽいだろ。
俺的には米や麦など穀類を最初に食った奴のほうがスゴイと思う。
普通、腹を満たすためにはガッツリ食べたいから、もう少し大きなものを探すだろうにワザワザ小さくて
めんどくさい皮のある穀物を食おうと思う発想が凄いなあとw
>>42インドなら納得できるが、アフリカ、西洋、中近東文化が源流とは到底思えない。
>鎌倉時代の方が江戸時代よりも平均身長が高かったし、地域や階層に
>よっても大きく異なる食糧事情を大雑把に論じ過ぎ。
ニュー速+に何を期待しているのか知らんが、概要の説明を大雑把だと批判するなら
然るべき場所へ移動して揚げ足取ってやっても構わんぞ?
>また、江戸わずらいの脚気は精米の仕方が原因であって、米食自体(玄
>米)は格別贅沢なものではない。
ああ、不勉強なお前は銀舎利(白米)という形容が理解できなかったようですね。
で、庶民はその玄米を突いて精米したものに、麦や雑穀、野菜なんか入れて炊いて喰ってたわけですよ。
一汁一菜どころか雑炊食ってる方が多かったくらいだ。
菜っ葉の味噌汁に麦飯、それに一家四人で目刺一本を奪い合い、なんてのが庶民の相場。
最も食糧事情の良い江戸でさえそんな状態であって、辺境へ行けばさらにひどいものを喰っていた。
米なんて年貢(要するに税金)を納めるために作る作物であって、主食には程遠かった。
以前にもこの時代の食糧事情を話してるときに、そもそも農家なら米を売るほど作ってるだろ
とかほざいた馬鹿も居たわけだが、当時の農民なんざほとんどが小作人、
要するに土地持ってる支配階層の使用人でしかない。言い方を変えれば農奴に近いような存在だった。
>当時の食は、将軍ですら脚気が原因で
>命を落とすような栄養事情なので、ビタミンB1の大きく欠乏するこの精米
>方法を続けること自体がそもそも無謀。
だから、庶民は麦飯や雑穀飯に菜っ葉の味噌汁が相場。それも面倒だったり米た足りなければ同じ材料で雑炊作って終わり。
富裕層でもおかずなんてのは今の感覚からしたら何の拷問かってくらいの粗食だよ。
それで飯だけ白米食ってりゃ、脚気になって当たり前だっつーの。
で、江戸に出てきて白米食って脚気になっても、郷里へ戻って麦飯喰えばあっという間に回復すると。
つまり、江戸の支配階層や富裕層以外は銀シャリ(白米のことですよ)を常食なんぞしていなかった、
なぜしなかったかといえば食糧事情がそれを許さなかったからだ、ということになるわけだ。
ああ、あれか、麦飯や雑穀飯を、麦100%を飯のように炊いたモノとか
粟や稗を100%で炊いたようなもんだと勘違いしてるのかね。
家庭科で麦飯炊かせてみたら麦100%で炊こうとしたとか、
下宿してる息子に母親が米と麦を仕送りしてやったら麦だけ煮て喰おうとして捨てられたとか、
こういう馬鹿がゾロゾロ居るようなご時世だしな。
現在だと麦飯の相場は米8対麦2くらいだが(これ以上麦が増えると不味くなる。まあ当然だが)、
江戸の庶民の食ってた麦飯ってのは7対3とか6対4とか、米3麦3粟2とかいう、壮絶な代物だった。
そして銀シャリに憧れていたってのが相場だな。
日本中から米が集まる江戸ですら庶民はこんな有り様なわけで、地方の庶民はもっと酷いもん喰ってたよ。
庶民でも銀シャリを当たり前に一日三食食えるようになったのは、上にも書いたが戦後に食糧事情が改善してからの話だ。
そもそも明治時代に陸軍で兵士に白米食わせて脚気が蔓延したときに
麦飯食わせば治るんじゃねえの?って文句垂れられた軍医様が
「帝国の兵士に麦飯なぞ食わせられるか!」と啖呵切ったってのは有名なお話で、
その軍医様ってのがかの有名な森鴎外だったりするから歴史って面白い。
>>51 江戸時代のコメの集散地は江戸じゃなくて大阪。
江戸が食糧に関して僻地だったのは事実だろう。
江戸に回されるコメは天領(幕府の直轄領)の代官と各藩が江戸屋敷に
回送したものが放出された品で、庶民に配給していたわけではない。
(そもそも長屋に住んでた大工や物売りなどは町人ですらなく、ただの
浮浪階層とみなされていたので庶民と呼んでいいのかどうかも怪しい)
江戸時代の農民は武士の下で直接支配されてたんだから、地主がいるわ
けもなく、小作農と呼べる存在があるとすれば、庄屋の家の下男ぐらいだろう。
江戸時代はあらゆる意味で封建制度の階層社会だ。
戦前と江戸時代を混同したような馬鹿げた妄想を語りたいだけなら
チラシの裏にでも書いとけ。非常識にも程がある。
なんで中国のスレでこんな事を説明しなきゃならんのだ。
あんた、本当に日本人か?関東以南は海だって知ってるか?
あー、念のため。江戸で麦飯を食ってたのは、武蔵野台地に
畑しか作れず麦や野菜中心だったからだよ。川越の甘藷、
練馬の大根も同じ理屈だ。
中国の小麦とどういう関係があっての事かは、知らん。
55 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 08:00:52 ID:bGuhvQc60
その麦さえない時代には、やはり日本人は魚介類と木の実で何とか生きていたのだろうか
↓高粱でも食ってろ
>53
一見もっともらしく見えなくもないが嘘ばっかり垂れ流してあるなぁ。
こういう確信犯ってどう遇するべきなのかね…
>江戸時代のコメの集散地は江戸じゃなくて大阪。
馬鹿だね。
米は江戸時代の経済の根幹で、幕府の財政(つまり国費)も全部米が基盤。
結果、日本中で徴税された年貢(つまり米)は江戸へ運ばれることとなる。
集まった米は今でいう公共事業などの経費に当てられ巡り巡って下々へと配分された。
金は天下の回り物という格言は、文字通り米にも当てはまったのだよ。
大阪が集散地?西日本と近畿・北陸の米が通過しただけだろうが。
>江戸が食糧に関して僻地だったのは事実だろう。
米だけは潤沢だった。
その米でさえ、庶民は銀シャリを一日三食喰うなど夢物語だったのだよ。
>江戸時代の農民は武士の下で直接支配されてたんだから、地主がいるわ
>けもなく、小作農と呼べる存在があるとすれば、庄屋の家の下男ぐらいだろう。
「農民は武家の下で直接支配される」
へぇ、天領でもない諸藩で武家が農民を直接支配、ですか。こりゃ初耳だ。
何のための名主制?庄屋って何のために居たのかな?お兄さんに説明してごらん?
>江戸時代はあらゆる意味で封建制度の階層社会だ。
>戦前と江戸時代を混同したような馬鹿げた妄想を語りたいだけなら
>チラシの裏にでも書いとけ。非常識にも程がある。
その階層構造をよく理解できていいないようですなぁ。
いまどき田舎に残って民俗博物館みたいになってる庄屋の家の作りや設備、風俗が
そのまま庶民の生活だったと思ってしまうのがお前の想像力の限界ってやつだろう。
庄屋や名主などの豪農ってのはいわば中間管理職であって、既に庶民とは居えんよ。
士農工商では確かに農民だけどな。
その中でさらに極端な階層構造があり、小作農は彼らに使役され文字通り生かさず殺さずで
口に糊して納税用の米を耕作していた。これが江戸時代における農村の現実。
ま、体のいい農奴ですな。
三食銀舎利?どこの世界の江戸時代のお話なのかしら(嘲笑
59 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 08:21:45 ID:zYP0Nmv40
釣られちゃダメだ
釣られちゃダメだ
釣られちゃダメだ
>あー、念のため。江戸で麦飯を食ってたのは、武蔵野台地に
>畑しか作れず麦や野菜中心だったからだよ。川越の甘藷、
>練馬の大根も同じ理屈だ。
主客が逆転してるよバーカ
武蔵野や上総で麦や野菜を主体として稲作がそれほど盛んでなかった原因は
武蔵野台地は富士山の火山灰が積もった関東ローム層のせいで水はけが良すぎて
稲作に向かないという性質もあるが、そもそも江戸中期まで灌漑設備が未整備で
(何しろ江戸幕府ができるまでは僻地だったからな)
十分な農業用水を確保できなかったからだとかもっともらしく言われるが、
何より最も大きな理由は経済的なものだ。
日本中から米が集まる江戸のすぐ側で、米作ったって意味ないだろ。
無理してまでまずい米作るよりも、副食作って江戸に運んで売る方が明らかに儲かる。
で、麦や野菜を作っては江戸に運んで消費される、という構図が出来上がる。
この麦の栽培が盛んだったことが、後に醤油(と麦味噌)の醸造につながるわけだな。
関西人が墨汁と揶揄して止まない「江戸むらさき」の醤油が出来上がる背景というわけだ。
で、日本中から米、関東近傍からは野菜や麦、雑穀などが運び込まれ
江戸前の魚介類と組み合わせて彼らの食文化が形成された。
庶民にとって米は高価だったから、常食は麦飯や雑炊で、銀舎利(白米)や餅が食えたのは
盆と正月、あとは祭りの日くらい。文字通りハレの日だけだったというわけ。
市民階級でも富裕層は銀舎利食ってたし、一方の武家でも下層武士は銀舎利なんか縁遠かった。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士を事後に聞き取りした今で言う調書には、討ち入りの日に喰った飯の
メニューまで書いてあるくらいで実際に麦飯食ってることが判明してるし、
幕末でさえ新撰組に入れば銀舎利が食えるなんてほざいていた奴が居たくらいで、
庶民にとって真っ白な飯ってのは、憧れの、特別なメニューだったわけだな。
61 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 09:25:32 ID:bGuhvQc60
こういう論争は、読んでいてもためになるし面白いな
そういえば、昔の歴史の授業で聞いた話だが
、
「日本は年貢が重く、農家は米の多くを持っていかれて自分達は消費できなかった?」
「じゃあ、その年貢の米は誰が食べたのか?
