【北海道】土方歳三、中島三郎助、榎本武揚…子孫が慰霊 函館・碧血碑慰霊祭に120人

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122名無しさん@6周年:2006/06/28(水) 16:48:03 ID:evfNCIBD0
>>118
人道人権うるさい世の中で
あんたみたいな考えの人が21世紀にもいることにも驚いたけど
100年前に賊軍と呼ばれた人たちの遺体を死刑覚悟で弔った
函館の人たちこそ、本当の意味での人道主義者だったとよくわかるよ。
123名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 01:21:09 ID:Ud3adFb90
>>119
旧幕軍=賊軍の汚名は司馬が書くまで晴れなかった…ってのは大きな誤りで
「官軍が江戸で彰義隊士の遺体の内股の肉だけをそぎとって食べてた」みたいな話は
ずーっとあって、白虎隊も日露〜第二次世界大戦まで英雄として少年の教育に
使われてた。

昭和初期に教育委員会とか新聞社から出版された維新に関する歴史書は
古本屋で低価格で手に入るから、一度読んでみなよ。

旧幕軍=賊軍ってのは、占領軍によって塗り替えられた嘘の歴史だよ。
本当にお国のために命をささげた人たちを祀るのを、アメリカが許してくれると思う?

ま、シナやチョンが干渉するのはうざいんで靖国参拝は否定しないけど
124名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 12:17:16 ID:T9+s1FAo0
>>123
白虎隊で生き残った人は華族になってたんじゃなかったかな。
本当に賊軍なら、そんなこと無理だったはず。
ただ、やっぱり会津の悲劇ってのはあって
昭和になって会津藩主の娘が皇室に嫁ぐ時に「賊軍の娘などとんでもない!」
こんな声があったのも事実だしね。
>旧幕軍=賊軍ってのは、占領軍によって塗り替えられた嘘の歴史だよ。
GHQが塗り替える前に昭和の軍国主義者たちが塗り替えた。
『昭和維新』を目指した軍人たちが政府要人を暗殺し、2・26という大規模なテロも起こした時代に
天皇こそ絶対であり、天皇の軍は神軍だというプロパガンダのために
幕末の新撰組=悪逆非道な反乱軍という悪役が必要だった。
大名の子なんか一人もいない百姓・浪人の寄り集まった集団を叩きまくるには丁度よかったのさ。
125名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 14:10:25 ID:xUgCIeO00
新撰組って天皇を殺そうとした左翼だろ
126名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 14:18:54 ID:T9+s1FAo0
蛤ご門の変では新撰組は御所に向かって発砲した長州軍と戦っていますが。
池田屋の変では、京都の町中に火を放とうとしていた佐賀・土佐の脱藩浪人と
謀議に加わった長州藩士を殺しています。
現代で言うなら、テロリストたちのアジトを襲ってテロを未然に防いだようなものです。
127名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 14:58:49 ID:6wURMuVw0
>>54

同意。

京都の霊山観音行ってみそ。
坂本竜馬の墓の周りはなんか気持ち悪いからw
まぁ、司馬遼太郎のすごさがわかるよ。
128名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 15:07:28 ID:6wURMuVw0
>>70

「冷静に」振り返ってしまうと、↓のような点も避けて通れなくなるので難しいのではないかと思う。
↓の全てが真実ではないにしても、グラバー園に「定規とコンパス」があるのは事実だからね。

