【研究】 "古代史最大の謎" 邪馬台国やっぱり畿内?有利な証拠集まる★4
2 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:46:06 ID:K0a/i6VZ0
ニダ━━━━━━<丶`∀´>━━━━━━ !!!!!
3 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:46:25 ID:5r3+KOi+0
2なら邪馬台国は九州にあった〜〜〜
4 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:46:40 ID:J9jztWPc0
<丶`∀´> クックック
5 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:46:43 ID:UKC7EPLb0
畿内への持込は邪馬台国
卑弥呼は4様
7 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:47:11 ID:dbrxY/ks0
<丶`∀´>ホルホル
8 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:47:21 ID:CtCoNxgK0
考古学は言ったもん勝ち
9 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:47:27 ID:VDyVU56g0
そもそも邪馬台国の存在自体、物語、フィクションでしかないのかもしれないよ
前スレにあったアキバの巫女コスプレ画像も張らずに・・・
卑弥呼様のお仕置きが
>>1に当たりますように
畿内も九州も邪馬台国でいいじゃん。
歴史に興味ある感心な厨房が多いスレなのですね
14 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:50:01 ID:4ljCkZrF0
この時代の支那と比べると。。
15 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:50:24 ID:jPgLdxHP0
>>11 実は邪馬台国は、畿内から九州にかけて広がる王国だったのだよ!!
17 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:51:24 ID:ZWYmnAAf0
鋼鉄ジーグ禁止ってガイシュツ?
20 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:53:17 ID:jPgLdxHP0
>>17 それはもう少し内緒にしておいてくれたまえ…。
21 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:54:34 ID:FkwduS5I0
>>17 邪馬台=yamado=ヤマト=大和だから。
って前スレでも言ったら文句を言う奴がいたな。
でも韓国のkoriaだって高麗の音を当てはめただけだし
文字とはそう言う物。
いたって普通の考え方だが。
22 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:55:33 ID:ZWYmnAAf0
23 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:56:03 ID:n0C8DyJC0
卑弥呼が一言
↓
鏡ダイスキー
25 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:57:32 ID:S/sGJmXS0
半島人文化なんだよね
天皇系は
要らないよ日本列島から追い出してしまえ
何度も書くけど
在日半島人、在日米軍、在日韓国人、在日朝鮮人
在日台湾人
全部まとめて日本から追い出してしまえ
26 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 19:57:58 ID:FkwduS5I0
卑弥呼じゃねぇ日の皇女(みこ)だ!
27 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:00:26 ID:ocNku6ICO
20年前に小学館まんが日本の歴史を読んだ時に邪馬台国は畿内説と九州説があるという事を知ったが
意外と早く決着がつきそうだな
28 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:00:31 ID:jVfB63CCO
「やまた」と「やまと」は同じ言葉だったりして
29 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:01:23 ID:YvnhFAyR0
邪馬台国は九州にあったが、畿内に拠点を移し、邪馬台国から大和朝廷となっていった。
邪馬台国の当時、畿内は銅鐸の文化を持つ国。
大和朝廷に銅鐸の儀式も記録も無い。
畿内は当時、九州とは違う国。
31 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:03:56 ID:YvnhFAyR0
天戸 → アメト アマト → ヤマト → 大和
32 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:04:21 ID:FkwduS5I0
>>29 邪馬台自体シナ人の当て字だからな。
音的にはヤマドだから。
当時日本には漢字がないし邪馬台国=ヤマト国なのは間違いない。
それが大和王朝と関係があるとは断言できないが。
33 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:04:54 ID:vOvANO2nO
何?邪馬台国と大和朝廷つながってんの?
34 :
研直也:2006/08/23(水) 20:05:31 ID:NtA6wx110
卑弥呼の墓は大和の箸墓古墳。
間違い無し。
宮内庁の許可を得て発掘すべし。
ああ退屈だ。
35 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:06:56 ID:ZWYmnAAf0
九州からの東遷説を取るとして、
出雲の大国主神話が残っているくらいだから
出雲を突破するのは大変だったと思うんだけど
そのあとはそんなに苦労せずに制定できたのかな
出雲あたりが、畿内勢と九州勢の最終決戦地だったのかな
36 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:08:18 ID:WPZKiM7z0
俺は卑弥呼が親魏倭王の金印を受けたことが日本の正史から消された最大の
理由だと思うけどな。
つまり日本書紀を書いた大和朝廷は魏書東夷伝の卑弥呼が実は皇室のヒメミコ
であることは知ってはいたが、それを認めると大和朝廷が中国の属国であったと
認めることになるから敢えてそれを闇に葬った。
そうなるとその物証である金印は当然処分されてるはずだから見つからないのは当然。
37 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:09:49 ID:lwdjNFMQ0
邪馬台国なんてプラズマですよ
38 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:09:57 ID:veTZHWgQ0
関西人が畿内説に拘って捏造まがいのことしてるんだろ。
いい加減にしろよ。
39 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:11:09 ID:4FcNOTBV0
現在というか、ここ十年位の議論だが、
畿内に3世紀前半にすでに広範囲に影響を及ぼし得る勢力があった、という物証が出ている。
それはいわゆる「邪馬台国」の時代と被っている。
でも、畿内の「ヤマト」勢力の出身地は特定出来ていない。
九州にはある程度の支配者が住みうる物証があるものの、
近畿に出ているような、広範囲からの交流物(例えば関東地域の土器など)は少ない。
それらを総合すると、先進地域であった九州から出た(大陸の可能性もある)勢力が、
(出雲を征服し、吉備と手を組んだ途中経過を経て、)
結果として、マキムク地域で定着した。
「ヤマト」はその勢力の名で、対外的に大陸から「倭」と呼ばれる。
マキムク地域では「大倭」と書いて「ヤマト」と読ませ、
のちに大陸への対抗心が生まれた時に、「大和」を「ヤマト」と読ませた。
ま、そんな流れが想像出来るな。
41 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:13:52 ID:ZWYmnAAf0
>>36 そのころ中国の属国であることを非とするような価値観があるかどうか
わからないな
聖徳太子の時代にけんか売っているわけだからその考えを否定するものではないが
42 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:15:30 ID:bFL1heOP0
中国が一つであると考えるのが間違い
43 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:15:39 ID:YvnhFAyR0
44 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:18:54 ID:ntVEBmap0
卑弥呼の金印?
卑弥呼だけじゃないだろ
金印もらったのは
倭の五王の応仁天皇だの仁徳天皇だの雄略天皇だの
いっぱい属国のしるしをもらって安東将軍なんかに
任じられてるじゃないか? 韓国を笑えるんか?
45 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:19:26 ID:t/7GIgkF0
キバヤシさんに聞けよ
46 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:20:20 ID:QizCZSlj0
>>36 で、「皇室のヒメミコ」は、何天皇の時代の人で、なんの資格でそんなことが出来たの。
47 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:20:28 ID:+iP3D5GG0
>>41 記紀は7〜8世紀に書かれている。
聖徳太子のすぐ後で大王が中国を習って日本や天皇を名乗り始めた時だ。
逆に聖徳太子自体が、天子と言う中国風の思想を日本で定着させる為に
聖人化された人物と言われている。
>>25 帰化人は殆ど漢とか秦の後裔って自称してることを考えると、半島土着ってことは現代と同じく
古代においても相当に恥ずべきことだったんだろうな。
49 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:20:37 ID:DYp9E9CZ0
邪馬台国の時代から古墳時代が謎の100年といわれてきたけど、
年輪年代測定法かなんかで、古墳時代の開始が100年早まって謎の100年がなくなっちゃったんでしょ。
つまり、今までは存在しなかった100年についての議論が延々くり返された訳で、
自由に空想できたからロマンがあった訳ね。
魏志倭人伝の作者が九州にたどり着いたときはすでに大和では古墳時代だったので、
九州に大和まで遠征してそれらを征服できる勢力があったなんていうのはちょっと飛躍。
魏志倭人伝の作者が九州まできて、大和までいくのがめんどくさいから、
九州の人が話していた大和の伝聞(言葉がどこまで通じたのか)を、
九州の風俗をもとにテケトーに書いたんだと思われ。
中国の歴史書なんてそんなもん。いまの中国みてたらさもありなんということ。
だから、魏志倭人伝を読むと非常に九州臭いけど、発掘資料での裏付け非常に少ないということ。
東征は、大和の構成民族が東(揚子江の下流域)からの移民であることを脚色して
いっているんだとも考えられる。このころからすでに日本は移民国家だったからね。
50 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:21:31 ID:hWCzlTjf0
> 大和地方の古墳と瀬戸内地方東部などの古墳との間に強い結びつきがあったことが明らかになりつつある。
九州説からすれば,長門以東は別文化圏( 魏志にも記録あり )なんだから,別に中国地方から大和までが同一文化圏でも何もおかしくないだろう・・・
なんでこれが大和説優位の論拠になるのかわからない・・・
もし,前原や山門など九州北部と密接な関係があったことが立証されるなら話は別だけど・・・
51 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:22:38 ID:gX1uq2a40
そんなもん畿内に決まってるだろ!九州説はムータ大陸の類と学会では認められている。
52 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:23:04 ID:S/sGJmXS0
>>40 単純な理屈だよ
日本を占領した連中だろ
追い出してしまえ
53 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:23:05 ID:/fRlSekp0
というか、先史時代から人口は列島全体に分布してたんでしょ?
文化の伝播がうんぬん(ry→九州だ!
ってするのはちょっと無理があると思われ。
個人的には畿内じゃないかと思う。
ていうかこういうスレの時の2ch住人の博識ぶり恐ろしすw
神武天皇(だったと思う。どっちにせよ、大和朝廷の祖みたいなの)の東征伝説からして、邪馬台国は近畿より西だと思ってたけどな
55 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:24:59 ID:FkwduS5I0
>>44 聖徳太子の時代までね。
それ以後は完全な独立国。
中国には皇帝がいるが日本には天皇がいますよとね。
でも何で韓国を笑うの?
意味が分からん。
56 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:25:46 ID:S/sGJmXS0
>>52 在日半島人、在日米軍が日本を占領した連中
在日韓国人、在日朝鮮人、在日台湾人は邪魔な連中
ちょっと訂正
57 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:25:52 ID:WPZKiM7z0
>>46 ヒメミコを皇女ではなく女帝という意味で考えれば説明はつく。
たとえば神功皇后。
58 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:27:28 ID:QizCZSlj0
59 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:27:42 ID:m6q6o4Lh0
県名を邪馬台県にしたところが本物ってことにすればいい。
60 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:29:27 ID:TPyDV6mz0
魏志倭人伝が、卑弥呼がトップだと書いていても、
実際の君主に当たる人物だったかどうかはわからんよな。
筆者が、卑弥呼に会って話したわけでもないんでしょ?
それに自国の史書ではないわけだからな。
61 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:32:23 ID:V2TY6gSU0
東夷どもがいくら叩いたって、関西は日本文化の源。
それ以外の地方の人間は、日本人のパチモンじゃーいwwwwwwwww
62 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:34:02 ID:UF//y0c40
中華から見たら日本全部東夷
63 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:34:20 ID:+3T71pkMO
韓国にあったことにすれば?
ヒミカ
65 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:35:19 ID:TPyDV6mz0
朝鮮南部、九州、四国、中国、近畿にまたがっていた可能性はないの?
そんなでかい国だったらもっと情報残ってるか。
順帝昇明二年(四七八)、遣使上表曰。封国偏遠、作藩于外。自昔祖禰、躬製甲冑、抜渉山川、不遑寧処。
東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五国。王道融泰、廓土遐畿、累葉朝宗、不愆于歳。
臣雖下愚、忝胤先緒、駆率所統、帰崇天極……
これだけ見ると東は関東〜東北、西は九州、北は朝鮮半島って感じだけどなこの当時。
しかしいくら向こうが書いた文章にしても聖徳太子と違ってえらく遜ってるのがカッコ悪いがw
68 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:38:16 ID:vYchXbGb0
邪 ngiag (yia)zia 邪馬台国 zia-ma-d∂i国
yia-ma-t'∂i
yia-ma-yieiなど ヤである耶も夜も:diag-yia
坐・座はdzuar-dzua
乍(じゃ)はdzag-dza
爲 Hiuar Hiue 為吾国 Hiue-ngo国 ヰ・確かにワ行音に特有のHで始まる
越 HuIat HIu∧t 烏越 ・o-HIu∧t Hはワ行音(安本)
華 Huag Hua 華奴蘇奴国 Hua-no-so-no国 Hはワ行音
獲 Huak Huyek 彌馬獲支 mie-ma-Huyek-t∫Ie Hはワ行音
大 dar da . . ダ
大 dad dai 一大国 iet-dai まぁ、一支(iet-t∫Ie)国の間違いだろうが
台 d∂g d∂i 邪馬台国・台与、上記 うてな
台 t'∂g t'∂i 三台星・三公・敬語
台 di∂g yiei われ(代名詞)
投 dug d∂u 投馬国 d∂u-ma国 音は豆・頭と同じ∴「ツ」
耆 gier gii 伊聲耆 Ii-∫Iεng-gii キ甲
渠 gIag gIo 柄渠觚 pi∧ng-gio-ko コ乙
海 mm∂g h∂i 對海国 hai 紹熙本の記載。紹興本の対馬。上古音に注意。
好 hog hau 好古都国 hau-ko-to国 .
呼 hag ho 卑彌呼 pie-mie-ho ≒ヒミホ
69 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:39:12 ID:bOYaXiAl0
関西人はほんとどうしようもない奴らだな。
捏造してまで畿内説を唱えるとは・・・
朝鮮はないんじゃないか?
朝鮮に文字があったのならば記述されてると思うが?
71 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:39:51 ID:qHqccJTL0
もう既に九州説のよりどころは全滅だろ。
何かあるか? すがりつくものが?
72 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:39:54 ID:FldWEJc60
それでも邪馬台国は九州にあった
大韓民国梶E九州支店だったんだよ(酋長談)
73 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:41:28 ID:ZWYmnAAf0
九州説を補強するものばっかりじゃん
捏造疑惑ばかりの畿内説とはちがうよ
74 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:41:30 ID:5rVA1sV90
邪馬台国は空にあるんだ!
75 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:41:48 ID:KLIJ/qquO
イクナイって大まかにどの辺の事を指すの?
76 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:42:30 ID:bOYaXiAl0
畿内説のよりどころは捏造ばっかだろ。
77 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:43:08 ID:qHqccJTL0
>73
実際にぜーんぜん、遺跡が発掘されないジャン。ショボイのばっかで、勢力を誇ったとされるものが皆無。
俺は邪馬壱国と教わったな〜
79 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:45:13 ID:bOYaXiAl0
畿内説を主張してる奴は朝鮮人を笑えないね。
捏造遺跡で半万年と言ってる朝鮮人と同じ。
捏造疑惑のあるもの以外で何か出てきたか?うん?
80 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:45:50 ID:rJLmpn/I0
81 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:45:51 ID:ZWYmnAAf0
>>77 逆だろ
3世紀後半以降しかまともな遺跡ないじゃん
吉野ヶ里は紀元前からの集落だ
邪追台国
83 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:46:24 ID:NjT/8LAsO
前スレで本居宣長の説を解説してくださった方、ありがとうございました。
84 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:46:48 ID:XhgbOrQr0
大和朝廷と邪馬台国のつながりを証明するモノってあるんすかねぇ。
85 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:47:08 ID:qHqccJTL0
何の根拠も無く、ただ「捏造」「捏造」としか繰り返せない時点で九州説はダメだろ、もう。
それこそ、チョンがよく使う「妄言」とかと同じレベルw
86 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:47:56 ID:vYchXbGb0
イャ・マー・タぁー・クゥオ=ヤマト
87 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:48:06 ID:bOYaXiAl0
藤村みたいな捏造野郎が何年ものさばっていたのが日本の考古学界。
そいつらが100年早くなりましたなんて言っても信じられるかい?
しかもその根拠は怪しげなものばかりw
>>77 遺跡の規模で言えば九州も畿内も甲乙付けがたい
おまえのような奴が畿内説を不利にしている
畿内支持なら、きちんとしやがれバカタレ
89 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:48:51 ID:rJLmpn/I0
なぁ、とりあえずタイムマシーン開発されてからこの話しようぜ
90 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:49:14 ID:p4kI+MZN0
>>79 と言うより九州説の根拠が無さ杉w
唯一、魏志倭人伝を 歪めて読んでいるのが唯一の根拠。
証拠自体が少なすぎなので、「これが絶対正しい」という方が朝鮮人レベルw
91 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:49:22 ID:J+cBWXtkO
邪馬台幻想記はそこそこよかった。
黒猫はよくわからなかった。
今のはタイトルすら知らない。
>>89 翻訳コンニャクもないと言葉が通じんなwwww
93 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:50:35 ID:bOYaXiAl0
>>1に出てくるように畿内説を補強するようなものか疑わしいものでも
「畿内説が補強された」と強弁する畿内説の方が朝鮮人レベルだろ。
マスコミと手を組んで胡散臭い情報を事実であるかのように
垂れ流す手法はまさに朝鮮人。
94 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:50:44 ID:ZWYmnAAf0
>>85 実際どう見ても畿内説は捏造ばっかり
無理やり年代引きあげて同定するなよ
しかも無理やり同定したのが魏志倭人伝と関係ない出土物だったりするし
95 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:51:44 ID:ZoJSWsfa0
そういえば石ノ森章太郎「マンガ日本の歴史」の第一巻って痛烈だったなあ。
後漢の光武帝が「朝鮮は属国、日本は外国」って言い切っちゃってるもんな。
96 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:52:01 ID:9ufZ1h/20
雑誌『ムー』には、「邪馬台国はインドにあった」と書いてあったのだが。
>>84 銅矛、鉄剣、銅鏡などの出土物、石棺墓などは九州のほうが魏志倭人伝と親和性が高いな。
>> 85
たとえば・・・
銅鐸が現皇室の儀式にも、日本、支那双方の歴史書にも
一切出てこないにも関わらず、畿内では邪馬台国の時代まで
銅鐸文化が生きていたのは、畿内説では説明できない。
これについて納得いく説明は聞いたことがない。
>>86 「マルコビッチの穴」で人形使いが女子社員の名前当てる時の言い方に似てるな。
99 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:52:49 ID:tygf/6nGO
九州は五輪招致で負け、邪馬台国で負け、散々だな。
101 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:53:20 ID:YNrPdNcU0
だから邪馬台じゃなくて邪馬壱なんだってば!
103 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:53:46 ID:bOYaXiAl0
>>90 絶対正しいといってるのは畿内説だろ。
何の根拠もないのにねw
何だよあの鏡は。
100枚はとっくに超えてるぞ。
104 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:54:08 ID:kvPctUWY0
沖縄の海底神殿のとこが怪しいね
105 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:54:11 ID:n8I1Dsdj0
106 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:54:46 ID:qHqccJTL0
>93
だから勝手に1とかの遺跡を「疑わしいもの」にするなよw
なんでそんな事がドシロウトにわかるんだっての。
実際に幾多の考古学者の言う事より、おまえらドシロウトの「疑わしい」説を信じるわけあるまいて
107 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:55:01 ID:ZWYmnAAf0
>>95 日本が外国というのは事実かもしれないが
大中華様から見れば属国のほうが上で、外国のほうが
下という価値観があるかも
独立国の方が上という価値観はだいぶ後になってからじゃないかな
108 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:55:08 ID:ZoJSWsfa0
過去ログ読むと、このスレの畿内説支持派の半分強は、
邪馬台国はなんばか梅田駅前にあったと信じている大阪人。
うめちか掘ってみたら魏鏡が出てくるって信じてるみたい。
109 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:55:23 ID:m2EwczSLO
逆説の日本史に答えが書いてあるぞ
110 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:55:33 ID:vYchXbGb0
魏鏡はガセだった・・・中国では一枚も出ていない・・・
100枚の鏡は100余国に配られた、普通の鏡?それとも記録係の作り話?
あとから挿入された?
111 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:55:55 ID:zEEnXAQD0
実は、邪馬台国は当時の日本民族の王国。で、大和王朝は半島からの侵略王朝。
これがホントの真実です。つまり、バカウヨが必死に崇めてる天皇家は、連中が
日頃バカにしてる半島からの侵略者の末裔なんだよwww
112 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:56:32 ID:CIEWvfh80
畿内説の方が正しいよ。
日本の文化の中心は常に近畿地方。
九州のような朝鮮に近い辺境の地に邪馬台国があるわけなかろう。
九州説を主張する奴はチョン。
113 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:56:46 ID:dCMAPaUg0
ハニワ幻人
114 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:57:06 ID:hY7hsK9a0
>>103 100枚どころか500枚ですがなにか?
畿内説はもう無理。
115 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:58:17 ID:m2EwczSLO
ちなみに邪馬台の古代中国読みは「やまと」
>>103 畿内説の根拠とされる「三角縁神獣鏡」だが・・・
三角縁神獣鏡の中には「景初4年」という実際にない年号が刻まれているものがある。(景初は3年までしかない)
景初3年の次は正始元年である。ゆえに景初4年の鏡は明らかに日本で作られたものである。
三角縁神獣鏡がすでに500面も出ている。埋められた鏡のうち、10%が出土する(出土率10%)と推測して、
26年間に5000面〜6500面ももらったことになり、あまりにも多すぎる。
プッ
117 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 20:59:00 ID:qHqccJTL0
>97
> たとえば・・・
> 銅鐸が現皇室の儀式にも、日本、支那双方の歴史書にも
> 一切出てこないにも関わらず、畿内では邪馬台国の時代まで
> 銅鐸文化が生きていたのは、畿内説では説明できない。
>
> これについて納得いく説明は聞いたことがない。
銅鐸なんて銅鐸文化なんていう程のもんではないから。
別にそれで何をしてたってわけじゃなし。
いくらちょっとばかり目立つような装飾品に見えても、当時の人々にとって特段、重要でなければ
記録にのこってなくても当然。 逆に当時の細かな事全てが記録にのこってる方が不自然だろ。
銅鐸だけでなく、よくわからんもの、記録に残ってないものなんていくらでもあるわ。
118 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:00:52 ID:9ufZ1h/20
宇宙戦艦邪馬台
独立戦闘国家邪馬台
119 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:00:55 ID:38F5Xp1P0
>>111 そうかもしれないな
だから百済と大和朝廷が親密であったことも任那日本府があったとしてもおかしくない
さらにいえば、現在の半島民族に半島から駆逐されたので、民族的には別物だ
120 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:01:47 ID:TPyDV6mz0
>>116 「景初4年」の刻印のやつを先に沢山作っちゃって、
国内では無理って話で、日本にくれてやったのかもな。
121 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:01:55 ID:KRdnuRVuO
>>111 >バカウヨが必死に崇めてる天皇家は、連中が
日頃バカにしてる半島からの侵略者の末裔なんだよwww
そうであっても、半島そのものの一部が「日本」だったと解らない在日はバカって事だ。
そもそもチョウセンに「怨霊信仰」なんか存在しないだろうに。
(笑)
122 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:01:57 ID:RX2Iq/8F0
>>116 全部が中国からもらった鏡だと主張してるやつはひとりもいないよ。
大事なのは魏の年号である景初や正始が刻んであることだね。
今のやつはトラブル(ToLoveる)だよ
124 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:02:05 ID:vYchXbGb0
金印があそこに出土したから、鏡は難破して沈んだ?鏡を模写してへびの装飾で
つくったのは、帰化人たち?大和朝廷、古事記には鏡の話は出てこない。
3種の神器のいみするものは、剣と鏡と勾玉が融合した、3大勢力を平定したシンボル?
ヤマタノオロチは蛇を崇める8大部族を征服した、そのおろちの頭から剣がでてきた。
鏡は卑弥呼を征服した?勾玉は?
たとえば
関西弁の卑弥呼と博多弁の卑弥呼…
どっちが良い?
まて、銅鐸は無視できないと思うぞ。
畿内説を支持してても、それを無視することは出来ない。
>>117のような否定の仕方はよろしくない
ふー
ならさ、古事記とかに、朝鮮風地名とかないのがおかしいって思わないか?
130 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:03:13 ID:7/TzMNLE0
あれ?邪馬台国は家康が江戸に作ったんじゃ〜無かったの?
131 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:04:18 ID:vYchXbGb0
魏鏡が蛇の文様を入れたとしたら、蛇を崇める邪馬台国を支配した?それを
ヤマトが平定した?
132 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:04:34 ID:4FcNOTBV0
「邪馬台国」という全国レベルの統一国家を想像すると、間違ってしまう訳で…。
魏志倭人伝は、参考程度に考えないとね。
3世紀の日本は、「卑弥呼」始めシャーマニズムにも頼っていた時代。
その方法が破れた時に、争いが再開したって位だから、
各地にまだまだ勢力が割拠していた筈…。
何でも有力だったのが畿内。
って事にしないと、大陸から伝わった絹が九州近辺でしか見つからないから、九州説。
とか、
古い祭祀(銅鐸など)を大切にする土着勢力を無視して、
新興の祭祀(前方後円墳での権威継承儀式)が出現した段階で、
全てが変わった…とか思ってしまいがちになるし…。
そういえば安彦良和の漫画があったな
134 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:05:14 ID:/0lTXezW0
>>91 先にライカ読まなかったのがラッキーだったな
135 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:05:19 ID:+iP3D5GG0
>>66 邪馬台国から大和への謎の100年間に各国でどう書かれているか
中国が五胡十六国の時代に入り異民族の流入により朝貢する国も減り
記録が途絶える期間だ。
宋書には、倭の五王の記録があり、使持節・百済・新羅・任那など六国諸軍事・倭国王
を求め中国は、朝貢国の百済を外した物を任命している。
高句麗では、百済・新羅が以前は高句麗に朝貢していたのが倭国に朝貢する様に
なったと嘆いている。日本では神功皇后の三韓征伐が書かれている。
丁度その時期に秦氏などが日本に渡来して来ている。
つーか今の朝鮮人は日本の本で古代朝鮮語(なんてものも定義できないが)を
推測してるぐらいだしな。吏読たって屁みたいなもんだし。
137 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:06:03 ID:TPyDV6mz0
銅鐸とか鉄鐸をご神体にしてるような神社ってけっこうあったりするんかな?