支配者階級が全部消費したのか?・・・・人間食べる量には限界あるだろう。
じゃあ、それは海外に売り飛ばしたのか?江戸時代に米が大量輸出されていたなんて文献はない。
じゃあ、その取り過ぎた年貢米。支配者階級やら商人やらが消費し切れなかった余剰分は、一体
どこへ消えたのか?農民が買いなおしたのか???」
、、、ってことで、結論として「結局農家も年貢が重い重いといいながら、それほど納めていた
わけではない・・・ってなことになって、すげー面白かったのを思い出した。
62 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 09:55:34 ID:4W7Gob+/0
>>61 庶民は税を取られる限り、量の多少に関わりなく
重い重いと言うのだろうな。
人のいう事などアテにならんなw
>>62 今もそうだしな。
何かと言えば「血税血税」って、「カリスマ」みたいに軽い言葉になっちゃって。
まあ寒いところだと伊根より小麦のほうがイイよな
>「じゃあ、その年貢の米は誰が食べたのか?
>支配者階級が全部消費したのか?・・・・人間食べる量には限界あるだろう。
>じゃあ、それは海外に売り飛ばしたのか?江戸時代に米が大量輸出されていたなんて文献はない。
>じゃあ、その取り過ぎた年貢米。支配者階級やら商人やらが消費し切れなかった余剰分は、一体
>どこへ消えたのか?農民が買いなおしたのか???」
>
>、、、ってことで、結論として「結局農家も年貢が重い重いといいながら、それほど納めていた
>わけではない・・・ってなことになって、すげー面白かったのを思い出した。
六公四民(年貢=税金が収穫の6割、手元に残るのが4割)や五公五民(収穫の半分は税金で持っていかれる)と言われて
徴税された米は何処へ行ったかというと、各藩や幕府の財源であり支配階層の主食ともなり、
彼らが興す事業に関わる市井の市民の稼ぎでもありまた主食となり…で、
結局当時の耕作面積および収量で養える人口の限界が当時の人口となっていたわけ。
それでも江戸や大阪では都市圏が拡大し、市民の食い扶持は全て農民が生み出していたわけ。
稼ぎの半分(以上)持っていかれて、その残る半分や4割ってのも農村の共同体に残る量であって、
彼らが人力で耕作して作れる量の半分持っていかれるだけでもわりととんでもない話。
なにしろ農業も人力が頼りだから、家督を継ぐ長男以外は碌に食い扶持も回ってこないしもちろん結婚もできない。
耕作面積が広がらない限り結婚したって住むところは無いし、喰うモノもない。
で、人口比から言えば当時の人口の9割が農家で、その農家の人口の中でも生かさず殺さずで碌に米の飯も食えず、
人足として扱われて労働力だけ搾取され、子供すら残せずにきた人の方が圧倒的に多い。
江戸の人口にしても、農家の次男坊三男坊が出てきて、ここでも結局家も持てず長屋住まいで結婚もできずに枯れて行った人の方が多い。
当時の日本ってのは、鎖国していて海外との物資のやりとりというのは極めて限定された状況しか無かったし、
耕作可能な面積とその収穫で養える人口ってのが完全に決まっていて、
誰かが消えない限りそこに新たに人を増やすこともできないという、完全にゼロサムな社会だった。
ちなみに血税ってのは兵役のことで、血税を垂れ流すというのは
国費をもって徴兵した兵士をムザムザ死なせて文字通り血を垂れ流し、
金も命も信用までも垂れ流しにするという意味。
じゃあ金だけならいいじゃんって方向に行かれてしまうと本末転倒だが。
当時の短所がそのまま残ってるな。
自給率40%、人口過密
当時が自給率は100%だよ。
その代わり、人口と食生活レベルが自給できる限界ぎりぎりにおさえられていたけど。
69 :
婆:2006/09/24(日) 12:15:40 ID:JohEX/RP0
>>57 スレと関係ない上に議論の流れともあんまり関係ない話だが、
>結果、日本中で徴税された年貢(つまり米)は江戸へ運ばれることとなる。
こりゃ違うだろと。
大名の本社はそれぞれの国許であって、江戸屋敷は単なる東京支店なんだから。
そんで大名も米ばっかりあっても仕方ないから、家臣の給料に分配した残りは売っ払う。
その米取引所が大阪にあったわけで。
>こりゃ違うだろと。
>大名の本社はそれぞれの国許であって、江戸屋敷は単なる東京支店なんだから。
各藩が幕府に上納せずにまるまるガメてるってのもどこの江戸時代のお話なのかしら(嘲笑
>そんで大名も米ばっかりあっても仕方ないから、家臣の給料に分配した残りは売っ払う。
>その米取引所が大阪にあったわけで。
最大の取引所が大阪にあった、というならわかるんだけどねぇ…西日本と北陸からの年貢米が通るからね。
71 :
婆:2006/09/24(日) 12:27:20 ID:JohEX/RP0
>>70 >各藩が幕府に上納せずにまるまるガメてるってのもどこの江戸時代のお話なのかしら(嘲笑
いや、マジで知らんかったが、幕府の収入源は天領じゃなかったのん?
>いや、マジで知らんかったが、幕府の収入源は天領じゃなかったのん?
勉強してから口ききな
73 :
婆:2006/09/24(日) 12:33:36 ID:JohEX/RP0
>>72 すまん、勉強しようとぐぐったがわからん。
藩がお金で幕府に上納した例はいろいろ出てきたんだが…。
もしよければなんかソースを教えてくだちい。
74 :
婆:2006/09/24(日) 12:37:28 ID:JohEX/RP0
>>57 >ID:neagDwpS0
>>一見もっともらしく見えなくもないが嘘ばっかり垂れ流してあるなぁ。
何を持って「嘘」と断じているのかその根拠が定かではないが、
何の根拠もなく妄想を垂れ流してるのはそっちだ、ボケ!
こっちは、当時の流通組織、貨幣制度に基づいた反証可能な事実を
語っているだけだし、中学生でも知ってるような教科書的知識しか流してない。
もう一度中学校からやり直した方がいいよ。(行ってなかったらごめんね)
封建制というのは中央集権制の対義語で、藩の「独立した」領国経営を基本単位と
して、建前だけは合議制をとった幕藩体制の事だから、鎌倉時代の御恩-奉公の
関係に由来する賦役(ふえき)が課せられる事はあっても、上納金(上納米?)と
いう制度が普通じゃないのは当たり前。そもそも米=貨幣じゃないし、財政・貨幣
政策が混乱を極めたのが江戸時代の特色。大阪・堂島に唯一の幕府官許の
米市場が立てられ全国の米相場の中心になったのは、米の現物の全てが大阪に
集まった、という意味ではない。また平安時代の正絹反物のような現物貨幣でもない。
米はあくまで食糧だ。
江戸時代に地方農民が困窮したのは、直接的には商人からの借金が原因だと
言うのもほぼ常識だろう。もちろん藩からの取り立てが無ければ、とか、幕府の
経済政策がしっかりしていれば、凶作がなければ、とかの希望的可能性がなかった
わけではないが、それは各藩それぞれの政策、領主の器量、天候気象の問題なので、
間接的に影響はあっても農村各戸の借金の解消にはつながらない。逃散脱藩すれば
建前上は打ち首だし、農民にとってあれやこれやと物騒な時代ではある。
(古代〜現代にいたるまで農民が虐げられない時代はない)
実際、その経営が幕末まで上手く継続てきたのが、密貿易により潤っていた
薩長二藩だけ、というのは大変皮肉な話でもある。封建制度に根本的な欠陥があり、
大多数の藩にはそれに対処する力がなかったという事だ。
名主というのは村・町単位の自治組織の代表で、藩・代官から任命された世襲制
の有力者なのが普通だが、これも入れ札(選挙)で選ばれる場合もあったり、
気まぐれで変更されたり、没落して辞退したり、とさまざまだ。「役人」や「官僚」と
呼ぶには至らない気の毒な人たちだ。支配者ではない。
無理かも知れないが自分で調べてごらん。
77 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 19:12:11 ID:bGuhvQc60
>>65 >六公四民(年貢=税金が収穫の6割、手元に残るのが4割)や五公五民
いや、だから、その「六公四民」ってのが、数字で考えればそもそもありえないって指摘なんだけどな。
農民:非農民=9:1の人口比なんでしょ?
その農民の作った量の半分近い米を、その「9分の1」の人口の人たちが全部消費し切ってたの?
つまり、農民の食べる量の「9倍」の米を、侍や商人や町人が食べつくしてたの????さすがに無理でしょ
だから、六公四民ってのは、数字上ありえない話であって、事実上は農民・町民・商人・お侍がそれぞれ
生きていける程度の年貢しか納められていなかった(今の税金と一緒で誤魔化されていた)ってことになるわけ
78 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 19:45:51 ID:LITyf7ie0
中国って小麦圏だったのね
79 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 19:49:35 ID:YnxX6zsL0
小麦食の国は米食の国より凶暴な希ガス
80 :
婆:2006/09/24(日) 19:58:21 ID:JohEX/RP0
>>79 タロイモ文化圏とかトウモロコシ文化圏もほのぼのだよな…、
とか思ったけど、食い物というより宗教だな、きっと。
ほっといても育つ >タロイモ
あと勝手に生えるパンノキとか。
故に南方系はガツガツした空気は無かったな。
植民地にされるまではな。
トウモロコシ種によってはカロリー効率がバラバラ。
一粒が大人の親指くらいあるヤツ(一部はジャイアントコーンとか、つまみにもされとるな)
ありゃ中身がスカスカだし。
原産地のアンデス山脈系も、未だに食うのにいろいろ大変なところだなあ。
歴史的に見て、今の時代の日本ほど、
自国で生産しないワリには食料に満ちてる国は無いのかも?
82 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 20:48:37 ID:Vtc/Jcw+0
>>77 だから農民は米をほとんど食べれなかったんだよ。人口の9割が4割の
米の配分でその米も、換金作物(お金に換えての農機具を買う)なんで口に入る
わけではない。明治時代になると機械化の成果もあり米の生産量も上がり、米の
入った食事も出来るようになった。東北地方なんかはダイコン飯といって切り干
し大根が沢山入った食事なんだけどね。白米と比べても遥かに不味いんだけど、
健康には良かったかも知れん。考えようによっては、現代人もそばなんか有り難
がって食べる。カナダ人なんか、日本に輸出する為に作っても、そばは口に合わ
ないらしくて食わない。ちなみに現代の米作農家は白米食ってるけど、脚気にな
る人が多いらしく、野菜を食べろってよく指導されてるよ。
83 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 20:55:30 ID:IqiFqhEh0
>>76 地方領主(大名)を含む武士階級が困窮するのは分かるが、地方農民も困窮していたのか?
貨幣経済にとって、自給自足を営む農民階級にはそんなに関係ないはずだが?
