【鹿児島】1963年薩英戦争で英国艦隊2隻に損害を与えた、当時国内最大の大砲復元
1 :
西独逸φ ★:
島津興業(鹿児島市)が復元していた幕末当時に国内最大だった鉄製の大砲が完成し2日、同市
吉野町の仙巌園で一般公開された。
砲弾の重さから150ポンド(70キロ)砲と呼ばれ、黒光りする鋳鉄の砲身の口径は28センチ、全長
4.56メートル。高さ3.5メートルの砲架(台座)から中空に突き出して鹿児島湾をにらむ姿は迫力
たっぷり。見上げた観光客らは「昔にこんな立派なものをよく造った」「そんなに重い砲弾を飛ばすと
は」と感動していた。
同型砲は1857年、島津斉彬の命により同園にあった反射炉で製造した記録が残る。射程は3キロ。
63年の薩英戦争で英国艦隊7隻を砲撃、2隻に損害を与えた。
復元には佐賀県の鋳造メーカーなどが協力。島津興業の島津公保社長は「砲身は今の技術でも鋳造
が難しい。大砲は薩摩藩の技術力と軍事力のシンボル。当時の藩の力をあらためて感じる」と話した。
熱心に見学していた松井弘光さん(71)=東京都世田谷区=は「仙巌園見物は2回目。今回はすばら
しいものが見られた。何かの巡り合わせのよう」と喜んだ。
ソース
南日本新聞
http://373news.com/2000picup/2006/06/picup_20060602_11.htm 【画像】大砲
http://373news.com/2000picup/2006/06/jpgs/02Y-02.jpg
2 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:44:05 ID:xEOCAyvP0
2w
3 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:44:09 ID:CI02BnD90
軍くつの足音が・・・
4 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:44:36 ID:IaKFWSWs0
43年前にそんなことがあったのか
5 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:45:00 ID:QuNnmKfE0
6 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:45:05 ID:B2nQp1RA0
20世紀に薩摩藩と英国が戦っていたとは……
7 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:45:17 ID:DCQ8It3b0
1863???
8 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:45:24 ID:DuY40UQh0
軍鞄
9 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:45:26 ID:oykJYMBP0
10 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:45:35 ID:O5tuH76K0
1963年と言えば、私が産まれて来る2年前か・・・
11 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:45:58 ID:112Jx3dM0
薩英戦争って昭和38年にあったのかよ
12 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:46:02 ID:bVz2f8eF0
..--‐‐‐‐‐‐‐‐---..,
/:ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
|::::/ 社会党 ヽヽ
|:::ヽ ........ ........ /:::|
|::/ ) ( \:|
/ ̄\iヽ;| -=;;・;=‐ ‐=;・;;=- |6)
, ┤ ト、| 'ー-‐' ヽ. ー' |/
l \__/ ヽ /(_,、_,、_)\ |
| ___)( ̄ | / トエェェェェエイ \ | ドーン!!!
| __) ヽ.ノ |ュココココュ| l
ヽ、__)_,ノヽ ヽニニニニソ /`ヽ、
\ \ / ヽ
フォークランド紛争もびっくりだなw
15 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:46:16 ID:kj0eQpIZ0
島津!わりゃぁこれ琉球からせしめた金で買うたんだぎゃぁ!返せ!謝罪しろ!独島返せ!
16 :
西独逸φ ★:2006/06/02(金) 23:46:18 ID:???0
すみません、1863年に間違いでした。
謹んでお詫びと訂正をさせていただきます。
中東戦争ですか?
18 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:46:35 ID:M2HvIBbd0
1963年ってw
ケネディ暗殺の年だっけ?
19 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:46:57 ID:hcB98AAx0
20 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:48:07 ID:mgbLZZYe0
280ミリ砲
21 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:48:09 ID:tOtuy1T30
俺の黒光りする砲身を見てくr
ハングル溢れる鹿児島だったがバスガイドのおねぇちゃんは結構可愛かったなー
元気してるだろうか
22 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:48:13 ID:S+ckgFet0
薩英戦争からもう43年も経つのか。
当時の2chも大騒ぎだったよね。
23 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:48:29 ID:wwJL7u4Z0
凄いな。日本は俺が生まれる3年前にイギリスと戦っていたのだ。
24 :
オースペ ◆dFB52BNHbo :2006/06/02(金) 23:48:35 ID:MJvAqRGi0
これ昔習ったようで、忘れてた。
捏造歴史には文句をつけるが、ぜんぜん日本の歴史を知らんなあ。
25 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:48:38 ID:iMioYN110
薩摩藩すごいねぇ。
さすが長渕の故郷。
26 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:49:13 ID:sh1m3BT5O
薩摩って今熱いよな
27 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:49:33 ID:i5xxgQYo0
元祖ぶる殿 ◆U/gDqFZzsYの自作自演&白痴
http://pc7.2ch.net/test/read.cgi/pcqa/1148358641/652- 652 名前:ひよこ名無しさん 投稿日:2006/05/24(水) 14:56:21 ID:???
雑魚ばかりだな・・・
655 名前:ひよこ名無しさん 投稿日:2006/05/24(水) 14:58:31 ID:???
>>652 ハゲの雑業ばかりです。
656 名前:ひよこ名無しさん 投稿日:2006/05/24(水) 14:59:58 ID:???
雑業・・・
659 名前:ひよこ名無しさん 投稿日:2006/05/24(水) 15:01:21 ID:???
655はいままで雑魚(ざつぎょ)と読んでたのか。
660 名前:ひよこ名無しさん 投稿日:2006/05/24(水) 15:01:57 ID:???
>>659 m9(^Д^)プギャーーーッ
661 名前:ひよこ名無しさん 投稿日:2006/05/24(水) 15:02:03 ID:???
>>655 ( ゚,_ゝ゚)
28 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:49:35 ID:iKV5ZO+r0
鹿児島城下焼け野原にしちゃったんで、イギリス議会でかなり叩かれたらしいね。
最後は、「仕方なかった」でケリが付いたらしいけど。
損害ってどれくらい?
なんか当たったっぽい、って程度じゃないの?
東京オリンピック直前だったから、後始末大変だったよね。
あの時は2chでも(ry
32 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:50:47 ID:EO/a9CgG0
とりあえず、実際にぶっぱなしてみようぜ。
33 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:51:08 ID:ZK5Cs2WL0
つい43年前のことなので、いまでもその時の弾丸の後などが
石垣に残っている鹿児島でごわす。
34 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:51:41 ID:iKV5ZO+r0
薩英戦争は薩摩藩側の死者数13人英国側の死者63人だから
ある意味薩摩藩の勝ちかな。
この頃の薩摩藩は、殿様の道楽で科学的な知識や研究は
日本の最先端だったんだよな。
この環境から多くの志士が生まれ明治維新の原動力になった。
38 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:52:23 ID:YfF+XLci0
この戦争の後に薩摩と英国は急接近して討幕運動に熱が入るんだよね。
39 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:52:35 ID:QKU2kzfX0
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< ぼくは生粋の平和を愛する日本人だけど軍靴の音が聞こえてくるね
( ) \_______
| | |
(__)_)
スレタイが…
41 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:54:23 ID:d/70Qtst0
このころの大砲の玉って破裂するのですか?
ただ船に穴をあけるだけ?
42 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:54:53 ID:iKV5ZO+r0
>>37 アームストロング砲の国産化に成功した肥前藩もすごいぞ。
43 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:55:29 ID:69b9/yH70
1963年薩英戦争
44 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:55:42 ID:ouQxiOluO
薩摩は強いからな。この戦いの経験から日本海軍の人材が生まれている
45 :
ラスタ侍:2006/06/02(金) 23:55:45 ID:R4TSv9OlO
|│ /
|田\
|^∀^)― 薩摩軍は、最新式の電気発火爆雷を湾内に設置していたんだよ!
|_/
|│ \
|
|★ ̄]
|ハ´)<反日スルナラ・・・
| ̄☆≧
|@A@]<イマノウチ!
|⊂/
|ノ
46 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:55:49 ID:0eclHgEP0
中世のイルバンだかウルバンだかは
八`先まで飛んだらしいな。
47 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:56:34 ID:M2HvIBbd0
>>35 島津家の血流は結構居るよ。
なんかの団体の理事長とか、どっかの神社の宮司とかしてたりする
40年前には活躍してた薩摩藩も最近の市町村合併で消えちゃったんだよね
49 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:57:46 ID:E6UkZjwB0
日本史に新たな1ページが
50 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:58:14 ID:Nyp7iBBtO
1963年って最近じゃん
51 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:58:26 ID:eCk53cSc0
島根県vsチョン 独島紛争に発展か!
