【歴史】政治家・風見章の本懐…「戦争責任は軍部を抑えられなかった政治家にある」

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1諸君、私はニュースが好きだφ ★
 日中戦争の拡大に歯止めをかけられず、日米開戦への道を許して
しまった責任を痛感し、戦後は憲法の擁護と世界平和に身命を賭した
気骨の政治家がいる。戦前、近衛内閣の書記官長、司法大臣を務めた
風見章(かざみあきら)(1886−1961)。母校の早稲田大学で、波乱
の一生をたどる企画展「野人政治家 風見章の生涯」が開かれている。
(中略)
 「組閣本部に呼ばれた父は、近衛さんに政治状況について意見を
聞かれたそうです」。風見は(1)総理大臣は衆院選に出て国民の支持を
得てからなるべきもので、華族や軍人がなるのは本来間違い(2)軍隊の
統帥権が天皇にあるしくみを改め、総理大臣に与える−と力説、「そうすれば
軍部を抑え戦争も食い止められる」との熱弁に近衛も賛同し、その場で
書記官長就任を要請したという。
(中略)
 四〇年五月、国民を基盤とした新たな政治勢力の結集が軍部を抑え込む−
こう考えた風見は「新体制運動」と称して近衛側近の有馬頼寧らと新党結成
を企てる。同七月発足の第二次近衛内閣で風見は司法相に就任。しかし、
新体制運動は軍部などの工作もあり大政翼賛会結成に行き着き、失意の
うちに司法相を辞任した。
 尾崎がゾルゲ事件のスパイ容疑で逮捕されて二カ月後、太平洋戦争に突入。
風見は博太郎さんに「この戦争は必ず負ける。五年保(も)つか、いや二年
かもしれない。早く講和に動かないと多くの犠牲者が出てしまう」と話したという。
 四二年四月、東条内閣の翼賛選挙に出馬せず市井人に戻った。終戦時は
「すべての戦争責任は軍部ではなく、軍部を抑えられなかった政治家にある」
と博太郎さんに語り、国民から“国賊”として訴えられることを覚悟していたという。

(以下略、全文はソース元でご確認ください)
ソース(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20051102/mng_____thatu___000.shtml
写真=日中国交回復国民会議理事長として訪中し、周恩来首相(右)と会談する風見章
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20051102/051102-2.jpg
2名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:11:51 ID:eTEwbiDU0
しらん
3名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:11:52 ID:9KR7B6v30
また東京か
4名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:12:07 ID:qlWfokUh0
朝日は戦争煽ってたんだぜ
5名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:12:28 ID:XXkxKtXC0
殺伐としたスレに成金が!
     ;:;:;.
     ;:;:;              ,、-ー-、              ど
     ;:;:            ,r'"´ ̄`ヾ、             明  う
     ;:;:.            リ ,,, ニ ,,,_ ヾト、            る  だ
     :;:;:;.             ,ハ ^7 ,^   !.:.\          く
     ;:;:;:           /.:.:.V,r''''''ゞyイ.:.:.:.:..ヽ       な
     ;:;:.         ノ.:!:.:.:.:`ゞ-<7.:〉.:.:.:i.:.:}   ら  つ
     从 __  _,,,/.:.:/:.:.:.:.:.:| }-{/i.:/.:.:.:.:|.:/     う  た
      从从百円}と_」.:/!.:.:.:.:.:.:.!  ̄ リ.:.:.:.:.:り     ?
         ̄ ̄    ̄  |.:.:.:.:.:./_ :__ヽ.:.:.:.:\
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6名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:13:57 ID:1eRq3yKx0
また名古屋章か
7名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:14:37 ID:0gMePkDj0
石原莞爾のいうとおり、南進論をとっていれば、日本は負けることはなかった。
8名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:15:25 ID:2dcZC0B10
>>5
たった1分でそのAA探して貼ったわけか。

お前のその能力、何か実生活に活かせるといいのにな
9名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:15:36 ID:g3ORWjdo0
戦争責任ならそもそも内乱してた共産党とか国民党なんかの軍閥にあるんだけど。
10名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:16:34 ID:Bgi+5sqZ0
マスゴミは決して悪くないというわけですな。
11諸君、私はニュースが好きだφ ★:2005/11/02(水) 23:17:03 ID:???0
こういう先の見えてる人は、失意にまみれて政界を去り、
石橋湛山のように堂々と戦争に反対した人の言論を封じ込め、
東郷重徳のような外相の意見もロクに聞かず、