武士などは生産階級等に寄生している階級なので、モロに貨幣経済の発達の波を被る事になったが・・・・・・・・・・・・
84 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 20:58:59 ID:IqiFqhEh0
>>76 あと、富農層が出現して人を雇って織物等を作らせる、所謂マニファクチャー(工場制手工業)によるプレ資本家層と
もいえる階級が発生していたことを考えると、その貧富の増大は理解出来るのだが、それでも一様に困窮していた
訳ではないと思うぞ。勝ち組、負け組みが農民層にも現れたのは事実だが。
85 :
名無しさん@6周年:2006/09/24(日) 21:06:31 ID:jK/1IsFr0
江戸時代の札差と為替と両替って商売を調べればいいんじゃね。
>>83-84 似非マルクス主義者の残滓かとも思えるような頭の悪い質問だ。
困窮はいつの時代にもどの階級にもある。
たいていは個人差・(階級差)よりも地域差・職業差の方が大きい。
もし階級が経済的格差の事を言うのであれば、江戸時代の一番上の階級は
豪商という事になって階級差という言葉自体が矛盾に陥るだろう。
経済的階級とはそういうインチキ臭い言葉使いだ。「勝ち組、負け組」もね。
明治時代に廃止されたはずの職業身分制度が階級の意味だろう。
全国で貨幣を介して物資の流通が市を通じて盛んになったのが室町以来の
事で、木綿が普及したのが江戸時代という事を知っていれば、
>>83-84のような
疑問が出てくる事はないと思う。武士が寄生階級なら貧農以外の全てが寄生階級だ。
農民にも衣食住の生活はあったし医療教育もある程度普及していたのだ
から完全な自給自足があり得ないのはあたり前。塩一つとってみても分かる。
階級とか制度とかいう概念に人間を当てはめるのではなく、現実の人間を
見つつ疑問を持ちながら概念を語るのが真っ当な歴史認識というものだ。
87 :
婆:2006/09/24(日) 23:21:26 ID:JohEX/RP0
>>81 確かにタロイモやパンノキは、ほっといても育つし、
パンノキはそのまま食えるし、タロイモも蒸すなり焼くなりすればOKだもんな。
コメはとりあえず籾殻を取り除かなきゃいけないし、おいしく食べようと思えば
精白もいる。コムギやソバにいたっては粉に挽かなきゃ食い物にならないと。
トウモロコシもどっちかといえば手間のかかる食い物だと思うが、
インディオの人たちは粉にしてパン焼いたり酒を醸したり、マターリしてたっぽいよな。
何か懐かしい雰囲気だな。
>いや、だから、その「六公四民」ってのが、数字で考えればそもそもありえないって指摘なんだけどな。
>
>農民:非農民=9:1の人口比なんでしょ?
>
>その農民の作った量の半分近い米を、その「9分の1」の人口の人たちが全部消費し切ってたの?
>つまり、農民の食べる量の「9倍」の米を、侍や商人や町人が食べつくしてたの????さすがに無理でしょ
>
>だから、六公四民ってのは、数字上ありえない話であって、事実上は農民・町民・商人・お侍がそれぞれ
>生きていける程度の年貢しか納められていなかった(今の税金と一緒で誤魔化されていた)ってことになるわけ
人口比で9割の農民が収穫の6割を徴税されて、それでギリギリ養って行けたのが人口比わずか1割の武家(と都市生活者)。
洋の東西を問わず、産業革命以前の社会で具体的に生産に関与しない人口を養えるのは1割が限界(大抵はそれが支配階級であり職業軍人だった)というのも常識。
麦を食っていたエジプトやギリシア、ローマの頃からこんなもんは常識だ。軍属が人口比で1割超えたら国家の屋台骨が傾くからな。だから国家にとって人口(=農民)ってのは重要なんだよ。
そして単位面積あたりのカロリーベースでの収量が麦に較べて大幅に高い水稲を栽培していた日本でさえも、この前提は崩せなかった。
当時の人口も耕作面積の拡大と見事に比例した変化を辿っているくらいだ。
こんな大前提も知らずに「六公四民なんてありえない」とかほざく時点で、お前はただ雰囲気で語っているだけの低学歴だと自分を喧伝しているわけだな。
で、愚痴ってるだけの低学歴にもわかりやすく書いてやると、
江戸時代に毎日三食白飯食っていられたのは、武家の上の方と富裕層だけ。
支配階級と言っても武家の下っ端は麦飯や雑穀飯ばかり食ってたし、
庶民、いわゆる町民や農民ってのはもう普段は米の方が量が少ない雑穀飯とか、
米入りの雑炊とか喰って食い繋いでいた。
白飯や餅が食えるのなんて冠婚葬祭と盆と正月と祭りのときくらいだ。
地域によってはそれさえも米なんか口にできずにうどんとかほうとうとか喰ってた所もある。
飢饉のときの話じゃねえぞ、平時でこれってことだ。
で、庶民(平民)が白米をそこそこ気安く口にできるようになるのは明治も終わりになってから。
結局太平洋戦争に突入するまで庶民が白米を常食するなんて世相は、日本史の中で一度たりとも成立していない。
庶民が毎日三食白米食えるようになったのは、戦争に負けて昭和の後半に入ってからの話だ。
日本人ってのは2000年米を栽培してきたわけだが、毎日三食白米食えるようになってからなんて
まだ50年そこそこくらいしか経っていないという意外な真実がそこにあるわけだな。
91 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 15:50:40 ID:QCA0syu00
だから、勝手に大前提とか言って勝利宣言するのもいいが、もうちょっと数字で計算してみれ
オマエは、「昔の人が言ってた。それを知らないのはオマエがバカ」と言ってる天動説信者にしか過ぎない
数字で考えろとか天動説と同じとか抽象的な事しか言えないのは
つまり具体的に批判できないということですね?
バカの相手おするとバカになるのでおつきあいしたくないということでつ
って具体的に何も言えない馬鹿の人に言い返されてもなぁ ┐(´ー`)┌
95 :
婆:2006/09/25(月) 21:57:15 ID:2RxUBPif0
おまいら、どうでもいいけど小麦の話をしろよ。
ようするにあれだ。
銀シャリもいいけど、北京料理のギョウザとか上海料理のシュウマイとか、
たまにすげー喰いたくなるべさ。
96 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 22:06:38 ID:cyjX572n0
いや。
麦と言ったら、うどんだぁぁぁああああああああああああああああ
97 :
婆:2006/09/25(月) 22:18:14 ID:2RxUBPif0
>>96 日本で言うところの麺といえば、北京料理の拉麺と雲南料理の米粉が…。
98 :
オレは粉食い。:2006/09/25(月) 22:32:37 ID:cyjX572n0
麦料理と、敢えて言おう。
うどん、平麺(きしめん、ほうとう)、ちぎり(だご汁やひっつみ、悪名高きすいとんも含む)
麦焦がしに、お好み焼き、お焼き、焼きまんじゅう。(全部郷土料理だな)
麺だけが小麦ではない。
つか、製粉して練って整形したものが「麺」の総称なら、パン(漢字では麺麭)だって麺だ。
もちろん、点心も「麺」だ。
個人的に好きなのは猫耳麺。パスタにも同種があるな。
つかよ。
>>87 確かに小麦の玄は、米より頑固で製粉が必要だが。
(粉挽きが実用化になって中世ヨーロッパは発展した)
蕎麦は蕎麦米ともいい、ツブ状は粥や雑炊にしてまで食ったのよ。
ちなみに米は籾状だと保存性が高く、資産として蓄えられたので。
日本における富裕階層、後の豪族、更には貴族階級の支えになったのだな。
保存性って、やっぱ資産の基なのよ。
だって貴金属宝石だって、腐敗・還元・酸化しないもの、しにくいものばかりが尊ばれるでないの。
99 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 22:37:30 ID:6dSP4aix0
良く判らないけど主生産食物は米だし、米食が普及していたでFA?
それと農民の割合は実は精々6割程度で、非農業人口や都市人口は
結構多かったんじゃなかったか(網野からの引用だが詳細失念)
耕地の拡大と農業技術の発展もあったはずなんだがな
1反の畑から何石取れたのか誰か知らない?
100 :
婆:2006/09/25(月) 22:44:37 ID:2RxUBPif0
江戸時代の庶民が米をろくに食べられなかったとかいう馬鹿な説を
唱えているやつがいまだにいるようだから、一言言っておいてやるが
米は輸出したわけでもないし、何十年も蓄えられるわけでもない。
一人で大量に食べられるわけでもない。
石高と人口を考えれば、飢饉のときは別として、庶民が米を常食
していたのはあきらか。
102 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 23:02:43 ID:cyjX572n0
>>101 素朴な疑問。
>庶民 ってなに。
士農工商エタヒニンの他、どんな存在?
どの藩(国)に住んでいて、何を生業にしてたの?
山窩やマタギ、アイヌ、山伏たちなどは除く。
あとついでに、日蓮宗や、虚無僧もね。
104 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 23:11:14 ID:nnYfzSAa0
>>99 現在だと
九州の平地で大体10俵、高地に行くと6〜7俵くらいかな。
105 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 23:13:03 ID:JO3jkJ470
中国北部で初期から作られていた穀物が「粟」だというが
なぜ「米」のように基本的象形文字になっていないのだろうか
106 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 23:23:56 ID:Or+eUZFj0
江戸時代の日本のコメの生産高は3000万石。
人口は3000万人。
1石とは人間が1年間で食べるコメの量。
つまり日本人は皆、1年間に1石のコメを食べていた。
コメが食えなかったというのは、生産力の乏しい貧しい東北や山村など。
>>105 あ、これは鋭い指摘だ!!
推測するに、中国北部は漢字文化圏から離れていて、
中国中部の漢字文化圏の人は、粟よりも米を先に
知っていたのではあるまいかと想像してみる。
108 :
名無しさん@6周年:2006/09/25(月) 23:27:33 ID:Or+eUZFj0
1反(昔は360坪)の田んぼから取れるコメの量が1石。
一坪とは人間が1日に食べるコメが取れる田んぼの面積。
日本人は1年に1石のコメを食べていた。
人口の9割を占める百姓が重い年貢でコメが食えなかったなんて
算数の苦手なアホの被害妄想史。
109 :
婆:2006/09/25(月) 23:58:29 ID:2RxUBPif0
けっきょく米の話か…。
俺もどっちかというと
>>101の説の方がしっくりくるな。
明治期の話だけど、今の新潟周辺はとんでもない湿田で、
胸まで浸かって田植えするような悪環境だった。とうぜん重労働だし
体温も奪われるから、農民たちは一日八合の飯を喰って働いた。
というような記録が残ってる。もちろんそれが幸せだったとは思わないけど、
人口に対して米の生産量が足りなかったわけじゃないと思う。
>>108 あと、全国に「○○新田」という地名がいっぱいあるけど、
公称の石高は江戸期を通じてあんまり増えてないという話もあるな。
>>105,
>>107 確かにするどい。粟よりも米の方が先じゃなきゃおかしいよな。
てなわけで探してたら「雑穀研究」という雑誌があった。
http://www.fsifee.u-gakugei.ac.jp/millets/zaknwl.htm なんつーか、こういう分野にまで研究者集団がいるってのに、ちょと感動。
学問の世界は深いのぉ。
110 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 00:34:52 ID:JgbFsiWF0
>>105,107
言われてみれば
食にまつわる漢字で
元気の「氣」
目の横にある「米噛み」
「精を出す」
米がはいってるね。
>>100 >小麦でいうと、北アフリカのクスクスみたいなもんかな?
