【少年兵】12歳に敵艦探知訓練 旧海軍、太平洋戦争直前に
>>270 つまり人類の大半が恥ずべき歴史を持っているということでFA?
それとも日本限定?
>>270 人類の大半。俺をなんかの範疇にはめ込みたいのかw
275 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:36:43 ID:FFZjsK/d0
>>269 その手の事件はアラブ首長国連邦よりイランのほうが深刻だよ。
イラクやトルコとの国境隣接しているあたりが特に悲惨だよ。
あのあたりは貧乏すぎて子供を売らなければ食べていけないからね。
よく人買いが隠し部屋を作ってそこに子供を隠している。
昔は労働環境の悪く目を悪くすることが多かった絨毯織りに
つくことが多かったが最近は労働環境もだいぶ改善されている。
貧乏な地域ほど原理主義に走りやすい。
イスラム革命がおきたのもイラクやトルコとの隣接区域での
運動が活発化して革命が起こったしね。
今のイランは完全に当初の目的であったイスラムと民主主義を
完全に見失っているがね。
>>270 君は文章読んでないだろう。
当時はそれが常識なの。やらなかった国は外国に支配されたんだよ。
君は奴隷の平和を享受すべきだったというのかね?
276 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:38:40 ID:tWS5wiR1O
>>275 やっても戦争負けてますがw
君は歴史を勉強して無いだろ。
>>274 いやいや、それが解っているんなら良いんだ。
>>275氏も言っているが、どうも君は「当時(今でも結構な地域で)はそんなの常識」ってのが
解っていないみたいだったからさ。誤解は謝るよスマソ。
279 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:40:24 ID:aELuOE+u0
あれ?朝日の11歳で南京攻略に参加してたといってた人は?
280 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:41:16 ID:A16bGIsM0
軍隊ではよくあることだ。 気にするほどでもない。給料も払ってたんだろ?何の問題もない。
281 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:42:04 ID:5r6b+bn+0
香ばしくなってきた
282 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:43:10 ID:+yhs75iJ0
昭和15年から、非公式に少年を集めてソナー員を
養成していたのか。
まあ 海上護衛戦が大変なことになるという見込みがあって
やったことではないんだろうけど。日本海軍は職人芸が
好きだったからな。
夜戦時に敵艦を発見するための見張り要員も、昼間は暗室に
隔離しておくとか、極端なやり方で訓練して専門の要員を
準備していたらしい。
米海軍は見張りも射撃もレーダーでやるようになったので
日本の職人芸では太刀打ちできなくなったそうだが。
283 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:44:57 ID:NKWJKhkE0
当時は尋常小学校を卒業したら、ごくごく一部が進学するだけで、あとは就職するのが
当たり前なんだし、12歳でも戦闘要員となることはあり得る。今の12歳と
比べるのは無理。12歳でも働き、一家を支える子供もたくさんいたんだから。
>>277 だからさ勝っても負けてもその程度は普通にやる、そーいうことだろ。
負けないためなら何やっても良いと言うなら、それこそこの件は正当化されるな。
日本は負けないためにやったんだから。結果は負けたがそりゃ後付けだ。
無論、俺はそこまで極端には考えていないけど。
285 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:47:48 ID:A16bGIsM0
大体これがダメなら、今の「自衛隊生徒」とかもダメだろ。
給料払ってんだぞ。厨房にwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
俺?無職wwwwwwwwwwwwwwwww
286 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:49:04 ID:d1iUQOvU0
100人の処女と姦りまくれるよとか
言って勧誘したんか?
うーんこのニュース面白いですね。
旧海軍が水中測的の探知訓練に音感教育を導入して実績を向上
させたってのは一部ではわりと知られた話なんだけれども、
それに少年兵が含まれていたってのはまじで初耳。
若い方が耳が良く聞こえるという話ではなく、水中雑音のなか
から特定の目標とするリズムを探し出すには教育された「音感」
があると見つけやすかったとかなんとか。
ようは大人の「音痴」は矯正するのが難しいということ。
けっきょく、中学校で音楽・楽器をやっていたとか、軍楽隊に
いる人とかが測的兵になったんじゃなかったっけ。
288 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 02:53:10 ID:vpd1q3iUO
>>1 結構知られてる話だと思ってたが、
おれが軍オタなだけだったみたい…
>>285 厨房つか高校生の年齢だがな。試験資格は15歳から。
290 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 03:05:06 ID:5r6b+bn+0
なるほど、尋常小学校唱歌が多いのも関係あるのかも
291 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 03:14:44 ID:W8O+i5RN0
292 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 04:04:10 ID:+WiZYvZK0
パイロット養成も、中学からじゃなかった?