それでも太平洋戦争を開戦してしまった当時の閣僚は、
まさに本当の意味での「国賊」です。「売国奴」です。
12名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:17:55 ID:ssBKgHgB0
戦争とは相手のあることであり、相手国のことも詮議の対象に
しなければならないのではないか。アメリカの戦争責任は、
誰が問うのか。
13名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:18:41 ID:qVHFcfjv0
なんだ。また責任の擦り付け合いか
14名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:19:29 ID:pbD2XU520
>>8
金魚すくいの名人みたいなもんだな
15名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:21:48 ID:tl4IlV0R0
んで、いつまで責任の押しつけあいしてんの?

買ってたら手柄の取り合いだろ?

半世紀以上立ってるのに醜いことしてんなよ、何時までもよぉ
16名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:24:19 ID:rudU2ieH0
まあ最終的には政治家の結果責任と言えるかもしれないが
戦争を煽ったメディアや共産主義者の暗躍というのも含めて検証しないと。
17名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:25:35 ID:/V18cw/v0
うだうだとくだらない責任の擦り付け合いするくらいなら、次はどうやったら勝てるかとかを考えておけ。
本来反省とはそういうものだ。
18名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:26:05 ID:LwuNccN20
チベットベトナム問題
19名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:29:08 ID:al0068mq0
いや、当時の政治制度的に無理でしょ。
陸、海軍省の大臣辞任したら、即内閣解散というふうになってたし。
首相に権限がなかったのが止められなかった原因。
当時はすべての大臣が優劣なく天皇陛下を補佐してたからね。
20名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:33:30 ID:Avk4vFjJ0
日中戦争の拡大に歯止めをかけようとしていた軍部を
妨害して、イケイケどんどんで泥沼化させたのが近衛本人なんだけどな。
SAPIO最新号の新・ゴー宣で、ちょうど、小林よしのりが描いている。
21名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:35:06 ID:883yxx8s0
統帥権干犯とかも政治家の失点っちゃー失点だしな
22名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:36:26 ID:jDbz8TNV0
>>19
議会に予算審議権はあったし、軍部も世論などは相当気にしていたよ。
だからマスコミや政治家が本気で止めようとしていればできた。

でも、戦争を止めるべきだったというのは戦後からみた視点。
それを前提に何言ってもね。
23名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:38:44 ID:uGaLLFzJ0
>「戦争責任は軍部を抑えられなかった政治家にある」

その理屈なら、殺される覚悟で軍事費削って2.26事件で殺された“だるま”と国民に慕われた政治家はどうなる?
24名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:40:06 ID:cUsFqepr0
風見鶏って見えた
25諸君、私はニュースが好きだφ ★:2005/11/02(水) 23:42:37 ID:???0
>>23
戦争を終わらせたのも、2・26事件で襲われて重傷は負ったが一命は
助かった鈴木貫太郎首相だったというのも、「運命」を感じますね。
26名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:43:12 ID:vjIEhcj/0
斉藤隆夫みたいな罷免されても批判が出来る政治家が少なかった
27名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:50:10 ID:2xOFyIS90
>>24を見るまで風見鶏だと思ってた・・・大勲位もとうとう・・・とおもた。
28名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:51:24 ID:92+1rZ6W0
戦争責任で一番大きいのはマスゴミだろ
29名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:55:27 ID:al0068mq0
でもなんだかんだ言って、戦争の原動力になったのも、
軍部の行動を後押ししていたのも世論や当時の空気が大きいんだよなー。
戦後は軍部が悪くて国民は被害者と^^;
都合よすぎw
戦後に国民が、赤紙で軍に徴発されて戦争に行かされたと言っても、
当時は行くのが当然という雰囲気だったし。
30名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:57:03 ID:T9+oVbwW0