蕎麦掻を作って小さな粒に丸めた方がクスクスみたいになりそう。
蕎麦米って、殻をとった蕎麦の実を茹でた奴みたいだよ。なんか腹へた
>>101 階級史観に毒されているように聞こえるんで、反撥してしまうのかも知れんが、
決してお馬鹿な説でもない。
じっさい、俺の祖母(もうすぐ70歳)が3度の食事に全部白米を食えるようになったのは
昭和30年代になってから。子供の頃は、米4割、麦6割くらいで食っていたが、
麦飯は腹持ちが悪くてすぐに腹が減ったそうだ。
反論側には、「農民一人あたりの労働で一人分が年間に食べる米が生産できた」という大前提があるようだ。
それだと、人口の1割を養うのに残り9割から生産量の半分も持って行く必要はない。
そうではないから、庶民は麦や雑穀で腹を満たすしかなかった。
この板の住人で戦前生まれの知り合いがいたら、3度の食事に銀シャリを食べられるようになったのは
いつ頃からか、聞いてみることをお勧めする。
>>112 階級史観なんていう言葉はありません。某長官の許可は得たんですか?
○なら○らしく唯物史観、もっと正確には史的唯物論と言いなされ。
昭和恐慌以降の戦前の食糧事情の乏しさを知らない人はまずいません。
そちらのお馬鹿なのは、人口は食糧で制限されると言ってる口の端から
人口の9割が十分な食糧を得られなかったという事を言いながら、その
矛盾に気付かないというその内容の幼稚さが原因であって、反発を受け
てるわけではありません。あきれられているのです。
ちなみに現在の日本の人口は江戸時代の4倍の1億2千万人です。
江戸時代の日本を語りたいなら最低でも慶応生まれのお婆ちゃんを
連れて来てもらわないとハナシになりませんなあ。
>>107 そういえば、麦でもないのに蕎麦とはこれいかに?
というのもあるなあ。でも、稗はノギ偏だなあ。
「ダッタン蕎麦」って何だろう?と思っていたんだけど、こういう事らしいです。
――勉強になったですよ。長年の疑問が解消。普通の蕎麦じゃないんだね。
世界に蕎麦が2種類しかない、というのは驚いた。(本当かどうかは知らない)
ttp://www.ezoichi.com/dattansoba/index.html >だったんそば(韃靼蕎麦)は、ロシア バイカル湖付近の
>ダッタン人(モンゴル系遊牧民族)が海抜1500m〜2000mの
>高地で、貴重な栄養源として古くから栽培・常食していた事から
>名付けられたそうです。だったん蕎麦を常食しているダッタン人
>達は昔から病気が非常に少なく不老長寿だそうですが、その
>秘訣がこのだったん蕎麦の様です。現在、世界中で栽培されて
>いる蕎麦は、普通種とだったん種の2種類ですが、ダッタン蕎麦の
>主産地は中国雲南省・チベット・モンゴル・ネパールなどの2000m
>以上の山岳地帯で多く栽培されています。
>そちらのお馬鹿なのは、人口は食糧で制限されると言ってる口の端から
>人口の9割が十分な食糧を得られなかったという事を言いながら、その
>矛盾に気付かないというその内容の幼稚さが原因
「人口の9割が十分な食糧を得られなかった」なんて、誰が何処に書いたんだい?
相手を馬鹿呼ばわりするくせにその根拠は捏造もしくはただの願望ですか?死ねよ低学歴。
米以外の雑穀を食っていた(米が足りないから必然的にそれらを喰わざるを得なかった)。
1000万人以下で銀舎利100%の飯を食うか(つうか人口1000万しかいなければ米の収量はさらに減るがな)、
3000万人で雑穀飯や雑炊食うか、で後者だったというだけの話。
米で足りない分は麦や粟、稗、豆や芋類などの雑穀で凌いでいた。
粟も稗も結局イネ科だけどな。
化学肥料も農薬もなく、石油で動く重機もない状態でほぼ人力のみで灌漑設備に労働力を投入し
耕作可能な面積というのは決して広くはなかったし、単位面積あたりの収量も現在とは比較にならんよ。
そもそも耕作面積が江戸時代と減反の続く現在でもまだ現在の方が広いくらいの話だしな。
しかも食い物をジャパンマネーで世界中から買い漁って、米の重要度が低い状況でこれだ。
116 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 10:25:47 ID:rpVGFXvL0
なんか知行高と米の石高を、混同してる人がいるんだけど10万石の大名だったら、
その8掛けで8万石が米の収穫量だと考えていいよ。5穀やそれ以外からも石高は出すから
石高は米の生産量ではない。あと1日に8升の米を食べるのは田植えとか稲刈りなど、
親戚縁者を頼って人海戦術で作業するから、ケチらなかっただけで、それ以外の家族だけで働
いてる時は労働もそんなに過酷ではないし、そんなに食べてないと思うよ。でも新潟は野菜や雑穀
より米が取れるから栄養のバランスのいい玄米を、多めに食べるのは利にかなってる。
でもこの板を見てると、戦前生まれがいなくなるとまさに、戦前が神話の世界になるってことが
判って、驚いてるよ。
117 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 10:55:31 ID:q75itDnN0
素朴な疑問。
人口の9割?を占める庶民は麦とかの雑穀しか食べられなかったという話を聞くが。
つまりそれって、日本は麦の大穀倉地帯だったということだよね?米の何倍もの。
麦って、米と同じ収穫量を上げようとすると、米の3倍ぐらいの耕作地面積が要るそうだけど。
それだけの耕作地があったのなら、わざわざまずい麦を作らずに米を作れば良かったのにと
思うんだが。
118 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 10:56:44 ID:q75itDnN0
それにそれだけ麦をメインに作ってるんだったら。
なぜ日本はパン食にならなかったのかな?
119 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 10:59:52 ID:JR44qdaK0
小麦と大麦は違うよ。
二毛作だよ。
政権転覆がおきると前の世代の悪口を言い立てるようになると言う。
戦後の左翼系学者によって戦前暗黒史観が流され、
明治時代の学者によって幕末暗黒史観が流され・・。
御用学者は前の世代を否定しないといけないからね。
米が足りないと言っている人。
雑穀で補うと気安く言うようだけど、
その大量の雑穀はどこに飢えつけていたのかな?
東南アジアなんかで米の二毛作三毛作が当たり前の地域だと、
早い時期から米が主食ってところもあったようだけどね。
日本で米の二毛作ができるのは、琉球(沖縄)くらいか。
麦なら春撒きと秋撒きで二毛作のできる地域はもっと広いが。
水の調達が厳しくとも冬に積雪しない地域では、米作るより麦の二毛作をやった方がマシかもしれん。
これでも高地や東北・北陸では無理な話になるから、必然的に喰うものはもっとしょぼくなる。
短い夏に必死で年貢用の米を作り、さらに自分たちが生き延びるために麦や雑穀も必死に作っていた。
それでもちょっと冷夏になると途端に飢饉が発生した、収穫に完全に依存したカツカツの社会が、
つい最近、ほんの50年くらい前までは当たり前だったということだ。
つうか、今でも根本は変わらんけどな。
麦の栽培すら難しい地域(水が無い、寒すぎる、夏が短すぎる等)となると、
農耕によって文明を維持することは事実上ほぼ不可能になる。
森林や海があれば狩猟採集で(単位面積あたりでははるかに少ない人口を)維持できるが、
それすらも確保できない高地では農耕の限界が人の居住の限界とほぼ同義になるわけだな。
中国北部に小麦が伝来したことで農耕が発展したなんてのも、そう考えればごく当たり前の話でしかない。
ただ、その根拠を発見できたことは間違いなく成果と言えるが。
122 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:12:56 ID:E5paKv5U0
平安末期から南北朝期にかけての西日本は
乾燥期に入っており
稲作中心の西日本は干害でかなり大規模な混乱になった
ところが、畑作中心の東日本は大して被害を受けなかったので
それがそのまんま鎌倉の武家政権誕生のきっかけになった
西日本は元々土壌が貧しいので
元々人口扶養力が高くない(ただ、水と湿気はある)
西日本のほうが人口が多かったのは
弥生から平安初期くらいまで
それ以外は一貫して東日本のほうが人口が多い
>人口の9割?を占める庶民は麦とかの雑穀しか食べられなかったという話を聞くが。
>つまりそれって、日本は麦の大穀倉地帯だったということだよね?米の何倍もの。
夏に米を作り、冬に麦や豆を作る二毛作をやっていたんだよ。
さらに米の耕作に不適な土地で麦や雑穀を栽培していた。
米というのは日射量と水(と水温)に対する要求が高い、かなり贅沢な作物だということは以前にも書いたはずだな。
>麦って、米と同じ収穫量を上げようとすると、米の3倍ぐらいの耕作地面積が要るそうだけど。
>それだけの耕作地があったのなら、わざわざまずい麦を作らずに米を作れば良かったのにと
>思うんだが。
と、浅はかな馬鹿は妄想を垂れ流すわけだ。
米作れるほどの水をどうやって確保したんですか?
そもそも人力で開墾して灌漑設備まで作ることが当時どれほど大変だったか考えられますか?
稲作と治水と平均気温と人口、これらは密接に関わっているわけだけど、そういう視点が無いくせに
ただ漠然と「日本人は昔から毎日三食銀舎利を食いつづけてきたはずだ」と思い込むだけのファンタジー低学歴。
124 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:15:15 ID:07Bk8pzeO
江戸時代なんて今ほど流通が発達してないから地域で食べるもの結構違うんじゃないの?
手に入りやすいものをメインに食べてたんじゃない?