邪馬台国なんて当時の日本じゃ小さい集落程度
日本の歴史上価値なんてありません。
九州、畿内どちらの説を唱えてる学者も飯の種だけに
騒いでるだけです
139 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:06:58 ID:zfhwTGj50
こうしてみると朝鮮は偉大だな
140 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:07:21 ID:g25ewzDZ0
みんなの言うとおり邪馬台国の場所は九州の宮崎だろうな。
141 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:07:25 ID:CIEWvfh80
邪馬台国は畿内にあったんだよ。
反対する奴は九州の土人とチョンだけ。
>>117 >銅鐸なんて銅鐸文化なんていう程のもんではないから。
>別にそれで何をしてたってわけじゃなし。
銅鐸の技術をなめちゃイカン。
鋳造技術は現代以上と見られるものもあるぞ。
銅を大量に、しかも高度な技術を持って消費する銅鐸を
文化なんていう程のもんじゃないと言い切るチミはチョンだなw
143 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:08:00 ID:ZWYmnAAf0
>>132 すみませんが絹は九州で生産していた痕跡があります
この前サッカーの日本代表の試合で子孫を見たよ。
今はさいたまに住んでるらしい。
145 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:10:19 ID:RX2Iq/8F0
>>135 倭の五王の時代に南朝側が高句麗・百済・倭の三国の王に与えた
将軍号(征東将軍)の序列を比べてみると
高句麗 > 百済 => 日本って感じなんだよ。
百済に対して圧倒的優位を持っていたという感じはしないな。
我が朝鮮半島になんらかの形で軍事進出していたことは否定しないが。
146 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:10:32 ID:ZWYmnAAf0
銅鐸か
あんなでかい銅の塊があったら、中がどのくらい空洞かわからんが
銅剣の一本も作れるのに
147 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:10:35 ID:vYchXbGb0
銅鐸に含まれる不純物を解析して、銅鉱石の産地を探せばいいのじゃ?
そこから、銅鐸の生産拠点とルートがわかれば、そのどこかに邪馬台国は
あったとみる?
148 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:10:41 ID:CIEWvfh80
九州なんてほとんど遺跡でないんだろ?
畿内はたくさん遺跡が出てるんだけど。
この事実だけで十分だろ。
日本書紀なんてデタラメなもの読んでるから
頭がおかしくなるんだよ。
近畿説は、京大(左翼)の陰謀だろう。
150 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:11:16 ID:qHqccJTL0
>128
逆に聞きたいが、銅鐸が何故そんなに重要なのか?
何故、(もし畿内説と仮定したら)銅鐸が記録にのこっているべき!と言えるのか? そこが全く納得できないんだけどな。
ただの(九州派の)苦しい言いがかりにしか見えん。
だいたい、古代遺跡ででてきた装飾品等で、(周囲の国にも、当事国にも)記録などが残ってなくて、使い道や
そもそも何なんだこれ?っていうモノなんてよくある事。
古ければ古いほど当然そうなる。
魏志倭人伝なんて、それこそ外国によるホンのチョイ記録でしかないんだから、書かれていない事の方が多いと考えるだろ、普通。
日本書紀等にしても、後書きのもので、その性質上、特に重要と思わなかったであろう昔の装飾品についての記述があるべき、と考える方がどうかしてる。
151 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:11:21 ID:PYFkfsP20
>>117 > いくらちょっとばかり目立つような装飾品に見えても、当時の人々にとって特段、重要でなければ
> 記録にのこってなくても当然。 逆に当時の細かな事全てが記録にのこってる方が不自然だろ。
間違いなく銅鐸は特別なものだった。
なぜなら、銅鐸は意図的に破壊されたり山中にてられていたものが多い。
これは、銅鐸が畿内の信仰の象徴として排斥された可能性を示している。
152 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:11:35 ID:4FcNOTBV0
>>143 いや、九州に強力な勢力があった事は否定してないし…。
絹の生産は大陸と関係の深い九州で行われていただろう。
でも、それとかなりの範囲で瀬戸内から東海まで結んでいた畿内の勢力を、
否定する論拠が分からないってだけ。
153 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:11:41 ID:+iP3D5GG0
>>129 何を朝鮮系と言っているか知らんが
古事記は、アイヌや縄文系の名前から東南アジアを起源とするものまで多々でてますがな。
154 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:12:08 ID:UF//y0c40
ガリア戦記にさ
ブリタンニア人は刺青してたって書いてあったんだよ
倭人も黥面文身すってあるからさ、
邪馬台国はブリタニアにあったんだと俺は思うね
155 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:12:59 ID:zfhwTGj50
朝鮮って凄いな
>>154 呉越も、剃髪、刺青だから、なんか、海洋民族というか、海が生活の糧って連中は、魔よけに剃髪(ちょんまげも?)刺青なんじゃない?
157 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:14:25 ID:ZWYmnAAf0
>>148 年代を考えると、畿内のほうが遺跡は少ない
3世紀後半以前では圧倒的に九州のほうが出土物は多い
うそはいわないように
158 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:14:36 ID:KtKeFzsN0
159 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:15:18 ID:YvnhFAyR0
滅ぼされた近畿の銅鐸文化が邪馬台国なのか、滅ぼした側の九州からの東征軍が
邪馬台国なのか。
>>150 別に俺は九州説を支持しているわけじゃないぞ
畿内説でもないがwww
銅鐸に関しては他の装飾品等と違うと思われる
大型化されたりしてるし、神事に使われていた可能性も高い
こういう物を無視すると公平性に欠けると思うんだが?
161 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:16:35 ID:rZyAkuh1O
邪馬台国は東北の八幡平にあるんだよ。
こう考えればすべてつじつまがあう。
162 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:16:47 ID:zfhwTGj50
なんだ
朝鮮=日本ってことか
163 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:17:10 ID:B5vIB2Vv0
昔テレ朝の深夜番組プレステージで
レベルが低いようなことを言って
怒ってた爺さんってまだ生きてるのでしょうか?
164 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:17:41 ID:vYchXbGb0
卑弥呼のあと古墳時代がはじまるのはあきらかに大陸系の文明が入ってきた?
大陸系の文明が入ってきたのに、文字の記録がないのは不思議だ。朝鮮半島も
漢人支配まで文字がなかった。
165 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:18:09 ID:O3rYBnrI0
そうか…、やはりわが濃尾平野は狗奴国連合として卑弥呼と戦ったのだな
>>159 > 滅ぼされた近畿の銅鐸文化が邪馬台国なのか、滅ぼした側の九州からの東征軍が
> 邪馬台国なのか。
銅鐸は、銅剣や銅矛に匹敵する弥生時代の代表的な製作物であるが、
『古事記』『日本書紀』などの古文献には、全く登場しない.。
もし、邪馬台国が発展して大和朝廷になったのだとすれば、
銅鐸文化は邪馬台国とは関係が無いことになる。
>>161 邪馬台国はどこですか
まあ、面白いがそれはちょっと厳しいな。。。俺は畿内でもなく九州でもなく、東北など論外だと思うが
169 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:19:16 ID:/fRlSekp0
いいや、両方ありえないね。関東にあったんだよ。
って池袋公園でたこやき売ってたおばちゃんが言ってた。
170 :
教えてMRオクレ:2006/08/23(水) 21:19:49 ID:WzazktiH0
おれさ、日本史好きなんだけど、どなたか教えてキボーン。
(1)邪馬台国ってさ、卑弥呼が仕切っていたんだっけか?
(2)九州説と畿内説は、いつから論争やっていて、どっちが
優勢なんか?(今回の発見除いて)
(3)松本清張も何か言ってたやろ? 彼はどっちを支持
してるんや?
よろしくキボンヌ。
171 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:19:55 ID:4FcNOTBV0
>>159 祭祀は重要なので、銅鐸を何よりその文化の象徴としているなら、残った筈…。
従って、銅鐸の文化を滅ぼしたとまでは言わないまでも、
それ以外の価値観を持った勢力に、実権を奪われているとは言えるだろう。
でも、繰り返すが、「卑弥呼」が被定されている3世紀初頭には、
畿内に「ヤマト」の勢力があったと考えて不思議はない。
スレタイと
>>1の論旨が欠片も結び付かない。
ソースの記者は理解して書いたのだろうか?
173 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:20:16 ID:qHqccJTL0
>151
> 間違いなく銅鐸は特別なものだった。
> なぜなら、銅鐸は意図的に破壊されたり山中にてられていたものが多い。
> これは、銅鐸が畿内の信仰の象徴として排斥された可能性を示している。
つい、そう考えてしまいがちなのが一番まずい事、とよく考古学の先生が申しておりました。
何故なら、ただ「壊れたから山に捨てた」のと全く区別がつかないから。
発見者はついつい全てに何かしら特別な意味を考えてしまって、事実からはなれてしまう事も多いんですよ。
しかもイデオロギー的に変更していた場合は頻繁にこう言う事が起こりうる、と。
難しいですね。
174 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:21:49 ID:/0lTXezW0
175 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:22:33 ID:RX2Iq/8F0
>>170 (1)知らん。いまのところ魏志倭人伝の記述で判断するしかない。
邪馬台国の国としての実態もそう。
(2)江戸時代にはすでに両節あった。考古学上の発見が相次いで
学界では今は畿内説が優勢。
(3)九州説。彼は福岡の出身だよ。
>>150 オイオイw
縄文時代後期から弥生前期まで長期にわたって定着していた銅鐸文化が、
魏志倭人伝や日本書紀だけでなく、皇室の儀式にも神社の儀式にも
そのほかの記録にも一切出て来ないのはその当時の国の文化とその後の
大和朝廷とが断絶していると考えるほうが自然だろ?
177 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:23:36 ID:ZWYmnAAf0
九州勢と畿内勢が激しく戦ったのが出雲あたりで
あまりの犠牲に勝った側も、戦に対してトラウマになる
そのストレスを出雲大社での鎮魂という形で癒した
何かしなけりゃ落ち着かなかったんだろう。
そのトラウマが戦を抑える気風となり ”大和” となった
いや 妄想です。はい
畿内の銅鐸は、二、三世紀の、弥生式文化の後期に、もっとも盛大となり、しかも、突然、その伝統を絶つ。
銅鐸は、つねに、人目につかない谷問の斜面や、山腹などに、とくべつな施設もなく埋められた状態で、発見される。
銅鐸は、弥生式時代の住居のあとから、出土した例がない。
古い型式の銅鐸は、磨滅した状態がみられ、長年伝世されたあとに埋められたようにみえる。
新形式のものには、鋳造してから、すぐ埋められたようなものもある。
新旧の銅鐸が、いっしょに埋められている例も多い。
銅鐸は、祭器であったといわれている。しかし、他の祭器といっしょにみいだされることはほとんどない。
徳島県麻植郡牛島村出土の銅鐸のように、ことさらにうちこわされたとみられるものもある。
銅鐸の発見は、予測は困難である。これまで出土した銅鐸のほとんどは、農耕などのさいに、偶然みいだされている。
179 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:24:24 ID:v4zhrgJC0
邪馬台国は、九州人の日本国詐称政権だろ。
博多周辺にはチョンのなれの果てが多いからな。
180 :
今日は名無し:2006/08/23(水) 21:24:24 ID:IulrCLjd0 BE:209441472-2BP(0)
「邪」馬台国
「卑」弥呼
こんな文字を使った名前なんて、
誰がつけたんだ?
181 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:24:45 ID:FkwduS5I0
過去には、九州地方は銅剣・銅矛文化圏であり、近畿地方は銅鐸文化圏
とも言われていたが、九州からも銅鐸の鋳型だけでなく銅鐸の出土があり、
この図式は崩れようとしている。その出土分布は近畿を中心に、尾張以西
の西日本に広く分布しているある。
183 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:27:07 ID:vYchXbGb0
『魏志倭人伝』の「〜卑弥呼以て死す。大いに塚を作る。径百余歩、
殉葬する者、奴婢百余人。」にいう、邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓であろ
うとする
前方後円墳は前側にじゅんそうしゃがホオムラれているツインのお墓?
184 :
今日は名無し:2006/08/23(水) 21:27:33 ID:IulrCLjd0
>>182 ありがとう。
前から不快感を持っていた。
邪馬台国かどうかは分かりませんが、
当時西日本一帯に影響を及ぼすほどの勢力が畿内にはあったと考えられます
九州の勢力が、畿内に進出してこれを乗っ取り、大和朝廷になったわけです
187 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:29:16 ID:YvnhFAyR0
銅の文化が鉄の文化に西から駆逐されていった。と見るのが妥当。
188 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:29:24 ID:fRyWPniq0
てかさ、銅鐸って九州でも見つかってんだよね。
まだ比較的に数が畿内に比べて少ないだけで。
銅鐸に関する記述が〜というなら九州説でも同じ問題じゃん。
そこんとこどうなの?>九州説の人
189 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:29:41 ID:zx7jlVK/0
大分の宇佐が本物の位置です。
190 :
教えてMRオクレ:2006/08/23(水) 21:29:49 ID:WzazktiH0
>>175 おお、さすが。ありがとう。魏志東夷伝倭人ってやつに書かれた
記述のみが頼りってことか。おぬし、研究者だね。うふふ。
頑張ってね!
そもそも同規模の遺跡が多くの場所にあり交易もあったため
物的証拠からは決定的な証拠は得にくい
邪馬台国の卑弥呼が『鬼道に事(つか)へ、能(よ)く衆を惑わす』とあるのだから
鬼道をもっと検証するべき
鬼道がどんな宗教だったかわかれば邪馬台国の場所も限定される
魏志倭人伝によると
・邪馬台国の南にクヤ国という強大な敵国がある
・邪馬台国の東は海で、そのむこうにも倭人の国がある
このふたつが当てはまるのは、九州北西部がしっくりくる。
193 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:32:39 ID:FkwduS5I0
邪馬台国って言うのは止めようぜ。
当時は漢字なんて無いしシナ人が勝手に当て字した蔑称なんだから。
これからは発音通りヤマト国で行こう!
・邪馬台国の南にクヤ国という強大な敵国がある
・邪馬台国の東は海で、そのむこうにも倭人の国がある
明らかに徳島ですね
徳島には香具山も畝傍も大阪の関もあります
195 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:34:00 ID:YNrPdNcU0
>>168のリンク先に、銅鐸について「加茂・三輪族の祭器。」
としてあるね。このへんについて詳しい人いますか?
>>193 正しくはヤマイ国です。本当にありがとうございました。
197 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:34:59 ID:YvnhFAyR0
アマテラス アマト ヤマト だろう
198 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:35:04 ID:FkwduS5I0
>>192 嘘だらけの自分の権威だけを誇張したい中国の書物をあまり信用するのもな。
しかもおまけ程度にしか書かれていないものに。
199 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:35:34 ID:TPyDV6mz0
銅鐸ってのは、朝鮮からきたんだろ?
ってことは、当時畿内は朝鮮系がおさめてて、
それを邪馬台国が東征して滅ぼしたんじゃないの?
アマテラス アマワロス テラワロスだろう
201 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:36:12 ID:KtKeFzsN0
>>199 >銅鐸ってのは、朝鮮からきたんだろ?
ハァ?
また捏造ですか?
>>188 畿内の勢力と九州の勢力がまったく交流が無かったとは思えない。
銅鐸が九州にあっても、文化の交流が一部あったことを示すものと考える。
それが九州説に不利だとは思えない。
203 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:37:12 ID:XhgbOrQr0
『日本版ダヴィンチコード』
邪馬台国の場所を探す
↓
大和朝廷が隠した物に秘密がある!
↓
聖徳太子に関する文献に行き着く
↓
日いづる国・・・
↓
太陽の塔の下に秘密が!!!
↓
芸術は爆発だった。
204 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:38:15 ID:TPyDV6mz0
>>201 いや、ちょっと調べたら起源は朝鮮って書いてあるのをいくつか見かけたんで・・・
205 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:39:00 ID:TJvz0C800
自説に都合が良いところだけ取り上げ
矛盾するところは記載の誤りだと言う。
これではねー。
206 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:39:19 ID:1eAezv+7O
アマテラスホモノカミなら知ってる。
昼間は道掘ってる。
207 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:39:26 ID:/0lTXezW0
208 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:39:38 ID:vYchXbGb0
蛇を信仰し、銅剣・銅矛を崇めた文化が古事記に記されていた、ヤマタノオロチの
8部族?銅鏡を崇めた部族、勾玉は弥生文化?それらが征服されひとつになった?
銅鐸が埋められていたのは、征服者に取られ、破壊されることを嫌ったため?だから、
逃走中に、目印になる場所に埋めて隠した?古墳時代は明らかに大陸からの征服者の
侵入だった。征服した人々に反乱を起こさせないための使役だった?
209 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:39:58 ID:dqXxY6r00
俺は関西人だが九州説を信じている。
やっぱり出身地で信じてる説は違う傾向にあるんか?
210 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:40:47 ID:fRyWPniq0
>202
> 畿内の勢力と九州の勢力がまったく交流が無かったとは思えない。
> 銅鐸が九州にあっても、文化の交流が一部あったことを示すものと考える。
> それが九州説に不利だとは思えない。
交流がどうとかってのは関係ないじゃんw
九州説の人が畿内説を否定する時につかう「あんな重要なもの(銅鐸)について記録がないのがおかしい!」
って言ってるのよ? 全然、答えになってない。
邪馬台国も卑弥呼も
>>16 のような姿で、みんなの心の中にある
それでいいじゃないか
邪馬台国というのは、あくまで女王の都の名であって、国の名ではない。
倭国の範囲は、畿内、瀬戸内、九州、半島南部までは確実だろ。
倭国内のどこに都があったかが問題なわけで、倭国内の地域による
文化的差異は、大した問題ではない。
213 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:42:39 ID:/0lTXezW0
>>193 当時の音価が判らないとか言ってるやつもいるけど、「邪馬台国」と違って
「卑弥呼」の方はそう書いて「ヒミコ」って教科書でも読ませてるんだから
「卑弥呼」って表示はやめるべきだよな。
215 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:43:13 ID:WPZKiM7z0
九州から近畿にかけての邪馬台国連合VS中部から東北にかけての狗奴国同盟の
可能性も無きにしもあらず。
>>196 正しくは、
山田(ヤマダ)国=ヤマタイ国でしょう。
217 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:46:11 ID:YvnhFAyR0
218 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:46:19 ID:mlSjHVEu0 BE:410499656-BRZ(1111)
銅鐸って関東〜九州で満遍なく出土しているから
畿内固有の文化ってわけでもなさそうだけどね
静岡とか意外と多いしね
219 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:46:51 ID:vYchXbGb0
大陸で銅は周の時代に栄えた。その後滅ぼされたとき、日本に落ち延びてきた
部族がいた。朝鮮半島経由なら、九州、沿海州経由なら若狭から近畿に入ってきた?
それらが、銅剣・銅矛、銅鐸文化圏を作り、互いに争っていた?そこへ、九州から
鉄器と古墳を持つ渡来人が卑弥呼の手引きで連合軍を作り、上陸して、いっきに
奈良まで平定した?卑弥呼は金印とともに九州で制圧され、その遺体は近畿の箸墓古墳に
ホオムラれた?それか、金印を奪った征服者が九州で難破して座礁したのがあの島?
いっそのこと恐山のイタコに卑弥呼の霊呼んでもらってどこだったのか聞けばイイジャン
221 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:48:37 ID:TJvz0C800
九州北部と近畿にはかなり最近まで別々の国があった。
磐井の乱でやっと統一された?
邪馬台国はその九州北部王朝ではないのかな。
222 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:50:39 ID:I8sDpgFi0
銅鐸を祭祀の器具として使う勢力が畿内に存在した
九州の勢力は東征し、畿内勢力を制圧し。銅鐸を葬った
どう考えても、これが自然だろ
223 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:50:47 ID:MB3EA6sJ0
ヒミコもお口のご奉仕で男を手玉にとっていたのだろうか
224 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:51:07 ID:kvPctUWY0
>>192 どうみても、江ノ島です。本当にありがとうございました。
>>210 畿内が銅鐸文化の中心であることは変わらない。
九州説なら銅矛、鉄剣、勾玉などの出土数の圧倒的な多さから、
魏志倭人伝との親和性や大和朝廷との連続性を訴えることができる。
226 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:52:21 ID:vYchXbGb0
埋めてまで隠すんだから・・・銅剣銅鐸銅矛は貨幣じゃないのかな?大陸由来なら
通貨制度は確立していた。1銅鐸=100ギルダー・・・・それらの分布範囲は
経済圏でもあった?
228 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:53:34 ID:RVkKN/Fo0
【オリハルコン】マダー?
イメクラ【ヤマタイ】
あられもない格好の巫女がご奉仕♪
230 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:54:37 ID:NjT/8LAsO
>142
カカシみたいな物だったんじゃないの?銅鐸。
動物とか虫に稲を食い荒らされないようにするためのお守り。大きな音を出せば逃げただろうし。
九州と違って畿内が落ち着いていたから農耕に集中できるようになり、銅剣を大量には作らなくなっていったのかも。
・ちなみに
弥生初期〜中期は畿内と四国、中国で銅剣と銅鐸の出土が被ってるけど
後期には銅剣は四国の西半分と北九州のみになってる。銅鐸は四国の東半分と畿内〜東海に広がってる。
その後は畿内を中心とした古墳文化に入る。
231 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:54:52 ID:nuomhtLn0
くだらない三文学者より
清張先生の方がよっぽど信頼できる
この話題で朝鮮が出てくるのはなぜ?歴史に詳しくないもれにも分かりやすく話して
そろそろ解答いくお。
邪馬壱→じゃまいち→じゃーまいー→じゃーまにー
正解はドイツでした。
234 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:56:20 ID:mlSjHVEu0 BE:738898496-BRZ(1111)
だから銅鐸は各地で出土しているってばさ
福岡の出土は結構多い方 無視しちゃイカン
当時の大王が祭祀絡みで各地の豪族に配った可能性も否定できないけどさ
235 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:56:26 ID:j43cuzfO0
>225
出土数から見て、たとえそうだとしても、結局どこにあろうが記述が無い!ことには変わらん。
要は、結局のところ「銅鐸の記述がない」ことが否定する根拠にはならないってことになる。
236 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:57:15 ID:aYxKvWC50
銅鐸による音声通信が、銅鏡による光通信に取って代わられたんだよね。
237 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:57:21 ID:lBY86VW00
>>222 そうだね、東征した勢力は、畿内を征服した「よそ者」であり、
土着の勢力ではない。
諸豪族分布
九州上部=不明(百済人及び任那人・伽羅人?)
九州中部西=熊襲支配圏
九州中部東〜四国地方〜淡路=海人族支配(点在)圏
九州南部=隼人族支配圏
中国地方=出雲人(新羅系?)
畿内=不明(邪馬台国?)
畿内南部=不明(邪馬台国支配圏?他部族あり?)
239 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:57:42 ID:RVkKN/Fo0
「ゴッドハンド」改め「バッドハンド」
藤村新一先生に発掘してもらおう!
240 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 21:59:21 ID:dqXxY6r00
まあ使節が実際に邪馬台国まで行ってないとすれば
銅鐸の記述がない理由も一応説明できなくは無いか?
俺は九州説だが邪馬台国まで行ってないと思うんだよね。
理由は説明めんどいからしないけどw
241 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:00:07 ID:TJvz0C800
東征の神話 神武
西征の神話 やまとたける 神宮皇后
さて、いつどちらの勢力が征服したのでしょうか?
242 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:00:46 ID:YvnhFAyR0
243 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:00:52 ID:TPyDV6mz0
>>238 畿内=邪馬台国とすれば熊襲・隼人の場所も九州の場所とはまた別の場所にないとおかしいことにならないか?
九州説と畿内説での豪族分布はまた違うはず
邪馬台国に何の価値もないこtに気づけよ馬鹿ども
246 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:01:18 ID:NjT/8LAsO
>234
うそー。いつ出土したの?
俺の持ってる資料には九州での銅鐸の出土が記載されとらん。
埋まっていた数が小さかったのかな?
247 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:02:23 ID:dqXxY6r00
ヤマトは国じゃなくて首都だったみたいな説もあるよねー。
248 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:04:58 ID:j43cuzfO0
>240
> まあ使節が実際に邪馬台国まで行ってないとすれば
まぁ、マルコポーロも実際には東方見聞録のいくらかは単に色んなとこから来た商人たちからのまた聞きで
成り立ってるといわれてるくらいだからな。
そもそも、魏志倭人伝も航海記録が矛盾しまくっているんだから、単なるまた聞きの可能性も…
249 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:05:45 ID:NjT/8LAsO
>244
どうして?
逆ならわかるけど。
250 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:05:58 ID:lBY86VW00
畿内説、九州説、の対立には、半島との勢力関係の問題もからんでるんだろう。畿内だとすると、宗教による連合体とはいえ、
2世紀末の倭に、西日本をまとめる大きな勢力があったことになる。半島>倭と考えたい人は、このことを認めたくない。
素人考えではあるが九州説のほうが納得できる部分が多いな
252 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:07:11 ID:j43cuzfO0
>246
めちゃ古い資料なんだろw 考古学の世界ではちょっとでも古いデータは用なし
>>225 なぜその結論になるのかな?
銅鐸を長期にわたって文化として発展させた勢力が、
邪馬台国の時代に畿内を中心に存在していたことに異存は無いだろ?
畿内に存在した勢力が邪馬台国で、大和朝廷と連続性を持つのなら
儀式や記録に残ったほうが自然。
逆に九州の銅矛、銅剣、鉄剣文化の勢力なら魏志倭人伝の記録や
大和朝廷の儀式に親和性が高い。
254 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:08:16 ID:kvPctUWY0
邪馬台国じゃなくて山対国
つまり、山の裾野にある海に近い地域を探せ
さらに、
邪 邪悪な
馬 馬のいる
台 台地
よって、
山の裾野にある海に近い地域でかつ、台地で邪悪な馬がいた場所を見つけ出せ。
255 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:09:06 ID:lBY86VW00
>>254 「邪悪な馬」ってのはどんな馬なのか、説明してくれ。
256 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:09:22 ID:mlSjHVEu0 BE:164200043-BRZ(1111)
>>248 あれは航海記録というより、単に「遠いところまで北」と言っているに過ぎない。
258 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:09:35 ID:Qqrhzh8u0
奈良にあるマキムク遺跡ってのが
畿内説の有力な手がかりと言われてるんだけど
どうなんですか?
>>244 九州中部〜南部はほど確定と見なしてますので、あとは九州上部にどのような勢力があり、畿内にどのような勢力があったかだと思います。
なんでこういう時は関西と言わず畿内何だぜ?
だいたい、戦前に畿内説が国定の説になっていたのを
恨んでいた左翼学者が恨みつらみで九州説に肩入れ
したために九州説が優位になったようなものだから、
・文献・伝説・遺物が一致したんだから畿内説を定説
として扱ってもいいのではないか?
262 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:10:35 ID:NjT/8LAsO
>252
1998年だから約10年前だね。
遺蹟の名前はわかりますか?
264 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:11:19 ID:kvPctUWY0
265 :
253:2006/08/23(水) 22:11:26 ID:il0DOz5T0
>>241 神功皇后(←一発変換しないぞ)は九州平定、
新羅征伐のあと、東征してまた大和を征服している
267 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:11:47 ID:kzvd08p90
「ワシらはこんな遠くまで遠征したアル」っていう事大主義の魏志倭人伝だけが
根拠の邪馬台国を本気になって探してもどうかと思うんだが。
>>254 邪馬台国なんて中国が蔑称用の当て字つけただけだろうから大和国でいいんじゃね?
