【社会】 昭和天皇「真珠湾奇襲、東条英機の判断」「平和への道へ」…海外記者との会見文書見つかる
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名無しさん@6周年:
ディベートからみた東京裁判
北岡俊明 PHP出版
第七章 東條英機ディベート
p190
東條英機は真珠湾攻撃を知らなかった。 昭和二十三年一月六日の法廷
キーナン検事 「あなたは、日本の艦隊が真珠湾を攻撃するために、日本を出発した日を
知っているでしょう」
東條英機 「今知っているというお尋ねですか。その当時知っておったかという
お尋ねですか」
キーナン検事 「私が尋ねているのは、今知っているかということです。」
東條英機 「今、裁判所において私はその知識を得ました。」
キーナン検事 「いつ艦隊は出発しましたか」
東條英機 「どこをですか」
キーナン検事 「東京を」
東條英機 「それは知れません。私がこの裁判所で得た知識は、ヒトカップ湾と
言いましたかね。二十三日か、二十六日に出たというふうなことを
知ったのです」
東條英機の証言で驚くべきことは、時の内閣総理大臣であった人物が真珠湾攻撃の
ための択捉島ヒトカップ湾を出撃していた日付を知らなかったということである。