>>123 > 低学歴
その言葉で、あんたの正体が分かったよ。
126 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:18:18 ID:LiA8j4z80
>>117 江戸時代に諸国の藩が現金を得るには、
米を大坂の蔵屋敷に運んで売る必要があった。
(海産物とか工芸品とかの特産品とかがあれば、それも売れるけど)
そのため、全国の米が大坂近辺に集まり、
回船で密接に繋がる江戸とかにも運ばれた。
だから、地方には米が残らず、
逆に近畿では米が余り、米を水に変える酒造業が発達した。
>それにそれだけ麦をメインに作ってるんだったら。
>なぜ日本はパン食にならなかったのかな?
長野や山梨から北関東〜東北にかけて小麦主体の食文化があったことも知らないわけだ、こいつは。
国土の急峻な四国も同様だな。稲作できるだけの平地と、利用可能な水源が限られていたから、必然的に麦の比重が上がったわけだ。
うどんやほうとう(いわゆる切り麦)がどうやって成立したのかも知らないで
「なぜ日本はパン食にならなかったのか?」とかほざけるわけだしなぁ。
日本みたいな高温多湿の環境でパンなんか作っても、日持ちしねえですぐカビるだろうが、阿呆。
蒸しパンつうか饅頭みたいに作ってすぐ消費するようなパンなら古くから存在してるがな。
>>122みたいな奴にそれをいってやれ
東北の冷害で人が皆ないてる事例とか、長年苦しみ続けた人間がいたのを無視して
東日本が豊かとかどうとか言い出す奴に。
貧富は地域と時系列と階層の間の差が激しい。
いつでもどの時代でも貧しい人と豊かな人のサンプルが取れる。
そこで恣意的にか天然かの理由でどちらかに焦点を当てすぎると
変な歴史観が生まれる。
六公四民?それは例外的な過酷な税制だからこそ資料に残ったのだろ。
実際は三公七民や二公八民の地域もあったが取り立てて書くほどのことも
ないので資料に残らなかった。
悲惨さを訴える資料を平均だと勘違いしてないかい?
>戦後の左翼系学者によって戦前暗黒史観が流され、
>明治時代の学者によって幕末暗黒史観が流され・・。
>御用学者は前の世代を否定しないといけないからね。
事象よりも政治に軸足置いてる奴(要するに事実はどうでも良くて自分の中のファンタジーが全てな馬鹿)が
自分の思い通りにならない(自分のイメージを壊される)事実を「これは政治的意図を持ったプロパガンダであって事実ではない」とほざいているだけだ。
こういう奴が最も有害なんだよな。そして救い様なく馬鹿だ。
>米が足りないと言っている人。
>雑穀で補うと気安く言うようだけど、
>その大量の雑穀はどこに飢えつけていたのかな?
稲作に不適な土地なんていくらでもありましたが?
おそらく「農村」というイメージで、農家の周囲に広がった水田までしか想像ができない不勉強な奴なのだろう。
そこから山地へ至るまでの里山という環境を想像できず、水田の外で世界はスッパリ途絶えているわけだな。
お前の歴史観や農耕観は、およそ日本の過去について語れるだけの水準を満たしていないよ。
小学生の妄想ならともかく、いい年した大人でそんな妄想を垂れ流しているようでは、
あるいはこれこそが日本は本当の意味で歴史教育に失敗した何よりの証拠というべきか。
ほんの半世紀前の農村の風景さえ語ることのできない日本人って何なんだ?
131 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:26:42 ID:E5paKv5U0
西日本でも縄文時代は元々焼畑だった
しかし、土壌が豊かでない西日本では東日本に比べて
圧倒的に少ない人口しか養うことができなかった
それが稲作農業を導入したことによって(一種の農業革命)
一気に扶養人口が増えた
東日本でも増えはしたが、西日本での増え方は劇的だった
そこに渡来人からの文物や渡来人自体を諸々輸入して国家を構築した
>>128 豊かとは言ってない
土壌の人口扶養力が高いといってる
それを生かすも殺すも人次第
それに
“毎日三食銀舎利を食いつづけてきたはずだ“
と
“米を常食していた“とは意味が違うと思うのだが。
勝手に相手の像を作り上げて過激化している感じがする。
<碌に米の飯も食えず>なのか<米は(混ぜご飯にしても)常食できた>の争いだろ。
>実際は三公七民や二公八民の地域もあったが取り立てて書くほどのことも
>ないので資料に残らなかった。
天領だった地域の年貢が五公五民で、しかも不作の年には柔軟に減免措置もあったということで
「稀に見る寛大な措置」だっつって領民が感謝してる記録があるんですがね。
その三公七民や二公八民なんてのは、不作の年の減免措置だ。これが常態だと思う奴の方がどうかしてるわ。
もちろん、不作や飢饉のときに根こそぎ持って行く鬼のような大名/代官も居たわけで。
あるいは減免されたところでどのみち収穫の絶対量が不足して頻繁に飢饉が発生したのが東北。
こんなもん昭和に入ってもまだ続いて、ある程度改善したのは戦後になってからだ。
134 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:29:47 ID:5F6i8jdu0
ああ4000千年劣等生物のまま生きてきた
誇るべき文化もない小支那かw
百姓一揆や飢饉の話もそうだけど日本全国みな同じ状況ではなかったわけで。
もともと南国生まれの植物であるイネは長野などの高地とか東北では
生産できる地域が限定されてきたし、実際昭和の半ばになるまで米を食わずに
ソバやムギをメインに食ってきた地域もあった。
その一方、水が豊かな暖かい地域では米がたくさん作られていた。
>>130 落ち着けよ
例外的な土地を探してきても無意味だ。
様々な税制と様々な生活があったのだから。
多くの人は米が食えなかったと言う人に対して反論してんだよ。
何で三度三度銀舎利希望になるんだ?
137 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:33:52 ID:LiA8j4z80
東日本の土壌の人口扶養力が高いって、
関東地方南部は、ローム層に覆われてるし
北陸東北は土壌が豊かでも気候が悪いし
扶養力低いじゃん。
138 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:34:23 ID:G1zjyYqGO
2chで電波抜きの起源説見るとかえって違和感を感じるなあ
>それに
>“毎日三食銀舎利を食いつづけてきたはずだ“
>と
>“米を常食していた“とは意味が違うと思うのだが。
>勝手に相手の像を作り上げて過激化している感じがする。
雑穀6割米4割だったら、米を常食しているとは言えないんじゃねえの?
そもそも長野・山梨〜東北にかけては小麦の栽培の方が盛んだったくらいだしな。
江戸の隣の武蔵野だって元々稲作には不適で小麦の栽培の方が盛んだった。
うどんやほうとうや雑炊(要するにすいとんだな)を常食にしていたわけだな。
うどんやほうとうなんざハレの日の特別な食い物で、常食できるようになったのはこれも戦後の話だが。
実際、志村けんがTVで言ってたろ、あのへん(ちなみに志村けんは武蔵村山市の名誉市民だ)では
冠婚葬祭のときにうどんが出るってな。
普段米の飯食っててめでたい日に趣向を変えてうどんを食うんじゃねえぞ、
普段はもっとひどいもん喰ってて、ハレの日に贅沢してようやくうどんが出てくるって事だから、勘違いしないように。
140 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:36:40 ID:seDUMFm10
粟という字を分解すると
「西から来た米」または「西の米」
漢字文化圏には米が先にあった?
141 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:37:39 ID:fMsKz+GD0
>>136 端で見てると、あなたの反論のほうが論理的でなく推測ばかりで恣意的だと思うが…
「例外的な土地」とか言ってるけど、あなたは資料を調べたりしたことあるの?
知識もなく印象で語られても相手が困るだけだと思う。
142 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:38:06 ID:E5paKv5U0
>>137 溶岩や火山灰の地層はミネラルや栄養が豊富
それが証拠に関東の水と西日本の水の硬度を比べてみろよ
西日本の水は枯れた大地の代表格であるオージー大陸並みだぞ
>>133 多様性の中で都合の悪い例を引っ張ってきても無意味だと言うのは判ってもらえたか。
二公三公なんてのは田畑が極度に少ない漁村離島とかだけどな(w
>>139 喰えなかった、と4割ではえらい違いだぞ。
「喰えなかった」と言う御用学者の書いた二次資料が氾濫しているんだ。
><碌に米の飯も食えず>なのか<米は(混ぜご飯にしても)常食できた>の争いだろ。
嵩でも目方でも米の方が少ない粟飯とか稗飯、イモ飯や粥でも食えればまだマシだけどな。
米8割に麦2割の、食べて美味しく健康にもいい現在の麦飯とか連想されても困るよな。
出汁味のついた豆ゴハンなんてご馳走じゃねえかと。
麦飯でさえ、麦が3割超えたあたりから一気に不味くなるぞ。いっぺん炊いて喰ってからモノ言え。
その上で麦6割米4割とか、そもそも箸を刺して立つような飯ではなく粥や雑炊しか食えなかったのが当時の庶民。
とても、嵩でも目方でも「米が常食」とは言えんわな。かれらの主食は雑穀だった。
米に飽くなき憧れを抱きつつ、それらで口に糊していたのが現実だった。
>>137 人口扶養力は農業だけでなくて、大型の食料となる鹿や猪、海や川でとれる魚や鯨類が豊富にあれば問題ないしな。
146 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:45:56 ID:LiA8j4z80
>>142 栄養があっても水がないから、
ローム層の台地は戦後の住宅開発まで
ほとんど雑木林だったわけだが。
まいまい井戸とか掘っても高が知れてるし。
147 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:46:55 ID:udp26s/I0
日本人がまだ動物みたいな暮らしをしていた頃
お隣ではすでに文明を築きあげていたんだよな
>大型の食料となる鹿や猪、海や川でとれる魚や鯨類が豊富にあれば問題ないしな。
鹿や猪を扶養するために必要な面積わかってて妄想垂れ流してるのかしら、この人は。
日本列島に2万人も人口が無かった前縄文期ですら、関東平野の大型哺乳類はあらかた狩り尽くされて絶滅しとるっつーに、
日本列島で狩猟採集で1000万人も養えると本気で考えてるのかこいつは…とんでもねえ低学歴ファンタジーだな
149 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:47:14 ID:qXXHpkgu0
東アジアの農業は韓国起源と言う韓国の主張は脆くも崩れ去った
150 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:49:17 ID:seDUMFm10
米>麦
という価値観は、その色に由来するんじゃないか
白いものイコール高貴、高級、潔白
米が食えなかったから麦食という考え方には疑問がある
>日本人がまだ動物みたいな暮らしをしていた頃
>お隣ではすでに文明を築きあげていたんだよな
ローマがコロセウムとか作ってた頃、日本なんてまだ弥生時代末期(古墳時代前期)だもんな…。
某映画グラディエイターがTVで初公開になったときに実況スレでそれ言ったら、
愛国ウヨ入った馬鹿が捏造史観認定してくれて、火病発病してウザかった(笑)
まあ、あれもハリウッド映画らしいご都合主義で、時代考証かなりいい加減なところもあるけどな。
152 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:52:49 ID:jIMBsmVhO
以下、小麦ちゃんスレ↓
>米>麦
>という価値観は、その色に由来するんじゃないか
単純に、喰って旨いからだよ。
アフリカなんかの食糧支援で米持って行ってやって農業の支援とかもしてやると、
そこで米の味を覚えて「農業支援は要らないから米だけもっとくれ」なんて本気で要求してくるらしい。
>白いものイコール高貴、高級、潔白
お前は本当に、何の根拠もないイメージでモノ言ってるだけだよな。だから馬鹿なんだけど。
>米が食えなかったから麦食という考え方には疑問がある
考え方ではなく事実ですから。
長野山梨以北では麦食文化がベースで、実際にそういう食文化が残っているわけですよ。
稲作は高リスクにも関わらず課税作物として作っていただけ。
154 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:55:28 ID:cQ4eCoIA0
朝鮮の何でもウリ起源を毎日のように見てると
当たり前の記事がすがすがしく感じるな。
155 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 11:55:54 ID:CtCeYazM0
>>145 陸上動物や陸地周辺の海産物の多寡が
土壌の豊かさに依存していることを知らんとはな
またオージー大陸を出すが、あの周辺海域は海産物が多くない
>>147 論語、孔子とかが紀元前だもんね。
昔の中国は凄かったなぁ。
逆に考えると、今なにやってんだか。進歩どころか後退してってるわな。
白米3食食べる
↓
セックスに励む
↓
子供量産
↓
栄養があるから子供死なない
↓
子供が育つ
↓
白米が食べれなくなり、麦飯へ
こーいう理解でOK?