52 :
名無しさん@6周年:2006/06/02(金) 23:59:35 ID:hwwlallH0
維新は薬丸示現流で成し遂げました。
薩摩はついこないだまであったのか。
できれば行きたかったな。
1963は黒船を派遣したケネディも暗殺されたし、大変な年だったな。
56 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:01:07 ID:N0ffjb+50
>>41 エゲレスのは破裂するタイプ。
薩摩藩のはただの鉄球。
57 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:01:12 ID:KbqJ7sFU0
竹島まで届くのかな。
58 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:02:23 ID:Et2V/J920
太平洋戦争で負けたその18年後にまた負け戦かよ。
59 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:03:37 ID:WVE2hjPA0
1963年の英国首相はマクミラン
薩摩藩主は寺園勝司
60 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:03:45 ID:TrrrX0gFO
大英帝国VS鹿児島。でもよく撃退できたよな。俺はイギリスが強かった事よりも薩摩が撃退できたことの方に驚きを感じる
61 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:03:59 ID:vF2d/Lot0
これってコロンビアード砲なの?
>>35 ここの社長の号令で鹿児島の健児10万が熊本城を衝くことも可能
63 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:04:29 ID:WwXQAuQzO
薩摩は船まで弾が届いて無かったけど
ノリノリで撃ってたらしい。
>>58 だからどこかの国に「過去を反省しる」とか言われちゃうのか。w
67 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:05:05 ID:O6UJzII20
つられすぎだあほんだら
68 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:05:12 ID:oVXULYnI0
大砲かっこよすぎ
>>60 一昔前の日本って異様に強かったよね
>>60 そりゃイギリスは本国から遠征して来てるしね
ガチでやり合ったわけではないでしょ
70 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:06:33 ID:UAOssJ9A0
なに、死傷者数では薩摩の圧勝だが、賠償金を取られた。
こんなすごい兵器作っていいのか?
72 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:07:24 ID:WVE2hjPA0
ガチでやってたら勝てないよ。
イギリスは生麦事件の賠償金を取り立てに来ただけだし。
もし当日台風じゃなかったら英国領薩摩だったかもしれん
73 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:07:28 ID:KbqJ7sFU0
こうゆう技術があって戦艦大和が出来たのか。
すごいな大和民族。
74 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:08:01 ID:ROrwzxnX0
75 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:08:03 ID:TrrrX0gFO
>>69イギリスにしてみりゃちょっと脅してやれば賠償くらいすぐに出すだろう、て認識だったしな。まさかそこまで善戦するとは思わなかったのかもな
76 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:08:28 ID:H5gqoWSt0
77 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:09:01 ID:oVXULYnI0
>>69 それでも刀さしてチョンマゲしてた土民vs世界水準の艦隊だぜ
78 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:09:10 ID:TAtMA7Rn0
1963年8月5日に米英ソが部分的核実験停止条約に調印した
すぐ後の出来事だったよな桜島の砲撃合戦は
79 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:09:14 ID:Rc0cnH/p0
女がらみで鹿児島の奴ともめる・・・
ああ、鹿児島ね?
桜島の噴火で火山灰に覆い尽くされて死ねよ!
シラスが大雨で土砂崩れ起こして生き埋めになって死ねよ!
新手の感染症が流行して鹿児島だけ隔離されて消毒に県民全員焼かれて死ねよ!
小惑星衝突して鹿児島一帯蒸発してしまえよ!
核ミサイルの誤爆でクレーターになってしまえよ!
先走ったテロリストにそそのかされて内乱起こした男を
未だに崇め続ける痴呆症どもはさっさと狂ってくたばれ!!!
以上、長州藩士の末裔がお届けしました。
80 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:10:29 ID:WVE2hjPA0
イギリスはクリミア戦争のどさくさにまぎれて対馬を占拠したロシア軍を撃退してくれた。
日本の恩人です。
81 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:10:57 ID:pIodxYsF0
砲は役に立たなかったってのが歴史の話しだったはずだが・・・
歴史の教科書で見たことあるぞ。
上陸した英国軍が海岸の砲台を占拠しているシーン。
83 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:12:13 ID:V30dpFNa0
昭和38年w
>>29 薩英戦争の2年後には英国に留学生派遣して、更に最新技術を
取り入れてるのがすごいな。
85 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:13:26 ID:WVE2hjPA0
>>82 それは下関戦争の時の写真じゃないかな?
薩英戦争の写真はないはずだけど。
86 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:13:29 ID:H5gqoWSt0
>>75 過去の日本を美化するのは結構ですが、これは負け戦だしたかが数隻の軍艦に善戦も糞もありません。
薩摩藩を褒めるのならば、これで勘違いや変な逆恨みをせず西欧の優れた技術を悟り大枚をはたいて将来のために西欧の技術や軍事力の導入に努めたことでしょう。
>>77 あれはもう刀や精神力でどうこうなるような時代じゃありませんよ。
惨敗だろ
88 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:16:23 ID:TY2lnsXY0
世界最強の薩摩
この後、ちゃっかりイギリスと仲良くなり、さんざん利用した挙句、
明治維新後用済みになれば、適当に距離を置くしたたかな維新政治家。
89 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:16:25 ID:UAOssJ9A0
90 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:19:02 ID:Et2V/J920
でもここはその後80年近くも刀や精神力でどうにかしようとした国だろw
>>70 さすがは薩摩w
大阪商人から借りた300兆円踏み倒しただけのことあるなw
>>佐賀県の鋳造メーカーなどが協力
なんだか縁を感じる。
幕末に各藩が技術開発にしのぎを削ってる最中、
ある技術を佐賀藩が成功したが薩摩ではまだできなかった時、
「佐賀人も人、薩摩人も人、同じ人ならやってできんという事はない、
ぽまいらガンガレ」と島津斉彬公が言ったというのを
斉彬言行録か何かで昔読んだな。
93 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:19:51 ID:6g/n3QfA0
>>47 中学の同級生にいた
・・・そいつが外資系保険会社の営業やっててウザかったが
丁重にお断りし、殿様商売やってんじゃねぇぞ・・・と心の中でつぶやいた
94 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:20:10 ID:H5gqoWSt0
>>89 その朝鮮人も当時、鎖国をしており西欧の軍艦と揉めたりしたのですが、
一方的にやられた上に、軍艦が去ると「勝った」と称し、
西欧の技術を受け入れることや、開国の必要性を認めることはありませんでした。
ここらへんが民族の差ですかね。
どうでもいいですけれど、自分の見たくない歴史を目にすると全部朝鮮人の陰謀ですか?
しかし、維新の頃の勢いはどこに消え去ったんだろう
今、鹿児島県て目立たないよね・・・
しょせん薩摩の芋侍
佐賀藩は最強だぜ
97 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:21:57 ID:ZJ2SBjAO0
そういえば、黒船が来てから4年後ぐらいに佐賀藩が蒸気船を作ったんだっけ?
この大砲が無かったら歴史が変わってたかもな。ちょびっとw
>>60 射程距離が違うんで一方的にやられる
↓
エゲレス調子に乗って近づく
↓
隠し砲台のこの大砲で艦長その他あぼーん
正直、ラッキー(;・∀・)
まボロボロにされたんだけどw、死者数はイギリスの方が多かった。
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse024.html >また、旗艦ユーリアラス号も初弾を発射するのに2時間近くかかっているが、
>これは幕府からの賠償金のドル箱が弾薬庫のドアの開閉の邪魔になっていたためであり、
>イギリス側は全く不意をつかれた形となった。
バロスwwwwwwwwwwwwwwwww
99 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:22:20 ID:Kbjr9feR0
無鉄砲な長州は4ヵ国連合軍相手だったんじゃなかったっけ
だから結果も悲惨
薩摩のほうが健闘したんだろう
100 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:22:44 ID:dRkBlcDU0
俺様の単装砲は速射性抜群で新品同様ですよ。
101 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:23:00 ID:R6xTuiOz0
とにかく
当時、英国艦隊と渡り合える
有色人種の国は
世界でただ一つしか存在しなかった
ということでFA?
