【教科書】歴史、公民教科書 扶桑社版は不採択…北海道帯広市教委

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17名無しさん@6周年
伊藤哲夫  見直そう歴史教科書Aより抜粋

 今の教科書はあまりにも偏向しすぎ自虐的、日本の歴史を正しく教える教科書があっても 
いいのではということで、扶桑社が新規参入した ところが、この教科書を教育現場に入れ 
てはならないということで、たいへんな抵抗運動が起こった。日本人を悪く書き、子供に日本 
の歴史に対して誇りを持つことを許さない、そういう考えできたわけです。ではその一般的な 
東京書籍の教科書とはどういうものかを検証します
まず「朝鮮侵略」という文字があります。私達の頃は豊臣秀吉の「朝鮮征伐」と習ったが 
朝鮮征伐が不穏当だというならば「朝鮮出兵」という言い方もできるわけだが扶桑社の教科書 
以外は「朝鮮侵略」と敢えて書いてあります。

次に韓国の民族の英雄、李舜臣という人物の銅像の写真が日本の教科書に大きく載ってる  
昔日本の小学校には二宮金次郎の銅像が建っていたが、それと同じように韓国の学校には 
この李舜臣の銅像が建っている、とは言えこれは韓国の教科書ではなく日本の教科書なのだ 

キャプションには「李舜臣は朝鮮を救った英雄として現在も各地に像が建てられています」 
と書いてある、これ自体はこういう人がいたという程度のものかもしれない、しかし、本文の 
下半分には 「李舜臣の水軍が日本の水軍を打ち破り、日本軍の自由な行動をうばいました 
このためいったん休戦して明と講和の交渉が行われましたがその内容に不満を持った秀吉は 
再び出兵を命じました。この戦いで朝鮮では多くの人々が殺され日本に連行され全土は荒れ果てました。 
日本の武士や農民も重い負担に苦しみ、大名の間の不和も表面化し、豊臣氏没落の 
原因となりました」と書いてあり、「耳塚」というものが存在すると書いてあります。
 私はここに違和感を感じた。確かに韓国のことを書くのもいいし李舜臣という人が 
いたことも事実。しかしなんでここまで書かなくてはならないのか?  
18名無しさん@6周年:2005/08/09(火) 08:13:01 ID:m8r8BS+m0
伊藤哲夫  見直そう歴史教科書Aより抜粋

そこで比較してみます 
この元寇の部分です。ご存じのように蒙古軍が日本にやってきてずいぶんひどいことを 
したわけです 
豊臣秀吉の彼等の言葉で言う朝鮮侵略と同じように元がやってきた、しかし 
蒙古軍が何をやったかということについては何も書かれていない 

 「フビライは日本を従えようと、たびたび使者を送ってきましたが 
幕府がこれを退けたため、元は高麗の軍勢をも合わせて攻め入ってきました。集団戦法と 
すぐれた火器により日本軍をなやましたすえ、引きあげました」と書いてありそこでいかに 
ひどいことが行なわれたか、あるいは日本の武士たちがどのように戦ったか、また 
指揮をとった北条時宗がどうしたか、何も書いてないのだ

北条時宗という名前が出てこない。日本の武士が戦ったことも書いていない。最後は台風で 
蒙古軍は自滅するわけだがしかし、日本の武士は日本を守ろうとしたわけです。 
そのことを何も書かないでなんで豊臣秀吉が出兵した時の李舜臣は 
特筆しなければならないのか、銅像の写真まで出して子供たちに教えなければならないのか 
おかしな教科書です。 
19名無しさん@6周年:2005/08/09(火) 08:14:00 ID:7Ra1Qx8H0
北海道に期待なんかしてませんから!残念!
20名無しさん@6周年:2005/08/09(火) 08:15:56 ID:m8r8BS+m0
伊藤哲夫  見直そう歴史教科書Aより抜粋