現代に置きかえると・・・官僚を抑える事のできなかった政治家・・・
になる。
31名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:57:23 ID:2xOFyIS90
一億総戦犯!
32名無しさん@6周年:2005/11/02(水) 23:59:20 ID:NCPvh38C0
俺たちの生活がよくならないのは、与党をおさえられない野党のせいだ。
っていうぐらいバカな理論だな。
33名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 00:01:23 ID:4e//HXS80
あれマスコミは?
34名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 00:02:05 ID:epE844HR0
>>28

マスゴミは金儲けのために売れるものを売るだけです

つまり煽り記事が売れる時代だったワケで
35名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 00:03:09 ID:E7VQptIg0
今も煽り度はかわっとらん
36名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 00:03:44 ID:7F3m4n850
マスコミがいくら煽ろうが国政の決定権は政治家にある。
だから政治家に一番責任がある。
政治家に責任が無いのなら、日本は国家としての態を成して無かったって事だ。
37名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 00:57:39 ID:iVn0U7gr0
馬鹿かこいつ、軍部だってやりたくてあそこまで派手な戦争やりたくなかっただろ。
どうせやるならちびちびと東南アジアだけとかっていう風に攻めてただろうに。
想像力無いのかこいつら?
38名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 02:52:31 ID:83U2JQy10
>風見は終戦への道筋を検討させるため尾崎秀実を内閣嘱託に起用。

>四〇年五月、国民を基盤とした新たな政治勢力の結集が軍部を抑え込む
−こう考えた風見は「新体制運動」と称して近衛側近の有馬頼寧らと新党結成を企てる。
同七月発足の第二次近衛内閣で風見は司法相に就任。
しかし、新体制運動は軍部などの工作もあり大政翼賛会結成に行き着き、
失意のうちに司法相を辞任した。


はあ?

お前がやったことが全部無謀な戦争に突入する端緒になってんじゃねーか。
39名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 02:59:03 ID:pWAbMkNTO
いろいろな要因があって戦争になったんじゃね?欧米の帝国主義によるアジアの植民地化やアヘン戦争での中国の敗戦などが根底にあると思う。
40名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 02:59:12 ID:LfXRG0Sv0
反戦主義者が石原莞爾を賞賛するくらいの矛盾
を感じる
41名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 06:13:43 ID:6TQGjC4w0
風見鳥に見えた
42名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 10:46:59 ID:SwHqKXPf0
>>1
禿同。
A級戦犯だけに責任をおしつけて自分たちも犠牲者だったみたいな面してるやつらは反吐がでる。
たかだか数十人で国の大きな流れが決定できるわけねーだろ。
みんなが求めてたんだよ。
43名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 10:56:16 ID:7FNln+1Y0
一応曲がりなりにも最初議会があって選挙もあったし
それからアメリカンロジックだが国民の大多数がいやで仕方なかったというならなぜ革命や反乱が皆無なの?と
支持した訳じゃないといいつつなんもしないのはそれはつまり棄権と同じで黙認にしかならんではないかという
中学生からの疑問を当時の世代に一度直球で投げてみたいのだが(うちのおじいちゃんすでに惚けちゃってあか
んかった。)人様のおじいちゃんおばあちゃんを不快にして脳の血管でもぷしゅーっと切れたら洒落にならんので
出来ずにいる
「そういう時代だったんだよ」「仕方なかったんだよ」以上の踏み込んだ回答を、心の葛藤とうめきを聞きたい
特に私たちの世代が責任をとって天皇について考えねばなりませんとか先日朝日に投稿してたお前だ!
44名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 10:59:00 ID:lKvMXJIIO
有馬頼寧って有馬記念の有馬だな。
このニュースはサイン。
45名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:15:14 ID:jGpufmcg0
大東亜戦争の開戦責任はマスコミと近衛と松岡だろ。
46アニー:2005/11/03(木) 14:20:11 ID:J7FxLGFr0
現代に跋扈するのは、反戦・反権力じゃなく
反国家思想なのは大問題
47名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:20:40 ID:EPfr1L3D0
先の敗戦の責任を誰かが取らなければいけないのは当然だし、
中国韓国関係無く、日本人に対しても、戦犯の罪が無い訳が無いが
日本人は昭和28年の国会決議でその罪を許したんだよ。(赦免)

