【社会】 「法的措置も」と、閉店中の一澤帆布社長…向かいの「信三郎帆布」は大盛況★8

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1茜丸φ ★:2006/04/10(月) 22:41:03 ID:???0
・午前9時。「信三郎帆布」に50人以上の行列がなだれ込む。整理券は3時間待ち。結局、
 オープン初日は一澤帆布時代の繁忙期の倍にあたる約3000人が来店した。盛況に
 信三郎氏は「人の気持ちと社員の頑張りに支えられた」と感無量の表情。
 一方、斜め向かいの「一澤帆布」は入り口が閉まったままの休業状態だ。

 お家騒動の発端となったのは、信太郎氏が主張した「第2の遺言状」だ。兄弟の父・信夫氏が
 生前に作成した97年12月12日付の「第1の遺言状」に従えば実質的な経営者だった
 三男・信三郎氏と恵美夫人(56)が「一澤帆布」株式の大半を保有することになっていた。
 01年に信夫氏は他界。死後4か月たって信太郎氏が、生前信夫氏から渡されたという
 第2の遺言状(00年3月9日付)を持って現れた。株式のほとんどを信太郎氏が所有する
 という全く逆の内容。効力を巡り裁判で争ったが04年12月、最高裁は第2の遺言状を
 「偽物とは言いきれない」と認めたのだった。

 だが、信夫氏の弟で現役職人・恒三郎氏(88)は第2の遺言状に疑問を投げかける。
 作成日時には、信夫氏はすでに要介護状態で遺言状が書けなかったことや、便せんに
 ボールペンで書かれていること、さらに名字が「一澤」ではなく信太郎氏の登記上の名字の
 「一沢」になっていた、と反論した。

 昨年12月の臨時株主総会で、信三郎氏は信太郎氏側から社長職を解任された。約70人の
 職人、スタッフ全員は、これに反発。信三郎氏とともにたもとを分かち新会社設立に参加した。
 信太郎氏は京大を卒業後、東海銀行に就職。父の死まで家業には、まったく関心がなかった
 という。骨董収集が趣味で、自宅には外車を3台所有するなど、近所では
 「お金持ち」といわれていた。

 取材に応じた信太郎氏は「(信三郎帆布に対し)法的手段の対象に
 なるか検討している」と発言。和解については「信三郎氏が言って来たら考える」
 と話した。だが、両者のおじである恒三郎氏はこう言い切った。「和解はない。信三郎が
 これだけの仕打ちをされちゃなあ…」(一部略)
 http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20060407-OHT1T00003.htm
maesure : http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1144594435/