【いじめマット死】「とうてい容認できぬ」 弁護団、"有罪"元生徒たち支援活動へ★2

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493名無しさん@6周年
No. :1615
Name :新庄市民
Date :2005/09/10(Sat) 11:50

内藤朝雄 氏のレポ(抜粋) 投稿日: 02/04/03 17:11

Aさんは「こんなわけで児玉の子どもが殺された」とオチをつけて語るとき、
声を出して笑う。「あそこのうちは家族全体が『かわいげ』がない。人間は、
金持ちでも、気がしっかりしててもいいけれども、どこか、『かわいげ』があればいい。
『おれたちは特別なんだ』って心の中で思っている親子は、人から見れば
『かわいげ』がない。親の姿勢とか、児玉君の『かわいげ』のないところが引き金
になったんじゃないかって、ここらでは言っている。いじめられる子どもには、
どこかいじめられる原因がある。子どもらしくねえ子どもって、『かわいらしくない』
っていうべしな。親も加わっているとなると、今度、ウフフフフ(大笑い)。
こっちの人は人情的なところがあって、来る者は拒まず、『まじわって』行こう
という気持ちがある。だけど、親の気持ちの出し方が、あれではね。子どもが
殺されたことに関してはかわいそうだと思う反面、親の態度、フッフフフフ(笑い)。
『朱にまじわれば(赤くなる)』って言いますでしょ。こんなふうになったのは、
親の気持ちがとけ込まなかったからだ。親も多少なりとも、『朱にまじわる』という
気持ち、『地方にまじわる』って、『同じ』って言うんだけど、そういう気持ちが
あれば、殺すまでいたずらが昂じなかったんじゃないか」。

Aさんは、「子どもたちの気持ち」を説明する。「いじめたくなるような子どもが
いて、いじめているうちに、ここらでやめておくかなぁという気持ちが出てくる
かもしれない。でも、なおかつやりたくなるような気持ちがだされると、例えば
@『同じ』気持ちが出されないと、A『まじわらない』で特別な気持ちでいられると、
Bしっかりして自分の我が道を行くっていう気持ちでいられると、Cいじめても
そのいじめに乗ってこないでなお毅然としていると、子供心に、もっとやってけっかな、
って気持ちになる(笑い)。そういうわけで、死に至るまでとことん
やってしまったんだろう。殺そうと思って殺したわけではない」。