【求刑】認知症の母を承諾殺人の54歳長男に3年求刑 「もう一度母の子に生まれたい」―京都地裁[060705]

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51名無しさん@6周年
1 名前: 依頼344@不思議な生き物 モーラφ ★ [sage] 投稿日: 2006/04/26(水) 21:37:18.09 ID:???0 ?#
求刑3年か検察GJ! おまえらこれ読め 。゚(゚´Д`゚)゚。

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
中略
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」

片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

電子版は無いので同じ事件についてのURLです。http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/060301.html