「罪はあるが許した」というのがポイントでね。
小泉が「心の問題」というのは、そういう事。
48名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:22:16 ID:ym/B8nC50
226事件、煽るマスコミ、乗せられる国民、諸外国の圧力、
政治家にも責任の一端があるとはいえ全てを押し付けるのはどうかと。
49名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:28:06 ID:qi3atmxf0
日蓮主義者が元凶だろ。
田中智学とか石原莞爾とか。
50名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:45:38 ID:iHFuNcFw0
つまるところ、外交の負けだと思うんだがなあ。

要するに、敵を作りすぎたってことなんじゃないの?
51名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:49:59 ID:2JgH+g5B0
>>43
ヒント:国民の精神
52名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:51:31 ID:1o8bxQSa0
>>41
俺も大勲位かなぁと思って覗いたw
53名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:53:24 ID:Y8rjL0AE0
主権と統帥権が天皇にあった以上、天皇が一番責任があるに決まっている。
54名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 14:57:16 ID:aW8D5Woj0
朝日新聞社はS級戦犯
55名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 15:21:30 ID:pWB/Yl+k0
>>53
主権者にしても「神聖にして不可侵」の不答責により
その担保として実権を「委譲」している。
これは現在の主権者たる国民にも現憲法で不答責を謳われているのと同様である。
56名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 15:23:03 ID:qWKvDjtr0
>>25
2・26事件で誰もが口を閉ざした中で即時鎮圧を口にしたのは
命の危険を顧みなかった東条英機さん等たったの数人だよな。
この時点のみならず5・15事件時ですでに政党政治の無政策加減で
戦争の芽を作ってるのに、それらを全て開戦時の閣僚に押し付けるのは無茶だ。

スターリン、ルーズベルト、蒋介石、毛沢東、10年以上も一貫として
軍事政治権力を一方的に動かしてる連中を考慮せずに開戦時の閣僚を
国賊だの売国奴だのよく書けるもんだねえ。
57名無しさん@6周年:2005/11/03(木) 15:54:51 ID:SQjFZR9m0
マスメディアが軍部を支援したからでしょ。
戦争が起きたのは。
それに国民は騙された形だよ。
58諸君、私はニュースが好きだφ ★:2005/11/03(木) 16:05:59 ID:???0
>>56
もちろん、開戦時の閣僚「だけ」に責任があるとは一言も書いてないですし。
当たり前ですが、俺は戦争を煽った各新聞も「国賊」「売国奴」だと思ってますよ。
(そして、口では「反省するべきだ」と人に言いつつも自らを省みない体質も反吐が出ます)

というか、外国の指導者を「国賊」「売国奴」と言うのは、明らかに語句の意味を
間違えているかと。(普通は国内の人物に対して使います)
また、F・ルーズベルトを「国賊」と罵るのでは、ルーズベルトが亡くなった時に
鈴木貫太郎首相が哀悼の電文を「戦時中だと言うのに」送った精神にも悖るかと。

ただ、「戦時中の日本には軍国主義しかなかった」というような原理主義論は
俺は反対します。「そうじゃない、ちゃんと教えないだけじゃないか」と。

また、「一般市民は軍国主義の犠牲者だった」「マスコミは言論を抑えられていた」
という議論にも反対します。「そうじゃない、お前らも煽ってたじゃないか」と。
(唯一それを主張していいメディアがあるなら、石橋湛山の東洋経済新報社のみです)
59名無しさん@6周年
>>56
なかなかの見識とお見受けいたす。
戦前の総理大臣には閣僚を罷免する権限が無く、重要な外交政策において閣内不一致が起きても
閣僚を罷免する事が出来ず、内閣総辞職しか無かった。まして国民は犬養首相を暗殺した青年将校を
支持し温情判決を望んだ。独裁者が戦争を起こしたという歴史観は全く事実に反する。
逆に総理大臣が権限が無かった為に、軍部や閣僚の暴走を食い止める手段が無かった。
目先の出来事に一喜一憂し、大局的な現状認識も統一的な政治戦略も無かった。
内閣総辞職の度に事態を悪化させ、収拾困難にしてしまったのは、制度的不備と軍部を支持した国民に
重大な責任がある。