明治天皇 坂本竜馬 勝海舟 伊藤博文 西郷隆盛 大熊重信 高杉晋作 桂小五郎 大久保利通が一緒に写っている写真
ttp://asyura2.com/0406/idletalk10/msg/503.html
解き明かされる明治維新の裏(新潮社)
ttp://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/361.html
あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396612613/ref=pd_sim_dp_3/249-4535318-4341154
129名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 18:57:02 ID:yIlceGtI0
"死の商人"グラバー(だけじゃないが)が明治維新の影にいたことは知ってるけど
フリーメーソンまで影にいたという視点はおもしろな。
雨で南北戦争→綿花生産国南部の生産力が落ち綿花高騰→英・蘭の東インド会社、日本で綿を買い付ける
→日本国内で綿高騰→庶民の生活に影響→政情不安→南北戦争に向かう北軍の雨軍艦、給水のため日本による
→黒船騒ぎ→血の気の多い武士は攘夷に、商人は商機に目覚める
"死の商人"たち南北戦争終結で余剰武器の在庫処分先を探す→東の端の国で内乱の兆しあり
→中国=国が既に滅茶苦茶。商品売っても代金の回収は無理ぽ→侍=教養人がいる日本なら!
→戦争の雰囲気濃厚になり、諸藩・幕府、軍備を整えることに熱心になる
→"死の商人"軍艦は幕府・倒幕派の藩・ご三家藩に節操なく売りつける
→いつも勝ち馬に乗る英国、薩摩と関係強化して最新式銃器は薩摩に
旧式タイプの銃器はお役所仕事の幕府に売りつける
こんなとこかな。
130名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 19:02:32 ID:DgKcaSdW0
小原庄助さんの子孫も参拝したそうです
131名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 19:11:58 ID:OqXxUh9U0
腐臭がただようスレですね
132名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 19:36:37 ID:Egs6yVEP0
>>41
>東北にえた非人はいない。
だが会津には元被差別集落がある。蒲生氏郷が特殊技能者として入植させた。
(武具には皮革加工者が必要であり、蒲生のいた近畿地域では皮革は被差別の職業だった)

>新撰組は、明治初期から社会全体で尊敬を集めていたが昭和の軍部が排斥した
これは全く逆だ。明治期は政府が薩長であり、それに対抗した新聞などが競って
新撰組や会津を賛美していた。
その後、普通選挙運動や陸軍軍学校の開校などによって東日本出身者が社会の上層に復帰してくる。
大正期から昭和初期の陸軍(例えば東條英機)が会津賛美の中心だった。
会津賛美は軍国主義と共にあったのだ。

まったく、見てきたような嘘をつく人が多くて困るよ。
133名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 19:42:29 ID:88+sQoat0
>>114
ハゲって学会員の?
134名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 19:57:55 ID:c+irxLlL0
>新撰組は、明治初期から社会全体で尊敬を集めていた

狂ってるよ。
135名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 21:04:22 ID:NoTnmuvs0
近藤勇のブロマイドが既に明治時代に売られていたのは事実。
それを買って拝んでいたの人がいたのも事実。
新撰組にかつて在籍していた、永倉や鈴木三樹三郎も勿論購入して
仏壇とかに貼っていた。これ事実。

鈴木三樹三郎の兄・伊東は新撰組に殺されたわけだが、
老人となった鈴木は近藤や土方を恨まずに、写真を貼って弔っていたとさ。
136名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 21:09:23 ID:ydspqt/40
里見浩太郎主演の「五稜郭」は良かった
今じゃああいうドラマは作れないだろうなぁ
137名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 21:24:21 ID:fEn6Zmo70
国賊土方歳三はへなちょこ長州右翼に忌み嫌われていた
138名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 22:23:28 ID:aTDAwmVq0
これが日本だよなあ。
(一応、ニ十年くらいは許さないけど)、最終的には許してしまう。

シナをみろ。未だに汪兆銘は国賊で永久唾吐かれの刑。朝鮮をみろ。大統領が人気とりで親日派糾弾。
139名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 22:27:38 ID:JlAbcAgK0
海軍の「デアリマス」は長州弁らしいね。
幕末を生き残った会津藩士・新撰組生き残りは明治維新後に
警察・陸軍に入って、西南戦争で薩摩の西郷が賊軍になった時に
「官軍」として鳥羽伏見・戊辰・函館の仇!とばかりに
薩摩兵に襲いかかった。
>普通選挙運動
これは土佐の板垣たちの自由民権運動が根になったというのは日本人なら
歴史で学ぶ。
土佐は言うまでもないが >東日本 ではない。
ご存知ないようだが、日本人の参政権が現代のように20歳以上の日本人なら
老人でも子どもでも学生でも得られるようになったのは戦後。
それまでは女子に参政権はなく、一家の惣領息子(概ね長男)
納税額の多い家に限り次男・三男の参政権が認められていた。
華族・皇族はこの限りではないけどな。
140名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 22:44:38 ID:fEn6Zmo70
国賊は許されていない。靖国神社に祀られてられていない。靖国神社に
祀られてはじめて許される。
141名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 22:45:09 ID:I4EjoLNg0
俺が薩長を許せないのは会津云々の恨みよりも
近代国家を作るはずのなのに戊辰戦争で敵に回った東北地方全体を後進地域にして
結果的に田舎のイメージを強引に付けたことですな。
20年以上も開発を遅らせたツケが戦後になってやっと償還されたようだ。
普通だったら明治時代に解決しなければならなかったはずだ。