>栄養があっても水がないから、
>ローム層の台地は戦後の住宅開発まで
>ほとんど雑木林だったわけだが。
>まいまい井戸とか掘っても高が知れてるし。
川沿いで稲作自体はやってたけどね。
うちのあたりも郷土史を紐解くと奈良時代からずっと記録が残っていて
水争いや飢饉、年貢取り立てや検地の話がきちんとある。
集落ごとに日照量や水利の関係で基礎的な生産高の差から経済力の差があって、
戦前でも○○集落の子は学校に麦飯の弁当を持って来ていたが
××集落の子はふかし芋が普通だった、みたいな生々しい記録まである。
もちろん戦争が開始して食糧事情が逼迫する以前の話な。
今では一面住宅街だが、そうなる前は川の周囲に田畑があって
それ以外は全部雑木林の里山だったよ。
お隣=中華というこのスレでの扱いにワロタ
あそこにぶら下がってるのはへその緒か盲腸か
もともと麦飯って米を浮かすためじゃなかったのか?
中国からの伝わった文明で日本が起こったってのはわかるが
韓国にそんな事言われてももね・・・・せいぜい中継だろ
で、江戸に幕府ができて水需要が逼迫したことで幾つかの用水路が作られるわけだけど、
そこまでやってようやく武蔵野台地の上でも農耕が軌道に乗り始めるわけだ。
それ以前は武蔵野崖線の下はそこそこ水があった(台地に降った雨が全部そこから出てきた)が
台地の上にろくな水源は無かった。
まいまいず井戸なんて20mも掘り下げてようやく飲み水にありつける有り様で。
こういうとこ調べはじめると、本当に人間の社会や文明なんて地球の地形に完全に依存している上に
農業生産高に完全に依存した、吹けば飛ぶような営みなんだよなーと痛感するね…。
164 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 12:07:08 ID:seDUMFm10
>>153 政治力学が無関係ならば輸入してでも世界中米食になると?
>長野山梨以北では麦食文化がベースで、
だからそれが積極的な理由なのか消極的な理由なのかどっちなんだ?
讃岐は輸入してまで白いうどんを作るけど
武蔵野うどんは褐色がかった色がスタンダード
>もともと麦飯って米を浮かすためじゃなかったのか?
そうだよ。
粟飯も黍飯もサツマイモご飯も豆ゴハンも、
「おしん」に出てきた「大根飯腹いっぱい喰いてえっス」の大根飯だって、
米が足りないから嵩を稼ぐために混ぜ物して喰ってただけの話。
しかもその混ぜる量ってのが「米主体に+α」とかじゃなくて、
むしろ「何かの間に米が混じってる」ってな壮絶なものさえ主体だった。
白米食えるだけの米があるなら、わざわざ味の良い米に何か混ぜて食わんだろ普通。
…いや、俺、麦飯好きだけどさ。豆ゴハンもな。
>政治力学が無関係ならば輸入してでも世界中米食になると?
どこからそんな問いがでてくるわけ?
>だからそれが積極的な理由なのか消極的な理由なのかどっちなんだ?
米が作れず、主食にするには麦(や蕎麦)までが限界だったというだけの話。
167 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 12:11:42 ID:5XeWmfPs0
そして中華まんが発明された。
しかし、饅頭ってのは人肉食の文化を下敷きに生まれたものとしか思えないよな。
中国人はやっぱり北京原人の子孫なんだな。
168 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 12:12:22 ID:CtCeYazM0
>>162 農業というレベルではそうだが、
関東の場合漁業が盛んだった
というか良く取れた
それは関東平野の土壌の豊かさと無縁ではない
>>166 旨いから米>麦なんだろ?
パン食文化圏も、米のほうが旨いから本当は米を喰いたいに違いない、
でも稲作に適さない国が主食を輸入に頼るわけにいかないから
しょうがなくパン食ってる、なんてことを言いたいのか、と。
>米が作れず、
自家消費分まで作れず、ってことだろ?年貢で精一杯で。
生産能力が高くて技術力のある(土地に恵まれた)農家は
米を食っていたの?
170 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 12:17:32 ID:su+0zfD2O
中華文明の形成と共に、
地球環境の破壊が始まった
>関東の場合漁業が盛んだった
>というか良く取れた
>それは関東平野の土壌の豊かさと無縁ではない
それは多摩川や坂東太郎(旧利根川)のお陰だねえ。
特に利根川の広大な流域から流れ混む有機物が全部東京湾に注ぎ込んでいたからな。
湾内ならば稚拙な船舶でも漁労は可能だった。
もちろん当時の漁労なんざ現在のように機械化された設備でシステマティックに
根こそぎ漁って来られるような代物ではないから、マンパワーに対する漁獲量なんざ
屁のつっぱりにもならないという点は十分に理解しておく必要があるがな。
>旨いから米>麦なんだろ?
日本(の関東以南)では、米も麦も両方作れるからな。
選択可能な常態でより旨い米を嗜好しただけの話だな。
ある意味では、食糧の量的確保よりも嗜好を優先するあたりが
日本人の凄すぎる(危機感のなさすぎる)所かもしれない。
>パン食文化圏も、米のほうが旨いから本当は米を喰いたいに違いない、
>でも稲作に適さない国が主食を輸入に頼るわけにいかないから
>しょうがなくパン食ってる、なんてことを言いたいのか、と。
誰がそんな話をした?
お前の自論を勝手に俺が代弁したかのような書き方をされても迷惑だ。
>自家消費分まで作れず、ってことだろ?年貢で精一杯で。
>生産能力が高くて技術力のある(土地に恵まれた)農家は
>米を食っていたの?
機械化もできず化学肥料もなしで、ほとんど人力(と一部家畜)に頼って
開墾から灌漑用水の確保まで全部やって、人一人あたりに割り当てられる収量が
どれだけあったか考えられないなら、妄想垂れ流すのは迷惑だからやめた方が良い。
うちの父方の本家は三重県の半農半林の庄屋の家系だが、面積あたりの収量は高くとも
とても三食銀舎利なんて無理だったという記録が残ってるそうだよ。
田舎とはいえ、富裕層ですらこういう現実。小作人たちの食い物なんざ推して知るべし。
逆に、副食は豊富だったようだけどね。まあこのへんは農村の強みだな。
むしろ江戸時代に限って言えば、江戸や大阪の庶民の方がまだ
一人あたりで消費していた米の総量は多かったようだという分析まであるらしい。
それでも銀舎利どころか麦飯すら事欠くというのが現実のようだが。
中国東北部で稲作ってできたの?
だとすると日本への稲の伝来が
麦がメインで稲作不毛地帯の東北部経由しての朝鮮からの伝来な無い
ってのはウソ??
>中国東北部で稲作ってできたの?
陸稲は条件次第では可能。水稲は無理。
緯度が高すぎて気温が低い以前に、大陸内部は乾燥していて利用可能な水源も降水量も無い。
>だとすると日本への稲の伝来が
>麦がメインで稲作不毛地帯の東北部経由しての朝鮮からの伝来な無い
>ってのはウソ??
日本語でok
>167
八仙飯店之人肉饅頭ってネタを振ったつもりなのだろうか…
176 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 12:39:14 ID:seDUMFm10
>>172 >誰がそんな話をした?
米>麦の価値観があるのは、旨いからだけの理由によるというから
ならば理由無く麦食ってる連中は味覚音痴なのかと聞いたまでだ。
「仮にそのような農家があったなら」という話だよ。
米か麦かを選択できる状態にあったなら、どっちを喰うかという話だ。
誰もが無条件に米を選ぶとは思わない。
米が麦より上等だとは思わない。
177 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 12:45:25 ID:v1n5kz3bO
小麦はウリナラ起源ニダ
このスレの結論:日本人は滅びるべきだ
うどんは百姓の喰うもので江戸っ子は蕎麦、とかの
深い理由も知りたいところだが、残念ながら外出落ち。
西日本の人間が東日本(特に関東人)に比べて
体が小さく丸みを帯びているのも
西日本の土壌が貧しかったから
特にミネラル不足
アメリカの白人がヨーロッパの白人に比べて背がちっこいのも
大体においてアメリカの水の硬度が低いから
といっても日本よりは高いが
>米>麦の価値観があるのは、旨いからだけの理由によるというから
ここから
>ならば理由無く麦食ってる連中は味覚音痴なのかと聞いたまでだ。
なんでこんな斜め上の発想が出てきて、それに俺が付き合わされなければならんのかね?