269 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:13:23 ID:WPZKiM7z0
>>248 まあマルコポーロが伝え聞いた日本は黄金の国というのも金閣寺を見たか聞いたか
した外国人の話だろうから、誇張や改ざんはされていても真実を含んでいることは
間違いないな。
で、畿内って何?
271 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:14:29 ID:a/Z1rfmT0
>>260 そもそも、現代でも「関西」の定義なんてない。
勝手に東京のテレビが言ってるだけ。
272 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:14:59 ID:8QLkEoaW0
やまたい じゃなくて やまいち が有力じゃなかったか?
273 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:15:13 ID:mlSjHVEu0 BE:437866548-BRZ(1111)
274 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:15:22 ID:j43cuzfO0
>262
吉野ヶ里遺跡で九州初の高さ28pの銅鐸が発掘された。(1998.11.17) ってあるね。
275 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:15:24 ID:RX2Iq/8F0
山城、大和、摂津、河内、和泉
ヤマタイだと思う。山田(やまだ)に通ずる。
>>251 素人が自説を言える唯一の分野。
邪馬台国は確定せずに、延々と議論が続くことに
価値がある。
278 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:15:57 ID:TBzSzCAw0
畿内説のやつらが無理やり邪馬台国を畿内にしようとして
古墳や土器の年代をメチャクチャに捏造しまくってるせいで
考古学がおかしくなってる
いい加減にして欲しい
>>269 藁葺き屋根を遠くから見て黄金と勘違いしたという説を聞いたことがあったなー
>>269 マルコポーロは、チンギスハンから
自分の育った平泉の黄金文化のことを
聞いたんだよ。
>>274 銅鐸が江南倭族(越・呉)起源だとすると、
西日本の広い範囲で分布していておかしくないな。
あと、吉備勢力がわけわかんね。
中国地方畿内方面に勢力を持っていたのか?
283 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:18:18 ID:kvPctUWY0
チンギスハンはやぱっり、平家の人なの?
畿内説九州説を語る考古学者じたいが捏造の権化
いいかげん歴史を歴史として捉える人間力を持って欲しい
285 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:18:53 ID:WPZKiM7z0
286 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:18:57 ID:j43cuzfO0
>269
> まあマルコポーロが伝え聞いた日本は黄金の国というのも金閣寺を見たか聞いたか
> した外国人の話だろうから、誇張や改ざんはされていても真実を含んでいることは
> 間違いないな。
そらそうよ。
でも、誇張や改ざんがされている内容を根拠に場所などを特定しようとしてもそりゃあ無理だっていうこと。
今に見ていろ邪魔台王国全滅だぁぁ〜〜〜!!!!
____
,-‐''~´ |".、 ´''ー 、_
/ l | | | l、
.,- , 、 / .l. .l | | .! / ヽ. ..、 ,
__,L_L___l__L__ | .l l. .! .| / ./ `----イイ-‐'|‐/―l.
. | l.ノ ‐" |\ ヽ.| | .l .,'/ r',' 〃 .〃 |
.| l. ''、 .'イ |.! '´ ,┤.l ノ
| l l 'ヽ. ′ ./ ./ .| ,/
``ー--、_ .|、 .\ヽ、 ,r'./ ,r'| /
`''-、_ .| ヽ \ l 、________../// | _,-'"
``ト、 ヽ、´ | l .l .l ''´./ ,- | /
l \ \| |--ゝ | ./ /../
,'´ '' ヽ .f´'´ ̄~ ̄ | ./ ,/ .l.
| ' l、 | / ̄ ̄.l | |<´ |
ヽ .ヘ|,|_ .______,l'´ ,r'"
`-、 | .´ l ,イ
ヾ'-、_| |/./
ヽ、,''ー――‐‐' /
` ̄ ̄ ̄
288 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:21:09 ID:lBY86VW00
リボーって、20世紀最強馬なのか。16戦16勝。
文献重視派は、九州説が多く、
文献無視派は、近畿説が多いな。
大体邪馬台国ってずっとおんなじ位置にないといかんのか?
移動もしたろうし。瀬戸内海は穏やかな海だから九州も近畿も海流を利用すれば
思うほど遠くないんじゃね?
とりあえず
ひみこみこみこひみこみこ
忍法いたいのいたいのあっちいけーの術
292 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:24:43 ID:YvnhFAyR0
わかった! 邪馬台国は、騎馬民族だったんだ! 邪悪な馬の国!
国そのものが移動していたから、所在地がわからないんだ。
293 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:25:25 ID:XFuYRcE50
>>291 ワタルナツカシス
林原さん、芸の幅があるよね。
グランでエヌマとグリグリやったのは凄かった。
ホロレチュチュパレロ♪
294 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:25:52 ID:j43cuzfO0
>289
文献を重視…、古すぎ、& 相当変遷があった、書き換えがあったと考えた方が自然なものを重視してもなぁ。
それしかすがるものがない人達にとっては、敬虔なキリスト教徒にとっての聖書みたなもんなのかな?
295 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:26:52 ID:NjT/8LAsO
>274
ありがとうございます。
買った年に出てたわけですねw
するとやっぱり邪馬台国との対立文化的な何かじゃなさそうですね。
296 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:27:17 ID:MoMJx18o0
みんな信じないだろうけど、
邪馬台国は朝鮮半島にあったんだぜ。
>>289 文献無視なら、そもそも邪馬台国や卑弥呼だって
実在したか怪しいって話になるはずだが、
そこだけは信じて、ここにあったというのも変だよな
298 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:30:05 ID:+sPe2U/50
あのな! もう10数年前に、あすかあきお氏の手によって完璧に「畿内説」が証明されてるんだが?
魏志倭人伝の記述にも矛盾しない完璧な論旨でな。
当時の日本列島は、今とは違ったの! ちょうど90度ほど回転していたの!
>>296 ジョークのつもりだろうが、そういう説の実際に言ってるのもいる
邪馬台国はどこにでもあったと主張できる
300 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:30:11 ID:GPfodwkt0
>>16 邪馬台国って秋葉原みたいなところだったんだ!
邪馬台国アキバ説登場?
オレの敬愛する清水義範先生によると
古代から日本人は新しいものの真似が好きなので
オリジナル以外に元祖邪馬台国や本家邪馬台国
邪馬台国大往生、邪馬台国ダッシュなどがあった
302 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:30:28 ID:lkpSv8DV0
やっぱり関西はすばらしいよ
303 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:32:12 ID:TBzSzCAw0
機内の古墳が古いとか言ってるけど年代を捏造してますから
304 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:32:25 ID:/0lTXezW0
305 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:32:32 ID:NjT/8LAsO
>297
日本書紀と古事記を基礎に考えるか、魏誌倭人伝を基礎に考えるかの差ではないでせうか。
306 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:32:46 ID:mHgIY4rh0
で、大和朝廷ってどこにあったのさ?
>>305 記紀ならそれこそ邪馬台国なんか関係ないじゃん。
309 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:36:26 ID:vhszPIQK0
邪馬台国よりその後の空白の1世紀のほうがきになる。
おれ的な空想では、本当は資料とかあってわかってるんだろうけど、
大和朝廷の成り立ちにしられたくないところがあったりするから、政府レベルで隠蔽してると思われる。
310 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:37:08 ID:+sPe2U/50
>303
> 機内の古墳が古いとか言ってるけど年代を捏造してますから
>
マジレスですまんが、何度かそういうレスみかけるけど、本当なの?
何か証拠あるの? さすがに捏造なら今日日とっくに問題になってる気がするんだが?
>>307 畿内説だと、邪馬台国は東征してきた神武に
征服されたってことなのかな
312 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:37:22 ID:NjT/8LAsO
>283
伝説ハ平氏ノ人ジャナイッスヨ・・・
313 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:37:27 ID:mcmeZnTf0
測量技術や過去の書物の内容が妄想とか誇張が入ってるだろうから正確さにかけるだろうし、
案外、とんでもない場所にあったりするんじゃないの?
沖縄の海底神殿あたりはどうなのよ?
314 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:38:29 ID:8QLkEoaW0
側頭部に鉄アレイを付ければ、ホラ、邪馬台国。
315 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:38:57 ID:YvnhFAyR0
先住の土着民族を殺戮した血塗られた1世紀なので闇に葬られたのです。
【初心者注目】
ちょっと覗きに来た人は、
九州説と畿内説の2択で考えている人が多いけど、
それは違うんだ。
今は、東遷説といって、
昔は九州、後になって畿内に移動した
という説が有力視されている。
つまり、畿内の遺跡も、九州の遺跡も、邪馬台国のもの。
どっちも正解でした。
だからどっちの説も有力に見えたんですね。
・・・ってこと。
どっちも正解なんだから仲直りすれば良いのに、
卑弥呼がいた時代は、九州だったので、
畿内説信者が拗ねている。
これが現状。
「鋼鉄ジーク」の話はここでよろしいのでしょうか。
>>313 南に水行1ヶ月で沖縄だ
ってべつにとんでもないことはないんじゃないの。
この自由さが邪馬台国論争の魅力なんだから
319 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:40:13 ID:RX2Iq/8F0
320 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:40:23 ID:NjT/8LAsO
>308
前スレであったんですが、日本書紀の神功皇后のところに一書に卑弥呼とあり、とか書かれてるらしーです。
手元に書紀がないので確認できませんが。
321 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:42:06 ID:mcmeZnTf0
>>307 今も京都にありますが何か?
但し、時の政府に拉致されて穢土(最近は東京と読んでいる)に軟禁されていますが
323 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:43:11 ID:RX2Iq/8F0
>>320 日本書紀 卷第九 神功紀
三十九年.是年也,太歳巳未.魏志云:明帝景出三年六月,倭女王遣大夫男斗米等,詣郡,求詣天子朝獻.
太守ケ夏遣吏將送詣京都也.
四十年.魏志云:正始元年,遣建忠校尉-梯攜等,奉詔書、印綬,詣倭國也.
四十三年.魏志云:正始四年,倭王復遣使大夫伊聲者、掖耶約等八人上獻.
邪馬台国と大和朝廷は元々並存していて、大和朝廷が征服して統一を果たしたんだろ。
325 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:44:09 ID:vUTRoe9K0
>>316 それって九州説でしょ。卑弥呼がいた時代にどこにあったかが問題なんだから。
326 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:44:14 ID:Qf426zE80
最大の謎?
>>320 それも魏志倭人伝が元だから同じこと。
日本書紀が作られるとき、もう倭人伝のことは日本に伝わってて
なぜか神功皇后のところにそのことを書き込んだ。
日本書紀作者としては、神功皇后=卑弥呼というイメージを
つけたかったようだが、こんな扱いをしてるところを見ても、
すでにこの時代でも「邪馬台国、卑弥呼、なんじゃそりゃ」という
現代の我々と同レベルだったことがわかる。
出雲じゃないの?
積極的に中国と国交を持とうとした時代なら九州でいいんじゃない?便利じゃん。
大和朝廷になって近畿に移ったのは中国と一定の距離をおくためだろうし。
330 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:48:24 ID:r4sjVO4S0
畿内説は日本書紀も魏志倭人伝も否定しているんだよ。
唯一の根拠は捏造された発掘物だけ。
>>328 出雲は今で言うメッカのような宗教的な中心地であったと考えられます
少なくとも大和朝廷に征服される前の畿内の勢力はその影響下にあります
332 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:50:39 ID:TBzSzCAw0
>>137 銅鐸を神体にしてる神社は無いよ
平安時代くらいの朝廷の書物に
銅鐸が発掘されたけどそれがなんなのか誰も分らずに
インドの産物じゃないかとかいって気味悪がったとかいう話があるくらいで
完全に記憶からも歴史からも抹殺されてるのが銅鐸なんだよ
333 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:50:53 ID:+LJgpmhS0
>>1 「畿内説遡上派」の飛ばし記事ですね!
俺は穏健にホケノ山は、300〜330年頃と考えている。
しかし、そうなるとホケノ山の時代の頃に、政治の中心が北九州から畿内に
移ったという確定した考古学的事実から畿内説が成り立たない。
そこで、畿内説の一部(遡上派)は、ホケノ山とかを100年位繰り上げる。
しかし、この考えは、考古学界の先鋭的左翼学派しか支持していない。
まあ、考古学会の大半が左翼だから内ゲバに近いが・・・
魏志倭人伝(というか魏志東夷鮮卑伝)は、
ギョカンの記した「魏略」や伝聞を元に書かれている。
「魏略」は失われてしまったので何とも言えないが、
記紀編纂の時代には、「魏略」「魏志」は日本にも伝わっていただろうね。
335 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:52:25 ID:NjT/8LAsO
>323
ありがとうございます。
このスレ親切な人が多いですね。
>327
なぜと思うのは魏志倭人伝の立場、別に思わないのは日本書紀の立場かと。
作為だとは思ってませんからね。こんな伝聞がある、みたいな。
邪馬台国は2つあった!でいいじゃん
337 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:52:59 ID:TBzSzCAw0
>>310 古墳の溝から畿内説が言ってる古墳の年代にはありえない馬具とか出てきてるんだけど
それは後から埋まった物だとか言ってこじつけてる
この時代の銅は皆、輸入物なんだから九州説が貿易上は有力かなぁ
「和銅」は秩父で見つかってからなんだし。
339 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:53:17 ID:r4sjVO4S0
>>310 マジ。
証拠があるって言うか古墳が古いという方に根拠がないんだよ。
根拠にならないもので通説よりどんどん古くしていってる。
通説より古くすれば東遷説を否定することができるんだよね。
畿内の方が昔からあったニダ!
だから邪馬台国は畿内ニダ!
って言いたいがためにね。
日本の考古学会は藤村某の件でも分かるように
こういう捏造紛いのことが普通に行われているところ。
非常に危険。
340 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:53:32 ID:GPfodwkt0
井戸ですごろくができるんだろうな
342 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:55:25 ID:bGEwPnY70
あのさ、四国説ってのも聞いたことがあるんだけど、全く問題外なのかな?
>>331なるぺそ
神話の神々や神社の位置や地名のリンクなんかは意味ありげですね
>>337 それはたぶん本当だろw
俺は実家が奈良なので地元の人間が古墳をただのこんもりしたものだとしか思ってなかった事がわかるw
溝があって不法投棄にもってこいなんで壊れた馬具捨てたとかそんなんじゃないか?
卑弥呼って、姫巫女か火の巫女のことだよな?
346 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:58:02 ID:TPyDV6mz0
銅鐸って、いきなり山の斜面とか掘ると出てくるんでしょ?
きっと、探せばまだまだ出てくるよね?
347 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:58:10 ID:ASeWaT6Y0
「神武東征」が史実だとすれば、いつ東征したんだろう。
卑弥呼の時代の前?あと?
348 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 22:58:23 ID:r4sjVO4S0
関西人と京大閥のサヨク学者どもが
邪馬台国を無理やり畿内に持ってこようとして
文献を無視しまくって、古墳や土器も捏造しまくり
さらには関西マスコミを使って捏造情報を全国に発信
日本人を洗脳しようとしている。
関西は偉大ニダ!九州に侵略されたなんて認めないニダ!
ってね。
>>342 良いせんいってると思うよ
邪馬台国は日本の主流にはなってない事からすると九州畿内以外の可能性のほうが高い
350 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:00:04 ID:ASeWaT6Y0
>>348 「サヨク」と「畿内」とどういう関係があるの?
352 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:00:37 ID:NjT/8LAsO
>330
ヤマトが当時西国をも含めていたなら問題ない。
当時奈良から筑紫へ熊曾討伐のために来ていて、なんかついでに新羅百済に行くことになった時期だったとするなら
使者?が来たのは筑紫だったかもしれないね。
>>345 日御子とかもありえるな。
おれはこの頃から日出処と自覚していたと思うけどな。
農耕民には天体の重要性が非常に高いと思うので。
九州説を唱えてるのは、ニダとか使うキチガイである事はこのスレで確認した。
こういう奴らが考古学の世界でも、九州ニダ畿内ニダって叫んでるのが現状
ただのキチガイどもです。本当にカムサハムニダ
355 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:03:17 ID:bGEwPnY70
>>349 邪馬台国はその後の大和朝廷とは関係ないって説を採るとってこと?
356 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:04:13 ID:sFAEUclh0
近畿じゃないだろう。九州に決まってる。
捏造はヤメレ
まったく素人ばかりでいやになるな。
邪馬台国のあった場所は現在の津軽半島付近に決まってるだろ。
358 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:06:28 ID:r4sjVO4S0
>>350 >>333にも書いてあるけど左翼系の人が畿内説を主張しているんだ。
記紀や魏志倭人伝では九州説の方が圧倒的に有利なんだけど
左翼系の人が言うには記紀は全くのデタラメらしいから認めたくないんだよ。
それで古墳を無理やり100年繰り上げることによって畿内説を主張している。
無理やり遡らせるやり方はゴッドハンド藤村と一緒!
日本の考古学界は終わってる。
359 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:08:19 ID:+LJgpmhS0
>>339 全く同意。
畿内説の大半は不利な考古学事実を無視している。
1、鉄器の北九州絶対優位が畿内の古墳時代の直前まで続いていた。
2、三角縁神獣鏡、画文帯神獣鏡は、邪馬台国よりも後の時代である。
邪馬台国時代に中国で流通していたのと同種の鏡は北部九州に集中。
3、鏡に含まれる鉛の同位体比の科学的検査では三角縁神獣鏡のほぼ全部が
日本製と判明している(同じ材料)。
4、画文帯神獣鏡もこれに近い状況でほぼ全部が同じ材料と判明。
5、畿内説の根拠であるC14検査の年代の信用性が否定された。海岸近くの
遺跡では実際よりもかなり古い年代が出ることが判明。
現在の畿内説で頑張っている少数の学者は、これらを無視しているだけ。
360 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:08:25 ID:3kiL+6kH0
>339
> 日本の考古学会は藤村某の件でも分かるように
> こういう捏造紛いのことが普通に行われているところ。
> 非常に危険。
だったら九州説派の考古学だって同じ事していてもおかしくないわな。
自分たちだけは大丈夫!と考えているのは非常に危険
359なら邪馬台国は北海道にあった
362 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:09:27 ID:ASeWaT6Y0
>>358 記紀を根拠にするとなんで九州説が圧倒的に有利になるの。
もうエジプト説でイイジャン
364なら邪馬台国は朝鮮半島にあった!
365 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:11:44 ID:5hS+Q8wU0
>>362 記紀に 日向の国の高千穂の...って書いてある
>>351 面白いな。
アマテラスの別名のオオヒルメノムチノカミが、日の巫女という意味だから、
卑弥呼を日の巫女と考えれば、卑弥呼=アマテラスの可能性はありそう。
>>355 畿内九州とも考古学者が勝手に騒いで飯の種にしてるだけ
邪馬台国がある所は大和朝廷と全く関係のない未開の土人の地
この当時の九州畿内にはもっと大きい権力者がいた
368 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:12:29 ID:G2mKDO460
畿内説なんて証拠もないしどーでもいい。俺はそれより西郷さんの写真探しのほーが気になる
369 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:13:35 ID:+LJgpmhS0
>>344 それは箸墓古墳の周濠で出土した馬具(あぶみ)ですね。
畿内説は、当初、乗馬の風習は350年頃からという従来の定説を100年早めると
発表したけど、後に、「あり得ない」と批判されて、異物混入として無視。
しかし、箸墓古墳の周濠は、地層が明確に分かれていて、この馬具は築造年の頃の
地層から出土したとされている。
つまり、箸墓古墳は350年以降の築造ということ。
俺は、昔から350〜370と考えているからぜんぜんOKですが・・・
畿内説の一部(年代遡上派)は箸墓を250〜280と見ているから、この事実を無視。
まあ、学者の肩書きがあっても所詮は左翼。
371 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:16:14 ID:NjT/8LAsO
>367
え、熊曾=邪馬台国ですか?
神話に出てくる地を捨てて何故畿内に来るんだろ。
373 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:16:16 ID:26k/peOp0
>>360 それは詭弁だな。
畿内説の方が胡散臭いものが圧倒的に多いのは事実。
374 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:17:37 ID:ASeWaT6Y0
>>365 そこに邪馬台国があった、って書いてあるの。
375 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:19:21 ID:7010RK8H0
『隋書』倭国伝
「…都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」
これだけ見ると中国の人間は魏志にある邪馬台は"のちの"大和だって認識してるようだが。
>>372 後世に神話として記されたに過ぎないから土地を移り住むことだってある
当時の人間は自分達を神話の人物とは考えないのだから
377 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:21:15 ID:RX2Iq/8F0
>>369 箸墓古墳の周濠調査のとき布留式0土器が出土した。
この土器の製造実年代は3世紀半ばから後半とみられている。
遅くとも4世紀以降ということはないだろう。
378 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:21:22 ID:+LJgpmhS0
>>350 九州説だと、記紀の神話のとおりに北部九州から畿内に「神武東遷」が
なされたということになり、天皇の権威が高まる。
これに対して、畿内説は、記紀(古事記・日本書紀)は後世の捏造(偽書)と主張し、
学者にもよるが特に400年以前(神功皇后以前)は信用できないとする。
400年以後も天皇賛美のために事実に反した記載が多いとする。
典型例としては、天皇家は畿内で発祥(神武東遷の否定)、その後も「王朝交代」を
繰り返し、血脈は何回も途絶えているとする。20年前までの左翼支配の学会では
この方向性が定説に近かった。学会の会合のたびに「極左スローガン」を採用。
今でも「河内王朝」とか書いている学者もいる。読めば分かるが左翼である。
>>369 なるほど。
馬具や乗馬の痕跡が同じ地層からもっといっぱい見つかればどちらかはっきり確定できるんだろうけどなぁ。
380 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:22:18 ID:NjT/8LAsO
>372
神話から言うなら
オオクニヌシから譲り受けたのは日本丸ごとで、一番施政しやすい場所を選んだから。
実際西にも東にも行きやすかったんだろうね。
中学で習った時から邪馬台国は近畿にあると思っていました
382 :
375:2006/08/23(水) 23:24:31 ID:7010RK8H0
7世紀ごろの中国の人間が倭国の都ヤマトは魏志でいう邪馬台だって断言してるってことだな、念のため。
クーデタによって畿内に政権が移ったんじゃない?
そう考えれば王朝が違っててもOKだし。
>>347 東征したのが邪馬台国の本体だとすれば卑弥呼より後でなければおかしい。
九州勢力の傍流だったとすれば卑弥呼より前であっても矛盾はしない。
>>362 記紀は九州説の根拠というよりは東征の根拠だね。
これを九州説の根拠にするには大和政権と邪馬台国の連続性を仮定する必要がある。
>>378 おまえの考え自体が天皇制の正当性に拘ってるのだけはわかったけど
そんなバイアスがかかった人間がやれ九州だ畿内だとおこがましい
寝言は死んでから言っとけ
386 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:28:44 ID:NjT/8LAsO
>378
記紀神話からだと卑弥呼=神功皇后じゃないの?
どうして神武東征と関連づけられて話されてるの?
>>357 もうちょっと細かく展開してよ。おもしろいかもしれないのに。
「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」とかはどう?
縄文末期から弥生にかけて、連合体の山間処(やまと)に統一したのは
安日彦、長髄彦の兄弟であった。
二人を盟主にした連合体五畿七道五十七ヵ国を、当時の人は「耶馬台」国と呼んだという。
この連合体に加わらないものに、北の荒覇吐族と西の日向族があった。
日向族の族長は五瀬命(いつせのみこと)。四男に神倭伊波礼昆古命(かむやまといわれひこのみこと)がいた。
日向族の東征(侵略)に山間処軍は激しく抵抗する。
族長五瀬命は戦死し、二人の兄は捕らわれる。そこで神倭伊波礼毘古命は海路熊野から上陸して、
険しい山を越え、長髄彦軍の背後をつく。この作戦は奏効し日向軍の大勝利となった。
神倭伊波礼毘古命は長髄彦を滅ぼし、橿原神宮において天皇即位する。
後世、この天皇は「神武天皇」と呼ばれた。
しかし、長髄彦は兄安日彦とともに敗走し、はるばる津軽に落ち着く。
そこは荒覇吐(あらはばき)族が支配する地域である。
もともと、津軽には岩木山の麓に生活する阿蘇部(あそべ)族と、海辺に生活する津保化(つぼけ)族がおり、
両者は抗争を繰り返していた。
ある時、岩木山が大噴火して、その火砕流に呑込まれ阿蘇部族は全滅する。以来、津軽全域は荒覇吐族のものとなった。
統率力に優れた安日彦、長髄彦は、たちまち頭角を現し、荒覇吐族の長となり、
漂着民の子孫の白蘭、秀蘭をそれぞれ娶る。
荒覇吐族は次第に勢いをつけ、領域を広げ、安日彦、長髄彦の故地回復のため南下し、大和まで攻めこむ。
その勢いは天皇の即位にまで及び、孝元天皇などは荒覇吐族から推挙した・。
しかし、大和廷は反撃して中部、関東、東北南辺にまで支配領域を広げる。
そして、止めを刺したのは、前九年の役、後三年の役である。
安東軍は本拠地岩手・閉伊郡厨川から安倍貞任の遺児高星丸を抱いて、津軽・藤崎に落ちる。
さらに追討を受け、津軽十三湊に逃れる。興国庚辰元年、白髭の大津波あり、十三湊壊滅し、安東水軍も諸国に散らばる。
388 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:30:18 ID:+LJgpmhS0
>>377 俺は機内での庄内式を280年以降と考え、布留式を330年以降と考えて
いるているので全然OK。
畿内説遡上派が出る前は、庄内式の年代は300〜350年の間で争われていた。
布留式はそれより後の時代。
しかし、庄内式より前の時代で、鉄器の北部九州絶対優位が考古学的に確定すると
突然畿内説の一部が庄内式を200年にまで遡らせ、布留式を250年頃まで遡らせた。
正直、「いい加減にしろ。」と思っている。
389 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:31:45 ID:RyrychNb0
>>223 『鬼道に事(つか)へ、能(よ)く衆を惑わす』とあるくらいだから
「亀頭に喉がつかへ、よく衆を惑わす」と読めるな。
卑弥呼も、現代版ヘルス嬢かもしれん。
>>382 彼の国は漢字で当て字するもんだから日本人には逆に解りづらいけど
邪馬台はやまとと読んでいいと思う。
>>390 ダメ。
山田(ヤマダ)→ヤマタイ
山門(山戸)→ヤマト
元々意味が違う。
>>391 ヤマタイっての見て、なんかマルタイの皿うどん食いたくなってきたよ。
いまの中国は好きじゃないが昔は世界レベルの凄い国だったんだよな。
漢字がなければ日本のことはさっぱりわからないところだった。
邪馬堆(ヤマタイ)と書いているのもある。
>>386 > 記紀神話からだと卑弥呼=神功皇后じゃないの?
