【日本論】偏差値で消えたエリートの気骨〜"オレがやらずに誰がやる"精神は何処へ★2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1諸君、私はニュースが好きだφ ★:2005/12/16(金) 23:44:28 ID:???0
 どこの国にも、“取り仕切るのが自分の仕事”と思っている人がいるわけだ。
イギリスなどには、そうした人がたくさんいる。逆に日本には、取り仕切らない
のが自慢という人がいっぱいいる。社長になっても、「社長って何をすれば
いいのか、みんなで決めてください」とかね。
 それが悪いとは思わないが、昔の教育は「根本的にはオレがやるんだ」
という根性を叩き込んだものだ。旧制中学校などは、そういった教育の中枢
なのだ。旧制中学校に進学する人は、男子の3%とか5%だったのだから。
(中略)
 そういうエリート意識というのが、かつての日本にはあった。それが戦後、
まるで消えてしまって、自分自身のために勉強するようになった。勉強は
個人のため。そうすると、東大に入っても、京大に入っても、社会的な
値打ちがないわけだ。昔は「日本のためにがんばって難しい勉強をしてくれ、
お前は頭にスッスッと入る人間だから、他のことはあきらめて、それを専門に
やってくれ」と応援された。それが奨学金であり、地域の人の応援だったのだ。
 いまのエリートは、地域の嫌われ者になってしまった。地域を踏み台に
して東京や京都に出て行って、自分だけが偉くなるわけだから。それが
偏差値教育で、出ていった本人もまた、地域のみんなの面倒を見る気が
ないし、取り仕切る気もない。そういう人たちが日本の役人であり、日本の
学者なのだ。だから彼らは、外国から何かいわれても、“自分が矢面に
立つ”という気持ちがまったくないわけだ。
 僕はこういうことを繰り返しいってきた。でも「日本はこれだけ幸せに
なっているのだから、これ以上、そんなエリートはいないほうがいいです」
という意見もある。確かに、こうした意見も正しいと思う。ただ、日本の将来
を考えると心配になってしまうのだ。

(※抜粋です。全文はソース元でご確認ください)
ソース(日経BP・SAFETY JAPAN 2005、日下公人氏)
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/p/10/
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/p/10/02.html
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/p/10/03.html
前スレッド http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1134719546/