天皇の靖国神社参拝は1975年11月21日に昭和天皇が行って以来、
今の天皇陛下も含め行われていない。同神社や遺族側は、その後も
「天皇参拝」を求めているが、30年以上途絶えたままだ。これまでいくつか
の理由が推測で語られていたが、今回の「富田元長官メモ」は、このうちの
一つを大きくクローズアップした。
宮内庁によると昭和天皇は、終戦に際し45年11月に同神社を参拝。
その後も数年おきに訪れ、75年までに戦後計8回参拝した。また、今の
天皇陛下は皇太子時代、69年までに戦後計4回参拝している。
途絶えた理由に挙げられるのは(1)78年のA級戦犯合祀(2)対外関係
の考慮(3)公人私人問題−−など。靖国参拝推進派はこのうち(3)を
取り上げることが多い。75年8月、三木武夫首相は「私人」の立場を強調
して参拝。同年11月の天皇参拝では、政府は「天皇の私人としての行為」
と国会答弁した。この点につき、「公人中の公人」の立場を昭和天皇が
熟慮して、その後の参拝を取りやめたとの考えだ。
だが、今回のメモは(1)が大きな理由だったと読める。天皇参拝を
求める以上、遺族側でもこの発言を理由に、A級戦犯分祀論が強まる
可能性がある。
一方で、メモで取り上げられている松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊
大使への昭和天皇の思いを考慮する必要もある。「昭和天皇独白録」で、
松岡元外相について「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないか
と思はれる」と辛らつに評価。白鳥氏が担当した日独伊三国同盟にも
不満を述べている。信任していたとされる東条英機首相や木戸幸一
内大臣らと比べ、冷ややかに見つめていたのは明らかで、それが発言
に反映している可能性も否定できない。
(抜粋です。全文はソース元でご確認下さい)
ソース(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060720k0000e040049000c.html?in=rssw