> どうして神武東征と関連づけられて話されてるの?
日本書紀著作者の誤解。
文化・文明はトップクラスだったが民度は変わらず
396 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:39:37 ID:SrDJ86ML0
暗黒神話
>>394 誤解というよりは、見栄で意図的にそうしたんじゃないか。
始祖が中国の臣下じゃ面白くないから。
398 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:40:39 ID:+LJgpmhS0
>>386 記紀神話では確かに、そのとおりだけど、記紀の史実性を重視する
九州説からは神武東遷による北部九州からの遷都に重点が置かれている。
あと、那珂博士の「記紀の紀年繰上げ説」が定説化したことも影響していると思う。
399 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:40:40 ID:NjT/8LAsO
>394
何によって誤解とされてるの?
結局九州説も畿内説も、記紀を否定したがってるように見えるんだけど。
400 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:41:11 ID:mcmeZnTf0
魏志倭人伝の最後のページが無くなってることをみんな知らないんだな。
「この作品はフィクションです」
>>400 アホ!フィクションなんて言葉があるわけないだろ
あるとしたら出版:民明書房だ
日蝕と、アマテラスの天岩戸事件と、卑弥呼の死を結びつけた説があったな
日本書紀の著作者
山田史御方
続守言
薩弘恪
紀朝臣清人
三宅臣藤麻呂
卑弥呼=神功皇后は、山田史御方の誤解かも。
404 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:46:51 ID:EoQJDEgw0
>393
> いまの中国は好きじゃないが昔は世界レベルの凄い国だったんだよな。
> 漢字がなければ日本のことはさっぱりわからないところだった。
そんな中国が落ちぶれていった、近代化、発展ができなくなっていったのは儒教という思想をつくってしまったため。
チョンはそのまんま儒教をマネしてしまったから、同じく落ちぶれていった。
日本は偶然か意図的にかは知らんが、儒教のヤバイとこをスポイルさせ、且つあまり広まらなかったから、助かった。
405 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:48:00 ID:26k/peOp0
別に日本書紀の作者は断定してるわけじゃないし。
408 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:48:56 ID:uP1zNvWc0
大陸の国(地域)は民族の入れ替わりも激しいし、
昔の中国と今の中国ではだいぶ違うんじゃないのかな。
409 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:49:15 ID:FGL7+Lxh0
近所に大和朝廷が並列して存在した事になるのだが。
410 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:49:59 ID:I8sDpgFi0
出雲と銅鐸って関係ないだろ
>>399 あなたの言ってることは全くの詭弁だ。
記紀が完璧に正しいと考えるのも可笑しいだろ。
初期の頃の天皇の寿命を信じる馬鹿はいないだろう。
記紀神話にはモチーフとなった事実がある程度の認識でよい。
413 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:52:17 ID:Tevx52yL0
倭人は、(朝鮮の)帯方(郡)(魏の朝鮮支配の拠点、黄海北道沙里院付近か、京城付近)の東南の大海のなかにある。
山(の多い)島によって国邑(国や村)をなしている。
もとは百余国であった。漢のとき(中国に)朝見するものがあった。
いま、使者と通訳の通うところは、三十か国である。
(帯方)郡から倭にいたるには、海岸にしたがって水行し、韓国(南鮮の三韓)をへて、あるときは南(行)し、あるときは東(行)し、倭からみて北岸の狗邪韓国(弁韓・辰韓など十二か国の一つで、加羅すなわち金海付近)にいたる。
(帯方郡から)七千余里にして、はじめて一海をわたり、千余里で対馬国にいたる。
その大官を卑狗(彦)といい、副(官)を卑奴母離(夷守)という。
いるところは絶島(離れ鳥)で、方(域)は、四百余里ばかりである。
土地は、山けわしく、深林多く、道路は、禽と鹿のこみちのようである。
千余戸がある。良田がない。海(産)物をたべて自活している。
船にのり、南北に(出て)市糴(米をかうこと)をしている。
415 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:54:01 ID:IjBsgwNc0
魏志倭人伝にはさ、確か、邪馬台国にいたるまでに通った国々の名前が
出てくると思うんだけど、
それが当時九州にあった国の名前だけじゃなかった?
畿内まで行ったのなら、その途中にあった国の名前も出てくると思うんだけど。
細部はうろ覚えだから自信ない意見なんだけどね。
今から1300年前に書かれた、記紀の中に書いてるある、
1000年前の事を議論しても仕方ない。
悪いのは文系。
>>352 おもしろいけど、ひきこもり卑弥呼と
妊娠中でも先頭に立って新羅征伐に向かった
皇后とでは、イメージにギャップありすぎ。
倭人伝に書かれてる日本の描写って、
そうとう後進国だぞ
419 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:55:06 ID:FGL7+Lxh0
邪馬台国は朝鮮半島にあったニダ
420 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:55:35 ID:Tevx52yL0
また南に一海をわたること千余里、名づけて瀚海(大海、対馬海峡)という。
一大国(一支国の誤り。壱岐国)にいたる。
官(吏)をまた卑狗(彦)といい、副(官)を卑奴母離(夷守)という。
方(域)は、三百里ばかりである。竹木の叢林が多い。三千(戸)ばかりの家がある。
やや田地がある。田をたがやしても、なお食に不足である。
(この国も)又南北に(出て)市糴している。
また、一海をわたる。千余里で、末盧国(肥前の国、松浦郷)にいたる。
四千余戸がある。山が海にせまり、沿岸にそって居(住)している。
草木が茂りさかえ、行くに前の人をみない(前の人がみえないほどである)。
(住民は)よく魚や鰒(あわび)を捕える。水の深浅をとわず、みな沈没してこれをとる。
東南に陸行すること五百里で、伊都国(筑前の国怡土郡)にいたる。
官を爾支(にき)といい、副(官)を泄謨觚(しまこ)・柄渠觚(ひここ)という。
千余戸がある。世々王がある。みな女王国に属している。
(そこは帯方)郡使が往来するときつねにとどまるところである。
421 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:56:20 ID:z6vr4MRu0
吉野ヶ里遺跡に行ってきたけど、面白かったよ。
伊○園の自販機が創△臭いのが鬱だったけど。
>>418 > 記紀の天皇の在位年数を否定してるのが東征説。
学説で肯定しているものなんか存在しない。
魏志倭人伝は、2000年前にかかれて(大雑把)その内容は2000年前の事
記紀は1300年前に書かれてるが、その時点から700年から1000年も昔の事を
書いてる。
突合せするのは、キチガイ。
424 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:57:59 ID:Tevx52yL0
東南(行)して、奴国(筑前の国、那の津、博多付近)にいたる。百里である。
官を兇馬觚(しまこ)という。副(官)を卑奴母離(夷守)という。
二万余戸がある。
東行して不弥国(筑前の国、糟屋郡の宇瀰、いまの宇美町付近) にいたる。
百里である。官を多模(玉または魂)といい、副官を卑奴母離(夷守)という。
千余戸がある。
南(行)して投馬国(とまこく)にいたる。水行二十日である。
官を弥弥(耳)という。副(官)を弥弥那利(耳成・耳垂か)という。
五万余戸ばかりである。
南(行)して、邪馬壹(臺の誤り)国(やまとこく)にいたる。
女王の都とするところである。水行十日、陸行一月である。
官に伊支馬(いきま)がある。次(官) を弥馬升(みまと)という。
(その)つぎを弥馬獲支(みまわき)といい、(その)つぎを奴佳(なかて)という。
七万戸ばかりである。
425 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:58:08 ID:IMDBiKyG0
邪馬台国が一つだったと考える愚かしさ、、、、、
明治時代に、那珂通世が中国の前漢から後漢に流行した讖緯説(しんいせつ)を
日本が採用しており、隋の煬帝により禁圧されて散逸し、『易緯』や『詩緯』に逸文
として残る唯一の讖緯説の書『緯書』にある鄭玄の注に、干支が一周する60年を
1元(げん)といい、21元を1蔀(ぼう)として算出される1260年(=60×21)の辛酉
(しんゆう)年に、国家的革命が行われる(辛酉革命)という事に因む。これに則り、
推古天皇が斑鳩に都を置いた西暦601年(辛酉年)から1260年遡った西暦紀元
前660年を、大革命である神武天皇即位の辛酉年を設定したとの説を立てた。
それが西暦紀元前660年である。
定説のようです。
427 :
名無しさん@6周年:2006/08/23(水) 23:58:49 ID:NjT/8LAsO
>398
魏志に書かれている噂?を東征の前の事としないで東征の後とした方が辻褄合うじゃん・・・。
俺が馬鹿だからかも知れんけども、なぜ神武東征に拘ってるのかが今一よくわからんです。。。
畿内から北九州までがヤマトの支配下だったとすると、どんなまずい点があるの?
神武天皇って紀元前の人じゃないのか
429 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:00:59 ID:uhtAcEMk0
女三(王の誤り)国より以北は、その戸数・道里は略載するを得べきも、その余の旁(わきの国々)は、遠絶していて、つまびらかにしようとしてもできないことである。
つぎに斯馬国(しまこく)がある。つぎに已百支国(いわきこく)がある。
つぎに伊邪国(いやこく)がある。つぎに都支国(ときこく)がある。
つぎに弥奴国(みなこく)がある。つぎに好古都国(をかだこく)がある。
つぎに不呼国(ふここく)がある。つぎに姐奴国(さなこく)がある。
つぎに対蘇国(とすこく)がある。つぎに蘇奴国(さがなこく)がある。
つぎに呼邑国(おぎこく)がある。つぎに華奴蘇奴国(かなさきなこく)がある。
つぎに鬼国(きこく)がある。つぎに為吾国(いごこく)がある。
つぎに鬼奴国(きなこく)がある。つぎに邪馬国(やまこく)がある。
つぎに躬臣国(くじこく)がある。つぎに巴利国(はりこく)がある。
つぎに支惟国(きくこく)がある。つぎに烏奴国(あなこく)がある。
つぎに奴国(なこく)がある。
これは、女王の境界のつきるところである。
>>428 アマテラス(=卑弥呼?)の孫の子だから、紀元後の人でしょう。
>>399 九州説の人が神功皇后=卑弥呼+台与という図式を信用しないのは、
それが伝承とは考えられないから。
代々の天皇の年齢は100歳台が当たり前だから、もし卑弥呼の伝承があれば
ずっと古い時代、例えば神代に来るはず。ところが、神功皇后の時代は
卑弥呼の時代に一致している。つまり、神功皇后紀は伝承ではなく
魏志倭人伝に合わせて書かれたと考えられる。
編者の誤解どころか捏造であってもおかしくない。
>>404 >日本は偶然か意図的にかは知らんが、
>儒教のヤバイとこをスポイルさせ、且つあまり広まらなかったから、助かった。
意図的に福沢1万円が儒教を排撃して西欧の文明の一部になるべしと
煽りまくってその通りになったんだろう、偶然ではない。
因みに韓国でも儒教と李朝やらを否定して西欧文明化しようとする改革派も
いたんだが負けて日本に亡命をしているんだな。
清国も洋務派が頑張ったが負けて伝統を墨守しているまに西欧諸国に
あちこち分割されてしまって今日に至っている。
>>428 伊勢神宮の鏡を持ってきた人をそう呼ぶとするなら、紀元後300年前後の人でしょうね。
434 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:03:06 ID:uhtAcEMk0
その南に狗奴国(くなこく)がある。男子を王としている。
その官に狗古智卑狗(菊池彦か)がある。女王に属していない。
(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。
435 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:04:44 ID:eGa8uG3+O
菊地つう事はクマー本か?
>>415 前スレでそれが議論になってたけど、畿内説の意見では
403 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/23(水) 13:00:25 ID:Jkd7t5l8O
>>395 九州から水行(瀬戸内海を舟)で畿内に至ったとしたら、
中国地方の諸国の記述はなくても不思議ではない。
413 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/23(水) 13:06:51 ID:Jkd7t5l8O
>>410 瀬戸内海を舟で行くのが不自然だとは思えないが?
452 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/23(水) 13:33:00 ID:Jkd7t5l8O
>>440 水行区間の記録がないのが不自然だというなら、
九州説だって同じように不自然だよ。
九州沿岸をどこにも寄港せずにどこに行ったんだ?
461 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/23(水) 13:40:54 ID:Jkd7t5l8O
>>450 九州、本州いずれにしろ魏の遣いが自分で回周したわけではないだろ?
日本人から聞いて書き留めたなら、本州を島と記述しても不思議ではない。
473 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/23(水) 13:51:31 ID:Jkd7t5l8O
>>461 だとしたら九州説だって不自然だよ。
九州沿岸をどこにも寄港せずに長期の水行なんて。
480 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/08/23(水) 13:55:58 ID:Jkd7t5l8O
>>464 いずれにしろ日本人からの伝聞だからな。
九州だと仮定しても不自然な箇所はある。
438 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:06:08 ID:/4DsWz3m0
>>414 なるほど、では銅鐸=出雲の祭器なのか
国譲り神話は、当時出雲の勢力下にあった畿内を九州の勢力に譲った記録かもしれんね
439 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:07:36 ID:xyC74lDA0
いなばの白うさぎ
>>423 確かにその通り、
魏志倭人伝 2000年前の著作物 書かれた年代に大体間違い無い(中身は知らん)
古事記 1300年前の著作物
日本書紀
この700年の落差は埋めようが無いな。
2006年の今から700年前の事ってよく分かっているのかな?
>>431 卑弥呼の時代の朝鮮半島は、
楽浪郡とか、馬韓、弁韓とかの時代でしょ。
神功皇后は、新羅・百済と戦ったと書かれてて、
好太王碑の文章に改変がないとわかって、
信憑性がましてるんだから。
442 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:10:02 ID:eGa8uG3+O
魏史倭人伝は大体1750年前くらいでそ
>>404 兵馬庸と古墳の埴輪が似てるのとか見ても、坑儒なんだと思う。
でも、ネット右翼や所謂皇道派って、韓国人と似た儒教精神、精神構造に
満ちてるのが不思議。
アジアには、儒家の地下組織があるのかもしれん。
445 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:10:49 ID:ckdrslWi0
古代中国は周辺国家を見下していた。
邪馬台国 → いくらなんでもこんな名前を自主的につけるわけない。
「大和大国」が正解だろう。
卑弥呼 → これも同様。「姫巫女(ひめみこ)」が正解。
よって、近畿が正解。
吉野ヶ里遺跡に実際に行ってみるとわかるが、あの時代にあの程度の
施設で日本全体を統治できるはずがない。せいぜい地方政府の都とみるべき。
446 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:11:54 ID:5rPa5/b2O
>411
確かに神話を史実の反映とすること自体には無理があるね。
創作を言っているとも言えないけれど。
それも神話の史実反映の裏合わせにしかならないからね。
どっちでもいいよ。
当時の畿内人と、このスレにやってくる大阪人は別物だし。
デッパやチョン顔ばっかだろw
448 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:12:26 ID:YekiDgta0
>>445 吉野ヶ里が邪馬台国の跡だと思ってるのは,あんただけだよw
皇紀2600年とか嘘か><
451 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:14:20 ID:UR9IquTt0
>>449 嘘とは言わないまでも、一種の信仰でしょう。
452 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:14:31 ID:5rPa5/b2O
>417
別に外からどう思われていようとあんまり関係ないと思うけど・・・。
邪馬台国つうのは戸数7万余だろ?
そんなのが南九州にあるわけなかろ?
ましてや台風のおおい日向とかにはな。原田常治に毒されすぎw
随書の阿毎とか言うのとアマというのと耶麻つうのは関連あるのか?
わかるものだけ答えれ。
邪馬台国と大和朝廷は本家と分家か?
とにかくはっきりセイ!
どこにあるんだ邪馬台国。おまいら宮内庁にいって書陵部のやつら吊るしあげろ。
いつまでも隠すんじゃねえとなw
>>445 倭国が乱れてたくさん死者が出たので、
卑弥呼を女王としたらおさまった。
邪馬台国は支配者ではなく、連合王国の
代表みたいなものではないのかな
455 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:15:59 ID:eGa8uG3+O
ホメロスの詩に出るトロイの戦いは、発掘されてほぼあったとされるが
その詩に出てくるアキレウスは不死身だが、かかとが唯一の弱点だった、なんて誰も信じない
神話はやっぱモチーフでそ
>>453 >邪馬台国と大和朝廷は本家と分家か?
yes
457 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:16:47 ID:A2dy3A2+0
邪馬台国じゃなくて、
牙隲台国
ではなかったのかと大胆に予想してみました。
458 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:16:55 ID:W5Asd3PL0
>>432 今でも韓国は「我らの国は儒教の国」とか言ってやがるからなw
中国様の儒教を完璧に受け継いでいるのは我らだけですぞ!とでも言いたげに。
若いパワーを完全に否定して、老人バンザイの思想を後生大事に守ってるから、滅亡寸前の乞食状態になったってのにw
>>438 出雲は銅剣銅矛と銅鐸の両方が出てくる。
しかも銅鐸は近畿より少し遅くまで生き残ったという話もある。
(信憑性は分からん)
460 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:17:58 ID:YekiDgta0
天皇家の口伝なんかには,結構面白そうなのがありそう。
俺は,和気清麻呂神託事件の時,なんで伊勢神宮じゃなくて宇佐神宮に
行ったのかを知りたい
462 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:18:29 ID:eGa8uG3+O
宮崎の西土原に行ったら、古墳がぼこぼこあるぞ。
でかいのから小さいのまで。意外に発展していたんジャマイカ?
>>457 単に、聞いた音を漢字に当てはめただけだと思うけど。
>>440 古事記は自称712年だろう?
日本書紀にも記述ないし。
現在の写本は中世だろ?16世紀くらいか?
系譜捏造はやりまくった時代だなw
465 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:19:22 ID:A2dy3A2+0
>>461 昔は横書きなんてなかったかw
ダメダメだな、俺
>>458 ところが、九州の人は、儒教的精神に結構満ちてる。
だから、邪馬台国にも拘るわけ。韓国人が、色々、韓国起源とか
言い出すのも、儒教的精神からなんだよなぁー。
この気持ち悪いのはどうにかしなきゃならんと思う。
467 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:20:27 ID:UR9IquTt0
西都原古墳群って、5,6世紀のものでないの。
もう少し古いものもあるのかな。
>>444 これは非常に化学的な計算だな3世紀終わりに大和朝廷が成立したと考えたら
トヨが死んだ頃と重なるな
469 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:24:07 ID:yUhgYB/s0
>466
韓国というか、朝鮮民族自体の発祥が、
歴史上、確定しているのは李氏朝鮮王国以降であり、
実はその前は確定していない。
もっとも、韓国政府は「高句麗」が朝鮮民族の祖先としたがっている。
そう言うことで、半島の記述はあまり当てにならない。
470 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:25:06 ID:xyC74lDA0
天戸 → アマト → ヤマト → 邪馬台 → 大和
アマテラスオオミカミ → 日巫女・日御子 → ヒミコ → 卑弥呼
九州の阿蘇の東ふもとに邪馬台国があって、神武天皇の頃に畿内あたりまで平定し
移り住んだ。
471 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:25:52 ID:yWGdbLR/0
日本の中心は本州(秋津島)、九州なんてあり得んわ!
>>462 卑弥呼=日向、台与=豊(豊前豊後) なんつって女王様が国名になったとかいうのが
原田史観。いわゆるとんでも本。古田と同類。
語源俗解。
473 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:26:41 ID:5rPa5/b2O
>431
どうもです。
記紀どおりだと西暦何年になるはずだっていうのは試算があるんですか?
474 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:26:47 ID:yUhgYB/s0
>470
九州から畿内へ移動する根拠がない。
475 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:27:58 ID:/4DsWz3m0
google earth で見るとやっぱ福岡、佐賀・筑紫平野が妥当
倭人伝に描かれる日本の風俗(1)
男子は大小関係なくみんな髭面、イレズミをしている。
海に潜って魚や貝を取り、イレズミは身を守るおまじないでもある。
国によってイレズミが異なる。右だったり左だったり、
大きかったり小さかったり身分の違いもある。
その風俗、淫らではなく、男子は皆もとどりのままで冠の代わりに木綿を頭にかけて、
服は幅の広い布を巻きつけるだけで縫ってはいない。
女子は髪を結い、一枚の布の真中に穴をあけて頭を通して着ている。
稲やカラムシを植え、蚕を飼い糸を紡ぎ、カラムシの布や絹木綿を作っている。
牛、馬、虎、豹、羊、カササギ等はいない。
倭は真珠、青玉、丹を産出する。
木は、ユズリハ、ナラ、クス、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデがある。
竹は、シノ、ヤダケ、カズラダケがある。
ショウガ、タチバナ、サンショ、ミョウガがあるが食べられる事を知らない。
動物は、オオザル、サル、キジなどがいる。
兵には矛、盾、木弓を用いる。木弓は下が短く上が長い。
竹の矢のやじりは鉄か骨である。
有無するところ、タンジ、シュガイと同じである。
(海南島の文化風俗に近いという意味らしい)
倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。
家はあり父母と兄弟は寝るところが違う。
朱丹を体に塗っているが中国人がおしろいを塗っているようなものだ。
食事は高盃に盛って手で食べている。
倭人伝に描かれる日本の風俗(2)
倭の使者が中国に出向くときは、生贄のように一人の男子をもって、頭を梳かず、
シラミを付けたまま、服は垢汚れ、肉を食べず、女子を近づけず、喪中の人のようにしている。
名付けてジサイと言う。もしも何事も無く中国まで往復できた時は皆と伴に奴隷や財物を分け与え、
もしも病気や災難に見舞われたら、このものを殺してしまう。
このジサイが謹まなかったと言う事である。
物事を行ったり、旅に出かけるときは骨を焼いて吉凶を占う。
亀の甲羅で占うように骨の裂け目で占っている。
集会などの会合の席順は父子男女の別は無い。皆良く酒を飲む。
(魏略に言うところの、倭は正月と四季を知らない、春に耕し秋に刈り取る事でその間を1年とする)。
身分の高い人を敬うときには拍手をし、これが最敬礼になっている。
倭人は長寿で、100歳から8、90歳まで生きる。
そして身分の高い人は妻を4,5人持ち、庶民でも二,三人は居る。
婦人は淫らではなく、嫉妬もしない。
盗みなども無く、訴訟も少ない。法を犯した者は、軽い者は妻子を没収。
重い者はその御家断絶。親族にも及ぶ。
身分の格差があり臣下が服している。税を納める倉庫がある。
国々に市があり、御互い足らない物を交換し、大倭がこれを監督している。
女王国から北には特に一大率を置き、諸国を検察させている。
諸国はこれを恐れている。常に伊都国に治する。国の中では中国の州の長官のようである。
身分の低い人が高い人と道で出会ったときには、後ずさりして草の中に入り、
何かを伝えたいときにはうずくまったりひざまづいたりして、
両手を地に付けて物を言う。返答は”アイ”と言う。承諾した事のようだ。
邪馬台国は八幡平でしょ。魏志倭人伝の記述は、縄文王国の記述とぴったりだし。
弥生民族が、九州発症なのは、認めるけど、邪馬台国は縄文王国だと思う。
>>432 ん?
日本で儒教道徳が一般庶民にまで普及したのは明治時代になってからだが?
(江戸時代では所詮インテリの侍のお遊び)
福沢らの意図とは逆に儒教道徳は近代に入ってかえって強化されたのだよ。
ちなみに朝鮮でも儒教が本格的に普及したのは18世紀ごろと結構新しかったりする。
481 :
ほうき:2006/08/24(木) 00:30:54 ID:WDr+Xylk0
こないだ話が途中になってしまったんで、もう一度おさらいから
魏志倭人伝の話はもう既出だとは思うが、厳密には魏志倭人伝なんて
本があるわけではなく三国志の一部、ただし正史のほうの魏書
ここまでは常識だが、実は呉書にも日本の話がでてくる
482 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:31:56 ID:YekiDgta0
>>470 そうか、俺も常々不思議に思ってたがどこで天孫一族の名称ができたかと。
天をアメと読んだりアマと読んだり。
でもamaとyamaってy音後からつく?
普通yamaが先でy音落ちてamaにならない?
詳しいわけではないので横槍失礼しました。
484 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:32:17 ID:eGa8uG3+O
西都原の古墳、オサホやメサホはあんま古くないから、あぁやっちまった、と
思ったら、古いのもあるんだ。教えて頂き感謝。
485 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:32:35 ID:xyC74lDA0
>>474 カナン(河南、今の泉南)を目指せと神のお告げが御子に下ったのかもしれんね。
卑弥呼は渡来人ニダ。
487 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:33:50 ID:uhtAcEMk0
488 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:34:58 ID:z7oRYkKr0
>>439 ウサギは海賊をだまして海を渡って、因幡に着いたはいいが嘘がばれてフクロw
ちなみに
ワニ=海賊、漁民
ハニ=土着民、猟師
489 :
ほうき:2006/08/24(木) 00:35:19 ID:WDr+Xylk0
慢性的な人口不足に悩む呉の孫権は海の外へ部下を人攫いに行かせる
そして部下は兵士を連れてきたが、言葉も通じず兵士としては使えなかった
怒った孫権は部下を殺した。
このエピソードで笑えるのは日本をOO州と自国の領土のように記していること
これって今の中国が台湾のことOO省というのと同じじゃね?
つまり二千年前からなんも変わってないってこったw
490 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:37:35 ID:W5Asd3PL0
>480
> ん?
> 日本で儒教道徳が一般庶民にまで普及したのは明治時代になってからだが?
> (江戸時代では所詮インテリの侍のお遊び)
> 福沢らの意図とは逆に儒教道徳は近代に入ってかえって強化されたのだよ。
じゃあ、今でも相当程度 儒教が日本に根付いてないとおかしいのでは?
ま、どっちにしろ、日本の儒教は大元の儒教とはかなりちがってるらしいからな。(日本人特有の柔軟さ)
そのおかげで助かったんだがw
> ちなみに朝鮮でも儒教が本格的に普及したのは18世紀ごろと結構新しかったりする。
では、その辺りから、本格的に落ちぶれていったんだなw
491 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:37:40 ID:eGa8uG3+O
冬でも結構あったかいなら、九州かな。関西はどーなんだろ
何故かわからないが、キバヤシが浮かんでくる…
493 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:39:45 ID:UR9IquTt0
邪馬台国って奇しくも三国志の時代なんだな。
というか、2世紀末の倭国大乱自体が、
大陸の変動と連動した現象なんだろうなあ。
494 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:40:41 ID:5rPa5/b2O
やっぱり、どっちの説も記紀の否定から入ってるんだね。それが部分か全てかの差で。だからいつまでも終わらないんじゃん。
何で確認作業ってだけで進められないのかなぁ?