293 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 04:14:05 ID:VqgeKeueO
少年兵募集の広告を嬉々として載せたのは、皆様おなじみの朝日新聞です。
294 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 05:21:23 ID:8T5W6INU0
歌舞伎・能・狂言の世襲にあっては、それこそ3歳4歳と言った年齢から
雰囲気や環境の提供、強制的な訓練、叱咤激励・・と続く。
あの若・貴兄弟も、なんだかんだ言いながら二人とも横綱になったのも事実。
職人であれ百姓であれ、漁師や木こりにいたるまで、明治大正昭和どころか、
江戸時代へ遡っても、子供の頃から仕込むのは、特に異様なことでもなかった。
世界的にも、例えば労働法が制定される前の英国では、スチームボーイやラピュタの
世界ではないが、今で言う小学生年齢でも炭坑労働者だったりもした。
無論日本でも富岡製糸工場と言う、実例がある。
一体何がどう問題視されなければならないのか、本心から理解に苦しむ。
295 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 05:31:48 ID:qZt/Z0+Z0
たしかバイオリニストの辻久子も、音感の良さを買われて
学生のころ潜水艦の音紋識別に協力させられた、みたいな
事を聞いた事あるな
297 :
名無しさん@6周年:2006/01/07(土) 08:40:06 ID:ydOOOK4F0
>海軍が目的を明示せず募集したため、軍を志望しない児童も応募したとみられる。
言ってることおかしいってw
戦時中の片棒担ぎが、何を今更善人ぶって・・・。
こういうのを盗人だけだけし、とか
天に唾する というのだろうな。恥ずかしくないのか。
反省しない朝日。嫌だねえ、ホント。厚かましい奴は。
戦前戦中は小学校卒業したらそのまま士官学校がエリート軍人の道ではなかったか?
陸軍では訓練に実弾も使えば戦車も走り回るから死人が出て当たり前。
戦略兵器ローレライを独逸から譲り受け、少女兵を準備したが
時間切れで敗戦になってしもた。
>>300 >戦前戦中は小学校卒業したらそのまま士官学校がエリート軍人の道ではなかったか?
言っておくが、士官学校の受験年齢=旧制高校の受験年齢=ほぼ今の大学受験年齢。
陸軍士官学校の試験に落ちた香具師が旧制一高=今の東大に行く、とまで言われてた。
士官学校の入学者は幼年学校か旧制中学の卒業生。つまり14歳(中央)と13歳(地方)で
幼年学校に入学し16歳になって受験するか、12で入学した旧制中学を5年か4年で
出て受験するか。
ちなみに、海軍兵学校は「海軍兵学寮規則」によると
幼年学舎=15〜19歳を教育、その後、壮年,専業と続くからな。
あとな、普通「士官学校」っていうのは予科のことは言わないからな。あくまでも本科のことだ。
回りの昭和一桁以前生まれの人間に聞いてみろ。
まず旧制の学制をちゃんと調べてくれ。
303 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 03:33:44 ID:Vb/EIrKt0
>>302 陸士海兵に行くのはクラスでトップの人間だった、中には
「今の東大とは比べ物にならないくらいの」難関だったと
いう人がいるけど、本当なんですか。
違う意見で、
クラスでトップの人が一高、次が陸士海兵に行った。
戦前の軍人が政治に介入したがったのは、帝国大学に行けなかった
コンプレックスからかもしれない、という言葉もあって、
こちらの方が本当っぽく感じられるんですが。
304 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 04:28:42 ID:R1kvdvOoO
司法試験は東大入試よりも難関だけど
東大出の役人に対抗意識を燃やす弁護士もいるのと
似たようなもんじゃないのかと。
>>303 話が逸れると思うので、一発レスにしちまうけど、当時東亜同文書院って学校があってさ。
そこを出ると、陸軍士官学校(海軍は知らない)への「枠」があったそうだ。
旧帝大としての東大にすら「枠」は無かったんだってさ。
で、東亜同文書院から満鉄(満州鉄道)へ行く者も多かったそうだ。
306 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 05:55:10 ID:Vb/EIrKt0
>>305 >東亜同文書院とは、1901年に上海に建てられた対中政策学校である。
>それまで中国人との商談は買弁といった仲介人を介して行っていたが、
>言葉の齟齬により商路が拡大できないでいた。そこで、中国語の
>エキスパートを現地で養成する事で、中国との貿易を行おうとして
>建てられた。
ググったらこんな文章がヒットしたけど。
帝大出の超エリートが行くような施設ではない
ということじゃないの、東亜同文書院は。
307 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 06:25:46 ID:pypLJyUn0
素直にレーダーの技術を使ってればよかったんですよ。
レーダー考えたのは日本の技術者なんだから…。
まあ、実際に八木アンテナを採用したのは敵国だったわけなんだけれどさ。
戦前にアメリカのメーカーからレーダーの売り込みがあったそうだけど
「そんなものは、暗夜に提灯を灯すようなもの。居場所がばれるではないか」
といって蹴ってしまったらしい。先見の明がないというかテクノロジーを
軽視しては勝てない。VT信管は結局終戦まで分からなかったようだし。
310 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 10:16:58 ID:2VDnvSGp0
VTって朝鮮戦争で始めて仕組みがわかった秘密兵器だったと思う
*集り外交の期限が延びました
って事かな?