102 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:23:04 ID:TY2lnsXY0
佐賀藩の侍なんぞ文弱の徒よ
当時薩摩藩は密貿易で金を持ってからね。
結局、金のあるところに最新技術が集まり、人が集まる。
で、今は(ry
104 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:24:02 ID:g+FaaTsF0
薩英戦争って・・・
日本とイギリスが戦ったんじゃなくて、薩摩と英吉利が戦ったって事?
つか日本の一地方が一国と争ったなんて、夢広がリング。
106 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:24:20 ID:H5gqoWSt0
>>101 それはもっと後の時代でしょう。
ああいう体制じゃ、欧米列強に対抗できないからこそ、
多大な犠牲を払いながら明治維新をしたのでしょうに。
107 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:24:45 ID:zsH03UBb0
>>65 失敬なw 鹿児島市だけで60万はいるぞw
108 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:24:54 ID:gVhCuXhx0
>>86 戦国時代は超合理的、成果主義な時代だったと思うが
良いものは積極的に取り入れていくような
そのお陰で世界でもっとも鉄砲を所有する国だったわけで
とはいえ1863年だからなぁ薩摩は頑張ったって事でいいな
109 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:25:14 ID:QaCX3C7+0
>>35 ここは、本当に歴とした島津公爵家の末裔が経営している。
>>47 鹿児島の照國神社(島津斉彬公が祭神)の宮司は島津宗家。前は島津興業の社長もしてました。
加治木の精矛神社(島津義弘公が祭神)の宮司は加治木島津家の末裔だそうです。但し、直系男子ではなく、娘の子を養子として跡を継いだそうです。
110 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:25:23 ID:eesjimtz0
111 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:25:41 ID:jUjzpMzJ0
薩英戦争からまだ43年しかたってないのか
112 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:26:35 ID:Gffm1FEy0
東京オリンピックを控えた昭和38年、
鹿児島県とUK多国籍軍の戦いは熾烈を極めたのであった・・・・
113 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:26:52 ID:hmz6KAb70
>>97 鎖国時代でもオランダからの書物で船の構造は知っていたらしいからな。
本物が来たので早速書物との変更点をチェックして作っちまった。
114 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:28:26 ID:bePiGTUM0
勝負的には薩摩が英を撃退ということで。
イギリス側は目的(軽い脅し)に対して旗艦艦長戦死とか
喫水線以上の損害のでかさでやばくなって引き返した感じ。
別にド田舎の蛮族の藩王国を攻め滅ぼしに行ったわけではない。
116 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:29:39 ID:i/4Wp/vU0
この程度すら現代作ろうとすると苦労するということは、砲の製造技術って難しいんだな。
46cm×3砲塔よもう一度…
幕末、勘違い攘夷で欧米に叩きのめされ、明治維新で欧米の番犬化。
WW2前、欧米列強と肩を並べたと勘違いして太平洋戦争、ボロ負け。
アメリカマンセーで高度経済成長。
しかしジャパンアズナンバーワンといい気になって、バブル崩壊。
日本人は卑屈な時の方がうまくいくよ。
WW2敗戦直後の進駐軍も言っていた。
「日本人は対等に扱ってはならない。図に乗って馬鹿な事しだすから。」
118 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:30:36 ID:Kbjr9feR0
119 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:30:40 ID:TY2lnsXY0
>>115 その集落の人間だけで、世界史を変えたなw
120 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:30:41 ID:H5gqoWSt0
>>117 そのセリフは朝鮮人に向かっていったものですけどね。
121 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:31:45 ID:SHHiSz4f0
122 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:32:04 ID:o4mTbFBG0
>>98 すごい。
詳しく知りたいので本が出ていたら教えてほしい。
>>120 いや、元ネタは日本人だよ。
で、後に民族性ジョークのテンプレになり、
朝鮮やらベトナムやらアフガンやら色々言われるようになる。
薩摩式水雷の機雷源に誘い込んでればもっと被害を与えられていた
まあ、この頃の人たちは、国や故郷のために命を捨てると言う考え方が
普通だったからね。それが行き過ぎて変な方向に行っちゃうんだけど。
今は普通に、金のため、自分のため。それしかないw
126 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:36:12 ID:MqLEdjx00
この翌年、円谷はイギリス選手と戦いに負け、3位に沈んだ。
日本にとって最悪の2年だったな。
127 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:38:01 ID:wrAcjcIH0
中華は1国でイギリスと戦った。
日本は一地方がイギリスと戦った。
128 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:38:55 ID:Gffm1FEy0
「戦争を知らない子供達」が東京で流行っていた頃、
鹿児島では激戦が繰り広げられていた。
129 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:39:36 ID:H5gqoWSt0
>>127 負けは負け。
自慢になんてなりゃしない。
この場合負けてから、どうしたかが重要。
130 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:39:51 ID:MqLEdjx00
>>115 ちなみに、東郷平八郎の兄は、生麦事件で英国領事を切った、らしい。
131 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:40:24 ID:I3FxCIK10
1963年・・・黒歴史か?
>>129 一地方も中華もどっちも負けとるがな。
スケールはぜんぜん違うけど。
133 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:41:50 ID:K+UPRXs+0
>>109 ソウダッタノカ!
島津製作所は殿様から名前を貰った家来の人が創業したんだっけ。
>>132 両方負けたのはその通り。
で、その後卑屈になれたかなれなかったか、それが大事だっツー話だろ。
135 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:43:14 ID:fq/MkSKD0
>>128 大阪じゃ「優勝を知らない子供たち」がはやっとったで。
おれの大砲も 暴発しそうだ、
だれか、発射させてくれ。
>>117 あたりに着弾する。
138 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:46:10 ID:GD1bt4gW0
江戸時代初期の日本は、ポルトガルやスペイン、オランダを
懲らしめたりもしてたわけだが、鎖国政策のせいでこんなことになったわけだな。
139 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:47:29 ID:I3FxCIK10
殴り合って友情が芽生えた戦争
140 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:47:35 ID:Gffm1FEy0
142 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:48:23 ID:Kbjr9feR0
日露戦争
東郷→薩摩藩 児玉→徳山藩(長州)
太平洋戦争
東条→南部藩 山本五十六→長岡藩
藩閥政治のほうが良かったんじゃないのかにょー
弱体化するのはいつの世も平等主義
薩摩はボコられることを想定して
住民を避難させ、
神社などが焼け落ちても復元できるように
図面を書き残すなど準備して戦った
いいですか皆さん
さっちょうどひの「ひ」は佐賀なのです!!
佐賀を忘れないでください・・・
145 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:51:48 ID:yQbTDd+u0
>>133 島津製作所は関が原の戦いで島津が負けて京都を通って退却中に
島津製作所の創業者の先祖に世話になったので
島津の殿様から島津性を名乗る&家紋の使用を許されたのが始まり。
146 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 00:55:26 ID:Bw0PIIQp0
昭和になっても、薩摩とイギリスは戦闘しているのか・・・・。
すげえじゃん。
147 :
133:2006/06/03(土) 00:58:39 ID:yQbTDd+u0
×島津性
○島津姓
148 :
:2006/06/03(土) 01:00:04 ID:GJcYytaY0
アーネスト・サトウっていうイギリスの外交官が書いた
「幕末の日本」って本に、倒幕の戊辰戦争が始まる前、
イギリス公使が薩摩藩に対し、
「イギリスは薩摩藩を支援する用意がある」と協力を申し出た。
それに対し西郷隆盛は明治維新後の新生日本の建設に
外国の干渉が入ることを危惧し、きっぱりと
「日本のことは日本人で始末をつけます」と断った。
どっかの隣の国が事大意識が染み付いていて、清国。ロシア、
日本と、あちこち擦り寄ってるうちに国が滅んだのとは
大きな違い。 やはり明治の日本人は偉かったですね。
149 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:00:17 ID:ogJX0B8P0
>>95 有能な人材は中央に出仕しちゃったんですよ。
中央行きの人材に対する反感がものすごかったから、中央組も余り鹿児島に深入りする気が無かった。
「鹿児島に行ったら殺される」と言って一生鹿児島の土を踏まなかった政府高官も居たらしい。
名前も間違えてたorz
151 :
:2006/06/03(土) 01:05:05 ID:GJcYytaY0
薩英戦争に参加した東郷平八郎、山本権兵衛
川村純義たちが日本海海戦を戦って、
勝利を掴んだんだよね。 大山巌は満州総軍総司令官。
152 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:05:31 ID:TNJ+Dx0k0
153 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:08:37 ID:NZKQxh7zO
イギリスじゃなくてエゲレス
154 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:10:36 ID:VRUtldj90
そういゃ、玉龍の同級生に島津君いたな。 一度も口利いてないけど。
155 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:16:17 ID:T45FvTxzO
薩摩は学園紛争そっちのけでイギリスと戦火を交えてたのかぁ〜
156 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:17:28 ID:Gu457vK50
>>118 下関戦争の講和に出てきたシンサク タカスギという高官は、若いくせに
魔王のような訳わからん格好して、いきなり古事記を滔々と語り始めて
賠償の土地の割譲をウヤムヤにしやがりました。
アーネスト・サトウ談
157 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:19:41 ID:RKmoaAkIO
>>16:西独逸φ ★ :2006/06/02(金) 23:46:18 ID:???0 [sage]
すみません、1863年に間違いでした。
謹んでお詫びと訂正をさせていただきます。
158 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:21:04 ID:vzMIuUiK0
なんだっけ?