俺のじいちゃんが苦労したのも全部こいつらのせいなんだと思うと無関係ではいられないね。
142名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 22:51:37 ID:JlAbcAgK0
東北は京都人からはずっと蝦夷と言われていていわば都の植民地だったけど
奥州藤原氏が都とタメはれるくらいの経済・文化国にしたけれど
義経と共に散華してからは、ダメポじゃなかったかな。
何もかも 薩長のせい にするのは会津人らしいけどさ。
143名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 22:54:17 ID:JlAbcAgK0
連投だけど会津藩祖は徳川2代将軍の血を引く名君保科正之。
この人の良政で会津は農民は定年制で年金なんかももらえる社会で
他藩の農民たちが羨ましがったというけれど、
ゴメン、言葉悪いけど田舎は田舎だろ。薩長がわざわざ田舎のイメージをつけなくてもさ。
もちろん、薩長も田舎だよ。あ、土佐もね。
144名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 22:55:23 ID:lq38UeUw0

薩長の罪は日本を軍国主義に導いたとこかな。
こういうと決まって軍国主義は東北出身者のせいって言う奴が出てくるんだけどさ
ネガティブな要素は全て他人のせいっていうメンタリティがどこぞの半島星人そっくりで・・・

145名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 23:02:57 ID:I4EjoLNg0
>>144
あの時の東北人は薩長がやらかした所業の後始末をしたようなもんだ。
明治維新で東北人は政財界の要職から外された結果、人材が軍人に偏ったのも大きい。
日清日露戦争や日韓併合の当然の帰結としてのあの戦争ですな。
146名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 23:23:52 ID:3E+Rmd3p0
俺は白虎隊より敵と戦い死んでいった二本松少年隊が好きだな。
土方歳三といえば、燃えよ剣の栗塚旭ですな。
147名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 23:27:57 ID:ZCSVWCI10
このような慰霊祭が誰の妨害もなく行えるのが日本。

もし薩摩・長州の子孫が現れて殴り合いの喧嘩になり、謝罪しろ賠償しろの怒号が飛んだら
それは朝鮮。
148名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 23:30:53 ID:I4dYM7Ct0
三郎助さいこうにかっこいい。

小栗上野介も。

強い人たち。
149名無しさん@6周年:2006/06/29(木) 23:43:53 ID:Ut8pjFOm0
幕末はどっちも惜しい人材が散っていったよな・・・
時々幕末の傑物がこぞって明治時代まで生き残って日本を動かしていったなら、とか夢想するよ。
150名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 00:13:56 ID:kvyOCBOO0
>>124
>昭和になって会津藩主の娘が皇室に嫁ぐ時に「賊軍の娘などとんでもない!」

紀子様は会津藩士の池上四郎の曾孫なんだよね。
皇室では未だに気にしてるらしいね。
151名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 00:19:46 ID:Gjs+zXNn0
土方さん、羽織が逆ですよ。


