【ホリエモン】堀江社長、「宇宙旅行プラン」を発表 専門家からは、いぶかる声も

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89名無しさん@6周年
スペースシャトルよりは確実に安全だろ
90名無しさん@6周年:2005/10/16(日) 21:58:03 ID:gff3lYfu0
>>89
サリュート1号…1971年4月19日打ち上げ。搭乗3名。
4月23日、ソユーズ10号がドッキングするが、乗り移れずに25日帰還。
6月7日、ソユーズ11号がドッキングし、3人が搭乗。29日に離れて30日に地球へ帰還
したが、宇宙船の空気が失われ、全員窒息死していた。

サリュート2号(アルマース1号)…1973年4月4日打ち上げ。搭乗なし。
打ち上げ後に電気回路が故障して火災、外殻が破壊され酸素が漏れて分解、搭乗前に
機能停止。

サリュート3号(アルマース2号)…1974年6月25日打ち上げ。搭乗2名。 2号の代替機。
7月にソユーズ14号がドッキング、2週間かけて地上の偵察を行った。8月にソユーズ15
号がドッキングに挑むが、ドッキング機能が故障したため中止、放棄された。

サリュート4号…1974年12月26日打ち上げ。搭乗4名。

ソユーズ17号及び18B号(18号は打ち上げ失敗)がドッキング。科学研究のため太陽望
遠鏡とX線望遠鏡を搭載していた。

サリュート5号(アルマース3号)…1976年6月22日打ち上げ。搭乗4名。
ソユーズ21号、24号がドッキングし、地上の偵察を行った。途中、23号がドッキング
に失敗。
91名無しさん@6周年:2005/10/16(日) 21:58:11 ID:gff3lYfu0
サリュート6号…1977年9月29日打ち上げ。搭乗35名。
連続有人日数576日を誇り、そのうち185日滞在した者もいる。インターコスモス計画
によってソ連以外の共産圏から9回にわたって宇宙飛行士を送り出した。また機体延命
のため、1980年と1981年に大規模な修理を行ったが、1982年に放棄され、大気圏に突入
した。

サリュート7号…1982年4月19日打ち上げ。搭乗24名。
当初より故障が続き、大規模な修繕を試みたが、1985年11月21日に最後の搭乗員が去
り、放棄された。1986年3月にソユーズT15号が新型ステーションミールを伴って接近
、ミールを離れて7号とドッキングし、研究資料や機密文書を持ち出した。