この頃の話かな?
日本人がイギリスから大量に武器を買い付けるんで
不思議に思ったイギリス人が「そんなに武器を買ってどうする気だ?」って聞いたら
「これでイギリスと戦うつもりだ」って真面目に答えて、思わず苦笑させたというの。
何かの本で読んだ。
チョン並みのホルホルだなw
でも、結局、負けちゃったんだよな。
161 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:26:13 ID:VRUtldj90
秀吉の朝鮮征伐でも活躍したのは島津義弘候だし、征韓論も西郷どんだし。 なにげに嫌韓流。
よし、チャイコフスキーの1812年の演奏に使おう。
>>162 自衛隊の音楽隊が砲兵部隊?の協力で2年くらい前にやったらしいね。
気づいてたら行ってたのに。
164 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:35:46 ID:gOn+fWJE0
イギリス艦隊の砲撃で大火事が起きて多くの家屋が焼け
砲台は壊されたのに、善戦とか言ってる奴って一体・・・
こういう奴らが大東亜戦争は世界を敵にまわして
よく頑張った、感動したとか言うんだろうなw
165 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:38:21 ID:KHKQ8sv10
>>144 佐賀必死だな。分かってるって。
何か県民性出ててワロタ
167 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:41:41 ID:Gu457vK50
>>164 そもそも通商交渉に軍艦乗ってやってくるような無礼な奴らが相手なんだから、
一発カウンターかましてからじゃないとまともな話に入れないわけで。
そこらへんの時代背景は第二次大戦とは違うべさ。
168 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:44:11 ID:TY2lnsXY0
>>167 うむ。そもそも殿様の行列を横切った毛唐が無礼。
家屋や砲台がいくら焼けようが屁でもない。
170 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 01:56:49 ID:Gu457vK50
>>168 いや、そりゃやっぱ屁でもないわけなくて痛いんだけどさ、
清国のアヘン漬け半植民地状態を見たらフンドシしめてかからにゃ
とゆー気にもなるだろと。
171 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:00:14 ID:1ZmaohOQ0
大久保は良いけど、西郷は自分で幕府を倒しておきながら
いざ武士の地位が危うくなると反乱を起こした。
日本全体じゃなく、自分と自分の藩のことしか考えてなかったのねw
172 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:05:26 ID:MgLBfQ90O
1963年ってオレが生まれる少しまえじゃん。
>>171 西南戦争の前、西郷が起つ事を期待して士族の乱が西日本各地で起こった。
しかし西郷は、薩摩藩士の私学校生徒が暴走するまでは全く動かなかった。
174 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:12:13 ID:TY2lnsXY0
>>171 しかし、徴兵制を断行し、その責任を負ったのは西郷なんだよね。
議論が紛糾した時に、彼の一言で決まった。
175 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:12:55 ID:jUjzpMzJ0
>>171 鹿児島じゃ
西郷>>>>>>>>>>大久保
扱いだよ
176 :
174:2006/06/03(土) 02:14:23 ID:TY2lnsXY0
徴兵制じゃなくて、廃藩置県ね。
177 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:15:12 ID:tKgsw82u0
そんなもんで玉を飛ばしたのか。うーむ
178 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:16:07 ID:3HqhRh+B0
最近の話なのか
>>164 一般的には薩摩が一方的にボコボコに
されたと思ってるだろうから
イギリスにもけっこう被害が出ていたというのは
知らないだろう。
当たり前だ
西郷軍はロシアの南下に備えて猛訓練してたんだから
それを西郷幕府の準備と疑った大久保らが
西郷暗殺団や武器庫襲撃団を投入して西郷軍の若者を挑発
激怒して暴れたのを口実に袋叩きにして殺した
鹿児島県令(県知事)は薩摩士族のパシリ。
日本国の一体化には、国内国の鹿児島県を普通の県にする必要は有った。
しかし良く考えるとすげーな。
薩摩藩 対 大英帝国
明治天皇は西南戦争で西郷が出陣しても、
西郷が自分に対して謀反を起こしたなんて全然思っていなかった
天皇が自身が逆賊である西郷を愛していたのだから
184 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:39:01 ID:+RJrLlXo0
俺が3歳の時のことなのだが、少し感想。
「西郷せんべい」食べたい!まだあるか?30年前にはあった。
つまり薩英戦争の13年後には「西郷せんべい」は存在していた。
185 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 02:41:19 ID:6dzewUJS0
西南戦争の20年後に、
天皇に対し謀反を起こしたとされる
大犯罪者の大逆賊として殺された西郷隆盛の像が
上野に建立されたことだけでも
明治天皇が西郷を愛し、
西郷が自分に対して謀反を起こしたのではないと思っていた証拠だ
187 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 03:03:03 ID:YMELu2TS0
おっきぃ…
軍靴の音がっ!!!!11「
189 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 03:56:08 ID:Sr3bTXoJ0
さすがにノムヒョン大統領が軍国主義の色彩が強いと恐れた鹿児島だ。
191 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 06:53:19 ID:C/j7RHOD0
>>182 グルカ族 対 大英帝国
の前例もある
敵の実力を認めた両者が、その後に同盟を結ぶのまで同じ
192 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 06:58:13 ID:v15GurQ4O
すげぇ…流石は薩摩隼人。終戦から20年経っても鬼畜米英と闘っていたのか。
193 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 06:59:46 ID:fjorAx380
>1963年薩英戦争で
ぉぃぉぃ
ベトナム戦争直前に薩摩藩とイギリスの戦いがあっただなんて
195 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 07:04:04 ID:fjorAx380
196 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 07:30:38 ID:X69OKhtu0
文久3年5月、幕府から生麦事件の賠償金を受け取ったイギリス代理行使ジョン・ニールは、
さらに薩摩藩と直接交渉するために、同年6月27日クーパー提督率いるイギリス艦隊7隻
(旗艦ユーリアラス号2371t)に同行して鹿児島湾に遠征しました。
薩摩藩に犯人の逮捕処罰と被害者、遺族への賠償金2万5000ポンドを要求しましたが、
薩摩側は拒否。交渉は不調に終わります。
ニールは強硬手段を行使し、7月2日イギリスは薩摩の汽船3隻の拿捕を手始めとし、
薩英の間で砲戦が開始されました。
暴風雨の中、英国艦隊と薩摩の陸上砲台の間で激しい砲戦が展開されました。
鹿児島城下北部が焼かれ、薩摩藩の諸砲台が壊滅的損害を受けました。
イギリス側も旗艦の艦長と副長が戦死、60余人が死傷する損害を出しました。
備砲の射程はイギリス軍艦の方が上回っていたのですが、薩摩藩は二週間ばかり
前に射撃演習したばかりの標的近くに敵旗艦が進入してきたために、
正確にねらい撃ちできたようです。
関ヶ原敵中突破
琉球国侵攻
薩英戦争
戊辰戦争
西南戦争
巨大軍閥
特攻隊基地・・・
まさに闘いの県ですな。明治初期の江戸では「地震 雷 火事 薩摩」と
恐れられ(嫌がられ?)ていたそうな。
薩摩藩だけはガチ
>>197 逆に彰義隊はモテモテだったらしいですな。
「彼氏にするなら彰義隊(正式な歌詞わすれた)」なんて歌があったらしい。
皮肉なことに薩摩ではなくて、ヤバすぎるんで禁じ手だった佐賀藩のアームストロング砲の
前にさっさと破れたらしいですが(一般説でちゃんとした歴史は知らないけど)。
200 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 08:17:32 ID:McdHfkHZ0
なにかってえと「オイドン」というサツマイモおれは今もきらい。
天下取った気分だろうが昭和20年8月15日で終わった。
因に長岡藩ってのはどうだ
201 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 08:58:55 ID:/f61NXOe0
>>193 まぁ、スレ主も何度か謝ってることだし、許してあげようではないか。
私の生まれる少し前の話であってもな・・・
202 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:05:29 ID:htsKIi7c0
4カ国連合艦隊に砲撃し、負けた長州の方が上
どうせなら彦島を香港化してほしかった
203 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:13:08 ID:BCK9RTEi0
幕府直轄の長崎をなめんなよ!