嘘ですよ。
152名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 01:06:03 ID:YCxFaWAV0
スレタイから内容がそれてるけど
なんかおもしろい進行
153名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 01:59:38 ID:9wvWDfWl0
『竜馬が行く』の中で
江戸の剣の有名道場の対抗試合で
竜馬と同じ北辰一刀流で竜馬の先輩の会津武士
戊辰の役で
「もはやこれまでと見た、一人の老将が軍扇開き
全軍に切り込み命じた。老将のすぐ後ろを息子の美少年がつき従い
父の危機には息子が、息子の危機には父が駆け寄り
父子で舞踊のような美しい剣技を見せた。
これを見ていた官軍の将板垣退助は銃撃をやめさせた程であった」
この美少年の名前、誰かしってませんか?
154名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 02:07:52 ID:iOgYIhf6O
土方歳江age
155名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 02:22:55 ID:0DZb5DJs0
>>153
あー、その後、その美少年はしっかりぬっころされて、首を掻かれ、
その生首を宴会の肴にして敵は盛り上ったそうだよ。
会津少年兵の悲劇として有名だよ。白虎隊と並んで書かれること多し。
これを機会に会津藩もの読んでみそ。星亮一がオススメ
156名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 02:24:44 ID:9wvWDfWl0
>>150
会津藩主とお目得以下の藩士と比べてもなあ。
157名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 02:26:20 ID:0DZb5DJs0
会津婦女子娘子隊age
158名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 02:26:49 ID:7LcfIyBPO
行きたいな 土方は俺にとっての師
159名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 02:29:38 ID:2B04UE2x0
それはそうと
「碧血碑(へっけつひ)」
ひらがなで書くと間抜けだな。
屁っ尻ひ
160名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 02:33:49 ID:9wvWDfWl0
三郎助の次男の英二郎の写真を見たが
彼もまた超絶美少年。
父親に従って横須賀〜会津〜函館。
少しは「楽しい」と思ったひと時もあったらいいと心から。
161名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:25:22 ID:nteJJcYj0
つ【鎮霊社】

靖国神社の本殿に祀られて無い連中はこっちに入ってるお
靖国神社に有るのは「靖国神社」だけじゃないお。
162名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:29:58 ID:eyI5f8m80
この人たちがどれだけ大勢の人を殺したのかも考えてそっちを慰霊しろ
163名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:43:24 ID:qCbWqJFr0
東北人には軍事的センスはないね。
少なくとも薩長時代の日本軍は強かったが、
米内みたいな馬鹿殿軍人が出てきて日本軍の質的低下は決定的になった。

まあ、どうせ田舎者だからどうでもいいが。
164名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:44:49 ID:kqZXqxOT0
土方は、新政府の手先となった榎本は嫌いなんじゃないかね。
165名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:46:41 ID:JX0bwXkK0
維新での官軍の蛮行はもっと広まってもいいと思うけど
水に流せてしまうのが日本人の良さなのかもね
166名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:50:05 ID:NAGsZSgQO
白の薬は十の時を遡り
黒の薬は十の時を飛ぶ

今宵、一夜のうたかたの夢を、お楽しみ下さい
167名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:52:18 ID:2eIuNUIT0
>>165
>維新での官軍の蛮行はもっと広まってもいいと思うけど

広めないよう官軍が緘口令?みたいなものを敷いたんでないの。
新選組にしたって当時は一方的に悪し様に語られてたようだし。
今でも官軍がどういうことをしたのか知られてないと思うけど。
168名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 03:53:37 ID:YCxFaWAV0
>>162
そんなのはお互い様なんだよ。
戦ってのは、多く殺した方が勝ちなんだよ。
だからやっちゃいけないんだよ(←これは現在の考え方ね)
169夜逃げ ◆U8YonigeXE :2006/06/30(金) 09:28:42 ID:E7hk8AD00
>>133
あれ、学会員なの?孔明党で当選してたけど・・。
まちBBSで話題にでても速攻削除されるからよく判らないんだw

そういや今年も新撰組パレードやるのかな。
去年は散々だったけどw
170名無しさん@6周年:2006/06/30(金) 09:49:50 ID:SNa9aE5m0
幕末に北辰一刀流、鏡神明智流、神道無念流と江戸の三大流派だ、多くの人材を輩出しただのと言われてるが、
いずれの名門道場の主たちは戊辰で剣を振るうことはなかったし、戦場に立つ者すらいなかった。
171名無しさん@6周年
>>150
喜久子様は容保の孫娘でしょ。
他にも二人ぐらい元幕府側の家から皇室に嫁いでて
みんなで集まると「ヨメは賊軍の娘ばかりね。」なんて
自虐ネタで笑ってたらしいぞ。
詳しくは喜久子様のインタビュー本「菊と葵の物語」