靖国問題は自民党総裁選の中で数少ない争点の一つになっている。今月12日付の
『こちら特報部』では、この靖国神社の一角にある鎮霊社にスポットを当てた。
その後、読者の方々から「もっと詳細を」という要望をいただいた。前回は多忙を理由に
取材に応じなかった神社側も、今回は本紙の質問に書面で答えてくれた。再び鎮霊社
を舞台に靖国問題を考える材料を提供したい。
【『こちら特報部』からの質問(1)】
一八六九年に靖国神社の原型、東京招魂社が創建されて九十年以上たった一九六五年に、
鎮霊社が建立された理由は何か。
【靖国神社広報課の回答(1)】鎮霊社は、時の筑波藤麿宮司の発案で、戦なき平和を願い
創建された御社。嘉永六(一八五三)年以降の戦争・事変にて非命に斃(たお)れ、職域に
殉じ、病に斃れ、自ら生命断つなどして靖国神社に祀(まつ)られない御霊(みたま)と、同年
以降の戦争・事変に関係し、死没した諸外国の御霊、二座を鎮祭している。
一八五三年という年は何を意味するのか。この年以降の戦争で死亡した人を祀ることは、
鎮霊社のみならず靖国神社本殿にも共通している。
日本文化総合研究所の高森明勅(あきのり)代表はこう説明する。「靖国神社(当時の東京
招魂社)が最初に祀ったのは戊辰戦争の官軍兵士。一八五三年のペリー来航から国難が
始まり、明治維新につながったという認識があり、後にそこまでさかのぼって祀ることになった」
【質問(2)】A級戦犯の本殿への合祀(ごうし)を避けるため、鎮霊社を建立し、以後、合祀された
一九七八年まで、実際に祀られていたという指摘がある。これは事実か。
【回答(2)】学者にはいろいろな推論もあろうが、御本殿の御祭神と鎮霊社の御祭神では全く性格
を異にしている。鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象と認識している。
(以降本文参照)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060829/mng_____tokuho__000.shtml