>「仮にそのような農家があったなら」という話だよ。
その前提が書いてないし。
お前の妄想いきなりぶつけられても「日本語でおながいします」としか言えん罠
>米か麦かを選択できる状態にあったなら、どっちを喰うかという話だ。
>誰もが無条件に米を選ぶとは思わない。
>米が麦より上等だとは思わない。
お前の感想なんざ、どうでもいい。
>うどんは百姓の喰うもので江戸っ子は蕎麦、とかの
>深い理由も知りたいところだが、残念ながら外出落ち。
うどんというか、切り麦全般が既に存在していたのに江戸っ子は蕎麦切りを嗜好した
というのは面白い話だと思うけどね。
元々香りの強い関東風の醤油が出てきたことで、その香りに負けない蕎麦が好まれたとか、
蕎麦屋の風俗面における存在意義が大きかったとか諸説あるようだけど、
定説と言えるほどのものは果たしてあるのだろうか…。
それと、蕎麦切り(細長い麺の形をした蕎麦)というと江戸と短絡的に想像しがちだけど、
蕎麦切りが成立したのは16世紀頃の長野周辺らしい。
で、これが甲州街道沿いに江戸に入ってブレイクしたのが主流ということになっているけど、
北陸の街道沿いに京都まで行って、京都でも定着してるんだよね。
確かに鰊蕎麦とか有名だけど、京野菜と蕎麦の組み合わせってのも中々味わい深くて面白い。
一方で関東や東北はうどんを食わないかというとそんなことも全然ないわけで、
一時の讃岐うどん信仰みたいなのはちょっとなあとか思ったりもした。
>>148 縄文時代にそんなにばっかんばっかん狩猟できねーよ
縄文期は気候が温暖になり植物が繁茂し
夏場は草かき分けて進むのが大変で狩りなんかできない有様
縄文前期に動物層が急変したのは気候変化の所為だ
氷期が終わり南から落葉樹の森が広がり始め、
縄文時代は土器などの開発によりドングリや栗などの穀類中心の食生活にうつった時代で狩猟に頼らなくても生きていけた
狩猟は主に冬場の草が枯れて動きやすく、なおかつ新鮮な食料が乏しくなった時期の生業で
動きが俊敏で森の中に多くいる猪や鹿を捕らえるために弓矢(石鏃)が発達した
鹿や猪を放っておくとどのくらい増えるかは知ってるか?毎年猟友会が駆除を行なっているよな
偉そうなこと言う前に基本的なことくらい学んでおけ
っていうか魚とか植物とかの話がそっくり抜け落ちた話をしている時点で……
>>159 あそこにぶら下がってるんだからペニスだろ
面白いことに、現在の新疆ウイグル自治区タクラマカン砂漠のオアシス地帯では、灌漑用水(カレーズからの豊富な雪解け水)を利用して水田耕作が行われています。
近年になってからはじまったらしい。南方出身の人民解放軍の開拓兵団が、大量に入植して水田耕作農法を持ち込んだとか。
んで土地争い水争いで(何せ膨大な水を消費し、土地を分断する)遊牧や伝統農法中心のウイグル人と対立しつつある。
なんか日本の北海道屯田兵や満蒙開拓団みたいだよな。
彼ら人民解放軍系の入植者がどちらの運命を辿るのかはわからないが。
日本人に限らず、水田で米作ってる農民ってのは、世界のどこに行っても条件さえ整えば水田を作りたくなるものらしい。
仮説だが、日本にやってきていきなり水田を作り始めたのも、そんな南方出身の中国人農民なのかもな。
北海道屯田兵地区や新疆ウイグル自治区開拓地区での例を教訓にすると、水田耕作というのは、かなり短い期間で形になり、かつ何箇所かで同時にはじまったと考えるのが自然かも。
>縄文前期に動物層が急変したのは気候変化の所為だ
気候変動の前に大型哺乳類だけ姿を消してるんだよね。
>氷期が終わり南から落葉樹の森が広がり始め、
>縄文時代は土器などの開発によりドングリや栗などの穀類中心の食生活にうつった時代で狩猟に頼らなくても生きていけた
で、それらの喰いでのある得物に頼ることができなくなったので、定住して原始的な農耕と狩猟採集のハイブリッドになったわけだ。
>狩猟は主に冬場の草が枯れて動きやすく、なおかつ新鮮な食料が乏しくなった時期の生業で
こんなのは現在でも変わらんよ。常識を偉そうに語る時点で程度が知れるな
>動きが俊敏で森の中に多くいる猪や鹿を捕らえるために弓矢(石鏃)が発達した
弓矢で猪なんか捕れねえっつーの。罠仕掛けて追い込むんだよ。
>鹿や猪を放っておくとどのくらい増えるかは知ってるか?毎年猟友会が駆除を行なっているよな
近県では丹沢なんか今は鹿が凄いことになってますなぁ。
で、冬場に角つけた雄鹿のいる群れに弓矢で挑むって、それなんてデスマーチ?
雄鹿の怖さも猪の牙の怖さも知らないヒキコモリの分際で何を妄想垂れ流してるんだか(嘲
まあ、ここまで野放しに増えるのは天敵の狼が居なくなってからの話なわけで、
縄文時代や江戸時代を現在のペースで語ろうとするあたりで破綻しているわけだが。
>偉そうなこと言う前に基本的なことくらい学んでおけ
低学歴ヒキコモリファンタジーはほどほどにしておけ。
で、そもそも捕って殺してしまったらそれきりの鹿一匹、猪一匹を養うために
必要な面積を全く理解していない低学歴妄想ファンタジーってのも勘弁してもらいたいところですなぁ。
ID:pPSdjENc0の学歴キボン
188 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 15:35:57 ID:4x/Ub4Oe0
>>184 ×南方出身の中国人農民
○呉人,越人、ないし東夷
そんな昔に「中華」の概念が、あったとしても大して広くない。
>>130 なんだ。自分のことをよく分かってるじゃないか。その調子で中学校からやり直しては?
なお、二毛作というのは別のものを作る事だから、イネを2回作る時は二期作だね。
沖縄のコメの自給率は・・低いよ。
190 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 19:07:31 ID:JgbFsiWF0
>>184 >仮説だが、日本にやってきていきなり水田を作り始めたのも、そんな南方出身の中国人農民なのかもな。
>北海道屯田兵地区や新疆ウイグル自治区開拓地区での例を教訓にすると、水田耕作というのは、かなり短い期間で形になり、かつ何箇所かで同時にはじまったと考えるのが自然かも。
稲作が簡単に定着するとは考えにくい。
水を引き、田面を水平にしたりと、農業土木の技術も必要になってくる。
当時の稲作は湿原に種を蒔くだけの原始的なものだったかもしれないが、
種まきから収穫、貯蔵と、システム的に行わないと収穫量は激減する。
それに、収穫までの食料は確保しなくてはいけない。(一番重要だと思う)
縄文人との交流がもともとあったか、縄文人がシステムごと持ち帰った。
と、考えられない?
縄文人の行動範囲はかなり広かったみたいだし。
191 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 21:54:55 ID:86qWYKEE0
http://www.geocities.jp/furai007/ ←←←←←←←なんかみつけた
講読の部屋
(略)
・「環境史年表−明治・大正編」(下川耿史編/河出書房新社/2003年11月刊)
明治元年(1868)
・徳島県の山村の食事。主食はヒエ、キビ、甘藷で、米はほんの少し。副食は大根葉、
味噌、しょいの味(醤油を汲み取った後の残り)、食べられる野草(ワラビ、ゼンマイ
など乾燥させて冬用に保管した)。食事の回数は一日4回、農繁期は6回。
岡山県では、麦飯(米3、麦7)を主にし、山村はアワ、キビ、ヒエを混ぜて炊く。
(略)
・「箱根の坂」(司馬遼太郎、講談社文庫、上中下三巻)
[二毛作、三毛作]
この時代、日本の土地利用は、アジアでもっとも先進的であったといえるであろう。
周辺の朝鮮や中国がまだ古代的段階にあるのに対し、鎌倉・室町の世は、一枚の田
畑を折り紙のようにさまざまに細工し、農業生産があがるように工夫されはじめた。
これについての観察記が、回礼使として李氏朝鮮国から派遣された宋希ケイに
よって書かれている。
宋希ケイは全羅道の新平の人である。字は正夫、老松堂と号し、その紀行詩は
『老松堂日本行録』と名づけられている。宋希ケイが日本に来たのは1420年で、
早雲の生まれる12年前のことである。
かれは右の年の六月に、阿麻沙只(尼崎)にとまって、日本の田園を観察した。
日本の農家は、秋に耕して大麦か小麦をうえ翌年の夏、これを収穫する。
すぐさま稲の苗を植えて秋に収穫する。
とし、米と麦を組み合わせた二毛作がおこなわれていることを指摘し、その上、
田のわきに大豆をうえ、一枚の水田で三毛作もやっていることにおどろいている。
具体的な利用法としては、一枚の地面が、川をせき止めて水を湛えることで水田
になり、水を抜くことによって畑となる、といかにも珍奇なように書いている
ことから見て、朝鮮ではこの方法がいなかったことを知ることが出来る。
この種の農業技術は近畿が先進圏であったために、早雲も駿河においてさまざま
助言することができた。
>>127 いや、麦に含まれるグルテン量が、パンとうどんとの境目だし。
日本のうどん粉では、蒸しパンが精々よ。
>日本のうどん粉では、蒸しパンが精々よ。
「おやき」でぐぐってこい。
類似の食品は日本中にあるがな。
194 :
112:2006/09/26(火) 22:30:31 ID:vR4lP3Ty0
>>113 >そちらのお馬鹿なのは、人口は食糧で制限されると言ってる口の端から
>人口の9割が十分な食糧を得られなかったという事を言いながら、その
>矛盾に気付かないというその内容の幼稚さが原因であって
そんなこと私は言ってないけど。もしかして、XW0hbbTo0氏と俺を混同してないか。
>江戸時代の日本を語りたいなら最低でも慶応生まれのお婆ちゃんを
>連れて来てもらわないとハナシになりませんなあ。
戦前ですら、この有様なんだから江戸時代ならもっとひどいだろう、くらいの連想は働かないかい。
そう思えば、わざわざ、慶応生まれの人間を持ち出す必要など感じないだろうに。
もしもあなたの中で、江戸時代の食糧事情>昭和(戦前)の食糧事情 と考えられる根拠があったら教えて欲しい。
195 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 22:46:09 ID:86qWYKEE0
江戸中期>江戸末期=明治 ではあるみたいだな;
http://www.j-milk.jp/white/feature/8d863s000003ce80.html 縄文人より小さかった江戸人
