【裁判】 「僕は生きたまま埋められるのかな」が最後の言葉…栃木リンチ殺人、勝訴の父「息子・妻に"やった!"と言いたい」★8

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490名無しさん@6周年

 こうして正和は右手、下腹部、両太もも、背中にやけどを負った。水ぶくれができ、皮がむけてベロベロになった。
 肉は真っ赤に腫れ上がっていた。だが、火炎攻撃を終えてからも、日課となっていた熱湯コマーシャルを怠ることはなかった。
 この日のことを植村は警察の調べに対して、こう話している。
「泣き叫びながら『熱い』『すいません』というのがおもしろくてやった。
 どうせやけどをするのは須藤だし、自分が熱いわけではないので気にしなかった」
 リンチは時間を経るごとに、さらに凄惨さをきわめていった。
 火炎攻撃でやけどを負った正和の体は、その後に続いた熱湯コマーシャルのために見るも無残になった。
 皮膚はボロボロにただれ、傷口からは体液がジグジグ流れ出し、腐敗も始まっていた。
 それでも無理やり風呂場に連れて行かれた。抵抗すれば「お仕置き」と称して、狂ったように殴りつける……こんな繰り返しに、
 正和もしだいに抵抗する気力を失ったようだ。
 マンネリ化したリンチへの刺激なのか、11月20日から数日間、渋谷のカプセルホテルに泊まった時は、
 ほかの客も入ることができる大浴場へ正和を連れて行き、それぞれ最高温度にしたシャワーを持って、
 狂ったように奇声を発しながら正和に襲いかかる「一斉射撃」をしたという。
491名無しさん@6周年:2006/04/13(木) 19:53:15 ID:JEgmL6470
(続き)
(中略)
 司法解剖の結果、正和の胃は空っぽでした。食事も与えられていなかったのです。
 この日はいったん深夜に帰宅しました。そしてH、M、Uの家に電話しました。悔しさが一気に
あふれ出しましたが、気持ちを抑えて「明日、火葬される前にどんな顔になっているか見にきてくれ」
と言いました。どの家族からも謝罪の言葉は一切なかった。それどころか「うちの子がいま、どこに
いるのかわからない」と、自分の子供の心配ばかりしている有り様でした。


「警察に捕まれば5,6年は出てこれない。20代の一番楽しい時期を刑務所で過ごすのか」
Hはこう言って正和の殺害を持ちかけたそうです。そして、遺体が見つからないようにするために、
セメントやスコップ、軍手、作業着を正和の最後に振り込まれた給料をおろして買い揃えました。
「ちゃっちゃっとやってこい」というHの指示によって、M、Uは正和が血を吐き倒れてもまだ、
ネクタイで首を絞め続けたということです。
 正和が埋められた穴はその直前に、まだ生きている正和の目の前で掘られました。彼らは遺棄後、
「時効までの15年間、逃げ切ってやろう」と誓い合っています。
 しかし、4日夜、高校生Tが怖くなって自首し翌日には全員が逮捕されました。4人とも未成年で、
そのうちの3人は正和と同い年であったということは遺体発見の後に知らされました。
 Tは知り合って日が浅かったため、事情を正確に知っていたわけではありません。暴走族の
仲間割れで正和がリンチされて殺された−三田署にこう届けたので、だから警察は私にも
「正和さんは仲間に殺され」と連絡してきたし、当初、新聞も暴走族の仲間割れであると報じました。
正和にとってはこれも大きく名誉を傷つけられることでした。
492名無しさん@6周年:2006/04/13(木) 19:53:31 ID:JEgmL6470
(続き)
 公判は全て傍聴しています。H、M、Uとも肩をいからせ、踏ん反り返って虚勢を張る態度は
まったく変わりません。
 Hは分離した裁判でしたが、私が一時間かけて正和の思い出、行方不明になっている間の
苦しみ、現在の悔しさなどを意見陳述している間、あくびをしていたのです。正面から見ていた
左陪席の裁判官から判決の日、「被害者の遺族の証言をどう思いましたか」「遺族が証言している
間、踏ん反り返って眠そうに聞いているように見えましたが」「あくびをしているように見えましたが
違いますか」ときつく質されていました。Hが「死刑になっても当然」と供述していることに
なっていますが、公判では「須藤君の分まで頑張って生きたいというのが本当の気持ち」「彼女と
やり直したい」と本音を言いましたし、無期懲役の判決を不服として控訴手続きをとっています。
 Uも「遺族に恩返しをしたい」などと言いました。どういう意味だと受け取ればいいのか。
 Mは法廷で私をギロっと睨みつけてきました。自分が被告席にいることを恨んでいるかのようでした。
非協力的で供述書にサインをしないそうです。Mの母が「納得するまでサインするな」と教えている
とのことです。Mの母は証言台に立ち、家族みんなでMを守る、被害者の家にまで行く勇気がないので
代わりに近所の寺に参っていると言いました。Uの母は家計の収支がトントンなので遺族への賠償は
払いたいけど払えないと言いました。Hの両親は、初公判の時に父親が来ていましたが、以後裁判に
顔を見せませんでした。
 少年もその親たちも自分たちのことしか考えないのでしょうか。
493名無しさん@6周年:2006/04/13(木) 19:53:47 ID:4xRNaoWD0
おし、栃木県民110番OFFだ!!ぬこが表で喧嘩してるとか言ってかけまくれ!!!
494名無しさん@6周年:2006/04/13(木) 19:53:49 ID:JEgmL6470
(続き)
 いま、私の妻は自分を責めてばかりいます。正和の育て方を間違えたのではないかというのです。
もっとずる賢くなることを教えるべきだったのではないかと。もちろん、正直な優しい子に育った
ことが間違いであるはずがありません。
 月給をもらう身分になると、正和は早速未来の妻を受取人にして生命保険に入っていました。
また、勤めていたのはたった半年間だけでしたが、コツコツ貯めていたという社内預金は10万円に
なっており、私たちは相続の手続きをしなければなりませんでした。冗談じゃない、家を建てて
やろうか、土地を買ってやろうか、将来、何がしかの財産を遺してあげたいと思っていたのに、
親である私たちの方がまさか息子の遺産相続をすることになろうとは−。
 正和の命を、私たちの夢を奪った少年たちの家族は、自分の息子の狡猾さ、凶悪さに気がつかなかった
のでしょうか。いまでも息子の犯した罪の大きさ、恐ろしさに気がつかないのでしょうか。
”被害者”は私たちばかりではないのです。正和の大切な友人たちもまた、彼らに脅され、大きな
心の傷を負いました。いずれ社会に戻ってくる日を本当に恐れ、既に転居した人もいます。
 無期懲役といっても10年で社会に出てくると聞きます。そんな短い”無期”の判決を控訴する
資格などHにあるのか。私たちは無期懲役でも到底納得できずにいるのです。