殿様いねえんだぜ。
金さんは有名だけどね、親父の方だけど。
英国は、地球の反対側まで来て、外国と接触して
わずかな期間で大砲を作って対等の戦闘を
したことに驚いただろうね。
そしてさらに、薩摩の力を見抜いた英国が
薩摩と手を結んで倒幕に向かうのが凄い。
205 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:20:28 ID:4KBtBeX40
ポツダム宣言受諾後に連合軍の最初の本土上陸が薩摩だったというのは
歴史の皮肉だね
206 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:27:54 ID:iEjDdZR00
207 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:32:25 ID:1uCtdZdm0
薩摩と長州は日本の誇りだな
そこ行くと会津や水戸は中途半端だなあ
>>200 昭和20年8月15日に終了したのは山本五十六の長岡藩。
幕府を無視して宣戦布告して勝手に負けて
賠償金は幕府に払わせたんだっけ?
確かにそんな恥知らずはそうそういないな
210 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:37:06 ID:4zpUx4rJ0
このスレの初めの方を見たら40歳前後のカキコが多いな。
やーい。おっさん!!!
というわしも昭和40年生まれorz
211 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:39:03 ID:iEjDdZR00
日清戦争、薩摩の大山巌大将。
旅順虐殺
>『ニューヨーク・ワールド』(11月28日付)や『タイムズ』により、「旅順陥落の翌日から四日間、
>非戦闘員・婦女・幼児などおよそ6万人を日本軍が虐殺した」と報じられたのである。
あくまで「損害」程度の被害しか与えられなくて、
しかも逆に賠償金払う事になった件については
忘れてくださいです・・・
指宿住人より
213 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 09:57:01 ID:DQjhmJ3Y0
子供の頃近所の人に聞いたんだが、当時は結構凄かったらしい。
磯庭園の方で両棒餅食ってると砲弾落ちてくるわ、鴨池空港から砲撃するし。
NHKは天保山から中継しやすかったそうな。鹿児島新報は号外を地蔵角で大量配布。
MBCは納涼船出す始末。普段ニュースが少ないもんだから、県内マスコミ浮かれすぎ。
俺が生まれる五年前にこんな事件あったのか・・・・・
215 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:02:47 ID:Fx/XKnvu0
>>189 あのノムヒョンにそんなこと言われてたのか、鹿児島って。
N速+的には日本一まともな県って言われてなかったっけ?
今すぐ鹿児島に首都機能移転しろよ。
でもその前にDQNいわ○きを殲滅させてからなwww
>>213 英軍爆撃機編隊からの艦対地ミサイル一斉射撃はすごかったよなw。
水戸藩は、納豆だぞ! うまいんだぞ!
薩摩勇人が、近代日本を作ったともいえるからな。
218 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:28:14 ID:osnarFN/0
慶喜の英断も思い出してやってください。
大政奉還で無血開城が成ったため、大規模内戦に乗じて植民地支配の足がかりにしようとした
イギリスやフランスは肩透かしを食らった。まあ内戦は起こるんだけど。
聞けば敗戦濃厚にもかかわらず幕府軍には庶民も結構シンパを感じていたらしい。
219 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:28:22 ID:Mumg2se10
その時イギリスが薩摩のみかんを持ち帰ったことから、英語で温州みかんを "satsuma"と
呼ぶようになったとさ。
220 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:30:55 ID:jLo8OQrl0
醤油の英語語源も薩摩起源ニダヨ。
221 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:38:50 ID:e0QiYZL50
うちのおとんもイギリスと戦ったのかーっ!
222 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:41:56 ID:ZQ5TS2tj0
でも、最近の西日本はちょいとおかしいよね。
どうも特亜に優しい感じ。
223 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:46:21 ID:2ZFtjDXKO
薩摩はイギリス艦隊にボロ負けしたんだよな
イギリスの大砲のが日本の大砲より数倍も性能がすごいからな
224 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:48:15 ID:KgZhzqDW0
>>29 金剛組に比べると島津などまだまだ新興企業
日本は九条の縛りで長距離射程の大砲持てなかったの?
226 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:52:49 ID:6Vc+sea80
>>223 当時の日本の砲弾は丸。
んで、当時の英国の砲弾は今と一緒の新幹線みたいな形状。
同一火薬量と砲身の長さであればそれだけで飛距離が1.5倍近く伸びる。
227 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 10:55:56 ID:Fx/XKnvu0
>>222 島津義弘、西郷隆盛以来の伝統を汲み、南日本の一貧乏県に転落してしまっている
今ですら現職韓国大統領から恐れられている鹿児島の爪の垢でも煎じて飲んでほしいものだがね。
228 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:02:09 ID:Pw+OVHHQ0
>>213 ワロタ 磯庭園の近くに両棒餅屋密集してるよねw
食べたいなぁ。
>>196 激しい砲戦のあたりは、こんな感じ……
英艦隊が攻めてきたので、それに応じて砲撃する薩摩砲台。
通常なら薩摩の砲は大型なので、ここで結構良い勝負するのだが、さすが大英帝国。
当時としても最新鋭の長射程砲『アームストロング砲』を搭載している艦が結構あったので、薩摩の砲台の射程外から砲台を狙ってロングレンジ攻撃を行う。
んで、薩摩武士。日本一命知らずな侍で有名だが、同時に犬死にを嫌うために逃げ足が一番早いことでも有名。
自分たちの砲弾が届かないと見るや『これはいかん』と、さっさと砲を引っ込め、そこら辺の木の枝とかで砲を覆って幾つかの砲を隠すことに成功。
そして、砲台からの反撃が無くなったので英国軍、意気揚々と上陸。
実はこの英国艦隊、上海など中国各地で実戦経験豊富で『今回もどうせ刀振り回す蛮族だろう』とタカをくくってやってくる。
そして、待ち受けたのは着物の裾をからげて、下半身はふんどしむき出しで靴すら履いていない裸足姿で刀をひっさげている若者達。
やっぱり蛮族だと、悠々とライフルを構えて上陸を開始する英国軍。
230 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:18:33 ID:AxzXa69d0
薩閥が衰え、長閥、関東、奥羽諸州の人間が東京に跋扈するようになり、
日本の軍事力は衰退した。
231 :
西独逸φ ☆:2006/06/03(土) 11:20:37 ID:GWqWeeXe0
1863です。
改めて
m(_ _)m 。
232 :
229:2006/06/03(土) 11:20:43 ID:hrLoQcYH0
ところが……
この迎え撃った薩摩武士、寺田屋事件の生き残りの凄腕の示現流剣士達ばかり。
“激尺五間”“幕末最強の剣術”示現流剣士は、敵にライフルの狙いをつける間も与えずに切り込みます。
足下が悪く体勢を整えるのに苦労している英国軍に対し、ふんどし&裸足のやたらと脚さばきの身軽な薩摩武士。
新撰組ですら「一対一で相手するな、三人以上で押し包め」と指示された示現流剣士、到底銃剣で太刀打ちできるハズもなく。
示現流剣士はどんどん英軍上陸部隊を討ち取っていきます(ライフル7丁手柄に持ち帰ったヤツとかいるそうな)
楽勝だとのんきに構えていた艦隊司令、いざ戦闘が始まってみたら自軍が虐殺されているのに面食らって、あわてて上陸部隊を回収しようと船を浜に近寄せます。
233 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:21:29 ID:feIKtD3b0
鹿児島 VS イギリス
234 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:22:34 ID:I3FxCIK10
このあとイギリスと仲良くなったので、現在の食パンは我々が現在食べているイギリス式のものとなった
>>213 磯のケーブルカーからは戦いの様子がよく見えたんだってね
まぁ、鍋島藩の科学技術ががばいすごかったけん、勝ったとばい。
237 :
229:2006/06/03(土) 11:27:13 ID:hrLoQcYH0
そこで!
