【皇室】天皇・皇后両陛下、葉山の浜辺を散策…皇太子ご一家も合流へ(写真あり)

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125ID:bFW+7iCD0さん 
江頭豊の犯した犯罪をマスコミに口を封じさせた宮内庁を糾弾してください!



噂の真相 1993年 4月号  皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪の
                          ルーツを徹底追跡!


 結局のところ、この間、江頭は水俣病患者にたいする補償交渉などしなかった
に等しい。交渉から逃げ回り、ただただ「金額決定」の引き延ばしを図
り続けただけである。
 ふり返ればそもそも江頭がチッソに専務として興銀から派遣されたの
は、水俣病解決などのためではなかったのである。江頭が補償交渉とは
比べものにならない積極さでやったのは、チッソの出遅れ過ぎた石油化学
事業(当時の金額で一五○億円を投下しようとしていた)に対する「興
銀の資本投下」を成功させることだった。
 そして江頭は、この事業を成功させるための犠牲として行員の低賃金
を維持させる方針を打ち出すのである。これに反発する労働者は一○ヵ
月にわたる長期争議をおこし、これを叩きつぶすために江頭らは権謀術数
を使って組合を分裂させる。これがもとで従業員同士、市民同士が分裂
し、のちのちまで市が二分された「安賃闘争」が発生するのだ。
 また社長に昇格すると、今度は合理化という建前で労働者の「首切り」
にかかりきりになる。それも患者を支援する第一組合の組合員を中心に
いきなり「千葉工場への配転」を通告するという卑劣な作戦で、である。
 地元出身者が圧倒的に多いチッソ労働者にとって、他の工場へいけと
いうのは、辞めろというのに等しい行為だからだ。
 ようするに江頭の頭の中にあったのは、企業経営の合理化のためには
弱者を平気で切り捨てていくという、まさに銀行マン的発想のみであり
、労働者も水俣病患者もその犠牲になっていったのである。