有史以来、私たち日本人の身長はゆるやかに伸び続けてきた−−それがごく一般的
な認識ではないでしょうか。しかし縄文から現代にいたる数々の骨の計測データは、
日本人の身長が常に上昇カーブを描いてきたわけではないことを示しています。
「明治頃までで見ると、日本人の身長が最も高かったのは、実は弥生から古墳時代に
かけてなんです。この時代の人々は大陸から渡来したいわゆる北方アジア系で、成人
男性の平均身長はおよそ163cm、女性は152cmほどありました。逆ノ最も小さかった
のが江戸末期から明治初頭にかけての人々です。男性の平均身長は155cm、女性は
143cm程度でしたから、縄文人の平均身長よりも小さかったことが分かります」
196 :
名無しさん@6周年:2006/09/26(火) 23:02:29 ID:iuQWl7d+0
一瞬スレタイが「中森明菜の形成に影響」に見えた
>>194 >そんなこと私は言ってないけど。もしかして、XW0hbbTo0氏と俺を混同してないか。
それは失礼しました。誰が誰やら分かりませんが・・・
> 戦前ですら、この有様なんだから江戸時代ならもっとひどいだろう、くらいの連想は働かないかい。
>そう思えば、わざわざ、慶応生まれの人間を持ち出す必要など感じないだろうに。
>もしもあなたの中で、江戸時代の食糧事情>昭和(戦前)の食糧事情 と考えられる根拠があったら教えて欲しい。
「食糧事情」の中味の「銀シャリの美味さ」という事がアタマから離れない限り
語ってもムダだと言っているだけです。
「銀シャリ」という言葉の「舎利」が元々「白骨」を意味する事からして、いかにもマズそうだ、と
いう連想ははたらいてます。<白米食>が世間に一般化したのは第二次大戦中ぐらいからの
事じゃないかな。なぜ「銀シャリ」がそんなに美味いというのかが、よく分かりませんね。
「コシヒカリ」や「ヒトメボレ」の美味さ、「タイ米」や「シナ米」の不味さを知らないんですか?とか、
江戸時代や明治時代にそんな現代の常識による連想が通用しないという事は重々承知のつもりです。
日本も、日清戦争以前はコメを輸出してたみたいですから、無理にでも余らせてたんじゃないかな。
余力はあった、という事でしょう。明治大正時代には牛鍋屋・洋食屋のイメージもあります。
戦前は配給制も滞りがちなほど余力を失ってませんでしたか?肥料も使えなかったんじゃないかと。
なお、天保の飢饉、安政の飢饉、打ちこわし、昭和恐慌時に米価が約半額に暴落した
事ぐらいの知識はあります。江戸期の貧困と比べてみても明治以降の寄生地主や
昭和恐慌後の農村荒廃は十分ヒドイものがあります。それでも、水呑み百姓の食糧事情と
女工哀史の食糧事情を比べることには意味を見出せません。美味いものが食えたかどうか
などという個人的な嗜好を単純に比較してみても仕様がないくらい悲惨な時代は悲惨だからです。
198 :
184:2006/09/27(水) 04:35:27 ID:tWKV4Kc80
>>188 >>○呉人,越人、ないし東夷
まあ確かにそうなんですけど、稲作伝播以前の日本列島の住民に「日本人」意識があったかどうかも疑問なわけでw
スタンダードは統一したいところです。
>>190 >>縄文人との交流がもともとあったか、縄文人がシステムごと持ち帰った。
>>と、考えられない?
>>縄文人の行動範囲はかなり広かったみたいだし。
うーん。どうでしょう。
再び新疆ウイグル自治区を例に挙げると、近代以前のウイグル人(東方トルコ人)の行動範囲は縄文人と較べてもとんでもなく広かった。
何せ遊牧民で、かつ商業民族。モンゴル帝国やシルクロードの東西交易を牛耳っていたほどだし、イスタンブールのトルコ人や中央アジアのトルコ系民族と普通に言葉が通じるレベル。
そのウイグル人ですら、水田耕作のシステムは採用していない。
ウイグル人は小麦だけでなく米も結構食べるのに(トルコ風ピラフみたいな伝統料理がある)、乾田耕作はしたり購入したりはしても自分たちでは水田は作らない。
新疆ウイグル自治区で水田耕作をはじめたのは、南方出身の人民解放軍開拓兵団。
何年か前ウルムチからホータンにかけて旅行したんですが、その時見た水田の風景が忘れられないんですよ。
連隊規模の開拓兵団、千人程度の中国人が現地のオアシスに住み着き、10年かそこら開拓に従事するだけでいきなり水田耕作がはじまり、莫大な米を生産しはじめたという現実。
水田耕作というのがこれほど簡単に、かつ迅速にはじまるというのはほんと衝撃でした。
水田耕作伝播期の日本もこんなんだったんじゃないかという衝撃なんです。
日本列島の元からの住人の場合、その水田耕作のシステムを自分達も大規模に採用したわけなんですが。
それまでの過渡期として、「自分では水田耕作をしないが、交易で獲得した米は食う」段階なんかもあったんでしょうね。今のウイグル人がそうであるように。
縄文人が結構大規模な交易を行っていたのは近年の常識ですから。そして米ほど貨幣代わりになり得る穀物は存在しません。
>「銀シャリ」という言葉の「舎利」が元々「白骨」を意味する事からして、いかにもマズそうだ、と
>いう連想ははたらいてます。
お前の連想なんぞ、屁ほどの価値もない。
ここで言う「舎利」とはお釈迦様の遺骨のことだ。
白飯を銀舎利と俗称するのは、そのくらい在り難い代物だということだよ。
><白米食>が世間に一般化したのは第二次大戦中ぐらいからの
>事じゃないかな。
無謀な日中戦争が始まって労働力を根こそぎ動員し始めてから
食糧生産が滞り食料事情が日に日に悪化していった時期に
「<白米食>が世間に一般化」するってのは、素晴らしい低学歴ファンタジーだね(苦笑)
白米食自体はハレの日のメニューとして古くから存在し、また支配階級では常食していた。
これが一般庶民でもしばしば口にできるようになるのは江戸から明治にかけて。
兵役に出ると駐屯地であてがわれる食事は白米だったことから、農家の次男三男は挙って志願したとも言われるし、
軍隊へ行くと白米ばかり食って怠け者になるなんて流言飛語さえ飛び交ってたのがその頃。
日清日露〜日中戦争とどんどん泥沼化して行くと、そんな余裕もなくなって行ったわけだが。
>なぜ「銀シャリ」がそんなに美味いというのかが、よく分かりませんね。
麦や粟、稗なんか混ぜて喰ってみれば一発でわかる話なのだが。
…ああ、もちろん米9割に粟1割とか、米8割に麦2割とかいう状態の話してるんじゃねえぞ?
麦6米4とか、米2麦4粟4とか、それで炊いた粥や雑炊とかいう壮絶な食い物の話をしているわけだ。
>「コシヒカリ」や「ヒトメボレ」の美味さ、「タイ米」や「シナ米」の不味さを知らないんですか?とか、
タイ米=まずいってのもタイ米騒動の悪影響だよな。タイの米なんざ世界的には高級品だ。
香り米なんて最高級の魚沼産コシヒカリより高価なもんまであるくらいだ。
ま、無知を曝け出すのは勝手にすれば良いが、日本人として恥を晒すのは迷惑だから止めてくれ。
200 :
名無しさん@6周年:2006/09/27(水) 17:36:02 ID:MzvAaeeh0
低学歴ファンタジー
北海道で国道を北上していたら、いつしか稲作の北限を超えてソバ、そして牧草地帯に移り変わる
光景を目にすることができるよ。
202 :
名無しさん@6周年:2006/09/27(水) 17:52:44 ID:ueXMhXCF0
全ての動植物の起源は東アジアの某地域にあるんです!!!
……という連中の反応まだ?
203 :
名無しさん@6周年:2006/09/27(水) 19:09:40 ID:og9AOiYc0
大麦は米のようにもみすりで精麦?して
粒を出せるが、
コムギでこれをやると粉になってしまう
どっかでコムギで強引に粒を出して
米のように炊いて食っていた。非常に旨いらしい
しかし大量にフスマとコムギが混ざったものが出来てしまい
無駄が多いのだと
204 :
名無しさん@6周年:2006/09/27(水) 19:44:55 ID:5SeKE95f0
>中国人が現地のオアシスに住み着き、10年かそこら開拓に従事するだけで
>いきなり水田耕作がはじまり、莫大な米を生産しはじめたという現実。
>水田耕作というのがこれほど簡単に、かつ迅速にはじまるというのはほんと衝撃でした。
>水田耕作伝播期の日本もこんなんだったんじゃないかという衝撃なんです。
水田だけタロイモ(サトイモ)栽培用で先に普及し、後から稲作が持ち込まれた線は?
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060122ddm015070044000c.html 今週の本棚:藤森照信・評 『稲作の起源−
...イネ学者としての水田稲作起源論を述べる。アジア南方にまず
サトイモの水田栽培があって、この水田の中に稲が入り込んできた、と。
>「自分では水田耕作をしないが、交易で獲得した米は食う」段階なんかも
>あったんでしょうね。今のウイグル人がそうであるように。
>縄文人が結構大規模な交易を行っていたのは近年の常識ですから。
>そして米ほど貨幣代わりになり得る穀物は存在しません。
いや、稲作はするが交易に廻してあまり喰わない、てのが弥生村落の一般て説も。
米ほど貨幣代わりになり得る農林水産物もあまりないから。
発掘遺構の推定人口と水田跡面積から、米を主食に出来たハズがないらしい、
沿岸交易路の発達に対し交易品を確保するのが目的で稲作が本格化したんだとか。
205 :
名無しさん@6周年:2006/09/27(水) 19:46:01 ID:25cBPh+D0
>>203 へえ、食べてみたい。精麦して炊いたの。
小麦の起源は韓(略
>>199 高学歴志向のキミへ
河合塾の先生が書いてるサイトを見つけたので、この辺で勉強してみてください。
ttp://blog.sasakitoru.com/200607/article_7.html 簡単に要約しますと、「白米食は食糧管理法によって一般化した」、と言いたいらしいです。
いや、もちろんそれ以前から食ってる人はいたんですよ。鰻丼、酢メシ、オムライス、
カレーライスや味噌汁ぶっかけ御飯とか。雑穀が混ざらないご飯が珍しかったという
意味ではありません。あくまで「一般化」した、というのがそのキモです。世の中の
「一般」をどこら辺に持ってくるかという問題なんですが、その中心を支配者に合わせる
必要も貧民に合わせる必要もないということですね。
もしかして理系の高学歴の人なのかな。
いちおう高校レベルなので難しいかも知れませんが、迷信に惑わされないよう、よく勉強してね。