>>441 いわゆる神宮皇后紀の三韓征伐と言われるような出兵があったことは、
誇張が多いとはいえ、大筋は史実だろうけど、
仲哀天皇と神功皇后にまつわる神話が、
卑弥呼に合わせて年代をいじられている可能性が高いということ。
を
>>399は言っていると思われる。
496 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:40:52 ID:xUiMR/JKO
>>480 日本は儒教でなく儒学な
江戸時代は儒学や神道、仏教をハイブリッドした商人の心得
心学がかなり広まっていたが?
>>491 この風俗は南方系、九州でも南九州のイメージだな
>>489 前スレではこんな会話が
436 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/23(水) 13:19:49 ID:bRTX/I8M0
呉が人狩りに行った「倭」ってどこのこと?
439 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/23(水) 13:22:07 ID:u2qti/Lp0
>>436 台湾
454 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/08/23(水) 13:33:45 ID:bRTX/I8M0
>>439 台湾か・・・
そこで、莫大な人的損害を出してるって事は、
呉は台湾を支配下においてなかったってことか。
499 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:42:11 ID:Y+w13MPv0
武内宿禰
500 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:42:34 ID:/4DsWz3m0
>>493 同意、東遷は大陸半島情勢との緊張関係が理由だと思う
>>490 明治からの儒教の普及は学校教育のおかげ。
戦後アメリカによる教育改革で儒教の力は没落。
そして現在、日本人の「道徳」は江戸時代の町人と同レベルかそれ以下になった。
>>500 きっと卑弥呼が8・15に靖国に参拝して関係が悪化したんだよ
503 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:46:00 ID:UR9IquTt0
江戸時代の儒教は主に、新儒教としての朱子学だろう。
朝鮮の李退渓を師としてあがめたりしている。
朱子学は孔子の儒教とは異なり、一種の形而上学。
504 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:46:05 ID:uhtAcEMk0
>>501 江戸時代の「道徳」が悪かったとは誰にも言えまいw
505 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:47:38 ID:4E0MPpN50
506 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:47:52 ID:eGa8uG3+O
>>497 入れ墨してるしね。文献に載ってる風俗なら九州かなぁ。
朝鮮の儒教は、李氏朝鮮になってから本格的になったよな〜
仏教なんて山に逃げるしかなかったし
僧侶は白丁並みの扱いだったし
507 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:48:55 ID:W5Asd3PL0
>501
儒教道徳は必ずしも良いものとはいえんからなw 特に現代の目でみると。
特に中国、朝鮮にのこっている元祖儒教の道徳は明らかに近代化を阻害する思想だし、日本人が
古来から自然ともっていた感性と相容れない部分も多かったみたいだし。(だからこそ、アレンジしたんだろうな)
>>503 朝鮮半島にしろ、日本にしろ、統一教会(安部が祝電だしたところ)
なんだよな、儒教だろうが、キリスト教だろうが、権力者が権力の安定と
搾取の為に道徳を説く。
ここが中国の儒教とはすこし違う。
中国の儒教は儒教原理主義で、国まで滅ぼしてるんだから、ちょっと真剣さが違う。
509 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:49:48 ID:FyetvVVC0
>>154 手持ちの資料から。ちなみに米海兵隊戦史でOkinawaは沖縄本島を
指す場合にのみ使われていたようだ。琉球表記が多いのはその為。
琉球作戦アメリカ軍中部太平洋任務部隊の編成
スプルーアンス海軍大将 :琉球作戦責任者。第5艦隊、中部太平洋方面軍司令、第50任務部隊
ターナー海軍中将 :上陸作戦司令、第51任務部隊
ミッチャー海軍中将 :第58機動部隊
ローリングス卿(海軍中将) :イギリス空母部隊(第57機動部隊)
ブランディ海軍少将 :上陸支援部隊(ターナー提督。第52任務部隊。護衛空母18が主体)
ディヨー海軍少将 :上陸支援射撃部隊(ターナー提督。第54任務部隊。戦艦12、重巡16)
琉球作戦遠征アメリカ軍第56任務部隊の編成
バックナー陸軍中将 :第10軍(上陸部隊)総司令官。 6/18戦死
バンダークリフト大将※ :米国海兵隊総司令官(海兵部隊調整官) ※海兵大将という役職は無い
ムルケー海兵少将 :琉球戦術航空軍(バックナー中将)
ホッジ陸軍少将 :第24軍団(歩兵2個師団。バックナー中将)
ガイガー海兵少将 :第3海兵軍団(海兵隊2個師団。バックナー中将)6/19中将に昇進後、第10軍総司令官に着任。
コップ海軍少将 :琉球海軍部隊(バックナー中将)
ウォーレス陸軍少将 :沖縄島基地司令部守備隊(バックナー中将)
アーノルド陸軍少将 :第7歩兵師団(ホッジ少将)
ブラッドレー陸軍少将 :第96歩兵師団(ホッジ少将)
デル・ベール海兵少将 :第1海兵師団(ガイガー海兵少将)
シェファード海兵少将 :第6海兵師団(ガイガー海兵少将)
ワトソン海兵少将 :第2海兵師団(陽動上陸部隊。バックナー中将)
グライナー陸軍少将 :第27歩兵師団(海上予備部隊。バックナー中将)
ブルース陸軍少将 :第77歩兵師団(西部諸島上陸部隊。バックナー中将)
ミューラー陸軍少将 :第81歩兵師団(戦域予備。米太平洋最高司令官ニミッツ元帥指揮)
明治に来日し、東大教授を勤めたアメリカ人モースの記録。
「日本人は決して癇癪を起さないから、語勢を強める為に使用する間投詞を必要としない。
『神かけて云々』というような起請はこの国には無い。
非常に腹が立った時、彼等が使う最も醜い言葉は、バカとけものとを意味するに止る。
しかもジェントルマンはこのような言葉さえも口にしない」
幕末に来日したフランス海軍士官エドゥアルト・スエンソン
「日本人は世界でもっとも礼儀正しい国民である。
子供の時からこの一番大事な徳行を教えこまれ、
それに少しでも外れたりすると非常に厳しい目でにらまれる。
口のきき方だけでなく、顔の表情や行為にまで、住民中最下層の人々の間ですら
きちんとした礼儀が要求される。
知り合い同士のふたりが路上で出会ったりすると、形式ばった礼儀の交換を何分も行なう。
身分の同じ人々の間の挨拶は、頭と背中と腰を折り曲げて何度も前に屈む動作をして行われる。
その度に、両手が太腿の部分を上下にこする。
そして、かみ合わされた歯の間から、ていねいすぎるほどの言葉が数多く紡ぎ出される。
この喜劇が終わってからやっと、出くわした二人はおたがいの目を自由にのぞきこみ、
おもむろに会話を始めるのである。
地位の高い者に挨拶をする時には地面に膝をついて額を土につけ、
その人物がその場を通り過ぎるまで、あるいは、そうしなくともよいという許可がおりるまで、
同じ姿勢をくずさない。
目下の者が目上の者に報告を行なうときには、目立たないように前に出て、
目を伏せたまま報告する。まともに見つめたり、囁き以上に声を高めたりすることは無礼とされる」
512 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:50:59 ID:xUiMR/JKO
だから日本は儒教ではなく儒学なんだって!
イギリスの初代駐日公使オールコック
「日本人は、世界中のどこの紳士にも劣らぬほど完全な紳士だ。
きわめて入念にいれずみをした者でさえ、その仕ぐさと表情には、
穏やかさと人の心をとらえずにはおかない丁重さが現われている。」
大山巌の紹介で明治7年東京外語学校の教師となったロシア人メーチニコフ
「なんと日本語には罵りことばさえないのである。
馬鹿と畜生ということばが、日本人が相手に浴びせかける侮辱の極限なのだ。
日本人は礼儀作法を実によく守るから、江戸に住んだ二年のあいだ、
口論しあっている日本人の姿をついぞみかけたことがなかったし、
まして喧嘩などほとんどみかけなかった。」
明治に日本奥地紀行を書いたイギリス人女性旅行家イザベラ・バード
「子どもの遊戯の一つは非常におもしろいもので、元気よく、
しかも非常にもったいぶって行われる。
それは一人の子どもが病気の真似をし、他の子どもが医者の真似をするのである。
医者のようにきどって重々しく、病人のように弱々しく、さも困っている様子は、
まことにうまく真似したものであった。
不幸にも、医者は患者を死なしてしまう。患者は、青白い顔をして、
うまく死んだように眠ったふりをする。それから嘆き悲しみ葬式となる。
こんなふうにして結婚式や宴会、その他多くの行事を芝居にする。
この子どもたちの威厳と沈着ぶりは、驚くべきものである。
事実は、やっとしゃべりはじめるころから日本礼法の手ほどきを受けるのである。
だから、十歳になるまでには、あらゆる場合に応じて、何をしたらよいか、
何をしてはいけないのか、正確に知っている」
514 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:52:48 ID:FyetvVVC0
すまん・・・誤爆した。気にしないで続けてくれ・・・orz
515 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:54:09 ID:uhtAcEMk0
中国の黄巾の乱で避難民が大量に発生、朝鮮半島にも押し寄せる。
略奪や暴行が頻繁し、朝鮮半島からも避難民が大量発生、倭国へも渡海してくる。
で、倭国内乱の引き金に。
その後、魏呉蜀三国時代に複数波の難民を発生させる。
九州も人口が増え、食料・良田・居住地・仕事を求めて当時開けていた後の畿内へ侵入を開始する。
これが神武の東征。
516 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:55:01 ID:eGa8uG3+O
お医者さんごっこは伝統的な遊びだったのか・・・。
517 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:55:07 ID:W5Asd3PL0
>512
要するに、元の儒教とかなりの部分で違っちゃったからだろ。
「儒教」の方は、経済学の観念も無いからなw そりゃあ国も滅ぶわw
518 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:55:50 ID:TSeR3Rph0
邪馬台国は八幡平にあったんだよ!
あの小説読んだことある人少ないよなあ・・・
かなり面白いのに
519 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:56:18 ID:wyh7ProP0
>>505 岡本太郎みたいな人が出て、土偶職人に、何らかの影響を与えたと妄想w
520 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:57:33 ID:4E0MPpN50
>>510 晩期の宇宙人みたいな土偶に変わっていったのは、何か凄いことがおきたんだろうな
521 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:57:35 ID:W5Asd3PL0
>513
> 明治に日本奥地紀行を書いたイギリス人女性旅行家イザベラ・バード
> それは一人の子どもが病気の真似をし、他の子どもが医者の真似をするのである。
他国では「お医者さんゴッコ」は無い!と考えるべきなのかな?
522 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 00:57:35 ID:UR9IquTt0
>>515 というより、後漢の力を背景にしていた、当時の倭の
支配的勢力の力が、後漢衰退とともに弱まった。そのために
倭のタガがはずれた、ということなんでは。
523 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:00:57 ID:eGa8uG3+O
親が死んだら一度辞職して二年間喪に服すのが儒教
524 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:01:26 ID:4E0MPpN50
525 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:01:55 ID:xyC74lDA0
神功皇后の息子、応神天皇は八幡神として宇佐神宮(大分県宇佐市)に祀られ、皇后自身の祭殿も同社にある。
ということは、
526 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:02:44 ID:YekiDgta0
527 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:03:00 ID:uhtAcEMk0
>>518 俺も読んだよ。
釈迦が悟りを開いていなかったことを証明していく過程など、とても面白かったw
528 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:03:19 ID:mISySrXq0
桓靈の間、其の國大いに亂れ、遞(たが)いに相攻伐して歴年主無し。
女子有り、名を彌呼という。能く道を以って衆を惑わす。是に於いて
國人共に立てて王と爲す。男弟有り、彌を佐(たす)け國を理(おさ)む。
其の王に侍婢千人有り。其の面を見る者罕(まれ)に有り。唯だ男子
二人有りて王に飲食を給し、言語を通傳す。其の王に宮室・樓觀・城柵有り。
皆な兵を持して守衛す。法を爲すこと甚だ嚴なり。
魏より齊・梁に至り代々中國に相通ず。
529 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:04:14 ID:mvEaQKRi0
>>145 日本は百済・新羅・安羅・任那等を属国とする称号を
要求したが、百済は先に称号を受けていたので蹴られた。
ちなみに、倭の武王は上奏文でわざわざ百済に言及し、
「船舶を整えるところ」、
つまり植民地と暗に言及したが、称号からはずされた。
530 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:05:48 ID:z7oRYkKr0
遮光キ土偶って溺死体模型じゃないか?
531 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:08:22 ID:rolXJcJs0
どうもこの国の名前が現実在地の名前とかぶってうずうずするので
知ってる分だけ入れさせて
おそらくちゃんと研究したものがあると思うんだけど
つぎに斯馬国(しまこく)がある。 糸島郡志摩町
つぎに已百支国(いわきこく)がある。
つぎに伊邪国(いやこく)がある。
つぎに都支国(ときこく)がある。
つぎに弥奴国(みなこく)がある。
つぎに好古都国(をかだこく)がある。 博多区
つぎに不呼国(ふここく)がある。
つぎに姐奴国(さなこく)がある。
つぎに対蘇国(とすこく)がある。 鳥栖市
つぎに蘇奴国(さがなこく)がある。 佐賀市
つぎに呼邑国(おぎこく)がある。 小城市
つぎに華奴蘇奴国(かなさきなこく)がある。
つぎに鬼国(きこく)がある。
つぎに為吾国(いごこく)がある。
つぎに鬼奴国(きなこく)がある。
つぎに邪馬国(やまこく)がある。 矢部村or八女市
つぎに躬臣国(くじこく)がある。
つぎに巴利国(はりこく)がある。
つぎに支惟国(きくこく)がある。 菊池
つぎに烏奴国(あなこく)がある。
つぎに奴国(なこく)がある。
532 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:08:59 ID:uhtAcEMk0
土偶は子供のおもちゃではないのか?
あるいは、呪術の道具。呪いの藁人形のようなw
533 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:12:09 ID:cJM2XsIs0
ここ面白そうなのに自分に知識がないのが悔やまれます
534 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:12:21 ID:TSeR3Rph0
>>527 おお、仲間がいたw
俺も釈迦の話が好きだったよ。
息子の名前とか、アレはトリビアに送ったら採用されるんじゃないかと思う。
宗教関係だから無理かな?
535 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:12:38 ID:CmXjuAxuO
この時代、吉備や伊予の連中って、
畿内と九州に挟まれて何やってたの?
536 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:14:30 ID:xyC74lDA0
日本書紀によりヤマトトトヒモモソヒメノミコトの墓として築造したと伝えられる箸墓古墳。
卑弥呼の円墳を探すのが手っ取り早い。おそらく鏡だらけで殉死した家来の骨もいっぱい
出てくるのではないだろうか。
邪馬台国は近畿地方の某ニュータウンの下に眠ってるよ。
そのニュータウンがオールドタウンになり最後にゴーストタウンになった後
初めて掘り返して全貌が判明することになってる。
あと20年の辛抱だよ〜と某ゼネコンの香具師に聞いた
>>535 九州と同盟した。
出雲との結婚、和邇との結婚などなど。
539 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:15:37 ID:wyh7ProP0
まあ、邪馬台国が栄えたのが、3世紀ってのが、ミソだな。
中国の歴史書でしか、妄想できない。
30近くのエリアの女親分って事だから、結構な権勢だったろう。
国の概念ってのは、バルバロイ(異なる言葉喋る奴等)って感じで、
やっぱ、本州にあって、九州じゃ、チト狭い気もするな。
普通に畿内にあって、大和朝廷の前身みたいな国だったのかな。
これってもう既に論争終わってたと思ってたけど・・・
ちなみにオレ、近世史専攻w
541 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:18:45 ID:uhtAcEMk0
>>534 あの推理の進め方は安楽椅子探偵物みたいで、一気に読み切ってしまった記憶がある。
トリビアもいいが、どこかのテレビ局でドラマ化しないかな?w
大和と日向は本家と分家
分家の方に外交拠点があったので、手柄独り占め
結果分家の方に乗っ取られてしまった。
邪馬台国は畿内でもあり、九州でもある訳だ。
543 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:20:20 ID:wss7ZR/U0
邪馬台国東北に来てください
544 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:21:04 ID:uhtAcEMk0
545 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:21:16 ID:aP3huF1l0
「日本の空白の世紀は我々が捏造するニダ」
「ん?次々と物証が集まっている?」
「やばいニダ、捏造していることが知れ渡るニダ」
>>543 東北は蝦夷の国です
やばんじーん( ´^ิu^ิ`)
でも、オレ古代詳しくないんだけど蝦夷の文化様式みたいなのは明らかにされてるんかね??
非常に魅力的でおもしろい研究テーマだとは思うんだけど
詳しい人教えてケロ
卑弥呼が神功皇后って話あるみたいだけど
その後出てくるたよだかとよってのは誰なの?
548 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:26:26 ID:HeQ0wTkRO
何となくだけど邪馬台国はO府S市の様な気がする。
549 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:26:42 ID:uhtAcEMk0
卑弥呼=アマテラス
補佐弟=スサノオ
トヨ(イヨ)=ツクヨミ
かな?
551 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:30:20 ID:WztYXmxd0
もう毎年の持ち回り制で良いよ。邪馬台国は。
552 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:32:32 ID:HeQ0wTkRO
>>546 縄文人が本州に広がる→これがエミシでありハヤトである
弥生人が大和朝廷を作る→国内統一を進める
553 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:32:54 ID:PSqG7IVN0
アマテラス=卑弥呼で納得できる部分もあるが、
スサノオ=卑弥呼の弟で、スサノオの息子(玄孫?)が大国主だよな。
どちらも出雲を地盤にしていたと思うんだが「狗奴国」が出雲か?
554 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:33:29 ID:uhtAcEMk0
親魏倭王の金印が見つかればいいんだよね?
日本人全員でダウンジングすりゃ一発だよ。
ダウンジングの日(祝日)つくろう、今すぐ。
555 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:36:45 ID:/4DsWz3m0
>>554 俺も探すから比定地を頼む
俺は筑紫平野派
日本史の先生方も、もっと漢文と中国中古音の勉強すればいいと思います。
二レ点とか付ける人いるよね
557 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:37:32 ID:mISySrXq0
558 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:38:32 ID:uhtAcEMk0
投馬国=出雲だとおも。
狗奴国=熊襲 よくある説
東大寺に建立時にペルシャ人がいた証拠が残ってるけど
それ以前に日本に欧米人の祖先がいた痕跡ってあるの?
560 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:41:16 ID:uhtAcEMk0
>>557 韓国は絶対認めんぞ。
日本のより新しい前方後円墳でてきたら埋めてるらしいじゃないか。
562 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:46:20 ID:5rPa5/b2O
津田左右吉の所為で日本は神話学も考古学もボロボロ。
563 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:46:53 ID:uhtAcEMk0
>>555 スマン、俺も筑紫平野派だ(藁
>>559 日本ではないけど、呉の孫権だったか孫策だったかの眼の色が青色だったとの説も…
たぶんトンデモだがw
564 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:47:35 ID:wyh7ProP0
>>536 卑弥呼の墓が見つかれば、一発だなw >場所の特定。
狭い日本で、現代でも中々見つからないような墓だから、
でかい円墳なのかは、疑問だな。不自然な土盛りは、現代じゃ、ばれる。
>>559 平城京作った天皇の絵が残ってるけど、目は金色だし、
椅子に座ってるわで、どう見ても、日本人じゃないやい。
ってのが有るみたい。
566 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:50:00 ID:IcycLPhK0
>>553 天照大神によってスサノオは畿内を追放されてる。
出雲は亡命先でしょ。
567 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:50:02 ID:+jLDl1sz0
邪馬台国の風俗は、どうみても中国南部系
端的に言うと呉・越を連想させる。
イレズミ、体に朱を塗る、潜水漁労など見ると。
この時期、中国南部からの大規模移民が、何度も繰り返し
あったのは間違いないと思われ。
568 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:51:52 ID:hqrwKtwM0
九州(外交基地)
倭(本部)
これでいいんじゃね?
569 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:52:11 ID:xyC74lDA0
邪馬台国 台湾説というのはあり?
570 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:53:09 ID:95UCLkBz0
新井白石が元凶
571 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:53:15 ID:mISySrXq0
>>569 台湾だと、大陸に近すぎる気がする。
沖縄説の方がありそうだが。
572 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:53:32 ID:+jLDl1sz0
>>569 うーん・・・
1国だけならありだが、周辺に沢山国があることを考えると無理では。
573 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:53:43 ID:IcycLPhK0
>>567 この時期というか、秦の始皇帝によって迫害された南方民族が移住してきたと考えていいと思う。
徐福も船団を組んで日本に亡命してきたしね。
すでにそういう下地が出来上がってたのかもね。
そりゃ高句麗と互角に戦えるほど技術が高いはずだわ倭国は。
574 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:54:51 ID:uhtAcEMk0
575 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:56:59 ID:+jLDl1sz0
>>573 弥生人の文化風俗自体が、高床倉庫、水田稲作、すべてひっくるめて
長江流域のライフスタイルだとしか思えない。
長江下流域から、上流へ逃げた民もあれば、
渡海して九州・瀬戸内海・近畿へ落ち延びた人もいる。
だから倭人の勢力範囲は、近畿から南は中国奥地、ベトナム、ひょっとするとタイ奥地
まで広がっている。
576 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:59:30 ID:IcycLPhK0
>>575 ブータン人が日本人ソックリなのはそれかな?
着物まで似てるしね。
577 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 01:59:35 ID:PSqG7IVN0
>>558 サンクス。
だとしたらスサノオの国は卑弥呼の国よりも南にあって(海路で出雲に通じるので影響力はあったかもしれないが)、卑弥呼の死後に王に祭り上げられたかしらんが直接出雲を支配してたことはないのかな。
大国主はスサノオとは関係なく単独で(あるいは族長?か誰かの命令で)出雲で国造りしてたと考えたほうが良いのね。
なんとなく理解できたよ、ありがとう。
>>566 サンクス。
だとしたら、「卑弥呼の没後、男王がたったが国中が服さず」とあるのはスサノオとは考え難いのか。
追放された人を王に立てることはないだろうしな。
スサノオが出雲に亡命して出雲を掌握し、子孫の大国主の代で国譲りか。東遷の際に武力衝突があったとも考えやすいな。
また判らなくなってきたが。とにかく俺みたいな俄かに解説してくれてありがとう。
大和政権を邪馬台国にしたがるやつは天皇家を中国の手下にしたい左翼
579 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:02:19 ID:RDcManWJ0
半島が戦乱になるたびに難民が日本に押し寄せてきてる
物部氏の祖先の大物主も海を渡って出雲に来たと古事記に書いてある
580 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:03:04 ID:WztYXmxd0
半世紀前の朝鮮動乱の時も密入国してきたしな。
581 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:04:10 ID:hqrwKtwM0
スサノオについては和歌山と出雲は何か関係してるはず。
そんな気がする。
582 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:04:42 ID:95UCLkBz0
583 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:04:59 ID:XE3hgXMO0
千葉か滋賀か佐賀にあったんだよ
追放された人の子孫が国譲るってすげえお人よしだな
585 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:05:19 ID:+jLDl1sz0
>>576 鳥越健一郎だったかな? 中公新書でそういう本(倭人)を
書いているので参考にして見ました。
トンデモではなくて、本当にビックリするぐらいそっくりの民族が
タイなどにいたりする。すべて長江起源だとするとつじつまが合う。
殷の時代(BC1000以前)に、長江で開始した水田稲作が
その技術をたずさえて拡散していった。
そのような民族のひとつが、弥生人だったのでは。
586 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:05:33 ID:Asp2yAunO
問題はニニギの天孫降臨の前に、ニギハヤヒがすでに
三輪あたりで日本を治めていたということ。
ニニギらが大陸から九州に渡ってきたのが古事記でいうところの天孫降臨。
その後、東征してニギハヤヒから統治権を奪う。
587 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:05:53 ID:s34fPGWT0
狩猟採取文化で火の文化だった縄文人と
農耕文化で日の文化だった弥生人と
環シナ界を行き来する海洋文化の海人が日本人の原型だろうなぁ
>>576 東印度のとある地方では日本語と似た言語を話す民族がいるぞい
588 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:07:30 ID:IcycLPhK0
>>577 「卑弥呼の没後、男王がたったが国中が服さず」には続きがあるよね。
そしてまた国が乱れその結果また女王が誕生した。
その男王は?
男王が卑弥呼の弟=スサノオなら新女王派との戦いに負けたか何かで追放されたと考えられないかな?
589 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:08:10 ID:+jLDl1sz0
>>587 日本語と本当にクリソツなのは、ニブヒ族(ウデヘとも)(極東ロシア)
近い順に言うと
ウデヘ、満州語、モンゴル語、朝鮮語です。
590 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:08:51 ID:eGa8uG3+O
我々はどこから来て、どこへ行こうとしているのか
ルーツ探しって面白いな・・・。
591 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:10:43 ID:wyh7ProP0
>>575 >弥生人の文化風俗自体が〜
完全な別民族だろうね。日本土着の民は北へ逃れ、蝦夷となり、
中華系の進んだ技術を持った人々が、西日本を支配した。
邪馬台国も、中華、半島系国家だったんだろう。
投馬→ツマ→サツマ→薩摩
593 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:13:58 ID:IcycLPhK0
>>581 そもそも日本列島に土着の民なんていないよ。
縄文人もどこからかやってきて住みついたんだ。
それに蝦夷=縄文人とは限らないしね。
半島は関係ないだろ?
どこから出てきたんだw
594 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:15:34 ID:hqrwKtwM0
スサノオ 和歌山→出雲
アマテラス 三輪→伊勢
こんなかんじかな??
595 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:16:35 ID:4E0MPpN50
筑紫平野のどのあたりなんだろう?
筑後川周辺?