先ほど、さっさと砲を隠して逃げた砲台の連中!
「近くに寄ってきた、届くぞ!」と、砲を砲台に引っ張り上げ、ここぞとばかりにバカバカ打ち始めます。
運悪く、英国艦隊が近寄った場所が、つい最近に砲撃訓練の標的を浮かべていた場所だったもんだから、面白いように打てば打っただけ砲弾が命中。
旗艦ユーリアラス号は特に酷く、艦橋に砲弾が直撃。艦長と副長が揃って戦死というアリサマで、英国艦隊はほうほうの体で退却をするハメになった。
なったけど、その腹いせに目に付いた沿岸の村や工場を片っ端から砲撃したために、薩摩藩の工業生産施設も全滅。
結果としては、痛み分けに終わったと言うことに。
ただ、薩摩側の死者9人に対し、英国側の死者60人。
幕府に取り入ったフランスを苦々しく見ていたイギリスは
「これからは薩摩ではないか」と薩摩藩に急接近。
それ以降は史実の如く。>232
238 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:29:04 ID:RxYe14rR0
いまから40年前だろ
俺も当時まだ珍しかった白黒テレビのフィルムニュース、夢中でかじりついて見てたよ
239 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:30:02 ID:oGhYSHqU0
>>236 いや、兵器では最新鋭の英国に完敗してるからwwwwwwww
>>237 この文章すき。
もっと読みたい。
教えて ネ申さま〜
242 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:35:12 ID:m4UoN+Su0
243 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:35:59 ID:6Bbinln90
244 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:38:40 ID:+HPIpZA80
英国側は砲撃はしたものの、受けた損害から
砲台を破壊するために上陸するのは危険と判断して
退いたんじゃなかったっけ?
この戦闘では薩摩側も榴弾を使用したはず。
245 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:43:17 ID:EaOwvu8v0
>>148 官軍対幕府軍で幕府の負け戦の時、幕府側の軍事総裁勝海舟に
「支援させてよ」とフランスの公使だかが言ってきたのを、やはり
日本を乗っ取られるのを危惧した勝海舟が丁重にお断りしたよ。
246 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:44:40 ID:B0dVvETq0
247 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:50:48 ID:SNYHh7JMO
フランスが話を持ち込んだのは小栗上野介
600万両の金を借り、官軍に抵抗する予定だったが
勝の進言を容れた慶喜が拒否。慶喜が直々に小栗を罷免し
小栗は故郷に帰った。後に処刑される。
この時、小栗が財宝を埋めた、という話があるが
正直うそだろな。んな金があれば幕府のために使っただろうし。
まぁ小栗は小栗で、横浜に造船所を作ったり、能力はある人だった
勝は後に小栗の事を、あの人は偉かった。三河武士の美点と欠点を持っていた、と
評した。
248 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 11:58:09 ID:EaOwvu8v0
>>247 小栗が先立ったんだ。そう言えば「勝さんに話がある」と言ってきたの、
小栗だったもんね。会議の時の事しか思い出せなくて忘れてたよ。
でも小栗の言う通りにしたら、幕府は残ったかもしれんが、日本は
危うくダメポに成る所だった〜。
249 :
まさに天罰だな!:2006/06/03(土) 11:58:53 ID:j8PpkndjO
香港を失い、いままた東亞の拠点シンガポールを喪失、
数世紀に渡り七つの海に雄飛し、
世界の富と領土を独占した英国没落の弔鐘は高らかに鳴り響いている。
皇紀二千六百二年二月十五日!
この日こそは世界歴史を転換する日であり、
我が一億の日本民族、いや東亞十億の民族が奥底から歓喜する日である。
∀ <_☆_> [万●歳]
G\(〇m〇)
\ ※:@*\ ♪皇国の勝利に乾杯!
250 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:05:34 ID:OVNxMVx3O
1963年当時のイギリス海軍の兵力は、どうだったでしょうか?ってオチがあるでしょW
143年前の薩英戦争を知っている今のイギリス人はどれ位いるのか気になる。
あと、ロンドンの戦争博物館に行けば下関戦争や薩英戦争関係の資料を見ることができるかもね。
251 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:14:49 ID:4KBtBeX40
フランスに戦利品として下関から奪った砲身が博物館に野ざらしに展示されてる
252 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:16:10 ID:QBcmQFvjO
日本人はまだこんな事をして小さな戦争賛美を積み重ね、
軍国主義への風を強めたいのですね。
いったい何を反省したのか……
>>252 反省? それは、猿の仕事。
日本いや、アジアの植民地化から巣食ったこの事件こそ、
歴史的に学ぶものが多い。
李なんとか、なんて、世界史に出てこないからな。ww
254 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:20:52 ID:BptTxubN0
この大砲さ,せっかく復元したんだからさ,対馬に持って行ってさ,特アに向けてさ・・・・・・
255 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:25:11 ID:QBcmQFvjO
そうやって自国の過ちを過度に、隠蔽、改竄、工作して、賛美する姿勢
に問題があるのです。
猿にでもできる反省が、できない日本人は、猿以下だと
恥ずかしく思ったりしないのですか?
>>229 >>237 ん、英国兵は上陸していないじゃないのかw。
武道与太よ、いくら銃に勝てないからって、コラコラ歴史を捏造するなw。
今ちょうど吉村昭の生麦事件読んでる
258 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:27:14 ID:plY7gq8b0
だがちょっと待ってほしい。海外からの使者に対して大砲で向かえた事実から目を逸らし、
被害にあわれた方たちの心情をも踏みにじる今回の事は、あまりにも歴史を軽視していると
言わざるを得ず、安易なナショナリズムに沸騰する幼いネット言論の発露として警鐘を
鳴らしていかなければならない。
ちょww
自国の過ち?? って何よ?
艦隊で砲撃してきて何もしないことが正しいのか??
まー あれだ、朝鮮人は、軍隊持っていたのに逃げたからやられたのですよ?