時代は変わって日露戦争の部分。日本とロシアが戦って、ロシアのバルチック艦隊が 
やってきたわけですが、日露戦争についてなんて書いてあるかと言うと  
「1904年2月、日露戦争が始まりました。日本軍は苦戦を重ねつつも戦局を有利に進め 
日本海海戦でも勝利をおさめました。しかし、日本の戦力は限界に達し、ロシアでも 
革命運動がおこるなど、両国とも戦争継続が困難になりました。 
その結果、アメリカの仲介によりポーツマス条約が結ばれた」と書いてあります。

日露戦争と言うと誰もが思い浮ぶのは日本海大海戦です。そして指揮をとった東郷平八郎 
彼がバルチック艦隊を全滅させたわけです。しかし、この教科書には、東郷平八郎の名前 
が出てこないんです。銅像はおろか写真も一切出てこない。豊臣秀吉の朝鮮出兵の時 
李舜臣という朝鮮人の銅像の写真まで載せて説明しているのに、なんで日本を守ってくれた 
とりわけ日本海大海戦の大戦果をあげた東郷平八郎が出てこないのでしょうか。

 ちなみにこれは東京書籍だけではありませんで、扶桑社以外の七社の教科書には 
すべて東郷平八郎の名前はカットされております。そういうことは教えたくないんですね。

 では日露戦争のところで何が出てくるかと言うと、「社会主義者の幸徳秋水や 
キリスト教徒の内村鑑三などは開戦に反対しましたが、ジャーナリズムの主張する 
主戦論が世論を動かしたため政府も開戦準備を進めていきました」と書いてあります 
そして、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」が出てくるのです。 

21名無しさん@6周年:2005/08/09(火) 08:19:51 ID:Lvgl0EdY0
まじかよ・・・・・北条時宗載ってねえのかよ!!
22名無しさん@6周年:2005/08/09(火) 08:19:59 ID:m8r8BS+m0
伊藤哲夫  見直そう歴史教科書Aより抜粋

そうすると、今の子供たちにとって、日露戦争とは、戦争に反対した人たちの物語 
ということになる。主役は幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子であり、日露戦争を実際に 
戦った軍人や時の政治家の名前は一切出てきません。どうやって勝ったのか、どんな 
意義があるのか、当時の日本人がいかに団結したのか、そういうことは一行も書かれていない。

そして、こういう絵が出てきます「増税に泣く国民 戦費を調達するため、国民には増税や 
新税が課せられました」日露戦争があって困ったのは人民で、こんなひどい目にあったんだ 
と言っているわけです。ならば、日露戦争を戦わなければよかったのか。日露戦争って 
一体なんだったのか。なんにも書かれてないわけです。

 もう一度言います。豊臣秀吉が朝鮮に攻め入った時に日本軍と戦った朝鮮人の李舜臣の 
英雄ぶりは銅像の写真つきで紹介しているにもかかわらず、この国を守るために戦った 
日本の軍人、東郷平八郎も乃木希典も、時の政治家たちの名前も一切出てこない 
こんな教科書が日本の教科書と言えるのか。
扶桑社の教科書のみ、東郷平八郎、小村寿太郎、伊藤博文、ポーツマス条約の仲介をしてくれた 
アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトの名前が出てきます。他の七社は掲載されている 
写真もほとんど同じ。こういう形で反戦ということを言いたいのでしょう。

 ついでに言いますと、豊臣秀吉が朝鮮に攻め入ったことについては、朝鮮侵略と書いて 
ありますが、元冠については、日本への遠征とあります。日本に遠征して来たんだそうです 
教育出版は北九州の沿岸に押しよせてきた、日本文教出版は蒙古が日本へ襲ってきた 
と書いている。ソ連が日本の領土を侵略したことは、ソ連の対日進攻と書いてあります 
外国が日本を侵略してきた時は絶対に侵略とは書かないのです
ところが、日本が外国へ出た時は侵略でなくてはならない。そして、それをおどろおどろしく書く 
それがこの東京書籍のポリシーであり、論調なのです。