596 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:17:42 ID:WztYXmxd0
ブータン人ってさ、顔の感じが日本人そのものなんだよな。
確かに顔は土方みたいにやけて黒いんだけど。生活習慣が違うから。
一方、中国人って同じ東洋人である日本人と比べるとやっぱりちょっと違うでしょ?顔が。
>>588 思うのは出雲の存在だろうか
ならば
>>549もあながち暴論でもない
国内には3つの勢力があり争いがあって神話に記述されたとか
598 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:18:58 ID:+jLDl1sz0
>>593 極東ロシアの古代ツングース民が、樺太を通ってやってきたのが前期縄文人。
ちなみにツングース語(ウデヘ)と日本語はそっくりだ。
その後に、中国南部からやってきたのが弥生人かな?と思っています。
スレの上のほうで銅鐸に関する議論が歩けど
銅鐸自体が長江起源
長江の謎の古代国家からは銅鐸がどんどん出てくるね。
599 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:20:43 ID:sGuJz11b0
裸国、黒歯国も気になるなあ。
>>543 太古の時代には、日本海が湖水で、北海道やアジア大陸まで地続きだった。
東北はアソベ族という種族が住む楽園だったが、大陸からツボケ族という種族が流入してきた。
アソベ族とツボケ族が共存しながらアラハバキ族として生活していた。
601 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:21:07 ID:eGa8uG3+O
仮に九州のどこかに卑弥呼が葬られているとしたら、どこだろう
畿内なら箸墓か、とは言われてるけど、年代が怪しいのね。
とりあえず掘ってみればいいのに。
昔は東南アジアに日本人町あったからそういう流れで日本人いるだけじゃないの
長江起源説がいまんとこ一番有力なのかな
604 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:22:09 ID:TXsFN+tn0
>>593 だーかーらー、半島と列島は陸続きだったのよ。最終氷河期が終わるころの
12000年前までは。
その意味で、縄文人まで溯ればアジア民皆兄弟なのよ。
605 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:22:44 ID:RDcManWJ0
福岡は距離だと東京より上海の方が近いからな
606 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:26:41 ID:IcycLPhK0
>>597 卑弥呼=天照大神の国から卑弥呼の弟=スサノオが何らかの原因で追放される。
スサノオが出雲に亡命?奪取?で定住。
娘婿の大国主命に出雲を継がせる。
しかし卑弥呼の直系である神武天皇は叔父であるスサノオの国出雲は直系である自分のものだという意識がある。
そして国譲りの神話が生まれた。
てな感じじゃないかな?
スサノオの行為は無軌道だった。
神々は千もの科料を課して遂に追放した。
このときスサノオは、その子のイソタケルをつれて新羅の国に降りていき、
ソシモリという所にいた。
そしてスサノオは『この地はおれの居たくない所』と言って埴土で船を作り、
これに乗って東に渡った。
そして出雲の国のヒの川のほとりにある鳥上の峯に着いた。
(日本書紀)
スサノオと息子は、新羅のソシモリから出雲にやってきたってことか
608 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:27:38 ID:ZT7ICSK60
魏志倭人伝の記述は話半分に読んだほうがいいよ
別に日本に来て書いたわけじゃないからね
岡田英弘によると日本が遠くの国に見えるためにわざと南方的に
書いたとのこと
609 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:28:01 ID:s34fPGWT0
個人的には先代旧辞本紀がもちっとまともな
評価をうけてもいいとおもうんだがなぁ
ニギハヤヒの子孫と称する物部氏は
卑弥呼と同じく鬼道をやってたそうだからなぁ
記紀のナガスネヒコを物部氏の先祖であるニギハヤヒが討ち
神武に国を禅譲したのを信じるなら
物部氏が何らかの意図で
九州天孫族を畿内連合体ヤマトの象徴として祭り上げたのかもな
後に天皇家と蘇我氏に討たれるのは
九州天孫系による畿内乗っ取りとも考えられる
そういや中臣氏は百済系という説があったな
記紀の編纂には不比等が大いに影響を与えていたなぁ
>>588 日本書紀は卑弥呼を神宮皇后に同定したがっているようですが、
息子の応神天皇は、三韓征伐の帰途に宇瀰で生まれたことになっていて、
河内王朝の始祖とか、邪馬台国東遷説の王(宇佐八幡の祭神)とか、
いう説があります。
611 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:29:45 ID:IcycLPhK0
>>604 氷河期って・・・。
それって原人や新人の時代じゃね?
現代人ですらない類人猿じゃんwww
明石原人の頭蓋骨は現代人より大きかったらしいね。
知能が高かったかどうかは不明だけど。
アジア人発祥の地はモンゴル高原。
だからってここまで性質変化したらもう兄弟とは言えないね。
612 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:31:09 ID:SA2jT5Cs0
>>1 いい原型師が見つかったらしいな。
あとはフィニッシャーの腕次第だ。
613 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:31:12 ID:eGa8uG3+O
タイムマシンが欲しいな
614 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:33:13 ID:+jLDl1sz0
>>611 モンゴル人と日本人は極めて近い言語ですよ。
東アジアで異質なのは漢族だけ。
モンゴル、朝鮮、日本、満州はほとんど同一言語に近い
というと語弊があるけど、文法や語法はほとんど同じです。
615 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:34:10 ID:IcycLPhK0
>>613 タイムマシンがあっても使わないよ。
あの時代は「変な奴が来た!」って問答無用で殺されそうだしwww
616 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:34:14 ID:sGuJz11b0
>>611 縄文時代って氷河期の終わり頃と重なってるでしょ。
617 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:35:14 ID:s34fPGWT0
記紀はあまり信用できない気がするのよね
結局、勝者となった藤原氏の影響下のもとで編纂されたわけだからね
大化の改新で中臣鎌足が蘇我入鹿を討ったからなぁ
蘇我氏にしろ物部氏にしろどこまで本当のことが書かれているのかとね
618 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:35:33 ID:ZstMLO9/0
関西人が捏造してまで畿内説を主張する。
619 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:36:07 ID:hqrwKtwM0
昔の馬ってポニーみたいに小さかった
て聞いたことあるな
620 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:36:33 ID:eGa8uG3+O
>>615 神と思われるかもよ。持っていく物や服装によるだろうけど
>>614 漢民族はある時期に中国へ侵入してきた蛮族だからな。
居座ってすでにあったシナ文明をのっとった。
622 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:38:22 ID:s34fPGWT0
>>619 北海道でやっている道産子競馬にでてくる足の太い駄馬だよ
騎馬武者の横を従卒がついていくことができるぐらいだから足はとろいよ
日本では伝統的に馬を去勢しなかった。
去勢してないと、オス馬を集めるとケンカを始めるし、
メスの匂いがすると興奮していななき敵に位置を教えてしまうため
戦国時代でもヨーロッパの騎兵のような集団運用ができなかった。
明治に来日したイギリス人は「日本の馬は馬の姿をした猛獣だ」
と書いている。
日露戦争開戦前の閲兵式で各国武官の前で落馬して恥をかいた者もいた。
戦争中もロシア軍がメス馬を放して日本軍の陣地を探り当てたこともある。
そもそも日本の馬は小さくて体力的にも劣るため、
長時間の激しい運動に耐えられなかった。
日露戦争で外国馬の優秀さを知った日本は、
終戦後の1906年に第一次馬政計画をたて、
北海道・東北・北関東・甲信越・九州・沖縄・淡路・対馬などを
馬産地として指定し、外国から改良種を輸入して
国家事業として軍馬生産に取り組んだ。
624 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:40:01 ID:z7oRYkKr0
ノリノリノリ
625 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:41:03 ID:eGa8uG3+O
松風を大量生産すれば良かったのに
626 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:41:29 ID:Z8TbVAZQ0
>>611 1万2000年前に氷河期が終わったとすると石器時代かな。
丁度、縄文時代(約1万3千年前から約1万年前)だね。
627 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:42:52 ID:XE3hgXMO0
天照大神は当初は男神だったんじゃないの
628 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:44:26 ID:eGa8uG3+O
日本独自の馬なら木曽馬とか宮崎の都井岬にいる馬とかかな
確かにあんま大きくないかも
ヒミカの一族全滅だ!
630 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:44:51 ID:+jLDl1sz0
>>627 推古女帝を連想するように書き換えたと。
孔明没後に司馬懿仲達が遼東の公孫氏を長躯遠征して制圧。
そこで公孫氏に朝貢していた国々は今度は司馬氏が実権を握りつつあった
魏へ朝貢先を変更。
その国のひとつが卑弥呼の邪馬台国。
三国を統一した晋王朝が編纂させた魏書に東夷伝倭人条として出てくるくだりが
日本では俗に「魏志倭人伝」と呼ばれる。
つまりあれだ、孔明がもっと粘って魏を困らせていたら邪馬台国は歴史の闇に
消えていた訳だ、てか文明レベル違い過ぎ!
632 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:46:53 ID:WztYXmxd0
>>614 文法や語法が同じってのは、主語・目的語・動詞の順とかそんなの?
はっきり言って、日本語や朝鮮語の様な語順ってのは、別にマイナーではないよ。
現代は西洋文明が世界の中心にあって、英語が共通語だから、主語・動詞・目的語の
語順がスタンダードで多数派だと思いがちだが、実際には、マイナー言語も含めると、
英語などの語順と日本語や朝鮮語の様な語順の言語の数ってのは、ほぼ半々に近い。
ハンガリーは中央アジアあたりにいたフン族が移動したとか言われてるけど(まあ、その後西洋と混血があったとは思うが)
ハンガリー語も日本語や朝鮮語と同じ語順で、名前の表記も「氏名」の順だ。
633 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:47:41 ID:s34fPGWT0
>>623 コピペにレスすんのもあれだが
まぁ中世ヨーロッパも集団戦ではなかったな
アレクサンダーの時代ならそうなのだろうがな
まぁここで例に出すなら
戦国時代でもヨーロッパの騎兵のような集団運用ができなかった。
ではなく
戦国時代でもモンゴルの騎兵のような集団運用ができなかった。
にするべきだね
ちなみに戦国時代の日本の軍事力は当時でトップクラス
一万の軍隊を運用できるのは日本ぐらいなものだった
長鑓隊と鉄砲隊で編成された軍は当時としては最強クラスだったろうね
634 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:49:01 ID:Z8TbVAZQ0
>>627 アマテラスの元々の起源とする説もある、対馬のアマテル神社の祭神は男神なのかな?
635 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:49:02 ID:iiJf/aWe0
ヘンな古墳を掘り返して、「日本人=朝鮮人」なんてなったら目もあてられん
>>631 ただあいつらは蛮族誇張激しいからなあ。
記紀も影響受けてるけどな。
637 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:49:54 ID:+jLDl1sz0
>>632 というか勉強して見ればわかるが、語順も、語尾変化の法則性も
全く同じ。
単語のみ入れ替えれば、日本語が、朝鮮語、モンゴル語、満州語になる。
梅棹忠夫先生も朝鮮語を学んで感動し、
司馬遼太郎さんもモンゴル語を学んであまりの簡単さに驚いたというエピソードあり。
ちなみにおれは韓国嫌いですので念のため。
638 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:51:32 ID:wyh7ProP0
>>618 いや関西人では無いが、
普通に考えて、畿内説じゃないかなw
30近い地域を従えて、女王に収まっていて、
体制維持している経済力を考えると、本州。
九州はちと、小さいとオモ。
639 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:52:22 ID:hqrwKtwM0
太陽信仰と考えると男神もありかな??
640 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:52:29 ID:eGa8uG3+O
長槍と盾オンリーのギリシャのファランクスが
小剣と盾のローマのレギオンに負けたのはなんでだろ
641 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:52:53 ID:WztYXmxd0
何で経済力を考えると本州という発想なんだ?
それは現代の近畿と九州の経済差でイメージしてるだけでは?・・・・・
>>627 ストリップをのぞこうと思うのは男のはずってやつか
>天照大神は、本来皇室の祖神ではない。
>天皇一族の祖神は、当初は、タカムスビカミでなかったかと言われている。
>古来、天皇家の最大の儀式は、新嘗祭や大嘗祭である。
>このときの祭主が、タカムスビカミである。
>そして、天照大神自身は、定常的な天皇家の祭儀には、全く登場しない。
>また、天皇継承や国難に際しても天皇家が伊勢神宮にお参りする事はなく、
>全く頼りにされていないのである。
>このようなことから、天皇家の祖神は、もともとは、タカムスビカミであった
>と考えられている。
643 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:53:23 ID:ZstMLO9/0
>>637 そんな言語はいくらでもあるんだが。
大事なのは基本語彙だろ。
これが日本語と朝鮮語、モンゴル語、満州語では全然違う。
関係はほとんどないよ。
>>638 根拠にならないね。
畿内説を主張する奴ってそういう妄想か
古墳を捏造する奴ばっか。
644 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:53:45 ID:vMg1J87x0
>>638 卑弥呼が死んでから「倭国大乱」だぜ?
強大な政権を想定するのはおかしい。
646 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:54:58 ID:s34fPGWT0
>>640 ファランクスの弱点は小回りがきかないこと
側面から攻めればもろい
また大きな平野でしか機能を発揮できない
大乱しちゃうけど女王立てたら治まっちゃうんでしょ
648 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:55:59 ID:+jLDl1sz0
>>643 それは古いってww
オジサン言語学者はそういうが、もはや古い。
最近は語順、語形変化の法則性が、言語分類の基本になる
という説が有力になってきているね。
まあ、嘘だと思ったら、満州語の勉強でもしてみれば?
あまりにも簡単でイスから転げ落ちると思う。
649 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:56:11 ID:Asp2yAunO
ニニギ=ユダヤから大陸を渡って日本にきた一族。
ニギハヤヒ=日本の源住民族の王。
ユダヤ民族と日本民族は神様直系の民族だと言われている。
ユダヤ民族は主に物質文明を担い、日本民族は主に精神文明を担う。
日本が経済的に発展したのは、ユダヤ民族=ニニギの血を受け継いでいる
歴代天皇や天皇陛下を国の中心に据えていたからだといえる。
ニギハヤヒから日本の統治権を譲ってもらったニニギだが
ニギハヤヒの霊的守護がないと日本を統治することができなかった。
神武天皇をはじめとする歴代天皇もニギハヤヒの霊的守護を受けるために
ニギハヤヒが天の神様から授かったと言われる鎮魂法を受けている。
ニギハヤヒがなぜニニギに国を譲ったかと言えば、
ニニギも自分と同じ神様直系の民族であると見抜き、
日本の将来のためにはニニギに国を譲り、自分は霊的な立場で陰から
日本を支えていくべきだと考えられたのだと思う。
650 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:57:55 ID:hqrwKtwM0
タカムスビカミは男っぽい。
>>472 古田がトンデモな理由を語ってもらおうか?
652 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:58:33 ID:OshMW97RO
従えてた数とか利便性を考えるとなんとなく畿内っぽい。
>>623 その流が、なぜかJRAと言う利権団体に育ってるのが、
日本の駄目なところ。
654 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:59:24 ID:s34fPGWT0
伊勢神宮は本来、アマテラスとは違う太陽神の男神を祭っていたとか
どこかの本で読んだな
太陽神が二柱いてそれが融合して伊勢の祭神がアマテラスになったとか
もう勝手に腐った商店街がヤマタイコク祭りとか称して
低学歴に好きに踊らせりゃいいんだよ
656 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 02:59:59 ID:eGa8uG3+O
>>646 それなら日本の長柄も同じでないかな。あれも隊列をそろえて
突っ込むし
日本は剣と盾、という組み合わせが何故か発展しなかったから
大きな戦で長柄が活躍できたんでは、なんて思ったりする。
657 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:00:18 ID:RDcManWJ0
>>633 日本は明に負けてるから最強じゃないでしょ
みんな目をつぶって、自分の遺伝子に聞いてみたらいいじゃないか
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
あーニンゲンって戦いの歴史だねホント
中国では三国時代が終わりを告げようとしていた頃、
公孫氏ごときに朝貢していた邪馬台国。
しかも文字すらなく、中国側の記録しか資料が残っていない悲惨さ。
660 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:01:53 ID:Z8TbVAZQ0
ふーむ…文化・顔のつくり・文法や語形変化の類似を考えると、中国南部から“日本湖”の周り一帯を中心に居住していた海人族と稲作に転向した人々ってとこかな
661 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:02:12 ID:ZstMLO9/0
>>648 話にならんな。
満州語も知らんくせに。
最近まで遺跡の発掘で畿内説が圧倒的に有利だったけど、
つい最近九州で金印とともに埋葬された高齢の女性の遺骨が発見されたとかニュースなかった?
ただ畿内にも強い勢力がいたんじゃない?
後漢や魏、晋と関係を持っていたのが九州方面の国々ってだけで。
663 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:03:43 ID:WztYXmxd0
>>659 あんまり記録が残ってない朝鮮に比べたらマシじゃないか?
まあ、秀吉が全部焼いてしまったのかもしれないけど。ww
664 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:04:07 ID:z7oRYkKr0
アレノリや ツクシのムマは
すこやかに ゆるくなるゝも
トシなかば はせいづかけも
ナカなれや またコシクニは
たくましく シシなかなれに
いそぐゆえ ミヨツキなれて
イヅカケも なれといそくは
アヤシあリ ミナミのムマは
ちいさくて トシなれはやく
ネがうすく イサヲシならす
しかしまた つよきよはきも
タネにより ケイロにわかつ
ヨシアシも ソタチによりて
シナかわる よくのりなれて
これをしる ムマもちゆるは
イナムシか ヒミツのなせる
ワサワヒも ハヤノリなして
のぞくなり もしノリをかす
モノあらは テにはツルギを
もつゆえに クツワのツナは
アカルタエ キヌはもちひず
チチミヌノ ちゝめるユフて
ヤタふたつ そのミヅツキを
ワにゆひて テツキをコシに
はさみをふ このフタスヂを
ミキひだり …
665 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:05:00 ID:Ue37ho6g0
音韻体系悦楽編
666 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:05:41 ID:95UCLkBz0
667 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:05:41 ID:RDcManWJ0
崇神天皇がアマテラスの神威を恐れて
それまで寝床に祀っていたアマテラスをどこかにやってくれみたいな感じで放り出して
それからアマテラスが何年も各地を放浪
最終的に伊勢に落ち着くみたいな事やってるから
この辺何かある
668 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:05:56 ID:wyh7ProP0
>>641 >それは現代の近畿と九州の経済差でイメージしてるだけでは?
まあ妄想だが、
古代もカネ(飯)は数、数は力って考えてみたw
当時小国が乱立していた列島で、邪馬台国が最大勢力かはシランが、
30近い周辺地域従えて、人数揃えて、戦に勝っていたんだろう。
まあ、九州統一した島津氏より、畿内抑えて、天下を獲った秀吉、そんなイメージかな。
単純な本州と、九州の養える人間の数の論理。 妄想かなw Orz
>>663 だよな。
それもいえてるよな。
糞が。
こういうのって何年調べても決定打が出ないね・・・。
珍説ばっかりゾロゾロ出てくる。
671 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:06:14 ID:eGa8uG3+O
三国志の頃、朝鮮は北は帯方郡で中国の支配下、南は倭と接してたわけで
いつまで支那畜の怪しい文献を金科玉条としてるつもりなんだ?
「邪馬台国はうちの地方だ!」とか必死にほざいてるクズどもは余程名物に
恵まれない過疎地の連中なんだろうな。なんせ【邪】扱いされて本気で
誘致してんだもんな。過疎は人の精神をここまで腐らせるのか…
箸墓古墳に卑弥呼いるのにね
674 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:06:54 ID:z/bjtL760
そもそも九州説って九大の御大しか唱えてないって
ばっちゃが行ってた。
おれは九大卒だけど。
675 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:07:46 ID:+jLDl1sz0
>>661 何を言ってるの?
勉強したから言ってるんだよ。
日本語をそっくり置き換えていけば満州語になる。
まず勉強して見よう。モンゴル語も同じ。
676 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:07:47 ID:RnCx8c7H0
要するに日本人は縄文人を中国朝鮮の植民者が征服して出来た国なんですね
677 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:07:58 ID:ypF0zE000
倭が日本になったのって吐く好きの絵の後、塔の成立後だよね
678 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:08:19 ID:s34fPGWT0
>>656 鉄砲隊の射撃で戦列が混乱したところに
長鑓隊を投入するのが織田軍の戦法だった。
>日本は剣と盾、という組み合わせが何故か発展しなかったから
鉄砲が伝播するまで集団戦はあまりなくて個人戦だったし
白兵戦になるのは首級をとるぐらいのときで
殆どが矢をいってつぶてを投げて逃げていくって感じだったからね
本来騎馬武者は大鎧を着て馬上から弓を射るのが戦法だからね
679 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:09:25 ID:pfMQnJLNO
で、日本人に遺伝子的に1番近い民族はなんなの?
俺はなんだかんだ言って朝鮮だと思うよ
680 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:10:10 ID:BUR0sEWQ0
>>679 残念でした。朝鮮とは別と確定してます。
681 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:10:28 ID:4E0MPpN50
682 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:10:32 ID:eSY9HvROO
しかしおまいらよく知ってるなぁ
頭よすぎまじで
俺なんか邪馬台国なんて言ったら
邪馬台目指す〜遥か〜遠方一万里〜♪
っつー歌しか知らん
683 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:10:37 ID:xUiMR/JKO
論ずるな! 邪馬台国があった時代に生きてたヤツは誰もいないんだから無駄な論議 過去は誰にもわからんよ
685 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:11:03 ID:WztYXmxd0
結局、何だかんだで、朝鮮半島ってのは「日本の失地」と考えて良いんですか?
元々同じか似た民族だったんでしょ? やがて、半島に北方民族が流入し、混血して別民族になったけど。
日本語の起源はムー語だよ
687 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:11:46 ID:s34fPGWT0
>>684 浪漫を語っているだけだ
楽しみを奪う権利はお前にはない
688 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:11:47 ID:RDcManWJ0
九州説の考えは魏志倭人伝に出てくる倭というのは九州限定のことで本州は倭とは別の国で
魏志倭人伝とは関係ないし邪馬台国が支配していた訳でもないというものだから
呉の孫権は何とか魏に対抗すべくあっちこっちの地方勢力との接触を図っていた。
で日本に対しても危険を冒して調査隊送るも大失敗でそこらの島民誘拐するだけで終了。
一方魏の仲達が朝鮮を制圧すると邪馬台国のほうから朝貢申し込み。
孫権哀れ。
690 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:12:33 ID:+jLDl1sz0
>>679 極東ロシアの、ツングースでしょう。
ブリヤートとかウデヘとかそのへん。
それに朝鮮・中国を少し混ぜると日本人に。
アイヌは遺伝子的にはちょっと異なり、
おそらく極東ロシアから流入してきたちょっとだけ別の系統。
ヤマト国のことを嫌な字で書いたのが邪馬台国だとおもうですよやっぱ。
692 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:13:35 ID:/4DsWz3m0
>>676 国号日本は7世紀後半〜8世紀じゃないの
ソース 大宝令 遣唐使
でも、「日本」は火の元かもよ
693 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:13:41 ID:kqwugnkY0
げえっ!
昔のことなんてどうせ分からないんだから
適当に今の時代に都合のいいように捏造しておけばいいよ。
695 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:15:35 ID:z7oRYkKr0
696 :
692:2006/08/24(木) 03:15:39 ID:/4DsWz3m0
697 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:15:44 ID:xUiMR/JKO
>>670 だから盛り上がってるんじゃんか。
確定したら、こんなニュース、古代史オタが
数個レスつけてdat落ちだ
699 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:16:52 ID:pfMQnJLNO
>>690 へぇー、詳しいんだな
って事はあらゆる民族の混血なのか
日本人は北方アジア系の血がかなり強いのかな?
朝鮮はもっと強そうだけど
700 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:18:29 ID:4E0MPpN50
701 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:18:50 ID:eGa8uG3+O
>>678 なんか日本の戦しょぼいね。効率的かもだけど。
大鎧に弓矢、か。鎮西八郎的な戦い方だね。鉄砲が来るまではそんな感じかぁ
確かに、統制のとれた集団戦ってあんまないね。後期は除いて。
それでもカンネーみたいなのは無いもんなあ。
なんにせよ鉄砲様様かぁ。スレ違いだけどサンクスコ
702 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:19:05 ID:95UCLkBz0
>>691 「ヤマタイ≒ヤマトだから畿内だろう」と
単純な思考回路しかなかった小4の夏
でも、未だ畿内説に確信を抱いている。
>>667 祖先の神からいやがられるというのは
どう考えても子孫とは思えないね。
崇神天皇は「ミマキイリヒコは命を狙われてるのも知らないで」と
いう童女の歌を聞いても意味がわからなかったとある。
これは日本語がわからなかったということではないかという説
704 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:20:12 ID:+jLDl1sz0
>>699 遺伝子解析の最新情報だと
意外にも北方系でした。
バイカル湖に日本人の祖先が!なんてTVでやってましたね
昔は南方説が強かったがこれはもともとトンデモで
まだ遺伝子解析が無かった頃に
エロイ先生が「スンダ歯列」とか言い出して無理やり南方系に。
もっとも語彙的にオーストロネシア語彙がけっこうあるらしいので
南方の血も混じってます。
705 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:21:11 ID:gEaFWpps0
>>691 同意。
明らかに中華側から
見下された当て字だと思う。
ヤマト=邪馬台でしょう。
>>702 その大和が、「我々の祖先は神武天皇のときに
九州から東征してきたんです」と言ってるのを知ったのはいつ
>>670 最近、マスコミ各局が小泉首相は色んな意味で運が強くて、
森首相が同じ事やったらメディアに叩かれまくってたのに、
小泉首相だと何故か叩かれないとか、平気で言ってるんだけど、
電通の思惑を十二分に知ってる施行が、メディアを押さえてて、
押さえられてると言うか、地デジとか新興勢力による買収を避けたい
マスメディアが、一生懸命現政権にすりよってたから、メディアが
叩かなっただけの話。
なんて言う事実だけは、言わない、言え無い事にして、議論しても結論が出る分けない。
ようは、天皇陵を調査すれば決定出来るって事。
709 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:22:36 ID:RnCx8c7H0
要するに天皇が元々日本に居たって言いたいのね?w
710 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:23:10 ID:ZiZKFnPN0
近畿が九州にあった政権の出先機関だったものが、
クーデター起こしたという可能性もなきにしもあらずだな
711 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:26:22 ID:s34fPGWT0
>>701 蛇足
戦国時代の死傷者は
鉄砲、矢、槍の順だったはず
刀が石つぶてよりちょい多いぐらい
でも一番怖いのは落武者狩りな
侍が誕生する前の古代のアテルイとの戦は違ったかも
712 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:28:08 ID:BYhcWEVm0
713 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:28:31 ID:L3kMsY3X0
古代史なんて、遺物から大体の流れは確定してる。
まず、中国で言うところの春秋戦国時代。
だいたいBC7〜3ぐらいの時期に、朝鮮半島から
大量の移住者が西日本一帯にやってきたわけ。
そんで、2世紀頃まで、ものすごい殺し合いを
したわけ。これを俗に倭国大乱ていうけどね。
そんで結局、邪馬台国(=ヤマト王朝)が頂点に立つ
形で地域統合されていった。
そんででかい古墳を作ったりするくらい勢力がでかく
なったし、風習や物語などが統合されて神話やら
神道の形が固まっていった。
で、朝鮮半島を度々圧迫したり、朝鮮半島にいた
シナ人やら土着人がやってきたりしつつ、中国文化を
吸収してはい出来上がり。
714 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:28:35 ID:Io86zDBu0
>>643 九州説を主張する奴って「おらが町こそ昔は国の中心だった!」と思いたい妄想族の集団
一度も国の中心になったことのない地方の人間の儚い願望。
715 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:28:39 ID:+jLDl1sz0
>>703 崇神王朝が、大和政権と縁もゆかりも無い可能性はかなりある。
むしろ神武によって滅ぼされた先住民族だったのでは?