勝負事は、いのちをかけて本気でやらなければ意味が無い。
朝鮮戦争は、過ちだったのか? 北に攻められて、守ったことにさwwww
260 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:28:33 ID:kMm6ICuk0
>>229 >>237 イギリス兵と薩摩兵が地上戦をやった記録はない。
幕末の海戦
ttp://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse024.html ところが、7月12日の払暁、突然イギリス側は薩摩藩の汽船三隻を拿捕し
ようとした。薩摩藩との数度の書簡による交渉に満足しなかったため、強
行手段を用いれば満足すべき回答が得られると考えたのである。すぐに
2隻の汽船が拿捕されたが、すぐにそれに気づいた薩摩藩が砲撃を加え、
これにより薩英戦争の火蓋が切って落とされた。
戦闘の経過を見てみると、はじめは薩摩藩が、暴風雨の中砲撃を開始した。
この先制攻撃はイギリス艦隊にとって予想外であったらしく、パーシュース
号などは初弾数発が命中し、錨を上げる暇もなく、錨鎖を切断して逃れる
有り様であった。また、旗艦ユーリアラス号も初弾を発射するのに2時間
近くかかっているが、これは幕府からの賠償金のドル箱が弾薬庫のドアの
開閉の邪魔になっていたためであり、イギリス側は全く不意をつかれた形
となった。
特にこの2隻は、横山砲台の真下にあったため激しい砲撃を受けているが、
損害は軽微であった。このように、最初は英艦も混乱していたが、徐々に混
乱も収まると、隊列を組んで反撃に出た。一度北上した後反転して南下し、
また、天候の回復により、正確な砲撃で集成館、祇園州砲台を全滅させ、
づいて弁天波止砲台を攻撃した。この際に旗艦「ユーリアラス」号が偶然薩
軍の射程距離内に入ってきたため、弁天波止場砲台の80ポンド、150ポンド
榴弾砲により激しく砲撃され、甲板に直撃弾を受け、艦長ジョスリング大佐と
副長ウィルモット中佐、他数名が戦死、負傷している。しかし、結局はそれの
みが薩摩藩側の特筆すべき戦果であった。これに対し、薩摩藩側ではこの
日だけで砲台を8割近く破壊され、また、集成館と市街地を1割(約500戸)を
焼失している。
ちょい賎人の 主張は、この程度か、
>>229 >>237 イギリス兵と薩摩兵が地上戦をやった記録はない。
幕末の海戦
ttp://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse024.html 次の日の朝、英艦隊は戦死者を水葬すると、午後には抜錨して、未だ健在だ
った沖小島砲台等を攻撃しながら退却していった。 もう一度両軍の損害を見
てみると、薩摩藩側は砲台を殆ど失い、汽船3隻を焼失してしまい、これ以上
英艦隊の攻撃を防ぐ術がなく、また、集成館も焼失してしまい、自力での軍備
の再編は不可能となった。また、市街地も1割ほど(500戸程)焼失してしまっ
たが、これだけの被害を受けながら、戦死者5名、負傷者14名と案外少ない。
これに対しイギリス側では、薩軍の先制攻撃に不意を突かれ数艦が命中弾を
受けておりコケット号にいたっては自力航行不能となってしまったが、各艦とも
かろうじて健在であった。だが、先に述べたとおり、もともと戦争をすることが目
的でなかったため、石炭の備蓄が十分でなく、これ以上の戦闘は無理であっ
た。また、戦死者11名、負傷者39名を数え、薩摩藩のそれと比較すると人的
損害は大きく、しかもその中にはジョスリング大佐のような上級将校も含まれ
ていた。
264 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:37:59 ID:QBcmQFvjO
つまり日本人は戦争を格好いいもの、勇ましいものとして
9条を改悪し、アジアを再び戦火に巻き込みたいのですね。
>>263 逆にいえば、幸運にも両国とも被害が最小限だったから、
その後の交渉などにも深い感情は少なかったのかもね。
266 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:40:16 ID:oIEBLDXB0
当時の大英帝国と日本の一地方自治体が戦争したというのも凄いね
ID:QBcmQFvjO
>つまり日本人は戦争を格好いいもの、勇ましいものとして
>9条を改悪し、アジアを再び戦火に巻き込みたいのですね
朝鮮には、友好国や、同盟国が居なかったらって妬むなよ。
自衛権は、国際法上も、どこの憲法でも認められているのだから、
相互主義だろ。
日本だけが平和主義っていうのに限界が来ているだけだろうな、
外因からさ、不審船問題とか、拉致事件とか、竹島問題とか、
あら?すべて朝鮮だな原因は、
>>264 日本人批判より、まずお国の歴史教科書を見てみなさい。
ID:QBcmQFvjO
なにもいえなくなって、 ママのところに帰ったか?
朝鮮に帰ればいいのに。
本当にママに泣きつくなよwww
英国艦隊と薩摩軍だったな、幕府は見ていただけかかな・・・。
271 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 12:57:25 ID:6Bbinln90
>>248 小栗を過少評価しすぎ。
小栗は廃藩置県まで視野に入れた行動をしていたし
自由貿易推進論者の重商主義者だから返金のあてはあった。
また相手国にフランスを選んだのも当時のナポレオン三世に
よるフランスの政体をよく理解していたから。
何の利益もフランスにもたらさないクリミア戦争おっぱじめる
くらいの理想主義者の第2帝政時代のフランスだからね。
小栗親子を処刑としたのは板垣?
おぐりキャップ
274 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:05:44 ID:jLo8OQrl0
>>263 水葬ということは、
錦江湾のどこかに英水兵達が眠っている、って事ですか。(-人-)
275 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:10:40 ID:EaOwvu8v0
>>271 いや別に小栗を過小評価している積りは無いのだが。
余り詳しくは知らないのだが、かなりの切れ者と言う意味では勝海舟と並ぶと
称されているし、賄賂なども多用したようだが、それも私利私欲の為でなく
滅私奉公の為と、認識してる。
ただ残念なのは、小栗の公とは幕府であり勝の考える公は日本と言う
違いが有ったと思う。
当時の武士の価値観からしたら、実は小栗の方が正しかったのかもしれないけどね。
>>271 小栗の評価については、最近までかなり厳しいものだったから仕方ないよ。
今でこそ見直されてきたけど、保守論壇+右翼陣営は頑としてそれを受け入れない。
明治維新と新政府を絶対神聖視する右の連中にとっては、小栗は絶対悪じゃなきゃいけないからね。
277 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:19:25 ID:+HPIpZA80
薩英戦争は侵略戦争とは無関係。
薩摩藩主島津久光の参勤交代の行列を、横浜の生麦で
英国人数人が馬でさえぎり隊列を乱したのに対し、
警護の薩摩藩士たちが抜刀して無礼討ちしたという
生麦事件に対する報復として起きたもの。
薩摩藩士たちは当時の日本社会の慣例に則って対応したに過ぎない。
生麦事件は当時の日本の慣習、タブーに対する英国人たちの無知、
また恐らくはアジアに対する蔑視感、文化的優越意識から生じた
偶発的事件だ。
その点で、はるかにスケールが小さいがアヘン戦争やアロー号事件
と同種の戦いとみなしていいと思う。
278 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:22:04 ID:9oC5Lwk80
大和が復元されるのはあと100年くらいかかりそうだな
279 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:23:41 ID:DQjhmJ3Y0
>>274 きびなごのエサになりますた。
刺身は酢みそで食べるとウマ〜
英霊に感謝しながら。
280 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:23:42 ID:ZmK4nYkL0
>>277 > アヘン戦争
侵略戦争じゃん。
英帝にしても戦争をはじめる口実としては十分。
281 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:25:31 ID:i2ePLTkp0
劣悪民族のように謝罪と賠償は求めないんですか?
282 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:30:25 ID:+HPIpZA80
>>280 それは「英国の」侵略戦争だろ。
清国側からすれば国民の安全と、誇りを守るために起きた戦争。
生麦事件、薩英戦争も同様。
283 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:32:59 ID:czwmSbfxO
昭和38年
そこで、生麦 生米 生卵ですよ。
285 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:43:03 ID:SNYHh7JMO
小栗が板垣老中に開陳した意見では、幕府の温存があった。勝はそれを聞いて反対している。
勝はむしろ幕府が政権を返上し、国内一致を図るべきだ、とも進言している。
大政奉還は坂本竜馬が起案者だが、坂本は勝の弟子だったから
元は勝のアイディアかもしれない。
後、金を返すあてについては微妙。フランス公使はロッシュだったが
そのことについて言及は無い。勝は領土の租借もありうる、と
先の反対理由に挙げている。
しかし、小栗は有能であった事は間違いないが。
すごい・・・
太平洋戦争後も薩摩は、存続し1963年ついに薩英戦争を起こしたのですね。
287 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 13:59:49 ID:GD1bt4gW0
秘録・幻の明治新政府
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/2004_11.html#02 >>鳥羽伏見の戦いで錦の御旗があがった。その瞬間、徳川方は朝敵、薩長は官軍という、
>>その後の明治日本の枠組みが世に示された。しかし実は、全く異なる新政府構想が
>>鳥羽伏見の戦いの直前まで進んでいたのである。その政権の中枢に迎え入れられるはず
>>だったのは、徳川慶喜、まさにその人である。
>>王政復古から鳥羽伏見にて錦の御旗があがるまでの27日間、幻のように存在した、
>>知られざる徳川込みの新政府構想。それが大久保らの画策によって潰えていく経過を、
>>慶喜の新政府入りを推し進めた松平春嶽の視線で描く。
288 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:00:20 ID:+HPIpZA80
>>286 ほんとだ。今まで誰一人突っ込まなかったとは。
でもそんなとこに突っ込んでどーするよ。
×1963 ○1863
この年は北日本が豪雪だったんだよね
290 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:01:29 ID:86zDkwPl0
よし、これでテポドンもOK〜!!
291 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:03:13 ID:Mumg2se10
チェスト行け、ヤング〜!
292 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:05:36 ID:KQZFJELfO
そうか...
東京オリンピックの前年に、そんな戦争があったのか...