312 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 10:21:57 ID:Y3hvLiQ40
313 :
江沢民は…:2006/01/08(日) 10:30:55 ID:QF1ceUcTO
かの江沢民同志も、若き日に上海の東亞同文書院に入学したが、
日本の学習を怠り、退学となってYMCAに入り、
支那事変中から反日左翼活動をしていたといわれる。
で?
レーダーで話がそれたが、
海中はレーダーは使えないので音波探知となる。
今のような電子技術が無い当時としては、水中マイクで拾った音を
どう判断するかという、極めて職人技術的な音感能力が要求されたのだろう。
年少からそういう特性のある人を育てるのは悪いことではない。
かの真央ちゃんだって5歳からスケートを始めたそうだし、イチローだって
3歳からバットを振っていたそうな。
アカヒ的には年少者を軍事に利用とか何とか非難したかったのだろうけど。
316 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 10:47:16 ID:Q5VGZ5QM0
当時の朝日新聞だったら愛国少年として賛美していただろう
>>300 戦前戦中は小学校卒業したらそのまま士官学校がエリート軍人の道ではなかったか?
戦争寸前、戦中は初期は当てはまるだろうけど戦争後期は全てが崩壊寸前だし、
戦前もかなり前は今の日本より自由だっただろうから当てはまらなさそうですね。
318 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 11:48:53 ID:OvHnl2tLP
>>303 昭和一桁生まれのお袋は幼なじみの兄貴が職業軍人の倅で、士官学校に行ってた。
お袋の兄弟は全員帝国大学だった東北大の理系に行ったが、入学試験そのものは
やっぱり士官学校のほうが難関だったらしい。
(当時は東大も東北大も京大も同じ学力レベルだった)
規律とか人を指導するとか武力とか国家存亡に直接関係するから、選別規定が帝大より
士官学校が厳しいってのはわかるだろ?
>戦前の軍人が政治に介入したがったのは、帝国大学に行けなかった
>コンプレックスからかもしれない、という言葉もあって、
>こちらの方が本当っぽく感じられるんですが。
漏れがネットで読んだ話では、戦前は軍人は被選挙権がなくて政治家には退役しない限り
なれなかったらしい。
まぁ予算削ったり外交に直接タッチとかは文官の仕事だし、文官の腰抜けと血気盛んな
軍人が思ったら介入したくもあるだろう。その例が226事件だわな。
そういえば陸軍は徴兵で否が応でも行くが、海軍は志願制度だったって話があるな....
志願の方が当然早いうちから募集したらしい。
319 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 18:55:41 ID:Vb/EIrKt0
>>318 当時の大学進学制度について書いたネット上の文で、
旧制高校の卒業生と同じだけ定員の枠があったから、
学校学部を選ばなければ誰でも帝大に行けた、っていう
文章を見たことがあります。
「学部を選ばなければ」ということは、やはり東京帝大法学部を
トップとする序列は存在したんじゃないでしょうか。
>当時は東大も東北大も京大も同じ学力レベル
あと士官候補生には指導力、体力も要求されるという
ことですが、そういう特殊条件があると学力面での競争率は
かえって低下するのではとも思います。
昔は偏差値のような物差しがなかったので、どっちの方が
難関だと判定できるような根拠はないんでしょうけど。
320 :
名無しさん@6周年:2006/01/08(日) 20:05:55 ID:nPPqEvYI0
東大より海軍兵学校のが難関つーのは良く聞く話。
うちの親戚にも居たらしく、終戦後は履歴を誤魔化すため
旧帝に入りなおしたと聞いた。
まぁどんな教育を受けたかは興味あるな、当時のエリートたちが
322 :
名無しさん@6周年:
>>319 昔の東京帝大法文は、本来政府の高級官僚養成組織だったって話だからね。
(フランスのなんとかいう高級官僚養成大学校みたいなもん?)
ただ、いわゆる「帝大」は今の大学の後半部分に当たるからな......
wikiによると、旧制高等学校は修業年数3年(1943年から2年)で16〜19歳、
大学は3年で19〜22歳までだったらしい。
>>319,321
いろいろググってたら、こんなの見つけたよ。
「文芸春秋 本の話よりPickUp・特集旧制高校を知っていますか
旧制高校と「教養」 竹田篤司」その1とその2
ttp://www.bunshun.co.jp/pickup/kyusei/kyoyou01.htm ttp://www.bunshun.co.jp/pickup/kyusei/kyoyou02.htm あと簡単で確実なのは、「旧制高校」をタイトルにしてる本を図書館で当たることだろうな。
うちの区立図書館の蔵書だと
「白線と探検 旧制高校と海軍の青春の記録」和田良信・昭和出版・1975
「青春風土記 旧制高校物語1〜4」週刊朝日 1979
「旧制高校生の東京敗戦日記 平凡社新書 035」井上太郎・平凡社・2000
「旧制高校物語 文春新書 355」秦郁彦・文藝春秋・2003
あたりではないかと。