そう考えると銅鐸=異民族=崇神王朝=三輪王朝、という図式になるのでは?
>701
日本の戦は昔から遠距離戦。飛び道具ばんばん。
狩俣の鏃は相手の首飛ばすために使ってたってんだからもぉw
ついでにいうと、日本の刀術は刀で刀をさばく盾を使用しない方向に進化したので。
717 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:29:18 ID:95UCLkBz0
718 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:31:20 ID:WztYXmxd0
>>712 韓国と日本も似てると言えば似てるけど、韓国の方が赤いやつがちょっと割合が高いね。
全体的に。
719 :
和製ワッケーロ:2006/08/24(木) 03:31:31 ID:2rBXdlII0
最近の遺伝子調査では北九州の古墳の骨から鑑定した遺伝子と中国の黄河流域の古墳の骨の遺伝子がかなり近いことが判った。唯一の違う地域は松浦半島でここは朝鮮半島の古墳から出た骨に近い。
720 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:31:55 ID:4E0MPpN50
721 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:33:09 ID:+jLDl1sz0
>>719 弥生人骨で西日本でやれば近くて当たり前で、
渡来人だった可能性がかなーりあるね。
722 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:33:14 ID:Vel+GO1S0
縄文人って蝦夷人でしょ
724 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:34:34 ID:95UCLkBz0
祟と崇は別字
725 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:34:39 ID:eGa8uG3+O
>>711 落ち武者は身ぐるみ剥がれるもんね。光秀も土民にやられたし
アテルイん時もやっぱ矢戦だったんじゃないかな
ただ、弓はまだ藤弓じゃない単純な弓だったと思うから
威力ないかもだけど。
>>716 西洋の剣って、重そうで切るというより
打撃系の武器っぽい。
振り回すのも遅いだろうから盾も有効だろうが、
フェンシングみたいな、三銃士とかの剣だと
盾は使わないよね。
こういう速くさばける剣相手だと盾を持ってるのは
むしろ邪魔なだけじゃないかな。
日本刀も同様
727 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:36:14 ID:4E0MPpN50
728 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:37:09 ID:wyh7ProP0
>>712 見事なほどに、北方DNAだね、日本人は…
バイカル湖辺りが、ルーツか。
>726
んーと、確か日本の刃物の刃付けが良いのは火山が多くて「砥石が良い」かららしいぞ。
良い砥石で鋭い刃付けが出来るので刀を軽く出来た→盾邪魔→しのぎで弾く
ということらしい。
730 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:39:07 ID:4E0MPpN50
>>728 逆の可能性は?
縄文式土器が世界で発掘されたものの中で一番古いらしいけど
>>725 その前に、落ち武者狩りが有ったと言う事考察してみるべき。
ようは、日本の民衆層は、支配層と完全に分離してて、2重構造に
有ったと言う証じゃん。
邪馬台国に色んな説ノベル人居るけど、日本の政権は常に、民衆と分離してた
って事は、極めて重要なんだと思うんだよね。
732 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:41:32 ID:+jLDl1sz0
>>728 そもそも南方(台湾とか)から来るのが困難。
昔柳田国男が南方の道といい、折口信夫も沖縄説だったようだが、
縄文や弥生の技術で、台湾から鹿児島はどうがんばっても不可能に
近いでしょう。江戸時代でも困難だった(流れ着くのは十分ありうる)
南方と言っても、実際は中国南部から東シナ海・朝鮮南部・九州という
ルートだったはず。これは事実上中国南部説だ。
だから南方説はトンデモだと思っています。
南方説信者はいまでは殆どいないはず。
733 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:42:44 ID:eGa8uG3+O
>>726 古代ローマ兵はグラディウスつう短い剣だから、中世のいわゆるソードとは違う
主に突いて使う剣。盾と組み合わせた集団戦には向いてる。
日本の場合は、集団戦では無いがゆえに、刀のみで個人的な
技量を上げる方に進化したんかな。
後は遠距離戦がやっぱ主流で、刀は副次的な物だったから
余計にその要素が強まったのかも。
734 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:44:12 ID:f+04a0Pl0
>>690 中国人、韓国人から4分の1ずつ
残りはその他から、ということらしいですね。
735 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:44:47 ID:nei/wVFd0
良く「文系は氏ね」みたいな電波が出てくるが、考古学に関して言えば
いい加減、文系から理系が取り上げる時期かも知れんと思う。
特に弥生〜古墳時代に関しては。
わけわかめなお国自慢思想と村興し気分と学閥で成り立っている現状。
未だに出土品への統一された分類体系も命名規則も無い。
それどころか発表する学者によって、出土品の分布も数も違うという罠w
勿論、統一されたデータベースも未だ存在せず、それぞれの学者が自分の信じたい
資料に依存して研究している状態。そんな事にマスコミを巻き込む馬鹿も非常に多い。
怖いのは、そんなお国自慢的思想で握りつぶされた資料や出土品が、もしかして
いっぱいあるんじゃないのかな・・・?って事。正直連中ならやりかねない。
科学的手法すら悪用して(Spring-8の件)マスコミ煽って騒ぐし・・・
(何故かこういうネタに乗るのは毎日&朝日w 読売は一歩後、産経は反応無しw)
正直、この分野に関しては「文系氏ね」と思う。
736 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:45:06 ID:+jLDl1sz0
>>730 縄文式土器も確かに古い、世界最古級だが
それ以上にシベリア南部の土器のほうが古い。
したがって、シベリア南部の新モンゴロイド(ツングース?)が
樺太経由で、日本に来たと考えるのが自然。
シベリアの土器と縄文土器もよく似ています。
737 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:45:41 ID:4E0MPpN50
>>732 日本から南方へ
日本から北方へという考え方は?
738 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:46:26 ID:f+04a0Pl0
739 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:46:39 ID:jWFk/NcP0
>>732 氷河期の南西諸島はほとんど陸続きだった件
スンダランドうんぬんはどうか知らないけど南方ルートは
あってもおかしくないと思うけど
あと黒潮にのれば船で楽にこられるでは
740 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:47:38 ID:s34fPGWT0
アテルイ軍は弩を使用していたらしい
かなり破壊力があっててこずったそうだ
西洋の長剣は斬るのではなくぶった切る、ぶったたく感じ
サーベルが普及したのはライフルが誕生して
鎧が意味をなさなくなり生身になったから
日本刀でも長巻や野太刀、大太刀はぶった切る感じ
江戸期に入り太刀から日本刀にかわってからは突くのが効果的だった
日本刀は斬るより突く方が効果的
それは斬るには技術がいるという理由でもある
しかし日本人は首狩り民族だよなぁ
意外と凶暴なんだよなぁ
北方DNAの影響かしらw
滅ぼす、滅ぼしたなんて戦乱のあと何処にも無いんだけどな
742 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:48:42 ID:f/+7Ce4E0
縄文は列島先住民族の文化、アイヌ文化の源だよ。
弥生あたりで渡来人文化が始まる。
歴史教科書で言うところの「大陸から伝わった」とは、
技術を持った渡来人が定住したと理解すべきだ。
稲が海を越えてやってきたかのような記述はまやかしで、
米を食う人々が大量に移り住んだというのが正しい表現だ。
743 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:49:05 ID:AhEta5VB0
神獣鏡は中国では一枚も発見されていないことから、国産との説が有力だったが。
成分を調査した結果、中国で作られたものである可能性が高くなったはずだ。
昔、聞きかじっただけのものだから、間違っていたら申し訳ないが
ともかくそんなわけで神獣鏡こそ、魏から卑弥呼が下賜されたものである可能性が高くなっている
744 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:49:21 ID:ZiZKFnPN0
ルーツつうより、アジアの究極の地域にたどり着いた人々が寄り合った場所
なんだろうね、日本は
河童伝説のルーツといわれる熊本県八代市。
そこに河童上陸の石碑がある。
それによると「仁徳天皇時代に中国から九千匹の河童が
長江を下り、黄海を経て八代に上陸した」とある。
>>731 落ち武者狩りは褒美が出る。切り離されていたらそんな事しないでしょ
後、農民が志願して一緒に籠城した話とか、改易された大名に対し
農民たちが泣いて、殿様、私たちがお守りするからどこにも行かないで!
て言った話もあるし、一概には言えないと思うにょ
スレ違いスミマセン。消えます・・・。
748 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:52:59 ID:AhEta5VB0
>>740 日本刀は、基本的に馬上から払ったりするために発達したものであり、斬ることを主体とした武器だ
合戦での主力武器は弓や槍であり、日本刀は敵が接近した時に払うものであり
相手の首を斬る時に用いるものであり、自決の際に用いるものであった
平時では常時、もっている日本刀は武士のシンボル的な存在であると同時に護身用だった
だから戦いの際も合戦の時のように鎧衣を纏った相手を想定しているわけではなく
衣服かせいぜい鎖帷子の相手との戦いが想定されたものだ。
749 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:53:01 ID:s34fPGWT0
>>744 豊かな土地を求めてやってくる
戦乱を逃れたいものがやってくる
自分の技量を役立てたいものがやってくる
だがそこには海をわたる勇気が必要だった
750 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:53:15 ID:4E0MPpN50
751 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:53:27 ID:+jLDl1sz0
卑弥呼死んだ後揉めてた時に狗奴によく滅ばされなかったな
>>739 氷河期は時期が古すぎると思う。
一万年前からの縄文海進と、6000年前の喜界カルデラ
海進の停止、海岸線の後退で考えてみるべきかと。
特に大切なのは、たった、6000年から5000年前は、
関東平野も、大阪平野も、人の住める場所じゃ無かったって事。
754 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:54:42 ID:nei/wVFd0
>>743 それこそ
>>735 で書いてる(Spring-8の件)なんだけどなw
当時の日本にはこれといった銅鉱山はまだ無い。
当時の銅製品を分析すれば、殆どが中国か朝鮮の原料で作られてるんだからw
ちなみに神獣鏡はあきらかに中国から貰った数より多く出土してるし、年代も微妙に新しい。
755 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:55:34 ID:s34fPGWT0
756 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:55:36 ID:AhEta5VB0
>>745 >>747 河童は川や池の妖精であろう。
姿形はともかく、悪戯好きとかの特徴は欧州の妖精とも一致している。
川や池への自然信仰の一つの形であり、実際、河童を水神として祭った社も存在したはずだ。
>>749 海渡ると結構食えるじゃんここってことでのほーんと島国の人になっちゃう
758 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:56:49 ID:v/P2T6bG0
今は朝鮮半島が日本とは別の国だからみんな先入観があるんだが
古代の北九州や出雲などにとっては
朝鮮半島までの距離は水路とは言え畿内よりもずっと近いわけで
2〜6世紀は
九州圏などと同じような文化を持った部族が朝鮮半島にもいて
「倭」の勢力圏となっていた(百済、任那)と考えたほうが自然だわな
759 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:56:54 ID:4E0MPpN50
760 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:57:42 ID:+jLDl1sz0
>>750 縄文土器よりシベリア南部のほうが古いよ。
またシベリアの石器が、
縄文の石器に引き継がれてもいる。
761 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:58:15 ID:jWFk/NcP0
>>751 いえそういう時期もあったんずかこれが
>>753 喜界カルデラの大噴火だされてしまうとなー
確かにあそこで全滅していた可能性は高い……
まあそうなると源流はやはり北方からの古モンゴロイドと
弥生くらいになってからの半島ルートとかなのかなあ
762 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 03:58:31 ID:zTf/UfJ80
>>745 九千匹の河童…かなり恐いなそれ。
河童は何が元だったんだろ?
>>756 という伝説がもともとあって、
そこへ呉人が渡ってきて川岸とかに住みつき
見た目とかも奇妙で「ああ、あれが昔から言われる河童か」となったというのはどうかな
764 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:00:24 ID:wyh7ProP0
>>745 泳ぎの上手い人が9千匹…w
やっぱ、中国からも相当来てるか。
765 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:01:04 ID:4E0MPpN50
>>760 ソースある?
縄文式土器が世界最古というのは、いろんな学者が言ってるよ
766 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:01:38 ID:xyC74lDA0
魏志倭人伝の読み方は、九州説の、ある一定の場所からの距離を言っていると
解釈する方が正しいと思う。畿内説の、南を東と間違って書いてあるという
解釈ではそもそも書かれている内容全体に信憑性がなくなってしまう。あと
至と到というのも分かるし。そうすると筑紫平野のどこかに邪馬台国はあった
ことになるが、7万戸の遺跡と卑弥呼のデカイ墓というのが果たしてあるのだ
ろうか。あと邪馬台の一部か全部が東に支配地域を広げて、畿内に移住して
大和の元になったんだと思う。
767 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:01:58 ID:s34fPGWT0
河童は相撲も上手いからモンゴル系かもしれんぞw
まぁ昔の相撲は今と違い総合格闘技みたいなものだったらしいが
>>764 中国とはいっても長江だから。
このスレでもたびたび出てる長江文明系の人ではないかな
769 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:02:44 ID:jWFk/NcP0
>>764 呉越とかの江南からは確実にきてるでしょ
あとは秦成立あたりの斉とかの難民が半島経由できてそう
770 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:03:16 ID:f+04a0Pl0
771 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:03:40 ID:+jLDl1sz0
>>765 それはぐぐってみてw
シベリアで確立した生活手法が、そのまま日本に移動してきたのが
縄文の最初期のはず。南方説信者はそこを認めないのだが。
772 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:03:48 ID:4E0MPpN50
773 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:04:24 ID:wyh7ProP0
774 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:04:40 ID:rPe1Fsj9O
昔、縄文式土器と弥生式土器を勉強するとき、先生が、「弥生式土器の素晴らしさ。縄文式土器と比べて進化してること」を絶賛してた。
いわく、高温で焼いても壊れないとかなんとか。
でも、見た目は縄文式土器のほうが高級ぽいけどなぁと思ってたっけ。なにしろ模様がバラエティに富んでるし。
775 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:05:38 ID:AhEta5VB0
>>760 世界最古の土器は日本で発見されたものだったはずだ。
日本の土器だけ際立って古く、測定方法に間違いがあるのではと言われていた時代もあったくらいだ。
この二十年ほどの間に世界各地で、日本の土器に負けない古い土器が発見され
間違いとの説は引っ込んだけどね。
それともここ数年でもっと古い土器が発見されたかな?
>>766 東と南を間違って書いたところからヤマタイコクの領土じゃないとかなw
まあl何処にあるかと畿内大和政権へのつながりは別問題だな
出雲・北陸あたりの勢力とどうなったかも大事だし東海あたりにも
何かいたかもしれないのでその辺を無視もできんし。
777 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:06:56 ID:4E0MPpN50
>>771 ぐぐるも何も、考古学、美術史など今のところ縄文土器が世界最古というのは定説()
778 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:07:22 ID:M2drErML0
<丶`∀´> ニダー
779 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:07:43 ID:AhEta5VB0
>>763 まあ、このような民話にはっきりした起源を求める方が無理があるけど
カワウソなどの水棲哺乳類、あるいは古代に存在したであろう川などで魚を採って暮らす異民族
そんなところが、河童のモデルかも知れないな
780 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:07:56 ID:CuaPBA6kO
やまたいこく→やまとのくに→大和でFA?
どうでもいいがマンガ日本の歴史フグを食べて全滅しちゃった家族の話は泣けるな
782 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:08:13 ID:s34fPGWT0
>>774 縄文式は生命の躍動感があっていい
弥生式は機能美があっていい
日本文化にはこのふたつの美が内包されてるんだよな
>>770 河童はサンガや山人とは関連あるんだろうか?
>>774 成金はごてごて飾り立てたゴージャスを好むが
極めるとシンプルにいきつくのかもしれんが。
別にそれが弥生式というわけではないよ
784 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:09:24 ID:+jLDl1sz0
>>775 土器を使用するライフスタイルが日本で生まれたと言うのは
どう考えてもありえないでしょう。
シベリアの狩猟文化の中で生まれた石器・土器をたずさえて
日本にやってきたモンゴロイドが最初期の縄文人。
それを転用して堅果の煮炊きに使ったのは縄文人の発明でしょう。
785 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:10:15 ID:L3kMsY3X0
そこで東遷説ですよ
縄文ってなげーよな
教科書の教え方だとページ数のせいで弥生と同じぐらいにしか思えないが
787 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:11:09 ID:iokeR1ap0
やっぱ九州だと思うな。
それが自然だ。
788 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:11:29 ID:RDcManWJ0
まあ最古の土器を作ったのは縄文人なので
弥生人のお前らには関係ない
散々迫害してきたくせに
789 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:12:21 ID:nei/wVFd0
この時代、実戦に必要だった鉄器は、特に福岡と熊本で出土している。
ちなみに畿内からの出土は少ない。
福岡の何処か=邪馬台国で、熊本=狗奴国=熊襲・狗古智卑狗=菊池氏
と考えると、実にスムーズに説明が付くと思うんだけどなw
ちなみに絹も北部九州では出土するが、畿内では少ない。
鉄も絹も邪馬台国の産品らしいんだが・・・
790 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:12:26 ID:eGa8uG3+O
>>781 弥生時代、巫女さんがてるてるぼうず、てるぼうず
って祈って雨を降らすやつ?
791 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:13:12 ID:AhEta5VB0
>>784 別に土器が日本で生まれたものとは断言するほどの知識はないけどね。
ただ、現在までに一万六千年以上前の土器が発見されたのは日本だけだったはずだ
シベリアの土器も一万年ほど昔だ。
確かにシベリアから日本列島に渡ってきたグループも存在するし、その際に土器を持ち込んだ可能性は否定しないけど。
問題としているのはその点ではないだろ
792 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:13:44 ID:s34fPGWT0
最古の土器というが現存する最古の土器だからなぁ
アフリカからもっと古いの出てきそうな気がするが・・・
グルメな俺等のご先祖様だからあながち最古かもしれんな
793 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:14:52 ID:L3kMsY3X0
>>789 だから東遷説だと言ってるじゃん。
そうすれば、カラクニから筑紫にやってきたという
天皇家の神話も説明つくでしょ。
794 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:15:53 ID:rPe1Fsj9O
>>784 > 土器を使用するライフスタイルが日本で生まれたと言うのは
> どう考えてもありえないでしょう。
それはどこでも生まれる可能性があると思うよ。
一番古いかどうかは分からないけど。
私も縄文式土器が発見されたなかでは世界最古って聞いてたから、不思議。
シベリアで発見された土器に古いのがあったの?
795 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:16:50 ID:Vel+GO1S0
何処の神話だよ
796 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:17:56 ID:+jLDl1sz0
>>791 1万6千はいくらなんでもありえないでしょう。
せいぜい1万2千のはず。
シベリア極東地域では8000〜1万1千ぐらいだったかな?
極東と北海道の関係は、当然ながら極東が先進地域だから
(これは細石刃石器の分布から)、極東の土器が北海道に
わたり本州に渡ったと考えるのが自然では。
この考え方は南方説を邪魔するので、けっこう否定されてきた
のですが(細石刃は関係ない!などという無茶な否定)、
遺伝子解析で、バイカル湖との関係が言われる現在では
むしろ当然なのでは。
797 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:18:22 ID:4E0MPpN50
土器は煮炊き用でしょ?ライフスタイルそのものだと思うんだけど
798 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:18:57 ID:8D7fmW6n0
さいたまに決まってんだろ
>>793 カラは、韓でもあり、唐でもある。
要するに外国って意味で使われてたともきいたけど
800 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:20:18 ID:nei/wVFd0
>>793 いや、東遷説に賛成。
それが一番スムーズに説明が付くんだよね。
801 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:20:53 ID:rPe1Fsj9O
>>796 > 1万6千はいくらなんでもありえないでしょう。
> せいぜい1万2千のはず。
> シベリア極東地域では8000〜1万1千ぐらいだったかな?
ん??
1万6千だとしても1万2千だとしても、シベリア発見の土器が8000〜1万1千のものなら、やっぱり縄文式土器が一番古いってことにならない?
802 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:21:15 ID:s34fPGWT0
大宰府は平城京ができる前は大きな都市だったんだよなぁ
803 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:21:33 ID:FEiBV2Ex0
一番有力なのは邪馬台国ハワイ説じゃなかったっけ?
とは言えものすごい殺し合いをした場所は考古学では
何処にも発見されて無いけどな。どこで戦ったとかも含めてw
数年後に朝鮮半島で世界最古の土器が発掘されます
807 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:23:48 ID:+jLDl1sz0
>>801 土器の年代測定で誤差は当然あるわけで、最古級でひとくくりで
いいのでは? また極東地域は、発掘が始まったばかりです。
>>805 そんなことないよ。当時の人骨には戦乱の後が
残ってるし。
809 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:24:30 ID:f+04a0Pl0
810 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:25:15 ID:s34fPGWT0
邪馬台国は瓜生島にあったのかもしれんw
811 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:25:16 ID:rPe1Fsj9O
>>799 倭人も似たようなもんだよね。
「東の野蛮人」みたいな意味で使われてたという話。時代によって違ってたともいうし。
812 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:25:44 ID:4E0MPpN50
813 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:25:59 ID:wyh7ProP0
>>792 何気にDNAレベルで、シベリア、バイカル湖辺りの人々が、日本人のルーツと知って、
マンモス狩って食べていた人々は、日本人のご先祖さん達だと理解したw
814 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:26:15 ID:nei/wVFd0
>>805 普通に疫病じゃないの?
その時代、特に遺骨が結核症状に犯されている例は少なくないと聞いたが。
あとは小競り合いと緩やかな混血じゃないかな?
815 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:26:26 ID:+jLDl1sz0
>>809 よくわからないが地層の関係で、古い年代がでてしまう欠陥があるのでは?
816 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:28:06 ID:f+04a0Pl0
>>815 年代測定は炭素で測るんじゃないの?
まあニワカに出てくるものは怪しいけど
818 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:28:40 ID:s34fPGWT0
>>813 マンモはおいしいらいしからな
マンモ狩りはチームプレーだから何気に日本人の特質を含んでるよな
それが農耕でよりいっそう磨きがかかるんだろうがな
惜しむらくはマンモの養殖、飼育ができなかったことw
819 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:29:28 ID:rPe1Fsj9O
>>807 > 土器の年代測定で誤差は当然あるわけで、最古級でひとくくりで
> いいのでは? また極東地域は、発掘が始まったばかりです。
うーん
別にそれならそれでいいんだけど、
>>760で「シベリアのほうが古い」と断言してたもんで、はっきりしたソースかなんかがあるのかなーと思って聞いてただけ。
820 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:29:32 ID:wyh7ProP0
>>809 出土年代は、日本のゴッドハンドな人がやって、7万年前ってのがあった。
余り信用にならんとオモ。中国にも、ゴッドハンドな人がいるから。
あのー、素人からの素朴な疑問なんですが、
九州説が正しいとして、どうして「邪馬台」に似た地名が九州にないんでしょうか?
(それともあるのですか?)
822 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:31:59 ID:s34fPGWT0
823 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:32:02 ID:nei/wVFd0
>>821 ありますよw
山門郡とか、菊池市の山門とか・・・
824 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:33:02 ID:4E0MPpN50
825 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:33:30 ID:rPe1Fsj9O
826 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:34:11 ID:0DEMyN8V0
そんな国どこにあったっていいじゃねえかよ。
九州説に拘ってるのは朝鮮人だけだろ、どうせ。
828 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:36:39 ID:nei/wVFd0
>>826 それ、むしろ逆なんだと思う・・・
それぞれの説の支持団体を良く見てみる事だ。
829 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:37:31 ID:BdTLOaig0
唐書にある、倭と日本の二つの国が一つになって
日本になったと言うのは何で日本では切り捨てられてるの?
830 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:37:40 ID:s34fPGWT0
>>826 >そんな国どこにあったっていいじゃねえかよ。
じゃあこのスレにレスするな
>九州説に拘ってるのは朝鮮人だけだろ、どうせ。
東亜に帰れ
広太郎がバカだから福岡はないだろう。
しかしこの時期志賀島はDQNの巣窟だな
朝鮮人は日本に集権国家ができた年代を
できるだけ遅らせようとするんだっけ
833 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:39:04 ID:Asp2yAunO
耶馬渓(やばけい)
山門郡
834 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:40:05 ID:+jLDl1sz0
>>816 c14で測るそうだが、いろいろ問題があり
あんまり信用できないのでは?
材木のように年輪法が使えるものはいいが、
土器だとススではかるので、土中汚染により信用できない
ことは多々あるようです。
835 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:41:33 ID:nei/wVFd0
>>832 つか、弥生・古墳時代に国土を蹂躙されたのが気に食わないらしいw
その時代だと、ヤマトが北部九州ならともかく、畿内だと確かに難しいかもね。
836 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:47:27 ID:+jLDl1sz0
>>819 いまでもシベリアのほうが古いと思ってますよ。
どちらも最古級ですが、シベリア南部の先進文化を考えると
土器はシベリア→日本と由来したと考えるべきでは?
また根底から覆すような話ですが、1万年以上前の土器
というのは根本的に測定法がおかしい(土壌による汚染)の
可能性も否定できないのでは?
もし1万年以上前の土器が極東ロシア・日本でだけどんどん出てくるとしたら
他の地域(メソポタミア)ででない訳が無い。不可解です。
837 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:47:57 ID:wyh7ProP0
>>810 蛭子神社でエビス様を祀っていた瓜生島。
エビスは蛭子と書いて、ヒルコとも読む。
イザナギ・イザナミが最初に生んだが、足が立たなかったので
海に流してしまったというヒルコ
839 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:55:56 ID:4E0MPpN50
840 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:56:17 ID:xyC74lDA0
卑弥呼の邪馬台国は久留米の山門あたりにあった。卑弥呼は山門に葬られた。
邪馬台国の一族は、だんだん東に勢力を伸ばし、大分の宇佐や宮崎の日向も
邪馬台国となった。が、山門は熊本の熊襲に奪われてしまい、都のあった
甘木も危うくなった。そこで、もっと東へ支配地を伸ばしていき、畿内の広
い平野を強奪した時、そこに都を移し、大和の祖となった。
した。
841 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:56:17 ID:s34fPGWT0
>>836 雪を溶かして水にする為に必要不可欠なものだったのかも
だから他の地域よりふるいのかもしれん
>>837 火山もよく爆発してたしなw
842 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:57:20 ID:nei/wVFd0
>>836 日本に関しては、粘土が火によって焼結する性質を古くから知っていたという説はある。
火山の噴火とか、そういう可能性には事欠かない地域だから。
843 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 04:59:10 ID:s34fPGWT0
>>838 島まで沈むあたりがなんともな
海底探索したら何かでてくるかもな
844 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:04:16 ID:DDXcWNjf0
何言ってるニカ?