293 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:06:44 ID:r9Qa9hcx0
まだ沈まぬや定遠は
294 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:08:54 ID:iEjDdZR00
日本と同じく鎖国をしていた朝鮮はアメリカ軍船を撃沈。
薩摩にかったニダ。
295 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:14:23 ID:fXx29apH0
1963年石灯籠今村病院生まれの俺様が来ましたよ。
そんな周囲の状況も知らずに、
カアチャンのおっぱいを飲んでた俺様も、はや厄年か・・・
296 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:17:45 ID:/pLOdUcM0
ヤードバーズにクラプトンが加入した頃だな
今夜も砲身磨きハァハァ
298 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:19:28 ID:yOLG+5ON0
クラプトンって藤原ヒロシにエリックって呼び捨てにされてる爺さんのことかぁ?
299 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:23:24 ID:TY2lnsXY0
ビートルズも危うく無礼討ちされるところだった
300 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:33:55 ID:k8z5YoHK0
300なら女子高生にレイプされる
>>264 自分の国の軍隊、歴史に対して誇りを持つのは当然のこと。
ちなみに中国は、捏造が大半の反日、共産軍賛美の施設を山のように
国主導でつくっているね。
さらに日本は民主主義陣営の1翼として、この地域のよき隣人でありつづけたが、
中国などはまったくそれと逆行してきているなぁ。
チベット侵略、台湾の主権侵害、年産100発をこえる核弾頭の清算…。
実際に行動にうつし、侵略を示唆している隣国は非難せずに、
小さな過去の歴史に誇りをもとうという日本の精神は非難するのかな?
アメリカやソ連じゃすでに宇宙に行ってたというのに、
おまいらときたら。
302 なら 300は、取り消し、
ホモに襲われる。
304 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:37:13 ID:k8z5YoHK0
305 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:51:23 ID:hnw9SmAK0
>>206 >以後、明軍に「鬼石曼子」と恐れられた。"
・・・・・「きせきま●こ」?アラヤダ・・・
>二十倍の明軍を打ち破り、晋州川まで追撃して、敵兵の首三万八千余を
・・・・・・・・く・・・首三万八千余!!!
むきーーーーーーーーーーーーーーー111!
謝罪と賠償を要(ry
しかし、1万の兵で20万の敵を一手に引き受けるって・・・・・しかも勝つのがスゴイ
・・・つか怖い。(ガクブル)
ラオウ軍かよw
306 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 14:54:29 ID:fXx29apH0
>>305 図書館逝って、「島津奔る」借りて読んでみては?
>>305 武器のレベル差が大きければ可能。
インカだかアステカだかで、数百人の鉄砲持った部下を率いて、
数万の現地人を制圧した例もある。
武器のレベル差はそこまでひどくなかったはず。
中国の場合、当時すでにある程度の銃砲はもっていたからね。
ただ、日本のもののほうが命中精度がよく、歴戦のベテランがおおかった
ため総合的に野戦ではこちらが圧倒的に上だった。
ただ、20万も派遣されていたっけ…。
漏れの記憶では、明の援軍は10万をこえてなかった記憶が…。
>>307 インカだね。
数百どころかもっと少なかったような。
あれはたまたまスペイン人が当時のインカの伝説に合致していたのと、
インカ側がずるずると譲歩するだけして、抵抗の決意をなかなか
しめさなかったのが最大の原因。
やっと決意を固めたときには、かなりの族長が王権に反抗していて、
もうにっちもさっちもいかない状態になっていた。
政治的態度によっては何とかなったかもしれない事例。
309 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 15:48:51 ID:tH71k7SY0
前の年に戦争やったのによく東京オリンピック開催できたな
310 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 15:56:24 ID:RmGDAPrn0
天山流砲術だろ。
311 :
名無しさん@6周年:2006/06/03(土) 19:46:03 ID:Mmd0+2IN0
>>264みたいなのって60年代から90年代の日本の世論には、効いたんだよな。
今はまったく逆効果しか生まなくなった。作用反作用を煽り立てるだけ。
時間の経過は面白い。
>>308 満州事変でも中国側は日本の10倍だったんだが
押し捲られてるんだよね。
中国は、当時も今も世界最大の兵士の数を誇る
んだが、なにか問題があるとしか思えない。
314 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 07:31:19 ID:Z5dO98LAO
黒光りする砲台
315 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 07:38:42 ID:QfLr871r0
「鬼石曼子」で「クイシーマンズー」
316 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 09:38:33 ID:Tf7nKDDyO
薩摩揚げ
1963薩英戦争
318 :
ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2006/06/04(日) 09:42:51 ID:PbL91xm50
∧∧
( ,,,,( =゚-゚) スゲー
⊂,,,,,,,,,,,,,,,つつ
>>313 満州事変では、石原参謀の手腕が卓絶してたからね。
ただ、中国軍が頑強な陣地にこもって戦ったときは、上海事件などで
日本軍はかなりの損害をだしている。
どうも日本人は昔から野戦に強く、城攻めは苦手らしい。
320 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 17:01:25 ID:GnNH4bVk0
へぇ、じゃあ城攻めの名人だった豊臣秀吉は、
希有の貴重な才能の持ち主だったんだ。
むしろ薩摩藩の街を焼け野原にしてくれたイギリス艦隊の大砲作れよ
臥薪嘗胆
あの事件以降日本はずっと欧米に支配されっぱなし
薩摩士族だと
軍つくの足音ではなくて 足袋なのではないか
>>313 中国の兵法の書をよめばわかるが
いかに味方の兵士を逃さないかが書かれている。
夕方に1万の兵士がいても 朝起きたら1000しかいなかったなんてこともありうる
一方 日本兵は外地で戦っており常に背水の陣状態
夜の間に逃げ出しても そこは敵地なんだよ
324 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 17:38:06 ID:GnNH4bVk0
貴重な町の十分の一が!それに引き換えたった2隻。
試験に通らないと、家禄8割没収の肥前藩の科学力があれば。
326 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 18:16:56 ID:N7Uz9q5aO
ちょっと待ってほしい
327 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 18:41:35 ID:q8rQHOlG0
うんにゃべ
328 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 21:27:32 ID:gjXzrnwV0
>>156 彦島割譲の話だな。
香港・上海の実情を知って、欧米列強による領土割譲だけは是が非でも避けた。
高杉は奇兵隊ばかりクローズアップされるけど、この功績は
世界史的なトピックだと思う。
その後、榎本武揚は蝦夷地の一部をプロイセンに租借させました。
明治政府の榎本政権打倒後、明治政府はプロイセンに高額の出費をして
租借条約を破棄しました。
今でも当時のプロイセン農場が残っており、
土方歳三マニアがやってきては、
「薩長の馬鹿どもより優れた文明を我々は持っていた」と
吐き捨てて帰っていきます。
だがそれは、そこが植民地になる寸前に阻止した明治政府の働きを示す場所なのです。
330 :
名無しさん@6周年:2006/06/04(日) 21:44:45 ID:q8rQHOlG0
>>329 >土方歳三マニアがやってきては、
それって何て同人腐女子?
>>319 >>320 攻城戦は戦術の妙や勇猛さよりもロジスティックが物をいうからでは?何しろ時間がかかる。
332 :
名無しさん@6周年:2006/06/05(月) 17:34:48 ID:m5/bfqKEO
有能な人材が全部東京に行ってしまっただぁ
333 :
名無しさん@6周年:2006/06/05(月) 17:37:54 ID:F/aVZ7IO0
あーびっくりした
賠償請求されたのかと思ったやん
334 :
名無しさん@6周年:2006/06/05(月) 17:38:44 ID:3t9GZYEQO
軍靴の足音がうわぁぁぁ
335 :
名無しさん@6周年:2006/06/05(月) 17:51:22 ID:nBVfTY/90
幕末の九州は元気あったんだな。
アームストロング砲自作した佐賀藩なんて、
今に例えると佐賀県が核兵器作っちゃうようなもんか。
336 :
遅いw:2006/06/05(月) 18:03:47 ID:1OSPnuBq0
今気付いた。
>>1の画像って別に人がムチャクチャ遠くにいるわけじゃ
ないんだな。
大砲でKEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!
>>336 言われて見直してみた。
車輪とかすげえ大きさだな。
これ、撃つと当然反動で後ろに下がるんだよな。
元の位置に戻すのってどうやってやってたんだ。
俺の知り合いに、信長の野望で速攻で島津に飲まれる
肝属家の末裔がいる。
いまでも復讐心はあるらしいw
スレ違いだが。
飲まれた奴ですらそれだからな・・