全て、ウリナラ起源に決まってるニダ< `∀´>
845 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:05:53 ID:4E0MPpN50
朝鮮はある意味かわいそうだな
歴史の表舞台にたてない
846 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:08:18 ID:+jLDl1sz0
>>841>>843 というか、あまりにも古すぎて世界中から日本が
不審がられているのでは?
同じぐらい古いシベリア南部も測定法に問題があるのかも。
1万6000年前にいたっては眉唾と考える
847 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:08:54 ID:iokeR1ap0
そもそも卑弥呼に似た日本人の名前ってないよな
849 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:10:38 ID:nei/wVFd0
タローやハナコもこの時代には出てこないけどね。
850 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:11:13 ID:s34fPGWT0
>>845 近年を見ても
自分達の手で近代化をしたのではなく併合によって近代化し
独立は自分達が闘って勝ち取ったものではなく
日清戦争では日本に、先の大戦では戦勝国によって与えられた
誇れるものがないから日本をさげすみつつ
日本文化を自分等のものだと主張する
空しい民族だ
851 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:12:03 ID:4E0MPpN50
>>846 東大の美術史の教授が言ってるから信じる
それ以上の知識も方法も知らないからね
魏志倭人伝では、二箇所、青玉、 大狗珠と青メノウについての記述がある
邪馬台国では青メノウが採れ、青メノウの勾玉を
魏の国に贈ったということだが、
日本で青メノウが採れるのは島根県玉湯町の玉造だけ、他では取れない
つまり、玉造を含む吉備王国でないと、魏の国に
青メノウを物理的に贈れないということになる
大和や九州で採れないもの、青メノウを魏の国に贈れない、
大和説、九州説はどう言い訳するのだろうか?無いものをどうやって贈った?
邪馬台国論争には文献や鏡など色んな資料があるが、
いずれも改ざん可能や解釈によっての捏造などが起こりやすいが
鉱物資源の青メノウとなると、改ざんも不可能だろう
動かぬ証拠となる
この青メノウが、ほぼ決定打と言っていいだろう
邪馬台国は、玉造を含む吉備王国と言って、まず間違いないところだろう
853 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:13:41 ID:s34fPGWT0
854 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:14:08 ID:HQIN5u4S0
尖閣諸島→中国
竹島→韓国
国後島など→ロシア
邪馬台国→近畿
でいいでしょ。あげる。
856 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:15:28 ID:LJis1lAl0
畿内説は九州に征服されたことを認めたくない
関西人の願望なんです。
857 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:16:08 ID:eGVJN3XN0
畿内に決まってるだろ。
奈良・大阪は昔から俺ら民族が殖民支配した土地。
現地の倭人を従えて百済文明を広めた。
858 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:16:13 ID:xyC74lDA0
玉造ってことは、邪馬台国は出雲か。
859 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:16:41 ID:+jLDl1sz0
>>851 自分もちょっと前までは「日本の土器は世界最古」と
喜んでいたが、ちょっと待てよと。
シベリアのことを知ったり
またC14法自体が、土器のススについてはあんまり信用されて
いないことを知ったりで、どうにも妙な気分になってきた。
860 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:16:58 ID:4E0MPpN50
861 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:18:03 ID:nei/wVFd0
>>860 山門郡女山
いろんなとこが候補になって楽しくなってきた
863 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:21:51 ID:xyC74lDA0
>>860 説得力のある首飾りだよなぁ。もっとその辺を調査すべきだと思うけどねぇ。
単発IDの構って書き込みが増えてきたな。
865 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:40:15 ID:xyC74lDA0
山門あたりの大きな塚と思われるとこを発掘して鏡が多数でたところが
卑弥呼の墓に違いない。
866 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:42:38 ID:+W24D22d0
まあ、これだけ色々調べてもワカランって事はガセっぽいよな。
867 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:44:15 ID:LJis1lAl0
畿内説は捏造をやめろよ。
868 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:50:36 ID:YCY9Kyny0
中国は邪馬台国と大和政権を連続的に捉えてる
869 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:54:19 ID:nFwIdD1+0
ただしちょっと問題もある。
それは、万葉仮名の研究などによって、古代の日本語には同じ「ト」にも
二種類あることがわかっており、その違いを検討すると、「大和」の「ト」と
「山門」の「ト」は発音が異なっているので、語源が「山門」という説は成立
しない――との意見があることである。
この発音の問題を《邪馬台》にあてはめると、それは「大和」には似ているが
「山門」とは違うとされ、「《邪馬台国》九州説」への反論にもなっている。
古代の発音における甲類・乙類の問題は専門書を見ていただくことにして、
「山門」と「大和」にこれをあてはめてみると、
「山門」の「ト」は甲類
「大和」の「ト」は乙類
――となるので、この二つの地名(氏族名)は古代の発音が異なっていた
ことがわかる。
>>869 なんで歴史学の方法で、考古学を考えるの?
871 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 05:58:58 ID:nFwIdD1+0
>>870 歴史学じゃなくて国語学だと思うが。
同じ「ト」でも万葉仮名で使われる漢字が異なっており
甲類の「ト」と乙類の「ト」では同じ漢字を使うことはない。
872 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 06:04:19 ID:xyC74lDA0
堀まくって埋蔵金で暮らそう
>>871 だから、文献は1300年前にしか遡れなくて、邪馬台国は2000年前の話。
700年って言う期間は、言語学的な考察するには長すぎるって言うの。
馬鹿は市ね。
874 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 06:07:44 ID:LJis1lAl0
もはや畿内説は何でもありだなw
875 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 06:17:42 ID:uJ4nQ22zO
実はヤマトと名乗っていた集落は日本中にあったというオチ
根拠はないけど
大和は国のまほろば
877 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 06:27:35 ID:ur1Ng7WT0
昔みたテレビで邪馬台は中国読みで
ハカタだといってたのだが
とんでもなの?
878 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 06:29:50 ID:nFwIdD1+0
>>877 魏志倭人伝に出てくる
「好古都國」の発音がハカタに近いらしい。
でもこれは「邪馬台国」じゃない。
879 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 06:44:55 ID:deQGjjE70
邪馬台国はウリナリニダ!
>>1 四国説キタ━━━━━━━━━━━━ !!!!!
881 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 06:57:44 ID:h+s/COCl0
邪馬台国は大和朝廷、卑弥呼は日皇子、
883 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:06:30 ID:h+s/COCl0
884 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:08:12 ID:z1Vy+/cC0
富山 → とやま → トヤマ → ヤマト → 大和
885 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:13:12 ID:fCLeMCaPO
ヒント:首都移転
886 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:15:38 ID:yuJkvc6w0
こんな時しか話題にならない九州人が必死なスレですね、ここはw
887 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:21:21 ID:ZiZKFnPN0
土器は捏造があったから世界最古だったのじゃないのか?
888 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:23:13 ID:xOb0K9bK0
>>884 越中・加賀の時代は何処へwwwwww
でも北陸の諏訪辺りは怪しいな記紀でも国津神のホームグラウンドみたいだし
889 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:23:40 ID:h+s/COCl0
ヤマトの語源はなに?
890 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:24:12 ID:bspEUWln0
891 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:36:55 ID:GSZxMEqr0
ないと思えばある、あると思えば無い
色即是空 空即是色
>>890 じゃあ甲信越地方
まぁ越の国まで逃げて降伏したとされるタケミナカタが合祀されとるし
当時としては人外魔境の最果ての地
893 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:43:22 ID:1m4d6tP90
九州のアホどもがまだ食い下がってるな
いい加減あきらめろよ
894 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:44:36 ID:1ic3mWG80
895 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 07:47:00 ID:zFrvx/300
MMRキバヤシ氏の見解はどうなんですか?
896 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 08:05:31 ID:TVUvdOoa0
東行百里
【末盧国】───【不弥国】
(唐津?) \ (福岡?)
││ 東南百里
││ 【奴国】
││ (那珂川町?)
/ \ \
/ \ \
/ 南水行十日、陸行一月 東南陸行五百里
│ 【邪馬台国】 【伊都国】
│ (八女?) (大分?)
│
│ 【狗奴国】
│ (菊池?)
│
│
│ 南水行ニ十日
└─【投馬国】
(鹿児島?)
東遷説は天皇家のルーツが朝鮮半島だということがバレちゃうからまずいのさ。
898 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 09:26:10 ID:aP3huF1l0
>>896 シナ人の書いた距離・時間など実にいい加減。
というか本国に戻ってからなんとか思い出して書き足したような不正確さ。
まともに換算すると邪馬台は太平洋だろ。
九州説ってそこを無理やりこじつけているのが痛い。
無理な語呂合わせで地名選んだりとか。
なんか昔ノストラダムスの予言も無理やり語呂合わせとかで主張していた香具師がいたな。
今どうしているんだろ?
899 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 09:35:39 ID:ITM2fM1G0
>>898 畿内説の場合は方角を2度間違えた事にしてるからな。
どっちもどっちだから、過去スレを見てもこの件では
お互いあまりやりあってない。
まともに換算すると太平洋というか、南西諸島辺りになる。
>>477-478 この邪馬台国の風俗は、中国や朝鮮半島とは
まったく文化が違うな。
なんの影響も受けてないと言っていいほど。
現にこれを書いた中国人が、
明らかに「こいつらは異民族」という書き方だし
>>897 記紀に東征したって書いてあるから良いんじゃないの
902 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 09:38:41 ID:eGa8uG3+O
あすかあきおwのマンガじゃ、方向を説明するために
日本列島は上下逆になってた!なんて書いてたなw
>>900 楚人や呉人(非漢民族)の風俗とそっくりだという話もある
>>901 >記紀に東征したって書いてあるから良いんじゃないの
記紀の記述通り九州だと、天皇家のルーツは朝鮮半島から九州に天下ったことに
なってしまう。
当時の感覚ではそれで良いのかもしれないが。
905 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:07:29 ID:hqrwKtwM0
マンモスと聞くとワクワクするのは
DNAのなせる技か?
906 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:09:47 ID:12wDbil6O
卑弥呼はチョン?
907 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:11:15 ID:0RwWxDi90
卑弥呼は役職名で
個人の名前じゃないんですよ
908 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:20:14 ID:219IF6q20
関西人のアホがまた捏造しているのかw
909 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:21:30 ID:OBY6mdb60
公園で砂遊びしてたら卑弥呼の金印が出てきたとする。
さて、どうしよう?
910 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:22:50 ID:219IF6q20
>>910 まず、朝鮮半島から古い鉄の出雲族が九州にやってきて、その後、
新しい鉄の天皇族が半島から九州にやってきたので、
出雲族が紀伊半島南端に渡たり、果無無し山脈を越えて、奈良に入った。
その後、天皇族が東征し、大阪からではなく、和歌山を迂回して、奈良
に入った。これは、出雲族をけちらすためである。けちらされた出雲族が
今の島根の出雲に逃げた。
これが、真実。
912 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:37:03 ID:hILVl3D50
>>898 それは陸行十日水行二十日を陸行+水行で読むから、
正しい読み方は陸行or水行らしいよ。
それに、途中から放射状に記載している物をすべて並べて直列に解釈しているから奇妙な距離感になる
ハニワ幻人めぇ!氏ねぇ!!
914 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:50:59 ID:YekiDgta0
915 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 10:54:44 ID:C1c1FvnMO
卑弥呼は倭の女王
倭は連合国で邪馬台国は一構成員だべ。ただの代表
卑弥呼のころは、九州から近畿にかけて各地の小国(豪族?)が
ゆるやかな連合組んでた時代なのかな
918 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:06:54 ID:LEUU6ire0
邪馬台→ヤマタイ→ヤマタィ→ヤマト→ヤマトゥ→矢場とん
邪馬台って中国語でどんな発音なのかな?
920 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:10:31 ID:LEUU6ire0
>919
ヤマタィ
921 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:11:37 ID:0RwWxDi90
実は魏じゃなくて呉が重要
922 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:13:25 ID:qN6szMNy0
井沢元彦憤死
923 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:13:39 ID:5elPVHrS0
やっぱ結論は
大和朝廷って半島人が作った物なんだね
早い話が日本に古来から居た縄文人が占領されたのだね
約8万人しか居なかったから
占領されるのも、しょうがないわな
924 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:14:38 ID:B6dIIVje0
>>916 天孫族光臨は宮崎とか南九州だから、仮に海を
渡ってきたとしたら江南地方と考えるのが普通では
稲の伝播もそっちからだし
926 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:18:05 ID:EaodgxWv0
邪馬台国の支配権は機内から九州まで全部だった。
927 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:22:05 ID:VuT8g8jW0
>>916 「海を渡る=半島から」じゃないよ。
海流の図をみてごらん。中国江南から、海流が日本列島に出ているでしょう?
中国江南から海流に乗ると、
霧島方面と、壱岐対馬経由の出雲・新潟方面に行くことが出来る。
中国江南の人が日本を目指す場合、一度韓国に行ってから行くよりも、
この海流に乗る方が簡単なんだ。
じっくり目指すなら、南西諸島伝いルートもあるしね。
韓国経由ルートは正直回り道すぎるよ。華北の人にとっては最短経路だけど。
ウィグル商人の秦氏なんかは半島経由で日本に入ってきただろうけど、
江南、呉の姫氏は海流伝いに来るのが当然だろ。
半島に用があるなら別だけど、姫氏がもたらした水稲は
朝鮮より日本に先に入っていることも考えれば、
ほぼ間違いなく海流ルートだよ。
928 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:27:46 ID:aEkIHFUR0
>>924 そうそう、高千穂と機内を結ぶ線を延長するとそちらの方面になるから、
それを暗示しているような気がする。経路としては半島経由だったかもしれないが。
北部九州は半島勢力が強くてそこにはとどまらず、
南下しそれから瀬戸内海経由で機内に向かったって感じ。
ちょっとアメリカの清教徒の話と似ているような気もするし。
>>852 交易。
新潟(?)方面の黒曜石とかも使ってたんでしょ。九州。
倭人伝には半島との交易も書いてあるし。
930 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:30:06 ID:Wk/4HPOUO
知的なニートの集まるスレですね
931 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:32:01 ID:qN6szMNy0
なんか、板が違うような錯覚に陥るスレですね
932 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:34:19 ID:mm3PAneS0
知的なニートってのは褒め言葉?
933 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:37:06 ID:C1c1FvnMO
鉄の原料は半島なんだろ
半島の資源を巡って倭国連合と狗奴国が争ったんだろう
934 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:40:21 ID:hILVl3D50
935 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:40:44 ID:LEUU6ire0
>鉄の原料は半島なんだろ
なんでも半島ありきの結論にしたいわけですね。
936 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:42:07 ID:mm3PAneS0
歴史的に半島とはそれなりに密接な関係があるわけで、
あまり無視しつづけるのも違うとおもうけどな。
当時の半島人と今の半島人は全然違ったりするわけだし。
937 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:42:56 ID:D4CTdit/0
>>933 半島から不純物を除く技術が大変なもので
938 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:43:45 ID:C1c1FvnMO
いや、すでに半島南部は北九州連合の一部だったのかなと
939 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:44:12 ID:dv+Ogn0Z0
魏志倭人伝はそうでなくとも外国人の視点なので信用も落ちるってのに
行った事の有る人からの伝聞を元にしてるし、
しかも記述も記憶の新しい直後じゃ無く 後代になってからのものでしょ
あてにはならない
>>887 それはないよ。しらべりゃすぐわかるよ。
天皇家が姓を持たないというのは、
彼らの祖先が中国や朝鮮ではない、という可能性を示してる。
関係していたことを隠すために消したってことはないの?
朝鮮半島の領土が回復不可能と判断した時点で。
>>940 天皇家の姓が『姫』だとする文献を焚書にした天皇もいたけどね。
943 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:50:12 ID:5elPVHrS0
944 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:55:10 ID:mm3PAneS0
天皇家の姓が、「姫」っていうのは、ちょっと苦しすぎる気がする
945 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 11:55:14 ID:Hn+b1NAc0
畿内説は奈良県桜井市周辺ということでほぼまとまってるみたいなんで
九州説もそろそろ都域をまとめてくれや
福岡県(福岡平野、筑後平野)
佐賀県(吉野ヶ里)
大分県(宇佐、国東)
宮崎県(西都原、高千穂)
あと島原とか琉球もあるみたいだな。
高天原から天照大神の子孫が日向(宮崎)に天下った。
高天原=邪馬台国=筑後川中流域
947 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:00:16 ID:0RwWxDi90
もとは天地方の孫姓ではねか
天孫族やろ
卑弥呼とか壱与とか神功皇后
みたいに女帝継承で以前に中国側に姫姓と記録された
漁で死ぬかもしれんから財産子供、女相続の母系社会だったらしいし
『姫』だとする文献を焚書にしたのは乗っ取った男性王権で
古くから続く正統な王朝だとでっちあげたと
948 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:02:16 ID:zDk1Gvn80
おーい、前の方で、シベリアの土器が日本より古いって言ってるやつ、
あのな、シベリアで見付かった土器が日本より古いと主張した学者・研究所連中は、
土器捏造事件の「ゴッドハンド」くんの取り巻きだぞ?知ってるのか?
949 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:03:47 ID:VAdrOMPY0
>>942 それを提唱した当時は、太伯の末裔にした方が箔が付くんじゃ?、とか
考えられてでっち上げた可能性が高い、とかその論文にはあったな。
950 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:04:16 ID:gmsDhHL90
>>946 ちょっとまて、一応筑後川は九州最大の河川だが
高天原までは届いてないぞ
951 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:06:14 ID:hILVl3D50
>>940 漢書では阿毎と自称している。
国内では姓を付けて読むような不敬者がいないだけ。
952 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:06:58 ID:0RwWxDi90
天=阿毎かなあ?
953 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:07:21 ID:YekiDgta0
てかさ,天皇にインタビューすりゃいいじゃん
口伝かメモ書きを残してるはず。
955 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:08:25 ID:qN6szMNy0
アメさんだよね>姓
956 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:10:49 ID:mm3PAneS0
もしかして、 天野 じゃないのか。
957 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:12:41 ID:reHqLjAE0
福岡の鏡の出土数が半端でない。
958 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:13:35 ID:95UCLkBz0
天皇(大王)は豪族に姓を与える立場だから、
姓がないのは当然。「阿毎」は対外的な公称
959 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:16:00 ID:0RwWxDi90
天野はふるいから関係あるかもね
もしくは王朝交代してるから苗字隠してるとか
960 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:17:09 ID:QbbQxjdZ0
どう見ても九州だろw
昔はあっちの方が繁栄していたんだ
961 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:18:14 ID:1emgUtiSO
ヒミコはミネバ。
962 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:18:48 ID:0RwWxDi90
苗字を他人に与えていくって所が
外来っぽいんだよなぁ
大阪か
964 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:21:30 ID:2r/Dygc20
で、おいらの人生になにかメリットあるのか??!?
965 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:24:00 ID:EaodgxWv0
半島にも影響力を持ってたみたいだから
九州の気もするけど、発掘の感じからは
機内ぽい気もするし・・・
966 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:24:05 ID:rdJJzipA0
邪馬臺国が正解じゃね?シナで臺と壹の字誤植でさ。だから読み方はヤマトではないかと。
言ってみるテスト
967 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:25:53 ID:reHqLjAE0
>>950 高天原の位置を確定して考えてちゃ、全ての可能性を再考察できないのではないか?
968 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:26:25 ID:FsuSVGCi0
969 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:26:32 ID:AlgdLaWD0
二カ所あっちゃ不味いのかい
前期と後期で引っ越したとか
同姓同名とか
飛び地とか
970 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:27:17 ID:hn2TU7CJ0
姓を与える立場だから姓がないだけだろ。つーか姓がないのは姓って概念がないとき
からこの列島に居たってことも言える可能性が高い。
天孫降臨の地は「くじふるたけ」=朝鮮語。そして最初の家来が久留米。
住みかをを探して、「ここは韓国が見えるから」という理由で高千穂。
古事記は、朝鮮半島からやってきたとしか読めないよ。
だから、偽書説が後を絶たない。
973 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:30:22 ID:rPe1Fsj9O
遅レスながら。
>>836 いやいや、
だから別にその意見を否定してないよ。
断言してたから、最近何か発見があったのかな、そういうソースがあるのかなーと思っただけで。
つまり、断言できるだけのちゃんとした証拠はないんだよね?
・シベリアから日本に土器が伝わってきた可能性が高い。
・発見された土器のなかでは、縄文式土器がシベリアのものより古い。
・しかし測定法じたいが間違ってる可能性もある。
こういうことでしょ?
なんかずっと天皇家の姓は「姫」って言ってる電波が常駐してるみたいだな。
青森にあるあのでっかい縄文遺跡は何だろう
神殿のあともあるし、古代日本全国に巨大な集落が点在したようだが
koria yamado
キラ ヤマト
977 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:35:23 ID:s4ccKl2j0
>>712 >>728 赤の影響をもろ被りしてないだけだろ
これ見て日本人とバイカル人は同祖ってアフォか
爆心地から遠さが似てるだけだろ
>>972 おまえ朝鮮語の音なんかハングルの500年以上前は不明だろ、日本の古典とか吏読で
ほんの僅か判明してるだけじゃないか。「くじふるたけ」って朝鮮語でどういう意味
なんだ?言えるか?
979 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:37:05 ID:mm3PAneS0
>>972 http://homepage3.nifty.com/washizaki/paper/paper32.html さて、そうすると古事記での「韓国」とは、いったい何なのだ、と言うことになります。
結論を言うと、古事記の「韓国」は、日本書紀の「空国」「胸副国」「空国」と同一なのは明らかです。
「空国」は、「むな国」とも「から国」とも、どちらにも読めますが、通常は「むな国」と読まれています。
古事記は、天武天皇の時代に稗田阿礼が暗唱したものを、元明天皇時代(712年)に太安萬侶が
記録したものです。すなわち、稗田阿礼は筆記ができなかったのです。
おそらくは、それまでに存在した歴史書を誰かが読んで稗田阿礼に暗唱させた時、「むな国」と読む
べき「空国」を「から国」と読んだため、この「から国」を太安萬侶が「韓国」と記録したものと推定され
ます。従って、古事記の「韓国」は「空国」の誤字で、いわゆる朝鮮半島の「韓国」とは関係ありません。
すなわち、古事記の「筑紫の日向の高千穂のくじふるたけに天降り座す。この地は韓国に向い」の
章句から、日向は朝鮮海峡に向かう博多湾岸の地域(近くに日向峠がある)とする説は誤りです。
980 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:38:41 ID:EaodgxWv0
半島の南部も当時は日本の一部みたいなもんだからそんなに区別しなくても・・・・
>>980 当時は半島南部と九州が一つの国(倭国)だったらしい。
982 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:44:46 ID:5rPa5/b2O
>980
日本の中で日本神話が語られていたのは百済新羅討伐よりもずっと以前のこと。
それに半島には半島の神話がある。カンユウとかいうダンクンの父も太伯山に降臨している。
半島と日本とは関係ありません。
983 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:44:47 ID:KtYl7I+X0
古代大和朝廷には祭事に女王を立て、政治に男王を立てる
風習がありました。聖徳太子と推古天皇はその一例もあります。
邪馬台国も弟が摂政をし国内の政治をして、卑弥呼は占いなどの
祭事を行ってました。
しかし、中国マンセーの天武天皇はそれらを忌み嫌い焚書して
無かったことにしました。そして万世一系の男系王朝などという
でっち上げ系譜を作ったのでした。
邪馬台国が古代大和朝廷なのはどう見ても明らか。
984 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:45:32 ID:YekiDgta0
>>981 そう考えると,朝鮮半島に残り,中国の武力・圧力と戦う人々と,
戦を嫌って日本に定住した人々に分かれるのかなぁ
985 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:45:56 ID:KxdORtB00
>979
それまでに存在した歴史書を、そのまま資料にすればよかったのに。
どうして一旦、稗田阿礼に暗唱させる必要が?
そんなの、まるで伝言ゲームみたい。わざわざ間違いが起こるように
仕事をしている事になる。
986 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:46:05 ID:TnJcXT100
>>972 此地は韓国に向かひ笠沙の御前を真来通りて
ここにそじしのむなくにをかささのみさきにまぎとほりて
「そじしのむなくに」とはあんまりな読み方だが、どう思いますかwww
987 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:46:19 ID:qN6szMNy0
>>984 多分、戦に敗れ、新天地を求めて九州にやってきたんだと思う。
989 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:49:07 ID:+4EXhLiC0
990 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:49:10 ID:YekiDgta0
>>985 稗田阿礼の生きていた時代に大規模な焚書あったのかも
991 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:49:37 ID:KtYl7I+X0
>>987 蘇我氏の系譜の人間ならその可能性も高いが、
資料が無いのでどうしようもない。
朝鮮人といっても全て百済系だけどね。
992 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:51:18 ID:hn2TU7CJ0
>>987 んな訳ないだろ。
根拠何だよ?
天智天武スレも根拠も無く認定する奴に荒らされてたけど…。
>>991 母親の宝が蘇我稲目の子孫だから蘇我の血も引いているけど
蘇我氏帰化人説は確定じゃなかった気ガス。
993 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:52:38 ID:rPe1Fsj9O
>>990 > 稗田阿礼の生きていた時代に大規模な焚書あったのかも
それは間違いないと思う。
天皇のご先祖さまは、日本で、最初にして(?)最後の易姓革命をやった人だと思う。
>>945 頭悪いなー。まだわからんのかね。
首都をチョコマカ動かす集団なんだよ。
東遷もその一環。
卑弥呼は宮崎、トヨは大分だろうね。
霧島の高千穂も卑弥呼の先代あたりが使っていたのかもね。
有力豪族は、鉄器分布が強い北九州の海岸沿いだろうね。
995 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:55:05 ID:5rPa5/b2O
>985
各地で神話は口承されていたが、それが長年の時間の積み重ねで各地で各々少しずつ歪んできていたそうです。
それで阿礼にそれらの口承や文など神話にかかわるものを覚えさせて、本来の口承の形に近付けたのが古事記。
日本神話は皇室の権威の源だから、口承がバラバラになると権威も失墜します。
改新の前、蘇我が自身を御門と言いだした件もあって、口承の点検も必要になったのではないでしょうか。
日向から朝鮮半島が見えるらしい。
997 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:57:20 ID:OBY6mdb60
機内説と九州説は民主党と共和党くらい仲が悪いと言ってたオクラホマのじいちゃんのことを思い出したYO!
998 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:58:10 ID:+Sgdo4q50
「むなくに」とか「からくに」は多分、半島が禿山だらけだったことと関係があると思う。
スサノヲも天界から新羅に追放されたとき、「こんな汚らしい禿げ山」に居たくないって
言って五十猛尊(木の神)とともに日本に木を植えまくったって神話は、たぶん半島の
禿山説明神話だろう。
999 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:58:19 ID:rPe1Fsj9O
1000なら畿内
99959
1000 :
名無しさん@6周年:2006/08/24(木) 12:58:22 ID:+4EXhLiC0
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。